カテゴリー「雑記」の68件の記事

2009/08/29

「ジャランポン」「ザランボ」のルーツ

090829
昨日「葬式」を意味する方言、秩父の「ジャランポン」と、山形の「ザランボ」が同じルーツかも?と書きましたが、あのあと気になって調べてみました。

Google で「葬式 方言」で検索して出てきた、主なページです。

千葉県大網白里町  「ジャンボン」 (大網白里町の方言

茨城県 「ジャンボ」 (住まいの資料館

長野県小諸市 「おじゃんぼん」 (大塚酒造株式会社のホームページ

秋田県八郎潟町 「だみ」 (秋田県八郎潟弁

福島県中通り 「ザザンボ」 (方言ログ・ぽ~の語り

青森県 「だみ」 (レッツ方言

山形県 「ざらぶ」

栃木県 「じゃあぼ」

山梨県 「おとぼれぇ」

三重県 「そぉれ」

近畿地方 「そうれん」

岡山県 「おくり」

熊本県 「のべおくり」

東京都 「おともらい」 (げんごや.com

新潟県田上町 「そうれ」 (新潟県南蒲原郡田上町の方言

岐阜県飛騨 「トムライ」、「オクリ」、「シバサンマイ」、「トリオキ」、「ソウレイ」、(岐阜県方言地図

ざっとこれだけ見ても、山形、福島、栃木、茨城、千葉、埼玉、長野が、鐃鈸の音をルーツにしている名称の地域らしいということがわかりました。東日本の一部で、連続した地域です。やっぱり秩父の「ジャランポン」と山形の「ザランボ」は、関係があったんですね。同じルーツのようです。


にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2009/06/04

都会での危ない話

090604
仕事の打ち合わせが終わった後、ひとりで入ったファーストフード店で、危ない会話を聞いた。

その店は3階まであって、すいていた3階の席に座っていた。すいているにもかかわらず、ふたりの男がやってきて、俺の近くに座った。

そして一人の男(Aとする)が、「もう会うのは今日だけにしてくれない?」と、もう一人(Bとする)に切り出した。

「どうしてそうなるの?」と、BがAに聞いた。「ちゃんと説明してよ」

別に聞こうとしていたわけではない。すいているので、声がよく通るのである。だから、嫌でも聞こえてしまうのだった。

「もう会わないなんて、俺たちホモじゃないんだから」とBが言う。Aはそれを聞いて、不自然に笑った。

どうも、Aは最近ヤクザになったらしく、Bに迷惑がかかるから、もう会わないようにしようという話らしい。Aは、しきりに、オヤジをカツアゲしたことを自慢していた。捕まらない、いい方法があるという。それをBに説明している。

でも、どうも妙なのだ。Bは、それを聞いてひるむどころか、Aに対して高圧的で、むしろ、静かに答えるBの方が、凄みがあって怖ろしい。

一席置いてふたりが座っていたので、顔を見ようと思えば見れたのだが、目を合わす勇気はなかったので、会話だけ聞いていた。

Aがハイテンションで声高に話せば話すほど、何か弱みをつかまれている(たとえばお金を借りている)のが分かってくる。ヤクザに入った話をしたが、嘘かもしれない。Bから逃れるためだ。

だいたいにして、Aがヤクザになったのは、「試しにやってみるか?」と言われたので入ったらしい。大手(@@会とか)ではなくて、個人でやっているところ(?)らしい。俺はヤクザの世界を知らないので、個人営業のヤクザがあるのかどうか知らないが、ちょっと胡散臭い。

もしAの話が本当のことなら、警察に通報されたらやばいんじゃないか?と思うのだが、俺のことを人とも思っていないのか、延々と危ない話をしているのである。こういうところから考えても、Aの言っていることは半分嘘なんだろう。Bから逃れたい必死さだけは伝わってきた。

それにしても、Bの落ち着き払った態度と声。こっちが本物じゃないかと思ってしまった。

都会には、いろんな人がいるねぇ。

Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2009/02/16

「150」という数字

090216
昨日の朝日新聞に、「150」という数字について書いてあり、興味をひかれました。

それは、150人くらいの集団が、一番機能しやすい一塊になる、といった話です。たとえば、戦いでも150人くらいの部隊が活躍する、みたいな話だったと思います。

それと、アフリカから出た我々の祖先も、DNA解析から、150人程度のグループだったといいいます。これよりも、多くても少なくても、地球上で生き延びられなかったのではないか、というのです。

そういえば、30代のころ、俺は、今まで何人の人間と知り合っただろうか?と、ふと考えて、過去を思い出しながら数えたことがあります。ただし、たとえば、店で話しかけられた店員とか、街中で喧嘩したヤツとか、職務質問した警官とか、そういうのは含めません。名詞交換までいかなくても、お互いが、素性を明かし、人格を認め合ったくらいの知り合いです。

親、妹、じいちゃん、ばあちゃんから始まって、親戚、幼稚園、小、中、高校、大学、バイト先、旅先で会った人たち、カメラマンや編集者、写真展で会った人たち、酒乱の元暴力団員などなど。

たしかこの計算をしたのは、35歳くらいのときで、2000人程度ではなかったかと思います。これを多いというか、少ないというか分かりませんが、俺は、感覚として、少ないなぁと思いました。

知り合ったあとも、付き合いが続いているのは、何人いるでしょうか。せいぜい年賀状のやり取りをしている人たちは、少なくとも、1年に1回、その人のことを思い出すので、それを考慮すると、だいたい150人くらいなのです。150人ならば、顔も素性も思い出し、「考えられる範囲」「何か頼まれたとき、責任を持てる範囲」といってもいいでしょう。

もちろん中には、500人も、1000人も年賀状を出す人もいるでしょうが、ひとりひとりのことを考えられるのか、ちょっと疑問。少なくとも、俺にはできません。

一生のうち、俺は、まぁ多く見積もっても、5000人程度の人としか知り合わないということです。(どんな仕事をしているかで、知り合う人の数は、かなり違ってくるでしょうが) 67億人の中の、わずか5000人です。

世界で知り合わない人のなんと多いことか。知らないことのなんと多いことか。ということに気がつき、ちょっと愕然とします。ずいぶん狭い範囲で生きて、死ぬんだなぁと。

でも、最初に戻りますが、150人程度を知っていれば、いいんでしょうね。もっと少なくてもいいのかもしれません。「数」よりも、「質」です。俺は友だちが少ないので、多少ヒガミが入っていますが。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/12/12

2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (4) カラチ郊外の農村で泊まった民家

081212
081212_2
昔、パキスタンの南部、カラチに行ったとき、町の食堂で知り合った青年たちに誘われて、彼らの家へいったことがあります。

当時は、外国人を誘拐する事件はあまりなかったので(誘拐ではなく、強盗殺人はあった)、ある程度注意していれば、危険な目には遭わなかったのです。

俺が、こいつは信用できるかどうかを判断する基準としていたのは、まず、「英語や日本語(外国語)をしゃべらない」ということと「向こうから声を掛けてきたのではない」という条件でした。そういう人たちの誘いには、喜んでついていったのでした。

このときも、英語はほとんどしゃべらなかったし、外国人が行くような地区の食堂ではなかったので、一緒に行っても大丈夫だと思いました。(片言のウルドゥー語と英単語だけでなんとかなりました)

実際、彼らの村では、大歓迎され、たいへん面白い体験をすることができました。

夕食後、電気のない暗い民家では早めに寝てしまうのですが、俺は、ある部屋のベッドを貸してもらいました。手探りで連れて行かれて、服を着たままそのベッドに横になりました。懐中電灯もなく、部屋の中がどんな様子なのかさっぱりわかりませんでした。

夜中、変な音で目が覚めました。なにか、水を捨てているような音がしたのです。しかも、けっこう近くから聞こえてきました。それでも、俺は疲れていたのか、すぐにまた眠ってしまいました。

そして朝、明るくなったころ起きて、びっくりしたのです。

なんと、俺の隣には、牛がいたのでした。その部屋は、家畜小屋というのではないのでしょうが、田舎の農村の家なので、お客さんを泊める部屋は、ここくらいしかなかったのでしょう。俺は一晩牛と寝ていたことを知りました。つまり、夜中の音は、牛がオシッコを垂れ流していた音だったのです。

朝食には、牛乳が出されましたが、水っぽい味でした。そういえば、この乳は、いっしょに寝ていたあの牛の乳? 味はともかく、夜中の小便の音が耳から離れず、この牛乳をあまりおいしく飲めなかったのは残念でした。

Ya_2「2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (3) チベット高原のヤク」 (2008/12/11)

Ya_2「トンパ文字」(雲南館)


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/12/11

2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (3) チベット高原のヤク

081211_1

081211_2
■牛(■は、牛へんに毛)とは、チベット高原のヤク牛のこと。チベット族にとって、ヤクはなくてはならない家畜です。

草原を歩いていると、牧畜民のテントのそばに、活発に走り回っている黒っぽい動物。あれは・・・。てっきりチベット犬かな?と、顔が青ざめ、立ち止まってしまいます。犬に何度か噛まれているので、ほんとに怖いんです。

ところが、その動物は、ヤクの子どもなんですね。それがわかって一安心。

ヤクの子どもを遠くから見ると、犬に見えるのは、あの活発な動き方が、どうしても大人のヤクの、どっしりとした動きから想像しづらいからです。身軽なんですよ、子どものヤクは。それと、俺が犬に敏感だからなのは言うまでもありません。

毛は(毛牛というくらいだから毛が長い)、チベット族牧畜民のテントやロープの材料に、乳は各種乳製品に、肉はもちろん食料に、糞は木がない高原では貴重な燃料になります。ヤクを利用することで、厳しい環境にも適応してきました。

牧畜民のところで食事をごちそうになると、かならずヤクの干し肉が出ましたが、これが、想像通り堅い。大きな塊を、ナイフで小さく切りながら食べるのですが、なかなか噛み砕くのに時間がかかります。だから、顎が丈夫になり、唾液も良く出て、体には良いような気がしますが。

ヤクのヨーグルトには、あたりはずれがあります。ほんとにおいしいものは、どんぶり2杯も食べましたが、たまに、独特の匂いのするものもあります。新鮮さの違いかもしれません。

Ya_2「2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (2) マダガスカルのゼブ牛」 (2008/11/30)

Ya_2「トンパ文字」(雲南館)


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/12/10

2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (2) マダガスカルのゼブ牛

081201_1
081201_2

マダガスカルの中央高地、アンバラヴァウ郊外では、水曜、木曜の午前中を中心にゼブ牛を売買する市「ゼブ・マーケット」が開かれます。マダガスカル第二の規模だそうです。

ところで、アジアを旅していて、牛に襲われたという話を聞いたことはありません。メコンの水牛だろうが、チベットのヤクだろうが、というものは、おとなしい動物だというイメージが焼きついています。闘牛を別として。 

ところが、この感覚で、マダガスカルのゼブ牛に接するのは時に危険です。俺たちが、ある農家に立ち寄ったとき、ちょうど牛車から牛をはずしているところでしたが、「危険だから近づくな」と注意されたことがあります。

実際、ゼブ牛は、気性が荒く、暴れていました。「かわいい~」などと言って近づいたら大ケガをしそうです。もし、マダガスカルへ行かれる方は、注意してください。

ネパールへ行ったときは、「バフ・テキ」を食べました。「バッファロー(水牛)・ステーキ」のことですね。マダガスカルでも、ゼブ牛の肉料理はもちろんあります。「ゼブ・テキ」とは言わなかったようですが、アゴを丈夫にできるくらいの、程よい硬さのステーキを食べることができます。

アンチラベ郊外で食べた、ゼブ牛のタンの煮込み料理はうまかったですよ。(昨日触れたアニマル・ライツの信奉者からは怒られてしまうんでしょうねぇ)


Ya_2「2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (1) 貴州省の闘牛」 (2008/11/30)

Ya_2「2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (3) チベット高原のヤク」(2008/12/11)

Ya_2「トンパ文字」(雲南館)

Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/11/30

2009年の干支 「牛・丑・うし」のトンパ文字 (1) 貴州省の闘牛

081130_1

081130_2
今年も、年賀状の季節です。

来年は、「丑年」。

恒例の年賀状サンプル、トンパ(東巴)文字のデザインです。参考にしてください。

トンパ文字は、雲南省麗江地区、ナシ族に伝わる象形文字です。

Ya_2「トンパ文字」(雲南館)

     ●●●

中国貴州省では闘牛を見ることができます。とくに、1月下旬から2月上旬にかけての中国正月の時期。田んぼに何も作物がないところが会場になります。↑の写真は、凱里郊外のミャオ族の闘牛の様子です。

普段はおとなしそうに見える牛(水牛)ですが、男たちからけしかけられて興奮した牛たちは、角を突き合わせて激しく闘います。近づいて写真を撮るのは、ちょっと怖い。

逃げたら負けです。中には、それだけエネルギーがあったら闘えるだろうと思えるような、何キロにもわたる逃走劇を演じてしまい、観客から失笑をかってしまう牛もいました。

ミャオ族の料理に、水牛のモツ煮込みのような食べ物があります。肉も内臓もいっしょに煮てある、しかも、塩味だけのシンプルな料理で、市場などで食べることができました。

味はともかく、食べた後、脂が固まって、唇に蝋を塗ったようになってしまったのは、困りました。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (2)

