カテゴリー「旅(外国)」の402件の記事

2019/12/10

【犬狼物語 其の四百八】 見つかった犬(狼)のミイラは「ドゴール(Dogor)」

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「「オオカミから犬への進化途中の種」かもしれないミイラが良好な状態で永久凍土から見つかる」というニュースがありました。

2018年夏、サハ共和国の首都ヤクーツクを流れるインディギルカ川近くの永久凍土層で、1万8000年前のイヌ科の動物のミイラが見つかったそうです。

まるで生きているような子犬のミイラ。(画像は検索すれば出てきます)

いや、まだ「犬」と断定されたわけではありません。もしかしたら「オオカミ」かもしれないし、「オオカミと犬の間」かもしれません。

研究者たちはこの赤ちゃんを「ドゴール(Dogor)」と名付けました。

「Dog or ・・・(犬、あるいは・・・)」という意味かなと思ったら、そいういう意味もかけているのかもしれませんが、「ドゴール(Dogor)」はヤクート語で友人を意味するそうです。

ところで、犬の祖先はオオカミであることは確実なようですが、2015年、イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。

「1万5000年以上前にユーラシア(Eurasia)大陸のハイイロオオカミから進化したイヌが、群れをなして放浪していた野生から、人間の主人の前でおすわりをする家畜へと歴史的飛躍を遂げた場所とそのプロセスをめぐっては、幾度となく議論が繰り返されてきた。」(イヌ家畜化、発祥の地は中央アジアか

これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は初めてらしい。

論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。

この研究でも、オオカミから犬への家畜化は、少なくともユーラシア大陸だし、今回のドゴールの発見もユーラシア大陸ということで、ユーラシア大陸は犬誕生の最有力候補地であるのは舞違いないようです。

DNA解析が進んで、これが犬のルーツに迫ることになったら面白いと思います。ただ、このドゴールは、融け出した永久凍土から見つかったそうで、温暖化が進んだから、というのが気になります。

近年は、永久凍土から多くの動物が発見されて、中には、マンモスもあり、象牙が取引できなくなったことから、マンモスの牙が高値で取引されていて、盗掘が横行しているらしい。

そういえば、前、ボルネオで野生の像が見つかったのは、ジャングルがなくなったから、というのがありました。

こういうのを「森の皮肉」と言っていました。

昔ジャングルだったところは、ラワン材を取るために森が伐採され、その後に植えられたのがアブラヤシだそうです。パーム油の輸出のためです。

それで何が「森の皮肉」かというと、ボルネオにゾウはいないと考えられていたのが、ジャングルが伐採されて少なくなったことが、ゾウの発見に繋がったというのです。

また、バオバブの木の独特の姿が分かるのは、周りの木を焼いた(切った)から、というのもありました。

今回の永久凍土からの発見もこれと似ているところがあります。温暖化が進んで貴重なミイラが見つかる、これも「森の皮肉」なのかもしれません。

 

 

 

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2019/12/09

雲南省麗江・納西族に伝わるトンパ文字、2020年の干支「子・鼠・ネズミ」

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中国雲南省麗江周辺に住むナシ族は千年あまり前、表意象形文字を作り出しました。この象形文字で、民間故事伝説、宗教経典などを著しました。とくに、この文字は、トンパ(東巴)教の経典を書写 するのに用いたところから「東巴文(トンパ文字)」と呼ばれます。ナシ語では「ソチォ・ルチォ」(樹の記録・石の記録)と呼び、千数百種類(1200~1300とも言われる)の文字があります。

トンパ(東巴)教は、ナシ族の原始宗教で、太陽、月、星、山、水、風、火などの自然物を崇拝し、万物に霊魂がやどると信じられていました。 唐の時代から、ナシ族とチベット高原の吐蕃とは頻繁に接触があり、トンパ教は、チベットのボン教の影響、および仏教、道教の影響も受けているといわれます。冠婚葬祭や、病気の時や、邪気払いの時は、トンパを呼んで儀式を行ってもらっていました。トンパは、宗教儀式を司る「智者」を意味します。しかしこの宗教も、1950年代からだんだん廃れていきました。

トンパ文字で著したトンパ経典は現在でも、中国内外に2万冊ほどが残っています。経典の内容は、宗教、民俗、歴史、文学、天文歴法、哲学など多岐にわたっています。古代ナシ族の「百科全書」と呼ばれるゆえんです。

