カテゴリー「書籍・雑誌」の124件の記事

2017/07/16

仁科邦男著 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』を読んで

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仁科邦男氏の本には、お世話になっています。

『全国の犬像をめぐる』でも、お伊勢参りや金毘羅大権現へお参りした代参犬「おかげ犬」や「こんぴら狗」の章では、『犬の伊勢参り』、『犬たちの明治維新 ポチの誕生』が大変参考になりました。

そして今回読んだのは 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」という言い回しが気になって著者は長年調べてきたそうです。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」とは、「伊勢屋」という屋号の店や「稲荷神社」など、江戸に多いものを並べたもので、実際、江戸後期は犬だらけで、犬のウンチも多かったようです。

意外なものが最後に来ていることと、伊勢屋の「い」、稲荷の「い」、そして犬の「い」と、韻を踏んだところが面白い。多少の皮肉やからかいの気持ちも入っているようです。

だからこれは江戸の人間が当時言っていたことではなくて、明治になってから、江戸を懐古して言われ始めたようです。

犬のウンチを踏んで最悪な気持ちになるというのは、俺も実体験があるのでよくわかります。

今はどうなのか分かりませんが、30年前、フランス・パリで、日本レストランのギャルソンとして3か月間ほどアルバイトをしていた時は、よく踏んじゃっていました。踏むだけならいいのですが(それだけでも大変ですが)、それが滑るのです。滑って転んだりしたら最悪です。

パリは犬のウンチが多い街だとわかってきましたが、初め、信じられませんでした。まさか、この華の都、おしゃれな街パリが、犬のウンチだらけだったとは。ガイドブックにも書いてなかったし、兼高かおるさんもそんなこと言っていませんでした。

最先端ファッションに身を包んだ女性が、シャンゼリゼ通りで立ち止まって、ハイヒールの裏側に着いた犬のウンチを木の枝で取っているところを目撃し、俺は、見てはいけないものを見た気がしてショックを受けたのでした。

高学歴で優秀で弱い人の味方を標榜していた自民党の豊田真由子衆院議員が、裏では「ハゲ~ッ!」「違うだろ!」「このボケ~ッ!」などと、秘書たちに罵声を浴びせていたことが話題になっていますが、パリの犬のウンチは、それに劣らずですね。

江戸では犬は地域犬として、自由に走り回っていたし、その犬のウンチは、人糞や馬糞と違って肥料にもならず、放置されていたようです。乾燥して風で飛ばされ、雨で流されて、自然になくなっていたので、あえてウンチを取る人もいなかったのでしょう。

ところで、この本の中に、もう一つ、面白いなぁと思ったところがあります。それは「お魚くわえたどら猫、追いかけて~」という歌がありますが、江戸で魚をくわえて逃げるのは犬だったようで…。

「神奈川横浜新開港図」という絵には、魚をくわえた犬が天秤棒を持った魚屋から追われているシーンがあります。これって、今なら犬じゃなくて、猫だよなぁ。

江戸の人たちは、犬の好物が魚だと思っていたらしいのです。実際、犬は、魚の頭などの残飯を食べていたということもあります。タンパク質といえば、当時はほとんど魚だったでしょうし。

綱吉時代、中野に犬屋敷「お囲い」が作られましたが、収容された犬には、白米と生魚までふるまわれていたといいます。贅沢料理と運動不足で、死んでしまう犬がたくさんいたそうです。贅沢が幸せかどうかわからない、という話にもなっています。
 
 
 
 
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2017/07/13

2018年(平成30年)版「旧暦棚田ごよみ」の準備

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例年より早く、来年(2018年、平成30年)版の「旧暦棚田ごよみ」の準備を始めています。

