カテゴリー「旅(外国)」の369件の記事

2017/09/14

丹波山村鴨沢から七ツ石山に登る

170914_1(山梨県丹波山村 鴨沢)

170914_0(雲取山・七ツ石山登山道の入口)

170914_2(多摩川水源森林)

170914_3(七ツ石山登山道の水場)

170914_4(将門伝承の解説パネル)

170914_5(七ツ石小屋)

170914_6(七ツ石小屋からの山並み)

170914_7(七ツ石山登山道の分岐点)

170914_11(七ツ石神社の傾いた社殿とお犬様像)

170914_9(七ツ石山の頂上)

170914_10(七ツ石山登山道のを横切ったカエル)


雑誌「山と渓谷」11月号で「お犬さま(狼)信仰」について書きますが、七ツ石神社の写真はどうしても必要になり、東京都と山梨県の境界にある七ツ石山(標高1757.30m)に登ってきました。

七ツ石神社のお犬さまについては、明日、あらためて【愛犬物語】の中で書くことにして、今日は、登山そのものについてです。

七ツ石山は、丹波山村鴨沢から登りましたが、雲取山への途中でもあり、人気の登山道でもあるようです。

今回は車で行きましたが、鴨沢のバス停のところから国道411号(青梅街道)を右折して(鋭角に曲がるので切り返しが必要)、5分ほど上ると駐車場があります。20台ほどの車が止められるトイレも完備した村営の駐車場です。

ここから200mほど自動車道を進むと、左に上って行く雲取山・七ツ石山登山道の入口があります。

このあたりは多摩川水源森林になっています。「多摩川水源森林隊活動地」の看板も立っていました。土地所有者やボランティアの人たちが、水源地にふさわしい緑豊かな森林に再生するための活動を行っているそうです。

しばらく行くと七ツ石山への行程の半分のところに水場があります。冷たい山の湧き水。

先日の「川の博物館」の、三峰山博物館 名誉館長 山口民弥さんの講演でも、江戸の人たちが必要とする水の水源地との関連で、お犬さま信仰(山の信仰)があるみたいなことでしたが、川を軸として、上流と下流は繋がっているんですね。

喉がからからに渇いたときに出会うこの湧き水のありがたさは、江戸の人たちの水に対する切羽詰まった気持ちと同じようなものがあるのかもしれません。

森林を守ることは、すなわち自然(山)との付き合い方を見つめなおすこと。お犬さま(狼)は、まさに自然(山)の象徴、自然(山)の神の使いということだろうと思います。

登山道にはところどころに、「将門伝承」の解説看板が立っています。「七ツ石」の由来となっているのもこの将門伝承です。七つの岩は将門のお供の七人の武者が石化したものだそうです。

登山道入り口から写真を撮りながらゆっくり歩いて約2時間半、七ツ石小屋に到着しました。小屋の裏側は、ちょっとした休憩所・展望所になっています。ここでジュースを買って、一休み。

周りの山並みが見えます。天気が良ければ富士山も見えるそうですが、あいにく、この日は雲で隠れていました。

最後の30分の登りはけっこうこうきつかった。普段のなまくら生活がたたって、息を切らしながら登ると、開けた場所が現れ、山の名前の由来となっている「七ツ石」の岩が並んでいて、その直下に屋根掛けされた神社の社殿が見えました。

ここが七ツ石神社。神社とお犬さまの話は、明日詳しく書きます。

神社からさらに100mほど上ると頂上です。標高1757.30mの山頂碑が立っています。

天気のせいもあるのかもしれませんが、山頂からはあまり展望がよくありませんでした。

もう一度神社に戻って撮影をし、下りも約3時間かけてゆっくり駐車場まで戻りました。突然登山道を大きなカエルが横切りました。
 
 
 
 
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2017/07/26

イラン映画 『ボーダレス ぼくの船の国境線』 を観て

170726(イラン ヤズド・マスジェデジャーメ)


