カテゴリー「旅(外国)」の421件の記事

2021/01/18

なぜ狼祖神話・犬祖神話なのか

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「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白き牝鹿ありき。」

これは、『元朝秘史』(Wiki 参照)にある一節です。昔、井上靖の『蒼き狼』というチンギスハーンの小説を読みましたが、モンゴル人の起源として、この一節が引用されていたような気がします。当時はまだ、「モンゴル人」も「狼」もそれほど知識もなく読んだわけですが、狼が祖先という出自に、カッコ良さ、ロマン、神秘性を感じたものです。

このような狼祖神話をもつ民族は、「烏孫・ 羌・突厥・高車・アルタイ・蒙古・ブリヤートなどのテュルク系およびモンゴル系であって、いずれも代表的な遊牧生活を営む諸族 (中略) 狼はとりわけ中央アジアで畏怖の対象となってきた。野性的で迅速に攻撃する肉食獣たる狼は、軍事的な遊牧民にとって、まさしく模範とす べき存在である。それで突厥は軍旗に黄金の狼頭を掲げただけでなく、将卒の親衛隊員を「狼」と呼びもしたのである。狼が戦士の動物とされたなら、狼に出自をたどるのは光栄なことだった。それでアルタイ諸族は狼に族祖を求めたのだ。」(『犬からみた人類史』山田仁史氏「犬祖神話と動物観」より)

遊牧民にとっての一番の関心事は、農耕民が干ばつを恐れるように、家畜を食べる狼であったようです。勇猛果敢な狼は遊牧民の模範ともなるものですが、怖い動物でもありました。この両面を持つ存在である狼は遊牧民から神聖視され、狼祖神話が中央アジアに広まったということでしょう。

昔、中国北西部、内蒙古自治区ハイラルのナダム祭りで「蒼き狼」の末裔、あるモンゴル人と話す機会がありました。この祭りでは、モンゴル相撲(ブフ)も行われていて、「ブフ」の試合で4位になった力士、バォリタさんという青年でした。

彼は年に2、3回里帰りするそうです。この辺(ハイラル郊外)では夏だけゲル(天幕住居)に住むのとは違って、彼の実家の田舎では、夏も冬も、1年中ゲルに住む、完全な遊牧民が多いところ。草丈が高く、冬でも雪が積もることはないので、冬も放牧できます。ただし、やっぱり冬はめちゃくちゃ寒いらしい。

ゲルには、電線など来てないので、ヤマハの発動機を使って、自家発電しています。夜は(昼もそうかもしれませんが)、家畜の鳴き声意外は何も聞こえないところです。隣のゲルはとても遠いのです。遊牧をするには、かなりの面積の草原が必要です。

時々、狼が出没し、羊を食べられてしまいます。遊牧民にとって、一番怖いのが野生の狼だそうです。

からかい気味に「狼はモンゴル人の祖先でしょう?」と聞いたら、「羊を襲う狼は、やっぱり悪いやつです」とバォリタさんは笑いながら言ったのでした。

今回「ブフ」の試合で勝ち取った4位の賞品は、羊1匹と洗濯機でしたが、田舎へのいいおみやげができて喜んでいました。

 

世界には、狼祖神話と犬祖神話を持つ民族がいますが、遊牧民族が狼祖神話を伝えている一方、中国南部に住んでいるヤオ族、ミャオ族の一部には、槃瓠が自分たちの祖先だという犬祖神話が語り継がれています。

中国の史書『後漢書』列伝にでてくる槃瓠【ばんこ】という犬の話です。

昔、高辛氏【こうしんし】の時代、襲ってきた敵、犬戎【けんじゅう】の将軍の首を取ってきた飼い犬の槃瓠は褒美として帝の末娘の姫といっしょになった。槃瓠と姫は南山の石室で暮らし、6男6女をもうけた。

