カテゴリー「旅(外国)」の150件の記事

2009/03/17

映画 『イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD』 を観て

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実話を基にした、2008年アカデミー賞ノミネート作品。

『イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD』
 監督・脚本 ショーン・ペン
 主演 エミール・ハーシュ

を観ました。

『イントゥ・ザ・ワイルド』オフィシャルサイト

1992年、アラスカの荒野で若者の死体が発見されました。その謎を追った本『荒野へ』が、大反響を起こしたそうです。その読者であったショーン・ペンが映画化を決めました。

なぜ、高学歴で裕福な、一見何も不自由のない若者が、アラスカの荒野で死んでしまったのか。

本当の幸福を見つけるために旅に出て、運悪く死んでしまうのですが、でも、その短すぎる人生と引き換えに、彼は、本当の幸せを見つけたと信じたい。いや、見つけられなかったかもしれない。でも、いいんです。見つけられなかったとしても。見つけたいと思いながら死んだんだから、本人にとっては本望でしょう。(家族にとってはどうだかわかりませんが)

家出同然(いや、家出そのものですが)で、彼は旅を始めます。残された家族が心配するところは身につまされました。まさに俺も家族に迷惑をかけて旅をしたからです。

ポイントはここです。つまり、「家族に迷惑をかけても旅をしたいのか」、それとも「迷惑をかけるくらいなら旅をしないのか」の違いは重要です。そして俺は、前者を選んでしまいました。人として、間違っているかもしれません。格好いいとも思いません。ただ、旅する以外なかった、ということだけで、それ以上でも、それ以下でもありません。だから、当然、自慢話でもありません。

けっきょく彼も2年後、念願のアラスカへたどり着きます。そこで3、4ヶ月、ひとりで生活します。電気もガスも電話もペットもいない、野生の生活。話し相手は、自分だけ。

そんな文明から隔絶された世界ですが、時々、空を見上げれば、飛行機が飛んでいるのです。なんだか、妙に懐かしい。主人公は、野生を求めてアラスカで生活を始めましたが、たぶん、この飛行機は、自分と世界をつなぐ唯一の窓だったのではないでしょうか。

ところが、獲物が獲れなくて、空腹に耐えかねて食べた野草に毒があって、衰弱して死んでしまいます。

最後、死を予感した主人公は、日記に書きます。「本当の幸福は人と分かち合うこと」みたいなことを書きます。空を見上げながら息を引き取りますが、家族や世界とは、空によって繋がっている実感が持てたのでしょうか。飛行機は、そのことを象徴しているのかもしれません。

猟師によって主人公の遺体が発見されました。日記が残っていたので、主人公の生活も想像できたのでしょう。日記のほかに、カメラも残っていて、現像したら、本人がその場に座っている写真が映っていました。映画の最後に、その本人が映っている写真が出てきます。その姿は、幸福かどうかは分かりませんが、自然であり、穏やかでした。

ムチャなことをやると非難されるでしょうか。死んだのも自業自得だといわれるでしょうか。

いわれても、しかたないと思います。でも、「やらざるをえない」のです。だから、「家族に迷惑をかけても旅をしたいのか」ということがポイントになってくるのです。そこまでしてやりたくない人は、決してやらないほうがいいと思います。

旅は、副作用が強すぎます。主人公も、死んでしまうという副作用を受け入れました。そのかわり、ほんとうの幸福の意味を知ったのではないかと・・・。


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2009/01/30

中国正月「春節」の行事 (4) 貴州省鎮寧プイ族の「ガンピャオ」

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プイ族は元旦はどこへも出かけず、家族全員で餅つきしたり食事したりして過ごします。2日目からは親戚友人宅を訪ねたりします。若い人たちは若い人たちどうしで、道端や広場に集まって遊びます。「ガンピャオ」です。

未婚の男女が、春節や、一年に数回ある祭りや、週に一度の定期市の機会に集まって恋人を捜すのが「ガンピャオ」です。

夕方5時ぐらいになると、建物に挾まれて余り広くない場所に、何百人という若者が密集します。ほとんどが13才から16才くらいまでの少年少女でした。身動きできないほど混雑した中を、気に入った相手を捜して右往左往しています。

まるで何かのデモでも始まったような雰囲気。黒い髪の少年たちと、頭に青い綿布を巻いた少女たちが、塊になって入り交じり、時々うねるようにある方向に流れては、また押し戻されたりします。

凄まじいエネルギーです。あの中に交じっているだけで、オジサンは疲れてしまいそうですが、彼らはちゃんと目的を持っているので疲れたりはしないのでしょう。ここで捜した理想の異性は、やがて将来の伴侶となる可能性大なので、事は重大なのです。疲れるなどと泣きごとを言っている場合ではありません。自分を最大限にアピールして異性から気にいられなければならりません。

農村で結婚が遅いのはよほど事情がある人だけで、だいたいは男22才、女20才前後で皆結婚してしまうといいます。晩婚の人間は肩身の狭い思いをするのです。

男の子が気にいった女の子を見つけたら、人に頼んで自分の気持ちを伝えてもらいます。それでもし、相手の女の子が同意したら、交際が成立し、「ガンピャオ」の場所を離れて二人だけになります。

『中国小数民族風情録』という現地で買った本によると、このとき、お互い掛け合いの即興歌を歌い、どこの出身か、どんな人間かを知って、気持ちを深めていくと書いてありましたが、俺が見た範囲内では歌を歌っている若者は一組もいませんでした。歌は歌わずに、言葉で口説くのが今風なのかもしれないですね。

彼らは初々しい感じで、3メートルほどの間隔を置いて、お互い別々の方角を見ています。交際成立しても、すぐ手を握ったり肩を抱いたりはしないようです。あたりまえか?

とにかく、楽しそうな「ガンピャオ」です。


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2009/01/28

中国正月「春節」の行事 (3) 貴州省従江トン族の闘牛

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貴州省南東部にはトン族の人たちが住んでいますが、「鼓楼」と呼ぶ、独特の建築物で有名です。

釘を一本も使わず、天辺には太鼓がつるされ、昔は、見張台としても使われたようです。

朝もやに煙る肇興の町には、いくつか鼓楼が見えます。

郊外の村では、闘牛が行われました。普段はおとなしい牛ですが、闘牛の日は興奮した牛が、何人もの男に取り囲まれるようにして会場に引かれていきました。

闘牛もまた、中国南部、少数民族地帯の春節の風物詩です。


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2009/01/27

中国正月「春節」の行事 (2) 貴州省従江ミャオ族の「芦笙会」

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貴州省従江県郊外のミャオ族の村では、「芦笙会」が開かれていました。

何人もの男の吹く芦笙の音が共鳴して、地鳴りのような響きがします。

魂を揺さぶるような音楽。新年を祝うにはふさわしい音楽でした。


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2009/01/26

中国正月「春節」の行事 (1) 「花山節」へ向かうミャオ族

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今日は、一月一日(春節 中国正月)です。

雲南省の南部、金平県。

正月二日目以降に行われる行事「花山節」へ向かうミャオ族の人たちです。

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2008/11/20

そう言えば・・・。カイロのユースで「ウォシュレット」を見ました

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昨日、エジプトのことを書きましたが、そう言えば・・・思い出したことがあります。

カイロのユースに泊まったとき、トイレへ行ったら「ウォシュレット」だったんです。もちろん、当時(1982年)は「ウォシュレット」なんてなかったので、そんな呼び方はしませんでしたが。「これはすごい」と感心したものです。

アジア、アフリカのかなりの国々では、「大」の方の用を足したあとは、紙は使わずに、水で洗うという方法です。エジプトもそうでした。

ただユースの便器は、一般庶民の使うしゃがむタイプの便器ではなくて、腰掛けるタイプの洋式便器でした。外国人が多く泊まるからでしょうか。その便器の中には、パイプ(ノズル)が上を向いた状態で取り付けられていました。ちょうど肛門のあたりです。用が終わったら、蛇口をひねって水を出して肛門を洗うという仕掛けです。つまりこれは「ウォシュレット」そのものだったのです。

写真を撮っておけばよかったと後悔していますが、でも、撮らなかった理由は、あまりにもすさまじかったからだと思います。何が? 詳しい描写をすると、ひんしゅくを買ってしまいそうなので、想像してほしいのですが、このパイプ(ノズル)は、当然ながらがっちり固定されていました。しかも水は故障で出ないのもありました。それだけ言えば、だいたいわかってもらえるでしょう? 「感心した」と言いましたが、それは「仕組み」というか「方法」に感心したのであって、「現場」自体は、「すさまじい」の一言でした。

今では海外セレブも大絶賛の「ウォシュレット」ですが、どうも、このときの「すさまじい」光景を思い出してしまいます。「セレブ」のイメージとはあまりにもかけ離れている・・・。

「ウォシュレット(Wikipedia)」によると、TOTOが販売したのは1980年6月だそうです。

1964年には、「東洋陶器(現・TOTO)が、米国から温水洗浄便座「ウォッシュエアシート」を輸入、販売を開始」とあるので、それ以前からアメリカでは原型となるものがあったらしい。

それがどういうところから生まれたのか知りたい。アジア・アフリカの処理方法から発想したのでしょうか。

カイロのユースの便器が、どういった経緯で「ウォシュレット」型になったのか、アメリカの「ウォッシュエアシート」と何らかの関係があるのか、「ウォシュレット」のルーツは、エジプト(アラブ・アフリカ)にあったのか、ちょっと気になってきました。そのうち調べてみようかな。


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2008/09/10

中国で狂犬病が流行の兆し

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増えるペット、広がらぬ狂犬病予防 中国で流行の兆し
asahi.com http://www.asahi.com/international/update/0906/TKY200809060051.html

中国では、狂犬病の流行の兆しがあるようです。

「犬に噛まれて20年のベテラン」として、アドバイスさせていただきます。

以前、「俺はどうして犬に噛まれるのか? (2006/07/29)」という記事でも書いてますが、中国の犬は、ちゃんと噛みます。これは、俺の体験からですが、日本の犬の感覚で近づいたり、手を出したりすることは危険です

とくに、地方に行ったときですね。放し飼いの犬がいます。日本でなら、たいていは、無視すれば何も起こりませんが、中国では、とくに、放し飼いの場合、人間から石を投げつけられた経験があり、人間を敵視していたり、極端に恐れています。だから、ちょっとした弾みで、襲われる可能性があります。

犬を見つけたら不用意に近づかないことですが、もし襲われそうになったときは、しゃがんで、石を拾ってください。最悪、石がなくてもかまいません。「拾った」という姿を見せると、犬は逃げていきます。これが犬の撃退法のひとつです。

ただこの方法が、中国全土で通じるかは保障しません。(雲南と貴州は使えます。夜は、懐中電灯の明りを目に当てると効果があるようです。チベット高原では、石をくくりつけた紐をまわします) だから、もし地方の遺跡や寺院などに出かけたとき、野良犬がいそうな雰囲気だったら、前もって、棒や石を用意しておいたほうがいいかもしれません。

お菓子で手なずけようとしても、たぶん、失敗します。(俺も失敗しました) お菓子だけ取られて、また吼えられます。

もちろん、都会では、ペットとして飼っている犬も増えたようで、それはそれほど凶暴ではないかもしれません。ただ、狂犬病の予防注射をしていない可能性があるので、やっぱり、日本の犬と同じだとは思わないほうがいいのではないでしょうか。

犬に噛まれるとたいへんですよ。仮に狂犬病ではないにしても、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になって、しばらく犬の恐怖から抜け出せませんでした。俺はその後リハビリをし、犬が怖くなくなるまで、10年以上かかりました。

ただ、今でも、犬に噛まれやすい性格だけは治っていないようですが。飼い犬に時々噛まれています。


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2008/09/08

先週の『日立 世界ふしぎ発見!』で、キルギス

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先週土曜日、『日立 世界ふしぎ発見!』では、キルギスをやってました。

キルギス共和国には行ったことありませんが、中国新疆ウイグル自治区を旅したとき、キルギス族にはお世話になりました。

カラコルム・ハイウェイをロバ車で旅した話は、前にも書きましたが(「映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て」(2008/06/22)でどうぞ)、雪が降って、死ぬかもしれない峠越えをした翌日、キルギス族村に泊まったのでした。

ムスターク峰、ゴングール峰というふたつの山に囲まれた静かなカラクリ湖。 2 キロ離れたところに泥作りの箱型の民家と移動式のテントが数戸づつ並んでいる、キルギス村がありました。

ロパ車を引いて村の中に入っていくと、恒例になった、番犬の恐ろしいお出迎えがあり、村人たちはその吠え声で、家から何ごとだろうと出てきました。

あるおばさんは、「うちにも泊まれるよ」というので、彼女の家に泊まることにしました。

日干しレンガ作りの民家の中は、一段高くなったところに絨毯が敷いてあり、そこが居間兼寝室でした。

おばさんの子供ふたりが山羊やヤクの放牧から帰ってきて、夕食になりました。ヨーグルト・ナン・キルギス茶、それに茹でた山羊の胃袋が丸ごとお盆に載せられて運ばれてきました。

俺たちは車座になり、各々が手に持ったナイフで胃袋を適当な大きさの塊に切り取って口に運びます。軽く塩味がきいた胃袋は、味はともかく(?)遊牧民料理の雰囲気が濃厚で、すっかり気にいってしまいました。もちろんナン(キルギス風パン)も村共同のかまどで焼いたもので、ヨーグルトもクリームのように滑らかで美味しかったです。

さて、寝る段になって、ひとつの毛布をふたりで共同で使うことになりました。この隣に寝ている髭づらで口臭のひどいおやじは、いったいだれなんだ ?  そもそも俺も他の人に紹介された訳でもないので、このおやじも俺が何者なのかわからないはずなのです。不思議じゃないんだろうか? まったく気にしないで隣で寝ることができるというのは遊牧民の感覚なんだろうか?

疑問は増すだけでした。でも聞いたところで言葉がわからないし、まぁここではこんなものなのだろうと思いました。

そう、旅をしていると、素直にそのまま受け入れるしかない状況があります。たとえ彼が何者か知ったところでいっしょに寝るしかない状況は、変わりようがないのです。どうも、ここは宿屋で、隣のおやじはお客だったのかもしれません。

とにかく前日は、雪の降る峠越えの厳しい夜だったので、ストーブが一晩中燃えているというだけで、そこは天国なのでした。


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2008/07/31

あるイ族村の涙ぐましい観光化計画

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元陽の棚田が有名になり、映画『雲南の少女 ルオマの初恋』の主人公もハニ族少女だったし、棚田を作る民として「ハニ族」の名前が目立っています。

でも、元陽の棚田を作っているのは、なにもハニ族ばかりではありません。イ族の人たちもいます。

元陽のあるイ族村を訪ねたとき、こんな計画を聞かされました。

その前に、チンコウというハニ族村について触れておきます。チンコウは、元陽の新街鎮から7kmほど南に下ったところにあるハニ族の観光村です。入村料を払って「伝統的なハニ文化」を体験できる村として、人気になりました。

だから、元陽では、チンコウといえば、村興しに成功した(外国人から見たら、ちょっと違うかもしれませんが)と、うらやましがられているようでした。

なので、そのイ族村の人たちも、チンコウと同じに、イ族観光村にしたいのだといったのです。観光資源としては、棚田の風景と、池がある。池を、釣り堀にして、そこで釣 った魚を料理して食べさせる食堂を開業する。そこまでは、「いいかもしれない」と俺も思いました。ところが、「それと、カラオケを作り、村の若者たち にイ族の歌と踊りを教え、お客の前で披露するんです」と続けました。

「こんな田舎の村にカラオケ? そんなものを作ったら、外国人は、来なくなりますよ。俺たちは、今のような自然のままがいいし、唯一あったらいいなと 思うのは、宿泊できる、民宿のようなものだけです」と、いいました。

でも、彼らは、外国人など相手にしません。20年前は、外国人が観光地でお金を落とし ていましたが、今は、金持ちになった中国人のほうが圧倒的に数も多いし、金使いも派手なのです。だから、カラオケ。カラオケは観光地に欠かせない。彼らは、そう信じているようでした。

「何もないからこそ良いのです」などと彼らに言ってみたところで、理解してくれることはないでしょう。「これからは、『物』じゃなく『心』の時代」などと言っている日本でさえ、難しいんだから。空間そのものが価値のあることなのに、どしても「物」を作ろうとする発想に陥ってしまうのは、日本人もイ族も同じ。

入場を取って「観光村」というテーマパークになると、「ここはこう見るべき」「ここはこれを体験すべき」と、強制されるような感じがして好きではありません。ただ、何か「物」を作らないと、お金が村に入ることはない、というのも現実。

ただ、俺は、ばかばかしい計画だと言って、笑うことはできませんでした。若い人たちは、ほとんどみんな外に出稼ぎに出ています。村に仕事がないのです。このままでは、い けない、なんとかしなければ、という思いがあります。しかも、どうしてハニ族だけいい思いをするんだという、異民族間の嫉妬心のようなものもあったでしょう。

せっぱつまった彼らの経済状態が、ちらちらと見えて しまう。なんとしてでも、この棚田ブームに乗っかり、村を豊かにしたいという、村人たちの熱意だけは、悲しくなるほど伝わってくるのでした。

2年半、元陽には行っていないので、その後、この村の観光化がどうなったはわかりません。


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2008/07/30

イ族の祭りと葬式

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昔、雲南北部のイ族村に、お祭を見に行ったことがありました。その村へは自動車道がまだなかったので、途中までトラックの荷台に乗せてもらい、残りの10kmほどは歩きました。

お祭りは「服装節」といい、女性が美しい民族衣装を競い合うのですが、あいにく、祭りの朝、雨になってしまい、「汚れるのがいやだ」という理由で、民族衣装を着ないですました娘たちもいたっけ。気持ちはわかります。雲南の土は赤くて、汚れたら最後、たぶん元には戻らないでしょう。

などと、俺のような軟弱なイ族もいましたが、それでも昼からは晴れて、たいていの女性は派手な衣装を着て、村の広場で輪を作り踊る様子は圧巻でした。

この村では、お祭りの2日前だったか、葬式がありました。土葬でした。村の中心部からお棺を担いだ行列が、村はずれの高台にある墓地までいって、そこで儀式と、お棺が土中に収められました。

まだ、山の中の村では、ほんとに伝統的な生活が続けられていた、1988年ころのことです。あれから20年たちました。彼らはどう変わっているのでしょうか? あるいは変わっていないのでしょうか? 

当時、トラックの荷台から降りて歩き出した一団の中に、テレビを担いでいた男がいました。もしかしたら、村へテレビが入った第一号だったのかもしれません。今は、何台あるのかな。

みんな北京オリンピックを観るのでしょうか。どういう反応をするのか、興味のあるところですが。


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2008/07/23

昆明の順城街(イスラム街)がなくなった時

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昆明のバス爆発事件の原因(犯人)はまだわかっていないようです。

今から3年前、昆明に行ったとき、昆明百貨店前のロータリー一帯は、巨大な公園に様変わりしていました。車道は地下を通 るようになっていました。まだ春節の休みらしく、いったいどこから出てきたのか?と不思議に思うくらいの人出。マックも、ケンタッキーも、ディコスも、家族若者たちであふれていました。

とうとう、百貨店から博物館への裏道、順城街(↑の写真)が姿を消そうとしているところでした。まだ3、4棟、古い建物も残っていましたが、ほとんどは瓦礫の原です。昆明百貨店の巨大なビルが、ますます大きく見えて、まるで勝ち誇っているようでした。

順城街はイスラム街でした。夕方になると、羊肉ケバブの煙と香ばしいイスラム風パンの香りが漂い、まるで中近東の国に迷い込んだような錯覚を覚えたものです。そのときは、いくつかの店が仮小屋で営業していましたが、かつての面影はなくなっていました。

もったいないなぁと思いました。今は「新しさ」が「良さ」ですが、そのうちきっと古い街並みの価値に気がつくのです。残しておけば、観光資源として使えただろうに。

昆明の都市計画にたずさわっている人の中に、先見のめいを持っている人物がいなかったことを残念に思います。もちろん、そういう意見を持っている人はいたのかも知れませんが、少数意見だったでしょう。(おととい書いた昆明在住の写真家のように) まぁ、中国人が自分でやるんだから、外国人の俺がとやかくいう筋合のものでもないかもしれませんが。

あの文化大革命でさえ壊れなかったものは、経済の大革命では、あっけなく姿を消しています。

こういう急速な「発展」は、一部の人たちには、裕福な暮らしをもたらしましたが、地方に行ったら、あいかわらず、20年前と、ほとんど変わらない生活を強いられている人たちが大半なのです。その格差は救いのないほどです。

こんな状態の雲南で起こったテロが、中国の未来を暗示しているようにも思えます。


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2008/07/14

写真ギャラリー『イスラエル』ができました

080714
写真ギャラリー『イスラエル』ができました。

Ya_2『イスラエル』(a-Gallery)

首都エルサレム、「岩のドーム」や「嘆きの壁」、アコという港町、そして死海。

アコと死海の湖畔では、野宿しました。イスラエルでは、ヒッチハイクと野宿で周っている若者たちにたくさん会いましたが、たいていは、兵士の休日を利用しての小旅行だったようです。

ヒッチハイクの若者を乗せるのは当たり前の国なので、それに便乗したというわけです。

ユダヤ人から載せてもらったときは、日本赤軍の乱射事件の話に恐縮し、パレスチナ人から乗せてもらったときは、日本赤軍をほめられ、どういう顔をすればいいのか困ってしまいました。

ところで、死海湖畔で野宿した翌朝、アメリカ人が運転するレンタカーに乗せてもらったのですが、彼は、かなり酔っていて、結局俺が運転することになってしまったという話は、前に書いていますね。

Ya_2「飲酒運転について」(2006/09/10)


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2008/07/05

1982年 トルコとヨルダンの写真

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今、時間を見ながら、「シルクロード館」の写真を増やしています。とりあえず、トルコとヨルダンが完成しました。

Ya_2『トルコ・イスタンブール』
Ya_2『トルコ・カッパドキア&アンカラ』
Ya_2『ヨルダン・アンマン&ジェラシ&ぺトラ遺跡』

これは、1982年の、2回目の海外旅行のときに撮った写真です。初めて一眼レフカメラで撮った写真でもあります。

この時期は、まだ「写真家」になることは考えていませんでした。ただ、1回目のヨーロッパ旅行のとき、パリで出あった写真集に感銘を受けて(詳しくはこちらで。「記憶は作られる」2007/03/28)、漠然と「写真はおもしろいなぁ」と思っていました。だから、一眼レフカメラを買って旅に出たのでした。

とにかく、旅がしたかった。それだけです。アルバイト先の焼肉屋の旦那さんと奥さんからは、「若いときにしかできないことだから、思い切りやったほうがいい」と言われました。就職もしないで旅をすることに、賛成してくれたのは彼ら夫婦だけでした。

25年も前に撮った写真で、その後、何度か見たのでしょうが(それさえも覚えてない)、ここ20年は見ていなかったはずなので、自分が撮った写真であるにもかかわらず、客観的に見ることができて、けっこうおもしろい。ただ、どこを撮ったものかわからない写真もあります。それが残念。

それとぺトラ遺跡のメインの建物の写真は、本格的には撮っていない。撮っていないのか、無くしたのか。写真を撮る目的ではなかったので、気が向いたときだけシャッターを押していました。今なら、絶対外すことがない大切な写真ですが、当時の日記を読んだら、ここへは歩いてやってきて、暗くなる前に泊まるところを探すのに必死になっていたようです。だから、写真を撮っているひまがなかった?のかな・・・。

日記によると、その日、野宿するのはやめて、声をかけてきた地元の遊牧民のテント民宿に泊まったようです。どうして野宿をやめたかというと、寝るはずだった洞窟には、どこも、たくさんのヤギの糞が散乱していた・・・。

この最初の古い写真を載せることにしたのは、自分の「旅の記録」として残しておこうと思ったからです。今までの旅全体が、「表現」のような気がしてきたからです。いつ死ぬかもわからないので、こつこつと、写真はウェブ上に増やしていくつもりです。


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2008/06/22

映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て 2

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ちょっと時間がたってしまいましたが、前回この映画について書いた記事はこちらです。

