カテゴリー「旅(外国)」の367件の記事

2017/07/16

仁科邦男著 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』を読んで

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仁科邦男氏の本には、お世話になっています。

『全国の犬像をめぐる』でも、お伊勢参りや金毘羅大権現へお参りした代参犬「おかげ犬」や「こんぴら狗」の章では、『犬の伊勢参り』、『犬たちの明治維新 ポチの誕生』が大変参考になりました。

そして今回読んだのは 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」という言い回しが気になって著者は長年調べてきたそうです。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」とは、「伊勢屋」という屋号の店や「稲荷神社」など、江戸に多いものを並べたもので、実際、江戸後期は犬だらけで、犬のウンチも多かったようです。

意外なものが最後に来ていることと、伊勢屋の「い」、稲荷の「い」、そして犬の「い」と、韻を踏んだところが面白い。多少の皮肉やからかいの気持ちも入っているようです。

だからこれは江戸の人間が当時言っていたことではなくて、明治になってから、江戸を懐古して言われ始めたようです。

犬のウンチを踏んで最悪な気持ちになるというのは、俺も実体験があるのでよくわかります。

今はどうなのか分かりませんが、30年前、フランス・パリで、日本レストランのギャルソンとして3か月間ほどアルバイトをしていた時は、よく踏んじゃっていました。踏むだけならいいのですが(それだけでも大変ですが)、それが滑るのです。滑って転んだりしたら最悪です。

パリは犬のウンチが多い街だとわかってきましたが、初め、信じられませんでした。まさか、この華の都、おしゃれな街パリが、犬のウンチだらけだったとは。ガイドブックにも書いてなかったし、兼高かおるさんもそんなこと言っていませんでした。

最先端ファッションに身を包んだ女性が、シャンゼリゼ通りで立ち止まって、ハイヒールの裏側に着いた犬のウンチを木の枝で取っているところを目撃し、俺は、見てはいけないものを見た気がしてショックを受けたのでした。

高学歴で優秀で弱い人の味方を標榜していた自民党の豊田真由子衆院議員が、裏では「ハゲ~ッ!」「違うだろ!」「このボケ~ッ!」などと、秘書たちに罵声を浴びせていたことが話題になっていますが、パリの犬のウンチは、それに劣らずですね。

江戸では犬は地域犬として、自由に走り回っていたし、その犬のウンチは、人糞や馬糞と違って肥料にもならず、放置されていたようです。乾燥して風で飛ばされ、雨で流されて、自然になくなっていたので、あえてウンチを取る人もいなかったのでしょう。

ところで、この本の中に、もう一つ、面白いなぁと思ったところがあります。それは「お魚くわえたどら猫、追いかけて~」という歌がありますが、江戸で魚をくわえて逃げるのは犬だったようで…。

「神奈川横浜新開港図」という絵には、魚をくわえた犬が天秤棒を持った魚屋から追われているシーンがあります。これって、今なら犬じゃなくて、猫だよなぁ。

江戸の人たちは、犬の好物が魚だと思っていたらしいのです。実際、犬は、魚の頭などの残飯を食べていたということもあります。タンパク質といえば、当時はほとんど魚だったでしょうし。

綱吉時代、中野に犬屋敷「お囲い」が作られましたが、収容された犬には、白米と生魚までふるまわれていたといいます。贅沢料理と運動不足で、死んでしまう犬がたくさんいたそうです。贅沢が幸せかどうかわからない、という話にもなっています。
 
 
 
 
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2017/06/28

パスポートの要らない外国旅行 「西川口の巻 3」 タイ屋台料理のカウケン

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パスポートの要らない外国旅行「西川口の巻 3」は、タイ屋台料理の「カウケン 」。

ここは義理の妹夫婦行きつけの店で、以前から俺も知っていた店ですが、今回はようやく「カウケン」に入りました。

「屋台料理」でもあるので、せっかくなので店の前のテーブルで。

いろいろとタイ料理は食べてきましたが、やはり、ここのは日本人にこびていない、タイ人のための味付けで、好きな人は好きな店だろうなと思います。とくに妹夫婦のようなタイにはまっている人たちには。そして俺たち夫婦も。