これが犬祖神話です。『南総里見八犬伝』にはこの神話が生かされています。

「犬は、偉大な神話を形成するだけの刺激を与えることはできない。犬は自然界ではな く、人間界に属するからである。狼が荒野の支配者なのに対し、犬は人間の守護者だ。狼は人間より前から存在 したが、犬は人間が造り上げたものである。よって人間は犬に対して距離を置かない。狼は、男性的で戦士的な 動物であるのみならず、破滅と死をもたらす存在でもあるから、その姿は戦慄と賛嘆とを同時に引きおこす。し たがって、犬祖神話よりも前に狼神話が先行したはずであり、その起源地は中央アジアに違いない。」(『犬からみた人類史』山田仁史氏「犬祖神話と動物観」より)

犬は狼に比べてより人に身近な動物なので、畏怖する存在までにはならないという話はわかるし、犬を悪く言う諺は世界中にたくさんあるし、「あいつらは犬の末裔だ」と、どちらかというと蔑んでいわれることもあるのが犬祖神話ですが、それでもなぜ「犬」なのでしょうか。

実はモンゴル族が狼の末裔という有名な話のほかに、犬の末裔という話もあるらしいのです。

獣祖神話と北アジア 古沢襄」にはこのようにあります。 

 「ポルテ・チノの狼血が、ジンギス汗に流れ、殺戮の征服欲の根源になったという説は「モンゴルの秘められた史(ふみ)」という歴史書に依拠している。井上靖は小説を書くに当たって、この狼始祖史料を使っていた。実は、もう一つの犬始祖伝説がある。ジンギス汗は、むしろ蒼き狼の血統ではなくて、黄色い犬の血統だという。
 ジンギス汗はモンゴル族の中でボルジギン氏族に属していたが、この氏族に伝わったのは犬の始祖神話。蒼き狼のポルテ・チノから十二代目の子孫にドブン・メルゲンという人物がでる。妻のアラン・コアとの間に二人の男子を生んだが、ドブン・メルゲンの死後、もう一人の男の子が生まれている。この子は狼始祖を持つドブン・メルゲンの血を受け継いでいない。
 アラン・コアは、男の子の父親は黄色い犬だといった。そして犬の子・ボドンチャルがボルジギン氏族の始祖となった。ジンギス汗は狼の血統ではなく、犬の血統だったことになる。腹心の功臣であるジュベ、フビライ、ジュルメ、スペエデイの四人も「狗(いぬ)」に比せられている。」(「獣祖神話と北アジア古沢襄」より)

モンゴルにも犬祖神話があるようです。モンゴル人は狼の末裔だという「蒼き狼」のイメージが強いのは、もしかしたら井上靖の小説の影響かなと思うくらいですが、犬か狼かは別にして、「獣祖神話」が遊牧民に多いのは確かなようです。

でも一番知りたいところ、どうしてある民族は「狼」を選び、ある民族は「犬」を選ぶのか、まだまだ分かりません。

 

 

 

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2021/01/11

2021年の干支は「牛・丑」マダガスカルのゼブ牛

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マダガスカルの中央高地、アンバラヴァウ郊外では、水曜、木曜の午前中を中心にゼブ牛を売買する市「ゼブ・マーケット」が開かれます。マダガスカル第二の規模だそうです。

島の西海岸にはバオバブ並木があります。周辺では稲作も行われていますが、農耕や運搬に牛が使われています。

イサル国立公園の入り口の水田では、牛をたくさん使って田んぼの泥の中を歩かせて耕す「踏耕」も見ました。(下から2番目の写真)

ところで、アジアを旅していて、牛に襲われたという話を聞いたことはありません。メコンの水牛だろうが、チベットのヤクだろうが、闘牛を別として、というものは、おとなしい動物だというイメージが焼きついています。

ところが、この感覚で、マダガスカルのゼブ牛に接するのは時に危険です。俺たちが、ある農家に立ち寄ったとき、ちょうど牛車から牛をはずしているところでしたが、「危険だから近づくな」と注意されたことがあります。

実際、ゼブ牛は、気性が荒く、暴れていました。「かわいい~」などと言って近づいたら大ケガをしそうです。もし、マダガスカルへ行かれる方は、注意してください。

ネパールへ行ったときは、「バフ・テキ」を食べました。「バッファロー(水牛)・ステーキ」のことですね。マダガスカルでも、ゼブ牛の肉料理はもちろんあります。「ゼブ・テキ」とは言わなかったようですが、アゴを丈夫にできるくらいの、程よい硬さのステーキを食べることができます。

