カテゴリー「書籍・雑誌」の213件の記事

2021/05/09

【犬狼物語 其の五百五十八】『オオカミは大神(弐)』の色校正紙

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『オオカミは大神(弐)』の、色校正紙が出ました。色校を見ると、いよいよ出版が近いなという実感がわきます。あと1か月ちょっとです。

全体的に、色は良く出ていて、小さな写真もわかりやすいと思います。前回、小さな写真がなんだかわからなくなって、差し替えたということがありましたが、今回は差し替え無で済みそうです。

本文の直しは複数個所あったので、それを直してから戻します。

 

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2021/04/30

【犬狼物語 其の五百五十六】山梨県丹波山村 「狼伝承と登る七ツ石山」展の図録

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「狼伝承と登る七ツ石山」展の図録を送っていただきました。再建記念として発行したものです。

なんという表紙なんでしょうか。玉川麻衣さんのお犬さま。お犬さまの世界に引き込まれてしまいそうです。

いったんこの世界に入ったら出てこれなくなってしまうような怖さを感じます。でも、矛盾するようですが、怖さと同時に、その世界が自分の居場所であるような安らぎも感じます。

1回目の展示で、写真の佐治田さんに会い、七ツ石神社の存在を知りました。崩れてしまいそうな神社の様子に衝撃を受けました。そしてこの神社の再建プロジェクトの話を聞いた時、ピンとくるものがあり、プロジェクトのリーダー・寺崎さんを取材をさせていただきました。それまでも狼信仰の取材を続けていましたが、昔の民俗としての狼信仰ではなくて、「現代に生きる狼信仰」というものがずっと頭にあったからです。

再建プロジェクトが進み、2018年11月7日には、七ツ石山で、「七ツ石権現社旧社地」のお披露目の会に立ち会うことができました。プロジェクトの様子は、前著『オオカミは大神』にも書かせていただきました。

なので、この図録は、個人的にも思い出の品だし、またプロジェクトの記録として、将来的には貴重な資料にもなると確信しています。

 

 

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2021/04/26

【犬狼物語 其の五百五十四】埼玉県横瀬町 武甲山(日本近代化と狼信仰)

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先日のNHK「ブラタモリ」では、埼玉県横瀬町の武甲山が出てきました。

武甲山の石灰岩を運び出すための秩父鉄道に資金援助したのが渋沢栄一だったという。渋沢は、日本の近代化のため、コンクリートの原料となる石灰岩に目を付けたということですね。

武甲山が削られているのは北面の石灰岩ですが、南面は玄武岩だそうで、武甲山は2つの種類の岩からなっている山だということを「ブラタモリ」で知りました。

ちょうど山頂に鎮座するのが武甲山御嶽神社ですが、石灰岩と玄武岩の境目らしい。

そこであたらめて考えてみると、武甲山は、自分の身を削って日本の近代化に貢献したともいえますが、神であったはずの武甲山を削るという話が出たとき、人々はどのような反応をしたのか、興味のあるところです。

日本が近代化した明治時代は、ニホンオオカミが絶滅した時でもあります。ニホンオオカミが神から害獣へと人々の認識が変化していくことと、ご神体であった山がやがて削られることは、近代化の中では同じ流れだったのでしょう。

『オオカミは大神【弐】』のカバーで使っている写真は、武甲山御嶽神社、一の鳥居のところにいるお犬さまですが、このお犬さまも、「通行の邪魔になるから」という理由で、産業道路から、一の鳥居に移されました。

いってみれば、明治以降、狼信仰は近代化に飲み込まれてしまったのです。でも、だからといって、狼信仰がなくなったわけではありませんでした。

お犬さまたちが、「三峯講」や「御嶽講」という舟に乗って、近代化という波に押し流されながらも、静かに、したたかに、都会に浸透し、山を守っていたのと同じように、今度は、山の分身であるコンクリートでできたビル群を守っているようにも見えてきます。中には、お犬さま自身が、近代化の象徴ともいえるコンクリートに姿を変えてもいるのです。

 

 

 

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2021/04/15

『オオカミは大神(弐)狼像をめぐる旅』の予約PV

 

