カテゴリー「書籍・雑誌」の113件の記事

2017/01/29

『愛犬物語45話 全国の犬像をめぐる』(仮タイトル)は、2017年4月出版予定

170129_2_2(東京都中野区 犬屋敷「お囲い」跡の犬の群像)

170129_1(山形県高畠町 犬の宮の「三毛犬・四毛犬」)

Img_6832(東京都台東区 上野公園の西郷さんと愛犬の像)


『愛犬物語45話 全国の犬像をめぐる』(仮タイトル)は原稿を書き上げ、写真選びに移っています。

本はA5判・並製、200ページ、フルカラー、定価1800円+税、4月下旬刊に決まりました。

出版に合わせた写真展やイベントを計画中です。

先の話ですが、2018年1月には戌年に合わせた写真展とイベントを開催することになっています。他は未定なので、決まり次第詳細は当ブログで告知します。


こちらに仮の紹介ページを作りました。

こちらは、主な犬像の写真を集めたページです。
 
 
 
 
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2017/01/11

獣医史学会理事長の小佐々学さんの話

161112_12(長崎県 義犬華丸像と慰霊碑)

161112_13(長崎県 華丸の像)

170111_1(長崎県 中浦ジュリアン記念公園)

170111_2(長崎県 中浦ジュリアン記念公園)

170111_3(長崎県 中浦ジュリアン記念公園)

『愛犬物語』の執筆は、あと10日間くらいで完成の予定です。

執筆と並行して、写真使用許可をもらうために各像のところに連絡していますが、長崎県大村市の「義犬華丸(はなまる)」の本経寺に連絡したら、寺としてはOKだけど、像を建てた「大村藩士小佐々氏子孫の会」に許可を取ってほしいということで、この代表の方に連絡を取りました。

そしたら、なんと、小佐々学先生が代表だったのです。犬像を調べている中で、獣医史学会理事長の小佐々学先生の名前は知っていたのですが、華丸像を造った本人とはびっくりしました。

先生は、全国の犬の像、墓碑、供養碑など100カ所以上も調べて、江戸時代からの動物愛護や、動物福祉について研究されている方です。

しかも、中浦ジュリアンの末裔でもありました。中浦ジュリアンとは、天正遣欧少年使節で、ローマ教皇・グレゴリウス13世と謁見しに行った4人のうちのひとりです。ただ、ジュリアンだけは高熱のために公式の謁見式には臨めなかったそうですが。

中浦ジュリアンについては、数年前、日本一周をしているとき、たまたま長崎県の資料館へ立ち寄っていたのでした。ヴィーノの記念写真もそこで撮っています。

なんだか縁があるなぁと思いながら、浦和の写真展会場に来ていただいたので、いろいろと話をしました。「こういう(犬像)話題で話ができる人は珍しい」と言われました。

先生の話で共感できるところは、とくに、犬を初めとして、動物や、自然に対する西洋と日本の考え方の違いです。

人間は「神の最高の目的たる被造物」と考える欧米人は、動物は人間が管理し、しつけなければならないものです。でも日本では「生きとし生けるもの、命に上下はない」、動物も人間と対等で、家族・仲間として扱われていたということなのです。現代日本人にも受け継がれているのではないでしょうか。

だから欧米人には、「日本人は、動物に対して甘い」というふうに映るのも、そこに原因があるようです。

でも、その感覚はけっして「悪いこと」ではないかもしれません。いや、これからはそういう考えこそ、動物愛護の精神に繋がるかもしれないのです。

ヒューマン・アニマル・ボンドとは「人と動物の絆」のことで、最近の研究によって「人と動物とのふれあいが、人と動物双方に精神的・身体的にいい効果をもたらす」ということが示されています。これからの犬(動物)との関係を考える上での新しい視点になるようです。
 
 
 
 
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2016/12/23

『愛犬物語』執筆中

161224

愛犬物語、今まで取材してきたところは100か所以上になりますが、ここから約70ヵ所くらいに絞ってまとめているところです。最終的には、55か所くらいになるかもしれません。