アンチラベ郊外で食べた、ゼブ牛のタンの煮込み料理はうまかったですよ。

 

 

 

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2021/01/10

2021年の干支は「牛・丑」 カンボジア・シエムリアップ

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シエムリアップは、世界遺産アンコールワット遺跡群への玄関口として発展してきましたが、郊外に出ると広大な水田が広がっています。

牛や水牛が農作業で使われていますが、もうひとつ、カンボジアでよく見たのは、牛車・水牛車でした。 

それと、水路に飛び込む子や、魚を捕まえている子など、カンボジアの子どもたちは元気ですね。牛や水牛の扱い方もうまいですね。

 

 

 

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2021/01/06

2021年の干支は「牛・丑」 ベトナム・サパの水牛

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ベトナム北部、中国との国境にも近い、ラオカイ省サパは、国内最高峰ファンシパン山(3143m)麓にあり、多くの少数民族が住んでいます。

標高約1500mのサパで棚田を作るモン族(中国ではミャオ族)は、中国、清の時代に、差別や貧困から逃れて、北ベトナムやラオスへ南下してきた民族です。昔は「三苗」と呼ばれた勇猛果敢な民族の末裔とも言われています。鬱蒼とした森林を切り開き、生きるために山の斜面を棚田に変えてきました。天水を利用した棚田では水牛が大活躍です。

長距離移動にはバイクを使いますが、このバイクはソビエト(現ロシア)製のバイクで、レンタルできるので、俺も1週間ほど借りて乗り回していましたが、プラグがよく壊れました。でも心配いりません。他のバイクの運ちゃんからプラグを譲ってもらい、入れ替えるのは簡単でした。

 

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2020/12/27

2021年の干支は「牛・丑」 パキスタン・カラチ郊外の農村

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昔、パキスタンの南部、カラチに行ったとき、町の食堂で知り合った青年たちに誘われて、郊外の彼らの村へいったことがあります。

当時は、外国人を誘拐する事件はあまりなかったので(誘拐ではなく、強盗殺人はあった)、ある程度注意していれば、危険な目には遭わなかったのです。

俺が、こいつは信用できるかどうかを判断する基準としていたのは、まず、「英語や日本語(外国語)をしゃべらない」ということと「向こうから声を掛けてきたのではない」という条件でした。そういう人たちの誘いには、喜んでついていったのでした。

このときも、英語はほとんどしゃべらなかったし、外国人が行くような地区の食堂ではなかったので、一緒に行っても大丈夫だと思いました。(片言のウルドゥー語と英単語だけでなんとかなりました)

実際、彼らの村では、大歓迎され、たいへん面白い体験をすることができました。

夕食後、電気のない暗い民家では早めに寝てしまうのですが、俺は、ある部屋のベッドを貸してもらいました。手探りで連れて行かれて、服を着たままそのベッドに横になりました。懐中電灯もなく、部屋の中がどんな様子なのかさっぱりわかりませんでした。

夜中、変な音で目が覚めました。なにか、水を捨てているような音がしたのです。しかも、けっこう近くから聞こえてきました。それでも、俺は疲れていたのか、すぐにまた眠ってしまいました。

そして朝、明るくなったころ起きてびっくりしたのです。

なんと、俺の隣には、牛がいたのでした。その部屋は、家畜小屋というのではないのでしょうが、田舎の農村の家なので、お客さんを泊める部屋は、ここくらいしかなかったのでしょう。俺は一晩牛と寝ていたことを知りました。つまり、夜中の音は、牛がオシッコを垂れ流していた音だったのです。

朝食には、牛乳が出されましたが、水っぽい味でした。そういえば、この乳は、いっしょに寝ていたあの牛の乳? 味はともかく、夜中の小便の音が耳から離れず、この牛乳をあまりおいしく飲めなかったのは残念でした。

