カテゴリー「書籍・雑誌」の195件の記事

2019/10/20

NHK「ごごナマ」【にっぽんコレに夢中】は犬像

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(これは東大農学部 忠犬ハチ公と上野博士の像)

 

2019年10月24日(木)、NHKの番組「ごごナマ」に生出演します。

【にっぽんコレに夢中】ハチ公だけじゃない!全国各地・犬像の知られざる物語。

https://www4.nhk.or.jp/gogonama/x/2019-10-24/21/20284/2710474/

登場時間は、14:18ころから約12分間です。

今のところヴィーノといっしょに出るつもりですが、ヴィーノの当日の調子によっては俺だけになるかもしれません。ヴィーノを期待されている方、その時は申し訳ありません。

どうして犬像にはまったのかとか、犬像とヴィーノの関係などを話した後、全国の犬像を6体ほど紹介します。どの犬像になるかは、お楽しみに。

なお、上に掲載の写真はオープニングで使われるかもしれません。

 

 

 

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2019/10/12

イベント「オオカミは大神〜狼像をめぐる旅〜 by 青柳健二」のお知らせ

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イベント 「オオカミは大神〜狼像をめぐる旅〜 by 青柳健二」

2019年11月24日(日)
Chaabee
135-0032 江東区福住1-11-11
chaabee11111@gmai..com
080-5409-5099
facebookのイベントページ

open 12;30、start 13:00 (end 14:30 )
2,000円+1ドリンクオーダー(予約制)

ご予約: chaabee11111@gmai..comまで、お名前、人数を明記の上、お送りください。chaabee からの返信メールを持って、ご予約完了となります。
キャンセルポリシー:当日のキャンセルは参加費の100%を申し受けます。

2019年4月に出版された『オオカミは大神』の著者、青柳健二さんが、各地の狼像の魅力を語ります。青柳さんの話を聴いたら、関東にも数多くある狼像を探しに散策したくなりますね!

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11月21日~11月30日まで、江東区福住のChaabeeでは「野瀬昌樹個展~オオカミに導かれて~」が開かれています。

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・ギャラリーおよび会期中のイベント予定
11/21(木)ギャラリー:15:00~22:00
11/22(金)ギャラリー:13:00~22:00
11/23(土)ギャラリー:13:00~17:00
    (19:00~物語&ライブ『虹の戦士』
    by 坂口火菜子、じぶこん。詳細はイベントページにて)
11/24(日)ギャラリーはお休み
    (13:00~トークイベント『オオカミは大神』
     by 青柳健二。詳細はイベントページにて)
11/25(月) chaabee お休み
11/26(火) chaabee お休み
11/27(水)ギャラリーはお休み
    (19:30 音楽ライブ『オオカミに導かれて』
 by 蔡怜雄、山口亮志、太田恵資。詳細はイベントページにて)
11/28(木)ギャラリー:13:00~22:00
11/29(金)ギャラリー:13:00~22:00
11/30(土)ギャラリー:13:00~17:00
    (18:00~語り&ライブ『カムイユカラ の世界へ〜 
     オオカミのおはなしと音楽』〜 by 弓野恵子、居壁太, 
     詳細はイベントページにて)
12/01(日)ギャラリーはお休み
     (13:00~『オオカミ信仰と人々の暮らし〜武蔵御嶽
神社』by 下田利夫、天野宜子、
      詳細はイベントページにて)

 

野瀬さんの個展に合わせて、11月24日にはイベントをやります。タイトル通り、狼像や狼信仰のトークショーです。もちろん、トークショーではいつものことですが、写真もたくさん映写しながらの話です。まだ、具体的に決めてませんが、内容は、前半が全国の狼像について。そして、後半は「東京狼」についてになりそうです。「狼像を探す面白さ」について話すので、あまり民俗学的な話にはならないかもしれません。

「東京狼」というのは、東京で狼像を探すというテーマなんですが、ただ「東京」というのは、山形県人から見た場合の「東京」であって、広くは関東地方を含みます。

でも、東京でのイベントなので、近くで見られる狼像ということで、都内の狼像についての話が主になると思います。残念ながら、空襲や地震などで、三峯神社、御嶽神社の分社がなくなってしまったとのことで、江東区にはほとんどありません。やっぱり残っているのは、北の足立区や、西の板橋区や世田谷区などです。(もちろん、武蔵御嶽神社のある青梅市も) 講中も機能している神社もあります。