新しく、取材しなおしたところもあります。

「蔵前神社”元犬”の像」とか「麹町の”甲斐犬”像」とか。

建てた人に取材して、像を作ろうとしたいきさつなどを聞きました。意外な話も聞くことができて「へ~」てなもんですが、やっぱり犬像の背景にはいろんな話があるんだなぁと今さらながら面白いと思います。

鹿児島県の藤川天神では、馬頭観音の御札を授与していますが、そこに刷られていた子牛の姿を、てっきりチベット犬の子犬の姿に見てしまいました。

いよいよ「棚田病」が来てしまったかなと思ったのですが、今回は「犬」の姿なので、さしずめ「犬像病」とでも言っておきましょうか。「犬病」では、「狂犬病」に間違えられそうだし。

とにかく、何でも「犬」に見えてしまうようになりつつあるのを感じるのです。まだ軽症だとは思いますが。

認知心理学に、「ポップアウト効果」というのがあります。似たような図形(文字)などが並んでいても、そこからある特別なものだけ探し出すことができるときがありますが、そのとき、「目に飛び込んでくる」現象です。

関心があること、意識を集中しているから(注意しているから) 「ポップアウト」は起こるわけで、この半年はずっと「犬像」だけを考えてきたので、当たり前と言えば、当たり前なのです。

人が「見る」というのは、「目(網膜)で見る」だけではなく、「頭で見る」ということでもあるのです。同じものに目を向けても、人によって印象が違うのは、「頭で見ている」からであって、それこそが個性と言えるかもしれません。

一応、あと1か月で原稿は書き上げるつもりなので、書籍として出版されるのは、3月か4月頃になるのではないでしょうか。
 
 
 
 
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2016/09/12

今日は「白露」、「鶺鴒鳴(せきれいなく)」 2017年版「旧暦棚田ごよみ」打ち合わせ

160912


今日は「白露」、次候は「鶺鴒鳴(せきれいなく)」です。

来年に向けて、「旧暦棚田ごよみ」の制作が始動しました。

まだ全国には知られていない、しかも美しい棚田が数多く存在しますね。こよみを作っていて、毎年そう思います。

これも入れたい、あれも入れたいとなってきますが、毎年不採用になってしまういい棚田もあります。そこがこよみ作りの難しさでもあります。ある月の写真だけが飛び抜けて良くても、全体的なイメージとはそぐわないこともあるわけです。

それと地域の問題もあります。どこかの棚田だけに集中しないように、全国まんべんなく選ぶようにしています。

「季節」と「地域」と「写真の質」のバランスが難しいのです。

春夏秋冬1年間を網羅する全国の棚田の写真のレベルを維持するの正直大変です。かといって、複数の人の写真を寄せ集めで作ることも(たとえば写真コンテストなどで募集して)将来的には考えなくもないけど、できれば、しばらくは棚田や旧暦に対する個人的な思い入れもあるので、なんとか続けたいと思っています。

とにかく、来年度版、写真的なバリエーションもあり、いい感じにまとまったのではないでしょうか。

発売は11月上旬をめざしています。完成までしばらくお待ちください。
 
 
 
 
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2016/08/03

村上龍著 『日本の伝統行事 Japanese Traditional Events』 日本人の「立ち位置」の再確認

160802


文:村上龍、絵:はまのゆか、英訳:ラルフマッカシーの『日本の伝統行事 Japanese Traditional Events』(講談社)の「田植え Planting Rice」のページに棚田写真を使ってもらっています。

この本には坂本龍一プロデュースの「日本の童謡と唱歌集」CDも付いています。

日本の行事が日本語と英語で紹介されていて、あらためて日本人が日本の行事を知るきっかけにもなるし、もしかしたら2020年の東京オリンピック・パラリンピックが意識されているのかもしれませんが、世界の人たちに知ってもらうきっかけになる本なのではないでしょうか。

「グローバリズム」とはよく言われることです。世界中がつながり、人と物と情報の行き来が活発になっている状態です。それとセットで現れてくるのが、村上氏も触れていますが、国家の枠の弱体化や共同体意識の喪失です。

ただ我々日本人の生活・文化が世界標準に飲み込まれていくということではない気がします。いやむしろ、ローカル文化を良く保っているからこそ、グローバリズムが意味を持ち、ローカル文化に価値が生まれると思うからです。