2008/11/29

『福井昭夫 絵画展』 アジアを描く画家の個展

081129
『福井昭夫 絵画展』

期間: 08年12月11日(木)~16日(火)
     12:00~20:00 【15日(月)は、18:00まで】

場所: COFFEE & GALLERY るなん
     〒152-0035 目黒区自由ヶ丘1-9-6
     Phone: 03-3724-1785

友人の画家、福井昭夫の絵画展です。

↑の写真は、今回のDMですが、「中国貴州省 黎平」の絵です。黎平は俺も行ったことがあり、「オリザ館」で写真も公開していますが、トン族の「鼓楼」や「風雨橋」で有名です。この絵の左上に描いてあるのがその「鼓楼」です。

しっとりと落ち着いた瓦屋根のトン族村は美しい。村の存在感がジワ~~ンと迫ってきます。

るなんのホームページ


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/07/04

どこでもなく、いつでもない「ボーダー」な飛行機という場

080704
この前、何気なくラジオを聴いていたら、あるミュージシャン(誰だったか?)が、「飛行機が好きだ」という話をしていました。

その理由として、「世界のどこでもない」みたいなことだったと思います。これを聴いて、俺も「そうだ!」とうなずきました。

俺も、飛行機が嫌いではありませんが、この「世界のどこでもない」ことと、もうひとつ「何時でもない」こと。つまり、「国」とか「時間」から完全に自由になったような状態。いや、自由というのとは、ちょっと違うけど。「ボーダー(境界)」かな? (「ボーダーレス(境界がない)」の反対です)

ホントは、体がエコノミークラスの狭い席に縛り付けられているし、まるでブロイラーのように、何時だかわからないのに、強制的に食事を与えられる、苦痛を感じこそすれ、「自由」なんて、とても感じられる空間ではないのですが。

でも、その肉体的苦痛があってもなお、精神的には、うきうきします。それは、この「どこでもなく、いつでもない」という「ボーダー」な場にいることの、妙な快感なのです。

以前、「やってみたいこと。『ターミナル』を観て」(2005/10/05)でも書きました。「空港ターミナル」や、「山手線の内側」というのは、この「ボーダー」な場の象徴なのです。何物にも所属しない境界に生きる感覚、「ボーダー」に生きる感覚というのは、とても新鮮です。透明人間になったような。(あるいは『箱男』ですね)

ただ、こういうのは、ある限られた時間だとわかっているから快感なんでしょうね、きっと。人間は、どこかに所属していないと、とても不安なんです。

人が集まり、人と繋がる。今、社会と繋がった感覚が希薄な人たちの犯罪が増えているとも言われています。基本的に、みんなどこかに所属したい。していないと、生きていけない。

だから、せいぜい、飛行機の中では、つかの間の「自由」を満喫しようかな。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/06/30

地震の予言者は起こったあとに現れる

080630
(写真は、イスラエル・エルサレムの「岩のドーム」)

最近、このブログに「予言」というキーワードで検索してきてくれる人が増えているようです。

以前「【ひとり会議 その十五】 予言者、占い師、霊能者について」で、予言者のことを書いたからだと思います。

アメリカ 911同時多発テロを予言した(?)と言われる、ブラジル人、ジュセリーノ・ルース氏の予言では、「2008年6月13日、大阪でM6.3の地震が発生」と言っていたそうです。正確には当たりませんでしたが、拡大解釈して「当たった」という人がいます。(すごい拡大解釈!)

そしてネットで話題になったのは、手塚治虫氏の漫画『ブラックジャック』第17巻・第158話「もらい水」の中で、「6月14日午前8時ごろ 東北一帯にマグニチュード7.5の地震発生」とあるそうです。(年は書いてません) それを今回の岩手宮城内陸地震の「予言が当たった」と騒いでいる人たちがいます。

このふたつ、ジュセリーノ・ルース氏の場合は「予言がはずれた」ということだし、手塚治虫氏の場合は、「予言」でも「予知」でもなく、単なる偶然。(あっ、「偶然」なんて書くと、怒られるか)

必ずといっていいほど出ますよねぇ。こういう大きな事件や災害が起こったあとは。

俺は、彼らの「予言」が当たっていても、外れていても、どっちでもいいです。予言の内容そのものにあまり興味がありません。

俺が興味を持っているのは、どうして、こういう大地震や大災害が起こったとき、「この大地震は予言されていた」とか「大災害の予言が当たった」と思う人たちが、起こったあとにたくさん現れるのだろうか?ということです。こういうのを「事後予言(じごよげん)」と呼ぶらしい。(Wiki 「予言」参照

ここに、人間の不思議さと、おもしろさと、いかがわしさを感じます。言うなれば、人間臭い部分です。こういう胡散臭いところ、嫌いではありません。(霊視や占いもしかり。信じませんが、おもしろい)

起こったあとに「予言」が増えるのは、やっぱり当たらないと思っている証拠でしょうか。ホントに信じていたなら、あとに、ではなくて、起こるであろう大地震に備えるからです。でも、そういう備えをしたという話は、いっさい聞きません。

つまり、「予言」というドラマを、ワクワクしながら楽しんでいるとも考えられます。逆説的に言えば「予言は信じます」という人ほど、「予言は当たらない」と無意識では思っているのかもしれません。「当たることはない」とわかっているからこそ、ワクワク感を安心して楽しむことができるからです。とくに災害の場合は。

予言者を期待する人間の気持ちというのはわかります。予言は当たっても外れても、結局たいした問題ではありません。(偶然に当たるときもあるでしょうが)

人間の能力を超越したところのものへの憧れ、あるいは、期待。いつの時代も、「予言者」の存在は必要でした。これからも存在し続けると思います。

社会が不安定であったり、先が見えないときは、とくにそうだと思います。今の時代がまさに「その時」なのでしょうか。

ただし、あくまでも「予言者」です。「予言」はその付録みたいなものでしょう。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/03/14

ご冥福お祈りいたします

080314

これは、Sさんがとても気に入ってくれた冬の棚田の写真でした。

大雪の降る日、Sさんからあたたかい雑煮のおもてなしを受けたことを、昨日のことのように思い出します。

ご冥福お祈りいたします。

| | コメント (0)

2008/01/09

雲南省の棚田 4 バックパッカーが地球を救う

080109
この年末年始にかけて、「環境」「地球」をキーワードにした番組が多かったように思います。それだけみんなの感心が高くなっている証拠なのでしょう。

過去、大きな文明が滅んでいったのは、快適さや便利さの麻薬から抜け出せなくなったこと、というのもひとつの理由でしょうか。もちろん俺も、快適さや便利さに慣れきっているひとりです。

あるコメンテーターは「エネルギーを使いすぎているのはわかるけど、今さら江戸時代のレベルには落とせないんだよなぁ」と言っていました。

俺も、そう思います。でも、待てよ、とも思いました。レベルを落とせないと考えるのは、便利さや快適さが、右肩上がりに「上昇」することがあたりまえだという思い込みからきているのかもしれません。

たとえば、バックパッカー。必需品はすべてバックパックひとつに収まってしまうし、発展途上国を旅すると、エネルギー消費や便利さと快適さは、江戸時代並、と言ってしまうと大げさですが、でも、日本で日常生活しているときと比べると、確実に「低い」のです。

だから、できないことではないし、逆戻りしたからと言って、不幸なんかではありません。その覚悟があるかどうかですかね。かなりの覚悟ですが。

正直、俺にはまだその覚悟はできません。一時的な旅ならいいですが、一生となると考えてしまいます。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/01/04

初夢は、雲南省のカステラ

080104
(写真は雲南省元陽の棚田)

初夢は、食べ物の夢でした。

場所は中国雲南省。ビニール袋に入った黄色いカステラを売っている商店で、どんな大きさのものを買おうか迷っているというものでした。雲南省のカステラは、しっとりとした食感があり、好物です。ただ、どうして大きさがバラバラなんだろうと思っているところで目が覚めました。

去年は食品の偽装や改ざん問題がたくさんあって、世の中を賑わしました。今年も、食に関しての関心は高くなっていくことでしょう。

そういう意味で、初夢が「食」に関するものだったことに、少し因縁を感じます。たぶん当ブログでも、「食」に関したことをたくさん書くことになりそうです。初仕事も、「食」の撮影だし。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (2)

2007/12/18

雪は、嫌いだけど、好きだ

071218
一昨日は、山形県朝日町の旅館に泊まったのでしたが、翌朝、目の前の消雪道路を眺めながら、女将さんと話をしていたら、最近雪が降らなくなって助かっていますよという話になりました。

実は私も出身は河北町なんで、雪がないと助かる気持ちはわかりますよといいました。

そうなんですよね。俺は気象学者じゃないので、雪が少なくなっていることが、地球温暖化のせいなのかどうかわかりませんが、もしそうならば、「温暖化」で助かっているところもあるんだなぁと思いました。ただし、局地的なメリットよりは、全地球的なことから考えなければならないのでしょう。そこまで切羽詰った問題だと思います。

雪国の除雪費の負担は莫大なものです。雪下ろしは大変です。かといって、雪がまったくなくなったら、これもどうかなと思いますが。雪が多いという「逆境」を逆手にとってスキー場などをやっているわけだし、雪による経済的メリットはあるし、山に積もった雪は、ゆっくりと融けて田畑を潤してくれる貴重な水資源になるし、なにより、雪景色の美しさを知っているのも、雪国の人たちです。

だから雪に対しては、「嫌いだけど、好きだ」という感情ではないでしょうか。俺はそうです。矛盾するふたつの感情を雪に対しては持っていますね。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/11/19

2008年の干支、「子 ねずみ 鼠」のトンパ文字

071119_2
ぼちぼちと、このブログに「トンパ文字 年賀状」などの検索ワードで来てくれるようになりました。2008年の年賀状の季節になったんですね。

俺は、旅が多く、季節感の少ない東南アジアなどの外国へも行くし、普通の会社員ではないので、正月、お盆などの決まった休みもないので、意外と季節には無頓着かもしれません。唯一、田んぼの色で感じてはいますが。

なので、「年賀状」「トンパ文字」「象形文字」「干支」などの検索ワードが来ると、あぁ年末が近づいているんだなぁと感じます。

とりあえず、2008年の干支、「子」のトンパ(東巴)文字の基本形を載せておきます。これから年末にかけて、徐々にパターンを増やしていきます。参考にしてください。

Ya_2雲南ナシ族トンパ文字のページ


071119_1
    ●●●

「ネズミ」というと思い出すのは、元陽のモンピン棚田で民家に泊めてもらったときのこと。

その日一日、太陽の光を受けて、刻々と変化する棚田をずっと見て過ごしました。最後は西側に太陽が沈み、1日が終わり、なんて贅沢な時間の過ごし方ができたろうと、そのときは、満足だったのですが・・・。

さて町に帰ろうとして、最終バスを待ったのですが、7時半の予定が、8時になってもバスはやってきませんでした。月も昇らない真っ暗な夜で、まったく途方にくれてしまいました。

と、そのとき、暗闇で口笛が聴こえました。よほど真っ暗な闇が怖かったのでしょう。ハッとして身構えてしまいました。そして灯がつきました。地元の青年が持っている懐中電灯でした。

彼は村へ帰るイ族の青年で、俺が事情を話すと、「バスは来るときと来ないときがある。良かったらうちに泊まって、明日の朝、元陽に戻ればいい」と親切に言ってくれました。これ以上、この暗闇で来るか来ないかわからないバスを待つのは、危険も感じたので、この青年の好意に甘えることにしました。

それで彼の家に1泊させてもらったのですが、夜中、何かの拍子に目が覚めて、窓から射し込む月明かりに照らされた床をボーっと見ていると、黒い小さい影が、いくつも横切っていました。ネズミたちの運動会が始まったのです。

障害物競争でもやっているのか、俺の布団の上や腕にも登ってきて、そのたび、ネズミを振払ったりして、ほとんど眠れませんでした。

翌朝、彼のお父さんはニコニコしながら「よく眠れたかい?」と聞くので、「もちろん、よく眠れました。ありがとうございました」と、俺は目に隈をつくりながら、爽やかに嘘をついたのでした。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/11/18

トンネルを抜けると、桃源郷だった (3) それでも俺は「桃源郷」を探したい

071118
どうしてこう、何事も自分の思い通りにならないのでしょうか。今までのことを振り返ってみても、「こうあってほしい」ということが実現したことは、ほんとに少ない。

理想とする状態が、何でも実現してしまうのは、それこそ理想的な「桃源郷」と言えるのかもしれないけど、実際、そんなことはないし、もし仮にそんな簡単に何事も実現してしまったら、嬉しくも楽しくもないと言うことにもなります。矛盾してますね。