そんな「都会」と「狼」という意外性に面白さを感じてめぐり始めた「東京狼」の話をしようと思います。

興味がありましたら、どうぞ話を聞きに来てください。書籍も販売します。サインしますので。

Ookami

 

 

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2019/10/03

令和2年版「旧暦棚田ごよみ」入稿しました

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令和2年版「旧暦棚田ごよみ」入稿しました。発売開始は、今月末ころになるでしょうか。

これが「令和」と印刷される初めての旧暦棚田ごよみになります。

旧暦は、公式には使われなくなっていますが、天気の話題では、いまだに「二十四節気」や「七十二候」が話題になるし、「中秋の名月」は、旧暦でないと意味がありません。

「棚田」も「旧暦」も、効率の悪さで見捨てられようとしてきました。でも、無くなりそうになって、その価値に気が付くということはたくさんあって、「棚田」も「旧暦」も、それに含まれるかもしれません。

「令和」という新しい時代に、新しいカレンダーを使ってみるというのもいいかもしれません。自分で言うのもなんですが、かなり使いづらいこよみです。でも、「使いづらい」「効率の悪さ」というのも、こんな便利な世の中では、ひとつの価値なんですね。今は、やたらと「効率の良い」「便利」「快適」なものが当たり前となっています。意外と「使いやすい」というのは、人間の脳を退化させているかもしれません。そして、使いづらいと「注意」が向くのです。意識するのです。

しかも、来年は閏年です。だから13カ月あります。頭が混乱してきます。ますます使いづらくなっています。掲載したのが表紙(京都府伊根町・新井の棚田)と、「閏卯月(閏4月)」(島根県益田市・中垣内の棚田)のページです。

どうでしょうか。 季節感を取りもどすには、優れたカレンダーではないかと思うんですが。

 

 

 

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2019/08/30

Manabi JAPAN、8月分の連載

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連載「狼信仰」は、「東北地方の三峯信仰」

https://manabi-japan.jp/culture/20190826_14782/

 

「残しておきたい日本の風景」は、「まるで巨大な城壁 遊子水荷浦の段畑」

https://manabi-japan.jp/travel-destination/20190724_13702/

 

「棚田を歩く」は、「蘭(あらぎ)島の棚田」

https://manabi-japan.jp/travel-destination/20190821_14529/

 

 

 

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2019/08/29

「旅するヴィーノ」

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連載「旅するヴィーノ」9月号では『オオカミは大神:狼像をめぐる旅』』のプレゼントがあります。本にはサインもしてあります。

「旅するヴィーノ」は来年も1年間連載延長されることになりました。ありがたい話です。「意外と」というのもなんですが、読者の反応が良く、ヴィーノに「癒される」らしいのです。

ビーグル犬は歳とると顔の白さが目立つようになります。ヴィーノも中年から老年にさしかかっていますが(俺と同年代くらい)、来年の連載では、その姿も披露するかなと。

 

 

 

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2019/08/12

マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』

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マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』を読みました。

「イヌのことなら狐(フォックス)に訊け」(デズモンドモリス)という言葉があるそうで、フォックスはイヌ科動物の権威。心理学、行動学の博士号を取得して『イヌの心理学』、『イヌのこころがわかる本』などの著書もある生態学者・獣医師です。

この本は、単なるオオカミの生態・行動を紹介した本ではなく、行動学、心理学、哲学、社会科学など幅広い領域の成果をもとに、現代の人間が抱える精神的な問題に踏み込んだ本です。オオカミだけではなく、あらゆる生き物への畏敬の念の大切さを訴えています。

「オオカミは野生状態の象徴的な存在、つまり野生に対する意識の元型になっています。」

「自然は、わたしたち人間が健全さと文明を取りもどす最後の望みなのかもしれません。そしてオオカミはわたしたち人間にとって、高貴な野蛮人といういくぶん空想的な存在よりもずっと現実的で、実際により適切でもある水先案内人、元型となりうるのです。」

フォックスはイヌの研究もやっていて、飼いイヌが野生の動物から家畜化したとき、どういうことが起こったか、という興味深い観察を述べています。家畜化は、オオカミの行動の儀式的な側面を薄め、単純化するというのです。そのため人間に懐くようになりました。イヌは、儀式を捨てて、フレンドリーになった。逆に言えば、だれにでも懐くフレンドリーさを獲得したから、人間の伴侶動物として生き延びることができたということなのでしょう。