地元の文化を掘り下げていくことは、決してグローバリズムと逆行するものではないでしょう。

「立ち位置」と言ってもいいのでしょうか。世界の標準を知るためにも、そこからどれだけ離れているのか、変わっているのか、あるいは同じなのか、それを判断する基点になる「立ち位置」は必要です。

その「立ち位置」の定まらない人は、けっきょく、自己中心的で世界人にはなれないということ。自国・地元の文化も知らない人が世界の文化はわかるはずがないのです。

俺も日本の棚田の撮影をしていなかったら、日本のことは何も知らなかったでしょう。いまだに日本の文化を詳しく知っているわけではないので、自戒の念を込めて、また、そうなりたいという希望も込めて、こう書いておくのですが。

ところで、この本について、ひとつだけ惜しいと思ったのは「旧暦」についての記述が少なかったことですね。日本の伝統行事が旧暦といかに強く結びついていたか、そこのところを村上氏には書いてほしかったと思います。

村上龍氏は、この本についてこのような思いを書いています。

「『JTE』の制作中、まるで朝日が昇ってくるように、日本の伝統行事に対するわたしの基本的な態度が、自然に浮かび上がってくる瞬間があった。それは「敬意と愛情」で、通常だと言葉にするのが少し照れくさい感じもあるが、不思議なことに「日本の伝統行事」に対しては、素直にそう思えて、副題とすることにした。表紙で、綾瀬はるかさんのネイルに、ネイリスト・高橋春菜さんの、美しいデザインを配して副題を示し、『JTE』の理念を象徴させている。」

公式HPはこちら。

http://jte.ryumurakami.com/
 
 
 
 
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2016/07/25

お犬様は山への信仰

160716


『オオカミの護符』は、神奈川県川崎市の土橋出身の小倉美恵子さんが、自宅の古い土蔵に貼られた一枚の護符をきっかけにして、オオカミ信仰の世界を探っていくというノンフィクションです。

2008年には『オオカミの護符 里びとと山びとのあわいに』が、文化庁映画賞文化記録映画優秀賞を受賞、地球環境映画祭アースビジョン賞を受賞していますが、『オオカミの護符』はこの映画がきっかけとなって出版された本です。

「庶民がお山に参拝する行いの源には、遥かな古代から脈々と続いてきた「山への信仰」が息づいているように思われた。私たちの暮らし、いや命は、今も変わらず山から生まれ出る水が支えてくれている。」

とあります。

多摩川という1本の川に注目して俯瞰してみると、武蔵御嶽神社の御岳山は、奥多摩湖を経て笠取山に続いています。御岳山や笠取山は、多摩川の水源に当たり、小倉さんの土橋は下流域に当たります。水が流域の田畑を潤し、人々を生かしているということが手に取るようにわかります。

小倉さんの旅は、武蔵御嶽山から、荒川流域の宝登山神社、猪狩神社、源流域である三峯神社訪ね、オオカミ信仰の意味を探し求めています。

土蔵に貼られていたお札はいったい何なのか?を追っていくような構成になっているので、謎解きの面白さのようなものも感じるし、お犬様信仰=オオカミ信仰というのが、山への信仰とつながっていることがよくわかる内容になっています。

山への信仰とは、広く見れば、自然への信仰と言えるだろうし、お犬様=オオカミは、鹿や猪の害から守ってくれる存在であり、何度も書いていますが、『もののけ姫』の白く大きな三百歳の犬神、モロの君に代表される、自然を象徴する存在です。「大口真神」というカミ、あるいはカミそのものではなくても、カミの使い「眷属」なのです。

「オオカミ」を「お犬様」と親しみを込めて呼び替えるところは日本的かなぁと思います。「オオカミ」よりも「お犬様」の方が優しく感じるし、親しみがわきます。ただ、これは秩父にいたオオカミが、犬との雑種だったかもしれないということとも関係ありそうです。

直良信夫著『日本産狼の研究』によると、

「昔の人びとが、山犬もしくは山の犬と呼んでいたものは、真正の狼や野生犬を含めての呼び名であったことだろう。が、実際には見かけの上では、そのどちらともつかない雑犬が主体をなしていたのではなかったであろうか。…(略)…関東地方に遺存している二ホンオオカミの頭骨類を検してみると、狼本来の標徴を有しながらも、なおかついちじるしく家犬化した頭骨類がはなはだ多い。」