Ya_2「映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て 1 (2008/05/26)」

映画の中で、アルゼンチンからチリに抜けて、アンデスの山越えのシーンがありました。

南米では1月は夏なのに、高さがあるからでしょう、雪が積もった危険な道です。

バイクを押しながら雪道を進むふたりのシーンを見たとき、俺は、ある旅を思い出しました。

それは、中国新疆のタシュクルガンからカシュガルまで、カラコルムハイウェーを、12日間ほどかけてロバ車で旅をしたときのことです。出発して2日目、4000m以上の峠を越えることになりました。

峠手前に1軒、道路補修のための小屋があったのですが、泊まることを拒否され、しかたなく歩き始め、疲れたので寝袋に入り、野原に横になっていると、顔に冷たいものが当たりました。なんだろうと、懐中電灯で照らすと、空から降ってくる無数の雪でした。このまま寝ていたら死んでしまうと思ったので、1晩中歩き続けたのでした。

そのとき、高山病もあったのでしょう。朦朧とした意識の中で、俺は、ロバ(名前は「ドン」。ドンキーの「ドン」と、鈍足の「どん」をかけた名前です)と、一晩中日本語で会話をしていたような気がするのです。そんな馬鹿なと思うのですが。しかも、普段は言うことをきかない頑固者なのに、この夜は歩き続けてくれたのでした。

「こんな目に遭わせて申しわけないね」
「いいよ、気にしなくて」
「疲れたろ?」
「ううん、まだだいじょうぶ」

このとき、「ドン」も、生き物の本能として、ここで歩き続けなければ死んでしまうと感じたのかもしれません。

空が白みかけたとき、ようやく峠を越し、広々とした草原に、キルギス族のユルト(天幕住居)から煙が立ち昇っているのが見え、あぁ、俺は生きていると思いました。(↑の写真) そして、すぐ、道路補修の小屋で朝食を作っていたウイグル族に声をかけられ、部屋に招き入れられたのです。

そのとき食べた水餃子のおいしさと、ストーブの暖かさは、一生忘れられないものになりました。ある意味、「死と再生」を体験し、そこが俺にとっての桃源郷だったかもしれません。

チェ・ゲバラは、「国境を越えるとき、胸をよぎるのは、いつも、2つの思いです。背にする国への郷愁と、新たな国へ入る興奮です」と、母親への手紙に書きます。

たしかに、このふたつを思います。それは、過去から未来へ、既知のものから未知のものへの精神的な移動。それこそが旅と呼べるものかもしれません。


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2008/05/26

映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て 1

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(写真は中国西域カラコルム・ハイウェー)

前から気になっていた映画ですが、『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観ました。

中古のバイクで雪のアンデスを越え、マチュピチュ遺跡、そして密航してアマゾン河へ・・・  伝説の革命家チェ・ゲバラの無鉄砲で情熱的な青春の日々を描くロードムービーの傑作!
公式HPはこちらで http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/m_cycle_diaries/index.shtml )

23歳の医学生エルネストは、親友アルベルトといっしょに、ブエノスアイレスから、おんぼろバイクで旅を始めます。途中でバイクが故障してからは、歩きとヒッチハイクの旅になりました。地を這うような厳しい、でも、楽しい旅です。

そういう旅だったからこそ、鉱山労働者やハンセン病患者との出会いは彼らに衝撃を与え、「人の役に立ちたい」という思いが芽生えたのでした。「この旅で自分が変わった」のだといいます。たしかに、旅には、とくに、外国の旅には、その力があります。

俺も、最初のヨーロッパ・モロッコの旅で、明らかに変わりました。もちろん、チェ・ゲバラのような「人の役に立ちたい」などという立派な思いではなく、自分の「井の中の蛙的な思い込み」です。今までの「常識」が、音を立てて崩れていきました。

でも、俺は「みんな外国を旅したほうがいい」とも思いません。むしろ、こういう旅をしてしまう、しなければならない人は、特殊なのです。しないですんだら、それに越したことがないと思っています。旅で、「変わってしまい」、人生が狂ってしまう人もいます。(俺も?)

そして、外国を旅したから、みんなが変わるかというと、当然ながらそうでもありません。変わる人もいれば、変わらない人もいます。

最近の「自分探しの旅」という言い方に、違和感を持ちます。日本での日々の生活で探せないものが、外国へ出たからといって見つかるものではありません。チェ・ゲバラのように、自分のやるべきことがはっきり見える人なんて、そういないんです。逆に言うと、そんなに簡単に見つかるような「自分」なら、たいしたことはないでしょう。

そして、「自分」なんか探す必要はないと、今はあえて言いたいですね。なぜなら、今は、猫も杓子も「自分探し」がブームで、探せない俺は(私は)ダメなんだと思い込む、強迫観念みたいなものがあるんじゃないでしょうか。あるいは、「自分探し」を隠れ蓑にして、何も行動しない人たちがいるように感じるからです。

俺は、いまだに「自分」なんかわかりませんよ。たぶん、死ぬ直前に、「あぁ、そうか。これまで何となく惰性で続けてきたことが、結果として俺がやるべきものだったんだ、『自分』とは、こういう人間だったんだ」とわかり、死んでいくのだと思います。いや、そういう死に方が理想です。

ただ、外国へ出ると、大きなきっかけにはなるかもしれません。だから、「変えよう」「探そう」と思っている人が、もしいたら、もちろん応援します。それで、変わらなくても、探せなかったとしてもいいじゃないですか。

旅に出ること自体に意義があるんです。結果なんか、期待せずに。チェゲバラたちもそうでした。予想しないからこそ、「変わる」ことができる、あたりまえの話ですよね。


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2008/05/12

映画 『マイティ・ハート/愛と絆』を観て

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(写真は、パキスタン・ラワルピンディ)

映画 『マイティ・ハート/愛と絆』を観ました。

マイティ・ハート公式サイト

原作 : マリアンヌ・パール
監督 : マイケル・ウィンターボトム
出演 : アンジェリーナ・ジョリー 、 ダン・ファターマン

2002年にパキスタン・カラチでテロリストに誘拐され、必死の捜索にもかかわらず、あと一歩で殺害された実在のジャーナリスト、ダニエル・パール。彼の妻、マリアンヌ・パールが著した手記を映画化したものだそうです。

ドキュメンタリーのようなリアリティにこだわった映画です。緊迫感がひしひしと伝わってきます。俺も、この世界とまったく無縁というわけでもないので、ただ単なる「映画」として楽しむことができず、緊張しっぱなしでした。昔観た『ミッドナイト・エクスプレス』でも、こんな緊張を感じました。

先日、イエメンでは日本人観光客が誘拐されました。政治的・金銭的など、目的はいろいろですが、最近、こういう誘拐事件が増えたような気がします。

20数年前、俺が初めてバックパッカーとして旅を始めたころも、誘拐事件はあったのかもしれませんが、それほど大きなニュースにもならなかったような気がします。

昔は、バックパッカーが行方不明になっても、2、3ヶ月たたないと、ほんとに行方不明になったかどうかわからないという事情もありました。今のようにメールもないし、毎日国際電話をかけるようなバックパッカーはいませんでした。だから、1ヶ月、2ヶ月連絡がなくても、家族も平気だったりしました。(俺の家族だけかな?)

今は、家族から身代金を取るのではなくて、国家から取れることがわかったし、大げさにすることで、政治的に利用できることがわかってしまいました。だから、旅行者は、個人的趣味で旅をしているだけなのに、こういう事件に巻き込まれると、個人の問題ではなくて、国際問題にまで発展してしまうケースがあります。

旅行者にとっては、やっかいな問題です。いくら、自分では「何かあっても、自業自得。自己責任で旅をする。」と覚悟していたとしても、誘拐されて、ニュースになったとたん、個人の問題ではなくなってしまいます。

かと言って、「だったら危険なところには行かない」と言ってみたところで、どこにいても危険はつきまとうし、あまり意味がありません。

でも、今の時代は、「個人的な旅」も、社会的・政治的情勢と無縁ではなく、否が応でも、それを意識せざるを得ないのかもしれません。自分には関係ないと思っていても、相手側(誘拐犯)から見たら、金持ちの「日本人」、敵国の「欧米人」、話題になる「外国人」などという看板を背負っているのは間違いありませんから。


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2008/04/21

『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』 秋津の喫茶店で

080319
『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』

国立の「ギャラリー亀福」で展示した雲南省の写真(17点)と桑野奈保さんのトンパ文字をモチーフにしたジュエリーを引き続き、こちらで展示しています。

「ゴマプリン」がおいしい喫茶店です。お近くの方はどうぞ。

2008年5月2日(金)まで
OPEN: 11:30~18:00
(月曜日と4月20日は休み)

談話室 日向
〒204-0004 東京都清瀬市野塩1-173
TEL: 0424-93-8707
※秋津駅北口より徒歩4分

なお、日向ミニコンサートがあるそうです。
『一絃琴の調べ』4月26日(土) 13:00~
¥1,000円 (飲み物+お菓子付き)


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2008/03/27

国立は桜の季節 『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』へどうぞ

080327_2
今日から東京都国立のギャラリーカフェ亀福で、『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』をやっています。

昨日飾り付けをしましたが、「トンパ教」の祭壇のようになりました。青柳の写真は22点展示しています。

以前もお知らせしましたが、時間・場所など、詳しくは、こちらのページでどうぞ。

Ya_2『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』

亀福は、おいしい台湾茶の専門店です。国立はちょうど桜も満開です。お近くにおでかけの際は、亀福にもぜひお立ち寄りください。


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2008/03/22

『グレートジャーニー』 関野さんのメコン旅

080321_2
テレビ番組『グレートジャーニー』で、関野さんのメコン川の旅をやっていました。相変わらずタフな関野さん。

懐かしい風景。俺が青海省のメコン源流域へ初めて行ったのは1992年のこと。

まだメコンの源流がどこだか誰も知らない時代でした。未調査だったのです。俺は現地のチベット人たちに「ザチュ・ザナチュ(メコン)の源流はどこですか?」と聞きながら、「文化的な源流」を探しました。昨日の番組でも、それに触れられていました。地理学的な「科学的源流」と、地元の人たちが信じている「文化的源流」があるということです。そしてそのふたつは、違った場所になっています。俺が行ったのは、「文化的源流」でした。1994年のことです。

ところで、1992年に現地のチベット族が言っていたある話は、あぁこういうことだったのかと、今になってわかりました。それは何かというと、「数十年前から、なぜか雨が降ると草地が崩れて、土砂が川に流れ込んでしまう。だんだん草地が少なくなっている気がする。どうしてなんだろうか」と。草原の沙漠化ですね。

当時はそれほど環境問題に関心はなかったので、聞き流したはずですが、なぜか妙に覚えていて、今では、それが地球規模の環境変化と何か関係はあるんだろうなと想像できます。酸性雨、気象の変化、大気汚染など考えられます。それと、家畜が増えて(人間が増えて)、放牧のし過ぎもあるのかもしれません。

メコン河が赤いのは、土砂が流れ込むからです。それがますますひどくなっているようです。昨日の番組を観ていて、そう感じました。途中のダムも、土砂がたまって長くもたないのでは?とも思います。

どんなに「秘境」といっても、この地球上で、環境悪化から逃げられる場所はないということでしょうか。


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2008/03/20

チベット、ティングリの石塚「オボ」

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チベット高原のラサからネパールへ抜けるときに通ったティングリの村。

ここに2泊したと記憶していますが、村の旅社には、たまたま日本人旅行者も泊まっていて、彼といっしょにヒッチし、トラックでネパールとの国境へ向ったことを思いだしました。

右側にあるのは、「オボ」と呼ばれる祈りの石塚。チベット人は、信仰心が篤く、ちょっとした場所にこの「オボ」が設けられています。

こんな牧歌的に見える田舎ティングリでも、1993年10月中国軍がチベット人に発砲するという事件が起きたそうです。


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2008/03/19

『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』

080319080319_1

東京都国立駅から徒歩5分の、「GALLERY CAFE 亀福」で、『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』をやります。

写真は青柳、ジュエリーは桑野奈保さんとの合同展です。

トンパ文字は、雲南省西北部、世界遺産にも登録されている古都、麗江を中心に、少数民族ナシ族に伝わる象形文字ですが、桑野さんは文字をモチーフにジュエリーを作り続けている作家です。

今回、写真は雲南省の風景と少数民j族を約22点展示します。今日掲載の写真は、その中の2点。上は、麗江の街並。下は、文化大革命で壊された小さな寺を修復していたチベット僧。

今、チベットの暴動がニュースになっていますが、雲南省北西部にも、チベット族が住んでいます。チベット族のデモが雲南にまで広がる可能性は低いと思いますが、同じ民族なので、これから影響が出てくるかもしれません。

展示会の最終日、4月6日(日)には、音楽家・劉宏軍さん出演のサロンコンサート『心を表現する少数民族の音色』もあります。


『中国雲南省の写真とトンパジュエリー展』
入場無料(カフェとは別です)
2008年3月27日(木)~4月6日(日)
OPEN: 10:30~19:30
(木・金・土 10:30~23:00 定休日:水曜日)

GALLERY CAFE 亀福
〒186-0002 東京都国立市東1-14-21 グリーンライフ国立1F,
TEL/FAX: 042-573-3580
URL: http://www.kamefuku.info/
※JR 国立駅南口より徒歩5分
地図はGALLERY CAFE 亀福のページで

サロンコンサート『心を表現する少数民族の音色』

4月6日(日)
14:00~(開場13:30)
出演:劉宏軍さん
入場料3000円(台湾茶・お菓子付き)
お問い合わせ・予約は亀福まで


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2008/02/16

韓国ソウル景福宮

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韓国ソウルの景福宮は朝鮮王朝の王宮でした。

景福宮の正門、光化門の広場では衛兵交代のショーが行われます。


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2008/02/08

中国正月「春節」二日目

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今日は中国正月「春節」二日目。

80年代は、ほぼ毎年のように、春節には中国にいましたが、最近は、中国に行く機会も減りました。

この時期の雲南は寒いですが、空気が澄んでいて、好きな季節です。


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2008/02/07

中国正月「春節」

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中国正月「春節」です。

おめでたくない出来事もたくさんあります。中国では、大雪で、田舎に帰れない人たちもたくさんいるようです。

そして、「中国製ギョウザ」の中毒事件は、まだ原因がわかっていません。

ギョウザを作っていた「天洋食品」は休業しているとニュースでは報じていましたが、考えてみれば、春節の休みでもあったのですね。


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2007/11/26

映画 『サン・ジャックへの道』を観て (3) 「巡礼」と「探す旅」

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「探す」ことが好きです。

雲南の少数民族、メコンの源流から河口、棚田百選。今まで取り組んできた大きな旅のテーマをあらためて考えてみると、そこに共通するのは「探す」こと、と言うこともできます。

そして「探す」ことは、「巡礼」と共通点があることを感じます。

いろんな人から「どうして雲南ばかり行くんだ?」とか「それをやってどうなるの?」といわれました。でも俺は確たる理由もなく、見通しもなく、通い続けました。(今でも続いています) はっきり言って、そんなことはどうでも良かったのでしょう。ただひたすら繰り返すしかなかったのだと思います。

雲南の全民族を巡るには、かなりの時間が必要でした。結局10数年かかりました。それは巡礼と言ってもいいのではないでしょうか。場所も経路も定まってはいませんでしたが、ある祈願をもってすべて巡ってみるという意味では同じです。

一見無駄にも見える時間が、当時の俺には必要でした。と、いうより、そういう時間と場が欲しかったのです。実際、雲南に行くと、心は解放され、体も丈夫になりました。

祈願というのは、雲南の魅力である「何か」により近付くこと。いまだにその「何か」を言葉で表すのは難しいですが、自分では「何か」は、おぼろげながらわかり始めています。

棚田もそうです。「棚田百選」がどうして134ケ所しかないんだ?と寂しく思ったときもありました。 もっと多ければ、まだ旅が続くのに、と。それだけ「棚田百選」の旅は面白いものでした。たぶん、これも「探す」旅ができたからです。

「棚田百選」をまわる旅は、宗教心はないので、「日本を知るための巡礼」といった感じでしょうか。だから、時間がかかってもいい、少しずつ、いろんな棚田を見てまわることに意義があります。 いや、時間をかけなければならなかったのです。それが巡礼というものです。

景観的な美しさだけを期待していくとがっかりしてしまう棚田も、正直言えばありました。米を作っていないところや、荒廃しているところもあるし、畦がコンクリートになっているところもたくさんありました。でも、思うのです。それも含めて今の「日本の棚田」なのだと。


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2007/09/17

「代理旅行家」という新しい仕事 (6)

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代理旅行家について書くのは、昨日で終りだったはずですが、今日も書いてしまいます。

あまり本気になって、「遊び」ではなくなるのも、どうかなぁと思う、といったことについて、前に触れました。

極端に言うと、すべてが何かの意味づけがなされて、がちがちに固まってきたこの世界が、時々、息苦しくてしかたないことがあります。だから自由な「遊び」が欲しい。

個人的には、自分が「写真家」になってしまったことでの、不自由さを少し感じるのです。その「写真家」という枠が自分を縛り始めているようです。そこから抜け出したいと思うこと。それがここ何日間かブログで書いてきた、「写真家の『間』」という言葉で表したいことなのかもしれません。

もがいています。あがきもあります。もちろん、俺は「写真家」と名乗るほうが、仕事をやりやすいことは知っているので、この肩書きを捨てるつもりもありませんが。捨てるつもりもないのに、「写真家」の枠を壊したいなどと言うのは、「自民党をぶっ潰す」と言っておきながら自民党を守った誰かさんと同じかもしれません。ずるい、と言われれば、ずるいです。

でも、俺は正直、何者でもないし、何者にもなりたくありません。何物からも束縛されず、何物にもくっつかず、心は、「球」のような形をイメージします。それが理想です。

わかってもらえたでしょうか? わからない? そうでしょうねぇ。実は、俺にもよくわからないんです。

でも、少なくとも、こうやって代理旅行家などという、半分冗談ぽいことを書いていることで、心は落ち着いて、「球」に近づいているような気分に浸れるのです。「書く」という行為にも、何か精神的な安定化作用はあるんでしょう。写真を撮ること、絵を描くこと、音楽を作ることと同じように・・・。


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2007/09/15

「代理旅行家」という新しい仕事 (5)

070915
代理旅行については、とりあえず、今日までにしておきます。(しつこい?) でも、個人的には、代理旅行という仕事に、なんだか「枠を外れるような自由」を感じます。だから、このことを考えるのが、とても楽しいので、毎日飽きもせず書き続ける・・・。

俺のたわごとに、意外にも反響があったので、気をよくしているのですが、きのう、acornさんからもらったコメントに、「これは、夢や希望を託すのに似ていますから、」とあり、みんなの反応がいいのは、そのあたりにもあるのかなぁと思いました。

これまでは、どちらかというと、代理旅行家サイドからいろいろ書いてきました。でも、根本問題として、仕事である以上、お金を払うお客さん(依頼者)は、何かを得ないと、成立しないわけです。

そこであらためて、「俺が旅を楽しむこと」にお金を払う人が、得るものはなんだろうか? お客さんサイドから考えると、やっぱり夢や希望なのかもしれません。似たような関係は、宮廷画家を囲っていたパトロンとか、そんなとこですかね。(ちょっと違う?)

逆に言うと、夢や希望にお金を払うためには、その代行者にかなり魅力がないとだめなんでしょうね。ともえさんのコメントに、お墓参りの代行サービスについて書いてあったので、墓参りの代行にお金を払う人は、「やってもらうと気持ちが晴れる」と書きました。代理旅行も同じかなと思ったのですが、それよりも一歩も二歩も進んだところで、もっと抽象的な、夢とか希望を得るということなのでしょう。だから、代理旅行業はお墓参り代行業よりも、ご利益がはっきりした形で見えにくいぶん、難しいと思われます。

とにかく、難しいことは百も承知で、お客さんを長い目で待ってみます。コメントいただいた人たちには、代理旅行家プロジェクトの一員になってもらいましょう。実際、お客がひっきりなしに来るようになったら、とてもじゃないけど、俺一人だけではこなしきれませんから。(本気でそんなことを?) お手伝い、お願いします。

ところで、俺はすでに、代理旅行をし、その報告としてこのブログを使っている、なんていうふうにも考えられますね。代理旅行の予行演習をしているような・・・。代理旅行を、俺自身が、バーチャル体験しているような気がします。

もちろん、ブログは無料で公開しているし、誰か、お客さんに依頼された旅でもありません。ただ、こう考え方を変えれば、どうでしょうか。それは、お客さん(依頼者)が、俺自身であれば。そして、このブログが多少でも夢や希望を与えているのであれば。


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2007/09/14

「代理旅行家」という新しい仕事 (4)

070914
おとといの午後4時ころ、ある編集者と会ったとき開口一番、「安部さん、辞めたの知ってる?」と言いました。

まさか安倍さんが・・・。どうしてこのタイミングで? このまえ所信表明演説したばかりなのに。そして、選挙であれだけ負けて、辞めろ辞めろと非難され続け、それでもかたくなにや辞めなかった安部さんが、どうしたのか。耳を疑いました。

       ☆

この件については、また後日、ということで、今日も、代理旅行について、まだまだ引っ張りますよ。

いろんなアイディアが浮かびます。ポイント制を導入しましょうか。たとえば、マイルを貯めると、俺の体験談を一晩中聴けるとか。ただで、(つまり俺の自費で)旅行してあげるとか。そんな得点付き。

他にも何かアイディアがあったら教えてください。

と、ここまで4日間、「代理旅行家」という新しい仕事の話を書いて、だんだん具体的になってきましたが、ふと、「待てよ」と、思います。

ちょっと初心に帰ってみます。というのは、これを本気でやったらどうなんでしょうか?

バカバカしいことを真面目にやることが好きです。だからお笑いは大好きです。「でも、そんなの関係ない! はい、オッパッピー!」みたいな、意味のないことを、大真面目にやっている姿に大笑いできます。

だから、俺も初めは、代理旅行家も、「ありえない」からこそ、それをいっしょうけんめいやるのが、とてもバカバカしくて、「遊び」としておもしろいかなと思ったところが、正直言うと、あるんです。それなのに、だんだん本気になっていくのが、ちょっと引っかからないでもない・・・。

まぁ、「ありえない」と思いながらも、どこかに「ありえるかも」と期待している自分がいるんですけどね。もし本当にお客さんが来たら、俺はあらためて「人間はおもしろい」と思うだろうし「生きていて良かった」と思うでしょう。

代理旅行家のホームページが完成したら、お知らせします。


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2007/09/12

「代理旅行家」という新しい仕事 (3)

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まさか代理旅行に、こんなに反応があるとは思わなかったので、調子に乗って今日も、代理旅行について続けます。

今日、このブログを読み出した人のために、もう一度説明しておきます。代理旅行家とは、お金はあるけど、身体的理由や時間的理由で、旅が、したくてもできない人に代わって、旅をしてあげる仕事のことです。

代理旅行家は、旅・旅行をするだけで、お客さん(依頼者)を満足させなければなりません。だから、多少のテクニックはいります。まったくの初心者的旅のしかたではいけませんが、かと言って、あまりにも旅慣れすぎている旅のしかたでも良くないでしょう。もちろん、どんな旅をしてほしいかは、お客さんしだいなので、それに合わせはしますが。

自慢するわけではありませんが(といって自慢ですが)、若いころからずっと旅をしてきて、いろんなレベル、タイプの旅のノーハウはあるし、「俺が旅を楽しむ」自信はあります。これこそ「天職」かなぁ。

「旅 travel」は「トラブル trouble」と言われるくらい、旅にトラブルは付き物で、それがまた旅の醍醐味でもあるのですが、「トラブル」があった場合は、内容によりますが、追加料金をいただきます。そのかわり、思い出深い旅になるわけですから、安いもんでしょう。

ところで、たとえば、こういう依頼は引き受けられません。何かブツを運ぶこと。これは運搬業になるし、なんかヤバいものを運ばされるのは嫌です。

あと、「これを買ってきてくれ」とかいうのもどうでしょうか。みやげ程度ならいいですが、中東の国へ行って、石油の採掘権を買ってきてくれなどという依頼も(来ないよね)、ダメです。あくまでも、「俺が旅を楽しむ」ということから外れてしまっては、代理旅行家のプライドに関わります(そんなもん、あるのか?)。

それと、昨日のTAKAさんからのコメントで気がついたのですが、かなり命がけの場所や紛争地帯ですね。それも断るかもしれません。

あとは、旅の仕方として、サハラ砂漠をマラソンしてくれとか(疲れるから嫌だ)、南極を犬ぞりで横断してくれとか(極地旅行のノウハウを持ってない)、1日1ドルで旅してくれとか(低予算過ぎ)、こういうのもお断りします。

まぁ、いいでしょう。とにかく、新しい仕事だし、どんな依頼、お客さんが来るかもわかりません。そこは臨機応変に対応したいと思います。「応相談」というやつですね。なるべくお客さんの希望に添えるようにがんばります。

ただ、これはボランティアではなくて、あくまでも仕事なので、予算しだいともいえますね。ところで、確定申告で、「代理旅行家」という職業、認められるんでしょうか。


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2007/09/11

「代理旅行家」という新しい仕事 (2)

070911
昨日、「代理旅行家」の話を書きましたが、ふたたび、本気モードに入りました。

実は、ホームページを作りかけていたんです。でも、3年前は、「俺もバカなこと考えるなぁ」と思い、いつのまにか、この「新事業」に対する意欲もなくなってしまっていました。

でも、意外と皆さんからの反応が速かったし、コメントしてもらったひなたさんの話から、これは本当にやれるのではないかと自信(?)を持ちました。

お金はあるけど、身体的理由や時間的理由で、旅が、したくてもできない人。その人に代わって旅をしてあげる、これはサービス業ですね。

だから、本来は(理想では)、昨日も書きましたが、体験談も話さず、俺が旅を楽しむことだけで満足してほしいのですが、今の段階では、「バーチャル体験できる装置」というものはないし、やっぱりそれなりに体験談を語ったり、写真やビデオを見せることで、疑似体験してもらうという方法しかないかもしれません。

そのうち、「バーチャル体験できる装置」はできるでしょう。実際、今医療現場では、遠隔操作で手術もできるらしいし、そういった技術を応用していけば、きっとできる。(工学部でちゃんと勉強しておくんだった) 手塚治虫が「鉄腕アトム」が活躍する世界を創作したとき、だれも「夢物語」だと思っていたのは、わずか、50年ほど前のことです。

じゃぁ、こうします。とりあえず、今のところは、体験談も写真もビデオも、お客さんが望むものを提供することにします。そして、この体験談は、お客さん以外の他人には話さないことにしましょうか。(代理旅行家としての守秘義務?)

