カテゴリー「書籍・雑誌」の223件の記事

2023/05/22

エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか 』

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動物の家畜化に成功したのはオオカミから犬が最初です。そのことは人間にとって大きな転換点になったのではと思います。

『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』の著者、エリ・H・ラディンガーは、女性弁護士から転身してオオカミの保護活動を行い、講演会・セミナーなどで「オオカミと自然や生態系についての知識」を広めている異色の作家だそうです。

 犬の家畜化についてはいろんな説がありますが、この本には、さすがに女性の目からみた説だなぁと思う部分がありました。

「オオカミを社会化するために、つまり、最初から人間に慣れさせるために、赤ちゃんを早期に母親から離す必要がある。私たち職員は赤ちゃんの乳母であり、哺乳瓶でミルクを与え、毛づくろいや添い寝をして、数週間後に家族のもとに戻す。これは家畜化ではなく(家畜化は数万年を要するプロセス)早期感化であり、こうして育ったオオカミの大人は人間を怖がることはない。(略)
 はるか昔に人間の男がこのようにしてオオカミの赤ちゃんを感化したということは考えられない。なぜなら、ミルクを与えることがそこに含まれるが、家畜のいない時代は女性の乳しかなかったからだ(牛・羊・山羊・豚の家畜化は、オオカミより遅い)。つまり大昔のある日、ある女性がオオカミの赤ちゃんを抱いて母乳を与えたということになる。母乳が余っていたのか、それとも見捨てられた無力なオオカミの赤ちゃんをかわいそうに思ったのか。何も予期せずに人類に革命をもたらしたことになる。というのも、オオカミに続いて有用動物が家畜化され、狩猟から牧畜へと移行することになったから。こうして歴史は新しい針路をとった。」

といいます。さらにこう続けるのですが、

「もしかすると、進化における特別な役割のことがいまも記憶に残っているため、私たち女性はオオカミに親近感を抱くのかもしれない。」

ちょっとここは「女性」であることを強調しすぎの感があります。女性だけがオオカミに親近感を持っているわけではないでしょうし。

まぁ違った見方は何事にも大切です。結局は「説」でしかないわけですが。もしかしたら、オオカミの赤ちゃんではなく、性格穏やかな大人のオオカミだったかもしれないし、ケガをしたオオカミを馴らしたのかもしれません。いろんな状況が考えられます。

オオカミから犬に家畜化されたストーリーは、証明のしようがありません。だから、我々素人が勝手に想像することも自由ということでしょう。

でも、どうやってオオカミを犬にしていったか、ということはわからなくても、オオカミから犬を創り出したのは事実だし、そのことが後の人間にとってどれだけの転換点になったかということは重要なところかなと思います。

前回のブログ記事でも書きましたが、単に家畜化に成功したということ以上に、それまで神(あるいは神に近い存在)であったオオカミを、手元に置くことに成功したわけですから。人間に「これはいける」と思わせたのではないでしょうか。その後、牛・羊・山羊・豚の家畜化も成功しています。

近代になって、急激に神なるものを信じなくなってきたことも、元をさかのぼれば、この犬の家畜化に始まったのではないか、という気がするのですが、いかがでしょうか。

 

 

 

 

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2023/05/05

『この世とあの世のイメージ 描画のフォーク心理学』

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やまだようこ 、 戸田有一、 伊藤哲司 、加藤義信 著『この世とあの世のイメージ 描画のフォーク心理学』です。

「この世とあの世のイメージ」を、日本、イギリス、フランス、ベトナム4か国の大学生2040人が描いた描画を比較したものです。

あの世のイメージが「上(天)」にあるというのはだいたい共通しているようですが、ベトナムだけは、「下(地)」にイメージしている人が多いらしい。そのかわり、死後の世界がないというイメージを持つのもベトナム人には多いようです。

それはベトナムでは、社会主義的な教育が唯物論的な観点で行われているから、という解釈と、もうひとつ、近代化途上の国では科学を信じているのに、日本、イギリス、フランスでは、むしろ近代科学の限界を感じているとも解釈できるのでは、という。