これは人間の文化にも言えるようです。

「行動の点でいうと、現代人の行動・文化の伝統の多くからしだいに儀式の要素が失われつつあり、この現象にはファッションから社会的な役割にまで及んでいます。」 

「文化化も似たような影響を及ぼし、さまざまな儀式の効果を弱めることで、人間の行動の幼形成熟をさらに強化させるのかもしれません。疎外と社会の不安定さといった問題はありますが、利点としては、人間の態度が柔軟性を増し、もはや規定された儀式やタブーに束縛されずにすみ、将来、異なる文化間での争いの可能性が少なくなる、ということがあげられるでしょう。」

いいとか、悪いとか言っているわけではありません。生き延びる術を獲得したことを「進化」というなら、飼いイヌも、人間も進化していると言えるのでしょうね。

だからこそ、オオカミに魅力を感じるわけです。人間が失ってしまった儀式を重んじる野生動物としてのオオカミ。自然の一部として存在するオオカミです。

 「先住民を「高貴な野蛮人」とみなしたルソーの視点は、野生動物、とくに、人間と同様ハンターであるオオカミなどに対するわたしたちの文化的な認識や理解といくぶん関連があります。「高貴な野蛮人」という言葉には、ある種神聖な神秘的な雰囲気、存在感、気品があり、「文明化した」人間に、再び自然と一体になりたいとか、文明化しすぎた科学技術の世界が生み出した付属物を捨てて自由な精神状態で暮らせたら、といったあこがれを生み出します。」

「高貴な野蛮人」と「オオカミ」は、社会的な儀式の点で高度に洗練されていて、自然と一体になって生きているという意味で、同じような存在です。そこにあこがれている現代人という構図でしょうか。 

 それと関係があるのか、今までの反動なのか、最近の若い世代は、けっこう儀式好きなのではないかと、最近ある写真を撮るようになって思っています。

 

 

 

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2019/07/25

『棚田を歩けば』第4刷

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『棚田を歩けば』第4刷が出版社から届きました。

何度か、お母さん世代から「この本、知ってます」と言われましたことがあります。これが子供たちへの読み聞かせで使われているそうです。

嬉しいですね。

これには、中国・韓国・インドネシア・フィリピン・ベトナム・イラン・マダガスカルの棚田までは載ってますが、その後に撮影したスリランカとネパールの棚田は載っていません。

世界の棚田全部入れた写真集を出したいとは思っていますが、今のところ、出版業界ではドキュメンタリーの写真集の出版は、難しい時代になってしまったので、どうなるかなぁと言う感じです。

 

 

 

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2019/07/12

令和2(2020)年版「旧暦棚田ごよみ」の打ち合わせ

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来年は、東京オリンピックの年、令和2年、2020年版の「旧暦棚田ごよみ」の打ち合わせがありました。

去年よりも早めの打ち合わせです。

来年は閏年にあたり、旧暦のカレンダーは13ヶ月あります。(1ヶ月多いので、お得感がある?)

季節と地域があるので、選ぶのは難しいですが、そこが棚田ごよみ作りの醍醐味でもあります。

13ヶ月の棚田写真の流れがスムーズにおさまるまで、入れ替え、差し替えを繰り返しました。

そして、ようやく落ち着くところに落ち着きました。ただ、表紙は今日決まりませんでしたが。

 

 

 

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2019/07/01

【犬狼物語 其の三百六十四】 新谷尚紀著『神々の原像 祭祀の小宇宙』のしっぺい太郎の話

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新谷尚紀著の『歴史文化ライブラリー92 神々の原像 祭祀の小宇宙』(2000年 吉川弘文館)を読みました。

この中に「しっぺい太郎」の話が出てきます。しっぺい太郎は、静岡県磐田市で、今は「しっぺい」という名のゆるキャラとして活躍していますが、その元になった見附天神社に伝わる伝説の犬(狼)のことです。

【犬狼物語】でも何度か紹介しています。

人身御供で差し出される村の娘の身代わりになって、怪物と戦って死んでしまいます。同じような伝説は全国各地にあって、犬の名前が違ったり、登場人物が違ったりしますが、物語の基本形は、このようになります。

 娘ー旅人ー借りてきた犬ー怪物(狒々や猿など)

 見附天神社のしっぺい太郎は、長野県駒ヶ根市の光前寺から借りてきたという犬で、一方の光前寺の伝説では、犬の名前が「早太郎」になっています。とにかく、借りてきた犬でなければなりません。