第23回全国棚田サミットは、2017年9月28日~29日開催で、これに合わせる意味もあります。

今年のサミットは、長崎県波佐見町で、テーマは「棚田は21世紀の社交場」です。

来年の春節(旧正月)は2018年2月16日です。まずは、日付と季節、それから地域的なばらつきを考えながら、暦用の写真を13点選びました。

例によって、毎年、2月、3月とか、11月、12月とかいう月の棚田は、なかなか写真的には「中途半端」で、撮影点数が少ないということがあって、選ぶには苦労する月です。(初夏や秋の写真は多いのですが)

それでも、数年前から旧暦棚田ごよみを作るようになって、どこか地方へ行ったときは、ぜんぜんきれいではなくても棚田写真を撮るようにはしているつもりです。

それと最近は、春に東日本方面、秋に西日本方面に行くことが多く、地域と季節の偏りができてしまっているという事情も少しあります。

そんな中でも、去年秋から今年春までに撮影した新作、撮りおろし写真も含む棚田14点(表紙写真と、あいさつ文のカット写真も含めて)で構成します。

表紙は、福岡県八女市の「鹿里棚田」の、彼岸花祭りのころの秋の写真に決まりました。

「旧暦棚田ごよみ」の詳細が決まりましたら、お知らせします。
 
 
 
 
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2017/06/30

犬とAIのおかげで「人間」になれる

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ほとんど将棋のことなど何もしらない人たち(俺も)までが、また例のごとく、お祭り騒ぎするくらい、藤井聡太四段の快進撃は止まりません。

彼も今どきの棋士らしく、AI将棋ソフトで勉強しているらしい。「AI時代の申し子」と言われているようです。

AIはどのような影響を人間に与えることになるのでしょうか。

オーストラリア先住民アボリジニーには「犬のおかげで人間になれる」ということわざがあります。気に入っていることわざで、『全国の犬像をめぐる』にも前書きで引用させてもらっています。

このことわざは、テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン著『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』に載っているものです。

どういうことなのでしょうか? 本から要約します。

考古学によって、人間が飼い犬を埋葬するようになった1万年前から、人間の脳が小さくなったことがわかったというのです。(犬の脳も小さくなりました)

人間の脳のどこが小さくなったかというと、

「人間では、情動と知覚情報をつかさどる中脳と、嗅覚をつかさどる嗅球が小さくなり、一方、脳梁と前脳の大きさはほとんど変わっていない。」

だそうです。つまり、犬と暮らすようになって、こういうことが起こったようです。

「犬と人間の脳は専門化されたのだ。人間は仕事の計画と組織化を引き受け、犬は知覚の仕事を引き受けた。犬と人間はともに進化して、よき伴侶、よき仲間、よき友達になったのだ。」

なるほど。

昔は犬は番犬、猟犬としての能力が重宝がられたはずなので、そういった番犬として、猟犬として、暗闇から敵を見つけたり、匂いで他の動物の接近を知ったり、獲物を探したり、という知覚能力を犬に頼ることができるようになったので、人間はその部分の能力を退化させたということのようです。

これが「犬のおかげで人間になれる」という意味のひとつです。お互いが補完しあう関係ですね。(ネアンデルタール人が滅んだのは、犬を飼わなかったからだ、という説まであります)

と、いうことは、今、AIが話題になっていますが、もしかしたら、AIによって、人間は犬を飼い始めたときのような大変革の時期に差し掛かっているのかもしれません。

今のAIによって、人間の能力を補完してくれるならば、人間は、そこはAIにお任せして、別なとこに能力を使えるようになる、とも言えるわけです。人間とAIは、犬と暮らすことで脳が専門化したように、お互いの能力を住み分けるのです。

例えば「計算」はAIには絶対かないません。「計算」でAIに勝とうとしても無理です。ここはAIに任せたほうがいいでしょう。

だから、たんに「AIで仕事を奪われる」などと悲観している人は、もっと大きな人間の未来予想図を思い描けない人、ということなのでしょう。悲観すること自体、すでにAIに負けています。いや、勝ち負けではないですね。あくまでも「補完」なのです。お互いが必要不可欠な「仲間」と言ってもいいでしょうか。

