カテゴリー「旅(外国)」の373件の記事

2018/03/14

音楽ドキュメンタリー映画『チョーミン楽団が行く!』の上映会

(YouTubeより)


ミャンマーに住む友人のフォトグラファー後藤修身さんが関係している音楽ドキュメンタリー映画『チョーミン楽団が行く!』と写真展の情報です。

後藤さんたちの写真展は3月21日から4月22日まで開かれています。


上映会『チョーミン楽団が行く!』
日時:2018年3月21日(水祝) 15:00~17:00 
   ※30分前開場 上映後トークあり
場所:横浜市栄区小菅ケ谷1-2-1
   神奈川県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)5階 映像ホール
   JR根岸線 本郷台駅すぐ近く
参加費:大人400円、小中学生100円
定員:当日先着120名の定員に達した場合、入場はできませんので、あらかじめご了承ください

※写真展は3月21日から4月22日まで行ってます。

詳しくは、こちらをご覧ください。

http://enjoy-yangon.com/ja/enyanblog/302-kyaw-min-hsaing-movie-and-photo
 
 
 
 
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2018/02/05

『ハッピーフライト』を観たらDRD4-7Rがうずきだした

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綾瀬はるかが新人CA役を演じる『ハッピーフライト』をまた観ることができて、ハッピーになりました。

「飛行機もの」は全般的に好きですが、これは飛行機を飛ばすにはいろんな人が関わっているんだなぁとわかるところも面白いし、綾瀬はるかの新人ぶりが可愛らしいし、観ているとうきうきしてきます。

ホノルル便は機体の故障で戻ってくるという、考えてみれば深刻な話なんですが。深刻な話を楽しい映画に仕上げるという神業が光る作品です。

また、最近では機内でキレる乗客が問題になっていますが、映画でも、その問題を先取りしているようなシーンが登場します。

CAは緊急事態にはサービススタッフから、保安スタッフに変わるんだなぁとわかりました。こんなキレる男どころか、最近では暴力をふるう乗客もいるので、保安スタッフとしての訓練も積んでいるんだろうと想像します。

毅然とした態度のチーフパーサーの寺島しのぶはかっこよかったです。


ところで、ヴィーノのせいにはしたくないのですが、最近、外国旅行をしていないので、特にうきうきしたのかなぁと思います。

「ワンダーラスト Wanderlust 」のDNAがうずきました。前も書きましたが「ワンダーラストは「頭がおかしくなるほど旅に出たくてたまらない!」という病気らしい。

世界人口の20%がかかっている「病気」- ワンダーラストとは?
ハフポスト日本版 http://www.huffingtonpost.jp/triport/wanderlust-trip_b_7953888.html

俺は完全に「ワンダーラスト」なんですが、たぶん、旅に出たくなることがない人が読んだら、「なんておおげさなんだ」と思われるかもしれません。でも、この病気にかかっている人にとっては大問題なのです。

ワンダーラストには「DRD4-7R」という遺伝子がかかわっているそうです。このDRD4-7Rを持っているのは世界人口の20パーセント程度。

それにしてもなんですね、記事の最後にある文には苦笑です。

「その気持ちに共感することはできないかもしれませんが、その人を大切に思うならぜひ理解してあげてください。」
 
 
 
 
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2018/01/11

ニッポン放送 上柳昌彦 あさぼらけ 『あけの語りびと』で紹介されました

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ニッポン放送 上柳昌彦 あさぼらけ 『あけの語りびと』で、「数奇な縁から犬と家族になり犬像の本を出版した写真家」として紹介されました。

HPはこちらです。(音声も聴くことができます)

http://www.1242.com/lf/articles/86262/?cat=entertainment,life&pg=asaborake&feat=akenokataribito

https://soundcloud.com/shovel_jolf/asw1pkzmqr8j


中国で犬に咬まれてから犬恐怖症になりましたが、妻の実家のビーグル犬で恐怖症をリハビリし、ヴィーノといっしょに暮らすようになり、そして日本一周の車中泊の旅に出たこと。