なかなか思い通りにならないからこそ、なったときは嬉しいし、幸せな気分にもなります。だからこその「桃源郷」なのでしょう。

そう考えれば、桃源郷の入口には、命を失ってしまいかねない危険があるのもうなずけるし、「擬似的な死」とか「死と再生の儀式」が必要でもあるのでしょう。

でも、それをわかってもなぁ・・・と凡人の俺は思ってしまいます。

思い通りにならない辛さが弱まるわけではありません。辛いのは辛い。それは変わらない。でもしかたないんでしょうね。

なんてこった。

それでも俺は「桃源郷」を探したい、とは思いますよ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/11/15

トンネル恐怖症

071115
俺は、トンネル恐怖症なのではないか、という話は以前書きました。

「車中泊の撮影旅 (2) 天城山隧道」(2007/10/09)。

↑のトンネルは、四国のどこだったか、山の中のトンネル。

トンネルは、俺にとって、再生の儀式の道具なのです。いったん死んで、母親の子宮から再び出ようとする胎児のように。このトンネルを通過しない限り、新しく生まれ変れないとすれば、この狭さと暗さに我慢しなければならないんでしょう。

でも、やっぱり怖い。もしかしたら、もうこのトンネルから出られないのでは?という怖さがいつも付きまといます。まぁ、怖さがなかったら儀式にもならないんですが。

俺は死にました。そして、また新しい世界に出ることにします。簡単ではないかもしれませんが、このトンネルは何とか抜け出さなければ・・・。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/09/23

「プチ★不幸」な人間

070923
映画『ウルガ』のオリジナルサウンドトラックCDを聴きながら、これを書いています。心の深いところに染み入るような、ほんとにいい音楽です。だから、今日は、ちょっとした「幸福論」を。

キャサリン・ゼタ=ジョーンズ主演の映画『幸せのレシピ』が公開されますね。

でも、この映画の内容について書こうというのではありません。(キャサリン・ゼタ=ジョーンズはいいなと思いますが) このタイトルから思い浮かべる、ある特殊な「幸福」についてです。

幸せのレシピというものがあるとすれば、それは、家庭料理の味がそれぞれ各家庭のレシピで違うように、幸せのレシピもそれぞれ違っていて当然です。これしかない、という絶対的なレシピはないのです。

「プチ★不幸」という言葉を思いつきました。

ホントに不幸であっては、不幸を感じますが、かと言って、周りからも、自分自身でも幸せだと思える状況になったとき、そこに違和感を覚え、むしろ、少し不幸目の方が、逆に幸せを感じてしまうという人間、それを「プチ(小さな)★不幸」な人間と呼ぶことにしましょう。

「少し不幸目に幸せを感じる」と書きましたが、「少し不幸目だと気持ちが落ち着く」「どこかに不幸を抱えているほうが楽だ」ということかもしれません。

ほんとに人の気持ちは謎ですね。周りからも「あなたは幸せだね」といわれ、自分でも「幸せだ」と自覚があって、にも関わらず、心の深いところでは幸せを精一杯感じていないことに気がつく瞬間。いや、誰が見ても幸せだと思える状況になる前に、その状況を拒んでしまう、ということもあります。

なんででしょうかね。自分が幸せになることは、別な他人を不幸にしていることを気にするからでしょうか。だから、自分が幸せになることの後ろめたさでしょうか。幸せと感じる気持ちは長続きしないかも、という怖れでしょうか。あるいは、幸せに伴って付いてくる責任の重さがたえられないからでしょうか。

いずれにせよ、この「プチ★不幸」の状態で落ち着けるなら(幸せに対する免罪符であれ)、これもまた、幸せのレシピのひとつであることに違いはありません。人それぞれなんだから、それでいいと思います。ちょっと特殊と言えますが。それを認めてくれる人がきっといます。

俺の中にも、「プチ★不幸」な人間の、性質はあるようです。だから、そういう気持ちはわかります。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

旅する画家、「福井昭夫絵画展」

070923
友人の『福井昭夫絵画展』が、自由ヶ丘のギャラリー喫茶「るなん」で開かれています。

福井さんは、アジアを旅する絵描きです。今年3月の、「『福井昭夫 旅の絵画展』 アジアの風景」(2007/03/22)でも紹介しました。

10月2日まで。(26日(水)は定休日)
12:00~21:00 (最終日20:00)
COFFEE&GALLERY るなん
東京都目黒区自由ヶ丘1-9-6
Phone 03-3724-1785

自由ヶ丘南口を出て、メルサの向かい側、東京書房の2Fです。

今回は、アジアの花の絵と、イエメン、タイなどの風景画です。福井さんの絵に囲まれ、コーヒーでも飲みながら、アジアの風を感じてください。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/03

苦手な電話のセールス

070803
(写真は、旧高山町役場に展示してあった古い電話)

電話のセールス。苦手です。

対応を間違えると、ちょっとやっかいになります。とくに不動産関係ですね。俺は、そういうセールスの電話が来ると、「お金がありません」「けっこうです」と言って、途中で切ってしまうのですが(これ、普通でしょ?)、何か、相手の「闘争心」に火を着けてしまうところが、たまにあるようです。

特別嫌な感じで対応しているとも思ってないし、相手を罵倒するわけでもないのですが、どうも、相手の何か触れてはいけない部分に触れてしまうのかもしれません。何度も電話されてきて、「いいかげんにしてくれ」と、受話器をガチャンと置くこともありました。

なので、ここ何度かかかっていた(最初かかってきたのは1ヶ月前くらいか?)電話に対して、今日は切らずに、話を聞いてあげ、それで、購入する意志のないことをわかってもらい、ようやく終わりました。たぶん、もうかかってこないでしょう。

今から、10年以上前ですが、やっぱり、マンションのセールスだったと思いますが、このセールスマンとのバトルが3ヶ月間ほど続いたことがありました。もちろん「いらない」と断っているんですよ。それでもしつこく何度も電話をかけてきました。留守番電話にまで録音されるようになりました。

それから、1ヶ月半ほどの海外旅行に出たのですが、帰ったとき、さすがにもう大丈夫だと思っていたので受話器を取ってみると、またあいつでした。そのしつこさには、腹が立つというよりも、恐怖を覚えたものです。

ここまで来ると、相手も、セールスなんてどうでもよくて、俺を困らせることに生きがいを感じ始めていることはわかりました。後ろに入っている、仲間の罵声。たぶん、わざと俺に聞かせていたんでしょうね。「そっちに行くぞ!」と言われて、俺は正直ビビリました。

本当は、そんなことはしないんです。そんなことすれば、自分が逮捕されることを知っているからです。(住所は知らないし) 単なる脅しなんですが、ただ、何ヶ月も続くと、来るかもしれないと思い込んでくるんです。

以前、俺は、犬に噛まれやすい性格だと書きましたが(「俺はどうして犬に噛まれるのか?(1)~(4)」2006/07/29)、やっぱり、これも同じ理由なのかな?と、思わないこともありません。

みなさんは、こういう電話にどうやって対応しているんでしょうか? いい方法があったら教えてください。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/05/16

人は、飼い犬に似る

070516
事情があって、妻の実家から2週間の予定で、ビーグル犬を預かっています。犬とは相性のあまりいいとは言えない俺なので(犬に噛まれた話は、以前書いた「俺はどうして犬に噛まれるのか?(1)~(3)」を、噛まれやすい性格については「俺はどうして犬に噛まれるのか?(4)を参照)、世話はもっぱら妻の役目。

名前はピッピ。14歳のおばあさん。↑の写真。「可愛く撮ろう」という意志の感じられない写真であることは、俺も自覚してます。当ブログは、「愛犬ブログ」ではないので、ご了承ください。(でも、生き物の悲哀は感じるでしょ?)

目も見えない老犬ですが、食欲だけは、驚くほどあります。食べて排泄して眠る。これだけシンプルなことはありません。「生きる」とは、突き詰めていくと、この3つかなと思うほど。

ピッピを預かってから、なぜか眠くてしかたありません。俺も、食べて、ウンコして、ブログ書いて、眠る、シンプルになっているような気がします。「犬は飼い主に似る」とか、「人は飼い犬に似る」とか、言われていますが、俺の場合、後者のようです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/15

国民投票法案成立 投票所での疑問

070515
国民投票法案が参議院本会議で賛成多数で可決、成立しました。いずれ投票する日が来るのでしょうか。

国民投票法案が与党の賛成多数で可決・成立
(asahi.com http://www.asahi.com/business/reuters/RTR200705140043.html 参照)

ところで、投票所での疑問があります。

先月、選挙がありました。俺も投票に行きました。

投票日が近づくと選挙管理委員会から葉書が届きます。名前が書いてある投票所入場整理券。それをハサミで切って持って行きます。

俺が指定されている投票所は、近所にある高校の体育館ですが、入っていくと、「どうぞ」と言われて、係員にその整理券を渡します。すると、名前が呼び上げられ、投票用紙が渡されます。

それを持って机の前へ行き、候補者の名前を書き、二つ折りにして投票箱に入れると、「ご苦労様です」と声がかかりますが、これで終りです。

不思議に思いました。

何か? それは、IDの確認がないことです。免許証や国民健康保険証の提示もないし、生年月日や住所を聞かれるでもありません。ということは、別人が投票できるということですよね。

もちろん、して悪いのですが、してもわからない方法になっています。どうしてなんでしょうか? 投票所に実際来た人と、チケットに書いてある名前の人が、同一人物であると、確認しなくてもいいんでしょうか。「そんな悪いことをする人はいない」などという、のんきな理由ではないでしょう? ここでは、たまたまそうなのか、どうもわかりません。それとも俺の勘違いでしょうか。

名前が「@@子さん」と読み上げられたとき、来ていたのが男性だったら、不審がられますが、同性だったらわからないでしょう。たまたま知り合いがそこに来ていてもバレますが、都会だと、その確率はあまり高いとは言えないし。悪意を持った人間が、この整理券を「売買」することを考えることはないのでしょうか。

国民投票が実施されることになったとき、どうするんでしょうか。


そういえば、日本でIDを確かめられることは、外国と比べて少ないように感じてきました。外国ではパスポートを携帯していて、国によっては、街を歩いていても、パスポート提示を求められたりしました。日本ではあまりありません。(外国人に対しては頻繁にやっているんでしょうか)

昔、アメリカ大統領が来日した日、地下鉄の銀座駅で、警官から職務質問を受け、持っていたスポーツバッグを開けさせられたことがありました。

当時やっていたアルバイト、ビルの窓拭きで使う「シャンプー」、「スクイジー」、軍手、20mのロープ、金具各種が出てきて、かなり怪しまれました。道具の使い方をいちいち説明して、ようやく解放されました。でも、そのときも、IDを証明するものは持っていなかったし、それですみました。

自分が、自分であることを証明するのは意外と難しいのです。でも、それをあまり気にしない社会というのは、みんな顔見知りで、「自分」が「自分」であることを証明する必要がない、悪いことができないという「村社会」の延長と考えればいいのか、個人などどうでもいい、つまり「庶民」と一くくりで考える「お上」の伝統が残っていると考えればいいのか、どうなんでしょうか。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/10

賢すぎるカーナビ

070510
カーナビって、不思議なものですね。カーナビの登場で、「旅」が変わっていくのを実感しています。

俺は普段は使いませんが、レンタカーに付いているので使います。その便利さに驚きます。(今どき、こんな話題で、かなり遅れているのは自覚していますが)

とくに夜ですね。カーナビを使わないときは、地図を頼りにドライブするわけですが、暗くて地図が見づらいということがよくあります。それで何度道を間違えたことか。

それと、夜のドライブは寂しいもので、カーナビからの「この先、5kmで右折です」などという女性の声に癒されます。そのうち、話し相手になってくれるカーナビなんかも登場するのではないでしょうか。眠気防止にもなると思うし、夜間走行するトラックの運ちゃんに需要はあると思うのですが。

でも、カーナビを使うことで、目的地までの途中の意味が変わってきます。俺が日本の棚田の旅を始めたのは、今から7、8年前ですが、もし、カーナビを使っていたら、これだけ棚田を探す旅にのめりこんだか、ちょっと疑問です。

便利なカーナビは、使いたい人だけ、使いたいときだけ使えるので、選択肢が増えたことは悪いことではありません。ただ、探すおもしろさを求める旅では、俺は使わないかなぁ、と思いますが。便利さが、必ずしも「旅」のおもしろさに結びつきません。人に道を尋ねることも少なくなってしまいます。

カーナビを使うと「運転する」から「運転させられる」感じがしないでもありません。大げさに言えば、自由度が下がるような・・・。そのときの気分で、こっちに行きたいのに、あるルートを指定されてしまったり、裏道を通ったり、地図では右折できそうなところも、実際は右折禁止のところも、ちゃんとそこを迂回して誘導してくれるとか、最近のカーナビは驚くほど賢いんですよね、いや、賢すぎます。

そのうち、慣れてしまうんでしょうか。ケイタイが普及して「待ち合わせ」の意味と方法が変わってしまったと同じように。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/09

東北地方の撮影旅行を終えて 日本は広い !