いやぁ、待てよ。ちょっとこれはキツいかなぁ。それでなくても、俺は旅の話はベラベラと人に語りたいほうなので(だからブログなんてやっているわけだし)、おもしろいことを黙っているストレスには耐えきれないかもしれません。そもそも、「俺が楽しむ」ということが大前提だから、やっぱり体験談は思う存分話させてもらいます。


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2007/09/10

「代理旅行家」という新しい仕事 (1)

070910
おとといの話の続きです。

高座に上がっているだけで認められる落語家のように、話と話の間の空白の時間の「間」にこそ、俺のやりたいことがあるのではないか、などという、たわごとを書きました。

これを一歩進めれば(つながりが無いようにも思えますが)、俺の理想はこうです。ただ、旅をして写真を撮っているだけで、みんなを幸せにして、しかもお金ももらえるような人になれたらなぁ。

「旅人」という職業は残念ながらありません。旅をして収入を得るには、旅で撮った写真を売る「写真家」や、体験を文章で売る「文筆家」になるしかない。あるいは、旅行の添乗員としてという手もあるけど、でも、純粋に自分の旅だけしていて、そのことだけで収入を得ることはできません。

そこで俺は考えました。「代理旅行家」という職業です。(いわゆる、航空チケットやホテルを手配してくれる旅行代理業ではないですよ。これは免許か何かいるし・・・)

「代理旅行家」とは何か? 「何か?」と言っても、3年ほど前、思いつきで考えただけなので、はっきりしたものではないですが、旅をしたいけどできない人に代わって旅してあげる仕事です。(ここからは話半分で聞いてください)

3年前、この話をしたら、友人から、「なんで、わざわざ金を払ってまで他人に旅をしてもらわなくてはならないの? ありえないでしょ」と言われました。その通りですねぇ。俺でさえ、そう思います。

ただ、世の中は広い。「いるかもしれない」と考えるのが、俺のいいところでもあるし、バカなところでもある。それは自覚してます。

どうでしょうか? だれかいませんか? お安くしておきます。どんな旅をするかによって料金は変わりますが、基本、「旅行費用全部と旅行に関わる必要経費」プラス「俺のギャラ」となります。

あなたのためにだけ、俺がすばらしい旅をしてあげます。そして、その体験は、あなただけに話します。いや、本来なら、話もしてあげません。厳密に言うならば、体験を話して収入を得るのは、「代理旅行家」とは言えなくなるからです。お客さん(依頼者)には、俺が旅を楽しむことで、満足してほしいのです。

でも、今はキャンペーン中なので(ホントか?)、「ブログを見たよ」という人に限り、体験談を話してあげてもいいですよ。


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2007/09/06

モンゴル国に行ってきました (11) モンゴルの通貨(紙幣)

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外はすごい風と雨。台風が接近しています。

モンゴルの写真整理も一段落つき、ブログも、モンゴルの話題は今日までにします。最後に、モンゴルの通貨(紙幣)を掲載しておきます。(単位はトゥグルグ)

写真の上から、1000、500、100、50,20,10トゥグルグです。この上に、2万、1万、5000トゥグルグがありますが、現地で使ってしまい手元にありません。そして、5、1トゥグルグという小額紙幣もあるそうですが、今回の短い滞在でお目にかかることはありませんでした。

現在のレートは、1.00 トゥグルグ = 0.0972 日本円 です。つまり、写真一番上の1000トゥグルグは、日本円で約97円です。

ウランバートルの空港、銀行、両替屋などでは、日本円も両替できますが、地方では米ドルだけらしいので、地方を旅する時は注意したほうがいいですよ。

今回は短期旅行で、しかも仕事だったので、個人旅行者用の情報はほとんどありません。いずれ、またモンゴルへは個人的に行ってみたいなぁと思っています。いつのことになるか、わかりませんが。

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (10) モンゴル伝統アクロバット「ウランノグラルト」」


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2007/09/05

モンゴル国に行ってきました (10) モンゴル伝統アクロバット「ウランノグラルト」

070905
モンゴル滞在最後の夜、ウギー湖からウランバートルに戻った俺たちは、モンゴル伝統の音楽や踊りのショーを見に行きました。観光客用に毎晩やっているようです。

仏教の仮面劇、「ホーミー」、馬頭琴の演奏、モンゴルふうモダンバレエ、アクロバットなど、いろいろあって退屈しませんでした。

「ホーミー」とは、緊張した喉から発する笛のような声のこと。どこから響いてくるのかとあたりを見回してしまいました。かなり金属的な声です。タイのプーケット島で聴いたセミの声に似ていました。おそらく、大草原で、遠くまで届くようにと発展してきた声の出し方なのかもしれません。

歴史的には、「アルタイ山脈周辺の地域では、浪曲節のような喉を詰めた声で歌う叙事詩や賛歌が発達しており、喉歌はその叙事詩を装飾する目的で発達してきた」そうです。(Wiki 「ホーミー」参照

それにしても、「ホーミー」の演者が朝青龍と似ていたのには驚きましたが。

3人少女たちの、モンゴル伝統のアクロバットには、もっとびっくりです。モンゴル語では「ウランノグラルト」というそうです。(↑の写真)

5,6歳から練習を始め、12歳~14歳くらいが現役。世界的にも有名で、別グループが海外公演に行っているそうです。(日本にも来たかもしれません)

それにしても彼女たちの体はどうなっているのでしょうか。不自然なくらいの体の曲がり方。ポールの先で絶妙にバランスを取りますが、まるでスパイダーマンですね。

少女たちのけなげな演技を見ていると、どんな練習が行われているんだろうかなどと、余計なことが気になってしまい、「すごい」というよりは、少しだけ痛々しさを感じてしまいました。

Ya_2モンゴル国に行ってきました (11) モンゴルの通貨(紙幣)」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (9) 「ノホェホル(番犬をつないで)」」


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2007/09/04

モンゴル国に行ってきました (9) 「ノホェホル(番犬をつないで)」

070904
今回モンゴルに行って覚えた言葉は、

こんにちは         サンバェノー
みなさん、こんにちは  サンバェツガーノー
ありがとう          バイラルラー
笑って            イネゲレー
いくら?           ヒットウェ?
高いね            ウンテー

買い物して値段を聞いたときは、「安いね」はあまり使わず、だいたい「高いね」しか使いません。なので、覚えるのは「ウンテー」だけでもいいんです。そしてもっとも重要だったのは、

番犬をつないで!    ノホェホル!

これは、牧畜民のゲルを訪ねるときには、必須の言葉で・・・と、思っていたのですが、そう思っていたのは、もちろん俺ばかりだったようです。

ゲルに近づくと少しは吼えますが、咬まれることはありませんでした。咬む犬は、最初からつながれているそうです。だから走ってくる犬は、逆に安全と考えてもいいのでしょう。でも、油断は禁物です。チベット高原で、2回も犬に咬まれている俺としては、今回のモンゴル行きで、唯一心配なことでした。

標高の高いところではモンゴルでも、高原牛であるヤクが放牧されていましたが、このヤクの子どもがすばしっこくて、遠くから見ると、犬のようにも見えるのでした。あそこにいるのは、犬か、ヤクの子供か。放牧地に行くと、それが気になってしかたがないのです。

そんなに犬に神経質にならなくても、と思われるかもしれませんが、咬まれてみないと、この恐怖、わかりませんよ。

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (10) モンゴル伝統アクロバット「ウランノグラルト」」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (8) モンゴルの幽霊?」


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2007/09/03

モンゴル国に行ってきました (8) モンゴル、ウギー湖の幽霊?

070903
ハラホリンの北、約70kmのところに、ウギー湖があります。湖畔の草原にはいくつか、観光客用のゲル・キャンプが点在しています。

ここです。(Googleマップ http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=&ie=UTF8&ll=47.769791,102.762337&spn=0.099223,0.197067&t=h&z=12&om=1

明るい日差しが湖面にキラキラと反射し、遊牧民のゲルがなければ、地中海かどこかのリゾート地に来たようです。

せっかく湖に宿泊するので、夕食は湖から獲れた魚を注文しました。ところが、ドライバーのTさんは食が進みません。「肉が無ければ、食事ではない」といわれるくらい、モンゴル人にとって肉は半主食といってもいいものだそうです。羊肉が出たときの、Tさんの食欲は、あっぱれでした。魚はあまり好きではなかったようです。

でも俺たちは、もちろん魚のフライに満足しました。淡白な白身の魚。醤油でもかければ日本食と同じです。

食後、レストランの表へ出たら、外はすっかり暗くなっていました。そして湖面に映る月と、満天の星空を見上げました。「天の河」というのは、ほんとに「河」に見えるんですね。こんな星空を見たのは、去年のマダガスカル以来です。どっちも、空気が澄んでいて、空がきれいなところです。ここウギー湖は海抜1300mほどで、高原にあるのでなおさらです。

宿泊施設のゲルの写真を撮ったら、三本足の幽霊が映っていました。(↑の写真)

もちろん、嘘です。これは誰でも撮れるトリック(というほど大そうなものでもないですが)です。ちょっと遊んでみました。「心霊写真もどき」を撮るのは、いとも簡単、という例です。騙されないように。

三脚にカメラを立てて、約30秒間、バルブでシャッターを開けておきました。レストランの明かりがゲルを照らします。だから「幽霊さん」には、その間、体を揺らしてくれるように頼みました。そうするとこういう写真が撮れます。「幽霊さん」はガイドさんです。俺も自分が幽霊になった写真を撮りましたが、美しく撮れなかったので、残念ながら公開は断念します。ご了承ください。

ゲルの中では、作家のSさんと編集者のKさんはウオッカを楽しんでいました。薪ストーブが嬉しい、ウギー湖の夜でした。

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (9) 「ノホェホル(番犬をつないで)」」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (7) 映画『ウルガ』について」


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2007/09/02

モンゴル国に行ってきました (7) 映画『ウルガ』について

070902
モンゴルへ出かける前、映画『ウルガ』について、(今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』2007/08/14)のなかで、「ウルガとは、先に輪が付いた馬を捕まえるための竿のことです。これが草原に立ててあれば、そこで男女が仲良くしてますよ、というサインにもなるらしい。つまり、草原にウルガを見つけたら、近寄らないことが遊牧民のエチケットらしいのです。粋なサインですね。」と書きましたが、どうも、訂正しなければならないようです。

ガイドさんに、ウルガの話をしたら、モンゴル国にはそんな意味はない、慣習はないというのです。それは中国の内蒙古だけの意味・慣習ではないでしょうか?といわれました。つまり、フィクションなのかもしれないことがわかりました。あくまでも映画なので、それはありえる話です。

映画の中では、ウルガが象徴的に扱われていましたが、この意味・慣習がフィクションだとしても、映画の良さに変わりはありません。

ところで、俺たちも、ツェンケル温泉の草原で、乗馬を体験しました。女性のガイドさんは、普段は優しい顔なのに、馬に乗ったときだけは、表情が厳しくなりました。そのりりしい姿に、さすが騎馬民族だなぁと思いました。

俺たちが落馬して怪我でもされないようにと緊張していただけかもしれませんが、そのギャップにちょっとびっくりしました。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (8) モンゴルの幽霊?」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (6) 朝青龍、ドリームランドに滞在か?」


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2007/09/01

モンゴル国に行ってきました (6) 朝青龍、ドリームランドに滞在か?

070901
10日前まで行っていたところがこんなに話題になるとは思ってもみませんでした。今回モンゴル行きの話が来たのは6月中旬。当然、朝青龍の問題が起こる前です。

そういえば、俺が行ったところでは、何か騒動が起こっている気がしてなりません。バリ島では爆弾テロ事件。4年前のベトナムでは「サーズ」の発生、一昨年のイランでは地震がありました。去年のマダガスカルでは「チクングンヤ熱」の流行・・・・。もちろん単なる偶然だとは思いますが。

モンゴルの話題で、これだけブログを引っ張れると思いませんでしたが、しばらくはモンゴルの話題です。

高砂親方は、早々と、昨日の早朝出発のMIYAT(モンゴル航空)便で帰国しました。首都ウランバートルからハラホリンまでは、6、7時間。往復13時間あまり。道の8割がたは、舗装されていない悪路を走ります。「草原、草原、また草原の道(2007・8・27)」でも書いたとおり、草原の道は意外とたいへです。

一行は、30日未明にハラホリンのドリームランドに着きました。その後、高砂親方は、50kmはなれたホジルトの温泉病院をチェックして、ウランバートルに戻ったらしい。ただ「行きました」「チェックしました」という高砂親方の証拠作りの目的は果たせました。

でも考えてみれば、高砂親方は、これ以上、ハラホリンにいてもしかたない。まさか、俺たちのように、世界遺産の「エルデニ・ゾー」の見学や、乗馬体験やってる場合でもないし。それこそ、そんなことをしたらとんでもないことになってしまいます。今度は高砂親方が病気になって故郷に帰らなくてはならなくなります。

俺は、前も書きましたが、朝青龍にはきちんと、けじめをつけて、日本角界に復帰してもらいたいと思っています。モンゴルに実際に行ったことで、すごくモンゴルに親近感をもつようになったし、好意的に見るようにもなっています。

日本のマスコミのパパラッチ的取材が、モンゴル人の目にどう映っているか。地元では、あまりにもしつこいと、批判的な話も出始めているらしい。精神的な病なら、そっとしておいてあげるのが一番なんですが。(つまり、マスコミは、また仮病だと思っているわけで・・・)

いままで、「モンゴル人力士を暖かく迎えいれてくれた日本人」というイメージが、今回のことで崩れてしまうんでしょうか。

でも、朝青龍も、今の状態ではどうしようもない。とにかく、今回は「本当の病気」(ここまで来たら、病気になるしか事態を収める方法がなかったと思うけれど)なんだから、しっかり病気(あるいは仮病?)が治ったら、モンゴルと日本で記者会見をして自分の言葉で、謝るなり、なんなりして欲しい。

それが、モンゴルの男として尊敬されるブフ(モンゴル相撲)の力士の姿なのではないですか。英雄ならば、ぜひ、そういう態度を見せてほしいと思っているファンのひとりです。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (7) 映画『ウルガ』について」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (5) こんな天気、見たことない」


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2007/08/30

モンゴル国に行ってきました (5) こんな天気、見たことない

070830
ツェンケル温泉に滞在中、夕方、近くの牧畜民のゲルを訪ねることになったとき、雷鳴がひっきりなしに響き、それはまるでボーリング場にいるように鳴り続けたのですが、まだ雨が降り出す様子はありませんでした。

ところがゲルに着いて、中に入れてもらったとたん、ゲルのフェルト製の屋根がボツンと鈍い音をたてました。外を見ると直径2cmほどの白い玉が地面を転がっています。あっちにも、こっちにも。雹(ひょう)でした。巨大な雹。

すぐに、すさまじい勢いで雹が降り始めたのでした。さっきの雷鳴が普通ではなかったことに、ようやく「なるほどな」と納得できたのです。雹は数分間以上降り続き、草原は雪が降っているように白くなりました。まるで地球最後の日を迎えたような、非現実的な光景に、俺は、ゲルの中で食品の写真を撮るという仕事をそっちのけで、しばし呆然と草原を眺めていたのです。

なんて表現したらいいのでしょうか。わくわくします。人間の存在を越えた圧倒的な自然の威力を感じます。一種の感動。あるいは、畏れ。

東の空を覗いたら、虹が出ていました。あわててウインドブレーカーを頭からスッポリ被って表に飛び出ました。雹が当たるとさすがに痛い。ウインドブレーカーの隙間からカメラを出して写真を撮りました。雹が降っている中で虹が出るという天気に遭遇したのも初めて。

表につながれていた馬は、雹に打たれながらじっと絶えています。(↑の写真) このときばかりは、馬に生まれなくて本当に良かったと思いました。

こんなすごい天気に遭遇したのは久しぶりです。そういえば、中国雲南省のドアン族の家に泊めてもらったときも、すごい雹が降りました。お父さんも、お母さんも、子どもたちも、みんな雹を拾っては食べ、拾っては食べていました。翌朝、村を散歩していたら、女の子が竹筒を持って、中に手を突っ込んでは何かを口に入れていました。「何を食べているの?」と聞きながら竹筒を覗くと、昨夜降った雹だったのです。よほど珍しかったのでしょうね。

モンゴルの、この牧畜民の子どもたちも、地面を転がってくる雹を、おもしろがって手には取りましたが、食べることはしませんでした。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (6) 朝青龍、ドリームランドに滞在か?」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (4) 「スモウ」のキャラクターのモデルは朝青龍か?」


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2007/08/29

モンゴル国に行ってきました (4) 「スモウ」のキャラクターのモデルは朝青龍か?

070829
とうとう朝青龍が、今日昼の便でモンゴルに帰りました。モンゴル到着後、朝青龍の関連会社が経営する温泉宿泊施設「ドリームランド」のあるハラホリン(カラコルム)へ向かうとも言われています。

にわかに注目を浴びたハラホリンという町は、かつてモンゴル帝国の首都だったところで、カラコルムと呼ばれていました。今は小さな田舎町です。

この町には、2005年に登録された「オルホン渓谷の文化的景観」に含まれる「エルデニ・ゾー」という仏教寺院群があります。なので、外国人観光客は多いところです。だから朝青龍のドリームランドもここに作られた理由はわかります。

町には市場もあります。入り口には、ミルク缶を並べて馬乳酒を売っている人たちがいました。甘酸っぱい味で、飲みやすい。

建物の中では、肉、衣料品、野菜などが売られていました。ただ、野菜はお世辞にも新鮮とはいえないものばかりでした。中国から輸入される野菜が多いようです。

商店の食料品売り場で、「スモウ」を見つけました。(↑の写真) モンゴルのスナック菓子です。見た目、塩味を期待させるものなのに、口に入れると甘い。ちょっとした「裏切り」を感じます。2種類ありますが、ひとつはカカオ味、もうひとつはミルク味です。味自体は悪くありません。

このキャラクターがかわいくて、お土産として買ってきました。このモデルは、やっぱり朝青龍でしょうか。朝青龍にも「裏切り」を感じているファンは多いのではないでしょうか。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (5) こんな天気、見たことない」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (3) 朝青龍の母国」


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2007/08/28

モンゴル国に行ってきました (3) 朝青龍の母国

070828
とうとう朝青龍はモンゴルに帰ってしまうのですね。明日の便ですか。(今度こそ、本当の病気ならしかたありません。)

でも、もう日本に帰ってこないのかなぁ。昨日のニュースでは、副業で得た収入を適正に申告していなかったということも明らかにされました。

しかし、なんですねぇ。次から次へと問題が出てくると、なんとか早く幕引きしたいと思っている関係者もいるでしょう。そもそもの発端となった、夏の巡業を休んだ病気が、本当だったのか、仮病だったのかさえ、わからずじまい。

運よく、朝青龍は外国人力士なので、母国に帰して厄介払いできると、ほくそ笑んでいる関係者もいたりして・・・。日本人力士だったら、こうはいかないでしょ。

首都ウランバートルの西、車で6時間のところ、ハラホリン(カラコルム)という古都に、朝青龍の関連会社が経営する「ドリームランド」という温泉施設があります。看板が立っていました。(↑の写真)

俺たちは今回、このドリームランドの隣のゲルキャンプ(ゲルを宿泊施設にしたゲストハウス)に泊まりました。だから実際ドリームランドの中は見ていませんが、カラコルム郊外の見晴らしの良い草原の中にあり、たぶん療養するにはとてもいい環境ではないでしょうか。テレビ報道によると、朝青龍は、ここに滞在するのでは?と言われています。従業員からも「近々、朝青龍がここに来ると聞いている」という証言を得ているそうです。

ところで、今回、モンゴルの何ヶ所かで、手形とサインの入った朝青龍の色紙を見つけました。有名人なので、いろんなところで色紙をお願いされているようです。レストランの従業員によると、朝青龍は、偉ぶったところもなく、普通のモンゴル人でとても好印象を持ったといいます。モンゴル人には、すこぶる評判が良いようです。

日本は朝青龍に対して厳しすぎるというのが、一般的モンゴル人の思いらしい。そういえばこの件について、ガイドさんに話を聞くのを忘れたなぁ。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (4) 「スモウ」のキャラクターのモデルは朝青龍か?」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (2) 草原、草原、また草原の道」


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2007/08/27

モンゴル国に行ってきました (2) 草原、草原、また草原の道

070827
草原の国モンゴル。

ほんとに草原だらけなんですね。そして「道」の概念が変わりました。

車のドライバーの運転を見ていると、まるで馬を操っているようです。ハンドルを回しているところは、馬の首をなでているように見えました。これは俺が「モンゴル人は騎馬民族」というイメージを持っているので、とくにそう見えてしまうということはあるのかもしれません。

ただ、同行の作家Sさんと話をしていたら、Sさんも全く同じように感じていたらしいので、俺だけの思い込みでもなさそうです。

車は草原のどこを走ってもいいそうです。ドライバーは、日によって、天気によって、走る轍を変えています。だから、進んでいた轍が、大きな石が転がっていたり、溝ができていたりして、突然行き止まりになり、バックで戻るということも何度かありました。

ドライバーに聞いてみました。どうやって道を覚えているんですか?と。彼は、地形を覚えているそうです。たぶん、「道」を覚えるというのは、「車の轍」を覚えることではなくて、彼が言うとおり、地形を覚えることで、方向は決めるけど、通る轍は毎回変わっているのでしょう。つまりそれは、馬を走らせるのと、同じことなんですね。

ただ、地面の状態で、走りやすい轍というのができます。だから、走りやすいところは、多くの車が通るので、ますます轍の跡がはっきりしてくる、ということがあります。そうなったところが、俺たちが「道」と呼んでいるもの、と言っていいのではないでしょうか。

草原の「道」って、とてもおもしろい。日本じゃ考えられない。実際に行ってみないとわからないことってありますね。それが旅の一番の楽しみでもあります。

ところで、「○○町まで、ウランバートルから@km」と表記されるんですが、もちろん、直線距離ではないそうです。でも、どの轍を通った距離を計っているんだろう?と、不思議に思ったのでした。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (3) 朝青龍の母国」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (1) ウランバートル」