意外だったのは、万物に霊魂が宿るアニミズム的世界観が、イギリス、フランス人にもあることです。それはキリスト教が入ってくる以前の信仰で、基層部分に今でも流れているということ。

先進国では、農村社会の古い共同体は解体し、宗教意識も低くなっているにも関わらず、他界の存在や魂の存在は否定されていません。「宗教以前」と考えられるような、アニミズム的世界観は、人類共通なのかなと思います。

本の「はじめに」にはこのようにあります。

「人々が描くイメージは個々に個性的であり、どれひとつとしてまったく同じものはないが、しかしまた驚くほど共通性も高かった。それは想像世界といえどもまったく自由にどのようにもイメージできるわけではないことを示している。」

イメージは、各自が勝手に作り上げているのではなく、人類共通の法則みたいなものがあるということなのでしょう。自分では「独創的」と思っているようなアイディアやイメージも、その人個人のものかどうかは微妙です。

こういったことはたぶんユング心理学でいうところの「集合的無意識」「元型」に通じるかもしれません。共通の部分がなければ臨床の場でイメージを使ったセラピーも行えないだろうし。

 

 

 

 

 

 

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2023/05/04

写真展『おいぬさまの肖像』図録

 

武蔵御嶽神社大口真神式年祭で開催中の写真展『おいぬさまの肖像』の図録を作ってみました。

これは「しまうまプリント」製で、カバー付きA5判、12ページ、1冊約500円の単価です。レイアウトに多少不自由さは感じましたが、おおむね満足です。ただし、発注から2週間くらいかかりました。

今まで仕事で註文が来たときは、「フジフィルム」のフォトブックを使っていましたが、同じA5判ソフトカバー相当だと、1冊当たりの単価は3465円。ただしページ数は16ページです。これも発注から2週間ほどかかります。

けっこう単価が高く、これに俺のレイアウト料や代理発注の手間を考えると、1冊12000円以上じゃないと受けられません。それでもっと安いところを探して、試しに「しまうまプリント」で頼んでみました。

単純に比較はできませんが、気軽に冊子を作るなら「しまうまプリント」でいいかもしれません。

ところで「しまうまプリント」の「フォトブック」は最低24ページからですが、「しまうま出版」の「写真集」からだと、12ページからのものも作れるようです。

竣工写真の場合は、12ページで充分だし、七五三やお宮参りでも、16ページくらいがちょうどいいかなと思うので、「しまうま出版」の「写真集」は今後使えるかもしれません。

 

 

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2022/10/23

令和5年(2023年)版「旧暦棚田ごよみ」

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2023年(令和5年) 旧暦棚田ごよみについて

昨年「旧暦棚田ごよみ」は10周年目を迎えることができましたが、旧暦正月の直後、2月14日、ポスト「棚田百選」とも言える「つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~」が認定されました。

「棚田百選」は1999年7月に選定され、私はそのリストを頼りに翌2000年にかけて、すべての棚田を周りました。「百選」とは言っても、134カ所あったのですが、今回の「つなぐ棚田遺産」は、全部で271棚田です。数としては約2倍に増えました。中には後継者がいなくなった、耕作放棄地になったという理由でリスト落ちした棚田もあります。

1999年当時は、「タナダってなんですか?」と聞かれたり、自分の棚田が「百選」に選ばれたことを知らない耕作者がいたり、「今さらそんなもの選んでも遅いよ」という声もありました。ただその後「棚田」が一般の人たちにも知られるようになり、各地で棚田が復田されたり、オーナー制度で活気づいたり、都市と農村との交流ができたり、「棚田米」がおいしい米として人気になるなど、棚田と、棚田文化が消えるどころか、ますます勢いを増しているようにも思います。

「つなぐ棚田遺産」の全棚田を周ってみたいという気持ちも芽生えたので、数が多いので時間はかかるでしょうが、この20数年でどれだけ棚田の状況が変わったのか、この目で確かめたいと思っているところです。