第27回東京国際映画祭で、「アジアの未来部門」の作品賞を受賞したイラン映画『ボーダレス ぼくの船の国境線(原題:Borderless)』を観ました。

政治的メッセージが難しいイラン映画では、子供が主人公の映画が多く(そうならざるを得ないところもあり)、これもまた子供目線の映画の一作品ということでしょう。

「イランとイラクの国境付近の川に浮かぶ一隻の古ぼけた船。そこに住む少年と侵入者たちの言葉を越えた交流を描いた感動作。ペルシャ語、アラビア語、英語を話す登場人物たちは、最初から最後まで言葉によるコミュニケーションをとることができない。1980年代のイラン・イラク戦争後、今もなお紛争が続く中東の厳しい現実がリアルに描かれる一方で、時代設定や彼らの国籍、年齢について、映画は多くを語ろうとしない。また、プロの役者でなく地元に住む素人の子供たちを起用することで、彼らの豊かな表情と身振りを見事に描きだしている。」(Lucky Nowの「【ボーダレス ぼくの船の国境線】子供が主人公の名作が多いイラン映画」から引用)

この映画を観て、韓国映画『トンマッコルへようこそ』を思い出しました。

韓国軍兵士、北朝鮮軍兵士、アメリカ軍兵士が、偶然にも、桃源郷の村「トンマッコル」に迷い込み、最後は、村を守るという話です。「殺しあう」「闘う」ことが馬鹿らしくなるほど、村人は素朴で善良です。実際兵士たちは、敵ながらも、お互いを認め合うようになります。

『ボーダレス』でも、国境の廃船で3人が出会いました。主人公の少年はイラン人、赤ちゃんを連れた女の子はイラク人、そして脱走兵らしいアメリカ人。

3人はそれぞれ「敵」でもあるわけです。偶然この廃船で出会い、つかの間、3人の共同生活が始まります。そこが『トンマッコルへようこそ』と似た状況です。

誰のための戦争なんだろう?と考えてしまいます。戦争は国対国でやっているだけ。この3人にとっては迷惑な話でしかないということです。

イラクの少女は、アメリカ兵から村を焼かれたらしく、最初このアメリカ兵に憎悪をむき出しにしますが、このアメリカ兵がやったわけではなさそうです。少女はそれに気が付きます。ひとりの「人」として見えるようになり、「敵」というレッテルは取れました。それからだんだん心を通わせるようになっていきます。

またこの映画では、あまりセリフがありません。まぁ、実際、こんな状況だったら、言葉は無意味です。むしろ表情や身振り手振りが大切です。言葉が通じなくても、心は通い合うということはよく言われますが、俺も外国旅行での体験からそれは感じます。言葉が逆に障害になることもあります。

セリフが少なく静かな中、船の床板や部品の金属音が擦れ合い、ギシギシした音だけが耳障りです。はっきり言って不快でした。

でも、そこに、かえって子どもたちの置かれてる環境(戦争状態も含めて)の過酷さ(痛さ)が表現されているのではないかと思いました。鉄の船の中で裸足で生活するすることを想像するだけで、痛さが伝わってきます。

唯一、アメリカ兵のキャスティングはこれでよかったのかなぁと疑問が残ります。マッチョで少し怖い感じなのです。

じゃなくて、もっと細面の優男であったら、子供たちの恐怖心も薄れたのではないかなと思うし、本人がこの戦争に嫌気がさして脱走することにした事情も、もっと説得力を持った気がするのですが。
 
 
 
 
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2017/07/16

仁科邦男著 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』を読んで

170716_2


仁科邦男氏の本には、お世話になっています。

『全国の犬像をめぐる』でも、お伊勢参りや金毘羅大権現へお参りした代参犬「おかげ犬」や「こんぴら狗」の章では、『犬の伊勢参り』、『犬たちの明治維新 ポチの誕生』が大変参考になりました。

そして今回読んだのは 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」という言い回しが気になって著者は長年調べてきたそうです。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」とは、「伊勢屋」という屋号の店や「稲荷神社」など、江戸に多いものを並べたもので、実際、江戸後期は犬だらけで、犬のウンチも多かったようです。

意外なものが最後に来ていることと、伊勢屋の「い」、稲荷の「い」、そして犬の「い」と、韻を踏んだところが面白い。多少の皮肉やからかいの気持ちも入っているようです。

だからこれは江戸の人間が当時言っていたことではなくて、明治になってから、江戸を懐古して言われ始めたようです。

犬のウンチを踏んで最悪な気持ちになるというのは、俺も実体験があるのでよくわかります。

今はどうなのか分かりませんが、30年前、フランス・パリで、日本レストランのギャルソンとして3か月間ほどアルバイトをしていた時は、よく踏んじゃっていました。踏むだけならいいのですが(それだけでも大変ですが)、それが滑るのです。滑って転んだりしたら最悪です。