だから、洗練された口当たりの良さというものよりも、じゃっかん味に雑味を覚えます。でも、そこに言いようのないタイの風土を感じさせます。この雑味があるからこそ好きになるのかもしれません。

例えが適当かどうかわかりませんが、音のハイパーソニック効果みたいなものでしょう。CDには人間の耳には聴こえない(聴こえづらい)超高周波数の音が抜け落ちていますが、実際の生演奏では、そういう超高周波も多く含まれています。でも、その超高周波が心と体に良い作用をもたらすという効果です。

だから洗練された日本風タイ料理というのは、この超高周波を除いて「きれいな音」にしたCDみたいなもので、そういう「きれいな味」を求めてやってきた人には「カウケン」の味がどう感じるのか、ちょっとわかりません。実際、「口コミ」には、この点に不満だったらしい客のコメントもあります。

とにかく、タイや東南アジアが好きな人なら、絶対満足する、お勧めの店です。

最初は「ネーム」の和え物と生ビールで乾杯。「ネーム」は、タイに行ったら必ず食べる酸っぱい味の豚肉を発酵させたハムで、これがビールによく合うのです。

鶏肉の「ラープ」といっしょに食べるもち米のおこわ「カオニャオ」も懐かしかったし、最後の「プーパッポムカリー」は、殻つきの渡り蟹がたっぷり入ったタイ風のカレーです。これもうまかった。
 
 
 
 
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2017/05/24

中国で日本人が多数拘束されているというニュース

170824(雲南省西部 リス族)


中国で拘束されている日本人のニュースです。

俺も軟禁されたことがあるので、他人事ではありません。怖さがジワーッと蘇ります。

天安門事件の翌年1990年、雲南省でのことでした。今とは事情が違っているでしょうが(インターネット、コンピュータも導入されている)、ただ、同じ部分もあるのではないかと想像します。

中国では、「身分外活動」でも捕まってしまいます。たとえば、観光ビザで入った観光客が、市場で物の値段を聞いたりしたとき、「取材活動」とみなされるようなときです。観光ビザで入って取材や仕事をしてはいけないのは日本も同じことなので、この点では、中国独特とはいえないかもしれません。

何が中国独特なのかというと、問題は、その「取材活動」の範囲があいまいなことです。あいまいで、堺がないから、逆に誰でも拘束されてしまうという恐ろしさがあります。要するに、捕まえようと思ったら、どんな理由でもできてしまうということなのです。

しかも最近は反スパイ法もできて、密告制度もあるということなので、じゅうぶん注意しないとだめでしょう。反スパイ法の中には、「その他のスパイ活動」という項目があります。つまり「何でも」ということなのです。

軍事施設などを撮影するのは論外ですが、独龍江に行ったとき、ガイドを付けていたのですが、貧しい村や村人の写真は問題なかったのに、地層などが含まれる風景はダメだと、注意されたことがありました。

自分では単なる独龍江の風景写真のつもりで向けたカメラを制止されたのは、河岸に地層が見えていたからでした。あと特別な植物もダメだったように記憶しています。

そういう体験から想像すると、今回拘束されている日本人の中で、温泉探査に関わる仕事をしていた日本人がいるので、そこはかなり神経質になる部分かなと思います。これをスパイ活動とみなされると危ない。拘束された日本人は、どんなビザで中国へ行っていたのでしょうか。

そして俺が軟禁されたのは、こんな状況でした。

たしかにミャンマーの国境にも近かったので、祭りの写真を撮りに行ったことがスパイ活動ではないかと疑われたようでした。パスポートを取り上げられて、2日間、公安局の隣の旅社に軟禁されました。

実は、神経質になっていたのは、前年の天安門事件に関係した学生が雲南からミャンマーに逃げるルートでもあったらしいのです。

だから俺の日記を見て、あるページに「学生」とあり、どこか別なページに「民主化」という漢字を見つけて、公安はむりやり2単語をくっつけて「お前は、民主化の学生と関係しているんだろう?」というのです。

取り調べでは、「正直に言わないと、日本に帰れないぞ」と脅されたことが、一番の恐怖でした。あとで冷静に考えれば、そんなことはないと分かるのですが、取調では厳しい公安Aと、優しい公安Bが、交互に質問してくるのです。厳しい方のAが席を外した時、すかさずBが優しく自白を強要するのです。

