カテゴリー「書籍・雑誌」の119件の記事

2017/05/20

『全国の犬像をめぐる : 忠犬物語45話』のチラシができました

Inuzou

170520_0


A4のチラシができました。同じデザインで、A2のポスターも作りました。

本で使用した写真を正方形にトリミングして合わせてみました。日本全国にはこんなにたくさんの犬像があるのか?という驚きが、この本を作ったきっかけでもあるので、それを表現したデザインです。

もし書店など、どちらかで掲示していただけるところがあれば、印刷できる解像度のデータを用意しましたので、こちらからダウンロードしてプリントしてください。A2くらいの大きさのプリントには十分に対応できます。(約13MBあります)

http://asia-photo.net/inuzouA2.jpg


なお、青弓社やアマゾンのQRコードを消してほしい場合は、連絡ください。修正してお送りします。

また、A4チラシの場合、大量に必要な場合は現物(印刷物)をお送りできますので、ご連絡ください。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/05/06

『メコンを流れる』、ゼロメガで電子書籍化

170506(青海省玉樹藏族自治州雑多県莫雲郷 メコン河源流域で暮らすチベット人家族)


『メコンを流れる』が電子書籍化されることになり、あらためて校正しながら読み直しました。

NTT出版から単行本として出たのは1996年です。もう21年も前です。

メコン河をテーマにし始めたころは、東西冷戦が終わった直後で、そのために、ベトナム、ラオスなどにも外国人が旅行で入れるようになってきたころでした。

ただ、まだ自由に旅行することはできなくて、ガイドといっしょに周った思い出があります。その後、あれよあれよという間に経済発展と自由旅行が同時進行し、風景と人々の様子が一変しました。

その激動の時代を、メコン河の源流から河口まで旅した旅行記です。同時に出版したのは写真集『メコン河 アジアの流れを行く』でした。

メコン河の源流に行ったのは、アメリカのナショナルジオグラフィックの記者・カメラマンの次でした(日本人としては初めてだったかもしれません)。現地に行ったら「だれもメコンの源流を探したことがない」ということを初めて知ったのです。1992年の夏でした。

黄河や長江(揚子江)の源流は調べられていたのに、1990年代半ばまで、メコン河の源流は調べられていませんでした。もちろん現地チベット人は源流で暮らしていましたが、彼らは現地で「ザナチュ」と呼ばれている川が、大河メコンだと、それほど意識していたとも思えません。

どうして1990年代まで調べられていなかったかというと、中国人(漢族)にも、メコンは少数民族が住む地域を流れる秘境で、経済的、文化的価値はほとんどなかったのでしょう。

今では、東南アジアに向けての、交通路と捉えられて価値が出てきましたが、昔は違いました。だから中国人も、メコン河の源流がどこかなんて興味を持たなかったようです。(植民地時代、フランス軍が下流から雲南を目指して遡りましたが、チベット高原までは行っていません)

1992年(あるいは1994年。2回行っているので、どちらだったか)の夏、源流域から戻ったザードゥ(雑多)の町では、これから源流を科学調査するという日中合同隊と出会いましたが、俺の存在ははあまり良く思われていなかったようで、後日、彼らが書いた週刊誌の記事には、「我々の先に来ていた日本人(俺のこと)が現地の物価(たぶんウマやヤクのレンタル料)を値上がりさせた」といった内容の、批判めいた文章を書かれました。

でも、俺はひとりで来ていたのに、彼らは大所帯なんです。彼らのグループが、地元に与えている影響は、俺と比べて歴然の差でしょう。「探検隊」というのは、なんて大げさなんだと思ったものです。それに引き換え俺はなんて身軽なんだと。

たぶん、俺がいたことで、彼らが「一番乗りした日本人」ということを公言できなくなったことに対しての、恨み節だったのではないかなと、悔しいので、そう思うことにしました。

別に、彼らが「一番乗りした日本人」を自称しても、俺は文句は言いません。

そんなことを思い出しながら読みました。



メコンを流れる(上)

 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/04/24

森津太子/星薫著『危機の心理学』

170424


ここ1ヶ月で、急に「戦争」が身近になった感じがします。

日本はてっきり戦争を放棄した国だと思ってました。学校でもそう習ってきたし、だから、一生もう戦争は起こらないんだろうと漠然と考えて生きてきました。

少なくとも、先制攻撃するなどということはありえない話だと思っていたら、安倍総理はそれをやろうとする同盟国アメリカを支持するという。もっとも、「先制攻撃しない」と言ってしまったら、抑止力がなくなってしまうわけですが。