パリは犬のウンチが多い街だとわかってきましたが、初め、信じられませんでした。まさか、この華の都、おしゃれな街パリが、犬のウンチだらけだったとは。ガイドブックにも書いてなかったし、兼高かおるさんもそんなこと言っていませんでした。

最先端ファッションに身を包んだ女性が、シャンゼリゼ通りで立ち止まって、ハイヒールの裏側に着いた犬のウンチを木の枝で取っているところを目撃し、俺は、見てはいけないものを見た気がしてショックを受けたのでした。

高学歴で優秀で弱い人の味方を標榜していた自民党の豊田真由子衆院議員が、裏では「ハゲ~ッ!」「違うだろ!」「このボケ~ッ!」などと、秘書たちに罵声を浴びせていたことが話題になっていますが、パリの犬のウンチは、それに劣らずですね。

江戸では犬は地域犬として、自由に走り回っていたし、その犬のウンチは、人糞や馬糞と違って肥料にもならず、放置されていたようです。乾燥して風で飛ばされ、雨で流されて、自然になくなっていたので、あえてウンチを取る人もいなかったのでしょう。

ところで、この本の中に、もう一つ、面白いなぁと思ったところがあります。それは「お魚くわえたどら猫、追いかけて~」という歌がありますが、江戸で魚をくわえて逃げるのは犬だったようで…。

「神奈川横浜新開港図」という絵には、魚をくわえた犬が天秤棒を持った魚屋から追われているシーンがあります。これって、今なら犬じゃなくて、猫だよなぁ。

江戸の人たちは、犬の好物が魚だと思っていたらしいのです。実際、犬は、魚の頭などの残飯を食べていたということもあります。タンパク質といえば、当時はほとんど魚だったでしょうし。

綱吉時代、中野に犬屋敷「お囲い」が作られましたが、収容された犬には、白米と生魚までふるまわれていたといいます。贅沢料理と運動不足で、死んでしまう犬がたくさんいたそうです。贅沢が幸せかどうかわからない、という話にもなっています。
 
 
 
 
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2017/06/28

パスポートの要らない外国旅行 「西川口の巻 3」 タイ屋台料理のカウケン

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パスポートの要らない外国旅行「西川口の巻 3」は、タイ屋台料理の「カウケン 」。

ここは義理の妹夫婦行きつけの店で、以前から俺も知っていた店ですが、今回はようやく「カウケン」に入りました。

「屋台料理」でもあるので、せっかくなので店の前のテーブルで。

いろいろとタイ料理は食べてきましたが、やはり、ここのは日本人にこびていない、タイ人のための味付けで、好きな人は好きな店だろうなと思います。とくに妹夫婦のようなタイにはまっている人たちには。そして俺たち夫婦も。

だから、洗練された口当たりの良さというものよりも、じゃっかん味に雑味を覚えます。でも、そこに言いようのないタイの風土を感じさせます。この雑味があるからこそ好きになるのかもしれません。

例えが適当かどうかわかりませんが、音のハイパーソニック効果みたいなものでしょう。CDには人間の耳には聴こえない(聴こえづらい)超高周波数の音が抜け落ちていますが、実際の生演奏では、そういう超高周波も多く含まれています。でも、その超高周波が心と体に良い作用をもたらすという効果です。

だから洗練された日本風タイ料理というのは、この超高周波を除いて「きれいな音」にしたCDみたいなもので、そういう「きれいな味」を求めてやってきた人には「カウケン」の味がどう感じるのか、ちょっとわかりません。実際、「口コミ」には、この点に不満だったらしい客のコメントもあります。

とにかく、タイや東南アジアが好きな人なら、絶対満足する、お勧めの店です。

最初は「ネーム」の和え物と生ビールで乾杯。「ネーム」は、タイに行ったら必ず食べる酸っぱい味の豚肉を発酵させたハムで、これがビールによく合うのです。

鶏肉の「ラープ」といっしょに食べるもち米のおこわ「カオニャオ」も懐かしかったし、最後の「プーパッポムカリー」は、殻つきの渡り蟹がたっぷり入ったタイ風のカレーです。これもうまかった。
 
 
 
 
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2017/05/24

中国で日本人が多数拘束されているというニュース

170824(雲南省西部 リス族)


