カテゴリー「書籍・雑誌」の220件の記事

2022/05/14

【犬狼物語 其の六百三】姜戎 (著)『神なるオオカミ』牧畜民のオオカミ信仰

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姜戎 (著), 唐亜明 (翻訳), 関野喜久子 (翻訳)  

「文化大革命時代、北京の知識青年・陳陣(チェンジェン)は内モンゴルのオロン草原に下放され、現地の古老・ビリグのもとで羊飼いをはじめた。天の教えを守り、草原とともに生きる遊牧民の暮らしに魅せられていく陳陣。やがて、かれの興味は、遊牧民の最大の敵でありながら、かれらの崇拝の対象であるオオカミへと向かう。オオカミにのめりこんでゆく陳陣は、自らの手でオオカミの子を捕らえ、飼うことを夢見るのだが……。」(amazon『神なるオオカミ』より

オオカミの子どもを飼いはじめますが、最後まで人間になつくことはないんですね。だからこそオオカミ、という気もします。

モンゴル人の最大の敵がオオカミです。家畜をめぐっての、オオカミたちとモンゴル人たちとの攻防戦はすさまじいものがあります。どうしてこの凶暴なオオカミを崇拝するんでしょうか?

 

メコン源流を探しに、チベット高原を旅したのは、今から30年も前のことです。

当時はまだ東西冷戦が終わって間もないころで、メコン川流域の国々も、ようやく外国人旅行者に門戸を開いたという時期でした。だからそれまでは、メコンはほとんど価値のない大河と考えられていました。中国人(漢民族)にとってさえ、黄河や揚子江と違い、メコン(瀾滄江)は異民族が住む辺境の無価値な川にすぎませんでした。だから90年代まで、源流も確定していませんでした。

俺がメコンの源流に行こうと思ったのは、そんなときで、結局、科学的・地理学的な源流はわかるはずもなく、探したのは、地元チベット人が「ここが源流だ」と思っている水溜まりでした。でも、俺の旅の目的や興味からすれば、この民俗的な源流こそ探し求めていたものかもしれません。

北京から文革時代に内モンゴルに下放された経験を基に書いたジャンロンの小説が『神なるオオカミ』という本です。読んでいるうちに、いろいろ思い出したことがあります。上下2巻の長編小説なので、遅読な俺にはけっこう時間がかかりました。

この小説の舞台は内モンゴルですが、メコン源流のある、青海省の草原も似たようなところがあります。草原が広がり、そこで牧畜民(100%の遊牧民はもういませんが)が、高原牛のヤク、羊、山羊、馬などを放牧して暮らしています。ヤクの毛は編んで黒い布の天幕住居になり、乳はバターやチーズなど乳製品に、糞は木のない草原では燃料になるなど、ヤクという動物がいなければ生活が成り立たないところです。

俺は青海省の西寧という街で、旅行社に頼んで、車をチャーターしました。源流まで、往復約2週間の旅です。そして車で行けたのは、3日間かけてたどり着いたモーユンという、役場の建物があるだけの村でした。そこからは車を使えないので、馬で行くことになりました。

その行程で、案内人のチベット人は、銃を持参しました。それはオオカミ対策です。オオカミに襲われたときに使うのだと教わりました。

あるとき、「あそこ、見てみな」と言われて草原を見渡しましたが、何を言っているのかわからず「何?」と聞き返すと、「狼(ラン/漢語)」というではないですか。チベット人の視力はかなり良いらしく、おそらく2~3kmくらい離れたところに2匹のオオカミが走っているらしいのですが、俺にはまったくわかりませんでした。牧畜民にとってはオオカミが一番怖い動物なので、彼らはオオカミに敏感です。オオカミを見つける能力も日々の生活から研ぎ澄まされていたんだろうなと今となってはわかります。

そして、「これ撃ってみな」といって、銃を手渡されたのでした。実弾の入った本物の銃です。そして空缶を20mほど離れたところに置いて、練習させてもらいました。俺も2発撃たせてもらいました。もちろん当たりませんでした。幸い、この銃をオオカミに向ける機会がなくて幸いでした。

ある地元牧畜民の天幕住居のそばにテントを張らせてもらいました。食事も彼らから買ったものでした。俺は何でも食べられるので、街から特別の「文明食」を持っていく必要はまったくありませんでした。ヨーグルトも好きだし、ヤクの干し肉もおいしく食べられます。バター茶とツァンパという麦焦がしも大丈夫です。ただ、干し肉がガムのように固いのは閉口しました。