しかし宗教儀式同様、今ではこのトンパ文字を読める人間もほとんどいなくなってしまい、トンパ文化研究所を中心に保存活動が行われているところです。

現在のナシ族はナシ語という言語を使っていますが、元、明朝以来、漢族との接触が進み、ほとんどのナシ族は漢語(北京語)を話すことができます。しかもトンパ文字は、昔からトンパだけが使っていた文字なので、 現在の一般的ナシ族にとって、生活とはまったく関係がない過去の遺物です。ナシ族がトンパ文字を使って手紙のやり取りをしたり、学校で教えられたりということもありませんでした。トンパ文字が「生きた象形文字」と紹介されることもありましたが、宗教儀式も廃れ、トンパもほとんどいなくなってしまった現在では、正しい表現とは言えないのではないかと、ずっと思っていました。

ところが、80年代後半から、トンパ文字だけが、宗教から切り離されて一人歩きを始め、現在では、麗江の街興しに一役買っています。そういう意味でなら「生きている象形文字」という表現も正しいのでしょう。街では、トンパ文字を判子に作ってくれるみやげ物屋があったり、ろうけつ染めのデザインに使われています。学校でも教えられているという話も聞いています。

麗江が世界遺産に登録されて一躍有名になり、トンパ文字が「おもしろい文字」として、日本人の一部にも知られているようです。トンパ文字は、デザイン、絵柄の面 白さでうけています。

この文字を日本に広めた人物のひとりである、アートディレクターの浅葉克己さんは、「デザインの原点のような素朴な美があり、アイコンが好きな若者にうけるのでしょう」と、以前、朝日新聞のインタビューで語っていました。

何百年か何千年かのち、雲南ナシ族のトンパ文字が日本に残っていた、などという話になったとしても不思議ではないのかもしれません。

 

 

 

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2019/12/06

「瀾滄江水源地区で13世紀の仏教壁画見つかる 中国・青海省」のニュース

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「瀾滄江水源地区で13世紀の仏教壁画見つかる 中国・青海省」のニュースがありました。 

https://www.afpbb.com/articles/-/3257590

壁画が見つかったということよりも、俺は「 瀾滄江水源地区」という文字に反応しました。瀾滄江(ランツァンジャン)とは、メコン上流、中国語の名前です。

 本当の源流域は、中国青海省(チベット)の玉樹の雑多にあります。

チベット人は「ザーチュ」「ザナチュ」と呼んでいます。

俺がメコン源流(瀾滄江水源)を探しに行ったのは、1992年と94年です。当時はまだ、メコンの源流がどこか、学術的(地理学的)にわかっていなかった時です。

長江や黄河の源流はすでに探されていたのに、メコンの源流は1990年代まで謎のままでした。どうしてかというと、長江や黄河は中国人(漢民族)にとっては重要な川でしたが、メコン(瀾滄江)は、チベット人のような他民族が住む辺境の地で、経済的、文化的に関心がなかったからです。しかも、チベット高原から雲南省を通り、ミャンマー、ラオス、タイの国境を流れ、カンボジア、ベトナムの南シナ海に流れるという国際河川にもかかわらず、政治的な国際環境で、メコンは統合の川としては見られずに、分断の川であり続けたからです。今では考えられません。

とにかく、俺は一人でメコンの源流を探しに行きました。まぁ、一人と言っても、当時もこのあたりを旅するには、中国旅行社を通していく必要があり、車とガイドを雇ってですが。

そしたら、同じことを考える人たちはいるもので、ちょうど源流から雑多の街まで戻ったとき、日中合同調査隊が、これから探検するのだと言って滞在していました。

でも、この規模の違いに驚きました。彼らは20人くらいはいたでしょうか。いろんな機材も持って、ちゃんとした学術調査隊です。一方の俺は、チベット人の案内人に引かれた馬に乗って、カメラ2台だけの、ほとんど気軽なバックパッカーでした。食料もテントもありません。現地のチベット人のバー(天幕住居・テント)に泊めてもらい、いっしょの食事をとりながらでした。掲載の写真の、バーやチベット人たちは、現地で泊めてもらった時のものです。

だからなのか、俺は彼らには良く思われなかったようです。なにしろ、「世界で初めての調査隊」の前にバックパッカーが来ていたんだから。

その後彼らが帰国した後、ある週刊誌に「私たちが来る前に来ていた日本人(俺のこと)が現地の物価を押し上げた」と批判というか、嫌みを書かれたのですが、でも考えてもみてください。総勢20人の調査隊と、俺とガイド2人のどちらが影響力があるのか。

別に、源流の発見者を名乗るわけでもなく、というか、そもそもGPSなどもないし、学術的な目的ではなくて、あくまでも俺は文化的な源流(現地の人間が、ここが源流だと信じている泉)を探したに過ぎないし、彼らのその後の発表がどんなものだったかにも関心はありませんでした。ただ、ほぼ同時に入ったフランス隊とどっちが先に源流を見つけたかの論争があった、みたいなニュースは聞いたような気がします。