誰も戦争は望んでないはずなのに、こうして戦争というのが始まる(かもしれない)んだなぁと、あらためて、どうしようもない、ふがいなさのようなものを感じます。

戦争をしたくないのは北朝鮮だって同じでしょう。キムジョンウンがまるで極悪非道な独裁者になっていますが、当人に会ったことはなく、どういう人間なのかは、本当は知らないのです。知らないから、極悪非道な独裁者のイメージが勝手に作られていくとも言えます。ジョンウンだって、彼自身の考えだけではなく、北朝鮮人民の何千万人の考え方の総意は多少でも、彼の行動に影響は与えているはずです。内外に向けて、極悪非道な独裁者を演じざるを得ない部分もあるのかもしれません。

相手の「わからなさ」と「脅威」と「不確かさ」が、戦争へ向かう原因になっています。北朝鮮、韓国、日本、アメリカ、中国、ロシアなど主な国々の何億人の人間の利害の調整は並大抵ではできません。人間の脳が大きくなったのは、この複雑な人間関係をさばくためという「「社会脳仮説」」があります。

3人でさえ喧嘩するのに、何億人となれば、もう個人の考えかどうかなんてどうでもいいのでは?と悲しくなってきます。その戦争へ向かううねりのようなものは、クジラが大量に海岸に突進して「自殺」するようなものなのかもしれません。

物理学者のアインシュタインと、精神分析学者のフロイトの『ヒトはなぜ戦争をするのか?』(花風社刊、浅見昇吾編訳)の中で、「人間は闘争本能を持っている」ということでふたりの意見は一致しています。

戦争は避けられないということでしょうか。「知性が高まり、攻撃本能が内に向けられれば、戦争をなくす方向に動いていくことはできる」と、表現は弱々しい。天才たちでさえ、戦争に対しては無力であるようです。戦争不可避の信念は、天才でさえ持っていたということなのでしょう。

とは言え、希望がないわけではありません。

最近では、個人の闘争本能と、戦争とは違うという研究結果もあるそうです。戦争を完全になくす方法は、今のところないかもしれませんが、遠い将来は、「しないで済む」ようになるかもしれません。

『危機の心理学』は、こんな時代だからこそ役に立つ学問かなと思います。今年4月新しく開講した科目です。

この中に「平和心理学」というものがでてきます。戦争不可避の信念に、なんとかくさびを打ち込もうとするのは、人類の多少の進歩とは言えるのかもしれません。

戦争にならない状況をいかに維持するか、ということに尽きるんでしょうが。

平和構築に貢献する2つの心理的要素があります。

ひとつは、外集団(相手)への共感と理解を増加させる。(一般論ではそうなのかもしれないですが、北朝鮮の今の閉鎖的環境では、これは難しい)

もうひとつは、「積極的傍観者」という存在があるそうです。

内集団(味方)を批判的に評価できる人のことで、たとえば、第2次大戦中リトアニアでビザを発給し続けて多くのユダヤ人を救った杉原千畝とか、ドイツのシンドラー、ベトナム戦争のソンミ村虐殺事件、イラク戦争でアブグレイブ収容所での虐待を告発した人たちのような存在です。それが「積極的傍観者」。

それをいかに増やしていくかが、戦争を回避するための課題だそうです。

自分の足をちゃんとふんばって、戦争へという流れに流されない、批判的な目で見ていないとダメなんでしょう。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/04/22

『全国の犬像をめぐる : 忠犬物語45話』が書店に並び始める

170422


『全国の犬像をめぐる : 忠犬物語45話』が書店に並び始めているようです。

知り合いからは「棚田写真家」から「犬像写真家」に転身したのかと、ちょっと違和感を持たれているようにも感じています。

対象が「棚田」という風景から、「犬像」という物になったので、「ぜんぜん違う」と思う人の気持ちもわかります。

でも、俺にとって、このふたつは、それほどの違いがないのです。

こういう理由です。

ひとつは、被写体としての対象は違うのですが、「日本を知る」という意味では同じです。日本を知る「切り口」の違いでしかないんですね、自分としては。どちらも「日本を知る」ための被写体のひとつなのです。

もうひとつは、「巡礼」とか「旅行」という方法に着目すれば、このテーマが似ている、そのものだということはわかってもらえるかもしれません。

前も書きましたが、動物には「探求欲」というのがあって、「探すこと」それ自体に意味があるということなんです。犬も探求欲がありますが、探し出した途端、興味を失うこともあるそうです。「探すこと」そのこと自体に価値があるのですね。