中国で拘束されている日本人のニュースです。

俺も軟禁されたことがあるので、他人事ではありません。怖さがジワーッと蘇ります。

天安門事件の翌年1990年、雲南省でのことでした。今とは事情が違っているでしょうが(インターネット、コンピュータも導入されている)、ただ、同じ部分もあるのではないかと想像します。

中国では、「身分外活動」でも捕まってしまいます。たとえば、観光ビザで入った観光客が、市場で物の値段を聞いたりしたとき、「取材活動」とみなされるようなときです。観光ビザで入って取材や仕事をしてはいけないのは日本も同じことなので、この点では、中国独特とはいえないかもしれません。

何が中国独特なのかというと、問題は、その「取材活動」の範囲があいまいなことです。あいまいで、堺がないから、逆に誰でも拘束されてしまうという恐ろしさがあります。要するに、捕まえようと思ったら、どんな理由でもできてしまうということなのです。

しかも最近は反スパイ法もできて、密告制度もあるということなので、じゅうぶん注意しないとだめでしょう。反スパイ法の中には、「その他のスパイ活動」という項目があります。つまり「何でも」ということなのです。

軍事施設などを撮影するのは論外ですが、独龍江に行ったとき、ガイドを付けていたのですが、貧しい村や村人の写真は問題なかったのに、地層などが含まれる風景はダメだと、注意されたことがありました。

自分では単なる独龍江の風景写真のつもりで向けたカメラを制止されたのは、河岸に地層が見えていたからでした。あと特別な植物もダメだったように記憶しています。

そういう体験から想像すると、今回拘束されている日本人の中で、温泉探査に関わる仕事をしていた日本人がいるので、そこはかなり神経質になる部分かなと思います。これをスパイ活動とみなされると危ない。拘束された日本人は、どんなビザで中国へ行っていたのでしょうか。

そして俺が軟禁されたのは、こんな状況でした。

たしかにミャンマーの国境にも近かったので、祭りの写真を撮りに行ったことがスパイ活動ではないかと疑われたようでした。パスポートを取り上げられて、2日間、公安局の隣の旅社に軟禁されました。

実は、神経質になっていたのは、前年の天安門事件に関係した学生が雲南からミャンマーに逃げるルートでもあったらしいのです。

だから俺の日記を見て、あるページに「学生」とあり、どこか別なページに「民主化」という漢字を見つけて、公安はむりやり2単語をくっつけて「お前は、民主化の学生と関係しているんだろう?」というのです。

取り調べでは、「正直に言わないと、日本に帰れないぞ」と脅されたことが、一番の恐怖でした。あとで冷静に考えれば、そんなことはないと分かるのですが、取調では厳しい公安Aと、優しい公安Bが、交互に質問してくるのです。厳しい方のAが席を外した時、すかさずBが優しく自白を強要するのです。

まるで刑事ドラマと同じだなと思いましたが、優しいBから、「あの人(A)だって、悪い人じゃない。正直に言えばすぐ日本に帰れるんだから」と言われると、思わず、「関係ある」と認めてしまいそうにもなりました。

よく日本でも自白して冤罪を生むことがありますが、よくわかります。情報を遮断され、厳しいAから「帰れなくなるぞ」と脅され、優しいBに「早く帰りたいでしょう?」と(偽りであっても)同情される、これが永遠に続くのではないか、本当に帰れなくなるのではないか、と思い込むようになっていくのです。そして、ついBの優しさにホロッとしてしまう。これは心理学的にも、今なら俺も理解できます。

助かりそうだと思ったのは、こんなことを言われたからでした。

「お前の日記を読めるコンピュータが中国にはあるんだ。嘘をついてもわかるんだ」と脅された時、「あぁこれははったりだな」と確信しました。汚く崩した俺の日記の文字を読めるコンピュータなんて、どこににもないからです。たぶん、いまだにないでしょう。

公安は攻める部分がなくなってきたので(学生と関係あるという証拠が出てこないので)、こんな苦し紛れのことを言い始めたんだろうと、俺は内心、安心したのでした。

実際、スパイ容疑は晴れたのか、3日目には開放されました。ただ中国を出国するようにビザの期間を短縮されました。雲南の奥地だったので2週間の猶予期間をくれたのは、当時の中国だからでしょう。今なら、2日で出国できます。

こんなふうに、「スパイ活動」かどうかは、現地の公安の判断次第ということなのです。どんなことでも「スパイ活動」にされてしまうという怖さが中国にはあります。

観光客だからと言って安心できません。とくに「観光ビザ」だけの場合は。「スパイ活動」ではなくても「身分外活動」で捕まる可能性もあるからです。
 
 
 