そのテントは普通の登山用のテントなので、夜、寝ているとき、外で音がするとビクッと身構えてしまいます。さんざんオオカミについて脅かされていたので、風の音さえ敏感になっていました。ところが、オオカミ以上に怖いのはチベット犬だということがわかり、俺は、テントをうろつく犬たちの鼻息に熟睡できないし、明るくなるまで小便を我慢する羽目になったのでした。

でも、この犬も、小説を読むとわかるのですが、オオカミと戦えるほどの犬じゃないと役に立たないし、獰猛な犬はある意味、牧畜民には大切な相棒なのです。

と、ここまで書くと、オオカミは敵か?という感じですが、モンゴルもチベットも、草原には黄羊などの野生の草食動物がいて、彼らが草原の牧草を食べつくすと、砂漠化が進んでしまい、いずれは草原がなくなるのです。この黄羊を食べてくれるのがオオカミです。オオカミは怖いし、家畜の敵でもあるんですが、いなくなるとまた困る。つまり、人間も、草原も、黄羊も、オオカミも、絶妙なバランスを取って存在しているということです。

オオカミは、人間を襲うといよりは家畜を襲ったときに、人間と戦うことになってしまうのが真相らしい。そして家畜を襲うのも、草食動物が少なくなったときです。めたらやったら家畜と人間を襲うわけではありません。

小説では、すさまじいのです。オオカミと遊牧民との関係が。それでも、いや、だからこそなのかもしれませんが、人間はオオカミと同等なのではないかと思えます。このオオカミがモンゴル人のトーテムとして、かつて、ヨーロッパまで征服したモンゴル人の崇敬する動物であるということです。敵でもあり、神でもある。このあたりは、日本のオオカミがどちらかというと抽象的なイメージになったのとは違い、ずっと具体的です。日々の暮らしの中で、オオカミは人間と戦い、かつ、草原を守ってくれている目に見える動物です。モンゴル人がいう、人間も、犬も、家畜も、草原さえも、オオカミに鍛えられてきた、という言葉は印象的です。

日本では牧畜が発達しなかったから、家畜を殺される(人間の敵)ことがなかったオオカミは益獣だった、だから神にもなったというのは、モンゴル遊牧民だったら鼻で笑うのかもしれません。

この草原の論理がわからない漢民族が草原を農地に変えれば生産性が上がるという考えを、モンゴル人たちは批判します。

モンゴル老人はいうのです。

「もしオオカミが絶滅したら、草原も生きられない。草原が死んだら、人間と家畜が生きられるか。おまえら漢人はこの道理をわかってない亅

と。 

オオカミ狩りが大勝利を収めた時、老人はこういいます。

「戦果が大きければ大きいほど、わしの罪が深い。これから、こんなふうにオオカミを狩ってはいけないんだ。こういうことばかりしてたら、オオカミがいなくなって、黄羊とか野ネズミとか、野ウサギやタルバガンがのさばってくる。そうなったら、草原はおしまいよ。天が怒りだして、牛や羊や馬、そしてわしら人間は、報いをうけるにちがいない」

結局、何年か経ち、草原は開墾され、結果、砂漠化が進んでしまったことは、歴史は必ずしも人間は「進化」しているわけではないということを証明しているようです。オオカミの生態学的意義を無視して、危険だからといって全部狩ってしまえという考えが、やがて草原までも失い、黄砂が吹き荒れる砂漠化を進めてしまいました。モンゴル老人が言ったとおりになってしまったのです。日本に飛んでくる黄砂が、オオカミがいなくなったことと関係があったと知って悲しくなります。

モンゴルの草原だけではありません。日本でも、ニホンオオカミが絶滅してしまったことで、鹿や猪の害に悩まされるようになりました。モンゴルやチベットと日本の自然環境や歴史は違い、比べてもしかたないことかもしれませんが、ただ、どちらも、バランスが崩れれば、すべては狂ってくるというのは真理でしょう。

そのバランスは、誰かが頭で考えたことではなく、何年、何百年、何千年にもわたって、日々の暮らしの中で試行錯誤しながら学んできた知恵なのです。その民衆の知恵を無視して、「科学」だとか「近代化」だとか「経済効率」で突き進んだ先にあるのは、モンゴルの草原と同じ、「死んだ山」ということになるのでしょう。

 そしてもちろん、モンゴル人にとって神になるオオカミは、草原を守る動物というだけではなく、その圧倒的な強さです。狩の仕方もモンゴル人はオオカミから学びました。

「西北部とモンゴル草原の地で、オオカミトーテムが、無数の遊牧民族にとって、トーテムになりえたのは、草原オオカミがもっている崇拝せざるをえない、拒否できない魅力、勇敢な知恵といった精神的な征服力によるものだ」