戌年生まれだったことを先日のインタビューまで忘れていましたが、俺は、意外と犬に縁のある人生を送っているんだなぁとあらためて思います。

犬恐怖症の人間が犬と日本一周し、犬の本まで作ってしまいました。「数奇な縁」と言われるのも、なんとなくわかる気がします。

ヴィーノが網走市 で行方不明になり、2時間後見つかった話。自分の話なのに感動してしまうのは、上柳昌彦 さんの語りのおかげですね。

この写真は、網走郊外の能取岬で撮ったもの。この夜、ヴィーノが行方不明になりました。本当にいまも、この時ヴィーノが見つからなかったらどうなっていたんだろうと思います。
 
 
 
 
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2017/12/03

2018年は戌年 「犬・戌・狗」のトンパ文字

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恒例ですが、来年2018年の干支「犬・戌・いぬ」のトンパ文字デザインをアップします。

今年は事情があって年賀状作成時期には遅すぎたようで申し訳ありません。

なお、年末に向けて、デザインを増やしていく予定です。

トンパ文字(東巴文)は中国雲南省北西部、麗江を中心に住むナシ(納西)族に伝わる象形文字です。
 
 
 
麗江は、中国雲南省の西北部、チベット高原の東南端に位 置します。省都昆明から約600キロ、飛行機と車を使えば2時間で到着します。

麗江を象徴する玉龍雪山を望む平地では、水稲、とうもろこし、小麦、そらまめ、大豆などが主に栽培されています。他に換金作物としての綿花、麻、油菜、唐辛子も作られています。雪山に近付くにつれて、耕作地には適さない土地になり、牛、山羊などの放牧が細々と行われています。

十数年前の時点では、住民の57パーセント、約17万人がナシ(納西)族で、その他、漢、ぺー、リス、イ、プミ族などが住んでいます。麗江が世界遺産になってからは主に商売目的で漢族が多くなったので、57パーセントは変化しているかもしれません。

ナシ族の祖先は古代中国の西北部に住んでいた遊牧民羌族で、その中の一派が南遷し、やがて現在の麗江に住むようになったと考えられています。

ナシ族は千年あまり前、表意象形文字を作り出しました。この象形文字で、民間故事伝説、宗教経典などを著しました。とくに、この文字は、トンパ(東巴)教の経典を書写 するのに用いたところから「東巴文(トンパ文字)」と呼ばれます。ナシ語では「ソチォ・ルチォ」(樹の記録・石の記録)と呼び、千数百種類(1200~1300とも言われる)の文字があります。

トンパ(東巴)教は、ナシ族の原始宗教で、太陽、月、星、山、水、風、火などの自然物を崇拝し、万物に霊魂がやどると信じられていました。 唐の時代から、ナシ族とチベット高原の吐蕃とは頻繁に接触があり、トンパ教は、チベットのボン教の影響、および仏教、道教の影響も受けているといわれます。冠婚葬祭や、病気の時や、邪気払いの時は、トンパを呼んで儀式を行ってもらっていました。トンパは、宗教儀式を司る祭司のことで「智者」を意味します。しかしこの宗教も、1950年代からだんだん廃れていきました。

トンパ文字で著したトンパ経典は現在でも、中国内外に2万冊ほどが残っています。経典の内容は、宗教、民俗、歴史、文学、天文歴法、哲学など多岐にわたっています。古代ナシ族の「百科全書」と呼ばれるゆえんです。

宗教儀式同様、今ではこのトンパ文字を読める人間もほとんどいなくなってしまい、トンパ文化研究所を中心に保存活動が行われているところです。

でも、最近ではトンパ文化が見直されて、学校でも教えられているというニュースを見たので、これからもトンパ文字は生き続けていくかもしれません。
 
 
 