 
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2017/05/06

『メコンを流れる』、ゼロメガで電子書籍化

170506(青海省玉樹藏族自治州雑多県莫雲郷 メコン河源流域で暮らすチベット人家族)


『メコンを流れる』が電子書籍化されることになり、あらためて校正しながら読み直しました。

NTT出版から単行本として出たのは1996年です。もう21年も前です。

メコン河をテーマにし始めたころは、東西冷戦が終わった直後で、そのために、ベトナム、ラオスなどにも外国人が旅行で入れるようになってきたころでした。

ただ、まだ自由に旅行することはできなくて、ガイドといっしょに周った思い出があります。その後、あれよあれよという間に経済発展と自由旅行が同時進行し、風景と人々の様子が一変しました。

その激動の時代を、メコン河の源流から河口まで旅した旅行記です。同時に出版したのは写真集『メコン河 アジアの流れを行く』でした。

メコン河の源流に行ったのは、アメリカのナショナルジオグラフィックの記者・カメラマンの次でした(日本人としては初めてだったかもしれません)。現地に行ったら「だれもメコンの源流を探したことがない」ということを初めて知ったのです。1992年の夏でした。

黄河や長江(揚子江)の源流は調べられていたのに、1990年代半ばまで、メコン河の源流は調べられていませんでした。もちろん現地チベット人は源流で暮らしていましたが、彼らは現地で「ザナチュ」と呼ばれている川が、大河メコンだと、それほど意識していたとも思えません。

どうして1990年代まで調べられていなかったかというと、中国人(漢族)にも、メコンは少数民族が住む地域を流れる秘境で、経済的、文化的価値はほとんどなかったのでしょう。

今では、東南アジアに向けての、交通路と捉えられて価値が出てきましたが、昔は違いました。だから中国人も、メコン河の源流がどこかなんて興味を持たなかったようです。(植民地時代、フランス軍が下流から雲南を目指して遡りましたが、チベット高原までは行っていません)

1992年(あるいは1994年。2回行っているので、どちらだったか)の夏、源流域から戻ったザードゥ(雑多)の町では、これから源流を科学調査するという日中合同隊と出会いましたが、俺の存在ははあまり良く思われていなかったようで、後日、彼らが書いた週刊誌の記事には、「我々の先に来ていた日本人(俺のこと)が現地の物価(たぶんウマやヤクのレンタル料)を値上がりさせた」といった内容の、批判めいた文章を書かれました。

でも、俺はひとりで来ていたのに、彼らは大所帯なんです。彼らのグループが、地元に与えている影響は、俺と比べて歴然の差でしょう。「探検隊」というのは、なんて大げさなんだと思ったものです。それに引き換え俺はなんて身軽なんだと。

たぶん、俺がいたことで、彼らが「一番乗りした日本人」ということを公言できなくなったことに対しての、恨み節だったのではないかなと、悔しいので、そう思うことにしました。

別に、彼らが「一番乗りした日本人」を自称しても、俺は文句は言いません。

そんなことを思い出しながら読みました。



メコンを流れる(上)

 
 
 
 
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2017/03/15

マレビト来たる

160408


先日、19歳になるドイツ人の女の子と会いました。

彼女は俺の知人の娘さんです。たまたま1か月間、日本に仕事の出張で来ていて、お母さんから娘と会えますか?と連絡があったのですが、ん~、でも彼女とはまったく関係がないし、しかも19歳だし…と、ちょっと渋ってしまいました。

彼女のお母さん自体、36年前に1度会ったきりの人で、当時はまだ14歳でしたが去年、俺のポストカードを見つけた彼女の娘さんが、ネットで俺を検索して探し出したのでした。

その話は、去年「36年前、スイスで出会ったドイツ人家族」に書いています。

そういう事情があって、娘さんとは何の接点もなく、どんな人なのかという情報もなく、会うのが正直億劫でした。

そしたら妻が「あなたも外国でさんざん人の世話になってきたんだから…」と言われて、それもそうだなと思いなおしました。結局妻といっしょに会うことにしたのです。俺ひとりでは、ちょっと荷が重いかなと思ったので。

会ってみたら、まじめな性格で、芸術家タイプでした。だんだん人となりがわかってくると、話もできるようになっていきました。19歳と言っても、政治の話もできるし、大人だなぁと感じました。懐石料理をごちそうしましたが、気に入ってくれたかどうか。