070509_1
(写真は新潟県夏井のはさ木)

東北地方の撮影旅行を終えて、一段落着きました。今度は、今月20日ころから出かける予定です。

それにしても、日本は広い。

「広い」と感じるときは、車中泊しながら旅しているとき、かな? 反対に、同じ日本を「狭い」と感じることもあります。東京の電車の中で、知人に向かい合わせで会ったりする偶然を体験すると、「世間は狭いなぁ」などと思いますね。(「世間」と「日本」は違うんだけど)

俺は最初、中東やヨーローッパなど、自分とは遠いところを旅しようとしましたが、「棚田」以降、日本を旅することが多くなりました。日本の旅行が、「おもしろい」と思えたのは、「探すことができる」からでした。棚田百選のリストをもらって、集落の名前を頼りに、人に聞きながら探し歩く、そのこと自体がおもしろかったことが、棚田の旅、日本の旅にはまった大きな理由のひとつといってもいいでしょう。

つまり、「探すことができる」ということは、日本を「広い」と感じたからです。狭かったら、どこも全部知っていて(知ったつもりになっていて)、探すことはありません。日本を旅してみるまで、俺は、日本は狭いと思い込んでいたのでした。

「旅」は自分で作り上げるもの、と言ってもいいでしょう。どんな旅がおもしろいと思うかは、まったく個人の感性しだい、ということなんですね。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/27

反面教師

070427
4月27日、金曜日、曇りのち晴れ

今日は、母校で講義を頼まれました。卒業生が後輩たちにメッセージを送るもの。

「卒業生」とは言っても、俺は、ほとんどバイトざんまいで、外国に行ったきり帰ってこなかったような学生だったので、自慢じゃないけど、「りっぱな学生」ではありませんでした。

それでもいいということだったので、今回の講義を引き受けました。「反面教師」としては、いい教材なのでは?と思ったからです。

ところで、今回実家で初めて大学の卒業証書を見ました。(ほんとに卒業していたかどうか確認しました) 俺は卒業式にも出席せずに、すぐ神奈川県にちり紙交換のバイトに出てしまったので、卒業証書は郵送してもらったのです。だから実際には見ていませんでした。

今回、卒業以来、初めて足を踏み入れた大学校内。20数年以上たっていますが、なんとなく建物の様子は覚えていました。

講義を受けてくれた学生たちを見て、こんな初々しい時期、俺にもあったんだろうかと思いました。メコン川や棚田の写真を映し、どんなふうにして「写真家」になったのかという話をしました。それと「旅」から学んだ偶然の出会いの大切さ。もちろん、留年した話や、卒業式に出なかった話もしました。それから「自分探し」はほんとに必要なのか、ということ。

こっちをちゃんと見ていたので、それなりに真剣に聞いているなぁという実感はありました。とくに、バックパッカーについては興味津々でしたね。新入生なので、100人いるうち、外国へいったことのある人は、10人くらいでした。たぶん、これが2年、3年生になってくると、外国旅行体験者は増えていくのでしょう。ぜひ、学生時代にバックパッカーを体験してもらいたいですね。(俺みたいになっては困りますが)

最近の学生は、一時期の「しらけ」世代とは変わってきていると聞きました。「いっしょうけんめい」がまた美徳として復活しているのかなと思います。

真剣に聞かれると、こちらもできる限り対等に、まじめに返事をしようと思ったし、緊張感が生まれて良かったのではないでしょうか。彼らからエネルギーをもらった気がします。今日の話は、難しいところもあったかもしれません。だから、何年かあと、「あぁ、あおやぎさんが言っていたのはこういうことだったんだ」とわかってくれれば嬉しいですね。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】


| | コメント (0)

2007/04/19

『福井昭夫作品展』 大阪で

070419
友人の絵描き、福井昭夫さんの個展情報です。

先月、埼玉県浦和の和風ギャラリー「楽風」で個展を開いたことや、ふたりでトークショーをやったことは書きました。(福井さんについては、前の記事『福井昭夫 旅の絵画展』を見てください)

今度は大阪です。近くの方は、どうぞ。俺も撮影旅行の途中で立ち寄るつもりでしたが、期間中大阪まで行くのは難しくなってしまいました。残念。

『福井昭夫作品展』
2007年4月23日(月)~28日(土)
11:00am~7:00pm(最終日は5:00pmまで)
マサゴ画廊
〒530-0047 大阪市北区西天満2-2-4 (裁判所西側の筋小山医院角入る)
06-6361-2255

マサゴ画廊のホームページはこちら


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/15

現代彫刻美術館特別展示 『松田重仁 展』

070415
松田重仁君と再会してきました。

高校の同窓生で、彫刻家です。

彼の作品は、パブリックコレクションとして、山形市役所、江戸川区総合区民ホール、多摩区総合庁舎、関西電力本社などでも展示されています。

直接会うのは、15年ぶりくらいではないでしょうか。いつのまにか音信不通になっていました。と、言うより、こいつとは、またどこかで会うだろうと思っていたので、特別連絡を取りあう気もなかったのですが。そういう人って、いますよねぇ。

高校時代は、それほど親しい付き合いをしていたわけではないのですが、やっぱり「サラリーマンではない」生活をしていると、しかも、写真、彫刻というアート系の仕事をしていると、自然に再会するもんなのでしょう。

ところで、彼は、「高校時代、いっしょにデッサンしたよね」などといいましたが、覚えていません。当時は、俺も絵に興味を持っている時期なので、したと言われれば、したのだと思います。(自分の写真家としての物語に必要ないものは忘れてしまったようです)

おととし、新潟県松代の農舞台で写真展をやったとき、松田君もそこで展示したことを聞き、その偶然に驚いたのでしたが、去年、『大地の芸術祭』について触れたとき、出展者である松田君のことも書きました。彼はインターネットで自分の名前を検索して、この記事を「発見」し、連絡をくれたのです。そして今回の再会につながりました。ブログのすごさですねぇ。

作品は「浮遊する水」をテーマに制作しています。偶然なのですが「棚田」と関係がなくはない。彼の性格が表れているようなやさしく自然な作品群です。小川を流れている木の葉を、のんびり眺めているような心地よさを感じました。

興味のある方は、いってみてください。

第9回現代彫刻美術館特別展示 『松田重仁 展』
2007年4月14日(土)~6月24日(日)
開館時間:午前10時~午後5時 (入場は午後4時30分まで)
月曜休館・入館無料
[4/30(月)開館 5/1(火)休館]

現代彫刻美術館
〒153-0061 東京都目黒区中目黒4-12-18 
電話03-3792-5858

現代彫刻美術館のホームページはこちら

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/03/31

桜に浮かぶ絵

070331
昨日は、埼玉県さいたま市浦和のギャラリー楽風で、旅する絵描き福井昭夫氏のお話会に行きました。

俺は今回進行役を勤めましたが、ちょっと難しかったですね。自分のことならぺらぺらしゃべることができるのに、人の話を聞き出すことの難しさを初めて知りました。でも、福井氏の生活の素朴さと絵に対する誠実さは伝わったのではないでしょうか。

休憩時間で出したイランのお茶や、なつめの砂糖菓子、何とかいうナッツは好評だったようです。(売ってる店をみんなに聞かれました。御茶ノ水にあるイラン商店「ダルヤー」です。「ダルヤー」とは「海」を意味するペルシャ語です。丸の内線出入口のある大通りを秋葉原方向にいった、神田川沿いにある店です。店主は日本語OK)

お話会が始まる直前、窓から見た光景が↑に掲載の写真です。福井氏の絵が、桜の中に浮かんで見えました。外と内の明るさのバランスがちょうどいいとき、窓ガラス越しに、これが見えるのですが、考えてみれば、この数分間、しかも桜は昨日が満開のようで、1年でこの日しか、この光景には出会えないということなのでしょう。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/03/28

「記憶は作られる」

070328
家で仕事をしているときは、ラジオをつけていますが、ふと、「記憶は作られる」という言葉にハッとしました。それで、仕事の手を休め、急いでラジオのボリュームを上げたのですが、もう話題は、他のことになっていて、だからどういったことから「記憶は作られる」という言葉が出てきたのかは不明です。

自分がなんで、この言葉に「異常に」反応したのでしょうか。

雑誌やラジオのインタビューを受けたとき、かならず言うことがあります。それが最近は、すんなりと言葉が出てきて、極端に言えば、せりふの一語一語さえも決まってきたようにも感じます。それは何かというと、写真を始めるきっかけを聞かれたときの俺の答えです。

パリでギャルソンのアルバイト中、レストラン近くの本屋で写真集を立ち読みしたとき、たまたま感動した写真集が日本人撮影の写真集だとわかって驚いた。写真は言葉がわからなくても万国共通語になるんだなぁと思った。それが写真を始めたきっかけだと。

ところが、あるとき、当時の日記を見つけたので、そのときの感動をどう書いていたのか調べたことがあるんです。そしたら、「写真集に感動した」なんていう文章は見つかりませんでした。「バゲットはおいしい」とか「フランス語はたいへんだ」とかは書いていましたが、写真集については触れてないのです。書くほどの印象ではなかったようです。

これは意外でした。なぜなら今から思えば、俺が写真に本格的に興味を持ったのは、たしかにこの写真集との出会いがターニングポイントになっているからです。さんざん人にもそう説明してきました。

人の記憶ってあいまいです。いや、ターニングポイントは、その時点ではわからないということでしょうか。そのときは重要ではないように感じることでも、何年か後、とても意味のあることに変わってくる、そういうことでしょうか。

それとも、記憶とは、自分の都合の良いように再構成されるということなのかもしれません。すべての出来事を覚えていることはできないでしょう。だから意識上は(無意識ではわかりませんが)、どれかを捨てて、どれかを覚えておくということで、記憶を整理しなければなりません。こうやって自分の記憶を積み上げていっているのでしょうか。

ある意味、自分に都合のいい「物語」ですね。もちろん、嫌な思い出さえも、ですが。なんとなく、俺の答え方に、自分で後ろめたさを感じなくもない・・・。もちろん嘘ではないのだけれど、写真を始めたのは、それだけが理由ではないし、シンプルに語りすぎているのではないだろうか? 作っているのではないだろうか? 分かりやすさに媚を売っているのではないだろうか?という後ろめたさです。だから、ラジオからの「記憶は作られる」という言葉に異常に反応してしまったのだと思います。

いや、実際問題、限られた時間内に話をしなければならないときは、しかたのないことなのです。だからこれからも、その答え方をしていくに違いないのですが。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】


| | コメント (2)

2007/03/15

雲南の「おもしろさ」を買う

070315
(写真は、雲南省北西部、梅里雪山とチベット集落)

雲南関係の仕事が入ってきたので、雲南で撮影した写真をあらためて見直しています。

そういえば、去年は1回も雲南に行ってないんですよね。そんな年は、ここ20年で、3回(年)くらいで、ほぼ毎年少なくとも1回は雲南に行っていました。今年は行けるでしょうか。

それにしても、自分で言うのもなんですが、よくこんなに雲南省の写真を撮ったものだと感心します。よほど暇なのか、バカか、というくらいです。職業として考えると、経済的にはほとんど成り立ちません。にも関わらず、撮り続けるには、かなり強力なワケがあるはずです。

それはなんなのか? まぁ、一言で言ってしまえば、「おもしろい」からです。「おもしろさ」は大切です。たぶん、雲南が、肌に合ったのでしょう。一目惚れしたと言ってもいい。とにかく、おもしろくないと、なかなかそこまでのめりこむことはなかったわけです。

でも、こんな俺の行動が、「市場原理」からすると、やっぱり理解できないと考える人もいると思います。どうしてお金にもならないことをいっしょうけんめいやるのか?と。(実際は、少しだけお金になっていますが) なので、こう考えてみてください。

俺が雲南に行かないと、その時間を使って仕事をしたときに稼げるお金があるわけです。そのお金を使って雲南の「おもしろさ」を買っていると考えるんですね。バーター交易です。お金は見えませんが、ちゃんとお金が動いていると考えてみるんです。

よく「お金にもならないことを」と言う人がいますが、それは正しくないかもしれません。ちゃんとお金は動いている、ただ見えないだけです。「おもしろさ」を与えてくれる雲南に、俺がお金を払うのはあたりまえです。そう考えれば、摩訶不思議な行動も、市場原理から理解されるのではないかなと思います。どうでしょうか。

それはボランティア活動もそうだと思いますよ。「無償で」助けるといいますが、そういう活動をすることによって、助ける人が、助けられる人から、「満足感」「達成感」「生きがい」「やりがい」などを、見えないお金で買っているんです。表面上は「無償で」活動しているように見えるだけ。

こう言った方がわかりやすいでしょうか? 「満足感」「達成感」「生きがい」「やりがい」を与えてくれるんだから、お金を払っても当然だと。(あくまでも、お金を払っているのは、助ける活動をしている人の方ですよ) 

そう考えれば、助ける人は傲慢にならないし、助けられる人も卑屈になることもないし、対等な関係をもてると思います。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/03/09

