カテゴリー「写真」の511件の記事

2020/12/12

埼玉県さいたま市浦和 青山茶舗は仮店舗営業中

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今年の夏から始まった青山茶舗の改修工事は、年末に終わる予定でしたが、年明けにずれこむらしい。新しい店舗で営業再開するのは立春(2月上旬)ころかもしれません。ずっとスチールとムービーで記録を撮っています。

今は、茶屋は、仮店舗で営業中です。旧中山道に面した店舗は養生シートに覆われていますが、正面右側のTimesの駐車場を通って裏に周ると、和風喫茶・ギャラリー楽風(こちらは通常営業)の庭で、手前に、仮店舗の入り口があります。そこを入ると、和室を利用した仮店舗です。一番下の写真がそうです。

これがなかなか趣があっていいのですが、仮店舗なので、見られるのは今だけです。ちゃんとお茶は販売していますので、ぜひ行ってみてください。今日あたり、足場が解体されるようだし、この前外壁塗装が終わったので、近々養生シートも外され、新店舗の外観だけは見られるようになるのではないかと思います。

 

 

 

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2020/12/09

今年の七五三では望遠レンズ

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久しぶりのブログの更新です。調べたら20日間ぶりです。

友だちからは、死んでいるんじゃないか?という心配のメールも届きましたが、まったく健康です。コロナにも〈まだ〉罹っていません。

10月11月は、七五三のシーズンで、撮影依頼がたくさんあったからで、疲れてしまって、ブログを書く気力がありませんでした。

でも、12月に入って、その撮影依頼もぱったりと途絶えました。もちろん七五三のシーズンが終わったことはありますが、コロナ感染者が増えていることも関係しているでしょう。

コロナ禍でどうなるんだろうと心配していた親御さんも多かったと思いますが、なんとか、今年の七五三シーズン(10月11月)が、感染再々拡大前になったことは幸いといったところでしょうか。

12月に入り感染者が増えてきて、また仕事の見通しが立たなくなってきました。心配です。

ところで、今年、七五三の撮影で始めたのは、400ミリ望遠レンズを使っての撮影です。七五三の撮影で、400ミリの望遠レンズを使っているカメラマンを見たことがありません。正直、俺自身、始めたときは違和感がありました。

でも、やむにやまれぬ事情があったのです。それは女の子でしたが、機嫌を損ねて泣いてしまい、ご家族そろって記念写真も撮れないという状況でした。でも、「何々して」というとぐずって泣いた女の子も、自由にさせてあげると、自然な表情に戻ります。

考えてみれば、俺も子供のころ、親に「写真を撮るから」といわれ、無理やり野球のユニフォームを着せられたときは大泣きしたことを覚えています。自分で好きな衣装だったら喜んだかもしれませんが、俺は野球はそれほど好きではなかったし、ましてや、親の都合でユニフォームで写真に納まることが嫌で嫌でたまらなかったのです。

七五三の子供たちも普段着慣れない着物を着せられ、「ほら、何とかちゃん笑って」などと言われても、素直に聞けるわけがありません。子供にとっては、その意味もわからないからです。

でも、泣いている子でも、自由にしてあげると、機嫌を直し、普通の表情、あるいは笑顔が戻ります。そのとき、カメラを意識させないとより自然になることが分かったのです。

だから物陰に隠れて望遠レンズで彼女の表情を追いました。結果、自然な表情、もちろん大泣きしている表情、そして少しだけ笑顔の写真も撮ることができ、親御さんからも喜ばれたということがあったのです。それから望遠レンズを使うことにしました。

 

 

 

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2020/11/12

令和3年(2021年)版、「旧暦棚田ごよみ」の販売開始

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 令和3年(2021年)版、「旧暦棚田ごよみ」の販売開始です。

https://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/

今回の表紙は、山形県山形市の蔵王山田の棚田、秋の風景です。東北独特の稲杭が並んでいます。写真には映っていませんが、奥の方は下っていて山形市・上山市の市街地が広がっています。 

 

 新型コロナ禍によって、 私たちの生活は一変してしまいました。まさかこんな世界が来るとは、一年前は想像もしませんでした。
 ウ ィズ ・ コロナといわれる新しいライフスタ イルが模索されています。今まで、 あって当然のものだった人間の 「密」 が否定され、 経済活動を維持するためにソーシャルデ ィスタンスが必要とされるようになりました。疫病退散祈願だったはずの祇園祭を初めとして、 夏祭りや花火大会なども軒並み中止されました。どのようにライフスタイルを構築していけばいいのかわからなくなり、 混乱しています。少なくとも効率や便利さだけを求めた結果としての 「密」 の状態は、 考え直さなければならないのかもしれません。都会の 「密」 と対極にある農村や農業が再び見直されつつあるようです。
 また、 異常気象と言われて久しいですが、 近年の気象の変化で、 災害が多くなった気がします。
 こんな混乱した人間世界ですが、 太陽と月は何事もなく変わらず天空に輝いています。その規則正しさが、 人間に安心感をもたらすような気がします。だから時の為政者たちは、 世の中を安定させるためにも正確な暦を必要としたんだな、 と身をも っ て感じます。