「外人なら秋葉原が好きだろう」というので、夕方、秋葉原のメイドカフェなんかも連れて行ったのですが、ここは、あまり興味を示されず…(女の子だしねぇ)。しかも、場末風メイドカフェの「天空の城」の、ありえへん設定に無理やり付き合わされて、正直、俺自身疲労困憊しました。

彼女は、日本でアートの勉強をしたがっているので、そのうち日本に住むかもしれません。

そうか、彼女は「マレビト」なんだなぁと思いました。

外部からの来訪者(異人・マレビト)に寝床や食事を提供して歓待する風習は、日本だけではなくて世界各地でみられるものです。その根底には、マレビト(稀人・客人)信仰があるとも言われます。

奈良時代の『風土記』にも、突然やってきた見知らぬ客を親切にもてなした者が幸運に恵まれ、逆に冷たくあしらった者が不幸になるという話が載っています。

マレビトは、時には旅人、時には鬼、時には乞食、時には芸能者などの姿をしたカミでもあります。

その信仰には、外部の人間との交流は、とくに昔の山間部の孤立した集団には、物理的、精神的なメリットもあったろうし、もっと深く、集団内の人間と結婚することで、優生学的なメリットもあったのでしょう。

ただ、マレビトは、異界から来た異質な人間なので、最初は警戒されます。たとえば、俺は昔北タイのカレン族から、病気を持ち込むのではないかとか、カレン族の文化を踏みにじるのではないか、とかいう理由で、村では外国人を警戒するんだという話を聞いたことがあります。

そのリスクも当然ありますが、それ以上に、トータルすると、やっぱりメリットが大きいから、こういう信仰が生きているんでしょう。なにしろ人には好奇心というものがあります。

「怖いもの見たさ」という言葉に集約されますが、異質なものに対する警戒心はあっても、それ以上に知りたいのです。そしてその好奇心が人間を作ってきたと言ってもいいのかもしれないのです。

チンパンジーは賢いですが、あまり他の個体に興味はないそうです。他人のことを気にしたり、世話したり、教えたりするのは、霊長類の中では、人間が一番。

その事実と「マレビト信仰」は重なっているように思えます。
 
 
 
 
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2017/03/08

『ライスロード Vol.1 世界の棚田米を食べてみたい』 Kindle版

Riceroad_cover01


何でも棚田に見えてしまう「棚田病」に取りつかれた青柳が、世界中で棚田を探し、棚田米を食べてきた記録、旅行記。

https://www.amazon.co.jp/dp/B06XG9X7X7

フォーマット: Kindle版
ファイルサイズ: 1190 KB
販売: Amazon Services International, Inc.
言語: 日本語
ASIN: B06XG9X7X7


中国雲南省のハニ族村で、偶然目にした雄大な棚田に感動し、それ以来、「棚田がある」と聞けばどこへでも出かけて行きました。

その中でも、今回(Vol.1)は、中国雲南省・フィリピン・イラン・マダガスカル・インドネシアなど、アジアとアフリカの棚田、棚田米、コメ食品を探し求めたときの旅行記です。
 
 
 
 
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2016/08/27

「ミャンマー地震 バガンの仏教遺跡にも大きな被害」のニュース

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8月24日、アマトリーチェなど、イタリア中部での地震被害がニュースになっていますが、ミャンマーでも地震がありました。

NHK NEWS WEB ミャンマー地震 バガンの仏教遺跡にも大きな被害

地震の震源地はパガンから30kmしか離れていなかったようで、パガンのパゴダ(仏塔)もいくつか被害が出ているようです。

ところで、バガンは世界三大仏教遺跡といわれています。他は、インドネシアのボロブドゥールと、カンボジアのアンコールワットですが、ふたつとも世界遺産に登録されています。