パキスタンは牛肉・乳製品の消費が急拡大しているそうです。2014年の調査ですが、総人口は1999年から2014年には37.8%増加して1億8802万人になり、牛や水牛の飼育頭数も、7割増えました。飼育環境や生産効率の改善につながったとみられていますが、牛小屋でお客さんを寝せるなんて遠い昔の話なんでしょうね。 

 

 

 

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2020/12/20

2021年の干支は「牛・丑」 カトマンズの牛

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ネパールでは、首都のカトマンズでも、ヒマラヤへの玄関口ポカラでも、牛が自由に歩いているのを見かけます。インドでもそうですが、ヒンズー教徒にとって、牛は豊穣の女神ラクシュミの化身として神聖視されています。

2008年に連邦共和制になって、ネパールはヒンズー教王国ではなくなりましたが、牛の殺処分は今でも違法だそうで、牛はカトマンズの中をゆったりと歩いていたり、ポカラの市場では寝そべってストレッチしたりしています。

2013年には交通の邪魔になるとのことで路上を歩き回る牛を「取り締まった」らしいのですが、2013年秋に俺がネパールに行った時も、掲載写真のように、町中で牛を見ることは珍しくありませんでした。

また、ネパールのリゾート地や外国人登山客の多いレストランでは、「バフテキ」を食べられます。「バフテキ」は「バッファロー・ステーキ」のこと。水牛のステーキですね。ちょっと固めだけどおいしいですよ。

牛は神聖視されていますが、水牛は食べられます。水牛は牛とは明確に区別され、神聖視されていません。まったく牛とは別物です。実際、ふたつは種が違います。

ところで、牛が町中にいても襲われることはないのでいいのですが、怖いのは野放しの犬ですね。とくに夜の犬は。

 

 

 

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2020/12/19

2021年の干支は「牛・丑」 チベット高原のヤク

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■牛(■は、牛へんに毛)とは、チベット高原のヤク牛のことです。チベット人にとって、ヤクはなくてはならない家畜です。

草原を歩いていると、牧畜民のテントのそばに、活発に走り回っている黒っぽい動物。あれは・・・。てっきりチベット犬かな?と、顔が青ざめ、立ち止まってしまいます。犬に何度か噛まれているので、ほんとに怖いんです。

ところが、その動物は、ヤクの子どもなんですね。それがわかると一安心。

ヤクの子どもを遠くから見ると、犬に見えるのは、あの活発な動き方が、どうしても大人のヤクの、どっしりとした動きから想像しづらいからです。身軽なんです、子どものヤクは。それと、俺が犬に敏感だからなのは言うまでもありません。今はヴィーノでリハビリし、犬恐怖症も克服しましたが、当時は、一番ひどい時だったので。

毛は(毛牛というくらいだから毛が長い)、チベット牧畜民のテントやロープの材料に、乳は各種乳製品に、肉はもちろん食料に、糞は木がない高原では貴重な燃料になります。ヤクを利用することで、厳しい環境にも適応してきました。

牧畜民のところで食事をごちそうになると、かならずヤクの干し肉が出ましたが、これが、想像通り堅い。大きな塊を、ナイフで小さく切りながら食べるのですが、固いゴムのようで、なかなか噛み砕くのに時間がかかります。だから、顎が丈夫になり、唾液も良く出て、体には良いような気がします。

写真は、チベット高原のメコン源流を探しに行ったときのもので、源流に近い家族は、ヤクの放牧をやっていました。8月でしたが雪が降る中で、ヤクの乳しぼりをしています。

乳からバターやヨーグルトを作ります。バター茶は、チベットではポピュラーな飲み物です。

ヤクのヨーグルトには、あたりはずれがあります。ほんとにおいしいものは、どんぶり2杯も食べましたが、たまに、独特の匂いのするものもあります。新鮮さの違いかもしれません。

 

 

 

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2020/12/16

2021年「丑・牛」年のトンパ文字

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来年は「丑年」。

今年はコロナ禍で知人友人と直接会う機会も少なくなってしまいました。だからでしょうか、年賀状の売れ行きは良いようです。

なので、今年も恒例の年賀状サンプル、トンパ(東巴)文字のデザインを載せておきます。参考にしてください。1500pixcelあるので、年賀状のプリントでも使えると思います。