「掬水月在手、 弄花満香衣」 ―水を掬すれば月手に在り、 花を弄すれば香衣に満つ―
という言葉があります。この言葉は、 もともとは中唐の詩人 ・ 于良史の 『春山夜月』 という自然を愛でる詩の 一節です。禅語として用いられる場合の意味としては、 『両手で水を掬えば、 天空の月さえもただちに私の掌の中に入って自分とい っしょになる。一本の菊の花でも手に持って楽しめば、 その香りが衣服に染み込んでくる。自分と月、 自分と花とは別物でありながら、 簡単にひとつになることができる、 真理を手にできる』 という意味のようです。
 水に月が映る描写は、 棚田を写真に撮っている私には 「田毎の月」 を連想させます。天空の月が田んぼの水の中で融け合い、 ひとつになる、 というイメージは素晴らしいものです。ただし、 そこには簡単なアクシ ョ ンが必要です。 手で水を掬わなければならないし、 花を手に持たなければなりません。つまり、 より自然との 一体感を得たければアクシ ョンが必要だ、 という意味ですが、 難しいアクシ ョ ンではありません。
 旧暦棚田ごよみも、 ただ飾っておくだけよりも、 実際に使ってみるというアクシ ョンを起こすことで、 「自然は自分の中に在る」 ことになるのではないかなと思います。
  「旧暦棚田ごよみ」 は太陽暦 (新暦) に慣れている人にとっては、 正直使い づらいものです。でも、 使い づらい ことが、 かえって日付や季節や月の満ち欠けを意識させてくれます。その気づきがアクシ ョ ンにつながるのではないでしょうか。
(Prologueより)

 

 

 

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2020/10/26

テレビ朝日「食彩の大国」で、姨捨の棚田「田毎の月」の映像

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テレビ朝日「食彩の大国」2020年10月31日(土)午前9:30~9:55

今回、第855回< 新米 > では、長野県千曲市姨捨で、「先祖代々棚田を守ってきた名月会のみなさんを中心に、困難を乗り越え、全国からオーナーが集まる人気の棚田になるまでのストーリをが紹介」されるそうです。 

その中で、姨捨の棚田で撮った「田毎の月」の映像(動画)も使われる予定です。

「田毎の月」とは?

「田毎の月」という日本人の心象風景(2013/05/22) 

 

 

 

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2020/10/18

今日から二十四節気「寒露」、七十二候「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」

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今日から二十四節気「寒露」、七十二候「蟋蟀在戸」です。いよいよ秋めいてきました。暑くなくなってきたのは個人的にはいいことです。

先日、日比谷公園で撮影がありましたが、噴水の隣、普段は入れない第二花壇の芝生地が「芝生でカフェ」として開放されていて(入るときはアルコール消毒と検温はありますが)、ここで撮影できたのはラッキーでした。

 https://www.visit-chiyoda.tokyo/app/event/detail/339

「日比谷公園の真ん中で、密を避けての安心ピクニック」とうたっています。緑のじゅうたんに椅子やテーブルが置かれていますがこれも良かった。赤とんぼが止まっていました。

赤ちゃんを芝生に座らせたり、両親に抱っこしてもらい、3人での家族写真を撮影したり。

これは「期間限定」とかスタッフが言っていたようですが、いつまででしょうか。写真撮影にもすばらしいロケーションです。調べてみたら、2020年10月21日まで、10:00~15:00だそうです。大都会の真ん中んで、これだけの広さの芝生地はなかなかないです。

それと、日比谷公園の隣、皇居前広場も、今、人が少なくて撮影には良かったですね。

そのうち紅葉の時期になりますが、それもまたすばらしいロケーションになりそうです。

 

 

 

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2020/10/02

2020年秋、犬連れ車中泊の撮影旅(01) 静岡県松崎町 石部の棚田

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旧暦棚田ごよみ、2021年(令和3年)版、現在作成中です。もうしばらくお待ちください。