オオカミの強さは、強くなりたい人間にとっては、神なる存在となります。これは万国共通の狼信仰です。

「モンゴル民族とは、オオカミを祖、神、師、誉れとし、オオカミを自分にたとえ、自分の身をオオカミの餌とし、オオカミによって昇天する民族である。」

モンゴル老人はこのように下放青年に言います。

「草原の人間は生涯、たくさんの命を殺して、たくさんの肉を食ったから、罪深いのじゃ。死んだら、自分の肉を草原に返すのが公平で、魂も苦しまずに、天に昇れるんだ」

 

ところで『神なるオオカミ』の最後の方に、面白いことが書いてありました。

 「一九七一年に内モンゴルの三星他拉村で出土した玉龍は、中国で最初の龍と呼ばれるもので、新石器時期の紅山文化に属している。その頃、中華の先祖は、狩猟、採集、遊牧、あるいは半農半牧の状態で、農耕民族にはなっていなかった。龍トーテムははじめ、華夏の原始人のトーテムであったが、変化しながら農耕民族のトーテムとなっていった。翁牛特旗三星他拉の玉龍注意深くみて、ぼくが驚いたのは、その原始の玉龍は中国人が普通にみなれている龍の姿ではなく、オオカミの顔をした龍であったことだ。」

龍は、空想上の動物と言われていますが、もしかしたらもともとは「オオカミ」を象ったものだったのではないか、などと俺の妄想は膨らみます。

 

 

 

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2021/12/06

令和4年(2022年)版 旧暦棚田ごよみ

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令和4年(2022年)版 旧暦棚田ごよみ

 

【TEL、FAX、メールでのご注文&お問い合わせ 】

 

NPO法人棚田ネットワーク 旧暦棚田ごよみプロジェクト

 

TEL. 03-5386-4001 ( 受付時間 13:00 ~ 17:00 土日祝をのぞく)
FAX. 03-5386-4001 / E-mail:koyomi@tanada.or.jp

 

※ FAX、メールでのご注文の際は、お名前、電話番号、ご住所、部数をご記入の上ご送信ください。
※卸・委託販売ご希望の方もお問い合わせください。
※贈答用会社名入の制作も承りますので、お問合せ下さい。

 

 

 

 

 

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2021/09/19

令和4年(2022年)版「旧暦棚田ごよみ」

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 令和4年(2022年)版「旧暦棚田ごよみ」、校了しました。

表紙は、「10周年にはこれを」と強く思ってきた写真を使うことになりました。自分では一番好きな写真かもしれません。

発行は11月になります。しばらくお待ちください。 

令和4年(2022年)版は、区切りの年、10周年を迎えます。こうして10年続けてこられたのは、それなりに皆さんの支持が得られたものだと自負しています。

写真は、長野県飯田市・よこね田んぼの水に映った月です。

 

 

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2021/07/12

『オオカミは大神』重版決定

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『オオカミは大神』の重版が決まりました。

もちろん「弐」じゃなくて、最初に出た本の方「壱」です(「弐」ができるとは思ってなかったので、「壱」とは表記していませんが、実質「壱」になりました)。カバー写真が、埼玉県皆野町蓑山神社のお犬さまのやつです。

このようなテーマでは「発売、即重版」などはありえない話だし(夢でもありますが)、2年かけて重版になったのは、少しづつでも確実に売れ続けている証拠でもあるので、良かったと思います。これも皆さんのおかげです。

今は、写真展の準備と、次回作に向けて構想を練っている最中ですが、「参」はやっぱり「東北の狼像・狼信仰」か「西日本の狼像・狼信仰」になるんだろうなぁという気がしています。

本当は、狼のイメージを使ってもっと心理学的な方向へ行きたい気もしますが、たぶん、そんな方向では興味を持たれなくなってしまうのではと思っています。

結局、俺の役目というか、立ち位置は、それを知らなかった人に興味を持ってもらう媒介者(メディア)なのです。入り口を作る役目ですね。「メコン」や「棚田」もそうでした。

それもこれも、まずはコロナ禍が少し収まってくれて、後ろめたさなく旅行ができる状態にならないと、インタビューを依頼するにも気が引けます。狼信仰関連の祭りものきなみ中止になっているし。

 

 