ところで、昔の人は、毎日変化する月の満ち欠けに規則性を見出し、暦を生み出しました。ただ、月の満ち欠けだけでは、季節がずれていくので、太陽の動きも考慮したのが太陰太陽暦です。

日本では中国由来の太陰太陽暦を日本風に改良して使ってきましたが、明治6年から太陽暦(新暦/グレゴリオ暦)に変更され、それまで使っていた暦は「旧暦」と呼ばれることになりました。

月の満ち欠けは心理的にも物理的にも、人間の生活に影響を与えるものでした。だから時の為政者たちは暦作りにいっしょうけんめいになりました。暦は世の中の安定を保証するものだったからです。

世界標準となった太陽暦によって科学技術が発展し、豊かになったのも事実なので、否定するものではありませんが、旧暦と新暦の併用を提案したいと思います。中国、台湾、ベトナム、韓国などの国々では旧暦を併用していますが混乱はありません。むしろ旧暦も併用すると生活に潤いが増すような気さえします。

私たちもこの10年旧暦を使ってきて、確実に月を見上げる機会が増えたし、田んぼの稲の様子の移り変わり、周辺の草花、気温の変化などに敏感になったのは確かです。これは旧暦を意識しているからにほかなりません。

新暦に慣れているので、旧暦ごよみは初め使いづらいかもしれません。でも、「使いづらさ」とか「微妙なずれ」が、普段は何気なく、気にも留めないことに意識を向けさせてくれます。それは私たちがこの10年で実感してきたことです。

 

「旧暦棚田ごよみ」令和5年(2023年)版
「旧暦棚田ごよみ」のご注文は、棚田ネットワークのHPでどうぞ。

 

 

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2022/05/14

【犬狼物語 其の六百三】姜戎 (著)『神なるオオカミ』牧畜民のオオカミ信仰

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姜戎 (著), 唐亜明 (翻訳), 関野喜久子 (翻訳)  

「文化大革命時代、北京の知識青年・陳陣(チェンジェン)は内モンゴルのオロン草原に下放され、現地の古老・ビリグのもとで羊飼いをはじめた。天の教えを守り、草原とともに生きる遊牧民の暮らしに魅せられていく陳陣。やがて、かれの興味は、遊牧民の最大の敵でありながら、かれらの崇拝の対象であるオオカミへと向かう。オオカミにのめりこんでゆく陳陣は、自らの手でオオカミの子を捕らえ、飼うことを夢見るのだが……。」(amazon『神なるオオカミ』より

オオカミの子どもを飼いはじめますが、最後まで人間になつくことはないんですね。だからこそオオカミ、という気もします。

モンゴル人の最大の敵がオオカミです。家畜をめぐっての、オオカミたちとモンゴル人たちとの攻防戦はすさまじいものがあります。どうしてこの凶暴なオオカミを崇拝するんでしょうか?

 

メコン源流を探しに、チベット高原を旅したのは、今から30年も前のことです。

当時はまだ東西冷戦が終わって間もないころで、メコン川流域の国々も、ようやく外国人旅行者に門戸を開いたという時期でした。だからそれまでは、メコンはほとんど価値のない大河と考えられていました。中国人(漢民族)にとってさえ、黄河や揚子江と違い、メコン(瀾滄江)は異民族が住む辺境の無価値な川にすぎませんでした。だから90年代まで、源流も確定していませんでした。

俺がメコンの源流に行こうと思ったのは、そんなときで、結局、科学的・地理学的な源流はわかるはずもなく、探したのは、地元チベット人が「ここが源流だ」と思っている水溜まりでした。でも、俺の旅の目的や興味からすれば、この民俗的な源流こそ探し求めていたものかもしれません。

北京から文革時代に内モンゴルに下放された経験を基に書いたジャンロンの小説が『神なるオオカミ』という本です。読んでいるうちに、いろいろ思い出したことがあります。上下2巻の長編小説なので、遅読な俺にはけっこう時間がかかりました。