でも、意外なことにこのパガン遺跡だけは未登録です。どうしてなんでしょうか? それで調べてみました。

アセナビ「世界遺産に登録されない…世界三大仏教遺跡ミャンマーのバガンの悲劇」を見ると、

パガンがなぜ世界遺産に登録されないかの理由がわかります。

仏像の周りには、本来あるはずのない電飾が輝いているなど、原型を無視した修復の問題があるという理由がひとつ。たしかに俺も電飾は見たような気がします。

バガン地区内にゴルフコースを造った、高さが61メートルほどもある展望台を建てたなど、景色を壊してしまうようなことをしてしまったというのが二つ目の理由。

ただ、世界遺産に登録されないことが必ずしも「悪」ではないというところに俺も共感できます。

「世界遺産に登録されるということは、国際的に権威のある機関から価値が認定されることを意味し、多くの観光客が訪れる契機となることが多くあります。しかし、この認定は必ずしも現地の人に大きな価値のあるものではないのかもしれません。保護のために、建物内で線香を焚くことが禁止されるなど、いままでのように自由に参拝ができなくなることもあるのです。ミャンマー人からしたら、近代的なものを使って修復したとしても、「バガン」という遺跡自体は変わりないと思っているかもしれませんね。」

その通りだと思います。「遺跡」と呼んでいる時点でパガンを世界史の教科書にでも載せているような違和感はあります。パガンは地元ミャンマー人にしたら、過去の遺物という固定されたものではなく、実際日々の祈りの場所であり、刻々と変化する生きた文化施設であるとも考えられるわけです。

「オリジナル」とは何なのか、ということも考えてしまいますね。

世界遺産にならない方がいいかもしれません。個人的には、あんなにいいところが人が押し寄せる観光地になってしまうのもどうかと思いますし。
 
 
 
 
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2016/05/02

パスポートの要らない外国旅行 (西川口の巻 2)

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義理の妹夫婦が西川口に住んでいて、かなりディープな中国料理店に連れて行ってもらった話は、以前こちらに書きましたが、今回は、あれ以上のすごい店がありました。

客のほとんどは外国(中国)人です。日本語メニューもありますが、ほとんど中国語が主で、店員さんも日本語が流暢ではありません。

まるでパスポートの要らない中国旅行をしているようで、久しぶりで俺も中国語をしゃべることができて、テンションが上がりっぱなしでした。

店の名前は「小城」です。西川口駅の北側の古いビルの1階にあります。

基本、中国東北地方の料理ですが、なんといってもお勧めは、「カオヤンロウ(烤羊肉)」です。羊の焼肉ですが、「ジンギスカン」などと呼ぶ甘っちょろい日本料理とは違って、まさに、「肉を食らう」という表現がふさわしい野性味あふれる焼肉です。

前足、後足など、部位によって値段が違います。

●烤羊腿(前腿): 前足 3800円
●烤羊腿(後腿): 後足 4800円
●烤羊排: スペアリブ 3800円

俺たちは「カオヤンパイ(烤羊排 スペアリブ)」を注文しました。肉は切ってもらいました。(「切らないで」と注文すれば丸焼きでも提供可だそうです)

それで出てきたのが写真(↑)の大皿です。この盛り方も中国的で圧倒されました。5人で食べてもお腹いっぱいなるくらいの量がありました。

この肉と骨の塊を炭火で焼いて、トウガラシ、クミン、炒り塩?(何かよくわからない)の3種を混ぜたものを付けて食べるわけですが、この食べ方の豪快さと相まって、大陸風の匂いと味が口の中から脳天に突き抜けてゆきます。

日本人客が来た時のためでしょうか、「ジンギスカンのたれ」も用意してあります。市販のボトルをテーブルに置いてくれましたが俺は使わず、とくにクミンを付けて食べるのは相性抜群だし、現地ふうでもあるし、一番おいしく感じました。

他に、サラダや、ピータンや、羊肉炒めなど頼みましたが、どれも美味しく、しかも値段も安めなので、大満足です。ビールもおいしく飲みながら外国旅行の話で盛り上がるのは最高です。

最後に店員さんに「この羊肉はどこの? 中国産?」と聞いたら、

「シンシラン」

との答え。予想を外されて、少しショックが。いやいいんです。考えてみれば当然のことです。中国産の羊肉が簡単に手に入るとも思わないので許します。「シンシラン」とは「新西兰(ニュージーランド)」のことです。

ビル奥のトイレや廊下もインパクトありました。はっきり言って、あそこは日本じゃないです。

体中から羊の匂いが出ているのを自分たちでも感じながら駅の方に歩き、妹夫婦のマンションに戻りました。

新大久保も好きな街ですが、日本人客が多くなると、どうしても「日本化」が進み、本来持っている癖や粗っぽさや野性味が失われていくのはちょっと不満だったのですが、西川口は、まだ何があるかわからない面白さがあります。
 
 
 
 
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