音楽は、インドネシア・バリ島のガムランふうのオリジナル音楽です。現地バリ島での儀式での歌をミックスしています。

どうしてBGMをこれにしたかというと、日本の狼神社と、バリ島のヒンズー寺院の雰囲気が似ていると思っているからです。

どちらもアニミズム的なカミを敬い、自然に感謝する姿に共通するものを感じています。

だから言葉はバリ語ですが、そんなに違和感がないと思うのは、俺だけでしょうか。

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2021/04/05

『オオカミは大神 弐  狼像を巡る旅 』の予約ページ

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amazonに、予約ページできています。 

今回の表紙の写真は、武甲山御嶽神社の一の鳥居に建つ狼像です。

これはもともと別なところ(産業道路)に建っていましたが、大型車が通りづらいということで、こちらに移されたそうです。

苔がまるで体毛のようでもあり、長い時間を感じさせるすばらしい狼像だと思います。

 

オオカミは大神 弐 狼像を巡る旅 – 2021/6/14

 

 

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2021/03/14

『オオカミは大神 2』の執筆

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最近は、ブログの更新も怠っていて、また「死んだんじゃないか」と思われるとまずいので、久しぶりに更新します。

『オオカミは大神 2』の執筆中で、順調に進んでいます。

山梨県のある神社では、お犬さまの浮彫も「発見」しました。それと、現時点で、神社で守る狼像としては日本で一番新しいと思われる、狼像も撮影取材できました。

まだまだ、取材撮影したい狼像がたくさんあって、時間切れになるかなと思っているところです。

ただ、「狼像」「犬像」「狛犬」には微妙なところがあるので、どこまでを「狼像」として載せるか、という範囲の問題もあるのですが。

 

 

 

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2021/01/02

アレクサンドラ・ホロウィッツ著『犬であるとはどういうことか』

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アレクサンドラ・ホロウィッツ著『犬であるとはどういうことか』を読みました。彼女の本は以前も読んだことがあります。

犬から見た世界』です。 

 今回は、「嗅覚」「匂い」というところに特化して、犬の世界を紹介しています。

「犬は瞬間を生きている」と俺は何度か今まで書いてきました。でも、これは、まんざら当てずっぽうな話ではないかもしれないと、この本を読んで気が付きました。

というのは、嗅覚で世界を見ている犬にとっては、匂いがそこにあるのは、その時だけです。すぐに匂いは流れ、二度と同じ臭いの状態にはなりません。つまり、犬が見ている世界というのは、その瞬間なのです。

人間は嗅覚よりも視覚を重視しています。 ヴィーノを連れての散歩は、ほぼ同じルートを歩きます。俺にとっては、いつものルートなので、新鮮味はあまり感じません。人間は視覚で世界を見るので、物体が存在する限り、あまり変わりません。だから世界は、固定されたものとして映ります。

でも、ヴィーノは違うらしいのです。匂いの世界は、絶対同じ状態はありえません。瞬間瞬間で移ろう世界です。俺には「無臭」に感じても、ヴィーノにとっては、毎回、新しい世界を歩くようなものなのかもしれません。

犬の嗅覚はすごいことは俺もヴィーノから日々感じていますが、犬の嗅覚を使った探知犬はいろんな分野で活躍しています。

犬が病気を発見するという話はよく聞くようになりました。ガンや糖尿病などがあります。最近ヴィーノは夕食後、ソファーに座っているとやたら腹のあたりの服をなめるので、「だめ」と言って鼻先を払うのですが、まさか何かの病気か?などと冗談で考えてみたり。

それと去年は、新型コロナを発見する探知犬まで生まれています。新型コロナ探知犬がたくさん生まれたら、PCR検査する必要もなく、かなり楽になるかもしれません。ただ訓練する時間が必要なので、ワクチン接種でコロナが収束する時間よりは、今のところ、より長い時間がかかってしまうような気がします。

病気を発見する犬の能力は、その祖先であるオオカミから受け継いだ可能性があるようです。

「犬の嗅覚を研究してい るある学者がわたしに冗談めかして言ったものだ――獲物の群れの中でもっとも弱い、あるいは病気の動物を感知するオオカミの感受性が、ひょっとして人間の病気に反応する犬の感受性と関係しているかもしれないと。」

犬が人の病気を発見するのは、餌としてみたとき、弱った個体として認識されることで、これを知るとちょっと複雑な感じがしてきますが、でも、家畜化されてしまった犬が人の病気を見つけることは、オオカミが弱い個体を見つけるという意味は薄れ、むしろ、利点ともなっているわけです。 