まるで刑事ドラマと同じだなと思いましたが、優しいBから、「あの人(A)だって、悪い人じゃない。正直に言えばすぐ日本に帰れるんだから」と言われると、思わず、「関係ある」と認めてしまいそうにもなりました。

よく日本でも自白して冤罪を生むことがありますが、よくわかります。情報を遮断され、厳しいAから「帰れなくなるぞ」と脅され、優しいBに「早く帰りたいでしょう?」と(偽りであっても)同情される、これが永遠に続くのではないか、本当に帰れなくなるのではないか、と思い込むようになっていくのです。そして、ついBの優しさにホロッとしてしまう。これは心理学的にも、今なら俺も理解できます。

助かりそうだと思ったのは、こんなことを言われたからでした。

「お前の日記を読めるコンピュータが中国にはあるんだ。嘘をついてもわかるんだ」と脅された時、「あぁこれははったりだな」と確信しました。汚く崩した俺の日記の文字を読めるコンピュータなんて、どこににもないからです。たぶん、いまだにないでしょう。

公安は攻める部分がなくなってきたので(学生と関係あるという証拠が出てこないので)、こんな苦し紛れのことを言い始めたんだろうと、俺は内心、安心したのでした。

実際、スパイ容疑は晴れたのか、3日目には開放されました。ただ中国を出国するようにビザの期間を短縮されました。雲南の奥地だったので2週間の猶予期間をくれたのは、当時の中国だからでしょう。今なら、2日で出国できます。

こんなふうに、「スパイ活動」かどうかは、現地の公安の判断次第ということなのです。どんなことでも「スパイ活動」にされてしまうという怖さが中国にはあります。

観光客だからと言って安心できません。とくに「観光ビザ」だけの場合は。「スパイ活動」ではなくても「身分外活動」で捕まる可能性もあるからです。
 
 
 
 
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2017/05/06

『メコンを流れる』、ゼロメガで電子書籍化

170506(青海省玉樹藏族自治州雑多県莫雲郷 メコン河源流域で暮らすチベット人家族)


『メコンを流れる』が電子書籍化されることになり、あらためて校正しながら読み直しました。

NTT出版から単行本として出たのは1996年です。もう21年も前です。

メコン河をテーマにし始めたころは、東西冷戦が終わった直後で、そのために、ベトナム、ラオスなどにも外国人が旅行で入れるようになってきたころでした。

ただ、まだ自由に旅行することはできなくて、ガイドといっしょに周った思い出があります。その後、あれよあれよという間に経済発展と自由旅行が同時進行し、風景と人々の様子が一変しました。

その激動の時代を、メコン河の源流から河口まで旅した旅行記です。同時に出版したのは写真集『メコン河 アジアの流れを行く』でした。

メコン河の源流に行ったのは、アメリカのナショナルジオグラフィックの記者・カメラマンの次でした(日本人としては初めてだったかもしれません)。現地に行ったら「だれもメコンの源流を探したことがない」ということを初めて知ったのです。1992年の夏でした。

黄河や長江(揚子江)の源流は調べられていたのに、1990年代半ばまで、メコン河の源流は調べられていませんでした。もちろん現地チベット人は源流で暮らしていましたが、彼らは現地で「ザナチュ」と呼ばれている川が、大河メコンだと、それほど意識していたとも思えません。

どうして1990年代まで調べられていなかったかというと、中国人(漢族)にも、メコンは少数民族が住む地域を流れる秘境で、経済的、文化的価値はほとんどなかったのでしょう。

今では、東南アジアに向けての、交通路と捉えられて価値が出てきましたが、昔は違いました。だから中国人も、メコン河の源流がどこかなんて興味を持たなかったようです。(植民地時代、フランス軍が下流から雲南を目指して遡りましたが、チベット高原までは行っていません)

1992年(あるいは1994年。2回行っているので、どちらだったか)の夏、源流域から戻ったザードゥ(雑多)の町では、これから源流を科学調査するという日中合同隊と出会いましたが、俺の存在ははあまり良く思われていなかったようで、後日、彼らが書いた週刊誌の記事には、「我々の先に来ていた日本人(俺のこと)が現地の物価(たぶんウマやヤクのレンタル料)を値上がりさせた」といった内容の、批判めいた文章を書かれました。