 
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2017/10/09

『Fに』 ― 追悼 藤田基夫 ― 10月16日よりgalerie OUで

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『Fに』 ― 追悼 藤田基夫 ―が開催されます。

藤田さんとは1986年ごろ香港で初めて出会ってから、頻繁に中国各地で会うことになり、日本に帰国した時も、写真展などで会う友人になりました。

その藤田さんとは、この8年くらいご無沙汰してしまって、2015年4月に病気で亡くなっていたことも、共通の友人から、去年聞いて、初めて知ったのでした。

今回、追悼展を開催するということで、追悼文を書かせていただきました。

なお、掲載の写真は、藤田さんと出会ったとき、1986~8年ころの香港の写真です。この写真を藤田さんに捧げたいと思います。
 
 
 
タイトル: 『Fに』 ― 追悼 藤田基夫 ―

会期: 2017年10月16日(月)~10月21日(土)
     12:00~18:00
     * 入場無料

場所: galerie OU (ぎゃるり うー)
     大阪市中央区谷町1-3-1  双馬ビル9F
     06-6941-5587

内容予定: 故藤田基夫氏の作品、遺品、および資料(著作、写真、図録など)の展示
        友人有志による追悼展(オマージュ作品、追悼文、メッセージなど)

主催: 『Fに』実行委員会

Fujitasan
 
 
 
以下、藤田さんへの追悼文です。

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旅人同士とは、不思議な関係だなぁと思うことがあります。旅先で偶然に出会って、名前も出身地も職業も、何も知らないのに、意気投合し、会話に花が咲くことがあるからです。藤田基夫さんも、そんな人でした。

藤田さんに初めて出会ったのは香港のラッキーゲストハウスという安宿だったと思いますが、その後も80年代後半から90年代初めにかけて、頻繁に中国や香港で出会っていました。

何度も会ううちに藤田さんが鎌倉に住んでいることや芸術家であることを徐々に知っていったのです。でも、私にとっての藤田さんは「共感できる旅人」でした。肩書や出身地や年齢にもこだわらず、現地の安い食堂でいっしょに食事をしたり、町から山道を何時間も歩いて少数民族の村を訪ねたり、旅の失敗話をしたり、ということが楽しかったのです。

「芸術がどうの」とか「写真がどうの」とかいう話をした記憶はありません。もちろん帰国した時には私の写真展にも足を運んでくれましたが、あくまでもお互い「旅人同士」という関係性だったのではないかと思うし、それが藤田さんの人間性でもあった気がします。でなかったら、長く付き合うことはできなかったのではないかなと。

藤田さんと共有できた中国での時間は、私にとって、今はたいせつな宝物となっています。
 
 
 
 
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2017/07/26

イラン映画 『ボーダレス ぼくの船の国境線』 を観て

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第27回東京国際映画祭で、「アジアの未来部門」の作品賞を受賞したイラン映画『ボーダレス ぼくの船の国境線(原題:Borderless)』を観ました。

政治的メッセージが難しいイラン映画では、子供が主人公の映画が多く(そうならざるを得ないところもあり)、これもまた子供目線の映画の一作品ということでしょう。

「イランとイラクの国境付近の川に浮かぶ一隻の古ぼけた船。そこに住む少年と侵入者たちの言葉を越えた交流を描いた感動作。ペルシャ語、アラビア語、英語を話す登場人物たちは、最初から最後まで言葉によるコミュニケーションをとることができない。1980年代のイラン・イラク戦争後、今もなお紛争が続く中東の厳しい現実がリアルに描かれる一方で、時代設定や彼らの国籍、年齢について、映画は多くを語ろうとしない。また、プロの役者でなく地元に住む素人の子供たちを起用することで、彼らの豊かな表情と身振りを見事に描きだしている。」(Lucky Nowの「【ボーダレス ぼくの船の国境線】子供が主人公の名作が多いイラン映画」から引用)