とあります。犬との雑種がいたようです。雑種でなくとも、山にはオオカミ、野犬がいて、なかなか区別はつけにくかったのではないでしょうか。

ところで、オオカミ信仰など、古臭いと思う人もいるかもしれないですが、自然信仰の象徴的なものなので、きわめて現代的なテーマでもあると思います。
 
 
 
 
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2016/06/17

2016年初夏の撮影旅(21) 山形県米沢市田沢地区 「草木塔」の現代的な意味

160617_2「道の駅 田沢なごみの郷」の平成9年に建立された草木塔)

160616_2(道の駅でもらった田沢地区にある草木塔の地図)


今回の撮影旅の直前、偶然ですが、長野浩典著『生類供養と日本人』という本を読んでいました。

この中には、クジラ、ウミガメ、サカナ、イノシシ、クマ、ウシ、ウマなど、それともちろんイヌの供養塔について書いてあります。

どうして生類(動物)の供養塔を建てるのか、供養塔とは日本人にとってどんな意味があるのか、日本と西洋の生類(動物)に関しての考え方の違いなど、いろいろと面白い本です。

供養塔については、

「生類を供養する意味は、その生命を絶っていただくことについての罪悪感を消去することにある。と同時に生類の「タタリ」を恐れ、それを「鎮める」という意味合いも大きかった。」

「もうひとつ、輪廻転生という、仏教的観念の精神への浸透も生類供養という習俗を拡散させた。」

とあります。

そして草木供養塔についても書いてありました。

「当初は仏教思想にそって、草木を供養するという意味で建てられたものが、現在では「花々や木々に感謝する」「草木を大切にして環境を守りましょう」というような意味に変化してきているという。」

それで今回、福島県から山形県に入った時、国道121号線にある「道の駅 田沢なごみの郷」に偶然トイレ休憩で立ち寄ったのですが、観光案内板に「草木塔」を見つけたのです。

この道は昔から何度も行き来していますが、途中の米沢市田沢地区が、草木塔の密集した地域だと知ったのは今回が初めてでした。

道の駅のスタッフに聞いてみると、草木塔の場所を示した地図をくれました。

道の駅にも1基あります。それが上に掲載した高さ4.2mの平成9年に建立された草木塔です。

解説文には、最後の方に、

「この草木塔は草木塔の持つ自然保護環境保全の思想を全国に向け発信するシンボルとして建立したものです。」

と、あります。現代的な意味付けがなされているようです。

ただ、ほかの塔は道沿いに少なく、探さないとわからないところにあるらしいので、今回はあきらめます。いずれ探してみたいと思いました。

帰宅後調べてみると、この草木塔について研究されていることがわかりました。

やまがた草木塔ネットワークのHPによると、

「草木塔(そうもくとう)とは、「草木塔」、「草木供養塔」、「草木供養経」、「山川草木悉皆成仏」などという碑文が刻まれている塔です。・ ・ ・(略)・ ・ ・国内に160基以上の存在が確認されていますが、建立されている地域は本州の一部に限局しております。さらに草木塔の約9割は山形県内に分布し、4つの地方に分かれる山形県内でも、特に、置賜地方と呼ばれる地域に集中して存在する独特な石造物文化遺産です。」

とあります。

動物、植物、岩、山、洞窟、川など、日本人の生物、無生物にかかわらず、すべてのものに霊が宿るという観念は、日本人のアニミズムの痕跡だそうです。

そして面白いと思うのは、これだけ「近代化」した日本なのに、そういった霊的なものが宿るところは、現在「パワースポット」という新しい言葉とともに形を変えて信仰されています。
 
 
 
 
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2016/05/12

犬がお伊勢参りをした話は本当か? 仁科邦男著 『犬の伊勢参り』

160922_8(伊勢神宮おかげ横丁で手に入れた「おかげ犬」)

160512_2(金刀比羅宮のお土産「こんぴら狗」)

160512(お伊勢参りしたという犬の供養碑。群馬県長野原町の「犬塚」)