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2007/08/26

モンゴル国に行ってきました (1) ウランバートル

070826
モンゴル国から帰りました。

10日間ほど休みましたが、今日からブログを再開します。

モンゴル取材内容についての詳しい話はできませんが(雑誌が出るとき、あらためてお知らせします)、モンゴルの印象を何回かに渡って書いていきます。

まず、首都ウランバートルの第一印象から。

空港から市内までは、車で約25分ですが、空港を出るとすぐ草原になります。「モンゴルは草原の国」というイメージを裏切らない風景が続くので、かえって驚くくらいです。

市内が近づいて一番初めに目に飛び込んできたのが、大きな煙突でした。石炭を使った火力発電所の煙突。こんな首都の近くに発電所があるのに驚きます。(しかも、あとでわかったのですが、3ヶ所くらいありました)

市内に入ると、ロシア風のビル。どことなく社会主義の匂いが残っています。(1992年、モンゴル人民共和国からモンゴル国へと国名を変え、社会主義を放棄しました) 看板に書いてあるモンゴル語はキリル文字なので、なおさらロシアのようです。そしてあちこちで、新しいビルが建設中でした。

ウランバートルは、メインストリートに、しゃれたレストランや店も並んでいるし、旧国営百貨店の「ノミンデパート」も店内は明るい雰囲気で、輸入電化製品、化粧品、食料品などが並び、予想以上に都会的でした。

でも、ビルとビルの間にゲル(天幕住居)が建っていたり、郊外の住宅地にもゲル街があって、そこだけは「さすがモンゴル」。(市内のゲルは、馬乳酒を飲ます飲み屋らしい。時間がなくて入れませんでしたが)

でも、街並みや匂いは違っているけれど、世界中、都会はやっぱりどこも同じような方向に変化していくんだぁと思いました。

↑に掲載の写真は、「ボルド(BOLD)」という男性歌手の看板。モンゴルの伝統的な音楽ではなくて、ポップスです。今週のCD売り上げベストテンに入るくらいの人気歌手らしい。その音楽をちょっとだけ耳にしたのですが、てっきり女性歌手だと思ったら、違いました。その歌声は女性のようで、やさしく、耳ざわりのいいものでした。なかなかいい曲なんです。もともと4人のグループを抜けて(解散して?)、ソロになったら売れ出したとのこと。

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (2) 草原、草原、また草原の道」


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2007/08/14

今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』

070814
明日からブログは10日間ほど休みます。もし、現地からブログを更新する時間があれば、してみますが。

なお、いただいたコメントとトラックバックは、帰国後の公開になります。

            ●●●

この前、中国内蒙古自治区ハイラル郊外のハムスロンさんといっしょに草原に遊びにいったことを書きましたが、村を出たところで、ある出会いがありました。

バスに乗るために自動車道路まで出ると、1台のトラックが止まっていました。ハムスロンさんは、「あの車に乗せてもらおう」と、ふたりで近づいてみると、トラックはロシア人たちの車で、レストランとは反対方向へ行くことがわかりました。しかも車は故障中。

彼らロシア人たちは、チタからきて、中国の農場で働いて2年経つといいました。農業の合弁事業らしい。リーダー格の男が、住所と名前を書いた紙をくれましたが、さっぱり読めません。ロシア語でした。かろうじて、名前は、ガルマーユ何とかさんだとわかりましたが。中国語はまったくしゃべりませんでした。

ボンネットに座っていた男たちが、写真を撮れというので、2、3枚写真を撮りました。すると、油で揚げたようなパンと、ビールをくれました。それと、不要になったロシア語の雑誌も。もちろん、くれるというものを拒否したりしません。ありがたく全部もらい、その場で食べ、飲みました。そして分かれました。ロシア人と話をしたのは、このときが初めてでした。

この一件があって2年ほどたったとき、日本で、ある映画が公開されました。それが『ウルガ』という映画です。

原題 URGA/CLOSE TO EDEN
製作年度 1991年
製作国 フランス
監督 ニキータ・ミハルコフ
ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞

内容は、内モンゴルの草原で、ロシア人、セルゲイの運転するトラックが故障してしまい、近くのゲル(天幕住居)に住んでいたモンゴル族のゴンボ一家にお世話になり、遊牧民の生活を知っていくという話なのです。(このハイラル郊外の一件と共通する導入部です。それだけ、ロシア人のトラックは故障するということかもしれませんが)

当時、けっこう話題になった映画なので、覚えている人も多いのではないでしょうか。いい映画でした。

映画のタイトルになっている「ウルガ」とは、先に輪が付いた馬を捕まえるための竿のことです。これが草原に立ててあれば、そこで男女が仲良くしてますよ、というサインにもなるらしい。つまり、草原にウルガを見つけたら、近寄らないことが遊牧民のエチケットらしいのです。粋なサインですね。(これはフィクションかもしれないことがわかりました。「モンゴル国に行ってきました (7) 映画『ウルガ』について(2007/09/02)」を参照

淡々とつづられるユーモアを交えたゴンボ一家の生活も良かったのですが、俺はとくに、音楽に魅せられてしまいました。その後、この映画のオリジナルサウンドトラック CDを買おうとしたのですが、ちょっと遅れてしまい、もう売ってないと言われて、諦めてしまったのでした。

今回モンゴルの話を書くために、当時の日記を読んで、このトラックのロシア人たちとの出会いを思い出したのでした。そして、この映画『ウルガ』のこと、その音楽CDが欲しかったことも。誰か持っていたら譲ってください。

『ウルガ』のラストシーン(記憶違いでなければ)がまた、印象的なんです。草原に立つウルガが、時代が変わって○○○○に変わっていくのでした・・・

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(7) 「蒼き狼」の末裔、モンゴル相撲の力士」


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2007/08/13

今、何かと話題のモンゴル(7) 「蒼き狼」の末裔、モンゴル相撲の力士

070813
草原ツアーに行った日の夕方、ハイラルの街に戻ってから、ナダム祭りのモンゴル相撲「ブフ」の会場で知り合った力士たちを、宿舎に訪ねました。

バォリタさんという青年は、今回の「ブフ」の試合で4位になった力士でした。

彼は、年に2、3回里帰りするそうです。

この辺(ハイラル郊外)では夏だけゲル(天幕住居)に住むのとは違って、彼の実家の田舎では、夏も冬も、1年中ゲルに住む、完全な遊牧民が多いところらしい。草丈が高く、冬でも雪が積もることはないので、冬も放牧できます。ただし、やっぱり冬はめちゃくちゃ寒いらしい。

ゲルには、電線など来てないので、ヤマハの発動機を使って、自家発電しています。夜は(昼もそうかもしれませんが)、家畜の鳴き声意外は何も聞こえないところです。隣のゲルは、とても遠いのです。遊牧をするには、かなりの面積の草原が必要です。

時々、狼が出没し、羊を食べられてしまいます。遊牧民にとって、一番怖いのが野生の狼です。

『元朝秘史』(Wiki 参照)には、「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白き牝鹿ありき。」とあります。昔、井上靖の『蒼き狼』というチンギスハーンの小説を読みましたが、モンゴル族の起源として、この一節が引用されていたような気がします。そして今年は、映画『蒼き狼 地果て海尽きるまで』が公開されました。(観てないですけど・・・)

狼はモンゴル族の祖先だと考えられていますが、「羊を襲う狼は、やっぱり悪いやつです」とバォリタさんは笑いながら言ったのでした。

ハルピンの体育学校に入るまで、彼はずっと田舎のゲルで暮らしていたので、モンゴル語だけで、普通話(北京語)もしゃべれませんでした。だから最初町に行ったとき、言葉ができなくて苦労しました。頼れるのは、自分の体と「ブフ」の才能だけ。言葉のハンデにも負けず続けられるのは、故郷の人たちの応援があるからだと言います。

今回「ブフ」の試合で勝ち取った4位の賞品は、羊1匹と洗濯機でしたが、田舎へのいいおみやげができて喜んでいるとのこと。

こうした青年たちが、モンゴル相撲で活躍するようになっていくんですね。田舎の期待を一身に背負って出るようなところは、日本の力士たちと同じです。朝青龍は、モンゴルという国を背負って相撲をとっているのでしょう。

ちなみに、朝青龍は、「15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝した。1997年に朝赤龍とともに日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に退学して角界に入門した(後に卒業が認められた)。」(Wiki「朝青龍明徳」から引用

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(6) 大草原のモンゴル族 2」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』」


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2007/08/12

今、何かと話題のモンゴル(6) 大草原のモンゴル族 2

070812
ハイラルから、ロシアとの国境、満州里に行き、2泊したあと、ふたたびハイラルに戻ったとき、何日か前、北京で知り合った日本人青年(海外青年協力隊員)のWさんと再会しました。

もうひとり、満州里で知り合ったシンガポール人バックパッカー(華僑)と3人で、ハイラル郊外の草原に行くことになりました。

俺にとっては、2度目の草原です。

この前は、公共バスで行ったのでしたが、今回は、旅行社で車を頼んで回ることになりました。

前回も立ち寄った草原のゲル(天幕住居)のレストランへ行って、「ショウバーロウ」という、羊肉の料理を食べました。これは、羊肉を豪快に切った塊を水で煮たもの。塩や香辛料などは、一切加えない。その骨付き肉を手づかみで食べるのが、モンゴル伝統料理「ショウバーロウ(手扒肉)」です。これはうまかった。羊の臭みがまったくないんです。「これが羊の一番おいしい食べ方です」と、Wさんは教えてくれました。

レストランからの帰り、大草原の中にゲルを見つけたので、訪ねることにしました。

主人はダリマさんといいました。ダリマさん一家は、奥さんと5人の子どもの7人暮らし。羊100匹、牛50頭、馬15頭飼っていて、1台トラクターも持っているといいました。牧畜民としては、裕福な方らしい。夏の間、3ヶ月ここで放牧し、冬は南の定住地へ帰ります。

奥さんが、バターとパンを出してくれました。バターもパンも、もちろん手作りです。バターは「ハバ」と呼ばれる筒状の器に牛乳を入れ、約1000回棒で攪拌すると、バターが分離してきます。Wさんによると、このあたりの牛乳の脂肪分は日本の牛乳の2倍はあるという。分離したバターをスプーンで集めて茶碗に盛ります。

長男が、ゲルの真ん中に置いてあるストーブで、ミルクティーを作り始めました。大きな塊の茶をナイフで削って湯に入れ、そのあとミルクを入れるとできあがり。熱々のミルクティーはおいしく、俺たち3人は大満足したのでした。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(5) 大草原のモンゴル族 1」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(7) 「蒼き狼」の末裔、モンゴル相撲の力士」


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2007/08/10

今、何かと話題のモンゴル(5) 大草原のモンゴル族 1

070810
ハイラルのナダム祭りは3日間続きましたが、閉幕式が終わった翌日、今度はバスで郊外に出てみました。

大草原の中に、モンゴル族、エベンキ族、ダフール族などが住んでいます。

あるモンゴル族の村でバスを降りました。食堂兼売店があったので中に入っていくと、数人のモンゴル族のおじいさんたちが、朝から酒を飲んでいました。

日本語を覚えている人も多く、ポンポンと日本語の単語が飛び出します。「ヤポン(日本人)か?」と言って、手を握り、いきなり手の甲にキスをしたおじいさんがいました。モンゴル族のあいさつでしょうか? それ以上の意味はなさそう・・・。

そこで知り合った村の村長(といっても45歳くらい)の、ハムスロンさんといっしょに、10数kmはなれた「草原のレストラン」まで遊びに行くことになりました。

途中、村長の知人の家に寄りました。1軒目は、レンガ作りの家で、ミルクを飲ませてくれました。ロシアの影響なのか、意外と家の中が洋風で驚きました。中国人(漢族)の家とは、あきらかに違います。

2軒目は、伝統的なゲル(天幕住居)の家。「ゲル」のことを中国語で「パオ」といいます。木のフレームを組み立てて、屋根と横の部分をフェルトで覆います。ここではありませんが、以前、新疆のカザフ族のユルト(カザフ語ではゲルのことを「ユルト」と言います)の組み立てを見ていたことがあります。家族5人で半日かけて、1軒のユルトが完成しました。

ここの主人は、荷車を引く馬車まで用意してくれました。3人で馬車に乗って、ゲルのレストランがある丘へ。眺めのいい丘で、そこからは、牧畜民とたくさんの馬たちが、川に入っているのが見えました。(↑の写真)

どこまでも続く緑の草原と雲。吹き渡る風の気持ちよさ・・・。

ところで、こういう環境で育った人間が、都会のマンションの1室でじっとしていなければならない「苦痛」は、俺もわかります。でも、「苦痛」があるから、「処分」になる。朝青龍には、そこをわかってほしい。そして復活してほしい。

でも、結局、「病気」と診断してもらって、療養のため(今度こそ仮病ではなく)モンゴルに帰ることになるのでしょうか。もし来週、同じ便に乗るようなことがあれば、よろしくね。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(4) モンゴル相撲と日本軍」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(6) 大草原のモンゴル族 2」


モンゴル国へ行ってきました。朝青龍の関連会社経営の宿泊温泉施設がありました。(2007/8/28)
次のページでどうぞ。
Ya_2「モンゴル国に行ってきました (3) 朝青龍の母国」

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2007/08/09

今、何かと話題のモンゴル(4) モンゴル相撲と日本軍

070809
モンゴル相撲のことを「ブフ」と呼ぶことは、昨日、一昨日も書きましたが、漢字では「博克」と書いていました。

中国内蒙古自治区ハイラルのナダム祭の「ブフ」会場には、パネルが展示されていて、その中に、興味を引かれた写真がありました。

昔、ハイラル郊外に「甘珠廟」という廟がありました。これは文化革命時代に壊されてしまいましたが、それまでは、この廟が「ブフ」大会の会場だったそうです。

その「甘珠廟」での「ブフ」大会は、1936年から始まりました。第一回目の優勝者は、ダムティン・ワンジルさんという名前だそうです。彼の写真も展示されていました。

その隣に展示してあったのは(↑に掲載の写真ですが)、1938年大会のとき、日本軍が撮った写真だそうです。当時、出場した力士が映ってます。「ドゾク」と呼ばれるベスト、「ゴダル」と呼ばれるブーツも、ちゃんと着用しています。軍人らしき人間は映ってないようですが。

この写真の時代背景を調べてみたら、こんな感じでした。
Wiki 「日中戦争」を参照

1937年(昭和12年)、7月7日、盧溝橋事件が勃発し、日中戦争が始まりました。写真の1938年は、その翌年にあたります。7月から8月にかけて、張鼓峰で発生したソ連との国境紛争、張鼓峰事件というのがありましたが、この写真が撮られたのはその頃らしい。さらにその翌年、1939年(昭和14年)、5月~8月には、ノモンハン事件で日ソ武力衝突がありました。

この写真を撮った日本軍人は、翌年のノモンハン事件に遭遇したのではないでしょうか。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(3) 相撲と朝青龍について」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(5) 大草原のモンゴル族 1」


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2007/08/08

今、何かと話題のモンゴル(3) 相撲と朝青龍について

070808
中国内蒙古自治区のハイラルで行われた祭り「ナダム」のモンゴル相撲「ブフ」で、優勝した力士に贈られた賞品は、白いラクダでした。(↑の写真) ちなみに、2位は馬、3位は牛、4位は羊と洗濯機でした。これとは別に行われた少年の部での優勝賞品は、大きなラジカセでした。

ところで、朝青龍の問題ですが、だんだん日本とモンゴルとの政治的・経済的な問題にも発展しそうです。

嘘をついて(仮病はもう疑惑ではない?)巡業を休むことは、理屈抜きで悪いので、2場所出場停止と謹慎処分はしかたないでしょう。厳しい処分ですが、そこはスポーツマンらしく、潔く受けて、再起してほしい。

ただ、引っかかることがあります。朝青龍が日本人だったら、このバッシング報道は、どうだったのだろうか?と、ひねくれ者の俺は考えます。

今回の件は、朝青龍個人の言動に関わる問題なのですが、背景には別な問題もあるように感じます。これだけ外国人力士が増えてきた角界そのものを、日本人はどう見ていくのか。外国人に日本の「相撲道」を求めることの難しさです。(それを覚悟の上で、朝青龍も日本に来たはずなのですが)

Wiki「相撲」によると、相撲は「もともとスポーツではなく、力のある男性が神前にてその力を捧げる神事であった。そのため神に対する敬意を示すための礼儀作法が重視されている。 」とあります。(モンゴル相撲「ブフ」の起源も、宗教的儀式でした) 

相撲は、神事でした。だから、単なるスポーツではなくて、もっと日本人の精神的なところに深く入りこむ文化でもあると思われます。とくに、その大相撲力士の頂点である外国人横綱の「ふさわしくない(もしかしたら、モンゴル人には気にならないかもしれない)言動」によって、日本人の心をかき回されるのは、気持ちが悪い(癪にさわる)ということはあるかもしれないなぁと、俺自身の気持ちを探っていくと、そう思います。

日本人の妻をもらって、日本人に帰化して・・・そういう横綱だったら、もっと好意的に見るのでしょうか。「外国人」に風当たりが強いのは、なにも角界だけではありませんが、でも、とくに、日本人と似ているモンゴル人には厳しいかもしれません。近親憎悪というやつですね。むしろ、ハワイ出身の力士やブルガリア出身の力士の方が、顔形が違っているだけ、逆に「外人だから」と甘く見ることはないのでしょうか。

外国人力士を最初に受け入れた時点で、今回のような問題はいずれ起こるだろうと、予想されていたでしょう。今の日本人の若者は、相撲をやりたがりません。でも、大相撲を続けるためには、外国人を受け入れるしか、今のところ方法はないとすれば、日本人と外国人が、いっしょになって新しい大相撲を作り上げるしかありません。

朝青龍の問題で、角界の国際化の問題も再び浮き彫りになりました。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(2) 伝統的な祭りナダム」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(4) モンゴル相撲と日本軍」


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2007/08/07

今、何かと話題のモンゴル(2) 伝統的な祭り「ナダム」

070807
内蒙古自治区ハイラル(海拉爾)でも、夏には、モンゴル族の伝統的な行事、「ナダム」が開かれます。

ナダムは「娯楽」を意味するモンゴル語で、一般的には7、8月に行われます。もともと、ナダムは屈強なモンゴル人たちが武力を競う場でした。競技は、相撲、競馬、弓(アーチェリー)で、「男の3種の娯楽」と呼ばれました。

モンゴルの首都ウランバートルでは今年、7月11日、「ナダム」の開幕式が行われたそうです。(朝青龍がサッカーでヘディングシュートを見事に決めた試合は、ナダム祭とは関係なかったのかな?)

ハイラルでは、モンゴル族ばかりではなく、エベンキ族、朝鮮族、漢族が一同に会し、物資交流会を兼ねた大運動会が開かれたのでした。

草原で繰り広げられる「ブフ」(日本ではモンゴル相撲と呼ばれる)。(↑に掲載の写真)

モンゴル相撲は、13世紀のチンギスハーン時代に、兵士の鍛錬のために行われたという説があります。日本とはちょっと違っていて、土俵というものがありません。

モンゴル国の「ブフ」は、肘・膝・頭・背中・尻が地面に着くと負け(手をついても負けにはならない)。 一方、内蒙古(中国側)の「ブフ」は、足の裏以外の部分が地面に着いたら負けになる。(wiki ブフ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%95 参照

日本とはルールが違います。押し出しとかはないので、投げ技が見ごたえありますね。

朝青龍も子どものころからモンゴル相撲をしていたんでしょうね。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(1) モンゴル・ヴィザ」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(3) 相撲と朝青龍について」

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2007/08/06

今、何かと話題のモンゴル(1) モンゴル・ヴィザ

070806
今、朝青龍の問題で何かと話題のモンゴルへ、来週、雑誌の取材で行くことになりました。

でも、朝青龍とはまったく関係ありません。当然ですが。編集部のほうで、ヴィザ申請してくれるというので、申請用紙とパスポートを渡してきました。ヴィザは、パスポートの有効期間が6ヶ月以上ないとダメだったので、今回、パスポートも新しくしました。(パスポートは、中に、堅いページが挟まっていたりして、だいぶ変わりましたね) 観光ヴィザは一週間で取れます。(特急料金もあるようです)

今まで、内蒙古(内モンゴル。中国側)は、3度ほど行ったことがありますが、モンゴル国は初めてです。

↑に掲載の写真は、内蒙古自治区の、ロシア・モンゴルとの国境近く、ハイラル(海拉爾)の草原です。現在は、ホロンバイル市の政治、経済、文化、交通、通信の中心で、ハイラル区になっています。

馬に乗ったモンゴル族たちが、さっそうと草原を行く姿には、惚れ惚れします。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(2) 伝統的な祭りナダム」


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2007/08/02

暑中お見舞い申し上げます。(3)

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暑いときには、川の写真をどうぞ。

写真は、中国雲南省西双版納タイ族自治州のメコン河(ランツァンジャン 瀾滄江)の夕方。

タイ族が竹筏に乗って流されていきました。

どこまで行くのでしょうか。


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2007/07/31

『何でも見てやろう』の小田実さんが死去

070731
(写真はエジプト・アスワン。夕方のナイル川)

小田実さんが30日未明、胃ガンのため亡くなりました。

75歳でした。

俺が初めて外国へ行こうと決心して、焼肉屋でのアルバイトに励んでいたとき、何冊かの旅行記を読みました。

その中の一冊に、小田さんの『何でも見てやろう』がありました。

1961年に発表された、ヨーロッパやアジアなどをめぐった旅行記で、当時ベストセラーになったそうです。

俺が読んだのは、1979年だと思うので、発表されてからずいぶん時間がたっていましたが、まだ、外国を自由に旅行した本はあまり多くはなかったので、この本を、むさぼるように読んだ記憶があります。

内容はほとんど覚えていませんが、この『何でも見てやろう』というタイトルだけは忘れませんでした。忘れるどころか、今までずっと頭の中にあった気がします。旅するときは、なんでも見て、聞いて、食べて、経験して・・・、がむしゃらに行動する青年旅行者、タイトルにはそんなイメージがありました。

1950年代は、まだ外国へ旅する日本人も少なかったろうし(小田さんはフルブライト奨学制度を利用して出ています)、俺が出た1979年でさえ、今と比べればまだそれほど多くはなかったでしょう。海外の情報に飢えていた若者たちの心の叫びだったかもしれません。若者ばかりではありません。日本人の海外旅行の仕方そのものが、まだ成熟していない、青臭さを持った「青年期」だったのです。そんな時代を象徴するようなタイトルでした。

その後、海外旅行は一般的なものになり、「何でも見てやろう」というよりは「ここだけ見てやろう」という旅行が多くなってきたようです。それだけ、日本人の外国に対する知識量は増え、嗜好、趣味が多様化してきたということでしょうか。

今は、テレビ、雑誌、インターネットで、外国の情報にあふれています(ほんとうはそうでもないんですが)。行かなくても、行ったつもりになれます。下手したら、実際行った人よりも、情報をよく知っている人がいるくらいです。

ただ、行かないとわからないことがあります。わからないことは、実際に現地に行って、初めてわかります。あたりまえですが。

それは情報ではありません。自分の体で感じるものです。他人とは共有できない、自分だけの感覚です。「見る」というと視覚的なことばかりを想像してしまいますが、小田さんが書いていたことも、「情報」ではなくて、日本人が外国へ行ったときの「感覚」だったのではないかなと、今思います。

いつまでも「何でも見てやろう」という気持ちで、旅ができたらいいなぁと思っています。

ご冥福をお祈りいたします。

小田実さん死去 作家 市民平和運動に尽力
東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007073002037096.html 参照

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2007/07/25

イランで服装の取り締まりが始まった

070725
(写真はイラン・エスファハーン)

きのう、「おつかれさん」という店について書いた流れで、今日もイランの話題です。

イランで厳しい服装取り締まり
2007年07月23日 20:01 発信地:テヘラン/イラン http://www.afpbb.com/article/entertainment/fashion/2258491/1855450 参照

4月の新聞で、イランの服装の取締りのニュースを知ったのでしたが、そのあとどうなったかなと思っていたら、7月23日からまた厳しい取締りが始まったようです。

俺がイランに行ったのは、もう2年前です。旅行中は、意外と女性の服装がカラフルだったことに驚き、道のまん中で女子大生から握手を求められて、やっていいのだろうか?と、逆に俺が周囲の目を気にしたりして、でも、ちゃんとやりましたが、そんな開放感がありました。

市内バスも、男女別の席だと聞いていたのですが(最近、日本の電車にもある「女性専用車両」と似てる(?))、エスファハーンやシーラーズでは、平気で男女いっしょの席に座っていたし、イスラムの厳格さが色濃い「イラン」のイメージが変わったのでした。