この小説の舞台は内モンゴルですが、メコン源流のある、青海省の草原も似たようなところがあります。草原が広がり、そこで牧畜民(100%の遊牧民はもういませんが)が、高原牛のヤク、羊、山羊、馬などを放牧して暮らしています。ヤクの毛は編んで黒い布の天幕住居になり、乳はバターやチーズなど乳製品に、糞は木のない草原では燃料になるなど、ヤクという動物がいなければ生活が成り立たないところです。

俺は青海省の西寧という街で、旅行社に頼んで、車をチャーターしました。源流まで、往復約2週間の旅です。そして車で行けたのは、3日間かけてたどり着いたモーユンという、役場の建物があるだけの村でした。そこからは車を使えないので、馬で行くことになりました。

その行程で、案内人のチベット人は、銃を持参しました。それはオオカミ対策です。オオカミに襲われたときに使うのだと教わりました。

あるとき、「あそこ、見てみな」と言われて草原を見渡しましたが、何を言っているのかわからず「何?」と聞き返すと、「狼(ラン/漢語)」というではないですか。チベット人の視力はかなり良いらしく、おそらく2~3kmくらい離れたところに2匹のオオカミが走っているらしいのですが、俺にはまったくわかりませんでした。牧畜民にとってはオオカミが一番怖い動物なので、彼らはオオカミに敏感です。オオカミを見つける能力も日々の生活から研ぎ澄まされていたんだろうなと今となってはわかります。

そして、「これ撃ってみな」といって、銃を手渡されたのでした。実弾の入った本物の銃です。そして空缶を20mほど離れたところに置いて、練習させてもらいました。俺も2発撃たせてもらいました。もちろん当たりませんでした。幸い、この銃をオオカミに向ける機会がなくて幸いでした。

ある地元牧畜民の天幕住居のそばにテントを張らせてもらいました。食事も彼らから買ったものでした。俺は何でも食べられるので、街から特別の「文明食」を持っていく必要はまったくありませんでした。ヨーグルトも好きだし、ヤクの干し肉もおいしく食べられます。バター茶とツァンパという麦焦がしも大丈夫です。ただ、干し肉がガムのように固いのは閉口しました。

そのテントは普通の登山用のテントなので、夜、寝ているとき、外で音がするとビクッと身構えてしまいます。さんざんオオカミについて脅かされていたので、風の音さえ敏感になっていました。ところが、オオカミ以上に怖いのはチベット犬だということがわかり、俺は、テントをうろつく犬たちの鼻息に熟睡できないし、明るくなるまで小便を我慢する羽目になったのでした。

でも、この犬も、小説を読むとわかるのですが、オオカミと戦えるほどの犬じゃないと役に立たないし、獰猛な犬はある意味、牧畜民には大切な相棒なのです。

と、ここまで書くと、オオカミは敵か?という感じですが、モンゴルもチベットも、草原には黄羊などの野生の草食動物がいて、彼らが草原の牧草を食べつくすと、砂漠化が進んでしまい、いずれは草原がなくなるのです。この黄羊を食べてくれるのがオオカミです。オオカミは怖いし、家畜の敵でもあるんですが、いなくなるとまた困る。つまり、人間も、草原も、黄羊も、オオカミも、絶妙なバランスを取って存在しているということです。

オオカミは、人間を襲うといよりは家畜を襲ったときに、人間と戦うことになってしまうのが真相らしい。そして家畜を襲うのも、草食動物が少なくなったときです。めたらやったら家畜と人間を襲うわけではありません。

小説では、すさまじいのです。オオカミと遊牧民との関係が。それでも、いや、だからこそなのかもしれませんが、人間はオオカミと同等なのではないかと思えます。このオオカミがモンゴル人のトーテムとして、かつて、ヨーロッパまで征服したモンゴル人の崇敬する動物であるということです。敵でもあり、神でもある。このあたりは、日本のオオカミがどちらかというと抽象的なイメージになったのとは違い、ずっと具体的です。日々の暮らしの中で、オオカミは人間と戦い、かつ、草原を守ってくれている目に見える動物です。モンゴル人がいう、人間も、犬も、家畜も、草原さえも、オオカミに鍛えられてきた、という言葉は印象的です。