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2021/06/26

青柳健二写真展「オオカミは大神」2021年7月15日~

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写真展「オオカミは大神」の告知です。

昨年同様、コロナが収束しない中での写真展になりそうなので、無理のないようにご来場ください。

マスク着用、ソーシャルディスタンスを保ってご鑑賞ください。また、人数制限を行う場合があります。

通常であれば、会期中にスライドショーなどのイベントを行うところですが、残念ながら感染拡大予防のために、今のところ予定にありません。それと青柳が在廊するかどうかも当日の状況を見て判断いたします。

会期:2021/7/15~8/10(21、28、4休み)※会期は追加されました。お盆休みの後は8/19~24日
   10:00~19:00(最終日15:00)
会場:ギャラリー楽風(さいたま市浦和区岸町4-25-12)
   1Fは日本茶喫茶・楽風で、ギャラリーは2Fになります。

   http://rafu-urawa.com

主催企画:ギャラリー楽風
作品数:約45点
※ギャラリーは無料
※『オオカミは大神』など書籍購入のお客様には、青柳作成の、お犬さまのお札風作品をプレゼントいたします。

 

【青柳健二写真展『オオカミは大神』について】

 ニホンオオカミは、明治38年(1905年)、奈良県東吉野村の鷲家口で、東亜動物学探検隊員の米人マルコム・アンダーソンに売られた雄の標本を最後に絶滅したといわれています。現在、東吉野村小川(旧鷲家口)に、最後の狼を記念してニホンオオカミの等身大ブロンズ像が建てられています。
 オオカミは絶滅しましたが、オオカミは大神になって生き続けています。今でも全国に狼信仰の神社は多いのです。皆さんが登山の時、何気なく見ている山中の神社や祠に鎮座する石像が、実はいわゆる狛犬ではなくて、狼像だったりするかもしれません。狼信仰の神社の多くにはこのように狼像が鎮座し、狼の姿が入ったお札を頒布しているところもあります。
 西洋では、家畜を食べられるなどの被害が深刻で、狼は人間の敵でした。しかし日本の場合、ニホンオオカミはそれほど大型ではなかったこともあるし、また牧畜が発達しなかったので、狼は人間にとって、田畑を荒らす猪や鹿などを追い払ってくれる益獣でした(東北の馬産地は除く)。狼信仰はこの農事の神としての信仰から生まれました。もちろん山に棲む狼が恐ろしい動物であったのも事実だったようで、狼被害に遭った記録も残っています。狼の、益獣として人を助けてくれる面と神秘性や畏れ、この両面性を持っていた動物は、まさに人々の信仰の対象としてふさわしいものだったのでしょう。
 また今回の写真展は、コロナ収束祈願を兼ねています。
 埼玉県秩父市に鎮座する三峯神社は狼信仰の神社で、狛犬の代わりに狼(お犬さま/御眷属様)像が守っています。江戸時代、疫病(コレラ)が流行ったときも狼(お犬さま)が疫病除けとして用いられました。コレラは「狐狼狸(コロリ)」などと呼ばれ、この世のものではない異界の魔物の仕業だと思われました。日本を侵そうとする異国が「アメリカ狐」などを操ってコレラを蔓延させているという妄想を生んだのです。
 そこで、異国の狐の魔物を退治してくれるのは、日本で最強の狼しかいない、狼なら三峯神社だ、ということで人々が殺到しました。三峯神社の狼のお札を村で祀り、コレラ除けを祈願したのです。もともと狐憑きという精神病にも、昔から狼(頭骨)が効果があるという信仰もベースとしてあったので、なおさら狼に頼ることになったようです。
 また、岡山県の高梁市の木野山神社も狼信仰の神社で、古くから流行病、精神病に対する霊験あらたかで、コレラや腸チフスなどの疫病が流行した時に、病気を退治するものとして狼様が祀られました。木野山神社への参拝者が増えたので、県は、今で言うところの「密を避けるために」多人数で同社を参拝することを禁じる布達まで出しています。
 今回の写真展では、疫病除けに御利益があるといわれた全国(北は岩手県から南は岡山県まで)の狼像を紹介します。早くこのコロナ禍が収まってくれることを願うばかりです。
 なお、ギャラリー内の写真撮影、SNSへのアップはご自由にどうぞ。
                               

 

 

 

 

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2021/06/23

お犬さま(狼)のお札風作品をプレゼント

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浦和の日本茶喫茶&ギャラリー楽風では、『オオカミは大神』『オオカミは大神 弐』をお買い上げの皆様には、この2種類のお札風作品をプレゼントしています。

 

http://rafu-urawa.com

 

なお、来月中旬にはギャラリー楽風で、写真展「オオカミは大神」が始まります。写真展情報は少しお待ちください。

 

 