どんな能力の発展が人間に可能なのかはわかりませんが、たぶん、AIには一番不得意な分野であるのは確かでしょう。じゃぁ、何が不得意かというと、「あいまいさ」ではないでしょうか。この「あいまいさ」はAIと比べて人間の得意分野だからです。「芸術」などはその典型かも。

まぁ俺は預言者でも占い師でもないので、この「あいまいさ」が、遠い未来、どういった能力につながるのかわかりませんが。

藤井聡太四段などが使うAI将棋ソフトでは、最適な手を教えてもらうことができます。じゃぁ、最適な手は、もう考える必要がなくなったとして、その先、人間がやるべきことは何なんでしょうか。そもそも将棋をやる意味は?

そこがたぶん、将棋の新時代の価値に関わってくるのでしょうが、それが何かは俺にはまだわかりません。

もしかしたら「勝負に勝つ」ということ以外に価値が新しく生まれるのかもしれません。「勝たなくてどうするんだ?」と思うのは、今の俺たちの頭脳の限界でもあるのかも。

そういう新しい価値で生きる新しい動物が、その時代の「人間」なのでしょう。AIもまた犬と同じように「人間」を作るのです。
 
 
 
 
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2017/06/15

昨日のNHK「ひるまえほっと」の「中江有里ブックレビュー」で、犬像をめぐる

170615_11(大分県 案内犬 平治像)

170615_12(千葉県 犬吠埼「犬岩」)


6月14日(水)、NHK「ひるまえほっと」の「中江有里ブックレビュー」というコーナーで、『全国の犬像をめぐる』が取り上げられました。

月一のコーナーだそうで、昨日は、『全国の犬像をめぐる』のほか、畑野智美著『家と庭』、磯田道史著『司馬遼太郎で学ぶ日本史』が紹介されました。

NHK公式HP「ひるまえほっと

どうして中江さんが犬像の本を選んでくれたのか、昨日の番組を見てわかりました。

もちろん、犬好きということがありますが、それだけではありませんでした。

大分県に「案内犬 平治(へいじ)」という忠犬の像があるのですが、本でも触れたように、この犬は遭難者を山小屋まで案内するなど、登山者には有名な犬で、映画にもなりました。『奇跡の山 さよなら、名犬平治』という映画です。

この映画を実際には見ていないのですが、調べてみたら、事実とは少し違った設定の映画だったようで、主人公の少女・敦子が飼っていた犬というふうに映画ではなっていたようです。(本当は野良犬でした) この敦子を演じたのが中江有里さんだったのです。

昨年25年ぶりに平治像を訪ねたらしく、この本の中に平治像があったことで、取り上げてくれたようなのです。

また、全国にはこんなにたくさんの犬の像があるんだと驚いたとおっしゃってましたが、まったく俺がこの本をまとめようとした動機でもあるので、それを聞いて嬉しくなりました。

そして、この本を見て、銚子市の犬吠埼「犬岩」を訪ねたというので、ますます嬉しく思いました。夕映えの犬岩の写真も紹介してくれました。

本に収められた犬像を訪ねて歩くという楽しみ方を提唱してくれていましたが、ここもまさに俺たちが言いたいことで、それを中江さんが代弁してくれていたようで、感謝しています。

こちらのブログでも紹介していただいてます。

犬派にオススメ! 忠犬60匹の感動ストーリーを紹介した『全国の犬像をめぐる』」(6/15 Book Bang)

どこを開いても忠犬愛犬だらけ……犬派に読んでほしい『全国の犬像をめぐる』」(6/15 空犬通信)

 
 
 
 
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2017/06/04

NHK「いまほん」と「中江有里ブックレビュー」で『全国の犬像をめぐる』

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NHKの番組で、『全国の犬像をめぐる』を取り上げてもらえることになり、取材を受けました。

番組は、首都圏では11:05〜11:54の「ひるまえほっと」の中の、今話題になりそうな本を1冊取り上げる「いまほん」というコーナーです。6/23(金)の予定ですが、実際の放送時間は直前にならないとわからないそうです。