でも、俺はひとりで来ていたのに、彼らは大所帯なんです。彼らのグループが、地元に与えている影響は、俺と比べて歴然の差でしょう。「探検隊」というのは、なんて大げさなんだと思ったものです。それに引き換え俺はなんて身軽なんだと。

たぶん、俺がいたことで、彼らが「一番乗りした日本人」ということを公言できなくなったことに対しての、恨み節だったのではないかなと、悔しいので、そう思うことにしました。

別に、彼らが「一番乗りした日本人」を自称しても、俺は文句は言いません。

そんなことを思い出しながら読みました。



メコンを流れる(上)

 
 
 
 
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2017/03/15

マレビト来たる

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先日、19歳になるドイツ人の女の子と会いました。

彼女は俺の知人の娘さんです。たまたま1か月間、日本に仕事の出張で来ていて、お母さんから娘と会えますか?と連絡があったのですが、ん~、でも彼女とはまったく関係がないし、しかも19歳だし…と、ちょっと渋ってしまいました。

彼女のお母さん自体、36年前に1度会ったきりの人で、当時はまだ14歳でしたが去年、俺のポストカードを見つけた彼女の娘さんが、ネットで俺を検索して探し出したのでした。

その話は、去年「36年前、スイスで出会ったドイツ人家族」に書いています。

そういう事情があって、娘さんとは何の接点もなく、どんな人なのかという情報もなく、会うのが正直億劫でした。

そしたら妻が「あなたも外国でさんざん人の世話になってきたんだから…」と言われて、それもそうだなと思いなおしました。結局妻といっしょに会うことにしたのです。俺ひとりでは、ちょっと荷が重いかなと思ったので。

会ってみたら、まじめな性格で、芸術家タイプでした。だんだん人となりがわかってくると、話もできるようになっていきました。19歳と言っても、政治の話もできるし、大人だなぁと感じました。懐石料理をごちそうしましたが、気に入ってくれたかどうか。

「外人なら秋葉原が好きだろう」というので、夕方、秋葉原のメイドカフェなんかも連れて行ったのですが、ここは、あまり興味を示されず…(女の子だしねぇ)。しかも、場末風メイドカフェの「天空の城」の、ありえへん設定に無理やり付き合わされて、正直、俺自身疲労困憊しました。

彼女は、日本でアートの勉強をしたがっているので、そのうち日本に住むかもしれません。

そうか、彼女は「マレビト」なんだなぁと思いました。

外部からの来訪者(異人・マレビト)に寝床や食事を提供して歓待する風習は、日本だけではなくて世界各地でみられるものです。その根底には、マレビト(稀人・客人)信仰があるとも言われます。

奈良時代の『風土記』にも、突然やってきた見知らぬ客を親切にもてなした者が幸運に恵まれ、逆に冷たくあしらった者が不幸になるという話が載っています。

マレビトは、時には旅人、時には鬼、時には乞食、時には芸能者などの姿をしたカミでもあります。

その信仰には、外部の人間との交流は、とくに昔の山間部の孤立した集団には、物理的、精神的なメリットもあったろうし、もっと深く、集団内の人間と結婚することで、優生学的なメリットもあったのでしょう。

ただ、マレビトは、異界から来た異質な人間なので、最初は警戒されます。たとえば、俺は昔北タイのカレン族から、病気を持ち込むのではないかとか、カレン族の文化を踏みにじるのではないか、とかいう理由で、村では外国人を警戒するんだという話を聞いたことがあります。

そのリスクも当然ありますが、それ以上に、トータルすると、やっぱりメリットが大きいから、こういう信仰が生きているんでしょう。なにしろ人には好奇心というものがあります。

「怖いもの見たさ」という言葉に集約されますが、異質なものに対する警戒心はあっても、それ以上に知りたいのです。そしてその好奇心が人間を作ってきたと言ってもいいのかもしれないのです。

チンパンジーは賢いですが、あまり他の個体に興味はないそうです。他人のことを気にしたり、世話したり、教えたりするのは、霊長類の中では、人間が一番。

その事実と「マレビト信仰」は重なっているように思えます。
 
 
 