 しかも、これ「犬」とは言っているんですが、ものによっては「山犬」であったり「狼犬」であったり「狼」であったりします。このあたりはあいまいです。ただ、何度も書いているように、日本の場合「犬」と「狼」は区別するのが難しく(時には狐とも混同があって)、現実にも山に棲むニホンオオカミと狼犬や野犬や家犬との区別は難しかったようっだし、ましてや伝説に登場する犬と狼が、きちんと描き分けられていることはないようです。

「この人身御供の伝説は、この見附天神社に限らず日本の各地に伝えられており、たしかに大林の指摘するとおり、年老いた猿や狒々、古狸などはいずれも山という自然と野生の世界の脅威を象徴的に表現したものと考えられる。そして、それを退治して人間の文化の領域が拡大されていく構図が描かれているといってよい。」とあります。

じゃぁ、なんでここに犬(狼)が登場するのでしょうか?

新谷さんはこう書いています。「その背後には、「自然・野生」と「人間・文化」という二項対立の世界観が存在し、娘と犬とにはその両者の境界を再確認する媒介項としての共通点があるということがわかる。」

「人身御供の物語に登場する犬について、それらが普通の犬ではなく、特別に大きな白い犬であったり、中には山犬であるとか狼であるとしている例があることに注意する必要がある。」

「大きな白い山犬」と聞くと、すぐ『もののけ姫』の白くて大きな三百歳の犬神、モロの君を思い出してしまいます。宮崎駿監督は、このしっぺい太郎の話を知っていたのでしょうが、モロの君と彼女に育てられた人間のサンは、ともに「自然・野生」と「人間・文化」との媒介者・仲介者でもあったようです。

全国の犬像をめぐる――忠犬物語45話』では、京都府与謝野町に鎮座する大虫神社に伝わる「麻呂子親王の鬼退治と白犬」に因んで奉納された2対の犬像を取り上げました。この伝説の犬(山犬)については、「自然と人間との橋渡しをする」と書きました。

「犬(山犬)は昔から人間にとっては身近な野生であり、自然への案内人の役を担ってきたということでもあるのだろう」

このときはヴィーノと暮らしてきた体験から感じていたのでそう書いたのですが、『神々の原像』を読んで、あらためて、そうだよなぁと納得できました。

「日本の狼や山犬に対する霊獣観念は欧米の狼に対する害獣観念とは大きく異なり、「自然・野生」の領域と「人間・文化」の領域との間で人間と相互に接近しあう動物としてのイメージがある。そのような狼や山犬のイメージを基盤とする犬へのイメージにより、この人身御供の怪物退治の物語における主役の座が山犬や犬に与えられてきたものと解釈できるであろう」

このあたり、狼に対するイメージは、西洋とは違っていました。家畜を殺される西洋で、狼は「敵」でしかありません。でも、日本では、馬産地を除いて、狼は農作物をシカやイノシシから守ってくれる益獣だったのです。しかも、「送り狼」などでも語られているように、狼は特別の理由がない限り人間を襲うことはなく、むしろ「後ろから付いてきて、守ってくれる」というイメージさえありました。狼はだから、「自然・野生」でありながら、ある時は「人間・文化」に近い存在というふうに言えます。少なくとも「敵」ではありませんでした。

そしてもうひとつ、犬や狼が、安産のシンボルにもなっている点にも触れています。

「犬が女性の営為を守るという民俗の伝承の背景には、ここで確認してきた人身御供の物語における犬と安産祈願の犬との両方に通底する「自然・野生」と「人間・文化」の両界の媒介項としての犬と女性との共通性への観念が民俗の中に深く静かに伝えられてきているからではないかと考えられる。」といいます。

狼は神秘的です。たしかに自然を象徴する存在でもあります。ただ、「もういない」ということも関係あるのかなぁとも思っています。つまり、絶滅して、より「神」に近くなったというふうに感じるからです。

古来からの農事の神とし狼を崇めてきたのですが、明治になって、自然破壊が進むのと同時に、狼も居場所を無くして人間を襲うなど、「神(神使)」の座から「害獣」の座に引きずり降ろされた感があります。だから躊躇なく殺すこともできた、のではないのかと。

それがもう絶滅したとなれば、もう人間に害を及ぼすことは100パーセントないので、再び神の座に戻ったのではないかなどと考えるのです。

 

 

 

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2019/05/28

エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか 』

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2019/2/19に出版された、エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳の『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』を読みました。

エリ・H・ラディンガーは、女性弁護士から転身してオオカミの保護活動を行い、講演会・セミナーなどで「オオカミと自然や生態系についての知識」を広めている異色の作家だそうです。