ゴミ屋敷

070309
昨日の「ゴミタワー」に引き続いて「ゴミ屋敷」のことを書きます。どうも、気になるんですよね。いや、俺は「ゴミ」に寛容なのです。

写真(↑)は30代の頃借りてたアパートの部屋です。(今住んでいるところは、もう少しきれいですよ) 俺は、この部屋を「コックピット」と呼んでいました。イスから動かずに、電話、パソコン、もろもろを操作できて便利だったからです。(ここ、自慢話です) よくこんな写真を撮ったと思いますが、そしてまさか、この写真が日の目を見るとは想像もしていませんでしたが。

俺は「ゴミ屋敷」に迷惑している近所の人の気持ちはわかります。風が吹いて飛ぶかもしれない、生ゴミは臭い、火事になったら危ない。確かにそうでしょう。でも、例えば北海道のゴミ屋敷が、東京や大阪の人間に迷惑をかけているとはとうてい考えられません。

「みんなに迷惑でしょ?」「いつ片付けるんですか?」とレポーターは突っ込みます。レポーターの彼女(彼)の後ろには、「善良な」視聴者がいます。「こんな迷惑な人がいるんだ。ほんとにひどい人ね。まわりに迷惑かけるなんてとんでもない」と、「善良な」市民は、我が事のように憤慨します。自分の道徳心を満足させてくれるかっこうの話題なのかもしれません。

大きな犬を公道で散歩させたり、香水を付けて電車に乗り込んだり、電車内で携帯を使ったりする迷惑行為は、自分の身に降りかかる確率は高いけれど、ゴミ屋敷は、かなりまれな例ですからね。安心して見ていられる話題です。

しつこく取材するレポーターにキレて、北海道のごみ屋敷の主人は「うるさい! ばばぁ!」とか暴言を吐いてしまいました。こぶしを振り上げて、殴ろうとします。そうするとレポーターは「こんなひどいことを言われました」「私たちは何もやってないのに、殴られそうになりました」といって怒ってみせます。でも本音は、主人の「ひどさ」を強調できるので「いいコメントと画が撮れた」とほくそえんでいるのです。俺だって、しつこくカメラを向けられたら怒りますよ。

反対に、ゴミ屋敷の主人が「改心」して、片付けでもしようものなら、「善良な」視聴者は、その姿を見て満足するのです。そしてレポーターは、まるで正義の見方のように満足な顔をテレビの画面にさらすのです。

なんなんですかねぇ。これはフェアじゃない、バランスを欠いていると思います。レポーターと視聴者が「道徳心」という錦の御旗を立てて、よってたかってひとりの人間を糾弾する一種の見せしめですね。イジメと言ってもいいでしょう。

別な、東京近郊のゴミ屋敷の主人は、おばあさんでしたが、関係者によると「彼女は孤独を埋めようと、ゴミを集めているんでしょう」だって。こちらのテレビレポーターは、北海道のとは違って、おばあさんに誕生日プレゼントにケーキまで持ってきてあげていました。それは、孤独感をなくし、ゴミを集めないようにしてもらおうというのでしょうか? 

一見違ったタイプのレポーターですが、根っこは同じ。よってたかって、彼女を「まともな」人間にしようと奮闘します。おばあさんが、それでも、のらりくらりと、嘘をついたり、とぼけたりしながら、ゴミ集めを続けるのがとても痛快です。そういうレポーターの本心を見透かしているようです。

別に俺はゴミ屋敷の主人たちに肩入れするつもりはありません。確かにゴミ屋敷は、周辺住民には迷惑です。仮に隣の家がゴミ屋敷なら、俺は隣の人と戦うでしょう。言ってもわからないヤツなら、窃盗犯になってもかまわないので、勝手にゴミを片付けるでしょう。

でもみんなで糾弾するほどどひどい人たちでしょうか? 今の社会になじめない人、むしろ、社会の弱者というふうに見えるんですが。昨日も書きましたが、「ゴミ集め」は、「もったいない」という無意識の「表現」なのではないかとさえ思います。今の社会に「何か」を訴えているような気がしてならないんです。

政治家など、糾弾すべき人はたくさんいます。そっちの方をまず、「まともな」人間にしてあげたほうがいいのではないでしょうか。

俺は想像してしまうんですよね。ゴミ屋敷ほど目立たなくても、ちょっとした迷惑をやったとき、集団で糾弾される怖さを。いや、自分でも迷惑だと自覚していることなら、しかたないのですが、でも、自分で正しいと思っていることで、もし集団で糾弾されたとしたら? 「数の暴力」とでも言ったらいいんでしょうか。あるいは、「善意の暴力」といってもいいかもしれません。それが、とても恐ろしい・・・。

「まともな」人間しか許してもらえない社会が、そんなにいいでしょうか? 俺たちは、「あなたは、まともじゃない」と、誰から判断されるのでしょうか? 人事じゃないんです。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/03/08

「ゴミタワー」を「創作」したオヤジ

070308
「犯罪」と「創作」は紙一重のところがあるんですよね。などと、以前書いたことがあったと思いますが、まさに、このゴミタワーは、そのことと関係があります。

“築10年”10メートルゴミタワー解体
スポニチ http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/03/02/01.html 参照

ゴミを自宅の屋根に積み上げた、いわゆる「ゴミ屋敷」の変型版。高さは10m以上にもなっていて、見たところ『ハウルの動く城』みたいです。ゴミタワーの中には、「菜園」まであって、植物も栽培されているし、片付けている作業員たちはさかんに「臭い、臭い」と言っているので、何かが発酵しているのでしょう。微生物たちにとっては天国なのかもしれません。

ここで問題になっているのは、住宅街にこれを「創作」してしまったことでしょう。隣近所の人たちにしてみれば迷惑な話です。

だから、周りに民家もない場所でこれを「創作」したとしたら、たぶん、ゴミタワーのオヤジが「芸術です」と訴えれば、みんな「そうですね」と納得するかもしれません。仮に積極的にホメることはなくても、迷惑でないかぎりにおいて、消極的には認めてくれると思います。

さかんにレポーターは、「どうしてこんなことをしたの?」とオヤジに聞いています。でも、オヤジは、わけのわからないことを繰り返すだけです。「どうして」なんて、オヤジにもわからないんではないでしょうか。これを「創作」せざるをえない心の状態だったと、俺は想像するだけです。「もったいない」という無意識の「表現」なのかも、と。

これを「創作」するのに、10年以上かかったらしいですね。よくここまでやったな、という驚きを与える「作品」です。人の心を揺さぶる作品を創るのが芸術家であると定義するならば、このオヤジもそういっていいのかもしれません。芸術に、道徳とか、法律とか持ち出してきても、あまり関係ないでしょうからねえ。

もちろん、俺は、ある人たちとって「ゴミ」でも、別な人たちから見たら「芸術」にもなりえる、そしてそのふたつの境界は意外とあいまいだと言いたいだけであって、オヤジを全面的に支持したり、賛同したりしているわけではありません。念のため。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/26

「鈍感力」について

070226
(写真はミャンマー・パガン遺跡)

「鈍感力」ということばが話題になっています。元総理の小泉さんが言ったことで話題になりましたが、もともとは渡辺淳一氏の『鈍感力』というエッセイがあります。

渡辺淳一オフィシャルブログ
(http://watanabe-junichi.net/archives/2007/02/post_49.html 参照)

安部総理がまわりを気にしすぎているのを見かねて言ったという話もありますが、これが話題になること自体、今の日本人に欠けているから、「そうだよな」と思わせるところがあるのかもしれません。そして「鈍感」はどちらかというとマイナスイメージだったので、その意外性にも注目させられるのでしょう。

話題になったから言うわけではありませんが、俺も、似たようなことを考えていたので、「こんな言葉だと、しっくりくるなぁ」と、感心しました。(渡辺淳一氏の『鈍感力』も知らなかったし)

本の内容からすると、人間関係が主題のようです。細かいことを気にしないというか、もっと大きな包容力を持って人と接しましょうということでしょう。敏感なのだけが良いわけではない、行き過ぎるとよくないという意味でもあると解釈できます。

とくに最近の言葉狩りのような、言葉尻をとらえて、ああでもない、こうでもない、こんなことを言った、あんなことを言ったと、問題になることが多いように思います。その細かな(中には見過ごせないものもあるのは確かですが)ことにエネルギーを使ってしまい、本質的なことがおろそかになってしまっては、元も子もありません。そんなことも意識した小泉さんの発言だったかもしれません。

これは「鈍感力」と言えるかどうかわかりませんが、いつも思っていることがあります。「部分」を積み上げていっても、「全体」になるかどうか?と言えば、俺は疑問に思っています。「全体」は「全体」として、感じなければならないし、見なければならない。「部分」をひとつひとつ正確に理解しても、全体を理解したことにはならないということです。同じように、「部分」を正しいものにしたとしても、合わせたその「全体」が正しくなるとは限りません。

ぼんやりと見ることも大切なんですね。本質が逆に見えてくることがあるかもしれません。この「鈍感力」は、あまりにもギスギスし、細々したことに右往左往する今の日本人に、ちょっとしたショックを与える効果はあるのではないでしょうか。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/25

どうして年齢を聞きたがるのか?

070225_1
(写真はミャンマー・インレー湖)

日本人旅行者が出会うと、たいていは早い段階で、年の話になることが多い気がします。欧米系旅行者と会っても、いきなり年を聞かれることはあまりないので、これは、日本人特有なのかもしれません。

先輩後輩を気にする、目上を敬うなど、儒教的な文化があるからだと言われますが、とすると、中国人や、韓国人もそうなのかもしれませんが、年を聞いて、自分との関係が決まらないと、不安なんでしょうね。(人事のように言いますが)

学生たちを見ていてもどこの大学で、何年生で、という話をよくしていますよね。(おじさんには最初から近づいてこないので、年を聞かれることもないし、いや、すでに俺の場合、だいぶ上であることは見かけでわかるので、あえて聞く必要がないからでしょうが。ちょっと、ここ、仲間にしてもらえない、ひがみが入っています)

学生にとっては、年とともに重要なのは学校名らしい。日本では、学校名は、一種「身分」と考える人たちもいるようなので、それを聞いて、自分とその人との関係を作っていかなければならないので大切なんでしょう。

以前、ある旅行者と会い、話をしているとき、俺に対して敬語を使っていたので(この人は年を聞きませんでした)、ずいぶん丁寧な人だなぁと思っていました。見たところ、俺よりも5歳くらい上の人のようでした。

ところが、2、3日たって年の話になったとき、俺が彼よりも若いことがわかり、びっくりしていましたが、それ以来、俺を呼ぶとき、「あおやぎさん」から「あおやぎくん」に劇的に変わり、今度は俺がびっくりしました。(それだけ、老けて見られたということでもありますが) でも、それで関係がもっとしっくりしたように感じましたが、気のせいでしょうか。俺も、実は気にしてないようで、気にしているのかもしれません。

まぁ、それが良いとか悪いとか言うつもりはもうとうありませんが、外国を旅していて、不思議だなぁと思っていたことのひとつです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (4)

2007/02/24

説教したいお年頃

070224
(写真はミャンマー・インレー湖畔)

俺がまだ20代のころ、旅先でよく説教されました。

俺は説教されやすい風貌をしていたのではないでしょうか。もともと、年上でも年下でも、あまり年齢を気にしないで話ができる性格ではあるようです。というより、俺は子供のころから人の話に合わせるのがうまかっただけなのですが。

しかも、どことなく地に足が着いてなく、何度も書いてますが、まだ何をやっていいか分からない時だったし、そういうのが風貌にも現われていて、格好の説教相手だったかもしれません。そして若いころは、俺も今よりは素直な人間だったので、説教も「はい、はい」言って、神妙に聞いていたようです。「説教しがいのある人」と「説教しがいのない人」というのがあるのでしょう。

説教するのは、30代、40代の先輩バックパッカーで、ある意味ためになることもたくさん教えてくれるし、こちらとしては、むげに拒否するのも悪いなぁと思っていました。それがある時期から、説教されるのが嫌になり、そういう場になると席を立つなどして、だんだん拒否するようになっていきました。それは、俺自身の年齢が上がっていったということもあるでしょうが、これも風貌に現われ始めたのではなかったでしょうか。「こいつに説教しても聞かないだろう。つまらない」というような。(つまり、素直じゃなくなってきた)

それにしても、どうして中年バックパッカーは、若いバックパッカーを見つけては説教してしまうのでしょうか? 説教するということは、自分が正しいと思っているからできることでしょう。自信があるんでしょうね。俺なんか自信もないし、今までやってきたことはぜんぜん一般化できないものだと感じているので、たとえ説教しても、役に立たないだろうと思っています。

というより、俺は若者に説教して「いい人生」を与えたいとも思わないし、その義理もありません。どんな生き方をやろうが、勝手にやってください、ということです。だから、若い人に会っても、自慢はするけれど説教はしていないつもりです。(でも、その自慢が説教に聞こえるかもしれませんが)