この映画を観て、韓国映画『トンマッコルへようこそ』を思い出しました。

韓国軍兵士、北朝鮮軍兵士、アメリカ軍兵士が、偶然にも、桃源郷の村「トンマッコル」に迷い込み、最後は、村を守るという話です。「殺しあう」「闘う」ことが馬鹿らしくなるほど、村人は素朴で善良です。実際兵士たちは、敵ながらも、お互いを認め合うようになります。

『ボーダレス』でも、国境の廃船で3人が出会いました。主人公の少年はイラン人、赤ちゃんを連れた女の子はイラク人、そして脱走兵らしいアメリカ人。

3人はそれぞれ「敵」でもあるわけです。偶然この廃船で出会い、つかの間、3人の共同生活が始まります。そこが『トンマッコルへようこそ』と似た状況です。

誰のための戦争なんだろう?と考えてしまいます。戦争は国対国でやっているだけ。この3人にとっては迷惑な話でしかないということです。

イラクの少女は、アメリカ兵から村を焼かれたらしく、最初このアメリカ兵に憎悪をむき出しにしますが、このアメリカ兵がやったわけではなさそうです。少女はそれに気が付きます。ひとりの「人」として見えるようになり、「敵」というレッテルは取れました。それからだんだん心を通わせるようになっていきます。

またこの映画では、あまりセリフがありません。まぁ、実際、こんな状況だったら、言葉は無意味です。むしろ表情や身振り手振りが大切です。言葉が通じなくても、心は通い合うということはよく言われますが、俺も外国旅行での体験からそれは感じます。言葉が逆に障害になることもあります。

セリフが少なく静かな中、船の床板や部品の金属音が擦れ合い、ギシギシした音だけが耳障りです。はっきり言って不快でした。

でも、そこに、かえって子どもたちの置かれてる環境(戦争状態も含めて)の過酷さ(痛さ)が表現されているのではないかと思いました。鉄の船の中で裸足で生活するすることを想像するだけで、痛さが伝わってきます。

唯一、アメリカ兵のキャスティングはこれでよかったのかなぁと疑問が残ります。マッチョで少し怖い感じなのです。

じゃなくて、もっと細面の優男であったら、子供たちの恐怖心も薄れたのではないかなと思うし、本人がこの戦争に嫌気がさして脱走することにした事情も、もっと説得力を持った気がするのですが。
 
 
 
 
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2017/07/16

仁科邦男著 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』を読んで

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仁科邦男氏の本には、お世話になっています。

『全国の犬像をめぐる』でも、お伊勢参りや金毘羅大権現へお参りした代参犬「おかげ犬」や「こんぴら狗」の章では、『犬の伊勢参り』、『犬たちの明治維新 ポチの誕生』が大変参考になりました。

そして今回読んだのは 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」という言い回しが気になって著者は長年調べてきたそうです。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」とは、「伊勢屋」という屋号の店や「稲荷神社」など、江戸に多いものを並べたもので、実際、江戸後期は犬だらけで、犬のウンチも多かったようです。

意外なものが最後に来ていることと、伊勢屋の「い」、稲荷の「い」、そして犬の「い」と、韻を踏んだところが面白い。多少の皮肉やからかいの気持ちも入っているようです。

だからこれは江戸の人間が当時言っていたことではなくて、明治になってから、江戸を懐古して言われ始めたようです。

犬のウンチを踏んで最悪な気持ちになるというのは、俺も実体験があるのでよくわかります。

今はどうなのか分かりませんが、30年前、フランス・パリで、日本レストランのギャルソンとして3か月間ほどアルバイトをしていた時は、よく踏んじゃっていました。踏むだけならいいのですが(それだけでも大変ですが)、それが滑るのです。滑って転んだりしたら最悪です。

パリは犬のウンチが多い街だとわかってきましたが、初め、信じられませんでした。まさか、この華の都、おしゃれな街パリが、犬のウンチだらけだったとは。ガイドブックにも書いてなかったし、兼高かおるさんもそんなこと言っていませんでした。