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2021/06/05

『オオカミは大神 弐』の見本

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出版社から『オオカミは大神 弐』の見本が届きました。


新刊本の匂い、インクの匂い、いいですね。あと、ちょっとざらついた紙の手触り。このテーマには合っている紙質だと思います。


書店に並ぶのは6月14日ころからとのことです。6月20日には読売新聞に広告が出る予定です。


amazonでは予約ページができていますが、まだ発売されていないのに、なぜか、☆5の評価が付きました。今までにはないケースです。


カバーのデザインが良かったのか、カバー写真、武甲山御嶽神社のお犬さまの姿が良かったのか、どっちにしろ☆5は嬉しいです。


 


 


 


 

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2021/05/09

【犬狼物語 其の五百五十八】『オオカミは大神(弐)』の色校正紙

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『オオカミは大神(弐)』の、色校正紙が出ました。色校を見ると、いよいよ出版が近いなという実感がわきます。あと1か月ちょっとです。

全体的に、色は良く出ていて、小さな写真もわかりやすいと思います。前回、小さな写真がなんだかわからなくなって、差し替えたということがありましたが、今回は差し替え無で済みそうです。

本文の直しは複数個所あったので、それを直してから戻します。

 

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2021/04/30

【犬狼物語 其の五百五十六】山梨県丹波山村 「狼伝承と登る七ツ石山」展の図録

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「狼伝承と登る七ツ石山」展の図録を送っていただきました。再建記念として発行したものです。

なんという表紙なんでしょうか。玉川麻衣さんのお犬さま。お犬さまの世界に引き込まれてしまいそうです。

いったんこの世界に入ったら出てこれなくなってしまうような怖さを感じます。でも、矛盾するようですが、怖さと同時に、その世界が自分の居場所であるような安らぎも感じます。

1回目の展示で、写真の佐治田さんに会い、七ツ石神社の存在を知りました。崩れてしまいそうな神社の様子に衝撃を受けました。そしてこの神社の再建プロジェクトの話を聞いた時、ピンとくるものがあり、プロジェクトのリーダー・寺崎さんを取材をさせていただきました。それまでも狼信仰の取材を続けていましたが、昔の民俗としての狼信仰ではなくて、「現代に生きる狼信仰」というものがずっと頭にあったからです。

再建プロジェクトが進み、2018年11月7日には、七ツ石山で、「七ツ石権現社旧社地」のお披露目の会に立ち会うことができました。プロジェクトの様子は、前著『オオカミは大神』にも書かせていただきました。

なので、この図録は、個人的にも思い出の品だし、またプロジェクトの記録として、将来的には貴重な資料にもなると確信しています。

 

 

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2021/04/26

【犬狼物語 其の五百五十四】埼玉県横瀬町 武甲山(日本近代化と狼信仰)

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先日のNHK「ブラタモリ」では、埼玉県横瀬町の武甲山が出てきました。

武甲山の石灰岩を運び出すための秩父鉄道に資金援助したのが渋沢栄一だったという。渋沢は、日本の近代化のため、コンクリートの原料となる石灰岩に目を付けたということですね。

武甲山が削られているのは北面の石灰岩ですが、南面は玄武岩だそうで、武甲山は2つの種類の岩からなっている山だということを「ブラタモリ」で知りました。

ちょうど山頂に鎮座するのが武甲山御嶽神社ですが、石灰岩と玄武岩の境目らしい。

そこであたらめて考えてみると、武甲山は、自分の身を削って日本の近代化に貢献したともいえますが、神であったはずの武甲山を削るという話が出たとき、人々はどのような反応をしたのか、興味のあるところです。

日本が近代化した明治時代は、ニホンオオカミが絶滅した時でもあります。ニホンオオカミが神から害獣へと人々の認識が変化していくことと、ご神体であった山がやがて削られることは、近代化の中では同じ流れだったのでしょう。

『オオカミは大神【弐】』のカバーで使っている写真は、武甲山御嶽神社、一の鳥居のところにいるお犬さまですが、このお犬さまも、「通行の邪魔になるから」という理由で、産業道路から、一の鳥居に移されました。

いってみれば、明治以降、狼信仰は近代化に飲み込まれてしまったのです。でも、だからといって、狼信仰がなくなったわけではありませんでした。

お犬さまたちが、「三峯講」や「御嶽講」という舟に乗って、近代化という波に押し流されながらも、静かに、したたかに、都会に浸透し、山を守っていたのと同じように、今度は、山の分身であるコンクリートでできたビル群を守っているようにも見えてきます。中には、お犬さま自身が、近代化の象徴ともいえるコンクリートに姿を変えてもいるのです。

 

 

 

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