「現代に生きるわたしたちはきわめて滅菌志向であり、機械依存症に なっているから、あえて患者を嗅ぐようなことはしない(時には見ることさえしない)。この傾向 は昔からあったわけではない。古代の文化も思想家たちも、病気にかかわる匂いの役割に気づいて いた。」

現代社会は、それこそ「無臭」を理想とした社会を目指しているようです。消臭剤がたくさん売れています。「おやじ」は臭いと嫌われます。

ただ、異性を好きになるのは、その異性の体臭が好きだからという説もありますね。自分では気が付いていない、無意識で、匂いで判断していることはあるのかもしれません。

俺は、匂いで過去を突然思い出すことがあります。たとえば、「あぁ、これはシリアの匂いだ」とか「雲南で嗅いだ匂いと同じだ」「これはカトマンズの街の匂い」とか。

実際は「無臭」にはならないんですが、人間はもう鈍感なので、無臭に感じているにすぎません。いや、「無臭」状態を望んでいるので、その無意識が、嗅覚を鈍らしているのかもしれません。

犬は人間のことを、嗅覚能力がないにもかかわらず、匂いを「ない」と思いこんでいるバカ者だ思っているかもしれません。

人間は二足歩行によって脳を発達させたという説がありますが、ひとつ、二足歩行することで、地面から鼻が離れ、あまり匂いを嗅がなくなった。そのために、嗅覚は衰えたということでもあるようです。

筆者は、匂いを追求します。自分で犬のようになって匂いを嗅ぐようになります。そしてこの嗅覚能力は、筋力と同じで、訓練によって上達するということでもあるようです。

自慢じゃないですが、俺もヴィーノと暮らすようになり、前よりは匂いを嗅ぐようになっているし、実際、道路の残り香で、ついさっきまで誰かここを歩いていたことが分かるようになりました。ただし、電柱のオシッコの匂いで、近くに雌の犬がいることを知るには、まだまだ訓練が必要です。ヴィーノには「やめとけ」と言われそうです。そもそも、人間には犬ような優れた嗅覚能力がないので、これは訓練しても無駄なことです。

ところで、飼い犬が主人の帰宅時間がわかるという話があります。これも「匂い」で判断しているらしいのです。でも、主人の匂いが近づいて来るから犬が主人を玄関先で待つのではない、ということです。意外です。実は、主人の残り香の減衰を感知しているらしいんですね。だいぶ主人の匂いが少なくなってきた、だから、そろそろ主人は帰ってくると。

その証拠に、こういう実験をやってみたそうです。この被験犬も、主人の帰宅時間がわかる犬です。主人が出て行ったあと、主人の匂いの付いた衣服をこっそり犬のそばに置いたところ、帰宅時間になっても、その犬はソファーで寝たままで、主人の帰宅には気が付かなかったというんですね。

匂いで帰宅時間が分かるという意味では、どっちにしろ、犬はすごいというしかありません。

 

 

 

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2020/11/12

令和3年(2021年)版、「旧暦棚田ごよみ」の販売開始

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 令和3年(2021年)版、「旧暦棚田ごよみ」の販売開始です。

https://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/

今回の表紙は、山形県山形市の蔵王山田の棚田、秋の風景です。東北独特の稲杭が並んでいます。写真には映っていませんが、奥の方は下っていて山形市・上山市の市街地が広がっています。 

 

 新型コロナ禍によって、 私たちの生活は一変してしまいました。まさかこんな世界が来るとは、一年前は想像もしませんでした。
 ウ ィズ ・ コロナといわれる新しいライフスタ イルが模索されています。今まで、 あって当然のものだった人間の 「密」 が否定され、 経済活動を維持するためにソーシャルデ ィスタンスが必要とされるようになりました。疫病退散祈願だったはずの祇園祭を初めとして、 夏祭りや花火大会なども軒並み中止されました。どのようにライフスタイルを構築していけばいいのかわからなくなり、 混乱しています。少なくとも効率や便利さだけを求めた結果としての 「密」 の状態は、 考え直さなければならないのかもしれません。都会の 「密」 と対極にある農村や農業が再び見直されつつあるようです。
 また、 異常気象と言われて久しいですが、 近年の気象の変化で、 災害が多くなった気がします。
 こんな混乱した人間世界ですが、 太陽と月は何事もなく変わらず天空に輝いています。その規則正しさが、 人間に安心感をもたらすような気がします。だから時の為政者たちは、 世の中を安定させるためにも正確な暦を必要としたんだな、 と身をも っ て感じます。