山形・福島・水戸・長野・甲府・金沢・福井・富山・松江・徳島・高松・熊本・沖縄局では、夕方6時代の「610ローカルニュース」の中で放送されます。6/19(月)~6/23(金)、午後 6:10~7:00の間だそうです。

インタビューは出版社の会議室で受けて、そのあと、『全国の犬像をめぐる』でも取り上げている麹町の「甲斐犬の像」へ場所を移動しました。

この像を建てた社長が開いた「Kaiji(甲斐路)」というレストランに声をかけました。ちょうど昼時間で、お客で忙しかったのですが、撮影のために犬像の後ろにあるごみ箱を移動してくれました。

ところで「Kaiji(甲斐路)」でも、『全国の犬像をめぐる』をみんな喜んで読んでいるという話を聞いてうれしくなりました。この甲斐犬像には、俺も思入れがあって、犬像がだんだん地元の人にとっての祈りの場のようになってくる姿に、「日本的」なものを感じたからです。

「ちょうど、像をきれいにしたところだったので良かった」といいました。みんな撫でるので、自然に「掃除」ができてしまうくらいなのですが。まぁ、そういうところが、「現代版お地蔵さん」と呼んでいる所以です。この前訪ねた石岡駅前の「忠犬タロー像」もそうでした。

それからもうひとつ、女優で作家の中江有里さんが案内人を務める月に一度の「中江有里ブックレビュー」というコーナーでも取り上げられるそうです。これは首都圏のみで放送日は、6月14日(水)です。機会があれば、見てみてください。
 
 
 
 
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2017/05/20

『全国の犬像をめぐる : 忠犬物語45話』のチラシができました

Inuzou

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A4のチラシができました。同じデザインで、A2のポスターも作りました。

本で使用した写真を正方形にトリミングして合わせてみました。日本全国にはこんなにたくさんの犬像があるのか?という驚きが、この本を作ったきっかけでもあるので、それを表現したデザインです。

もし書店など、どちらかで掲示していただけるところがあれば、印刷できる解像度のデータを用意しましたので、こちらからダウンロードしてプリントしてください。A2くらいの大きさのプリントには十分に対応できます。(約13MBあります)

http://asia-photo.net/inuzouA2.jpg


なお、青弓社やアマゾンのQRコードを消してほしい場合は、連絡ください。修正してお送りします。

また、A4チラシの場合、大量に必要な場合は現物(印刷物)をお送りできますので、ご連絡ください。
 
 
 
 
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2017/05/06

『メコンを流れる』、ゼロメガで電子書籍化

170506(青海省玉樹藏族自治州雑多県莫雲郷 メコン河源流域で暮らすチベット人家族)


『メコンを流れる』が電子書籍化されることになり、あらためて校正しながら読み直しました。

NTT出版から単行本として出たのは1996年です。もう21年も前です。

メコン河をテーマにし始めたころは、東西冷戦が終わった直後で、そのために、ベトナム、ラオスなどにも外国人が旅行で入れるようになってきたころでした。

ただ、まだ自由に旅行することはできなくて、ガイドといっしょに周った思い出があります。その後、あれよあれよという間に経済発展と自由旅行が同時進行し、風景と人々の様子が一変しました。

その激動の時代を、メコン河の源流から河口まで旅した旅行記です。同時に出版したのは写真集『メコン河 アジアの流れを行く』でした。

メコン河の源流に行ったのは、アメリカのナショナルジオグラフィックの記者・カメラマンの次でした(日本人としては初めてだったかもしれません)。現地に行ったら「だれもメコンの源流を探したことがない」ということを初めて知ったのです。1992年の夏でした。

黄河や長江(揚子江)の源流は調べられていたのに、1990年代半ばまで、メコン河の源流は調べられていませんでした。もちろん現地チベット人は源流で暮らしていましたが、彼らは現地で「ザナチュ」と呼ばれている川が、大河メコンだと、それほど意識していたとも思えません。