でも、それから事情が変わったらしい。あのとき、ちょうど大統領選挙があって、保守強硬派のアフマディネジャド氏が勝利しました。核開発についても強気な発言が目立ちますが、国内的にも引き締め政策が取られているようです。

でも、若い人たちは、そんな政策についていくんでしょうか。町では、さすがにマックやケンタッキーはないものの、イランふうファーストフード店で、若者たちはハンバーガーやピザを食べているし、テレビでは、ハリウッド映画もやっていました。アメリカは嫌いだけど、アメリカ文化は好きだというイラン人はたくさんいるようです。

でも、服装が乱れているといっても、「足首が見える」「髪の毛が見える」という程度なんです。それでも厳格なイスラム教徒には許されないんですね。それなら、日本女性の服装は、ほとんど下着姿、いや、ほとんど裸です。倖田來未なんて、即、逮捕でしょう。日本の女性はほとんど犯罪者になってしまいます。(俺も、西洋のロゴ入りシャツを着ることがあるので、逮捕されます)

ずっといると気が付きませんでしたが、俺はこんな国に住んでいたのかぁと、あらためて思いましたね。もちろん、がっかりしたわけではありませんが。


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2007/07/19

中国のパンダ犬、「動物虐待」論争

070719
中国の話題に事欠きませんねぇ。

チャウチャウ犬をパンダのように色を塗った「パンダ犬」が話題です。

以前、中国雲南省の「石林」という奇岩の林立する観光地では、白馬に縦縞の黒い線を描いて「シマウマ」にして、観光客に写真を撮らせていました。なんだかほのぼのとしてました。だれも「虐待だ」などと騒ぎませんでした。

犬をパンダに似せて、どうしてニュースになるのか? ここが中国らしい。この行為を「動物虐待だ」「そうじゃない」と議論しているというのです。

「動物虐待だ!」「名誉毀損だ!」パンダにされた犬めぐり非難の応酬―中国
7月11日11時34分配信

Record China http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070711-00000007-rcdc-cn 参照

問題は、このパンダ犬を作った人が、動物や自然保護を歌う歌手だから違和感を覚えた人も多いらしい。作った本人は、「くだらない」と、相手にしていないようですが。

「虐待」とは、「酷く取り扱う事、残酷な待遇」(広辞苑より)だそうです。

ここで、日本人は不思議に思ってしまいます。市場に行けば、犬が食糧として売られているというのに。食べることより、色を塗ることのほうに「虐待」を感じるというのは、不思議じゃないですか。どうして「犬を食べる」ことを「虐待だ」と言って大騒ぎしないんでしょうか。

日本人にはそう見えますよね。でも、ここには、中国の犬の特殊な立場が関係しているのではないでしょうか。まず、「虐待だ」と言っている人でも、犬肉は喜んで食べる可能性があります(と俺は思います)。「ペット(家族)」である犬は、もちろん中国人も食べません。「家畜」の犬だから食べるのです。中国の犬が持っている立場の二重性です。(田舎に行くと、このふたつの立場の境はあいまいですが) 日本ではほとんど「ペット(家族)」としての立場しかないので、犬を食べる中国人を「残酷だ」などと言う人もいますが、それは、当たってないかもしれません。

だから、今回の件で「虐待だ」と言い張っているのは、当然、「ペット(家族)」としての犬なので、そもそも「犬を食べる話」と同じ土俵では語れないのです。(それを知っていて、あえて書いたのですが)

さて、それでこの行為は「動物虐待」なのか? 俺は、この議論自体、むなしく感じてしまいます。

中国も、こんなことで盛り上がれるほど、生活に余裕が出てきた人たちがいることに、時代の流れを感じます。そして同時に、田舎に行けば、まだ20年前と何も変わらない、もちろんネットでこんなことが議論されていることさえ知らない貧しい人々がたくさんいます。その格差は、救いようのないほどです。

そんな中国で、パンダ犬が、「虐待だ」「そうじゃない」という議論がむなしく感じるのは、俺だけでしょうか。


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2007/07/15

「毒菜」国家、中国の行くえ

070715
(↑の写真は、中国広州の市場)

中国の食に関してのニュースが相次いでいます。農薬などに汚染された野菜を「毒菜」と呼ぶらしい。香港では、自衛策として、野菜の洗い方を指導したり、農薬を落とす洗剤を販売したりしているらしい。

それにしても、なんで、このタイミングでボロボロと出てくるのか、よくわからないですねぇ。来年のオリンピックに向けて、今年中に膿を出しておこうということなのでしょうか。おとといも書きましたが、偽物や汚染食品は、昔からあったわけで、オリンピックのため、というならば、もっと前に対策を取れたはずです。

たとえ、この問題が、1年後に収まっているとしても、中国の食品に対するイメージの回復が簡単にできるとは思えません。「毒菜」国家、中国はどこへ行こうとしているのでしょうか。


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2007/07/09

写真展『棚田を歩けば』 終わりました。

070709
(写真は宮崎県高千穂町の棚田)

昨日で、写真展が終わりました。

みなさん、ありがとうございました。(このブログを見て写真展に来てくれた人もいましたね) 「棚田病」に罹って帰ってもらえたなら嬉しいです。「棚田病」の感染力は強力で、潜伏期間は短いです。発病したら最後、特効薬はありませんが、当ブログと、電網写真館「オリザ館」が薬のような効果はあるかもしれません。

ところで、来てくれた人から、また新しい棚田の情報を聞いてしまいました。「あそこにある」と聞いてしまうと、行かないと気のすまない性格なので、たぶん、行ってしまうでしょう。棚田を探す旅は、今後もしばらく続きそうです。


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2007/07/06

展示写真から 今日の一枚 (9) 中国雲南省元江の棚田

070706
今日は、中国雲南省元江の棚田です。

最近、元陽は棚田のある県として有名になり、中国人ばかりではなくて、日本人もたくさん訪れる一大観光地になりました。今、ちょうど映画『雲南の少女 ルオマの初恋』が公開されていますが、この舞台になっているのも元陽です。

ただ、雲南は広い。棚田に関して言えば、けっして元陽だけがすごいのではなくて、その隣の県、紅河、元江も負けず劣らず、すごい棚田がたくさんあります。

↑の写真は、標高1500mほどの雲海の上にある棚田ですが、この下に村があるらしく、写真を撮っていると、男がひとり上ってきました。(わかるでしょうか。画面の左寄りの、尾根に立っているのが、竹篭を背負った人間です)

農作業にでも行くのか、隣村へ知り合いを訪ねるのか。いずれにしても、毎日が「登山」です。

このあと、午前10時くらいになると、雲海は波のように棚田の斜面を行ったり来たりしながら、だんだん消えてゆきます。その様子がまたドラマチックです。

写真展『棚田を歩けば』(7月8日まで)


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2007/07/05

展示写真から 今日の一枚 (8) マレーシアの水田 

070705
今日は、マレーシアの水田です。

タイの国境を越えてマレーシアに入ったコタバルは、マレー文化が色濃く漂う町です。そのコタバルの郊外へ出ると、大水田地帯です。写真はそこで肥料をまいていたおじさんです。

コタバルは、ナイト・バザールで有名です。町の広場にたくさんの屋台やレストランが出て、いろんな料理を楽しむことができます。「ナシ・クラブ」という、「チョウマメ」の花の汁で染めた青いご飯もあります。

ただし、ここはイスラムの町。お祈りの時間になると、広場の客は例外なく(つまり外国人も)店から追い出されて、食事が一時中断させられますが、これも「お国柄」なので、そんなに不便を感じることはありません。

写真展『棚田を歩けば』(7月8日まで)


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2007/07/04

展示写真から 今日の一枚 (7) フィリピン・バナウエの棚田(B) 

070704
今日も昨日に引き続き、フィリピン・バナウエの棚田です。

棚田には大きな農道などもなく、あぜ道を移動するしかありません。だから、「あそこに行こう」と思っても、なかなかたどり着けません。なので、現地の農民が、ガイドをやりたがります。それが彼らの現金収入になっています。

「何年か前、外人が田んぼに落ちたけど、誰も気がつかなくて死んでしまった。翌年、そこだけが稲の成長が良かったので、死体の場所がわかった」などと、脅迫ともとれる、嘘か本当かわからない話をします。そして「私を雇え」と迫るわけです。

俺も、結局、「説得」されて、おばさんガイドを1日間雇ったことがありました。

写真展『棚田を歩けば』(7月8日まで)


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2007/07/03

展示写真から 今日の一枚 (6) フィリピン・バナウエの棚田(A) 

070703
今日は、世界遺産に登録されている、フィリピン・ルソン島北部、バナウエの棚田です。

3年前に撮ったバナウエ・バダッド村の写真ですが、この時点で、まだ村に自動車道は通っていませんでした。だから、カメラバッグとバックパックを背負って、大雨の中、山道を1時間半歩いたのでしたが、道は、今も同じでしょうか。

雨があがった谷間に広がる棚田は、収穫直前の黄金色で、山越えの疲れを一気に解消してくれるほど美しいものでした。ゲストハウスに荷物を置くのは後回しして、この写真を撮り続けたのでした。雨季なので、いつ天気が崩れるかわからなかったからです。

今から30年前まで、村人は民族衣装を着て棚田でコメを作り、自給自足の生活を送っていました。外界との接触も少なく、「小宇宙」といっていい世界だったと、村人は懐かしそうに言いました。

写真展『棚田を歩けば』(7月8日まで)


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2007/07/02

展示写真から 今日の一枚 (5) ベトナム・サパの棚田

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今日は、ベトナム北部、中国雲南省との国境にも近い、サパの棚田です。

霞がかかった夕方の棚田。水に太陽が映って、あぜ道の模様が強調されます。

俺は「美しさ」と同時に「怖ろしさ」みたいなものも感じます。いや、「畏れを含んだ美しさ」と言ったほうがいいかな。

まるで「細胞」のようにも見えてきます。人体の中を顕微鏡で覗いたら、こんな形がどこかにあるんじゃないかと思わせるような。(そう感じるのは俺だけ? 「棚田病」だからねぇ)

でも、考えてみれば、人間も「自然」なんだから、相似形が発見できるのも、当然といえば当然かもしれないですね。それが「あるべき形」「許される形」ならば、とくに。


写真展『棚田を歩けば』(7月8日まで)


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2007/07/01

展示写真から 今日の一枚 (4) イランの水田

070701
今日も、昨日に続いてイランの写真です。

水田の中で雑草取りをしている女性です。顔つきを見ると、イランとわかるかもしれませんが、やってる姿や服装は、「日本」と言ったら日本でもありそうな感じ。

イラン人もコメを良く食べます。とくに、この水田・棚田地帯である、カスピ海沿岸地方では、日本人の1.5倍ものコメを消費しているという数字もあります。イランもコメの国なんですね。


写真展『棚田を歩けば』


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2007/06/30

展示写真から 今日の一枚 (3) イランの棚田

070630
今日は、イラン北部、マーザンダラーン州の棚田です。

「イラン」というと、「砂漠」や「乾燥地帯」をイメージしますが、実は、カスピ海沿岸は、大稲作地帯なのです。そして山ぎわには、棚田があります。

イラン人は、手先が器用で几帳面だといわれています。この棚田のあぜ道にも、その几帳面さが現れています。まるでペルシャ絨毯の職人が、棚田の模様を織り上げているようです。


写真展『棚田を歩けば』


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2007/06/27

展示写真から 今日の一枚 (2) バリ島の「田毎の月」

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今日は、インドネシア・バリ島の棚田です。

聖なる山、アグン山の噴火によってできた島の、いたるところが棚田です。この写真は、満月の夜の、バリ島東部ティルタガンガの棚田です。

このあと、もっと暗くなってから「田毎の月」が現われました。「毎」という割には、水面に映る月もひとつだけなのですが。

「田毎の月」という言葉から連想するのは、田んぼそれぞれに全部月が映るイメージですが、実際はそうなりません。でも、なぜそういうイメージが生まれたかというと、実際この場に立ってみて気がつきました。

自分が動けばいいんです。そうすれば、全部の田んぼに月が映ったのを見る(体験する)ことができます。だから、「田毎の月」は、「見るもの」というよりも「体験するもの」なんだぁと思いました。


写真展『棚田を歩けば』


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2007/06/26

展示写真から 今日の一枚 (1) カンボジアの子どもたち

070626
今日から写真展『棚田を歩けば』が始まっていますが、当ブログでは、展示写真から毎日1点づつ取り上げて、掲載したいと思います。

初日の今日は、水田で遊ぶカンボジアの少年たち。アンコール遺跡群のあるシエムリアプから郊外に出ると、一面水田が広がっています。子どもたちは、水田の水路に飛び込んだり、魚採りをしたり、日が暮れるまで遊んでいました。

幸い、このあたりに地雷は埋まっていないということでした。

写真展『棚田を歩けば』


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2007/05/13

中国の偽札は、ババ抜き

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(これは1980年代に使われていた中国人民元10元札)

昨日、ディズニーランドとそっくりな「石景山遊楽園」について触れましたが、今日も、中国のコピー商品、コピー札(偽札)の話です。

【中国】給料袋の中身は「偽札」、怒る作業員を工場が解雇
(Yahooニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070510-00000026-scn-cn 参照)

偽札やコピー商品が氾濫し、それが社会問題となっている中国では、売る方も買う方もお互いが疑り合っている場面 によく出くわしたものです。

雲南省麗江の商店で、タバコを1カートン買おうとして女性の店員に50元札を渡すと、それを裏表返しながら蛍光灯の明りに透して見始めたので、彼女に対抗しようと思って、差し出されたタバコの箱を詳しく調べてジャーイェン(偽タバコ)じゃないのか?という疑いの目で見返しました。こんな漫画のような光景はあちこちで見られました。コピー商品が多い中国での自己防衛策です。

かなり注意はしていましたが、あるとき、俺もとうとう偽札を使ってしまいました。

昆明郊外にある民族村の入場料を払ったときです。たしか30元ほどだったと思います。それを払ってチケットもらって入り口へ向かおうとしたとき「ちょっと待て!」とおばさんが呼び止めました。そして10元札を持った手を窓口から突き出して「これは偽札!」と叫んだのです。

なんと俺が払った3枚の10元札の中に、偽札が1枚あったようです。「そんなの知らないよ」と言いましたが(ほんとに偽札だとは思っていませんでした。どこでもらった10元札だったか、記憶にありません)、おばさんはヒステリックに叫びだしたので、別な10元札としぶしぶ交換すると、おばさんは静かになりました。

日本なら、偽札を使った時点で、警察に通報されて逮捕となるのですが、中国では、こんなことは日常茶飯なので、使っただけでは、逮捕されるなどということはありませんでした。本物と交換すれば、何事もなかったように収まってしまうのです。日本では考えられません。まぁ、それだけ中国には、偽札が氾濫しているということなのですが。

このときは、10元(約150円)札ですが、もちろん100元札、50元札の偽札もあります。そしてなんと、雲南の田舎では2元札の偽札もありました。紙代と印刷代を考えると、2元札で元は取れるのかと心配(?)になってしまいます。

でも普通、偽札を疑うのは、50元、100元という高額紙幣を受け取ったときなので、そこが盲点で、原価割れしないなら、1元でも2元でも作ってしまおうというところが中国的なのでしょう。まさか2元の偽札があるとは、予想しないからです。でも、ちゃんとそれでも「利益」は出ているわけです。2元の偽札なんて、事件にもならないし、野放し状態なのではないでしょうか。

だれかが言ってました。「一番最後まで持っていた人が損をする」 これって「ババ抜き」ですよね。↑のYahooニュースの広東省の会社も、従業員にババを引かせた、しかも強制的に、ということのようです。

そう言えば、広州駅前で泥棒が公安に捕まえられたときです。泥棒が公安に盗んだカバンを返すと、何事もなかったように解放されたのでした。このあたりの感覚、日本とはかなり違いますね。


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2007/05/11

中国遊楽園の苦しすぎる言い訳

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中国で人気のテーマパーク「石景山遊楽園」が、ディズニーランドとソックリと指摘されていて、それにあわてた園側が、グリム童話を題材にしたオリジナルだと苦しい言い訳をしながら、一方では、「証拠隠滅」を図っているようです。

模倣キャラクターで注目の遊園地が「緊急対応」 中国
(CNN http://www.cnn.co.jp/business/CNN200705100022.html 参照)

やっぱりコピー?証拠隠滅の動きも 北京のディズニーそっくり園
(東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007051090110223.html 参照)

「コピー天国」と言われて久しい中国ですが、日本だって外国からコピー商品を持ち込んでいるし、俺もバンコクで買ったシャツを日本で着ていたら、「あおやぎさんはブランド品が好きなんですねぇ」と言われて、初めてそのシャツが偽ブランド品だと気が付いたこともあったので(その人は俺が本物を着ていると思っていたはずですが)、あまり中国を笑える立場じゃありません。

でも、中国はやっぱりすごい。

7、8年前、雲南と西安への直行便ができたとき、航空会社関連の人たちと、中国へ行きましたが、そのとき、みやげ物屋に寄りました(寄らされました)。バックパッカーは近づかないような店です。

そこは、れっきとした国営の店でしたが、プラダやグッチやエルメスなどのブランド商品が置いてあったのです。しかもかなり安い値段で。

俺はまったくブランド品には知識もなく、本物か偽物かの区別どころか、「プラダ」という名前そのものを、このとき初めて聞いたくらいです。「プラダ」のカバンの中が、なぜかイカ臭かったですが、本物がどうなのか知らないので、俺に判断できませんでした。(本物の「プラダ」がイカ臭いということも考えられたし。知っている人がいたら、ぜひ教えてください)

でも、同行していた女性の中には、詳しい人もいたので、これらは偽物らしいということがわかりました。

そこで「これは本物なの?」と中国人店員に聞いたところ、彼女はこう答えたのでした。

「何疑ってるんですか、中国製の本物ですよ」


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2007/04/23

雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (3)

070423
今日も、映画『雲南の少女 ルオマの初恋』の話です。

映画に出ているハニ族の人たちは、ちゃんとハ二語をしゃべっていました。素人さんなんでしょうか。それもあって村の中のシーンは、リアリティがあります。

ルオマのおばあさんが、また、いい感じなんです。多くを語りませんが、ちゃんとルオマのことを心配しています。大都会、昆明に行きたいと言い出したルオマに対して、おばあさんは、無言で機織の仕事を続けます。だから、ルオマは、おばあさんが怒っているんだろうと思います。でも、その翌日、出て行こうとしたとき、机の上に卵と小銭が置いてあるのを見つけます。おばあさんがルオマのために用意してくれたものでした。

俺のばあちゃんを思い出しました。ばあちゃんは、「外国へ行く」ことがどういうことかあまりわからなかったかもしれません。外国旅行が一般的ではなかったし、外国はまだまだ遠い存在でした。何度も外国旅行することに、両親はあまりいい顔をしませんでしたが(とくに20代後半は)、ばあちゃんは、特別何も言いませんでした。ただ見守ってくれてるなぁとは感じてました。

とにかく、言葉で多くを語らないおばあさん、おじいさんというのは、その存在そのもので語っているように感じます。生きてきた年数の重さとでも言うんでしょうか。でも、今は言葉をしゃべる人が(しかも大声でしゃべる人が)力を持つ世の中なので、おばあさん、おじいさんは軽んじられてしまうのでしょう。

棚田が圧倒的な美しさで迫ってきます。棚田や雲南に興味がある人にはお勧めですね。

『雲南の少女 ルオマの初恋』公式サイト

Ya_2 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (2)


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2007/04/22

雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (2)

070422

昨日に続いて、映画『雲南の少女 ルオマの初恋』についてです。

主人公のルオマは、毎日元陽の町(新街鎮)に出て、トウモロコシを焼いて売っている女の子です。

元陽県の新街鎮は、昔、行政の中心地でしたが、今は、紅河沿いの南沙鎮に移っています。ただ90年代半ばから元陽県が棚田で有名になったので、新街鎮はすたれるどころか、いっそう発展しています。広場から続く坂道は、マーケット日になると、たくさんの人でごったがえします。

ルオマは、「こんなハニ族の女の子がいるなぁ」という感じで、リアリティがありました。映画では、外国人観光客が、かわいい彼女を写真に撮りたがりますが、彼女はそっぽを向いてあまり気安く写真を撮らせてくれません。

そんな様子を見ていた一人の青年がいました。昆明から来たアミンです。彼は新街鎮に写真館を開業していますが、お金がなく、大家さんから立ち退きを迫られている青年です。

アミンは、ルオマを見て、ある商売を思いつきます。観光客に彼女といっしょに写真を撮らせる商売です。よく中国の観光地に行くと、こういう人たちがいます。元陽にも登場しました。写真だけでなくて、歌まで歌います。映画では、ルオマと写真を撮る日本人観光客たちも登場します。

ルオマは、このアミンという都会から来た青年に恋をするのです。彼女の恋は、「都会」というものに対するあこがれ、という面もあったようですが。

さて、ふたりの恋の行方は・・・。

Ya_2『雲南の少女 ルオマの初恋』 (1)

Ya_2『雲南の少女 ルオマの初恋』 (3)

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2007/04/21

雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (1)

070421

『雲南の少女 ルオマの初恋』公式サイト

中国映画『雲南の少女 ルオマの初恋』の公開が、6月16日(土)からに決まったそうです。

中国雲南省元陽の棚田を舞台にした、ルオマというハニ族少女の初恋の物語です。

監督は、四川省成都生まれの章家瑞(チアン・チアルイ)、主人公は、当時雲南の高校に通 うハニ族の李敏(リ-・ミン)。2002年モントリオール国際映画祭正式出品作品で、李敏は2003年金鶏奨最優秀新人賞を受賞しました。

ルオマの初恋も切ないですが、雄大な棚田の村で、たんたんと続けられるハニ族の生活そのものが、胸がキュンとなるような切なさがありますね。なんででしょうか。

20代のころから行き始めた雲南省ですが、まだ写真もどうやって撮るかわからない状態で、雲南の方々を旅した思い出が重なるからでしょうか。

とにかく、もう一度観たい映画のひとつです。公開が楽しみです。

Ya_2 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (2)

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2007/04/20

『地球冒険13周半の旅』 中川隆さんの本

070420
(写真はエジプト・アスワン)

写真家の中川隆さんが本を出しました。今回は、写真集ではなくて、旅行記です。

『夫婦で30年間 地球冒険13周半の旅』
講談社
定価:本体 1500円

中川さんとは少なからぬ因縁があります。というのは、今から20数年前、俺がまだ写真を撮り始めて間もないころ、エジプトのアスワンで会いました。中川さんと奥さんが、アスワンのオートキャンプ場に泊まっていて、ぶらぶら歩いていた俺に声をかけてくれたのでした。

夕食の焼肉をご馳走になりながら、中川さんは、ペンタックス6×7の中盤カメラで、ピラミッドの稜線を平行に移動する太陽の写真を撮ったときのエピソードを、熱く語ったのでした。

彼らはその後、車でアフリカをまわったのでした。そのときはそれだけで終わったのです。住所交換もしたかどうか、忘れてしまいました。

ところが、今から15年ほど前(中川さんと会って10年後)、俺は2度目の写真展を新宿のペンタックスフォーラムで開くことになったのですが、そのとき、担当者と話をしていると、「あおやぎさんのように世界中行っている人が写真展開くんですよ」と教えてくれたのです。そして名前を聞いたら「中川隆さん」というではないですか。あれっ?聞いたことある名前だなぁと思ったのですが、もしかしたら、10年前、エジプトで会ったあの人ではないかと思い、確かめたら、やっぱりそうだったのです。

そんな偶然があって、再会を果たしました。それからは、お互いの写真展で会ったりするようになりました。

そんな中川夫婦の旅の本が出版されたのです。興味のある方は読んでみて下さい。

ただ、日本人離れした、並外れた行動力と、体を張った体験に、ちょっと息苦しさを感じるほどですが。一歩間違ったら、死んでいたような危険な体験がたくさん書いてあります。これだけの冒険旅行をしている人たちは、なかなかいるもんじゃありません。俺なんか、足元にも及びません。中川さんの旅行記を読むにもそれなりの「覚悟」と「体力」が必要かもしれません。

今、イメージだけが肥大していく俺たちに「体を張った体験」が衝撃を与えてくれるに違いありません。まるで原始人を見ているようです。「生きてるなぁ」と感じさせる中川夫婦の旅人生です。


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2007/03/22

『福井昭夫 旅の絵画展』 アジアの風景

070322
(楽風の展示室にかけられた福井昭夫氏の絵画)

昨日、友人の個展の搬入を手伝いました。浦和駅から徒歩8分、和風喫茶店「ギャラリー楽風」です。

ここで、俺も過去3回写真展を開きました。展示室は、古民家を改造した2階の畳敷きの部屋で、土壁がなんとも風情があるんですよね。アジアがテーマの写真展や絵画展にはぴったりです。

俺の写真展に来た友人は「この壁がいいねぇ」とさかんに言っていました。写真よりも壁をほめられて、複雑な思いをしましたが、悔しいけど、いい空間であることには違いありません。

友人の福井さん(普段は呼び捨てですが)とは20年ほど前、ビルの窓拭きのバイトで知り合いました。(俺が面接にいったとき、ちょうど面接を受け終わって帰ろうとしていたのが福井さんでした) それ以来の付き合いです。アジアを中心に回っている、旅する絵描きです。

今日からやっていますので、興味のある方は、寄ってみてください。

『福井昭夫 旅の絵画展』
アジアの風景----イエメン・中国・タイ
2007年3月22日(木)~4月3日(火) [28日(水)は休み]
10:00a.m.~7:00p.m. [最終日 5:00p.m.まで]

会場・問合せ ギャラリー楽風(らふ)
〒330-0064 さいたま市浦和区岸町4-25-12
048-825-3910

なお、3月30日(金)には、福井さんのスケッチを見せながら、ふたりの「お話の会」があります。(18:30開場 19:00開演)

俺が進行役を勤めます。少人数で、落ち着いた会を予定しています。アジアの旅の話や、絵と写真の話をする予定ですが、ふたりで話してみなければ、どんな話題になっていくかわかりません。それもいいでしょ? ライブとはそんなもんです。(打ち合わせが面倒なだけ?)