 
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2017/03/08

『ライスロード Vol.1 世界の棚田米を食べてみたい』 Kindle版

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何でも棚田に見えてしまう「棚田病」に取りつかれた青柳が、世界中で棚田を探し、棚田米を食べてきた記録、旅行記。

https://www.amazon.co.jp/dp/B06XG9X7X7

フォーマット: Kindle版
ファイルサイズ: 1190 KB
販売: Amazon Services International, Inc.
言語: 日本語
ASIN: B06XG9X7X7


中国雲南省のハニ族村で、偶然目にした雄大な棚田に感動し、それ以来、「棚田がある」と聞けばどこへでも出かけて行きました。

その中でも、今回(Vol.1)は、中国雲南省・フィリピン・イラン・マダガスカル・インドネシアなど、アジアとアフリカの棚田、棚田米、コメ食品を探し求めたときの旅行記です。
 
 
 
 
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2016/08/27

「ミャンマー地震 バガンの仏教遺跡にも大きな被害」のニュース

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8月24日、アマトリーチェなど、イタリア中部での地震被害がニュースになっていますが、ミャンマーでも地震がありました。

NHK NEWS WEB ミャンマー地震 バガンの仏教遺跡にも大きな被害

地震の震源地はパガンから30kmしか離れていなかったようで、パガンのパゴダ(仏塔)もいくつか被害が出ているようです。

ところで、バガンは世界三大仏教遺跡といわれています。他は、インドネシアのボロブドゥールと、カンボジアのアンコールワットですが、ふたつとも世界遺産に登録されています。

でも、意外なことにこのパガン遺跡だけは未登録です。どうしてなんでしょうか? それで調べてみました。

アセナビ「世界遺産に登録されない…世界三大仏教遺跡ミャンマーのバガンの悲劇」を見ると、

パガンがなぜ世界遺産に登録されないかの理由がわかります。

仏像の周りには、本来あるはずのない電飾が輝いているなど、原型を無視した修復の問題があるという理由がひとつ。たしかに俺も電飾は見たような気がします。

バガン地区内にゴルフコースを造った、高さが61メートルほどもある展望台を建てたなど、景色を壊してしまうようなことをしてしまったというのが二つ目の理由。

ただ、世界遺産に登録されないことが必ずしも「悪」ではないというところに俺も共感できます。

「世界遺産に登録されるということは、国際的に権威のある機関から価値が認定されることを意味し、多くの観光客が訪れる契機となることが多くあります。しかし、この認定は必ずしも現地の人に大きな価値のあるものではないのかもしれません。保護のために、建物内で線香を焚くことが禁止されるなど、いままでのように自由に参拝ができなくなることもあるのです。ミャンマー人からしたら、近代的なものを使って修復したとしても、「バガン」という遺跡自体は変わりないと思っているかもしれませんね。」

その通りだと思います。「遺跡」と呼んでいる時点でパガンを世界史の教科書にでも載せているような違和感はあります。パガンは地元ミャンマー人にしたら、過去の遺物という固定されたものではなく、実際日々の祈りの場所であり、刻々と変化する生きた文化施設であるとも考えられるわけです。

「オリジナル」とは何なのか、ということも考えてしまいますね。

世界遺産にならない方がいいかもしれません。個人的には、あんなにいいところが人が押し寄せる観光地になってしまうのもどうかと思いますし。
 
 
 
 
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2016/05/02

パスポートの要らない外国旅行 (西川口の巻 2)

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義理の妹夫婦が西川口に住んでいて、かなりディープな中国料理店に連れて行ってもらった話は、以前こちらに書きましたが、今回は、あれ以上のすごい店がありました。

客のほとんどは外国(中国)人です。日本語メニューもありますが、ほとんど中国語が主で、店員さんも日本語が流暢ではありません。

まるでパスポートの要らない中国旅行をしているようで、久しぶりで俺も中国語をしゃべることができて、テンションが上がりっぱなしでした。

店の名前は「小城」です。西川口駅の北側の古いビルの1階にあります。

基本、中国東北地方の料理ですが、なんといってもお勧めは、「カオヤンロウ(烤羊肉)」です。羊の焼肉ですが、「ジンギスカン」などと呼ぶ甘っちょろい日本料理とは違って、まさに、「肉を食らう」という表現がふさわしい野性味あふれる焼肉です。