彼女の「 転身」の理由そのものが、この本のテーマと言ってもいいのかもしれません。

 犬の家畜化についてはいろんな説がありますが、これは、さすがに女性の目からみた説だなぁと思います。

「オオカミを社会化するために、つまり、最初から人間に慣れさせるために、赤ちゃんを早期に母親から離す必要がある。私たち職員は赤ちゃんの乳母であり、哺乳瓶でミルクを与え、毛づくろいや添い寝をして、数週間後に家族のもとに戻す。これは家畜化ではなく(家畜化は数万年を要するプロセス)早期感化であり、こうして育ったオオカミの大人は人間を怖がることはない。(略)
 はるか昔に人間の男がこのようにしてオオカミの赤ちゃんを感化したということは考えられない。なぜなら、ミルクを与えることがそこに含まれるが、家畜のいない時代は女性の乳しかなかったからだ(牛・羊・山羊・豚の家畜化は、オオカミより遅い)。つまり大昔のある日、ある女性がオオカミの赤ちゃんを抱いて母乳を与えたということになる。母乳が余っていたのか、それとも見捨てられた無力なオオカミの赤ちゃんをかわいそうに思ったのか。何も予期せずに人類に革命をもたらしたことになる。というのも、オオカミに続いて有用動物が家畜化され、狩猟から牧畜へと移行することになったから。こうして歴史は新しい針路をとった。」

といいます。さらにこう続けるのですが、

「もしかすると、進化における特別な役割のことがいまも記憶に残っているため、私たち女性はオオカミに親近感を抱くのかもしれない。」

ちょっとここは「女性」であることを強調しすぎの感があります。女性だけがオオカミに親近感を持っているわけではないでしょうし。

まぁ違った見方は何事にも大切です。結局は「説」でしかないわけですが。犬がオオカミから家畜化されたストーリーは、証明のしようがありません。だから、我々素人が勝手に想像することも自由です。

ところで、この本で一番共感できたところは次の箇所です。

「オオカミは家族がいなくなると悲しむ。だれかが死んだり姿を消したりすると、困惑して捜索する。攻撃的になることもあり、嘆きをこめて遠吠えをくり返す。でも、やがては振り払い、立ち上がってそれまでの営みを続ける。生活のリズムに従って獲物を狩り、食べ、生殖し、家族の面倒をみる。自然界のあらゆる生物がするように、いま、ここに生きていることを祝う。この能力を失ったのは人間だけではないだろうか。将来のことを思い煩い、過去に埋もれて生活している。もっと現在を生きればいいのに。動物たちからそれを学べるので、一歩さがって観察すればいい。彼らをあるがままにさせ、彼らから学び、いっしょに成長する。」

そうだよなぁと、ここに共感しました。

犬恐怖症だった俺が、ヴィーノと出会い、ヴィーノと暮らすようになって思ったことは、どうしてヴィーノはこんなにふてぶてしいくらい自信に満ち溢れているのだろうか、という感覚でした。この自信はどこから来るんだろうと、ずっと考えてきました。

そして彼女が言っているようなことを俺も感じ始めているのです。

人間の不幸は、過去と未来に縛られることです。先日も少し触れましたが、犬は、いや、オオカミや他の動物も、現在をせいいっぱい生きているということなんでしょう。

昔はできたのに、今はできなくなって悲しいとか、今これを食べてしまったら、明日のごはんがなくなって困るから、残しておこうとか、過去や起こってもいない未来のことを煩い、心配し、悩む。まさにこれがマインドワンダリングで、そういう雑念を払うことで精神衛生をいい状態に保つというのは、認知行動療法でもやったことです。

養老孟司さんと池谷裕二さんの対談で、「時間」というのは人間の脳の中にしかない、といったことを話していましたが、多少の時間の観念は犬にもあるとは思います。いや、時間の観念はあるけど、それを人間のように「単位」にはしないということではないのかな。人それぞれに進んでいる時間を、同じ「単位」で測ってしまうところに人間の不幸は生まれる気がします。犬たちは、自分に流れる時間をそのまま受け入れるだけで、けっして他の人(犬)と比べたりはしていません。

こんな体験があるんじゃないでしょうか。夢中になって何かをやっていると、あっという間に時間が過ぎていること。夢中でやることで、過去も未来もなくなる、時間が無くなるという感覚ですか。たぶん、こんな感じが動物の「今をせいいっぱい生きる」ということと近いのではないかなと思うのですが。

 

 

 

 

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