日本では牧畜が発達しなかったから、家畜を殺される(人間の敵)ことがなかったオオカミは益獣だった、だから神にもなったというのは、モンゴル遊牧民だったら鼻で笑うのかもしれません。

この草原の論理がわからない漢民族が草原を農地に変えれば生産性が上がるという考えを、モンゴル人たちは批判します。

モンゴル老人はいうのです。

「もしオオカミが絶滅したら、草原も生きられない。草原が死んだら、人間と家畜が生きられるか。おまえら漢人はこの道理をわかってない亅

と。 

オオカミ狩りが大勝利を収めた時、老人はこういいます。

「戦果が大きければ大きいほど、わしの罪が深い。これから、こんなふうにオオカミを狩ってはいけないんだ。こういうことばかりしてたら、オオカミがいなくなって、黄羊とか野ネズミとか、野ウサギやタルバガンがのさばってくる。そうなったら、草原はおしまいよ。天が怒りだして、牛や羊や馬、そしてわしら人間は、報いをうけるにちがいない」

結局、何年か経ち、草原は開墾され、結果、砂漠化が進んでしまったことは、歴史は必ずしも人間は「進化」しているわけではないということを証明しているようです。オオカミの生態学的意義を無視して、危険だからといって全部狩ってしまえという考えが、やがて草原までも失い、黄砂が吹き荒れる砂漠化を進めてしまいました。モンゴル老人が言ったとおりになってしまったのです。日本に飛んでくる黄砂が、オオカミがいなくなったことと関係があったと知って悲しくなります。

モンゴルの草原だけではありません。日本でも、ニホンオオカミが絶滅してしまったことで、鹿や猪の害に悩まされるようになりました。モンゴルやチベットと日本の自然環境や歴史は違い、比べてもしかたないことかもしれませんが、ただ、どちらも、バランスが崩れれば、すべては狂ってくるというのは真理でしょう。

そのバランスは、誰かが頭で考えたことではなく、何年、何百年、何千年にもわたって、日々の暮らしの中で試行錯誤しながら学んできた知恵なのです。その民衆の知恵を無視して、「科学」だとか「近代化」だとか「経済効率」で突き進んだ先にあるのは、モンゴルの草原と同じ、「死んだ山」ということになるのでしょう。

 そしてもちろん、モンゴル人にとって神になるオオカミは、草原を守る動物というだけではなく、その圧倒的な強さです。狩の仕方もモンゴル人はオオカミから学びました。

「西北部とモンゴル草原の地で、オオカミトーテムが、無数の遊牧民族にとって、トーテムになりえたのは、草原オオカミがもっている崇拝せざるをえない、拒否できない魅力、勇敢な知恵といった精神的な征服力によるものだ」

オオカミの強さは、強くなりたい人間にとっては、神なる存在となります。これは万国共通の狼信仰です。

「モンゴル民族とは、オオカミを祖、神、師、誉れとし、オオカミを自分にたとえ、自分の身をオオカミの餌とし、オオカミによって昇天する民族である。」

モンゴル老人はこのように下放青年に言います。

「草原の人間は生涯、たくさんの命を殺して、たくさんの肉を食ったから、罪深いのじゃ。死んだら、自分の肉を草原に返すのが公平で、魂も苦しまずに、天に昇れるんだ」

 

ところで『神なるオオカミ』の最後の方に、面白いことが書いてありました。

 「一九七一年に内モンゴルの三星他拉村で出土した玉龍は、中国で最初の龍と呼ばれるもので、新石器時期の紅山文化に属している。その頃、中華の先祖は、狩猟、採集、遊牧、あるいは半農半牧の状態で、農耕民族にはなっていなかった。龍トーテムははじめ、華夏の原始人のトーテムであったが、変化しながら農耕民族のトーテムとなっていった。翁牛特旗三星他拉の玉龍注意深くみて、ぼくが驚いたのは、その原始の玉龍は中国人が普通にみなれている龍の姿ではなく、オオカミの顔をした龍であったことだ。」