どうして1990年代まで調べられていなかったかというと、中国人(漢族)にも、メコンは少数民族が住む地域を流れる秘境で、経済的、文化的価値はほとんどなかったのでしょう。

今では、東南アジアに向けての、交通路と捉えられて価値が出てきましたが、昔は違いました。だから中国人も、メコン河の源流がどこかなんて興味を持たなかったようです。(植民地時代、フランス軍が下流から雲南を目指して遡りましたが、チベット高原までは行っていません)

1992年(あるいは1994年。2回行っているので、どちらだったか)の夏、源流域から戻ったザードゥ(雑多)の町では、これから源流を科学調査するという日中合同隊と出会いましたが、俺の存在ははあまり良く思われていなかったようで、後日、彼らが書いた週刊誌の記事には、「我々の先に来ていた日本人(俺のこと)が現地の物価(たぶんウマやヤクのレンタル料)を値上がりさせた」といった内容の、批判めいた文章を書かれました。

でも、俺はひとりで来ていたのに、彼らは大所帯なんです。彼らのグループが、地元に与えている影響は、俺と比べて歴然の差でしょう。「探検隊」というのは、なんて大げさなんだと思ったものです。それに引き換え俺はなんて身軽なんだと。

たぶん、俺がいたことで、彼らが「一番乗りした日本人」ということを公言できなくなったことに対しての、恨み節だったのではないかなと、悔しいので、そう思うことにしました。

別に、彼らが「一番乗りした日本人」を自称しても、俺は文句は言いません。

そんなことを思い出しながら読みました。



メコンを流れる(上)

 
 
 
 
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2017/04/24

森津太子/星薫著『危機の心理学』

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ここ1ヶ月で、急に「戦争」が身近になった感じがします。

日本はてっきり戦争を放棄した国だと思ってました。学校でもそう習ってきたし、だから、一生もう戦争は起こらないんだろうと漠然と考えて生きてきました。

少なくとも、先制攻撃するなどということはありえない話だと思っていたら、安倍総理はそれをやろうとする同盟国アメリカを支持するという。もっとも、「先制攻撃しない」と言ってしまったら、抑止力がなくなってしまうわけですが。

誰も戦争は望んでないはずなのに、こうして戦争というのが始まる(かもしれない)んだなぁと、あらためて、どうしようもない、ふがいなさのようなものを感じます。

戦争をしたくないのは北朝鮮だって同じでしょう。キムジョンウンがまるで極悪非道な独裁者になっていますが、当人に会ったことはなく、どういう人間なのかは、本当は知らないのです。知らないから、極悪非道な独裁者のイメージが勝手に作られていくとも言えます。ジョンウンだって、彼自身の考えだけではなく、北朝鮮人民の何千万人の考え方の総意は多少でも、彼の行動に影響は与えているはずです。内外に向けて、極悪非道な独裁者を演じざるを得ない部分もあるのかもしれません。

相手の「わからなさ」と「脅威」と「不確かさ」が、戦争へ向かう原因になっています。北朝鮮、韓国、日本、アメリカ、中国、ロシアなど主な国々の何億人の人間の利害の調整は並大抵ではできません。人間の脳が大きくなったのは、この複雑な人間関係をさばくためという「「社会脳仮説」」があります。

3人でさえ喧嘩するのに、何億人となれば、もう個人の考えかどうかなんてどうでもいいのでは?と悲しくなってきます。その戦争へ向かううねりのようなものは、クジラが大量に海岸に突進して「自殺」するようなものなのかもしれません。

物理学者のアインシュタインと、精神分析学者のフロイトの『ヒトはなぜ戦争をするのか?』(花風社刊、浅見昇吾編訳)の中で、「人間は闘争本能を持っている」ということでふたりの意見は一致しています。

戦争は避けられないということでしょうか。「知性が高まり、攻撃本能が内に向けられれば、戦争をなくす方向に動いていくことはできる」と、表現は弱々しい。天才たちでさえ、戦争に対しては無力であるようです。戦争不可避の信念は、天才でさえ持っていたということなのでしょう。