160529_2(福島県須賀川のお伊勢参りをした犬「シロ」)

160611_2_2(宮城県栗原市で発見されたお伊勢参りの参宮犬石碑)

160914_3(山梨県上野原市のお伊勢参りをした犬の碑)


ワンコがひとりでお伊勢参りをして、飼い主のもとへ戻った話、などと聞くと、「何をバカな」とか「ありえないでしょ」とすぐ思ってしまうのは、現代人の悪い癖なのかもしれません。

司馬遼太郎氏も『街道をゆく』の中で、このお伊勢参りの犬の話は、御師(神宮関係者)の作り話だと断定して、信じていません。

俺もヴィーノを連れて日本一周したとき立ち寄った香川県の金刀比羅宮で、お参りをしたという犬「こんぴら狗」の話を聞いたとき、最初はフィクションなんだろうと思いました。

この仁科邦男氏の 『犬の伊勢参り』(平凡社)を読むと、こんぴら参りをした犬も、伊勢参りをした犬も、話自体は本当なんだなとわかってきます。もちろん犬の意志ではありませんが。

また、谷口研語氏の『犬の日本史』では、

「お伊勢参り犬の話は、幕末の多くの書物に書かれており、名札などの遺物もあちこちにのこされているようである。『耳囊』には安芸(広島県)から伊勢参宮をした豚の話までおさめられているが、「犬に伊勢参宮のこと毎々聞きおよびしが、豚の参宮は珍しきことと、ここに記す」とある。」

豚のお伊勢参りまであったというのは驚きですが、犬の伊勢参りは珍しくなかったというだけでも、現代人には十分に驚きです。

それと、歌川広重の描いた『伊勢参宮・宮川の渡し』の左下にも、しめ縄をした白い犬「おかげ犬」が描かれています。

『犬の伊勢参り』によると、最初の犬の伊勢参りは、明和八年(1771年)四月十六日、山城国の高田善兵衛の犬が外宮、内宮に参拝したという記録が残っているそうです。245年前の話です。

伊勢神宮は犬は不浄な動物で、犬が宮中に立ち入るのを禁止していましたが、それをかいくぐって、本宮前の広場で拝礼の姿勢を取った。それを見て、神官たちはこれは普通の犬ではないと、犬をいたわり御祓をくくりつけてあげたらしい。次の内宮でも拝礼したので、追い出すわけにはいかなくなったという。

「拝礼の姿勢」とは、ようするに「伏せの姿勢」だったのでしょうが、この話の本質は、ここではありません。大事なのは、その犬が道中いろんな人たちに助けられてお伊勢参りをしてから飼い主のところへ戻ったというのがすごいところでもあるし、日本的なのです。

犬は殺されることもなく、お布施を盗まれるどころか、重いだろうからと、代わりに持ってあげた人もいたそうです。

この話を聞くと、当時の日本人の旅する犬に接する姿がありありと想像でき、街道の様子まで見えるような気がしてきます。なんだかほのぼのとして、ユーモアもあって、面白いですね。俺はこういう話、好きですね。

「犬の伊勢参りは人の心の生み出した産物でもあった」と著者は言います。例えが適切かどうかわかりませんが、「こっくりさん」と似ているのでしょうか。みんなの意識・無意識の願望や希望が犬を導いたということらしい。

犬が伊勢神宮の方を向いて歩いていれば、「参拝に行くのに違いない。感心な犬だ」と思い、また札には飼い主の住所も書いてあったから、いろんな人の世話によって、飼い主のもとへ導かれた。犬がどこかへ行きそうになると、そっちじゃないと、道案内までしたそうなので、結果的に犬は参拝して、飼い主のところに帰ることができたのです。

今でもそんな傾向がありますが、日本人の親切心は、当事者の意思とは関係ない方向へと導いてしまうこともあります。犬の意志とは関係ないのです。

ただ、自発的にお伊勢参りをした犬の話もあって、「こっくりさん」だけでは説明できない「不思議」な話はたくさんあるんですね。

とにかく、「こんぴら狗」の話といい、お伊勢参りの犬の話といい、素朴な人たちがいた、いい時代だったんだなぁと思います。

明治になってお伊勢参りの犬がいなくなったのは、それまで日本では地域で飼っていた「里犬(地域犬)」が一般的でしたが、文明開化で西洋の考えが入ってくると、犬は個人が管理するものというふうになってきて、「里犬」のように自由な犬が一掃されてしまったから、ということらしいのです。