イランのお茶、お菓子付きで1,000円ですが、予約が必要です。申し込みは、楽風までお願いします。

詳細・地図は、こちらのページ


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2007/03/21

植村直己 冒険家は究極のエゴイスト (2)

070321
(写真は中国青海省・メコン源流)

昨日の続きです。

植村直己は偉大な冒険家でした。

究極のエゴイストとして生きてきたはずでしたが、でも、そのうち、スポンサーなどとのしがらみができて、エゴイストであり続けられなくなったとき、偶然にも(もしかしたら、必然的に)、マッキンリーの山で行方不明になってしまいました。

まぁ、それでも、彼は普通の人にはできない、やりたいことをやって死んだのだから、幸せだったでしょう。自分のやりたいことをわかっている人は幸せです。たいていの人は、わかったつもりになっているだけです。

俺も、「本当に」やりたいことというのがわかっていません。とりあえず「やりたくないこと」の方がわかるので、なるべくやらなくてすむことなら、やらずにすましています。それでいいのかもしれません。

最近は、やたらと「やりたいこと」を探そうとしていて、それを「自分探し」などと言っている人たちもいますが、なんだか強迫観念にとらわれている気がしてなりません。そんなに「やりたいこと」を見つけなければならないんでしょうか。最近のリクルートのコマーシャルでもあるじゃないですか。「自分探し」を50年やっても見つからなくて、爺さんになってしまったという・・・。

これも前に書いたような気がしますが、また書きます。

メコン河の写真集、写真展のあと、「燃え尽き症候群」に陥り、一時は何もやる気が起こらなくて、半引きこもり状態になったことがありました。いまからちょうど10年ほど前です。

なんとかせねばとあせるのですが、どうも駄目。こういうとき、サラリーマンなら、とりあえず会社に行くこともできますが、フリーは、すべてにおいてフリーなので、やらなくても、誰も文句は言いません。そのかわり、やらなければ、確実に死んでしまいます。

そこで俺は考えたんです。ここで荒療治をしなければと。それは、カメラを持たないで旅にでることでした。そしたら、写真が撮りたくてしかたなくなるに違いないともくろんだのでした。

ところが、1週間、2週間、3週間たっても、いっこうに写真を撮りたいと思わなかったのです。ただ、旅していることだけで満足でした。それで俺は悟りましたね。あぁ、俺は写真撮らなくても平気な人間なんだと。荒療治は失敗に終わったのでした。

ただ、だからと言って、俺がやりたいことは、写真ではないなどと結論するのは、ちょっと違います。事はそう簡単ではないのです。

撮りたいと思わないときは、撮らずにすむということは、いいことでもあるし、また、悪いことでもあります。写真はなんだかんだ言っても、行為がすべてです。カメラを持ってシャッターを切るという行為がなくては写真になりません。頭で想像して「念写」でもできれば別ですけどね。それは冗談としても、とにかく、動かなければ駄目なのです。だから、無理してでも、撮り続けることは、スランプからの脱出につながるでしょう。

でも、一方では、やりたくないなら、徹底的にやらずにおこうとも思います。一番底まで行ったら、あとは上に登るしかない。俺はこの方法を取ったような気がします。「気がします」とは、あいまいですが、実際、どうやって、「メコン河燃え尽き症候群」から脱出したのか、俺もよくわからないのです。気がついたら棚田の写真を撮っていた、あれ、いつの間にか、また写真を撮っているなぁ、という感じなんです。

なんだかんだ言いながらも、かれこれ20年ほど写真は撮っているし、まだ飽きないし、だから、未だにほんとにやりたいことかどうかはわかりませんが、というより、そんなことを言ってもしかたないことで、写真は続けます。続いたことが、けっきょく「やりたいこと」なんではないでしょうか。


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2007/03/20

植村直己 冒険家は究極のエゴイスト (1)

070320
(写真は中国青海省・メコン源流)

この前の日曜日、NHKスペシャルで『ラストメッセージ(4) 植村直己』(☆山岳部落ちこぼれからの出発 ☆五大陸最高峰登頂 ☆夢を追い続ける)をやってました。

植村直己の4歳上の奥さんの一言は胸にしみました。「冒険家は、究極のエゴイストです」と。俺もそう思います。誰もが自分のやりたいことをやりたいんです。あこがれます。でも、いろんな事情でできません。あきらめます。

冒険家は、それでもやってしまうエゴイストなんです。でも、奥さんが言った「エゴイスト」という言葉に、植村直己を認めている優しい包容力を感じたのは言うまでもありませんが。

それでもやってしまう、それでもやらざるをえない、究極のエゴイスト。エベレスト登頂成功しようが、南極大陸走破しようが、そんなこと(すごいことではありますが)よりも、この社会の中でエゴイストであり続けることが、冒険的といってもいいかもしれません。エゴイストであり続ける精神力に、人とは違っているという英雄の姿を見るのではないでしょうか。勇気づけられます。

彼は言っています。やったことがすごいんではない。それをやり遂げるための過程がもっと大切だと。俺もそう思います。「旅」は目的地に着くことではなくて、その過程そのものであること。

植村直己が書いた本は俺も読んで影響を受けました。彼は大学卒業しますが、就職できずに、世界放浪の旅に出ます。俺の記憶違いでないならば、たしかアメリカでは綿花畑で働きましたが、不法就労だったので、イミグレに捕まり、留置場にも入れられたのではなかったでしょうか。留置場の快適さに、アメリカの物の豊かさを思い知ったということを書いてあったような、なかったような・・・。

俺が、パリでギャルソンのアルバイトをしようと思ったのも、彼の本の影響があったのかもしれません。番組を観るまで、すっかり忘れていましたが。


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2007/03/06

泥棒がマンションの管理人だった

070306
(写真はパキスタンの男)

泥棒がマンションの管理人だったというニュースがありました。日本での話です。

被害者が、最近なんとなく財布から金がなくなっていくことを不審に思い、自分の部屋に監視カメラを設置。そしたら、財布からお金を(しかも全部ではなくて、少しづつ)盗んでいたのは、そのマンションの管理人だったというのです。管理人は合鍵を使って進入していたのでした。

なんともすごい話ですが、これを聞いて思い出したことがあります。

パキスタンのラホールにも「泥棒宿」がありました。一軒だけではありません。複数の宿がそうで、頻繁に宿の名前を変えていました。

それを知ってて泊まる俺も俺ですが・・・。

宿をチェックアウトして、パキスタンからインド入国のために国境を越えたときでした。たまたまこの宿でいっしょになった日本人旅行者4人と国境を越えることになったのですが、その中のひとりが、「あーっ、ないーっ!」と突然叫んだのです。なんと、現金を盗まれたのでした。そしたら、もうひとりも「私も盗られた!」といいました。彼女はトラベラーズチェックを盗られていました。

ふたりもやられたか、あの宿が噂の泥棒宿だったんだなと俺は思いました。でも、泥棒宿が多いと知っていて、盗られるのもまぬけだなぁと、俺は口には出しませんでしたが、内心思ったのでした。ところが、念のために俺も、マネーベルトを調べてみたら、あったはずのドル札だけないんです。使った記憶はないので、盗られたらしい。俺も、まぬけな旅行者の仲間入りをしてしまいました。

そこからわざわざ戻るのも面倒だし、仮に戻ったとしても、証拠はなくて、結局なき寝入りするしかなかったのです。なぜ泥棒宿が国境の町にあるのかわかりました。

盗られたのは、ドル札で1万円分ほどだったので、その後の旅に影響はあまりありませんでしたが。でも、どこで盗られたんだろう? 普段は現金・トラベラーズチェックは、マネーベルトに入れて、腹に巻いていたし、シャワーのときも、ちゃんと目の前に下げて浴びていました。

そう言えば、と思い出したことがありました。「安宿」という割には、熱いお湯がふんだんに使えるシャワーがあったり、無料のマッサージがあったり、今から思えば不審なところがあったのです。俺は、マッサージを頼んだのですが、屈強な男の従業員がオイルを塗って全身マッサージをしてくれたんですが、そのとき、男が「オイルで汚れるからはずしたほうがいい」と言うので、マネーベルトをはずして、枕元においてしまったのです。頭をグルグルといじっているとき、おそらく、彼(あるいは別な従業員)が、マネーベルトからこっそりドル札を抜き取った。そうとしか考えられません。他に外した記憶がないので。

だいたいは、部屋に隠し戸があったり、客が外出中に、宿の従業員やオーナーが合鍵で入ったりして、旅行者のものを盗む手口だったらしいのですが、今も、こんな宿あるんでしょうか。


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2007/03/03

「旅」とは?

070303
「旅」とは何でしょうか?

J-WAVEの番組「ANA WORLD AIR CURRENT」で、葉加瀬さんから最後に聞かれた質問です。

俺は「やらざるを得ない、仕方ないもの」などと言っていましたね。

人類が、アフリカから出たときから、旅をすることが運命付けられていた。だから俺が旅するのも、しかたのないことなんです、などと言ったことに対して、「ずいぶん大きな言い訳ですね」と、葉加瀬さんから切り替えされてしまいました。

「旅」と「旅行」との違いについては、以前も書いたので、詳しくは省きますが、「旅」はどちらかというと、精神的な移動、「旅行」は肉体的な移動を伴うレジャーというふうに、一応区別できるかもしれません。(あくまでも、俺だけの区別です) もちろん、そこにはっきりした線は引けないので、境はあいまいですが。ただ、俺は、その微妙なところにこだわっています。

「旅」とは何か?と一般的な言い方をすると難しいので、個人的に、俺にとって「旅」とは何なのか?を書いてみたいと思います。「人生は旅」とか「旅は人生」とか言われますが、この言い方は、あまりにも当然過ぎて、ちょっとピンときません。

いろんな言い方ができますが、ここでは3つにしてみます。

ひとつには、「やらざるを得ない、仕方ないもの」です。番組でも言ったことです。「外に出たい」という強い衝動です。水や空気がないと死んでしまうように、旅がないと精神的に死んでしまうのです。だから逆に、「旅しているときは精神的に安定する」と言うこともできるでしょう。

ふたつには、「言葉のようなもの」と言えます。写真や音楽や絵と同じように、旅のやり方(行った場所やバックパッカー的旅の仕方)が、俺にとっては表現、他人とコミュニケーションを取るためのものになっているという意味で「言葉」なのです。

みっつめは、「見つからない桃源郷を探しているようなもの」と言えるかもしれません。桃源郷、理想郷は、結局見つからないかもしれません。でも、「ない」と思っているわけでもありません。「探し続けること」だと思うんですよね。一生。それがそのまま「旅」であるような気がします。

みっつ書いてみましたが、たぶん、全部同じことかもしれません。「精神的に安定する」ということは、気持ちがいいからだろうし、その気持ちよさは、自分の桃源郷に近いからでしょう。そしてまた、言葉を使って人との繋がりを感じられたときも、やっぱり気持ちが良いし、それは自分の桃源郷に限りなく近いからではないでしょうか。

ところで、番組では、やっぱり「ASIAGE」の音楽CDについては、カットされていました。残念。(音楽について葉加瀬さんと語り合うなんて、100年早いよね)


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2007/03/02

J-WAVEの番組放送は、明日(土曜日)です

070302
(写真はベトナム・ハノイ)

忘れている人に、もう一度お知らせです。(しつこい?)

ラジオ番組、J-WAVEの「ANA WORLD AIR CURRENT」は明日放送です。3月3日(土曜日)、19:00~です。旅の話、写真の話、棚田の話をしています。聴いてみてください。

J-WAVE ANA WORLD AIR CURRENTのホームページはこちら

ところで、昨日NHKの番組、ドキュメント72時間 「バックパッカーたちの東京」の話を書きました。その中で「自分探し」についても触れました。

どうも、俺はこの言葉がひっかるんですよね。どちらかというと、こそばゆいというか、気恥ずかしいというか、そんな感じ。というのは、「旅」そのものが、そういう意味を含んでいるのはわかるんですが、だとしてもそれを「自分探し」という言葉でヌケヌケと言ってしまうのが、とても気恥ずかしいんですよね。どうしてなのか、俺もはっきりわかりませんが。

自分は何であるか?という大きな問題に悩むのは人間の特権です。(若者だけの特権ではありません。中年であっても、老年であっても、おそらく死ぬまで、悩みは解決しません) 一番やりたいことを探すのも必要です。あまりにも多くの情報があふれている社会では、なおさら自分が何者で、何をやりたいのかが見えにくくなるということがあるからです。

ただ、そういう心の迷いを「自分探し」という言葉で、しかも、かっこいい(かっこよくもないか?)言葉で、言い換えてしまうのは、どうなんだろうか?と思っているからでしょうか。

自分が何者なのか、何をやりたいかなんて、そう簡単に分からないし、たいていの人は、一生わからないんです。わかったつもりになって、生活しているだけです。俺もそうです。「自分探し」などという言葉で言えるほど、サラッとしたものではない、と思うんですが。

ただ、前に何かのインタビューを受け、まだ写真家になっていない頃の話をしたとき、「それはあおやぎさんにとって、自分探しの旅だったんですね?」と聞かれて「そうですね」などと、平気で答えていたようにも思います。他人から言われるときは、俺も拒まないようです。(なんていい加減な!)


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2007/03/01

ドキュメント72時間『バックパッカーたちの東京』

070301
(写真はバンコク・カオサン)

ドキュメント72時間 「バックパッカーたちの東京」というNHKの番組が、おとといの夜、再放送(再々放送?)されました。この番組のことを知ったのは、放映されたあとだったので、今回の再放送を楽しみにしていました。

東京山谷という日雇い労働者が住むところ。そこに集まってくる外国人バックパッカーたち。欧米系旅行者のバイブルとも言えるガイドブック「Lonely Planet」に、山谷のゲストハウスが載っているからだそうです。

思い出します。いろんな国の、外国人がたまっている安宿。山谷のゲストハウスは、タイあたりのゲストハウスと雰囲気がそっくりです。外国のゲストハウスに泊まったとき、表へ出ると、怪しいおっさんが声をかけてきたりしますが、山谷でも同じようなおっさんがやっぱりいるんですね。バックパッカーは、こんなおっさんと仲良くなります。

安宿は、その町の治安が悪かったり汚かったりする地域で、現地の人間でも、あまり近づかないようなところにあったりします。だから安いのですが。それで現地の人間は、びっくりするわけですね。どうしてこんなところに外国人が泊まっているのかと。でも、そういうところが面白い。

治安が悪いホテルではありませんが、雲南省昆明の茶花賓館(カメリアホテル)のドミトリーに、現地の中国人を連れて行ったことがありました。当時、20人部屋があったので、中国人はびっくりしてました。どうして金持ちの外国人が、こんな狭いところに、たくさんの見知らぬ他人といっしょに泊まっているのかと。しばらく、唖然としていたのを覚えています。

番組の話に戻ります。

アフリカ系フランス人のアマーは写真家を目指してる青年です。フランスでアルバイトして、お金をためて、何度も日本にやってきています。「将来は、いろんな国で撮った写真が新聞などに掲載されるのが夢です」と語りました。まるで、昔の俺を見ているようです。

最後にどうして、日本に何度もくるのか?という質問に、「日本人はほんとに優しくて、すばらしいからだよ」と言いました。深読みすれば、フランスでは、肌の色や出身地で差別を感じる彼でも、日本ではむしろモテたりするのではないでしょうか。だから居心地がいいのでしょう。でも、それは「日本人が優しいから」とは単純に言えないところがあります。なぜなら、同じ外国人でも、アジア系の人には厳しい日本人ですからね。

自分で癒されない部分を求めて、外国へ行こうと思うのは自然な成り行きです。彼の気持ちはわかる気がします。

3年間そのゲストハウスに住んでいるポーランド系イギリス人の青年も登場しました。日本語もぺらぺらです。もともと写真やデザインの勉強をしていましたが、今は、英語の先生をしながら暮らしています。無断外泊をしたり、生活は、ちょっと荒れた感じです。彼はどうしたいのかよくわかりません。イギリスに帰っても、また日本に戻ってきているようです。

フランス人のアマーも、このイギリス人も、「自分探しをしているのでしょうか」などと、吹石一恵さんのナレーションが入っていましたが、そんなかっこいいものではないかもしれませんよ。彼らは、自分の国では、「主流」とか「エリート」とかいうものから外れたところにいる人間です。そういった彼らが、居心地の良さを感じるのは、外国にいるときだから、ということかもしれません。自分の国で見つけられない「自分」が、外国に出たからといって簡単に見つかるわけではありません。俺も、「主流」とか「エリート」から外れた人間なので、そう思うのかもしれませんが。

ただ、だからこそ見えている風景があるのです。彼らにしか見えない特別な風景が。


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2007/02/26

ミャンマー・インレー湖の写真

070227
(写真はミャンマー・インレー湖の祭)

今日は写真だけです。


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2007/02/20

J-WAVE 葉加瀬太郎さんの番組に出演します

070220
(この写真は雲南元陽の棚田)

今日、ラジオ番組の収録がありました。J-WAVEの、「ANA WORLD AIR CURRENT」という番組です。放送日は、3月3日(土曜日)、19:00~です。ぜひ聴いてみてください。

J-WAVE ANA WORLD AIR CURRENTのホームページはこちら

この番組のナビゲーターは、世界的なヴァイオリニストである葉加瀬太郎さんです。毎回、いろんなゲストを招いて旅の話を聴くという番組です。

この初対面の葉加瀬さんに、なんと俺は大胆にも、自分で作った『ASIAGE』の音楽CDを持って行ったのです。しかも、3つ(3種類)もです。趣味で作っている音楽ですが、葉加瀬さんの音楽にも影響を受けていたので、この出演依頼の話が来たとき、自分の立場を忘れて、すっかり舞い上がってしまいました。

もちろん、今回番組に呼んでもらったのは、旅する「写真家」としてであって、決して「音楽家」としてではありません。何を勘違いしているのでしょうか、俺は。今さらながら恥ずかしくなり、そして、葉加瀬さんも、どうしたらいいのか戸惑ったことでしょう。

まぁ、音楽CDの件は若気の至り(?)ということで許してもらうことにして、本題の「写真」や「旅」のインタビューでは、ちゃんと、いろんなことをしゃべりました。そして最近なんでも棚田に見えてしまう「棚田病」であることなど。

葉加瀬さんは、音楽にとどまらず、絵も描く芸術家なので、俺が言うのもなんですが、考え方が柔軟で話をしやすかったですね。うまく乗せられて、俺は饒舌になり、言わなくてもいいことまで言ってしまったので、そこはカットしてもらうことにしました。

以前から葉加瀬さんの音楽は好きでしたが、ますますファンになりました。そして、葉加瀬さんも、めでたく「棚田病」に感染したかもしれません。

Ya_2音楽CD『ASIAGE』のページ(電網写真館 アジアフォトネット)


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2007/02/19

中国雲南の菜の花畑

070219_1
今年の冬は暖かい。まだ2月だというのに、すっかり気分は春ですね。このまま本当の春に突入してしまうのでしょうか。

中国では、新年(春節)を迎え、にぎやかなことだろうと思います。観光地は混雑しているでしょうね。

これは、雲南省東部、羅平の菜の花畑の写真です。ちょうど今の時期、撮影したものです。

見渡す限りの菜の花で、写真ではわからないですが、いい香りがあたりに漂っています。たくさんの養蜂家がテントを張って暮らしています。

近づいたらミツバチに刺されてしまいました。それが原因ではないと思いますが、次の日から体調を壊してしまい、ホテルで2日寝てました。とうとう町の病院へ行きましたが、医者は体を診ることもなく、ただ「体調が悪い」「下痢が続いている」「少し熱がある」という俺の言葉だけで処方箋を書いたのでした。

初診料は30円くらいで、薬も15円くらいで安かったのですが、ちゃんと薬の効果はあったようで、それから回復し、また菜の花畑へ撮影に出たのでした。

Ya_2羅平の菜の花畑(電網写真館)


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2007/02/18

映画『ニューワールド』を観て

070219
『ニューワールド』という映画をDVDで観ました。

17世紀に、イギリス人が「新大陸」アメリカに入植したときの話です。監督は『シン・レッド・ライン』を撮ったテレンス・マリックで、この映画は戦争映画でしたが、自然の美しさを静かに描写していた部分が好きでした。『ニューワールド』にも同じような美しさを感じました。

ところで、こういった異民族が遭遇する瞬間(ファーストコンタクト。この場合は、イギリス人と先住民族)に興味を持っているので、どんなコミュニケーションを取るのか、ファーストコンタクトをどんなふうに描くのかということに興味を持ちながら観ました。

映画のテーマは、イギリス人男性と先住民族女性との「愛」だったので、それほどファーストコンタクトに力を入れて描いてはいませんでしたが。

言葉もわからない人たちに対して、こちらが「敵意がない」ことを示すにはどうすればいいんでしょうか。やっぱり、ニコニコ笑顔を作り、物をあげるということなんでしょうね。

中国では、よくタバコを差し出されることがありました。(今はどうでしょうか。タバコを吸わない人も多くなったので、こういう習慣は廃れつつあるのかも) こちらから差し出すこともあります。これも「私はあなたに敵意はない」という表現が発展していって習慣化したもののひとつでしょう。タバコを自分で吸わない人も、タバコは持ち歩いていて、周りの人たちにあいさつ代りによくあげていましたね。

そういえば、雲南では、なるほど、こういうふうにして始まるんだぁと思わせる場面を目撃したことがあります。

それは、ある西双版納タイ族自治州の日曜マーケットでのことです。ハニ族のおばさんたちが、外人に追いかけられて逃げ回っていたのです。

なぜかというと、外人は彼女たちが被っている頭飾りや、身に着けている民族衣装が欲しくて、それらを指差して「ハウマッチ?(いくらで売る?)」と聞いていたのですが、今まで外人など見たことがなく、英語など聞いたことのないハニ族のおばさんたちは、どうしてあの白い鬼たちは私たちを追いかけるのか?と、怖くて逃げていたのでした。そもそも自分たちが身に付けているものを欲しがられるとは想像もできなかったでしょう。まさか自分たちが身に付けていたものが、お金になるとは。

ところが、それから1年経つか経たないかで、彼女たちは、外人が近づいてくる意味を完全に理解し、それどころか、彼女たちは、むしろ積極的に物を売るようになっていったのでした。今度は、外人が彼女たちから頭飾りや民族衣装を見せられて「ハウマッチ?(いくらで買う?)」と、しつこく追いかけられることになったのでした。そして彼女たちから民族衣装が消えていったのでした。