ところで、2022年(令和4年)版は10周年ということで節目の暦になる予定ですが、それに今回撮影した石部の棚田が載るはずです。

数年前から石部の棚田の写真を希望されていたのですが、どうもタイミングが合わず、毎年行きそびれていました。10年ほど前に一度行ったきりです。それで稲刈り直前の晴れの日を狙って伊豆半島に出かけました。

夕方のちょうどいい光線が入って、黄色い稲が輝いていました。富士山は雲で見えませんでしたが、海は見えました。彼岸花も残っています。暦用の写真には良かったのではないでしょうか。

ところが、天気が良すぎて、暑い中歩いてしまい、ちょっとした熱中症気味。日陰に入って水を飲み、首には水で濡らしたハンカチを巻いて、なんとか頭痛が収まるのを待ちました。

日が暮れると、急に涼しくなりました。このあたりは夏と違います。

 

 

 

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2020/09/23

【犬狼物語 其の五百二十二】 痼魯難(コロナ)収束祈願のお犬さま(狼)、183体

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「痼魯難(コロナ)収束祈願のお犬さま(狼)」 として、全国の狼像をアップしてきましたが、半年(183日)経ったので、ここで区切りをつけたいと思います。

この半年で新型コロナウイルスの性質もわかってきて、ウィズ・コロナの新生活をしていかなければならないことを悟りました。

つまり「終息」はないということです。そして、ワクチンなり特効薬が開発されて、普通のインフルエンザや風邪のように、みんなが気にしなくなった時点で「収束」するウイルスのようです。

昨日までの4連休の全国各地の様子を見ていると、「収束」と言ってもいいような雰囲気ですが、内実は、ウィズ・コロナの新様式を守っていて、まだ完全な「収束」とはいきません。

これはもはや「災害」ではなく「環境」と言ってもいいようなものです。コロナが日本でも流行り出したころ、俺は『ウォーキングデッド』状態と書きましたが、やっぱりそうなりましたね。周りにゾンビがいても、ゾンビの性質を知り、近づかなければ、何とか生き残れます。(ゾンビの首を落とすという行為は必須ですが) 『ウォーキングデッド』でのゾンビが周りにいるのは「環境」です。その「環境」に適応できる人間だけが生き延びることができます。それが新型コロナの蔓延する世界では、ウィズ・コロナ。

これからまた波が来ることが予想されます。だから「コロナ収束祈願のお犬さま」を再開することもあるかもしれません。

 

 

 

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2020/09/04

「思い出」は「物語」

03_20200822074101 (タイ・パーテム Pha Taem 壁画の魚)

 

『中国辺境民族の旅』など、今年になってから昔の日記や原稿を読み返しましたが、人の記憶は当てにならないなぁとつくづく思います。記憶のいい加減さについては、心理学でも勉強したので、今さら驚きもないのですが、けっこう自分の都合のいいように変わっているのを感じます。

つまり、思い出というのは、けっしてその人の「客観的史実」ではなくて、どちらかというと「物語」に近いのではないでしょうか。すでに何度か書いていますが、「物語」が人の心には必要なのだということでもあるのでしょう。

昔、アメリカ映画で『ビッグ・フィッシュ』(2003年)というのがありました。

エドワード・ブルームが語るお伽話でみんな幸せな気分になるのですが、彼の息子だけは、単なるホラ吹きだと思って嫌っていました。でも、父親の余命わずかとなったとき、ホラじゃなくて事実もたくさんあったんだ、そして父親の生涯が幸せなものだったんだと知り和解する話。父親が家を留守にしがちだったのは、母親のほかに、外に女がいるからだろうという誤解も解けるのでした。いい映画でした。

それにしても、エドワード・ブルームの、話を大きくして語る性格は、とってもわかります。事実を事実としてだけ話をしても、つまらないと俺も思うようなところがあります。教科書じゃないんだから、多少の誇張はあってもいいと思うし。ただ、行き過ぎると、「嘘」になってしまうので、そこのバランスは難しい。どれくらいまでが「ビッグ・フィッシュ(大きな魚)」と言っていいものか。

タイのパーテム国立公園には、古代の壁画があります。ここに大きな魚の絵もあります。人型と比べると、かなり大きな比率で描かれています。「ビッグ・フィッシュ」です。(海ではないのでクジラではなく、せいぜい河イルカかもしれませんが) でも、たぶんこれを描いた古代人のイメージとしては、こういう感じだったのでしょう。「大きいなぁ」というイメージ。比率的には「嘘」かもしれませんが、古代人の心の中では真実です。

正直言うと、俺もノッテくると、「おおげさな話」から「嘘の話」になっていく微妙なところがあります。言ったあとに「おおげさだったな」と内心後悔しながらも、相手が信じてしまっているのを、今さら否定するのもなんだなぁと考えて、そのままにしておくと、聞いた人の誇張なども追加されて、話に尾ひれが付き(それこそビッグ・フィッシュですね)、そのことが俺を縛ってしまって、辛くなるという悲劇も起きます。