前足、後足など、部位によって値段が違います。

●烤羊腿(前腿): 前足 3800円
●烤羊腿(後腿): 後足 4800円
●烤羊排: スペアリブ 3800円

俺たちは「カオヤンパイ(烤羊排 スペアリブ)」を注文しました。肉は切ってもらいました。(「切らないで」と注文すれば丸焼きでも提供可だそうです)

それで出てきたのが写真(↑)の大皿です。この盛り方も中国的で圧倒されました。5人で食べてもお腹いっぱいなるくらいの量がありました。

この肉と骨の塊を炭火で焼いて、トウガラシ、クミン、炒り塩?(何かよくわからない)の3種を混ぜたものを付けて食べるわけですが、この食べ方の豪快さと相まって、大陸風の匂いと味が口の中から脳天に突き抜けてゆきます。

日本人客が来た時のためでしょうか、「ジンギスカンのたれ」も用意してあります。市販のボトルをテーブルに置いてくれましたが俺は使わず、とくにクミンを付けて食べるのは相性抜群だし、現地ふうでもあるし、一番おいしく感じました。

他に、サラダや、ピータンや、羊肉炒めなど頼みましたが、どれも美味しく、しかも値段も安めなので、大満足です。ビールもおいしく飲みながら外国旅行の話で盛り上がるのは最高です。

最後に店員さんに「この羊肉はどこの? 中国産?」と聞いたら、

「シンシラン」

との答え。予想を外されて、少しショックが。いやいいんです。考えてみれば当然のことです。中国産の羊肉が簡単に手に入るとも思わないので許します。「シンシラン」とは「新西兰(ニュージーランド)」のことです。

ビル奥のトイレや廊下もインパクトありました。はっきり言って、あそこは日本じゃないです。

体中から羊の匂いが出ているのを自分たちでも感じながら駅の方に歩き、妹夫婦のマンションに戻りました。

新大久保も好きな街ですが、日本人客が多くなると、どうしても「日本化」が進み、本来持っている癖や粗っぽさや野性味が失われていくのはちょっと不満だったのですが、西川口は、まだ何があるかわからない面白さがあります。
 
 
 
 
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2016/04/17

「NHK-BS [体感!グレートネイチャー] アラビア 神秘なる黄金の大地 オマーン」は、4月25日(月)19:00~20:30

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海工房の門田修さんが制作統括した「【体感!グレートネイチャー】 アラビア 神秘なる黄金の大地 オマーン」が放映されます。

日時は4月25日(月) NHK-BSで19:00~20:30です。

門田さんと会うのは久しぶりです。それと去年「感動地球スペシャル・中川翔子のボルネオ」でしょこたんを案内した動物生態学者の安間繁樹さんや、昔週刊誌・グラフ雑誌などでお世話になったデザイナーとか、数人集まって、門田さんから番組の制作秘話などを聞くことができました。

オマーンという国は、砂漠やイスラム教徒や石油くらいしかイメージがありませんでした。まったく縁がなかった国のひとつです。

ただ考えてみれば、オマーン湾をはさんで、対岸はイラン南部なので、イランとは隣国と言ってもよかったのですが。なにしろ棚田がなさそうな国は、はなから眼中にないという俺の偏った嗜好も関係しています。

オマーンはアラビア半島の南東部に位置します。北部は険しいハジャル山地が連なっています。『アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)』のシンドバッドはソハール港から出港したとされています。

オマーンは最近、観光地でもあるらしい。しかもエコツアーも盛んだというのが意外です。ネットで調べたら日本からもツアーが出ていて、13万円代からあるんですね。知りませんでした。

門田さんに治安のことを聞いたら、隣がアルカイダなど最悪の治安と最貧国のイエメンであるにも関わらず、オマーンは裕福で、治安はいいとのことです。で、なければツアーも出ないんでしょうが。