異民族間で、どうやって交易が始まっていくのかを見ているようで、妙な感動を覚えたものです。


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2007/01/10

NHKの番組 『青海チベット鉄道』

070110
この前の月曜日、NHKで『青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく~』(内容についてはNHK http://www.nhk.or.jp/winter/gtv/gtv_61.html 参照)という番組(再放送)をやっていましたね。西寧からゴルムド経由でラサまでの鉄道の旅。俺は昔、このルートをバスで旅をしました。

たまたま年末『ココシリ』という映画について3日間にわたりブログで書いたこともあって、興味を持って観ました。鉄道はココシリ自然保護区も通ります。映画で密猟されたチルー(チベットカモシカ)もいましたね。動物の移動を妨げないように、線路は地面から高く、橋のようになっていました。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (1)

鉄道でラサへ巡礼に行くというチベット人家族も登場。一方、鉄道と並んで走っている道では、五体投地で進む敬虔な巡礼者たち。この方法だと1日5kmしか進まないのだそうです。

彼らのわきを列車が通り過ぎていきました。「あれを見てどう思いますか?」と聞いたら、彼らの中のひとりが「よくわかりません」「変な感じがします」と答えました。

たぶん、この巡礼者の「変な感じ」というのは実感でしょう。違和感です。それまでなかったものができた風景として、列車が視界に飛び込んでくる、どことなく居心地の悪さというものを感じているのではないでしょうか。でも、この違和感も、慣れとともに、日常の風景へと変わっていくのでしょうか。日本でも、車で四国八十八ヶ所巡礼する人たちに、最初は違和感を持っていただろうということは想像できますからね。


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2006/12/31

チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (3)

061231
『ココシリ』の映画の中で、北京から来た記者が、山岳パトロール隊と、ウサギのモモ肉を食するシーンがありますが、とても印象的でした。俺にも似たような体験があったからです。

昨日のブログにも書いたチベット人のガッデさんは、メコン源流から村へ帰る途中、友人の天幕住居に寄っていこうと誘いました。少しの時間ならいいだろうと、お邪魔しました。でも、なかなかガッデさんは腰を上げようとしませんでした。

村に帰りつくのが夜になってしまわないかと心配になって、俺が「時間がないよ」と腕時計を指さすと、「いい時計だね。いくらした?」と、彼はまったく時間など気にしてないようで、ヨーグルトやヤク肉を、他人の家とは思えないほど遠慮なくたらふく食っていました。

これがチベット人の習慣なのでしょう。いらいらしても仕方ないと、俺もついに諦めて、ガッデさんといっしょになって、ゴム・タイヤのようなヤクの干し肉をナイフで一口大に切り、チューインガムのようにクチャクチャとしばらく噛み続けても柔らかくならないので、結局は飲み込んでしまうということを、何度か繰り返しました。

映画でも食事のシーンが何度か出てきます。チベット人たちは、北京の記者のナイフの使い方を注意します。「ナイフの歯は自分の方に向けるんだ」と。たぶん、食事以外でも、人に歯を向けないというのが彼らの礼儀なのでしょう。だから向けるときは、よほどのときで、「敵意」を表すということではないでしょうか。

密猟者を何日も追いかけて、食料がなくなったとき、ウサギを獲って食べるのですが、皮を剥いだだけのモモ肉が記者に渡されます。生肉を食べるのです。最初、躊躇しますが、結局食べます。チベット人たちの中で記者が「お客」から「仲間」に変わった瞬間です。

「仲間」などというのは、こちらの勝手な思い込みなのかもしれませんが、でも、少なくともこういうとき食べ物を断らないほうが、彼らに近づきやすいとは言えるでしょう。(もちろん、食べられなかったら、断わりますが)

雲南や貴州では「ブタの生肉」がごちそうで、冠婚葬祭でだされます。そのとき、村人は、じっと俺の様子を観察しているのがわかります。食べると、嬉しそうです。拍手されることもあります。反対に、日本に来た外国人がナットウをおいしく食べるのを見ると、少し嬉しくなります。彼らと同じものを食べるのは、「腹を満たす」という実質的な意味ばかりではなくて、精神的な、一種「村入りの儀式」でもあるようです。

メコン源流の話に戻ります。

思わぬところで時間を食ってしまい、夕方になってしまいました。ガッデさんの友人宅を出て、ザナチュの川床を渡り向こう側の岸に上る。そこで俺が写真を撮っている間、10m離れたところでガッデさんはウンコをしていました。食い過ぎでしょうか。

また雲行きが怪しくなった空を忌ま忌ましく見上げ、再び馬にまたがりました。ガッデさんは、馬の脇腹を両足で思いっきり蹴ると、勢いよく走り出しました。彼からロープで引かれた俺の馬も走り出します。カメラは背負ったバッグの中でガタガタと踊りだし、俺の体の中は胃も腸もいっしょに混ざってしまうほど揺れました。

前日だったか、ヒツジの胃袋に詰めた牛乳を長時間コロコロ転がしていると、牛乳が分離してバターができると聞きましたが、まさにそのとき俺はバター製造器になっていたのです。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (2)


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2006/12/29

チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (2)

061229
『ココシリ』の映画の中で、山岳パトロールの隊員たちは、骨太な男臭いチベット人として描かれていました。俺もメコン源流を探して馬で旅したときも、こんな感じの現地チベット人にお世話になりました。

8月下旬でしたが、標高4200mほどの高原には雪が降り、馬は穴に足を取られないように、ゆっくりと注意深く歩いていました。ふと気がつくと、2人のガイドたちは俺の存在など忘れてしまったように、スタスタと馬を飛ばしていつの間にか視界から消えてしまい、残ったのは馬を引いてくれているガッデさんという男とふたりだけになってしまいました。

近道をするために一端ザナチュ(メコン川源流のチベット名)から外れて湿地帯を突っ切り、再びザナチュに出ると、源流を目指した時は全くの清水だった川の水が、見事な赤茶色の水に変わっていました。一日雨や雪が降っただけで、これだけはっきり水の色が変わってしまうのもすごいものです。

地元の人民政府で、数十年前から草地が減少していて、それが家畜を放牧するのに大変深刻な問題になっているんだと教えられました。草地がはがれて保水能力を失った赤い土は、雪解けの水や雨に打たれて流れだし、ザナチュの色を変えるのです。

いったいどうして草地がはがれていくのか、現地チベット人たちは、地球全体の環境変化についてはあまり知らないようで、不思議がっていました。地球の環境汚染とも関係するのでしょう。近代文明を拒むような厳しい環境のチベット高原ですが、文明は空からもやってくるのです。逃れられる土地はもうこの地球上にはありません。

地元の牧畜民が、こうして草原を失い、非合法と知りながらチベットカモシカの密猟に手を染めるということは、映画でも語られていたことです。

ところで、ガッデさんは、あるところで、馬を止めて、「俺の写真を撮ってくれ」と言いました。記念写真をくれとおねだりしているのかな?と思ったら、彼はこう言ったのです。

「あんたの家族に、俺の写真を見せてくれ。この場所にガッデという男がいて、いっしょにザナチュの源流に行ったと伝えてくれ」

その言い方が、頼もしく清々しかったのです。カッコよかったのです。俺はちょっと恥ずかしくなりました。この40歳ほどの、人民帽を被った大柄なガッデさんを眺め、ほんとにこんな人が世の中にいるんだなぁとうれしくなりました。そしてこんな人に会いたいために旅をしているのだと、あらためて実感したのでした。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (3)

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (1)


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2006/12/28

チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (1)

061228
いい映画をDVDで観ました。

『ココシリ (原題「可可西里」)』
監督  ルー・チュァン(陸川)
脚本  ルー・チュァン(陸川)
出演  ドゥォ・ブージェ(多布傑)、チャン・レイ 他

中国青海省でチベットカモシカ(チルー)の密猟者を追う山岳パトロール隊の攻防。実話に基づいた映画です。2004年東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞しています。最後の結末で、なんだか割り切れないもやもやしたものが残りますが、それも事実だとすればしかたないことだし、実際、現実というのは、不条理そのものなのでしょう。

100万頭いたチベットカモシカも、この物語のころの1996年には、わずか1万頭に減っていたそうです。彼らに同行取材した北京から来た記者の記事によって、その事実が明かされ、後の保護活動によって3万頭までに回復しました。

過酷で美しい大自然には圧倒されます。その中で、山岳パトロールのチベット人の男たちは、どうしてあれほどまでに密猟者を執拗に追い続けたのでしょうか。報酬もなく、仕事でもないのに、です。それは、この映画の背景にある事情を抜きにしては語れないのではないでしょうか。チベット人と漢民族との確執です。

この映画を観て思い出しました。実は、俺も縁あって青海省には、過去8回ほど行きました。そのうち2回は『メコン河』撮影のためです。映画のロケ地にもなっている歇武、玉樹、メコン源流の雑多にも行っています。そのとき、俺もチベットカモシカの群れに遭遇しました。

それと、チベットマーモットをたくさん草原で見かけましたが、チベット人のガイドは「街から来た漢民族が獲って毛皮を剥いでいく」と憤慨していたのです。穴の前で焚き火をし、反対側の穴から逃げようとするマーモットを捕まえるのです。それらしき漢民族にも出会いましたが、そのときは、それほど深刻な問題だとは思っていませんでした。いや、正直言えば、メコン源流がどこにあるか探すことしか頭になかったのでした。

今から思えば、あのチベット人ガイドの怒り方は尋常じゃありませんでした。チベット人にしてみたら、自分たちの土地が、よそ者に侵略され、荒らされると感じていたのではないかと思います。(その感覚は今も変わらないかもしれませんが) チベットの歴史的背景があります。

密猟者を取り締まり罰金を徴収し、皮を没収するパトロール隊員も、時々そのお金を生活費に当てています。もちろん非合法です。矛盾を抱えながら行っているのは、彼ら自身がよくわかっていることです。でも、ここを守るためには、それしか方法がないのだと記者に訴えます。

一方の、密猟者も、それしか生活する手段がないのです。草原は砂漠化して、牧畜業ができなくなった人たちが、密漁に手を染めていきます。皮剥ぎ職人のおじいさんは言いました。「人間より、カモシカが大事か?」と。この言葉に反論できません。重い問いです。

彼らの行動を高みの見物で覗き「それはいけない」と、何の躊躇もなしに言えるとしたら、よっぽどの幸せ者です。あるいは、おろか者です。こういう状況を作っている原因のひとつは、チルーの毛皮が高値で取引され、毛を加工した織物やショールを買っていた日本人などの外国人でもあったわけです。

青蔵(青海チベット)鉄道が開通し、チベットは、ますます中国化されていきます。生き残った山岳パトロール隊だった人間は、今、どのように感じているのでしょうか。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (2)

ところで、このルー・チュアン監督の、すごく気になる記事がありました。

「南京大虐殺」をテーマにした映画で、日本人の俳優募集ー中国
Yahooニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061223-00000015-rcdc-cn 参照)


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2006/12/09

「麗江」 NHK探検ロマン世界遺産

061209
NHKの「探検ロマン 世界遺産」で、茶の交易で栄えた街、中国雲南省麗江が放映されていましたね。4年ほど訪ねていないので、ずいぶん変わったなぁというのが感想です。

昔麗江を支配していた木氏の宮殿「木府」の門壁が汚れていました。これが再建されたのは、1996、7年ころだったと思いますが、工事中も訪ねました。当時は真新しい白い門壁が、あまりにも新しくて不自然で、まるで映画のセットのようでしたが、でも、今は、数年の歳月を経て、雨風に晒され、いい感じに汚れて、まるで、昔からの建築物のように見えます。

そして街中を走っている用水路の水がきれいになっていたことにも驚きました。

もともとこの街は、きれいな水が流れるところから「麗江」と呼ばれるようになりました。今は用水路に金魚なんかも泳いでいるんですね。80年代、初めてたずねたときは、食堂や民家から生活排水をバサーッと直接捨てていて、あまりきれいではなかったのですが。

水は、「三眼井」といい、一番上流は飲み水、二番目が野菜を洗う水、そして三番目が洗濯用の水と、3段階で使われています。おばあさんは言いました。「母親から水場をきれいに使うことを厳しく教えられました。水場でつばを吐いたりしたら、乳首が腫れるといわれました」

俺が子供のころも、家の前に用水路があって、そこで野菜を洗ったり米を研いだりしていました。(水道もあったはずなのですが) まだきれいな水が流れていた時代でした。だから大人たちからは、「用水におしっこなんかしたら、チンポ曲がっぞ」と脅かされていましたが、ナシ族も似たようなことを言われていたんですね。どちらも、罰が性に関するものに及ぶというのが偶然にしても面白いと思いました。

トンパ文字についても触れていました。博物館もりっぱになりました。大トンパの和学文さんも元気そうです。

ところで2007年の干支「亥」のトンパ文字のイラストは明日載せるつもりです。毎年恒例ですが、年賀状を書く時期なので、そのサンプルをいくつか考えてみました。

Ya_2「20年前の中国(6) 暗くて重々しい麗江」(2007/10/25)

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2006/11/17

棚田の上を飛んでみたい(インドネシア・バリ島)

061117
今日はインドネシア・バリ島の上を飛んでみます。

バリ島はどこへいっても水田だらけですが、棚田は島の南斜面に多くあります。赤道に近いということもあり、コメは、年に1回~3回作っているので、田植えをしている田んぼの隣で稲刈りをしているなんていう光景もよく見ます。

俺は4回くらいバリ島へ行っていますが、そのときは、デンパサールの警察署でバイクの免許を取って、レンタルバイクで島内を回っています。ただ、せっかく取った免許ですが、まだ一回も警官に免許提示を求められたことはありません。

幹線道路は交通量も多いし、車の排気ガスで、あまり快適ではありませんが、他の田舎道はいいですよ。ガソリンスタンドも適当にあるし、なくても、村の売店で燃料(エタノール?)は買うことができます。おばさんが、バイクのタンクの穴にジョウゴをあてがい、瓶に入った薄ピンク色した燃料を注いでくれます。


●バリ島のジャティルウィの棚田(左端に見えるのは、棚田を見渡せるレストラン。バリの在来米、紫色の「バリ・ライス」を使った「ナシチャンプル」がお勧めです。上に掲載の写真は、このレストランから撮影したもの)

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&ie=UTF8&t=k&om=0&z=18&ll=-8.369982,115.132143&spn=0.002054,0.002988

●インドネシア・バリ島のバンリ村付近

http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=k&om=1&z=18&ll=-8.45334,115.370951&spn=0.002319,0.003583


Ya_2棚田の上を飛んでみたい(日本)

Ya_2棚田の上を飛んでみたい(中国)


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2006/11/15

棚田の上を飛んでみたい(中国)

061115
今日は、中国の棚田の上を飛んでみたいと思います。

ちょうど雲南省元陽県は、詳しい写真が載っていて、かなりはっきり棚田が見えます。見覚えのある展望台や、村の様子もわかります。人がいるのもかろうじてわかるくらいで、思わず俺が映っているんじゃないかと探してみました。

それにしても、上空から見てみると、元陽の棚田の規模が尋常じゃないことがわかって、よくもまぁ、こんなふうに耕したものだと、あらためてため息が出ます。崖っぷちに立って、棚田を見下ろしていると、頭がくらくらしてきて、思わずつぶやきました。「吐き気がするほど美しい」と。(掲載の写真は、モンピン棚田です)

●中国雲南省元陽県チンコウ村付近(右上に見える集落がチンコウ)

http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=k&om=1&z=17&ll=23.117223,102.742231&spn=0.004312,0.007167

●中国雲南省元陽県モンピン棚田(モンピン集落は、画面右に隠れています)

http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=k&om=1&z=17&ll=23.073405,102.736051&spn=0.004313,0.007167

●中国雲南省元陽県多依樹棚田(多依樹集落と展望台は、画面左に隠れています)

http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=k&om=1&z=17&ll=23.09427,102.804887&spn=0.004313,0.007167

●中国雲南省元陽県バーダー棚田(右端にあるのが展望台)

http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=k&om=1&z=17&ll=23.114954,102.763968&spn=0.004312,0.007167


Ya_2棚田の上を飛んでみたい(日本)

Ya_2棚田の上を飛んでみたい(インドネシア・バリ島)


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2006/10/26

20年前の中国(7) 西双版納の魔力

061026

「シーサンパンナ、シーサンパンナ・・・」
と呪文のように口にしてみる。そうするとブーゲンビリアやハイビスカスの香りが鼻先をくすぐり、体の芯からジワーッと暖かくなって、顔がデレーッと緩んでしまう。

そもそも雲南省そのものが、中国内では最もリラックスできる場所だと思っていましたが、その雲南省の中にあって、さらにリラックスできるところが、シーサンパンナではなかったでしょうか。

シーサンパンナの名を初めて聞いたのは、1985年だったと思います。言葉の響きが妙な感じで、これも中国語なんだろうか?と不思議に思ったものです。それは、雲南省南部の西双版納タイ族自治州のことでした。西双版納とはタイ語の「シップソン・パンナ」に漢字を当てはめたもの。「シップソン」は「12」、「パンナ」は「広い耕地」を意味します。

昆明からクネクネした山道をバスで走り、途中2泊して、自治州の州都景供には3日目の昼くらいに着く長旅でした。でも俺にはそれだけの時間をかけても行きたい、そして行く価値のあるところでした。景供にまだ飛行場がない1980年代半ばの話です。

景洪に着いた俺は、浮き浮きした(でも、膝はガクガクした)足どりで、バス・ターミナルから版納賓館へ向かいましたが、そのとき庄洪路を通りました。

長さ400mほどの通りは、農産物、肉、魚、食品などの生活必需品を売る市場で、いってみれば景洪を特徴づけているシンボル的な存在でした。売られているものの種類の多さや、売り買いする人々のカラフルな民族衣装など、漢文化とは違った華やかな空気は、東南アジアの市場に突然放り込まれたような錯覚に陥るほどで、長旅からくる疲れも、いつの間にかふっ飛んでしまうのでした。現在は玉石や木彫りなどのみやげ物通りになっているようです。

版納賓館に長く泊まっているときは、朝早く起きると庄洪路の市場へ行って、タイ族女性が売っているいろんな食べ物を買ってくるのが日課でした。白、黄、紫色の蒸したモチゴメ(おこわ)がありました。タイ族の主食はもともとはモチゴメだったのです。紫色のコメは表皮が紫色をしていますが、このモチゴメを朝昼晩3食食べた翌朝のウンコは、カラスミのスパゲティーを食べたときのように、みごとに紫色をしていて、初めて見たときは病気になったんじゃないかと心配になったくらいでした。

野沢菜漬けのような酸っぱい漬物を必ず買ってきました。たまに牛肉の漬物を売っているタイ族女性がいることもありました。そんな食べ物を賓館のベランダのテーブルに広げ、いったん飲み始めると病みつきになってしまう雲南特産のプーアル茶を飲みながら、そこで偶然出会った他の旅行者たちと、旅先での話をしながら、飲茶を楽しむことが好きでした。とにかく開放的でおおらかでした。気候もそうだし、人間もそうでした。そのために毎年通った気さえします。西双版納の持つ魔力にはまってしまったのでした。

そしてそれは、俺にとっては心地よい麻薬に犯されていくことでもありました。たぶん一生この麻薬からは逃れられないのでは?と脳裏をかすめ、罪悪感と安堵感の混じった複雑な感覚で、これからの人生を思ったのでしたが、案の定、それは現実になり、現在に至っている、というわけです。

Ya_220年前の中国(6) 暗くて重々しい麗江


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2006/10/25

20年前の中国(6) 暗くて重々しい麗江

061025

雲南の大理に行ったのが1985年。この翌年の1986年も雲南へ向いました。大理を本格的に写真に撮ろうと思ったのですが、行ってみたら、ちょうど雲南省の他の町も個人旅行者に開放したところで、大理の北200kmにある麗江も行けるようになっていました。

ただ個人で行く場合は、公安局へいって旅行許可証をもらわなければなりませんでした。この年は、「大理」「麗江」「石林」「景洪(西双版納)」がもらえたと思います。以後、この許可証があれば行ける町がだんだん増えていきました。

外国人の個人旅行者に麗江の許可が下りた初めての年だったので、まだ麗江に関しての情報はありませんでした。だからほとんど何の情報もなく(だから先入観もなく)、ただバスに乗って行ってみるだけでした。そういうところが好きなんです。何も情報がないところが。わくわくしました。どんなところなのだろうかと。

麗江は、いかにも「秘境」といった趣のある、やけに老人だけが目立つ埃っぽくて暗く重々しい感じの町でした。町で外国人が泊まれる宿は、1軒だけで、公安局の向かいにあった招待所です。ドミトリーに泊まりました。数人の外国人が泊まっていました。

毎朝6時ころ、街頭のスピーカーからけたたましい国歌と、それに続く放送がありました。当時はまだ中国語がわからなかったので、大いなる雑音そのものでした。こういう放送だったようです。

「今日は3月10日、水曜日、農暦2月15日。昨日、鄧小平同志は上海の@@工場の視察に出かけて云々・・・」

食事をするところが少ないというのも、俺たち外国人旅行者にとっては困った問題で、それが不便さや地味さに通 じるところもありました。ただ、そういった雰囲気がまた、雲南の奥地を感じさせる麗江という町の魅力でもあったわけです。

たまたま招待所でいっしょになった日本人旅行者と国営食堂に入ったとき、彼の頼んだ御飯の中からゴキブリが出てきました。彼が平気な顔で「これも蛋白質、蛋白質」と呪文のようにいって、その長さ2センチばかりのゴキブリの死骸を箸でつまみあげたとき、おい、それ食っちゃうのかァ?と一瞬驚いてしまいましたが、さすがにそれは床に捨てて、何もなかったように御飯を食べ始めました。

床に仰向けになっている死骸を指差して、俺は「こんなの入ってたぞ!」と服務員(従業員)の女に日本語で文句をいいましたが、彼女は表情ひとつ変えずにそれをチラッと一瞥しただけで厨房へ入っていってしまいました。中国での従業員の態度の悪さに慣れてきたとはいえ、さすがにこの時は腹が立ちました。しかし当の本人が黙々と御飯を食べ続けるのを見て「おたく、もう中国人になりきってますねェ」と、俺は怒りの気持ちもどこかへいってしまい、ひたすら彼を感嘆の目で眺めたものでした。

それがどうでしょうか。今では、世界遺産に登録され、観光客がわんさと押しかける観光地になり、当然ながら「御飯にゴキブリ」などという汚い食堂はまったく姿を消して、小綺麗なレストランやカフェがたくさんできたし、高級ホテルも営業しています。賑やかで華やかな町に変貌しました。当時からは想像もつきません。この20年の変わりようはすさまじいものがあります。

「昔は良かった」と言いたくないのですが、ただ麗江の、あの「秘境」を感じさせる独特の暗さと重さが懐かしく思い出されます。何かを得たら何かを失うということです。でも、そういう俺の感傷をあざ笑うかのように、麗江は今でも発展を続けています。

Ya_220年前の中国(7) 西双版納の魔力

Ya_220年前の中国(5) 雲南省大理


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2006/10/24

20年前の中国(5) 雲南省大理

061024
(写真は雲南省大理アルハイ)

1984年初めての中国、シルクロード(西域)を旅しましたが、翌年、「去年が北なら、今年は南だ」と、中国南部へ向かうことにしました。

香港から陸路で国境を越え、広州からは船で梧州、それからバスで桂林まで。桂林で泊まった宿は、ドミトリーが20人の大部屋でした。ここでたまたま隣のベッドに泊まっていたのが、Sさんでした。「雲南には大理というところがあっていいらしいよ」とSさんは教えてくれました。ただSさん自身も行ったことはなく、又聞きだったので、どこがいいのか、なぜいいのかよくわかりませんでした。

俺は当時まだ写真家ではなかったし、いつまで帰らなければとか、何を撮らなければといった制約はまったくなかったので、「いい」というのだから行ってみよう、そんな軽いノリで桂林から列車に乗って雲南の昆明を目指すことにしたのです。これが今後20年も通うきっかけになるとは思いもよりませんでしたが。

昆明駅から、教えてもらった昆湖飯店という宿までは1kmほどありましたが、その間、まわりには畑が残っていました。肥桶を天秤棒でかついだおばさんが歩いている、そんなところでした。今は全部建物で埋め尽くされ、日本人もよく泊まっている高級ホテルも建っています。