そんなことよりも、メコンの源流探しの旅は面白かったですね。自分も遊牧民になったような気分でした。

その後、妻とヴィーノといっしょに日本一周の車旅をすることになるわけですが、この旅が影響したのは間違いありません。遊牧民の真似事に過ぎませんが。

 

 

 

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2019/12/03

令和2年(2020年)の干支「子・ネズミ」のトンパ文字

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令和2年(2020年)の干支「子・ネズミ」のトンパ文字です。

最近、みんな年賀状を出さなくなっているので、このデザインも必要なくなっているのかもしれませんが、毎年恒例にしてきたので、来年分も続けます。年末にかけて、2~3のデザインを考えてみます。

トンパ文字(東巴文)は中国雲南省北西部、麗江を中心に住むナシ(納西)族に伝わる象形文字です。

文字は、納西象形文字譜(雲南人民出版社 1981年)を参考にしました。

 

 

 

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2019/08/25

イラン映画『彼女が消えた浜辺』

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イラン映画というと、今まで『運動靴と赤い金魚』(1997年)、『マリアの息子』(1999年)、『ボーダレス ぼくの船の国境線』(2014年)など、子どもが主人公の映画を多く観てきました。

政治的メッセージが難しいイラン映画では、そうならざるを得ないところもあり、子供が主人公の映画が多い、ということがあったようです。

でも、今回観た 『彼女が消えた浜辺』(2009年)は大人たちが主人公のサスペンス映画です。2009年、ベルリン国際映画祭で監督賞に輝きました。心理サスペンスがすばらしい。

「週末旅行を楽しもうと、テヘランからカスピ海沿岸の避暑地にやってきた男女のグループ。そのひとりであるエリという若い女性が浜辺から幻のように姿を消したのは、ヴァカンスの2日目のことだった。海で溺れたのか、何らかの事件に巻き込まれたのか、それとも、別れも告げずにテヘランに帰ってしまったのか・・・パニックの中で様々な可能性を論じながら彼らはある事実に気付かされる。新たな友人として受け入れたはずの彼女について、エリという愛称以外、その正式な名前でさえ、何一つ知らなかったということに・・・3日目、エリの秘密を握るある人物の登場でドラマは大きく動き出す。エリとはいったい、誰だったのか?」
(amazonの『彼女が消えた浜辺』DVDページより)

大人たちがお互い疑心暗鬼になり、右往左往しますが、その一番の原因が、男女関係にあったわけですが、さすがにここは男女関係に厳しいイランだなぁ思わすところです。それ以外は、別に「イラン」とか「イスラム」とかの色眼鏡をかけて観なくても、普通に楽しめる映画になっています。

大仕掛けではなくとも(たぶん、低予算)、じゅうぶん、いい映画が作れるということが評価されての「監督賞」受賞でもあったのでしょう。

ところで、映画の舞台になっているカスピ海沿岸は、映画の画面からも知れるように、「イラン」に対する日本人一般のイメージ、「砂漠」「乾燥地帯」とはちょっと違う風土です。曇り空が広がっています。

言ってみれば、アルボルズ山脈を越えた塩湖のカスピ海沿いの土地は、日本海側の新潟県みたいなところです。冬には雪も降り、夏は高温多湿で、大稲作地帯です。山間部には美しい棚田もあります。

そしてカスピ海沿いにはリゾート地も点在しています。「ラムサール条約」のラムサールは、ここイランのカスピ海沿いの街です。。

 

 

 

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2019/07/21

福井昭夫絵画展

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東京都自由ヶ丘・Cafe Gallery るなんで「 福井昭夫絵画展」が開催されています。


3Fギャラリーと2Fミニギャラリーに20数点の作品が展示されています。今回のテーマは、東欧の風景と花。


ドゥブロヴニフ(クロアチア)などの東欧の落ち着いた街並みの絵を見ていると心が落ち着きます。


 福井昭夫のHPにも情報が掲載されています。


http://www.hidekiyo.sakura.ne.jp/akio/event/new/index.html


 


 


 


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2019/06/27

マレーシア・ペナンの旅(09) ペナンの料理

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マレーシア・ペナンの旅の最後は、やっぱり食べ物で締めくくりたいと思います。いつもなら(撮影目的なら)、「コメ食品」「コメ料理」にこだわるのですが、今回は食事もノープランでした。

いろんな料理を食べるのが楽しみのひとつでした。いや、大部分だったかもしれません。

とくに、懐かしさを感じる食事としては、中国系の飲茶、インド系・マレー系のカレー。このふたつは、「旅」を実感させてくれるものです。

ネットで探した飲茶で評判の店「大東酒楼」に行って、プアル茶を飲みながら、中華街のまわりの雑踏やお客さんの様子を眺めているのは心地よいものでした。今回、飲茶には3回行きました。 