たとえば、過去、俺が写真のテーマにしたものを上げると、

「中国雲南省の少数民族」
「メコン川の源流から河口まで」
「世界と日本の棚田」
「秩父の祭り」
「犬がいる日本の風景」
「東北被災地のお遍路」

そして今回は「全国の犬像」。

どれも、いろんなところに点在しているのを、1ヵ所、1ヵ所めぐり歩いて、探し出して、そして全体像を掴む、という方法はまったく同じです。これは俺にとってはすべて「巡礼」です。

こういう2つの理由から、犬像と棚田とは、自分のなかではそれほど大きな違いではなく、むしろ、同じようなもの、というふうに感じているのです。

それと、テーマを決めてから旅するわけではなく、旅していて、自然に生まれてきたテーマだということも関係しているのではないかなと思っています。自分では意識していませんが、その時、その時、心が欲しているものがテーマとなる、俺なりの心の必然があるのでしょう。


■ 青弓社

■ アマゾン

■ 紀伊國屋BookWeb

■ 楽天ブックス

■ TSUTAYA



 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/03/31

『全国の犬像をめぐる : 忠犬物語45話』のカバーが決まりました

Inuzo_cover


カバーのデザインが決まりました。あとは第3校がでて、返せば終わり。そしたら印刷に入って出版を待つばかりです。


青弓社

amazon

楽天ブックス

honto

TSUTAYA
 
  
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/03/08

『ライスロード Vol.1 世界の棚田米を食べてみたい』 Kindle版

Riceroad_cover01


何でも棚田に見えてしまう「棚田病」に取りつかれた青柳が、世界中で棚田を探し、棚田米を食べてきた記録、旅行記。

https://www.amazon.co.jp/dp/B06XG9X7X7

フォーマット: Kindle版
ファイルサイズ: 1190 KB
販売: Amazon Services International, Inc.
言語: 日本語
ASIN: B06XG9X7X7


中国雲南省のハニ族村で、偶然目にした雄大な棚田に感動し、それ以来、「棚田がある」と聞けばどこへでも出かけて行きました。

その中でも、今回(Vol.1)は、中国雲南省・フィリピン・イラン・マダガスカル・インドネシアなど、アジアとアフリカの棚田、棚田米、コメ食品を探し求めたときの旅行記です。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/01/29

『全国の犬像をめぐる』(仮タイトル)は、2017年4月出版予定

170129_2_2(東京都中野区 犬屋敷「お囲い」跡の犬の群像)

170129_1(山形県高畠町 犬の宮の「三毛犬・四毛犬」)

Img_6832(東京都台東区 上野公園の西郷さんと愛犬の像)


『全国の犬像をめぐる』(仮タイトル)は原稿を書き上げ、写真選びに移っています。

本はA5判・並製、200ページ、フルカラー、定価1800円+税、4月下旬刊に決まりました。

出版に合わせた写真展やイベントを計画中です。

先の話ですが、2018年1月には戌年に合わせた写真展とイベントを開催することになっています。他は未定なので、決まり次第詳細は当ブログで告知します。


こちらは版元「青弓社」のページです。

こちらはAmazonのページです。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/01/11

獣医史学会理事長の小佐々学さんの話

161112_12(長崎県 義犬華丸像と慰霊碑)

161112_13(長崎県 華丸の像)

170111_1(長崎県 中浦ジュリアン記念公園)

170111_2(長崎県 中浦ジュリアン記念公園)

170111_3(長崎県 中浦ジュリアン記念公園)

『愛犬物語』の執筆は、あと10日間くらいで完成の予定です。

執筆と並行して、写真使用許可をもらうために各像のところに連絡していますが、長崎県大村市の「義犬華丸(はなまる)」の本経寺に連絡したら、寺としてはOKだけど、像を建てた「大村藩士小佐々氏子孫の会」に許可を取ってほしいということで、この代表の方に連絡を取りました。

そしたら、なんと、小佐々学先生が代表だったのです。犬像を調べている中で、獣医史学会理事長の小佐々学先生の名前は知っていたのですが、華丸像を造った本人とはびっくりしました。

先生は、全国の犬の像、墓碑、供養碑など100カ所以上も調べて、江戸時代からの動物愛護や、動物福祉について研究されている方です。

しかも、中浦ジュリアンの末裔でもありました。中浦ジュリアンとは、天正遣欧少年使節で、ローマ教皇・グレゴリウス13世と謁見しに行った4人のうちのひとりです。ただ、ジュリアンだけは高熱のために公式の謁見式には臨めなかったそうですが。