最先端ファッションに身を包んだ女性が、シャンゼリゼ通りで立ち止まって、ハイヒールの裏側に着いた犬のウンチを木の枝で取っているところを目撃し、俺は、見てはいけないものを見た気がしてショックを受けたのでした。

高学歴で優秀で弱い人の味方を標榜していた自民党の豊田真由子衆院議員が、裏では「ハゲ~ッ!」「違うだろ!」「このボケ~ッ!」などと、秘書たちに罵声を浴びせていたことが話題になっていますが、パリの犬のウンチは、それに劣らずですね。

江戸では犬は地域犬として、自由に走り回っていたし、その犬のウンチは、人糞や馬糞と違って肥料にもならず、放置されていたようです。乾燥して風で飛ばされ、雨で流されて、自然になくなっていたので、あえてウンチを取る人もいなかったのでしょう。

ところで、この本の中に、もう一つ、面白いなぁと思ったところがあります。それは「お魚くわえたどら猫、追いかけて~」という歌がありますが、江戸で魚をくわえて逃げるのは犬だったようで…。

「神奈川横浜新開港図」という絵には、魚をくわえた犬が天秤棒を持った魚屋から追われているシーンがあります。これって、今なら犬じゃなくて、猫だよなぁ。

江戸の人たちは、犬の好物が魚だと思っていたらしいのです。実際、犬は、魚の頭などの残飯を食べていたということもあります。タンパク質といえば、当時はほとんど魚だったでしょうし。

綱吉時代、中野に犬屋敷「お囲い」が作られましたが、収容された犬には、白米と生魚までふるまわれていたといいます。贅沢料理と運動不足で、死んでしまう犬がたくさんいたそうです。贅沢が幸せかどうかわからない、という話にもなっています。
 
 
 
 
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2017/06/28

パスポートの要らない外国旅行 「西川口の巻 3」 タイ屋台料理のカウケン

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パスポートの要らない外国旅行「西川口の巻 3」は、タイ屋台料理の「カウケン 」。

ここは義理の妹夫婦行きつけの店で、以前から俺も知っていた店ですが、今回はようやく「カウケン」に入りました。

「屋台料理」でもあるので、せっかくなので店の前のテーブルで。

いろいろとタイ料理は食べてきましたが、やはり、ここのは日本人にこびていない、タイ人のための味付けで、好きな人は好きな店だろうなと思います。とくに妹夫婦のようなタイにはまっている人たちには。そして俺たち夫婦も。

だから、洗練された口当たりの良さというものよりも、じゃっかん味に雑味を覚えます。でも、そこに言いようのないタイの風土を感じさせます。この雑味があるからこそ好きになるのかもしれません。

例えが適当かどうかわかりませんが、音のハイパーソニック効果みたいなものでしょう。CDには人間の耳には聴こえない(聴こえづらい)超高周波数の音が抜け落ちていますが、実際の生演奏では、そういう超高周波も多く含まれています。でも、その超高周波が心と体に良い作用をもたらすという効果です。

だから洗練された日本風タイ料理というのは、この超高周波を除いて「きれいな音」にしたCDみたいなもので、そういう「きれいな味」を求めてやってきた人には「カウケン」の味がどう感じるのか、ちょっとわかりません。実際、「口コミ」には、この点に不満だったらしい客のコメントもあります。

とにかく、タイや東南アジアが好きな人なら、絶対満足する、お勧めの店です。

最初は「ネーム」の和え物と生ビールで乾杯。「ネーム」は、タイに行ったら必ず食べる酸っぱい味の豚肉を発酵させたハムで、これがビールによく合うのです。

鶏肉の「ラープ」といっしょに食べるもち米のおこわ「カオニャオ」も懐かしかったし、最後の「プーパッポムカリー」は、殻つきの渡り蟹がたっぷり入ったタイ風のカレーです。これもうまかった。
 