ただ、もちろん助けを求められたり、意見を求められたりしたときは別です。多少説教くさいことも言います。それを素直に聞いてもらえると、正直、快感があるんですよね。たぶん、この快感を求めて中年は説教するのではないでしょうか? 優越感?もあるのかなぁ。当然ながら、自分よりは「下」、あるいは「弱者」と見なしている人にしか説教はしませんねぇ。ただ「下」に見るといっても、軽蔑するほどひどくはないです。せいぜい、カワイイ「ペット」に対する態度くらいでしょうか。

俺は、説教はしないけど、体験談はしゃべりたいほうです。(blogやってるということ自体、その証拠でしょ? もちろん、ちゃんと興味を持ってくれる人にだけですが) その話を聞いて、「なるほど」と感心したり、「こうだけはなりたくないなぁ」と軽蔑するのは自由だし、気にしません。でも、正直に言えば内心、もし俺と同じような感性・感受性を持っている人(絶対数は少ないですが)なら、俺の体験談から何かを感じ取ってもらえるはず、とも思っています。俺自身、若いころ、そういう中年バックパッカーに出会って、説教ではなくて、体験談から、「そうか」と教えられたこともあったのです。

ひとつ提案ですが、説教する中年の話は拒否しないで聴いてみてください。説教したいお年頃なんです。悪気はないんですよ。かと言って、けっして若者たちの行く末を案じてのことでもありませんが。表面では「はい、はい」言って聴いていれば、中年は満足なんです。そういう話の中には、とてもためになる話も、たまーに、ありますので。損はないですよ。(これも「提案」の名を借りた「説教」かもしれませんが)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/01

「恋人たちの等間隔の法則」

070201
これは池袋で見た光景です。

鳥も、電線に止まるときは等間隔になるんですね。日本や中国やベトナムやイランの公園へいったとき、恋人たちが等間隔で並んでいたのを思い出しました。混雑したときだけなんですが、面白いくらい等間隔ですよね。

あとでそこに来た人(鳥)が、すでにいる人(鳥)の、ほぼ中間に入るからこうなるんですね。これを俺は「恋人たちの等間隔の法則」と名付けることにします。この法則は、国籍や民族に関係なく同じだし、鳥も同じだったんだと今日気がつきました。(鳥は恋人じゃないけど)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0)

2007/01/20

ケイタイが気になる

070120
この前電車に乗っていたら、おばさんが携帯と口を隠すように手で囲って電話していましたが、大声で話をしていたので、声はあたりに響いていました。俺は「手は意味ないよ」とは思いましたが、「うるさい」とは思いませんでした。

でも、こういう時も現れるんですねぇ。道徳的な人が。おばさんの方を見て、「みんなに、迷惑だから」とたしなめるサラリーマンふうのオヤジ。おばさんは、ばつが悪そうに、「また電話するから」と小声で言うと、携帯を切りました。それをみたオヤジは、満足そうでした。

どうして携帯で話す声が気になってしまうのでしょうか。

同じ音量でも、ふたりで「会話」しているならそれほど気にはなりません。

ひとりでブツブツつぶやいていても、声はあまり気になりません。(つぶやくそのこと自体は、気になりますが)

「ひとりで会話する姿(しかも片方の声は聞こえない)」が不自然で、慣れないからでしょうか。その違和感はあるでしょう。ただ、これはそのうち慣れていくのではないかと思うし、大きな理由ではなさそうです。

一番の理由はこうかな?と思います。注意したオヤジは「みんなに、迷惑だから」と言いました。でも、本当は、「俺が使ってないのに(我慢しているのに)、お前だけ使っているのは気にくわない」ということかもしれません。

それならそれで俺はいいと思うのですが、このオヤジが気に入らないのは、「みんなに」と言うことで、オヤジの要求は「社会的な道徳・正義」ふうに偽装されたので、おばさんはぐうの音も出ず、それがオヤジには二重の快感をもたらしたということです。本音はオヤジの個人的な好き嫌いでしょう。「みんなに」と言っても、俺は違いましたから。かってに俺を「みんな」の中にいれないでほしいよね。

俺はそもそも、電車内(飛行機内とは違う)で、人が携帯使っていてもそれほど気になりません。もちろん、身動きもできないほど混雑しているとき使われたら気にするでしょうけど。

それなら、「次は、○○○駅です」とか「携帯電話はマナーモードに設定し、通話はご遠慮ください」とか、うるさいくらいに車内放送があるけれど、俺にはこっちの方がよっぽど気になるんですが。でも、この放送には抗議しない。どうして? お金を払って「乗せてもらっている」という意識が、文句を言うことさえ思いつかない、ということなのでしょうか。

というか、もう慣れっこになっているんでしょうね。俺もそうですけど。町中、どうでもいいような放送だらけです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ
人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/01/02

初詣の雰囲気

070102
この前、インターネットでバーチャル参拝では物足りない、などと書いたのでしたが、まぁ、バーチャル参拝も悪くないかも、と思ってしまいました。

というのも、元旦初詣にいったのは、西東京市の、とある神社でしたが、境内に鳴り響くアナウンスの声がうるさくて、まったく興ざめだったからです。

「横7、8人で並んでください」「うしろを詰めてください」「次の人たちに続いてください」「右によって」「左が開いています」だの、「お賽銭は出しておいてください」「財布のチャックは閉めてください」だのと、とにかくうるさくて、厳粛な気分になるなどほど遠く、ほんとにがっかりしてしまいました。

しかも、おみくじさえも、巫女さん(バイトだとしても)ではなくて、警備員のおっさんが仕切っていて、お金を渡すと、木の筒を渡されました。出てきた棒には「26」の番号。札を見てみると「吉凶何とかかんとか」。吉と凶とが両方現れるらしい。「人に疑われるが、それを晴らさないと災いが起こる」とも書いてありました。なんでしょうか? 何を疑われるのでしょうか? まったく幸先が悪い。せっかく気持ちを一新して、写真活動をやろうとしていたのに。

もちろん、警備の仕事を依頼されたこの警備会社に個人的恨みはないし、文句を言ってもしかたないですが、神社側には、初詣というものの雰囲気作りにもう少し気配りが欲しかったですね。「行けばいい」というだけではないように思うので。行ってもしかたないなどと思い始めたら、みんなネット参拝者になってしまいますよ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/12/26

初詣は、インターネットで参拝

061226
初詣は、ネット上のバーチャル参拝で済ませる人もいるんですね。

神社のネット参拝 神社本庁が注意喚起
全国約8万か所の神社を包括する神社本庁が、全国の神社に対し「信仰の根幹に関わる問題だから、もう一度考えていただきたい」と注意を喚起、ちょっとした論議になっている。
J-CASTニュース http://www.j-cast.com/2006/12/25004582.html YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20061218nt06.htm 参照)

この記事の中で取り上げられていた愛宕神社を「参拝」してみました。そしたら、どーってことないものでした。こんなんだったら、電網写真館のトンパ文字のページと大差ないでしょ? おみくじもあるし、スロットマシーンまであるんだから。

遊び心で、便利なように、身近に感じられるように、流行に乗ってネット化するというのも面白いじゃないですか。信じる人それぞれですからね。ネット参拝で「ご利益がある」と信じる人にとっては「ある」んだし「ない」と信じる人にとっては「ない」んです。

とても重要なこと、例えば、神前結婚式するのに、パソコンを立ち上げて神社のホームページを開き、それを前に式を挙げるカップルは(今のところ)いないでしょう。要するに、参拝したとしても、どうでもいいような程度の参拝の時だけだと思いますよ。

他人の信仰心はわかりませんので、ここではあくまでも「俺はこうする」と言うことしかできません。

「参拝した事実」がほしいのならネット参拝で済むのでしょうが、俺は、あのキリキリする冷たい空気を吸って、神社という(俺にとっては)非日常の場に立つことで、気持ちを新たにしたいと思っています。そのためには体を使うことが必要だから、実際に出かけて行って、甘酒や焼きそばを食べて胃袋を使わなければなりません。ネット参拝では、ものたりない。だから、ネット参拝には、あまり価値を見出せません。

でも、そういう信仰心の問題だけではなさそうです。

もし、バーチャル参拝が、正式に認められてきたら、きっと出てくるんでしょうね。「お賽銭」が「振込み」を指示するものだったりするページが。「あっ、これはアレと似てるなぁ」と思ってしまうのは、俺ばかりじゃないでしょう? 新手の振り込め詐欺。神社本庁は、それを恐れているのかもしれませんね。あるいは、お賽銭が集まらなくなるとか。

Ya_2初詣に行ってみたものの・・・「初詣の雰囲気」(2007/01/02)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/12/25

クリスマスの奇跡 処女懐胎したコモドドラゴン

061225
イギリスの動物園で、世界最大のトカゲであるコモドドラゴンのメスが、オスとの接触がないのに卵を産んだそうです。処女懐胎したメスの「フローラ」は、聖母マリアになぞらえて、話題になっているそうです。

あまりにもグッド・タイミングで、クリスマスに合わせた「奇跡の話」かな?と、へそ曲がりの俺は疑ったのですが、そうではなかったようです。珍しいことにかわりありませんが、実際あることなのだそうです。不思議ですねぇ。

「脊椎(せきつい)動物の単為生殖は珍しく、報告例は約70種、全体の約0・1%程度にすぎないという。」http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20061220-132904.html 参照

インドネシアにコモドドラゴン(コモドオオトカゲ (Varanus komodoensis) )を撮影に行ったのは、今から4年前の2002年10月、ちょうどバリ島で爆弾テロが起こったときでした。コモド島からバリ島に戻ったその夜、テロは起こったのでした。

コモド島へは、バリ島からフローレス島まで飛行機で飛んで、船に乗り換え、島を目指しました。コモドドラゴンは、コモド島にいるのはもちろんですが、その隣のリンチャ島にもいるとのことだったので、寄ってみました。

それにしてもこの海はすごかったですね。小さな船で穏やかな海を進んでいくんですが、周りに点在する島々が、まるでチベット高原で見た山とそっくりなんです。海が山とそっくりだというのもへんな話だと思われるかもしれませんが、チベットも大昔は海だったというし、その当時の様子はこんな感じだったのではないでしょうか。

そのリンチャ島に到着し、船を下りて桟橋を進んでいくと、そこに長さ1m半ほどのドラゴンの置物がドーンとありました。観光客用の土産かな? 近づこうとしたら、「待て!止まれ!」と管理人の男はあわてて俺を止めました。なんと置物だと思っていたものは、本物のコモドドラゴンでした。

よく見ると、確かに動いています。過去、観光客もドラゴンに襲われて怪我をしています。冗談じゃありません。ほんとに危険なんです。それが、何の柵もなく、普通にいるところがさすがです。保護区なので当然なのですが。

昔は観光客のために、ヤギを餌にしてドラゴンを呼び寄せていたそうですが、今は、やっていません。餌を与えることは禁止されています。でも、歳とった(つまり大きい)ドラゴンは、管理棟や観光客用のレストランの近くにやってきて、慣れた感じで餌をねだるので、野生の威厳は失われています。(島の奥に行けば人間から逃げるドラゴンもいますが)

島を巡るには、レンジャーといっしょにまわらなければなりません。ドラゴンがいる場所まで案内してくれます。それと、他にも野生動物がいるので、説明してくれます。毒蛇がぶら下がっていたときは、そこを迂回させてくれました。でも「これが野生のニワトリです」と説明を受けたニワトリは、普通のニワトリとどこが違うのかわかりませんでした。それと「野生のブタ」。イノシシではありません。普通のブタに見えましたが、野生だそうです。「飼い主がいない」という意味なんじゃないか?などと思いました。

島の中心部から桟橋に戻るとき、きらきらと輝く海を背景に、コモドドラゴンが100mほど先をのっそりのっそり歩く姿を見たとき、太古の時代にタイムスリップしたような気分でした。『ジュラシックパーク』ですね。

ところで俺はよく「コモドドラゴン」のことを「コドモドラゴン」と言い間違えてしまうんですよね。(前も書いたような・・・)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/12/16

匿名の著作権は?(2)

061216
匿名に著作権はあるのか?という話を昨日書きましたが、調べてみたら、過去、裁判がありました。

それはインターネット上の匿名掲示板に書き込んだ内容を無断で出版物に利用したことが、著作権法違反に問われた裁判です。匿名の記事にも著作権が認められたのですね。(ただし条件付きです)

ITmedia NEWS http://www.itmedia.co.jp/news/bursts/0204/15/13.html 参照

人からもらったメールを勝手にホームページやブログに掲載するのも、場合によったら違反になります。とすると、昨日俺がブログに載せた「勝手に人の写真を使ってホームページを作るな。恥ずかしいぞ」というメールにも匿名者の著作権はあり、掲載した俺は罰せられるのでしょうか。