中浦ジュリアンについては、数年前、日本一周をしているとき、たまたま長崎県の資料館へ立ち寄っていたのでした。ヴィーノの記念写真もそこで撮っています。

なんだか縁があるなぁと思いながら、浦和の写真展会場に来ていただいたので、いろいろと話をしました。「こういう(犬像)話題で話ができる人は珍しい」と言われました。

先生の話で共感できるところは、とくに、犬を初めとして、動物や、自然に対する西洋と日本の考え方の違いです。

人間は「神の最高の目的たる被造物」と考える欧米人は、動物は人間が管理し、しつけなければならないものです。でも日本では「生きとし生けるもの、命に上下はない」、動物も人間と対等で、家族・仲間として扱われていたということなのです。現代日本人にも受け継がれているのではないでしょうか。

だから欧米人には、「日本人は、動物に対して甘い」というふうに映るのも、そこに原因があるようです。

でも、その感覚はけっして「悪いこと」ではないかもしれません。いや、これからはそういう考えこそ、動物愛護の精神に繋がるかもしれないのです。

ヒューマン・アニマル・ボンドとは「人と動物の絆」のことで、最近の研究によって「人と動物とのふれあいが、人と動物双方に精神的・身体的にいい効果をもたらす」ということが示されています。これからの犬(動物)との関係を考える上での新しい視点になるようです。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2016/12/23

『愛犬物語』執筆中

161224

愛犬物語、今まで取材してきたところは100か所以上になりますが、ここから約70ヵ所くらいに絞ってまとめているところです。最終的には、55か所くらいになるかもしれません。

新しく、取材しなおしたところもあります。

「蔵前神社”元犬”の像」とか「麹町の”甲斐犬”像」とか。

建てた人に取材して、像を作ろうとしたいきさつなどを聞きました。意外な話も聞くことができて「へ~」てなもんですが、やっぱり犬像の背景にはいろんな話があるんだなぁと今さらながら面白いと思います。

鹿児島県の藤川天神では、馬頭観音の御札を授与していますが、そこに刷られていた子牛の姿を、てっきりチベット犬の子犬の姿に見てしまいました。

いよいよ「棚田病」が来てしまったかなと思ったのですが、今回は「犬」の姿なので、さしずめ「犬像病」とでも言っておきましょうか。「犬病」では、「狂犬病」に間違えられそうだし。

とにかく、何でも「犬」に見えてしまうようになりつつあるのを感じるのです。まだ軽症だとは思いますが。

認知心理学に、「ポップアウト効果」というのがあります。似たような図形(文字)などが並んでいても、そこからある特別なものだけ探し出すことができるときがありますが、そのとき、「目に飛び込んでくる」現象です。

関心があること、意識を集中しているから(注意しているから) 「ポップアウト」は起こるわけで、この半年はずっと「犬像」だけを考えてきたので、当たり前と言えば、当たり前なのです。

人が「見る」というのは、「目(網膜)で見る」だけではなく、「頭で見る」ということでもあるのです。同じものに目を向けても、人によって印象が違うのは、「頭で見ている」からであって、それこそが個性と言えるかもしれません。

一応、あと1か月で原稿は書き上げるつもりなので、書籍として出版されるのは、3月か4月頃になるのではないでしょうか。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2016/09/12

今日は「白露」、「鶺鴒鳴(せきれいなく)」 2017年版「旧暦棚田ごよみ」打ち合わせ

160912


今日は「白露」、次候は「鶺鴒鳴(せきれいなく)」です。

来年に向けて、「旧暦棚田ごよみ」の制作が始動しました。

まだ全国には知られていない、しかも美しい棚田が数多く存在しますね。こよみを作っていて、毎年そう思います。

これも入れたい、あれも入れたいとなってきますが、毎年不採用になってしまういい棚田もあります。そこがこよみ作りの難しさでもあります。ある月の写真だけが飛び抜けて良くても、全体的なイメージとはそぐわないこともあるわけです。

それと地域の問題もあります。どこかの棚田だけに集中しないように、全国まんべんなく選ぶようにしています。

「季節」と「地域」と「写真の質」のバランスが難しいのです。

春夏秋冬1年間を網羅する全国の棚田の写真のレベルを維持するの正直大変です。かといって、複数の人の写真を寄せ集めで作ることも(たとえば写真コンテストなどで募集して)将来的には考えなくもないけど、できれば、しばらくは棚田や旧暦に対する個人的な思い入れもあるので、なんとか続けたいと思っています。

とにかく、来年度版、写真的なバリエーションもあり、いい感じにまとまったのではないでしょうか。

発売は11月上旬をめざしています。完成までしばらくお待ちください。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

より以前の記事一覧