店は「入口」というのはありません。角の建物の1階にあって、オープンスペースです。どこからでも入れます。

席に着くと、お茶の種類を聞かれます。お茶を注文してから、おばちゃんが押してくるワゴンに山盛りに載せられた点心から、これとこれもと注文します。ワゴンから選ぶというのがいいですね。お茶は、セルフでお湯を注ぎ足して何杯でも飲めます。

 普通の点心は一皿3~5リンギットなので、4、5皿取って、プアル茶を頼むと、25リンギット(約650円)くらいです。

 残念ながら、こういう店は日本にはありません。西川口あたりにはあるかもしれませんが、俺はまだ知りません。

またペナンでは屋台が充実しています。フードコートのような場所もたくさんあります。ガーニーの屋台村や、レッドガーデンの屋台はよかったです。とくにレッドガーデンは、観光客も多いので、世界各国の料理が楽しめます。日本料理もあります。さすがに、わざわざペナンに来て日本料理を食べる気にはなりませんでしたが。 

 あとはカレーですね。「朝カレー」もあります。それとチャイ(ミルクティー)がおいしい。

 

 

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2019/06/26

マレーシア・ペナンの旅(08) 神さま、仏さまの祀り方(その二)

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ペナン島の続きです。神さま・仏さまの祀り方、その二。

中国(華僑)系の仏教、道教、アニミズム的な祀り方は、一昨日紹介しましたが、今日は、イスラム教モスク、キリスト教会、チベット仏教寺院、ヒンズー教寺院、それと街角で見かけたお堂や祠です。

最後のカーリーKaliを祀ったヒンズー教のお堂だけは、ジョージタウンではなく、対岸のバタワースです。 

今回は、ほとんどノープランの旅行でした。だから別にテーマがあって写真を撮ったわけではありません。でも、街を歩いていたら、やたらこういった寺院や祠やお堂が目に付いて、しかもそれがバリエーション豊富で、意味はわからないのですが、面白いなぁと思い始めたのでした。 

帰国してあらためてペナンの魅力を考えると、個人的には、こんなふうにいろんな宗教・民族・文化が、混在しているところ、ということになるでしょうね。街が「生きている」感じがします。そこに身を置くことで、俺自身もわくわくし、心が活性化します。ただし、ワンダーラストの病気は、さらに進むという結果になりました。

 

 

 

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2019/06/24

マレーシア・ペナンの旅(07) 神さま、仏さまの祀り方(その一)

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ペナンを歩いていると、大きな寺院はもちろん、路地裏の祠やお堂にたくさん出会います。食堂や商店内にも神棚があります。ペナンの神さま、仏さまの祀り方も様々な形があって面白い。

最後の2点だけは、ジョージタウンの対岸バタワースで撮影したものです。

どういったものか、調べてないので、ほとんど意味がわかりませんが。

 これで半分。中国(華僑)系でまとめてみました。

 

 

 

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2019/06/23

マレーシア・ペナンの旅(06)ペナンの獅子像(狛犬)

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ペナンには、中国系の寺院も多く、1対の獅子像(石獅子)が守護しています。

狛犬ネットの「狛犬分類研究」によると、日本の狛犬は中国の獅子像がルーツだそうです。

 「長江を境にして、主に北側で見られる北獅、南側で見られる南獅に大別されますが、この北獅・南獅という分類は、中国の獅子舞でも使われています.。北獅はいかめしく、やや頭でっかち。南獅は装飾性に富んでいるのが特徴です」

中国の獅子像は左右がほぼ同じで、日本のように「あ・うん」になっていません。そう言われて見れば、そうですね。どっちも同じ姿です。

日本では、平安時代になって、左右異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになりました。シンメトリーを嫌う日本の美意識から、という説もあります。獅子・狛犬という組み合わせは日本で生まれたものだそうです。その後、姿は左右とも獅子のようになり、名前は狛犬というのが定着して、今日に至っているそうです。

そんな中国人からは、狼像(お犬さま像)はどう見えるんでしょうか? あまりにも「獅子」からは程遠い「素朴で弱弱しい像」と映ってしまうんでしょうか?  とくに、飛騨高山や奥多摩山中の神社の、素朴で可愛らしい「はじめ狛犬」のような像は。そのうち、聞いてみたいと思います。

でも、一番強い動物が守護するという発想ならば、そもそも虎も獅子も象もいなかった日本で、狼が守護像になったのは、別に不自然ではなく、むしろ具体的で、現実味を覚えたのかもしれません。

 

 

 

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