ただ思うんですよね、というか、半分言い訳ですが、物事の真実を伝えたいと思ったとき、嘘を言ったほうがいいときもあると。たとえば、小説なんかも、考えてみれば「嘘」なわけで。そういう「嘘」でしか伝えられない「真実」というものもあるような気が・・・・。

同じことなら、楽しく、面白く生きたいなと思っているだけです。現実は、ドラマチックでもありません。その淡々とした日常に耐えられない「弱さ」といったらいいか、それもないと言ったら嘘になるかもしれませんが。

俺たちは日々物語を生み、それを蓄積しながら生きているんだなぁと思います。 都合の悪い部分は忘れ、都合のいい部分は強調して、話を自分の中で構成し直し、新しい物語を作っています。楽しい思い出だけじゃなくて、辛い思い出、悲しい思い出も、たぶん、自分にとっては大切な物語なのだと思います。

 

 

 

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2020/08/21

2021年版「旧暦棚田ごよみ」プロジェクト始動

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来年(2021年)版「旧暦棚田ごよみ」プロジェクトが始動しました。

来年で9回目になります。もう一年経ったんだなぁと思います。

でも今年はちょっと違います。特別の緊張感のようなものがあります。コロナ禍で、棚田撮影にも支障がありますが、なんとかいい暦を発行したいと思っています。

発行は11月ころです。しばらくお待ちください。

 

 

 

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2020/08/10

今日は、山の日

131008(ポカラ郊外ダンプス ヒマラヤの山々)

 

130925_1(カトマンズ スワヤンブナート)

 

130925_3(カトンマンズ スワヤンブナートから見た旧市街)

 

131011_4(カトマンズ タメル地区)
130927_1(伝統的なネワール料理)

 

131018_8(ポカラ郊外ダンプス ヒマラヤの山々と棚田)

 

131002_1(ポカラ郊外 棚田)

 

 

今日は「山の日」だそうです。写真は数年前に行ったネパールの写真です。

神々しく輝く早朝のヒマラヤ山脈。ふもとまで続く波打つ棚田。ヒンズー教、チベット仏教などの宗教が息づく町や村々のたたずまい。すばらしいところです。

エベレストは、サンスクリット語で「サガルマータ」、「大空の女神」という意味です。アンナプルナは「豊穣の女神」という意味だそうです。ネパールでも、山は女神だったようです。日本でも山の神が女神(が多い)だったことは、先日「山の神」にも書いた通りです。

最近、狼信仰を調べていて、だんだん山への関心が高まってきました。と言っても「登山」ではありません。基本的に、俺は山登りがそれほど好きではありません。ただ、目的があって、山に登らざるをえないから登っているだけです。

ネパールでも、棚田が目的だったので、稲作の高度限界、ダンプス村あたりまでしか上りませんでした。チベット高原の5000メートルに近い山に登ったときも、メコン源流を探すためであって、登山がしたかったわけではありません。

俺にとっては、「山」は、むしろ下から見上げて満足するものです。これは山への信仰心のあり方と関係するのかもしれません。人によっては、もちろん頂上を征服することが山への信仰心なのかもしれないし。

山は狼の生息場所でもあったので、「山」と「狼」は、切っても切れない関係ですが、どうして日本に狼信仰が生まれたかを考えると、山への感謝=信仰抜きにしては成り立たないことをあらためて知ることになりました。

今までの俺の理解では、狼は、田畑を荒らす鹿や猪から守ってくれる益獣であることから、つまり「農耕の守り神」として狼信仰は始まったという説は、いろんな本に書いてあることだし、俺も、その説に従って、いろんなところに書いてきたのですが、そうすると、狼信仰は人々が定住して農作物を作るようになった後に始まったことになります。

秩父でお犬さま(御眷属様)信仰が始まったのは、享保5(1720)年、三峯神社に入山した大僧都「日光法印」が、境内に狼が満ちたことに神託を感じ、「御眷属拝借」と称して、山犬の神札の配布を始めたのが最初だと言われています。もちろん、このときはすでにそうだったのでしょう。

でも、狼信仰のルーツは、太古の昔にさかのぼるらしいのです。まだ日本列島に住む人たちが山で主に狩猟採取をしていた縄文時代、あるいは、もっと昔まで。

国や民族を越え、ある意味、人間の根源に迫った狼信仰のルーツを求めることは、意外にも、自分の内なる宇宙、深層心理につながるという予感がします。 

 

 

 

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