アラビア半島は、昔から海になったり陸になったりを繰り返してきたらしいですね。だから地質学的にはおもしろいところで、「地質学のメッカ」とでも言えそうなところです。番組ではそのあたりを詳しく解説しているようです。もちろんアラビアの砂漠の風景も、中東のフィヨルドと呼ばれる絶景も出てくるようです。

門田さんの話がひと段落ついて、俺も少しだけ世界の棚田(とくにイランやマダガスカル)の映像を披露する時間がありました。みなさんからは「棚田の定義」について突っ込まれたりしながら、楽しく興味を持ってもらったのはありがたかったです。

門田さんには「そのうち世界の棚田の番組も作ってください」と、少し営業活動もしておきました。
 
 
 
 
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2016/04/12

映画 『ダイダロス 希望の大地』を観て

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映画 『ダイダロス 希望の大地』 を観ました。2012年公開のカザフスタン映画、2時間18分の大作です。カザフスタン映画というのは珍しいかなと思います。

ロシアからの独立20周年記念作品として国家史上最高額の8億円を投じ、国の威信をかけて製作された、迫力の歴史スペクタクル作品です。2012年度アカデミー賞・外国語映画賞エントリー作品になりました。

だいたいのストーリーはこんな感じです。

18世紀のカザフスタンが舞台です。モンゴル族(「ジュンガル」と呼んでいました)が押し寄せてきて、家族を殺されてしまいます。いったん山奥で暮らしますが、民族の誇りと愛する人を守るため、カザフ族の青年サルタイは同じ10代の勇士たちと報復を誓い、敵陣へと乗り込んでいく、というものです。それは何十年に渡るモンゴル族の迫害から祖国を開放する歴史に残る闘いになりました。

物語としてはそれほど複雑ではないのですが、圧倒的なスケール感と、なんと言っても大草原のすばらしさには涙が出そうです。

カザフについては特別な思いがあるからです。

カザフという人たちを知ったのは、中国新彊ウイグル自治区の北西、博楽市にサリム湖(賽里木湖)と呼ばれる湖があって、そこに写真を撮りに行ったときでした。

透明な水をたたえた海抜2073メートルの湖の周りは、カザフ族の夏の放牧地で、青々とした草原に白いユルト(移動式天幕住居)が点在していました。

カザフ族は今は完全な遊牧民ではありませんが、夏・冬と家畜を移動させて暮らしているので、持ち運びができるユルト住まいなのです。草原では、馬、羊、ラクダの放牧をやっています。

俺は湖畔のドライブインの宿に10日ほど泊まって彼らの写真を撮っていました。

夏の3ヵ月間、カザフ族はサリム湖畔で暮らします。秋になって草原の草が枯れ、家畜の放牧ができなくなると低地へと帰っていきます。

10日間で結婚式にも参加したし、男たちと酒盛りもしたし、ある家族とは友だちになりました。

そろそろサリム湖を離れようと思っていた日のこと。空は青く澄みきって、快い風が吹いていました。俺は高原の空気を満喫しながら、何度かおじゃましていたユルトのおばさんが淹れてくれたお茶を飲んでいました。そして、何気なく、

「どうして夏はここで暮らすんですか?」

と聞いたのでした。彼女にこう聞いてしまったあと、「羊や馬の牧草のため」と、答えは分かりきっているじゃないかと、くだらないことを聞いてしまったなぁと後悔したのですが、彼女はこう答えたのです。

「だって低いところは今とても暑いのよ。ここは涼しくて気持ちがいいじゃない」

これは予想外の答えでした。そして、

「嫌なことはやらずに好きなことをやればいいのよ」

と言っているように聞こえたのです(そう感じたのです)。

あとで日本へ帰り、カザフ族のことを調べてみると、中央アジアの大草原で遊牧生活を送っていた人たちの一部が「自由人」という意味で「カザフ」と呼ばれたのが、今日のカザフ族のはじまりだと知りました。彼らは文字通り草原の自由人だったのです。

こんな体験があって、俺も遊牧民みたいな暮らしがしたいなぁとあこがれて、2009年には1年かけて、奥さんとヴィーノを連れて、日本一周の車旅に出たきっかけにもなりました。

俺には「カザフ」という人たちは懐かしくも、大切な思い出のひとつなのです。
  
 
 
 
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