トンパ文字は、雲南省麗江地区、ナシ族に伝わる象形文字です。角が特徴的です。

     ●●●

牛といえば、アジアでよく見るのは水牛です。

中国貴州省のミャオ族・トン族などでは闘牛を見ることができます。とくに、1月下旬から2月上旬にかけての中国正月(春節)の時期。田んぼに何も作物がないところが会場になります。

普段はおとなしそうに見える牛(水牛)ですが、男たちからけしかけられて興奮した牛たちは、角を突き合わせて激しく闘います。近づいて写真を撮るのは、ちょっと怖い。

逃げたら負けです。中には、それだけエネルギーがあったら闘えるだろうと思えるような、何キロにもわたって逃走劇を演じてしまい、観客から失笑をかってしまう牛もいました。

ミャオ族の料理に、水牛のモツ煮込みのような食べ物があります。肉も内臓もいっしょに煮てある、しかも、塩味だけのシンプルな料理で、市場などで食べることができました。

食べた後、脂が固まって、唇に蝋を塗ったようになってしまったのは困りました。

 

 

 

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2020/08/10

今日は、山の日

131008(ポカラ郊外ダンプス ヒマラヤの山々)

 

130925_1(カトマンズ スワヤンブナート)

 

130925_3(カトンマンズ スワヤンブナートから見た旧市街)

 

131011_4(カトマンズ タメル地区)
130927_1(伝統的なネワール料理)

 

131018_8(ポカラ郊外ダンプス ヒマラヤの山々と棚田)

 

131002_1(ポカラ郊外 棚田)

 

 

今日は「山の日」だそうです。写真は数年前に行ったネパールの写真です。

神々しく輝く早朝のヒマラヤ山脈。ふもとまで続く波打つ棚田。ヒンズー教、チベット仏教などの宗教が息づく町や村々のたたずまい。すばらしいところです。

エベレストは、サンスクリット語で「サガルマータ」、「大空の女神」という意味です。アンナプルナは「豊穣の女神」という意味だそうです。ネパールでも、山は女神だったようです。日本でも山の神が女神(が多い)だったことは、先日「山の神」にも書いた通りです。

最近、狼信仰を調べていて、だんだん山への関心が高まってきました。と言っても「登山」ではありません。基本的に、俺は山登りがそれほど好きではありません。ただ、目的があって、山に登らざるをえないから登っているだけです。

ネパールでも、棚田が目的だったので、稲作の高度限界、ダンプス村あたりまでしか上りませんでした。チベット高原の5000メートルに近い山に登ったときも、メコン源流を探すためであって、登山がしたかったわけではありません。

俺にとっては、「山」は、むしろ下から見上げて満足するものです。これは山への信仰心のあり方と関係するのかもしれません。人によっては、もちろん頂上を征服することが山への信仰心なのかもしれないし。

山は狼の生息場所でもあったので、「山」と「狼」は、切っても切れない関係ですが、どうして日本に狼信仰が生まれたかを考えると、山への感謝=信仰抜きにしては成り立たないことをあらためて知ることになりました。

今までの俺の理解では、狼は、田畑を荒らす鹿や猪から守ってくれる益獣であることから、つまり「農耕の守り神」として狼信仰は始まったという説は、いろんな本に書いてあることだし、俺も、その説に従って、いろんなところに書いてきたのですが、そうすると、狼信仰は人々が定住して農作物を作るようになった後に始まったことになります。

秩父でお犬さま(御眷属様)信仰が始まったのは、享保5(1720)年、三峯神社に入山した大僧都「日光法印」が、境内に狼が満ちたことに神託を感じ、「御眷属拝借」と称して、山犬の神札の配布を始めたのが最初だと言われています。もちろん、このときはすでにそうだったのでしょう。

でも、狼信仰のルーツは、太古の昔にさかのぼるらしいのです。まだ日本列島に住む人たちが山で主に狩猟採取をしていた縄文時代、あるいは、もっと昔まで。

国や民族を越え、ある意味、人間の根源に迫った狼信仰のルーツを求めることは、意外にも、自分の内なる宇宙、深層心理につながるという予感がします。 

 