とは言え、希望がないわけではありません。

最近では、個人の闘争本能と、戦争とは違うという研究結果もあるそうです。戦争を完全になくす方法は、今のところないかもしれませんが、遠い将来は、「しないで済む」ようになるかもしれません。

『危機の心理学』は、こんな時代だからこそ役に立つ学問かなと思います。今年4月新しく開講した科目です。

この中に「平和心理学」というものがでてきます。戦争不可避の信念に、なんとかくさびを打ち込もうとするのは、人類の多少の進歩とは言えるのかもしれません。

戦争にならない状況をいかに維持するか、ということに尽きるんでしょうが。

平和構築に貢献する2つの心理的要素があります。

ひとつは、外集団(相手)への共感と理解を増加させる。(一般論ではそうなのかもしれないですが、北朝鮮の今の閉鎖的環境では、これは難しい)

もうひとつは、「積極的傍観者」という存在があるそうです。

内集団(味方)を批判的に評価できる人のことで、たとえば、第2次大戦中リトアニアでビザを発給し続けて多くのユダヤ人を救った杉原千畝とか、ドイツのシンドラー、ベトナム戦争のソンミ村虐殺事件、イラク戦争でアブグレイブ収容所での虐待を告発した人たちのような存在です。それが「積極的傍観者」。

それをいかに増やしていくかが、戦争を回避するための課題だそうです。

自分の足をちゃんとふんばって、戦争へという流れに流されない、批判的な目で見ていないとダメなんでしょう。
 
 
 
 
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2017/04/22

『全国の犬像をめぐる : 忠犬物語45話』が書店に並び始める

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『全国の犬像をめぐる : 忠犬物語45話』が書店に並び始めているようです。

知り合いからは「棚田写真家」から「犬像写真家」に転身したのかと、ちょっと違和感を持たれているようにも感じています。

対象が「棚田」という風景から、「犬像」という物になったので、「ぜんぜん違う」と思う人の気持ちもわかります。

でも、俺にとって、このふたつは、それほどの違いがないのです。

こういう理由です。

ひとつは、被写体としての対象は違うのですが、「日本を知る」という意味では同じです。日本を知る「切り口」の違いでしかないんですね、自分としては。どちらも「日本を知る」ための被写体のひとつなのです。

もうひとつは、「巡礼」とか「旅行」という方法に着目すれば、このテーマが似ている、そのものだということはわかってもらえるかもしれません。

前も書きましたが、動物には「探求欲」というのがあって、「探すこと」それ自体に意味があるということなんです。犬も探求欲がありますが、探し出した途端、興味を失うこともあるそうです。「探すこと」そのこと自体に価値があるのですね。

たとえば、過去、俺が写真のテーマにしたものを上げると、

「中国雲南省の少数民族」
「メコン川の源流から河口まで」
「世界と日本の棚田」
「秩父の祭り」
「犬がいる日本の風景」
「東北被災地のお遍路」

そして今回は「全国の犬像」。

どれも、いろんなところに点在しているのを、1ヵ所、1ヵ所めぐり歩いて、探し出して、そして全体像を掴む、という方法はまったく同じです。これは俺にとってはすべて「巡礼」です。

こういう2つの理由から、犬像と棚田とは、自分のなかではそれほど大きな違いではなく、むしろ、同じようなもの、というふうに感じているのです。

それと、テーマを決めてから旅するわけではなく、旅していて、自然に生まれてきたテーマだということも関係しているのではないかなと思っています。自分では意識していませんが、その時、その時、心が欲しているものがテーマとなる、俺なりの心の必然があるのでしょう。


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2017/03/31

『全国の犬像をめぐる : 忠犬物語45話』のカバーが決まりました

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カバーのデザインが決まりました。あとは第3校がでて、返せば終わり。そしたら印刷に入って出版を待つばかりです。


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