龍は、空想上の動物と言われていますが、龍には手足があるので、「蛇」ではなくて、もしかしたらもともとは「オオカミ」を象ったものだったのではないか、などと俺の妄想は膨らみます。

 

 

 

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2021/12/06

令和4年(2022年)版 旧暦棚田ごよみ

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令和4年(2022年)版 旧暦棚田ごよみ

 

【TEL、FAX、メールでのご注文&お問い合わせ 】

 

NPO法人棚田ネットワーク 旧暦棚田ごよみプロジェクト

 

TEL. 03-5386-4001 ( 受付時間 13:00 ~ 17:00 土日祝をのぞく)
FAX. 03-5386-4001 / E-mail:koyomi@tanada.or.jp

 

※ FAX、メールでのご注文の際は、お名前、電話番号、ご住所、部数をご記入の上ご送信ください。
※卸・委託販売ご希望の方もお問い合わせください。
※贈答用会社名入の制作も承りますので、お問合せ下さい。

 

 

 

 

 

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2021/09/19

令和4年(2022年)版「旧暦棚田ごよみ」

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 令和4年(2022年)版「旧暦棚田ごよみ」、校了しました。

表紙は、「10周年にはこれを」と強く思ってきた写真を使うことになりました。自分では一番好きな写真かもしれません。

発行は11月になります。しばらくお待ちください。 

令和4年(2022年)版は、区切りの年、10周年を迎えます。こうして10年続けてこられたのは、それなりに皆さんの支持が得られたものだと自負しています。

写真は、長野県飯田市・よこね田んぼの水に映った月です。

 

 

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2021/07/12

『オオカミは大神』重版決定

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『オオカミは大神』の重版が決まりました。

もちろん「弐」じゃなくて、最初に出た本の方「壱」です(「弐」ができるとは思ってなかったので、「壱」とは表記していませんが、実質「壱」になりました)。カバー写真が、埼玉県皆野町蓑山神社のお犬さまのやつです。

このようなテーマでは「発売、即重版」などはありえない話だし(夢でもありますが)、2年かけて重版になったのは、少しづつでも確実に売れ続けている証拠でもあるので、良かったと思います。これも皆さんのおかげです。

今は、写真展の準備と、次回作に向けて構想を練っている最中ですが、「参」はやっぱり「東北の狼像・狼信仰」か「西日本の狼像・狼信仰」になるんだろうなぁという気がしています。

本当は、狼のイメージを使ってもっと心理学的な方向へ行きたい気もしますが、たぶん、そんな方向では興味を持たれなくなってしまうのではと思っています。

結局、俺の役目というか、立ち位置は、それを知らなかった人に興味を持ってもらう媒介者(メディア)なのです。入り口を作る役目ですね。「メコン」や「棚田」もそうでした。

それもこれも、まずはコロナ禍が少し収まってくれて、後ろめたさなく旅行ができる状態にならないと、インタビューを依頼するにも気が引けます。狼信仰関連の祭りものきなみ中止になっているし。

 

 

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2021/06/26

青柳健二写真展「オオカミは大神」2021年7月15日~

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写真展「オオカミは大神」の告知です。

昨年同様、コロナが収束しない中での写真展になりそうなので、無理のないようにご来場ください。

マスク着用、ソーシャルディスタンスを保ってご鑑賞ください。また、人数制限を行う場合があります。

通常であれば、会期中にスライドショーなどのイベントを行うところですが、残念ながら感染拡大予防のために、今のところ予定にありません。それと青柳が在廊するかどうかも当日の状況を見て判断いたします。