でも、それこそ匿名で相手に連絡もつかず、「載せていいですか?」と聞くこともできないし(聞いたところで「いいですよ」と言うはずもないですが)、ただこの場合、単に「嫌がらせ」と客観的に認められると思うので、だいじょぷでしょう。いってみれば、相手は、俺の写真かどうか俺に確かめもせず、一方的に攻めているんですから、俺は被害者といってもいいでしょう。俺はせめてその馬鹿げたメールをブログに公表することで、鬱憤を晴らしているのです。それくらいしかできないでしょ。言われっ放しというのは、あまりにも不公平です。匿名者の著作権だけ守られるのはおかしい話です。

こうは言えるでしょうね。匿名者にも権利が認められたということは、それと同時に責任も伴うということです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/12/15

匿名の著作権は?(1)

061215
昨日、写真無断使用のJTBの話を書きました。今後、著作権の問題は、ますます複雑に、また大きくなっていくと思われます。

その話の中で、写真をなくされると悲しいと書きましたが、この感覚が最近変わってきています。それはデジカメの場合、オリジナルの写真(スライド)というものが存在しなくなったからです。

データなので、コピー(どっちがコピーで、どっちがオリジナルかなんていうのも意味ない)が手元に残るし、「なくされる」ということ自体がなくなりました。ただ、「勝手に使われる」ということはデータになったことでますます多くなってしまうでしょうが。いずれにせよ、10101010・・・といったデータそのものに愛着が沸くことはなく、「悲しい」という感情はありません。元データからいくらでも再生できるので。

これからの「写真」というものの意味を考える場合、アナログからデジタルに変わるという、その技術的方法からだけではなく、もっと精神的・心理的な変化を考えないといけないのかもしれません。

突き詰めていけば、10101010・・・という数列に、「オリジナル」を感じる、感じなければならないわけです。(そういう意味で、DNAなんかもそうです) ただ、今の俺は、その感覚をすんなり受け入れるには、かなりハードルは高いですね。そのうち慣れるんでしょうか。デジカメを使っている人は、そんなこと気にしないんでしょうか。引っかかっているのは、また、俺ばかり? だから、今のところ、結局、プリントした時点で、ようやくオリジナルが発生するというふうに考えています。

ところで、ホームページを開いて間もないころ、「面白い」嫌がらせのメールがきました。こんな内容でした。

「勝手に人の写真を使ってホームページを作るな。恥ずかしいぞ」

というものでした。著作権を侵害しているというのです。もちろん、ホームページの中に使っている写真どころか、地図や絵さえも、自分で作った100パーセントのオリジナルだったので、俺はそのとき、バカ正直にその相手に返信し、自分の写真であることを丁寧に説明しました。それに対する返事はもちろんありませんでしたが。

それにしても、「人の写真」というくらいだから、どこかで俺の写真を見ていたのでしょうか。そして、「いい写真」だったから、こういうメールも来たんだと、俺は、いい方に解釈して、匿名のメールに対するもやもやした鬱憤をはらしたのでした。いや、正直言うと、俺は打たれ弱いので、今でもこのメールに対してはもやもやしたものを持っています。

匿名の快感は俺もわかります。匿名の意見の有用性もわかります。匿名の方がいい場合もあります。俺も匿名になることもあります。ただ匿名というのは、実体がない、それこそ10101010・・・というデータに思えることもあります。データと喧嘩するつもりはありません。

匿名で著作権を主張できるのでしょうか。だれか知ってたら教えてください。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/12/08

正しい日本食レストランの認証制度について

061208
(上の写真は、イランの首都テヘラン、日本食レストランSの「キャビア寿司」。ふたつの軍艦巻きの上に載っているのがカスピ海産キャビア。メニューには「みそしろ」もある)

昨日、正しい日本食レストランの認証制度のニュースについて書きましたが(「海外の日本食に農水省がお墨付き?」)、今日も一言。

やっぱり、なんとなく、しっくりこないなぁ。どうしてでしょうか。俺は外国で食べる「妙な日本食」が、嫌いではないからかもしれません。それと、文化は生き物で、固定されたものではないからです。

日本にある日本食レストランはどうなんでしょうか? それは自由でいいんでしょうか? 自由でいいんでしょうねぇ。老舗レストランの高級食材を使った何万円もする日本料理と、駅前の安食堂で食べる450円の奇妙な丼物と、どちらも「日本料理」、どちらも「日本文化」です。

まぁ、でも、こんなことに目くじら立てるのは、俺だけかもしれません。世の中、格付けが必要とされています。ありがたがられています。有名なところでは、フランスの「ミシュラン」。タイ料理にもあるそうですよ。格付けやお墨付きがあったら便利だしねぇ。冒険したくない人にとっては「良い」とされている店に行けば、とりあえず安心で、自分で考えなくてすみます。

レストランに限らず、ブランドを崇拝する人たちは、たくさんいます。(俺も、怪しいメーカーのフィルムより、有名なメーカーのフィルムを使いますが)

ところで、雲南省大理は、80年代からバックパッカーのたまり場として有名でしたが、日本人のために日本料理を出す食堂もたくさんできました。中には「カツ丼」や「トン汁」など、かなりレベルの高い日本料理を出すところもありました。

俺も10年ほど前、ある店で日本料理を教えたことがあります。その店の女の子は麗江出身のナシ族で、熱心にレシピをメモしていましたが、「日本料理、好き?」と聞いたとき、「甘いから嫌い。でも、商売になるから」と答えられたとき、なんとも言えない寂しさのようなものと、商魂のたくましさを感じたのでした。

形は似ていても、なんとなく違う味は、彼女が日本料理を舌(感覚)で作っているのではなくて、頭(知識)で作っていたからでしょう。ほんとに「妙な日本食」でした。そのあと、この店がどうなったかわかりませんが、たぶん、たくさんの日本人旅行者の舌に鍛えられて、味は洗練されていったと思います。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/12/07

海外の日本食に農水省がお墨付き?

061207
海外の日本食レストランに対して、日本の農水省がお墨付きを与えることが検討されているそうです。

まず、農水省のホームページには、「海外日本食レストラン認証有識者会議の設置について」がありましたので紹介します。

海外では、日本食レストランと称しつつも、食材や調理方法など本来の日本食とかけ離れた食事を提供しているレストランも数多く見られます。
このため、海外日本食レストランへの信頼度を高め、農林水産物の輸出促進を図るとともに、日本の正しい食文化の普及や我が国食品産業の海外進出を後押しすること等を目的として、海外における日本食レストランの認証制度を創設するための有識者会議を設置します。
http://www.maff.go.jp/gaisyoku/kaigai/ 参照)

最近は、日本食ブームで、形だけまねをしただけの「ニセモノの日本食レストラン」が多くなり、とくに、寿司などは生ものを扱うので、正しい知識がないと、実際危ない。「生食が危ない」となると「生食をする日本食が危ない」というようなイメージになっていく可能性もあり、日本の食文化が誤解される心配があるとのこと。もっともな考えに一見思えますが・・・。

俺が20数年前、フランスのパリでバイトをしていた話は前に書きましたが(「フランスでアルバイト」2005/5/8)、「ニセモノの日本食レストラン」で働いていた立場から言わせてもらいます。

白状します。実際、料理人はみんな素人でした。俺も料理人が休んだとき、厨房に入って料理を出したこともあります。ほとんどは日本人だったので、生ものの扱いはある程度分かるので、食中毒問題は起こさずにすんだのですが。ただ、料理については、「これが日本食?」と思うのも、実際出していましたねぇ。(経営者は、日本人ではなくて、韓国系フランス人だったので)

大使館員や駐在員などが現地の日本食レストランに入って、「これは違う」「まずい」「まともな日本食を食わせろ」と怒っているからこういう話が出てきたのではないかと、俺は勘ぐっています。

「ちがう」とか「まずい」とか思うんだったら、行かなきゃいいんですけど。でも、「まずい、まずい」と言いながら日本食レストランにしか行かない(行けない)日本人がいるのはよく聞く話です。とくに仕事で行っている人は、けっして現地が好きで自分から行ったわけではないので、なるべく現地の料理は食べずに生活している人がいるのも知っています。旅が好きな人間からみると、もったいないと思うんですが。

そして、どうなんでしょうか。日本にも怪しい「フランス料理」「ベトナム料理」「タイ料理」などありますよね。昔は、とても「本物だ」とは言えないものがたくさんありました。日本人の口に合わせた嘘っぽい料理でした。最近は、タイ人、ベトナム人がやっている本物の料理店が増えてきたので、だいぶましになったのではないでしょうか。

フランスでバイトしたあと、日本に帰国した当時、フランスパンが食べたくて探しましたが、だいたいは「フランスパン」という名の「ふ」みたいなパンしか売ってませんでした。「これのどこがフランスパンなんだ?!」と憤慨したものです。(実は今も売ってるよ。「●●パン」のフランスパンだよ! がっかりだよ!)

よほどやり方をうまくやらないと、これは世界中から非難を浴びそうな微妙な問題を含んでいます。そもそも「正しい日本料理」なんてあるのかなぁ? 日本では「エスニック料理」と称して、めちゃくちゃな料理を食べているくせに、日本料理だけ「正しい日本料理」しか認めない日本人、なんていうイメージで見られたら、それこそ国益を損なうことになってしまうんじゃないでしょうか。

さて、今日は東京に出たので、昼食はマクドナルドで「照り焼きバーガー」を食べました。でも、これって、日本食? それともアメリカ食? アボカドを使った寿司「カリフォルニア・ロール」は、アメリカ料理? それとも日本料理? 俺が考案(?)したヨーグルトにつぶあんを混ぜたものは、和風のデザート? それとも洋風のデザート? バンコクで見かけたタイ風寿司(上の写真)は、日本料理? それともタイ料理?

きりがないねぇ。まぁ、どっちでもいいや。おいしければ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/11/02

世界的迷画「ぴょこたん先生の微笑」

061101
おとといブログで触れた「毎夜新聞」はみつかりませんでしたが、そのかわり、すごい名画を押入れから発見しました。埃まみれになっていましたが、色がくすんで、逆にいい感じになっていますね。絵が熟成するってこういうこと? 高級感をかもし出しています。相変わらずの自画自賛ですが、「なんでも鑑定団」に出してみようかな。(自分の作品ではだめなんでしょうねぇ)

「どこかで見たような絵」とか言わないでくださいよ。それはきっと気のせいです。これは高校時代の「ぴょこたん先生」の肖像画(水彩)です。文化祭のときに展示したのではなかったでしょうか。クラスで喫茶店を開いたとき、壁に架けたのかもしれません。昨日の「偽札」と違って、これは、みんなのウケは良かったと思います。

「ぴょこたん先生」知らないですか? ぴょこたん先生は、高校のときの俺たちの担任で、数学の先生です。歩き方がぴょこたん、ぴょこたんしてたので、「ぴょこたん先生」とあだ名がつきました。「であるからして、・・・」というのが口癖でした。

ところが先生は、俺が高校卒業して何年かして死んでしまいました。まだ若かったはずです。40歳ちょっと過ぎではなかったでしょうか。かなりなヘビースモーカーだったような気がします。だから絵にもタバコを描いたのでしょう。俺はこの先生が好きだったので(あっさりした性格だったので)、死んだときはショックでした。信頼できる先生のひとりだったのに。(余談ですが、俺が「この人は」と信頼できる人は、早死にしています。カメラ会社のN氏。PギャラリーのH氏などなど)

この肖像画を見て、先生は何と言ったか、今は思い出せません。ただ、怒るようなことはありませんでした。「よく描けているね」と言われたような・・・。いや、それは先生があの世に旅立ったあとに見た夢でのことだったかもしれません。

ところで先生、「お前たち、実は、履修してない科目があったんだよ」なんて、今さら言わないでくださいよ。大丈夫ですよね、あの時代は。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/10/31

35年前の偽札事件

061031_2
写真撮影するつもりで山形に来たのでしたが、腰を痛めてしまって、それどころではなくなってしまいました。10年ほど前にぎっくり腰をやりましたが、それ以来の腰痛。立てないほどではないので、そのうち埼玉に戻れると思いますが。いや、仕事もあるので、週末には戻らなければ。

ところで、実家の俺の部屋をあさっていると、面白いものをみつけました。これは中学生のとき印刷した500円札と1000円札。ようするに「偽札」。(写真右上の一枚は当時使われていた本物の500円札)

中学校のガリ版で印刷して、校内にばら撒いた偽札です。単独犯です。ちゃんと裏も印刷してあります。当時の俺の「技術」と「美意識」では、かなり精巧で完璧なできだと思っていましたが、今見ると「子供銀行券」ですね。こんなにちゃちだったんだ。これじゃあ「偽札」ともいえませんねぇ。北朝鮮のスーパーKとは比較になりません。

でも、これを学校でばら撒いたとき、先生と親に知られ「こんなことすると、警察に逮捕されっぞ」と脅かされ、あわてて自主回収した覚えがあります。「体制批判」としては中途半端でした。いや、これは「表現」だったのではないでしょうか。確かにそのときの俺は、「よくできた」とは思いましたが、これを実際に店で使えると思うほど幼稚ではなく、あくまでもジョークとしてやったようです。でも、こういうブラックジョークは、なかなかウケませんね。大人には「不謹慎」に映り、同級生たちには「ひま人」に映ったようです。