 
 
 
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2017/05/24

中国で日本人が多数拘束されているというニュース

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中国で拘束されている日本人のニュースです。

俺も軟禁されたことがあるので、他人事ではありません。怖さがジワーッと蘇ります。

天安門事件の翌年1990年、雲南省でのことでした。今とは事情が違っているでしょうが(インターネット、コンピュータも導入されている)、ただ、同じ部分もあるのではないかと想像します。

中国では、「身分外活動」でも捕まってしまいます。たとえば、観光ビザで入った観光客が、市場で物の値段を聞いたりしたとき、「取材活動」とみなされるようなときです。観光ビザで入って取材や仕事をしてはいけないのは日本も同じことなので、この点では、中国独特とはいえないかもしれません。

何が中国独特なのかというと、問題は、その「取材活動」の範囲があいまいなことです。あいまいで、堺がないから、逆に誰でも拘束されてしまうという恐ろしさがあります。要するに、捕まえようと思ったら、どんな理由でもできてしまうということなのです。

しかも最近は反スパイ法もできて、密告制度もあるということなので、じゅうぶん注意しないとだめでしょう。反スパイ法の中には、「その他のスパイ活動」という項目があります。つまり「何でも」ということなのです。

軍事施設などを撮影するのは論外ですが、独龍江に行ったとき、ガイドを付けていたのですが、貧しい村や村人の写真は問題なかったのに、地層などが含まれる風景はダメだと、注意されたことがありました。

自分では単なる独龍江の風景写真のつもりで向けたカメラを制止されたのは、河岸に地層が見えていたからでした。あと特別な植物もダメだったように記憶しています。

そういう体験から想像すると、今回拘束されている日本人の中で、温泉探査に関わる仕事をしていた日本人がいるので、そこはかなり神経質になる部分かなと思います。これをスパイ活動とみなされると危ない。拘束された日本人は、どんなビザで中国へ行っていたのでしょうか。

そして俺が軟禁されたのは、こんな状況でした。

たしかにミャンマーの国境にも近かったので、祭りの写真を撮りに行ったことがスパイ活動ではないかと疑われたようでした。パスポートを取り上げられて、2日間、公安局の隣の旅社に軟禁されました。

実は、神経質になっていたのは、前年の天安門事件に関係した学生が雲南からミャンマーに逃げるルートでもあったらしいのです。

だから俺の日記を見て、あるページに「学生」とあり、どこか別なページに「民主化」という漢字を見つけて、公安はむりやり2単語をくっつけて「お前は、民主化の学生と関係しているんだろう?」というのです。

取り調べでは、「正直に言わないと、日本に帰れないぞ」と脅されたことが、一番の恐怖でした。あとで冷静に考えれば、そんなことはないと分かるのですが、取調では厳しい公安Aと、優しい公安Bが、交互に質問してくるのです。厳しい方のAが席を外した時、すかさずBが優しく自白を強要するのです。

まるで刑事ドラマと同じだなと思いましたが、優しいBから、「あの人(A)だって、悪い人じゃない。正直に言えばすぐ日本に帰れるんだから」と言われると、思わず、「関係ある」と認めてしまいそうにもなりました。

よく日本でも自白して冤罪を生むことがありますが、よくわかります。情報を遮断され、厳しいAから「帰れなくなるぞ」と脅され、優しいBに「早く帰りたいでしょう?」と(偽りであっても)同情される、これが永遠に続くのではないか、本当に帰れなくなるのではないか、と思い込むようになっていくのです。そして、ついBの優しさにホロッとしてしまう。これは心理学的にも、今なら俺も理解できます。

助かりそうだと思ったのは、こんなことを言われたからでした。

「お前の日記を読めるコンピュータが中国にはあるんだ。嘘をついてもわかるんだ」と脅された時、「あぁこれははったりだな」と確信しました。汚く崩した俺の日記の文字を読めるコンピュータなんて、どこににもないからです。たぶん、いまだにないでしょう。