会期:2021/7/15~8/10(21、28、4休み)※会期は追加されました。お盆休みの後は8/19~24日
   10:00~19:00(最終日15:00)
会場:ギャラリー楽風(さいたま市浦和区岸町4-25-12)
   1Fは日本茶喫茶・楽風で、ギャラリーは2Fになります。

   http://rafu-urawa.com

主催企画:ギャラリー楽風
作品数:約45点
※ギャラリーは無料
※『オオカミは大神』など書籍購入のお客様には、青柳作成の、お犬さまのお札風作品をプレゼントいたします。

 

【青柳健二写真展『オオカミは大神』について】

 ニホンオオカミは、明治38年(1905年)、奈良県東吉野村の鷲家口で、東亜動物学探検隊員の米人マルコム・アンダーソンに売られた雄の標本を最後に絶滅したといわれています。現在、東吉野村小川(旧鷲家口)に、最後の狼を記念してニホンオオカミの等身大ブロンズ像が建てられています。
 オオカミは絶滅しましたが、オオカミは大神になって生き続けています。今でも全国に狼信仰の神社は多いのです。皆さんが登山の時、何気なく見ている山中の神社や祠に鎮座する石像が、実はいわゆる狛犬ではなくて、狼像だったりするかもしれません。狼信仰の神社の多くにはこのように狼像が鎮座し、狼の姿が入ったお札を頒布しているところもあります。
 西洋では、家畜を食べられるなどの被害が深刻で、狼は人間の敵でした。しかし日本の場合、ニホンオオカミはそれほど大型ではなかったこともあるし、また牧畜が発達しなかったので、狼は人間にとって、田畑を荒らす猪や鹿などを追い払ってくれる益獣でした(東北の馬産地は除く)。狼信仰はこの農事の神としての信仰から生まれました。もちろん山に棲む狼が恐ろしい動物であったのも事実だったようで、狼被害に遭った記録も残っています。狼の、益獣として人を助けてくれる面と神秘性や畏れ、この両面性を持っていた動物は、まさに人々の信仰の対象としてふさわしいものだったのでしょう。
 また今回の写真展は、コロナ収束祈願を兼ねています。
 埼玉県秩父市に鎮座する三峯神社は狼信仰の神社で、狛犬の代わりに狼(お犬さま/御眷属様)像が守っています。江戸時代、疫病(コレラ)が流行ったときも狼(お犬さま)が疫病除けとして用いられました。コレラは「狐狼狸(コロリ)」などと呼ばれ、この世のものではない異界の魔物の仕業だと思われました。日本を侵そうとする異国が「アメリカ狐」などを操ってコレラを蔓延させているという妄想を生んだのです。
 そこで、異国の狐の魔物を退治してくれるのは、日本で最強の狼しかいない、狼なら三峯神社だ、ということで人々が殺到しました。三峯神社の狼のお札を村で祀り、コレラ除けを祈願したのです。もともと狐憑きという精神病にも、昔から狼(頭骨)が効果があるという信仰もベースとしてあったので、なおさら狼に頼ることになったようです。
 また、岡山県の高梁市の木野山神社も狼信仰の神社で、古くから流行病、精神病に対する霊験あらたかで、コレラや腸チフスなどの疫病が流行した時に、病気を退治するものとして狼様が祀られました。木野山神社への参拝者が増えたので、県は、今で言うところの「密を避けるために」多人数で同社を参拝することを禁じる布達まで出しています。
 今回の写真展では、疫病除けに御利益があるといわれた全国(北は岩手県から南は岡山県まで)の狼像を紹介します。早くこのコロナ禍が収まってくれることを願うばかりです。
 なお、ギャラリー内の写真撮影、SNSへのアップはご自由にどうぞ。
                               

 

 

 

 

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2021/06/23

お犬さま(狼)のお札風作品をプレゼント

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浦和の日本茶喫茶&ギャラリー楽風では、『オオカミは大神』『オオカミは大神 弐』をお買い上げの皆様には、この2種類のお札風作品をプレゼントしています。

 

http://rafu-urawa.com

 

なお、来月中旬にはギャラリー楽風で、写真展「オオカミは大神」が始まります。写真展情報は少しお待ちください。

 

 

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