ところで、「あれ?」と思ったことがあります。先日訪ねた群馬県長野原町の「犬塚」です。

「犬塚」の建碑由来によると、寛文三年(1663年)に行われた御検地水帳には「犬塚」の地名があったそうなので、「犬塚」の地名の由来は、それ以前の話、353年以前ということになりますね。

高田善兵衛の犬の記録よりも、108年以上前の話になります。

もちろん、記録されている中での「最初の犬」でしょうから、「犬塚」の犬が「伊勢参りしなかった」ということにはならないでしょう。

伝説がほんとうかどうか、というところは大事ではなく(伝説が残っていること自体には意味はありますが)、大事なのは、わざわざこういった立派な碑を建てるということから、地元の人たちがこの「犬塚」という地名に愛着を持って、守っていこうとする郷土愛を強烈に感じるし、そして、今は犬塚の跡碑が「交通安全の神様」として、交通量の多い交差点を見守ってくれるという現代的な役割を与えられて生かされているということなのではないでしょうか。
 
 
 
全国の犬像を約60基めぐった『愛犬物語45話』(仮タイトル)が2017年4月に出版される予定です。

愛犬物語45話

  
 
 
 
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2016/04/23

河合隼雄著 『日本人の心を解く 夢・神話・物語の深層へ』 日本人の不完全な美

160424


この本は、日本人の心を考え続けた河合隼雄氏が、ユングが東西の出会いを求めて始めたエラノス会議(1983-1988年)で行った講演をまとめたもの。最初英文で出版されましたが、河合俊雄氏が日本語に翻訳したものです。

日本人とは何か?を夢・神話・物語からひも解くいい本だと思います。

面白い話がたくさん出てくるのですが、まずひとつは、中世の高僧、明恵が生涯夢日記をつけていたこと。でも、このことについては、また後日書きます。

俺も夢日記をつけ始めて1年半たちました。それなりに書きたいこともあるので、今回は、もうひとつ、日本人は、完成美を過少評価する傾向があるということについて。

こんな面白い禅の老師の話が出てきます。引用すると、

「ある若い僧が庭を掃いていた。彼は自分の仕事をできる限りやろうと努めていた。彼は庭を完ぺきに掃除したので、庭には何の塵も落ちていなかった。」

普通ならここで若い僧は老師に褒められてよさそうなものなのですが、

「彼の期待に反して、老師は彼の仕事に満足していなかった。若い僧はしばし考えてから木を揺さぶって、枯れ葉が庭のあちこちに落ちてくるようにした。老師はそれを見てほほ笑んだ。」

というのです。なんとなくわかりますね、この感覚。

この場合、木を揺らせて葉っぱを落としたから良かったのでしょうね。掃いたものから葉っぱを庭に戻したら、老師は渋い顔をしたと思います。たとえ、葉っぱの位置が同じであっても。

こんなものもあります。

吉田兼好の『徒然草』137段に、

「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対(むか)ひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。」

という文があります。わかりやすい訳がこちらにありました。
                 
「桜は満開の時だけ、月は雲ひとつない満月だけを愛でるものだろうか?雨が降って月が見えなくても、雨雲の向こうの月を恋しく思ったり、簾(すだれ)をおろしたままで家にヒキコモリしてるうちに春の行方が分からなくなっても、それはそれで心に感じるものがあるはずだ。桜は満開の時だけじゃなくて、開花する前の蕾(つぼみ)にも、花びらが散って萎(しお)れた庭にも、それぞれの見どころがある。」(きっこのブログ 「雨に対ひて月を恋ひ」 2010.09.21より)