 

 

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2020/07/15

韓国ドラマ『愛の不時着』の第5話のエピソード

0294(中国雲南省・馬関)

 

 韓国ドラマ『愛の不時着』が話題ですが、妻に誘われて観始めたらけっこうおもしろい。今、12話くらいなので、もう少しで完結します。

パラグライダー中、竜巻のアクシデントによって北朝鮮に不時着した韓国の財閥令嬢ユン・セリが、北朝鮮の堅物の将校リ・ジョンヒョクと恋に落ちるという話なのですが、今日は、このドラマの第5話に出てくるエピソードについてです。

彼らふたりがピョンヤンに列車で行くことになって乗り込んだのですが、途中、停電で荒野の真ん中で止まってしまうんですね。そして韓国人のユン・セリは、長時間止まると知って、食べ物や飲み物を心配します。ところが、どこからともなく、大勢の村人たちが列車に向かって走ってくるのです。何事?

これを見た瞬間、俺は中国のバス旅で、崖崩れで立ち往生していた時を思い出し、彼らがどうして走ってくるのかを瞬時に理解しました。

つまり彼らは、周辺に住む村人で、彼らにとって、列車がそこで止まることは、一大商機なのです。食べ物や毛布や薪を売りに殺到したのです。中国でもこういう体験が俺にもあったからすぐ分かりました。

80年代のバス旅でよく起こったトラブルは、崖崩れで長時間止まってしまうということでした。とくに、雲南省、四川省では、ほとんどの道が山間部を走っているので、特に雨の多い雨季は、崖崩れの頻度が高くなります。そしてよく、崖下に転落した車を目撃しました。

短ければ1~2時間で通れるようになりますが、重機が遠いところからやってくるしかない、山奥で崖崩れがあると、半日、一日、バスはそこで止まったままになるのです。

そこで、乗客は、いつ開通するかわからないので、まず最初にすることは、村が近かったら、村の雑貨屋に走り、食べ物を確保するのです。俺なんか、事情がわからない人間は、だから、空っぽになった雑貨屋を目の当たりにして呆然と立ち尽くすことになります。

でも、ここが中国の辺境地帯の面白いところですが、もし、食べ物を確保しそこなっても、全然心配は無用なのだということがだんだんわかってきました。

とんでもない山奥で、人っ子ひとりいないと思われるような場所でも、必ずどこからか、物売りの村人が現れます。たいていは食べものです。天秤棒を担いでやってきて、ゆで卵だったり、ご飯と漬物だったりを売り歩きました。

四川省・昌都で、イ族の祭り「火把節(松明祭り)」を見た後、成都へ向かうバスに乗ったときのことです。その時もまだ雨季の真っ最中で、毎日雨が降り続き、一抹の不安を抱きながらのバス旅でしたが、案の定、途中の山の中でバスが止まってしまいました。前方に車がたくさん止まっていて、先に進めません。この先で崖崩れが起こったようでした。

さて、今回は何時間で脱出できるだろうと心配になりましたが、さっそく乗客たちはバスを降り、方々に走っていったので、俺も降りて売店を探しましたが、もうほとんどの売店は、イナゴの大群が去ったあとのように、すっかり食料品がなくなっていました。俺は何も買えずにバスに戻りました。

すると、ものの一時間で道は開通したのです。良かったぁと思いました。なんだ食料を買い占めした人間はバカをみたなと内心、彼らを軽蔑しました。

ところが、買い占めした乗客たちが、危機は去ったと思ったのか、食料品を他の乗客たちにあげ始めたのです。俺もお菓子を袋ごともらいました。そしてバスの中は、なんだか和気あいあいとした雰囲気になってきて、それからの道中、みんな仲間のようないい雰囲気で旅をすることができたのです。

崖崩れなど多かったですが、今から思えば、それこそ中国のバス旅の面白さでした。『愛の不時着』を観て、こんなバス旅も思い出し、すごく懐かしい思いにとらわれています。

 

 

 

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