「掬水月在手、 弄花満香衣」 ―水を掬すれば月手に在り、 花を弄すれば香衣に満つ―
という言葉があります。この言葉は、 もともとは中唐の詩人 ・ 于良史の 『春山夜月』 という自然を愛でる詩の 一節です。禅語として用いられる場合の意味としては、 『両手で水を掬えば、 天空の月さえもただちに私の掌の中に入って自分とい っしょになる。一本の菊の花でも手に持って楽しめば、 その香りが衣服に染み込んでくる。自分と月、 自分と花とは別物でありながら、 簡単にひとつになることができる、 真理を手にできる』 という意味のようです。
 水に月が映る描写は、 棚田を写真に撮っている私には 「田毎の月」 を連想させます。天空の月が田んぼの水の中で融け合い、 ひとつになる、 というイメージは素晴らしいものです。ただし、 そこには簡単なアクシ ョ ンが必要です。 手で水を掬わなければならないし、 花を手に持たなければなりません。つまり、 より自然との 一体感を得たければアクシ ョンが必要だ、 という意味ですが、 難しいアクシ ョ ンではありません。
 旧暦棚田ごよみも、 ただ飾っておくだけよりも、 実際に使ってみるというアクシ ョンを起こすことで、 「自然は自分の中に在る」 ことになるのではないかなと思います。
  「旧暦棚田ごよみ」 は太陽暦 (新暦) に慣れている人にとっては、 正直使い づらいものです。でも、 使い づらい ことが、 かえって日付や季節や月の満ち欠けを意識させてくれます。その気づきがアクシ ョ ンにつながるのではないでしょうか。
(Prologueより)

 

 

 

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2020/08/21

2021年版「旧暦棚田ごよみ」プロジェクト始動

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来年(2021年)版「旧暦棚田ごよみ」プロジェクトが始動しました。

来年で9回目になります。もう一年経ったんだなぁと思います。

でも今年はちょっと違います。特別の緊張感のようなものがあります。コロナ禍で、棚田撮影にも支障がありますが、なんとかいい暦を発行したいと思っています。

発行は11月ころです。しばらくお待ちください。

 

 

 

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2020/07/09

『中国辺境民族の旅 第二弾 : 内蒙古自治区・青海・貴州・海南・雲南編』 Kindle版

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2020年6月にkindle版として出版した『中国辺境民族の旅』の第二弾です。

今回は、内蒙古自治区・青海・貴州・海南・雲南の旅です。雲南、貴州については前回も載せていますが、今回の内容は違うものです。

中国が対外開放政策を打ち出し、外国人観光客にも大きく門戸を開いたのは1980年代のことでした。1984年に初めて中国の西域を旅し(それについては前回詳しく書いています)、前年が北だったから、今年は南にしようと単純に思いつき、85年には、中国雲南省、貴州省を旅しました。その後は中国各地、辺境に暮らす少数民族の生活文化に興味を持つようになり、ますます辺境地帯への旅を重ねていったのです。

中国の経済発展はその後目覚ましく、ここで描いているような民族文化はすでに見られなくなっているかもしれません。なので、これはひとりの日本人写真家の旅行記であると同時に、80年代から90年代にかけての中国少数民族文化や国境地帯の記録としても読んでいただけたら嬉しく思います。

文章は書き下ろしのものと、書籍や雑誌で発表したものを加筆修正したものがあります。文章の長さはまちまちですが、ご了承ください。文章は約9万文字、写真は46点掲載しています。

https://www.amazon.co.jp/dp/B08CK73P2B

 

目次

草原のモンゴル大運動会「ナダム」[内蒙古自治区・青海省]

タール寺の大法会[青海省]

ミャオ族の芦笙会[貴州省]

海南宝島の夢[海南省]

コロッケからインターネットへ[雲南省]

雲の南の少数民族たち(アルカスJAS機内誌連載からペー族、チノー族)[雲南省]

ベトナムとの国境の河口と瑶山[雲南省]

三江平流と香格里拉(シャングリラ)[雲南省]

玉龍雪山と麗江[雲南省]

八十年代のバス旅[雲南・海南・甘粛・四川省]

映画『雲南の少女 ルオマの初恋』[雲南省]

映画『山の郵便配達』[湖南省]

 

 

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