公安は攻める部分がなくなってきたので(学生と関係あるという証拠が出てこないので)、こんな苦し紛れのことを言い始めたんだろうと、俺は内心、安心したのでした。

実際、スパイ容疑は晴れたのか、3日目には開放されました。ただ中国を出国するようにビザの期間を短縮されました。雲南の奥地だったので2週間の猶予期間をくれたのは、当時の中国だからでしょう。今なら、2日で出国できます。

こんなふうに、「スパイ活動」かどうかは、現地の公安の判断次第ということなのです。どんなことでも「スパイ活動」にされてしまうという怖さが中国にはあります。

観光客だからと言って安心できません。とくに「観光ビザ」だけの場合は。「スパイ活動」ではなくても「身分外活動」で捕まる可能性もあるからです。
 
 
 
 
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2017/05/06

『メコンを流れる』、ゼロメガで電子書籍化

170506(青海省玉樹藏族自治州雑多県莫雲郷 メコン河源流域で暮らすチベット人家族)


『メコンを流れる』が電子書籍化されることになり、あらためて校正しながら読み直しました。

NTT出版から単行本として出たのは1996年です。もう21年も前です。

メコン河をテーマにし始めたころは、東西冷戦が終わった直後で、そのために、ベトナム、ラオスなどにも外国人が旅行で入れるようになってきたころでした。

ただ、まだ自由に旅行することはできなくて、ガイドといっしょに周った思い出があります。その後、あれよあれよという間に経済発展と自由旅行が同時進行し、風景と人々の様子が一変しました。

その激動の時代を、メコン河の源流から河口まで旅した旅行記です。同時に出版したのは写真集『メコン河 アジアの流れを行く』でした。

メコン河の源流に行ったのは、アメリカのナショナルジオグラフィックの記者・カメラマンの次でした(日本人としては初めてだったかもしれません)。現地に行ったら「だれもメコンの源流を探したことがない」ということを初めて知ったのです。1992年の夏でした。

黄河や長江(揚子江)の源流は調べられていたのに、1990年代半ばまで、メコン河の源流は調べられていませんでした。もちろん現地チベット人は源流で暮らしていましたが、彼らは現地で「ザナチュ」と呼ばれている川が、大河メコンだと、それほど意識していたとも思えません。

どうして1990年代まで調べられていなかったかというと、中国人(漢族)にも、メコンは少数民族が住む地域を流れる秘境で、経済的、文化的価値はほとんどなかったのでしょう。

今では、東南アジアに向けての、交通路と捉えられて価値が出てきましたが、昔は違いました。だから中国人も、メコン河の源流がどこかなんて興味を持たなかったようです。(植民地時代、フランス軍が下流から雲南を目指して遡りましたが、チベット高原までは行っていません)

1992年(あるいは1994年。2回行っているので、どちらだったか)の夏、源流域から戻ったザードゥ(雑多)の町では、これから源流を科学調査するという日中合同隊と出会いましたが、俺の存在ははあまり良く思われていなかったようで、後日、彼らが書いた週刊誌の記事には、「我々の先に来ていた日本人(俺のこと)が現地の物価(たぶんウマやヤクのレンタル料)を値上がりさせた」といった内容の、批判めいた文章を書かれました。

でも、俺はひとりで来ていたのに、彼らは大所帯なんです。彼らのグループが、地元に与えている影響は、俺と比べて歴然の差でしょう。「探検隊」というのは、なんて大げさなんだと思ったものです。それに引き換え俺はなんて身軽なんだと。

たぶん、俺がいたことで、彼らが「一番乗りした日本人」ということを公言できなくなったことに対しての、恨み節だったのではないかなと、悔しいので、そう思うことにしました。

別に、彼らが「一番乗りした日本人」を自称しても、俺は文句は言いません。

そんなことを思い出しながら読みました。



メコンを流れる(上)

 
 
 
 
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