昆明に3泊ほどして、バスで大理へ向かいましたが、街並、水田、アルハイ(耳海)湖というものにいっぺんで魅了されてしまいました。

毎日近郊バスに乗って周辺のペー(白)族村々を訪ねました。バスは窓にガラスがなく、雨が降ってくると、傘をさす乗客がいたり、またあるときは、俺の隣の乗客がニワトリさんだったり、なかなか楽しいバスでした。雨季なので毎日雨が降り、道は舗装してないのでドロだらけになって帰りました。招待所の近くには、大理石のバスタブにつかれる銭湯があったので、毎夕入りに行きました。仕切りがないので、個室ではありませんでしたが、それなりに快適でした。

ある日、地元の人に勧められて、大理の西側にそびえる蒼山の中腹にある中和寺に上ることにしました。今は、リフトができていて、山道を歩く必要はなくなっていますが、当時は、街外れの畑や民家の前、そして墓地を抜けて2時間ほど歩いて上らなければなりませんでした。

途中、墓地の入り口にさしかかったら、軍服を着た男が、プラカードみたいなものを持ってあわてて俺のところに走ってきて「止まってください」というのです。軍人でした。

なんだろうと思ったら、プラカードを高々とあげて、何か中国語で叫びました。そして俺を向こう側、つまり墓地の方へ行くように促したのです。そこから墓地までは50mほど何もない空き地でしたが、その空き地を歩いていったら、なんと右側に腹ばいになった兵士たちが、銃を持って並んでいたのです。左側には的のようなものが立っていました。どうもここは射撃場になっているらしいとわかり、俺は走るように、向こう側へ行きました。軍人は「撃ち方やめー!」と命令してくれたようです。撃たれたらたまりません。

それにしても、こんなに街に近いところで射撃練習をしているとは驚きです。もちろん当時は、中和寺に登る外国人なんて1日ひとりいるかいないかだったし、人通りは少なかったと言えますが。

墓地から上り始めたら、別な集団がいて、責任者らしい軍人が、また俺を足止めしました。みると、50mほど先で、ガスマスクをした兵士が地面になにか細工しているのです。毒ガス兵器の訓練か何かでしょうか。5分ほどして作業は終わったのか、行っていいと言われたので、恐る恐る息をつかないようにして進んでいきました。ガスマスクの兵士に「ニーハオ」と挨拶しましたが、無視されました。

こんなことがあって、ようやく上った中和寺から眺める大理の街と、アルハイ湖は、すばらしい眺めでした。この町にしばらくいてみようかなと思いました。本格的に大理の写真を撮ろうと決心したのでした。

Ya_220年前の中国(6) 暗くて重々しい麗江

Ya_220年前の中国(4) 漢民族と少数民族のイメージ


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2006/10/22

20年前の中国(4) 漢民族と少数民族のイメージ

061022
(写真は中国鄭州)

1980年代中頃は、ようやく中国旅行が個人でできるようになってきた時期で、外国人バックパッカーは、香港でビザを取って入国するのが一般的でした。ただ中国人(実際は、漢民族)との喧嘩が絶えず、だから漢民族が、俺たち外国人に、あるイメージを抱かせてしまっていました。

それまで俺たちが持っていた中国に対してのイメージは「悠久の歴史」とか「大陸のおおらかさ」とかそんな漠然としたものしかありませんでした。NHKの「シルクロード」が作り上げたイメージは大きなものでした。でも、それは中国という土地に対してのイメージではありましたが、「今の中国人」に対するイメージは、ほとんどなかったといっていいのです。

実際中国に来てみると、まったく度肝を抜かれてしまい、「悠久の歴史」だの「大陸のおおらかさ」だの、いっぺんに全部ふっとんでしまいました。どこへ行っても人人人・・・の大洪水。しかも、文化大革命が終わって10年経っていましたが、人心が荒廃した人の群れでした。

旅行者たちは、「没有、没有(メイヨー、メイヨー(無い、無い)」だけ聞かされ鉄道切符が買えないと嘆き、ホテルをたらい回しされると文句をいい、従業員の態度が悪いと怒っていました。食堂の中でさえ、平気で啖と唾を吐き、とくに日本でならすぐ女優にでもなれそうな美人が目の前で「カーッ、ペッ!」と啖を吐いたときには、人間不信に陥るくらいショックを受けて、啖唾のためにヌルヌルした床に滑りこけると、周りの中国人から嘲笑される惨めさに泣きそうになりました。

ウンコが山盛りのトイレは囲いもなく汚く臭く、他人に排泄行為をジッと見られてウンコをしたことがないひ弱な俺たちは、すぐ便秘になって体調を崩し、町ではしょっちゅう喧嘩を見て、「もうやだーッ!」と叫んで逃げ出す外国人旅行者もいたくらいです。

「だれも英語をわかってくれないョ」とシクシクと泣いている欧米人旅行者に、俺は実際に会ったことがあり、「あんたたち欧米人でもどうにもならない国が世界にはあるんだぞ。思い知ったか?」と、そのときだけは中国人に裏で拍手を送り、屈折した喜びに俺は打ち震えたものでした。(日本人は漢字で「筆談」ができたので、欧米人よりは有利でした)

それはともかく、外国人バックパッカーたちは、旅行が自分の思い通りにならないもどかしさから来るストレスを、中国人(実際は、漢民族)の悪口を言い合うことで解消していました。だからバックパッカーが集まる宿のドミトリーは、いつも悪口で盛り上がっていたものです。

どうも、中国やインドなど、酷い目にあわされる確率が高い国を旅する旅行者同士ほど、結束力は強くなるようでした。戦場でいっしょに戦った戦友が、一生の友になるようなものなのでしょう。

でも、いわゆる、北京、上海などの大都市から、雲南省の田舎にやってくると、人が静かで比較的嫌な思いをすることがなく、そこから旅行者の間では「漢民族のいる大都市は嫌いだが、少数民族がいる雲南は好きだ」あるいは、もっと極端には「漢民族は悪くて、少数民族はいい」という、今から思えば作られるべくして作られたステレオタイプに陥っていたのです。

ここ20年で、このイメージがなくなったとは思えませんが、漢民族も生活に余裕が出たのか、かなり落ち着いてきたし、以前のような旅行のしづらさはだいぶ解消されてきました。俺たち旅行者も、カルチャーショックから立ち直って、冷静になり、漢民族も少数民族も、誰だっていいこともやれば悪いこともやる、という当たり前のことに気が付きました。

ただ漢民族が「没有」を言わなくなり、外国人と喧嘩しなくなって、良かったかもしれませんが、俺は一抹の寂しさを感じるのです。漢民族とぶつかっていたのは、良くも悪くも子供のように「正直」だから、という面はあったと思います。今は、「大人になってしまった」ということでしょうか。もちろん「お互いに」ですが。

Ya_220年前の中国(5) 雲南省大理

Ya_220年前の中国(3) 中国人と喧嘩ざんまい


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2006/10/21

20年前の中国(3) 中国人と喧嘩ざんまい

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(写真は中国雲南省タイ族少年僧)

昨日、中国ではよく喧嘩を見たと書きましたが、実は俺もよく喧嘩をしていました。

一番したのは、中国へ行くようになって2年、3年めくらいです。なぜそうなのかというと、中途半端に中国語ができるようになったからです。当時は、俺たちのような東洋人は、中国の中ではまったく中国人と区別はつかなくて、中国人に見られることが多かったのです。

そして中国語を少し話すので、俺が「外国人だ」と言っても信用されないという状況になるのです。日本人とわかると、当時は(今は違いますが)手のひらを返したように態度が変わって友好的になり、喧嘩になどならなかった、そういう事情があります。だから喧嘩するというのは、中国人と対等に付き合えたともいえるんですが。

中国は知っての通り大きな国で、いろんな民族、いろんな言葉があるので、多少北京語が下手でも、どこか山から出てきた田舎の人間だろうくらいにしか思わないのです。じゃぁ、英語をしゃべったらどうかと言われるかもしれませんが、当時はまだそんなに外国人と接している中国人は多くなかったので、英語なんて聞いたことある人もいなくて、やっぱり地方の方言くらいにしか思わなかったという事情があるのです。

一番悲しかったのは、雲南省西双版納のタイ族村での出来事でした。

村の子どもたちや老人たちは、俺が日本人と知って関心を持ち、俺を囲んで話をしていました。いい雰囲気だったのです。

そこへ、30歳くらいの青年がやってきました。そして俺をうさんくさそうに眺めると「あんた、どこから来た?」と聞いたので、もうすでに、周りにいる老人子どもに話したように、「日本から来た」と答えました。すると、ますます疑いの目をして「嘘つくなよ」と言うのです。「嘘なんかついてないよ」と俺は少しムッとして答えました。「お前の言葉の訛りは上海人だろう?」「違う、俺は日本人だ」「いや、上海人だ。日本人が中国語しゃべるはずがない」「いや日本人だ」「いるんだよなぁ。お前のように外国人を語って、悪いことをやるやつが」「俺は日本人だ」

ふたりのやり取りを聞いていた周りの老人子どもたちも、だんだん笑顔が消えていき、ほんとはこの人、上海人じゃないんか?という疑いの目で見始めました。気まずい雰囲気が漂いました。それで、俺は最後の手段として、懐からパスポートを出して見せたのです。嘘つきと言われたくなかったからです。

ところがなんということでしょう。当時の俺のパスポートは赤い色で、それは中国共産党の旗の色でもあり、しかも、書いてある日本語や英語は、タイ族にはさっぱり読めないわけで、「やっぱり上海人じゃないか」と言った青年の言葉に、俺はとうとうキレてしまったのでした。

「俺は日本人だ! 嘘なんかついてない!」

そう叫んで、俺は泣きながら---それは嘘だけど、でも気持ちの中では泣いていた---村を出てしまったのでした。

そんなことがしょっちゅうあって、俺は特に駅員とかチケット売り場のおばさんとか、バスの運転手や車掌と喧嘩になることが多かったのです。根本的に、中国人、特に都市に住む漢民族とメンタリティの違いで喧嘩になることが多かったようです。理不尽なことや不当なことや誤解に対して怒るわけです。

ただ喧嘩も正々堂々とやれるので、俺としては、リフレッシュできるレクリエーションでもありました。(半分、楽しんでいたと言ってもいいかも) 日本ではなかなかできないですからね。俺は、人から悪く見られるのを恐れる人間なので、よほどのことでも、公の場所で怒鳴り声を上げて喧嘩をするなんてことはなかったし。

中国へ行き始めて5年、6年過ぎたころでしょうか、どうも、外国人とバレない方が楽だなと気がついて、俺はあまり自分から「外国人」「日本人」と言わなくなってきました。中国人にまぎれる快感を知ってしまったのです。「どこから?」と聞かれたら「どこだと思う?」と逆に聞き返しました。たいていは「広東?」「上海?」とか言ってくるので「まぁ、そんなとこだな」などと、答えをぼかしていました。

そのうち、ある日本人が言ったことを聞いて「なるほど、そういうものか」と納得したのですが、それからはあまり中国人に腹が立たなくなりました。それはこういう言葉でした。

「中国人を理解しようなどと思うな。そんな人たちなんだと受け入れろ」

Ya_220年前の中国(4) 漢民族と少数民族のイメージ

Ya_220年前の中国(2) 犯罪者、喧嘩・・・


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2006/10/20

20年前の中国(2) 犯罪者、喧嘩・・・

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中国は、今の姿からは想像できないほど不思議な国でした。まぁ、中国人の名誉のために言っておくと、俺はこういう不思議さが嫌いではありませんでした。むしろ、そういうところも中国の魅力でもあったのです。昨日書いた「没有(メイヨウ)」と言う店員の応対などもそうです。

最近、というか、拉致被害者の問題がクローズアップされてから、北朝鮮の潜入ルポがたまに放映されます。

駅前で、ボロくずのように横たわる男、市場で物を拾って食べる子供たち、公開処刑などなど。それを見ていると、昔の中国を思い出します。80年代の半ばはこんな光景が中国でも見られました。そういう意味で、北朝鮮だけが特別の国だとは思えないんですよね。

公開処刑そのものは見たことはありませんが、トラックに乗せられた犯罪人が市中引き回しされているところとか、街の公安局の前に立たされた犯罪人は何度も見たことがあります。それも、当然と言えば当然なのですが、お祭りで人出があるときにやったりするんですよね。俺もその祭りを見るために街に泊まり、当日の朝、爽やかに目覚めて、さぁ、お祭りの写真を撮るぞーと意気込んでいるときに、このトラックの犯罪人を見ると、ちょっと暗い気持ちになってしまいました。

また、公安局の前に立たされた犯罪人は、数人が逃げられないように縄で縛られて一列に立たされているのですが、首からは、カードみたいな物を下げていました。さらし者ですね。

ちょっと日本ではお目にかからないし、ショックな場面だったので、見たいという気持ちと、見てはいけないという気持ちがあったのですが、素通りするふうを装って、ちゃっかりとカードだけは読みました。そこには自分の犯した罪名が書いてありました。「強姦犯」とか「経済犯」とか「強盗犯」とか。す、すごい人たちなんだぁ。

それと、喧嘩が多かった。街中でしょっちゅう喧嘩を見ました。だいたいは、口喧嘩なのですが、なかには取っ組み合いになることもあります。一番ひどい喧嘩を見たのは、雲南省の昆明で、こともあろうに、公安局のまん前でした。

女同士の喧嘩です。口喧嘩から取っ組み合いに発展していき、イヤリングを引きちぎったのです。耳からは血が出ました。まわりの人たちも大変だーと止めに入ったのですが、ふたりとも血だらけになってしまいました。そのとき、朝日が建物の間からふたりを照らしました。

そのとき俺が不謹慎にも思ったのは喧嘩のひどさではなくて、「血って、なんて美しい赤色なんだ」というものでした。女の耳から顎にかけて流れている血に朝日が当たってヌラヌラと輝いているんです。ゾクゾクっとしました。この美しい赤色が、今でも忘れられません。

Ya_220年前の中国(3) 中国人と喧嘩ざんまい

Ya_220年前の中国(1) 「ありがとう」がない

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2006/10/19

20年前の中国(1) 「ありがとう」がない

061019

まず、日本での話です。

飲食店ですね。よくあるのは。店を出るとき、「ありがとうございました!」と店員さんが言うと、まわりの店員全員も言いますね。まるで、ニワトリかカエルのようです。知ってますか? ニワトリもカエルも一羽(匹)鳴き始めると、次々に広がって大合唱になるんです。(「いらっしゃいませー!」もそうですね)

俺はそれを聞くと、いつも「あっ、またニワトリだ」と思うんです。そして「嬉しい」なんてことはもちろんないし、なんだかこそばゆく、特に、人のおごりで食べたり飲んだりしたあとは、後ろめたさに変わります。「ぜんぜん金払ってないのに、ありがとうはいらないよ。しかも全員で」と内心恥ずかしい思いをしてしまいます。

もちろん、店員は、マニュアルに沿って言っていることくらい、俺にもわかります。「蛍の光・・・」と同じ、単なる「さようなら」の意味のBGMなんでしょう。そして俺が自腹で食べたか、おごりで食べたかなんて、店員は知ったこっちゃないしね。もっとも「また人のおごりで来れればいいですね。待ってます」なんて本音を言われるのも嫌ですが。

昔、中国へ行き始めたころ、1980年代の中ごろですが、中国人に「謝謝(シェシェ。ありがとう)」という言葉はないんだなと思いました。当時は、文化大革命が終わったものの、その荒廃した社会の余韻が残っていた時期で、社会主義的な国営商店へ行っても、食堂へいっても、まず日本的なサービスは期待できず、店で「ありがとうございました」など、言われることは皆無でした。

それどころか、商店では、目の前の商品(爪切り)を指さして「これ、ください」と言っても、店員はなぜか「没有(メイヨウ。ありません)」と言って売ってくれなかったこともあります。目の前の物が「ない」という。存在するものが、存在しないと店員の娘はのたまうのです。まるで禅問答しているようですが、真面目な顔で言うのです。(まぁ、これはあとでわかったことですが、「自分の担当ではない」「めんどうくさい」「今は休み時間だ」といった理由さえ、めんどうなので、一括して「没有」と言って済ませていたようです)

また、甘粛省のある食堂(餃子店)へ入ったときは「何しに来た?」と言われるしまつでした。何しに来たはないよな、食堂なんだから、食事にきまってるだろうが、と内心憮然としましたが、俺は大人なので、冷静に「食べるものはありますか?」と聞くと、店員たちは自分たちの食事をじゃまされて不機嫌になり、「俺たちが食っているんだから、待ってろ」と言って、餃子を食ってましたっけ。俺は店員の食事が終わるのを30分おとなしく待ってました。(大げさに言っているのではないですよ。ほんとにそんな時代だったんです) 「ありがとう」なんて言われる環境ではありませんでした。むしろ、客が「食べさせてくれて、ありがとう」と言わなければならないくらいでした。

ところが現在、店に入ると中国人も「いらっしゃいませ」と言うし、店から出るとき「ありがとうございました」とか「またどうぞ」と言うようになったのです。中国人もニワトリのように、意味のないBGMを大合唱するようになりました。変われば変わるもんだ。

これは日本的接客方法が真似られたんでしょうか? それとも、市場経済という仕組みが、同じような行動を取るように人間を仕向けるのでしょうか? 俺には、80年代の強烈な体験がトラウマになっているらしく、感謝の言葉を聞いたりすると、「きっと、裏があるにちがいない」「ボラれたかもしれない」と、つい思ってしまうのです。悲しいことですが。

世界の常識が通用しない独特の個性を持っていた中国人が、今や経済発展を自慢し、お客に「ありがとう」を連発する「普通の」人間になってしまい、俺は正直、寂しさも覚えています。

Ya_220年前の中国(2) 犯罪者、喧嘩・・・

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2006/10/14

中朝国境の朝鮮族(4) 吉林の老人節

061014
そのあと、バスを乗り継いで、白頭山(長白山)から、吉林市まで行きました。吉林に宿を取り、バスで郊外の朝鮮族の村へ。「老人節」で歌と踊りをやるかもしれないと噂を聞いたからでした。旧暦八月十五日の「老人節」とは、朝鮮族の敬老の日とでも訳せばいいでしょうか。

バスを降りたところは数軒の民家があるだけで、村の中心部は、そこから1.5kmほど歩いたところでした。

村はずれの工場か何かの広場に、民族衣装を着た人たちがおおぜい集まっていました。赤い垂幕にハングルが書かれています。漢字がいっさいないので、日付の「9.3」しかわかりません。

老人たちが歌と踊りをやっていました。太鼓、シンバルのリズムが軽快に鳴り響きます。マイクを持った人が、歌を披露します。カラオケ大会のようです。朝鮮族の歌のあと、日本の歌も飛び出しました。俺が日本人とわかったからでした。次から次と、俺の元へ日本語をしゃべる老人があいさつにやってきました。

あるおじいさんは、
「私は、朝鮮生まれですが、すぐ日本へ行きました。そして、名古屋の高校を卒業したあと、1920年の1月に中国に来ました」
といいました。あるおばあさんは、
「ずっと日本語をしゃべっていないので、忘れました」
戦後日本人を生で見たのは初めて、だからしゃべるのも初めてとのことです。

飛び入り参加で、俺も「北国の春」や「夕焼け」を歌いました。「歌いました」というのはもちろん正しくありません。正しくは「歌わされた。しかも強引に」です。祭に行くとなりゆきで、いつもこうなります。そして当然酒も飲まされます。

老人節には、男61歳以上、女55歳以上の老人が参加するのだという。ということは、若い人たちから祝ってもらうという祭ではなくて、自分たちで楽しむ祭らしい。初めは、朝鮮族ふうの伝統的な歌や踊りが多かったのですが、そのうち、碁盤の目状に整列して、中国ディスコふう体操が始まりました。そうか、この祭は老人たちの運動会なんだなと納得しました。

みんな親切でしたが、酒に酔ったせいもあるのか、何人かから、にらまれた瞬間もあります。彼らの目には、日本人に対する複雑な感情が感じられました。全体的には親日的といっていい迎えられ方でしたが、俺は、辛い歴史を思い起こさせる招かれざる客であったのかもしれません。朝鮮族は、日本の植民地政策に乗せられて中国へやって来た人たちや、食べられなくなって朝鮮半島からやってきた人たちの子孫だといいます。誰も文句や恨み言を直接口にしたわけではありませんが、正直、だんだん居心地が悪くなってきました。

夕方、引き止めてくれる彼らと別れてバス停に向いましたが、もう少しいたい気持ちと、早く帰りたい気持ち、両方あったのを覚えています。

Ya_2中朝国境の朝鮮族(3) 白頭山

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2006/10/13

中朝国境の朝鮮族(3) 白頭山

061013

図們から、延吉、二道白河とバスで移動しました。

二道白河に1泊し、翌日ふたたびバスに乗り、長白山へ向いました。「長白山」とは中国での呼び方で、朝鮮名では「白頭山」。朝鮮民族の聖地です。標高2744mの火山の頂上付近にはカルデラ湖、天池があります。平均水深は213mもあるそうです。

金正日(キム・ジョンイル)は、白頭山で生まれたと公式に言っていますが、本当はソビエト連邦の極東地方の軍事教練キャンプで生まれているそうです。自分に神秘性を持たせるための嘘でしょうか。

バスの終点からは絶壁と、67mの高さから水が落ちる長白瀑布が見えました。ポプラが黄色く色付き始め、滝から流れている川の水も澄んでいてきれいでした。川に架かる橋を渡ります。写真屋が客待ちしていました。観光客がたくさん写真を撮っていましたが、なるほどいいアングルには違いありません。俺も真似して写真を撮ります。

そこから200mくらい行くとガレ場になり、その急坂を登らなければなりませんでした。石が落ちてくる危険な道です。もっと楽な道もあったのですが、それは帰るときに気がつきました。

ある場所まで上ると、ようやく平地になりました。すると、目の前に天池の湖面が現われました。対岸は北朝鮮? 監視所や国境警備の兵士などは見当たりません。もっとも対岸へ渡るには、ボートなどはないので泳ぐしかなく、普通では無理です。湖の周りは想像以上に切り立った山で、一周する道などもありません。

天気が回復し、湖が青く輝いていました。ぽかぽかして気持ちがいい。それにしても、このせっかくの絶景なのに、観光客が落としていくゴミが多いのは残念でした。ビール瓶のかけらなども落ちていて危険です。

パンと缶詰の豚肉とピーナツで昼食。食事後、天池を見渡せる場所まで上りました。いい眺め。ほんとに対岸は北朝鮮なのだろうか。白い建物やパイプが見えたので、望遠レンズで覗いてみましたが、人らしき姿はありませんでした。

ハルピンの大学生と韓国人の5人のグループと知り合いました。韓国人は、オーストリアに住むエコロジストで、中国人学生たちと共同で植物調査をしにやってきたのだといいました。

韓国人は日本語をしゃべりました。「富士山に登ったことはありますか? 丹沢には?」と聞かれ「どっちも行ったことがありません」と答えると、「珍しいですねぇ」と軽蔑したように言われました。別に行かなくてもいいだろうと思いますが。

天池に棲む怪獣「テッシー」の噂を聞いていたので、彼らにその話をすると、「怪獣なんているはずがないですよ。第一、この天池は泉の水で、とても澄んでいるので、魚さえも棲めないんです。餌のいない湖に、どうして怪獣なんか棲めるんですか?」と言うのです。まったく理屈はその通り。でも・・・。

韓国人に「南北統一も近いのではないですか?」と聞いてみました。すると、韓国人は語気を強めて「とんでもない!あいつらの頭は固いんだ。統一を考えているようなジェスチャーを見せてるだけ」と言い放ちました。俺などが単純に口を挟める問題ではないなと、それ以上突っ込みませんでした。北朝鮮や韓国について、俺はほとんど何も知らないことに気がつきました。

俺が白頭山に行ったのは1991年ですが、1992年に韓国と中国の国交が樹立されてからは、多くの韓国人がやってくるようになりました。彼ら韓国人は、地元の朝鮮族からはあまり良く思われていないそうです。というのも韓国人は経済力を自慢し、地元の朝鮮族を馬鹿にするからだと言われています。白頭山に韓国の国旗を立てる輩も現れて、今は禁止されているようです。日本人も外国でひんしゅくを買うことがありますが、韓国人もあるようです。このエコロジストはどうか知りませんが、なんとなく人を馬鹿にしたような態度は、正直気にくわなかったですね。

たいていの観光客が引き上げてから、俺も下