『徒然草』でもっとも有名な章段のひとつですが、これも不完全の美が主題になっているのだそうです。

桜の満開は美しいものです。でも吉田兼好の言うように、蕾がほころび始めた時もいいし、はらはらと花弁が落ちる桜や、新緑が美しい桜もまたいいものです。

「中秋の名月」というのがありますが、意外に思う人もいるかもしれませんが、これは「満月」ではありません。「中秋の満月」ではないのです。

たまたま「満月」の年もありますが、基本的には月はどこか欠けています。完全ではないのです。それでも美しいのです。いや、「それだからこそ美しい」と日本人は言うのかもしれません。

もっと言えば、満月だろうがなかろうが、気にしないという話なのでしょう。

「十三夜月」を愛でる習慣もあります。何?この13番目という中途半端な月は?と、西洋人なら思うかもしれないですね。

日本人は「完全」を意識しないということではないでしょうか。意識しないことが大切なのです。ここは明らかに西洋の美意識と異なります。

もっとも「中秋の名月」は中国由来なので、純粋に「日本的」と言えるのかどうかはわかりませんが。

ところで今年も「田毎の月」の季節がやってきましたが、いまだにどうして月を直接見るのではなくて、杯や盆や池や田んぼの水に映して鑑賞するのが良いのか、はっきりした理由はわかりませんが、何か、今回の話と関係するのかもしれません。

もし完ぺきな満月なら、それを崩す意味で、水に映した月を眺める。当然水面は動くので、完ぺきだった満月も、ゆらゆら揺れて不完全な満月になってくれる、ということ。どうでしょうか、この強引な解釈は。
 
 
 
 
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2016/03/31

心理学者 高橋惠子著 『第二の人生の心理学 写真を撮る高齢者たちに学ぶ』

160331(山梨県忍野村 富士山が見える棚田)


心理学者、高橋惠子さんの『第二の人生の心理学 写真を撮る高齢者たちに学ぶ』(金子書房2011)を読みました。

この本のサブタイトル「写真を撮る高齢者たちに学ぶ」に興味をひかれたからです。

本の「はじめに」には、

「定年後に、あるいは子育て後に、アマチュア写真家として学習を続けている市民グループを4年にわたって追跡し、第二の人生を充実させるコツを明らかにしてみました」

とあります。

研究の対象者は、長野県上田市で活動する写真愛好家団体「写友まゆ」のみなさんたちです。

全国へ撮影に出かけると、アマチュアカメラマンがたくさんいます。しかも高齢者が多いです。もちろん時間をとれるのは定年後という日本の事情もあるのでしょうが。

これは何も日本だけの話ではないようで、中国でもガイドから聞いた話があります。定年を迎えた親に、老後の趣味になるようにと、子供たちがカメラを買ってあげるのが流行っているらしいのです。

「どうして?」と聞いたらガイドは、

「写真はどこかに出かけて運動にもなるし、いい親孝行の方法なのです」

との答え。

写真というのは、「念写」でもしない限り、現場に行かないと撮れません。当たり前のことですが、ここが大切なのです。つまり脳だけではなく、身体も使うところがミソです。とくに風景写真の場合は。

マラソンなどのハードな運動ではなく、カメラを持って野山を歩いたり、止まったり、適当な運動がいいようです。五感を使って風景を味わい、仲間と切磋琢磨し写真の技術を上げ、コンテストに入賞して達成感を味わったりと、心身にいい影響をもたらす要素がたっぷり含まれているのが写真撮影なのです。老後の趣味としては理想的かもしれません。

ところで、この高橋先生の研究でわかったことで興味深いのは、家族の支えというか、家族の理解というのが大きなポイントでもあるらしい。家族も巻き込んでの写真活動というのが、心身にも好影響を及ぼすということらしいのです。

わかる気がします。たとえば家族がいい顔をしない環境だと、写真を撮りに出かけることに後ろめたさやストレスを感じ、いい効果は期待できないからです。

それといろんなものに対しての好奇心が衰えないことです。いい写真を撮るためには、自分で情報を集めたり、写友や指導者から技術の吸収をしなければなりません。

年齢によって被写体(テーマ)を変えていくのもいいようです。体力がなくなってきたら山には登らないで、近辺の草花にレンズを向けてみるとか。

無理はしないということですね。人の強制や義務感でやるのは、あまり良いことではありません。そもそもそんな写真は長く続かないでしょうし。
 
 
 
 
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