これはそれほどの成果はありませんでしたが、高校では、クラスのみんなの噂話や先生の悪口を書いた「毎夜新聞」という壁新聞を作っていました。これはウケたような気がします。残っていないか、あとで探してみたいと思います。

どうしてこんなことをしたのか。よくわかりません。覚えていません。ただ、驚かせたかったんでしょうね。わくわくさせたいんです。いや、俺自身わくわくしたいんです。たぶん、今、写真を撮っていますが、何か関係あるのかもしれません。

懐かしい精巧な偽札を見つけて、「よし、初心に帰るぞ」と思いました。(どんな初心なんでしょうか)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/10/19

20年前の中国(1) 「ありがとう」がない

061019

まず、日本での話です。

飲食店ですね。よくあるのは。店を出るとき、「ありがとうございました!」と店員さんが言うと、まわりの店員全員も言いますね。まるで、ニワトリかカエルのようです。知ってますか? ニワトリもカエルも一羽(匹)鳴き始めると、次々に広がって大合唱になるんです。(「いらっしゃいませー!」もそうですね)

俺はそれを聞くと、いつも「あっ、またニワトリだ」と思うんです。そして「嬉しい」なんてことはもちろんないし、なんだかこそばゆく、特に、人のおごりで食べたり飲んだりしたあとは、後ろめたさに変わります。「ぜんぜん金払ってないのに、ありがとうはいらないよ。しかも全員で」と内心恥ずかしい思いをしてしまいます。

もちろん、店員は、マニュアルに沿って言っていることくらい、俺にもわかります。「蛍の光・・・」と同じ、単なる「さようなら」の意味のBGMなんでしょう。そして俺が自腹で食べたか、おごりで食べたかなんて、店員は知ったこっちゃないしね。もっとも「また人のおごりで来れればいいですね。待ってます」なんて本音を言われるのも嫌ですが。

昔、中国へ行き始めたころ、1980年代の中ごろですが、中国人に「謝謝(シェシェ。ありがとう)」という言葉はないんだなと思いました。当時は、文化大革命が終わったものの、その荒廃した社会の余韻が残っていた時期で、社会主義的な国営商店へ行っても、食堂へいっても、まず日本的なサービスは期待できず、店で「ありがとうございました」など、言われることは皆無でした。

それどころか、商店では、目の前の商品(爪切り)を指さして「これ、ください」と言っても、店員はなぜか「没有(メイヨウ。ありません)」と言って売ってくれなかったこともあります。目の前の物が「ない」という。存在するものが、存在しないと店員の娘はのたまうのです。まるで禅問答しているようですが、真面目な顔で言うのです。(まぁ、これはあとでわかったことですが、「自分の担当ではない」「めんどうくさい」「今は休み時間だ」といった理由さえ、めんどうなので、一括して「没有」と言って済ませていたようです)

また、甘粛省のある食堂(餃子店)へ入ったときは「何しに来た?」と言われるしまつでした。何しに来たはないよな、食堂なんだから、食事にきまってるだろうが、と内心憮然としましたが、俺は大人なので、冷静に「食べるものはありますか?」と聞くと、店員たちは自分たちの食事をじゃまされて不機嫌になり、「俺たちが食っているんだから、待ってろ」と言って、餃子を食ってましたっけ。俺は店員の食事が終わるのを30分おとなしく待ってました。(大げさに言っているのではないですよ。ほんとにそんな時代だったんです) 「ありがとう」なんて言われる環境ではありませんでした。むしろ、客が「食べさせてくれて、ありがとう」と言わなければならないくらいでした。

ところが現在、店に入ると中国人も「いらっしゃいませ」と言うし、店から出るとき「ありがとうございました」とか「またどうぞ」と言うようになったのです。中国人もニワトリのように、意味のないBGMを大合唱するようになりました。変われば変わるもんだ。

これは日本的接客方法が真似られたんでしょうか? それとも、市場経済という仕組みが、同じような行動を取るように人間を仕向けるのでしょうか? 俺には、80年代の強烈な体験がトラウマになっているらしく、感謝の言葉を聞いたりすると、「きっと、裏があるにちがいない」「ボラれたかもしれない」と、つい思ってしまうのです。悲しいことですが。

世界の常識が通用しない独特の個性を持っていた中国人が、今や経済発展を自慢し、お客に「ありがとう」を連発する「普通の」人間になってしまい、俺は正直、寂しさも覚えています。

Ya_220年前の中国(2) 犯罪者、喧嘩・・・

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/10/10

自爆テロ国家「北朝鮮」と、危ういトレンド国家「日本」

061010
昨日、北朝鮮が核実験に成功したと自己申告しました。まだ、ほんとかどうかわからないですが、嘘だとしても、関係国に与える影響は大きすぎます。それなりの覚悟で発表したのでしょう。まるで、これは国家そのものが自爆テロをやっているようなものです。

ところで、今回の件で、日本がアメリカ(あるいは世界)からどう見られているかわかってきました。

米国で日本核武装への懸念が表面化
【ワシントン笠原敏彦】北朝鮮の核実験予告声明を受け米国では、実験が行われると東アジアの安全保障環境が激変し、日本が核武装するのではとの懸念が表面化している。ワシントン・ポストなど米主要紙が相次いで社説で言及したほか、国務省高官は毎日新聞の取材に対し、東アジアで核武装論議のドミノ現象が起きることに警戒感を示した。
 ポスト紙は5日付社説で、北朝鮮が核実験に踏み切った場合「東アジアの地域安全保障を変化させ、その帰結として日本は核兵器保有を選択するかもしれない」と指摘した。ニューヨーク・タイムズ紙も6日付の社説で「警戒すべきシナリオがある。日本や台湾、韓国が自分たちも核が必要だと考え始めることだ」と主張した。

Yahooニュース参照

アメリカだけではなさそうです。韓国も中国も日本の核兵器保有を心配しています。

韓国のネットではこんな書き込みがあるという。
「北朝鮮のアカどもめ!核実験なんかして日本が核兵器を持つ口実を与えやがって!この親日派!」
「薫のハムニダ日記」参照)

アメリカ、韓国の本音が出ているのではないでしょうか。日本が核武装を決断したら、短期間にやれるでしょう。もちろん、今の時点で日本が核兵器を持つなどということはありえないと俺たちは思いますが、アメリカ人からすると、「何を考えているかわからない日本人」であるし「何をしでかすかわからない日本人」なのです。実際、太平洋戦争ではそうでした。

日本の真珠湾攻撃は、よほどアメリカ人のトラウマであるらしく、911の同時多発テロが起こったとき、「真珠湾攻撃の悪夢がよみがえる」と言ったアメリカ人は多かったようです。その日本には絶対核兵器を持たせてはいけない。それがアメリカの本音でしょう。

そう考えると、昔からアメリカがやってきたことは、まさに日本に軍事力を持たせないためだったのかと納得できます。

アメリカは戦後「理想的」とも言える平和憲法を日本に与え、核兵器はもとより軍隊も持てないようにしました。そして戦争は、特定の戦争犯罪者だけに責任を押し付け、天皇や国民の罪は問わないことにしました。それによって、日本人は罪悪感なしに平和を単純に喜ぶことができました。そしてアメリカに感謝しました。アメリカが原爆を落としてくれたので戦争が早く終わったと考える日本人もいるくらいです。

その後アメリカは軍事的に日本を守り、「平和」という甘い飴を与えられ、アメリカ文化のさまざまな「快感」によって、日本人の意識は「軍備」に向かいませんでした。今、日本とアメリカが戦争をしたことを知らない若者さえいます。アメリカが意識していたかどうかはわかりませんが、こうしてアメリカの思惑はまんまと成功してきたのです。

ところがこの北朝鮮の核保有宣言によって、日本人の「本性」が目覚め、核武装が一気に進むかもしれないと心配するわけです。反米的な俺でさえ、そういうことは感じています。日本人の集団心理については、何度かこのブログでも書いてきました。ヨン様と言えば、ヨン様、斉藤投手と言えば、斉藤投手。トレンドに弱い国民性です。「核武装」については「違う」と否定することができるでしょうか? しかもグッド・タイミングで、タカ派の総理大臣が誕生しました。

今日の街頭インタビューでは、強硬意見が多いですね。(そういうのだけピックアップしているテレビ局の操作もあるのですが) やさしそうなおばさん、おじさんたちが「なめられてはいけませんよ」「もっと強硬手段をとるべきです」、若い人は「核武装すべきですね」としゃべっています。核武装? なんでそこまで極端な意見になってしまうの?

もちろん、俺も、断固とした態度は必要だと思います。北朝鮮から、なめられるのもイヤです。ただ、こういう人たちは今まで北朝鮮の核実験のことなど考えていたんでしょうか。ただ、「核実験した(かもしれない)」とニュースで昨日知って、そしてここが問題なのですが、まわりの人たちが強い調子で非難しているようだから自分もしなければ、しておこう、したほうが無難だ、という「場」を敏感に感じ取って発言しているだけに過ぎない人がほとんどなのです。(といって、何もしゃべるなというわけではありません。俺だってこうして勝手なことを書いています)

「空気を読めよ」と最近はよく耳にするようになりました。もともと日本人は「場」を大切にする民族で、空気を読めないやつは「ダメなやつ」「迷惑なやつ」「白けさせるやつ」なのであって、その「場」の空気を読むことが集団で生きていける必要不可欠な能力なのです。これが日本人特有の集団心理なのだと思います。

つい最近まで「平和こそ大切」と言っていたのではないですか? 一日でトレンドは変わってしまうこの日本という国の危うさ・・・。


Ya_2被爆国という立場の日本


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/10/07

移動する快感

061007
(写真は中国広州市内)

先日、ある雑誌編集者と話をしていたとき、「移動の快感」の話題になりました。

以前、ホームページにも書きましたが、俺は雲南省に行くと元気になり、いいアイディアが浮かんでくるのですが、とくに振動を伴った移動のときですね。がたがたとバスに揺られるとき。日本のような立派な道ではなく、適当に悪いので、いい具合に揺れるんです。

あれは中学生のとき習ったんだっけ? 「フレミングの法則」。親指、人さし指、中指が、お互い直角になるように延ばすと、それぞれが、移動の方向、電流の方向、磁場の方向を表わします。コイルが磁場の中を移動すると、電流が流れるというやつです。

だから地球上の磁場のなかを脳が移動すると、電流が流れるのではないか、などと考えています。しかも適当な振動があればなおさらでしょう。緊張した体のネジが緩んでいくようにリラックスします。それでますます脳が活性化する。こじつけと言われれば、そうなんでしょうねぇ。そして脳がコイル状になっているのかどうかも、問題あるところです。(トルコで、ヒツジの脳みそサラダを食べたとき、魚の白子のようでした。参考までに)

ここ数年、携帯電話をはじめとして、モバイル・インターネット機器の普及率には目ざましいものがあります。移動しながら使える軽いモバイル機器は、これからのインターネット生活には欠かせなくなっていくでしょう。どうしてこんなにもモバイルが早く普及するのかというと、人間の本能と関係あるという説もあります。

人類の祖先は------話は大きくなりますが------、アフリカで誕生し、地球上に拡散していきました。モンゴロイドの一部はベーリング海峡を渡って、アメリカ大陸まで達しました。そこ後も、人類は拡散を続け、今では、宇宙にまで広がって行こうとしています。

それじゃあ、どうして人類は移動したのか? 食料が豊富なアフリカをどうして離れたのか? それはよくわかっていないそうです。どうしても、移動せざるをえないような、もっと本質的なところに関わっているのではないか。移動することが、快感であるということが、人類の本能だからではないか。だから、移動してできるモバイル・インターネットが、これだけ急激に普及するのではないかという説です。

面白い話だと思うし、実際移動することの快感は感じているので、うなずける話ではあります。

移動せざるをえない。移動することは、本能なのだ。とすると、地に足が着いていないような、いつも移動していないとダメな俺の性質も、人類のたどってきた歴史からみたら自然なことであって、なんら後ろめたさを感じることはないのだ。よかった、よかったと、俺は安心するのでした。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/10/05

秋の味覚。マツタケ

061005
(写真は雲南省シャングリラのチベット仏教寺院、松賛林寺)

「秋の味覚。マツタケ」。マツタケ食べて「日本の秋はいいなぁ」としみじみする季節なのでしょうねぇ。

でも、ほとんど庶民が食べるのは、北朝鮮産と雲南産でしょ。「北朝鮮の秋」と「雲南省の秋」は、確かに感じられるかもしれません。(今年は国内産が大豊作とのことですが・・・)

10年ほど前、雲南省の中甸を訪ねました。中甸は、2002年5月、「香格里拉(シャングリラ)」と改名されました。「シャングリラ」とは、1933年に英国の作家ジェームス・ヒルトンが発表した小説「失われた地平線」 に出てくるチベットの山奥にある謎のラマ教寺院「シャングリラ」(サンスクリット語で理想卿の意)のことで、現在では「桃源郷」や「理想卿」を意味する言葉になっています。その小説に出てくる名前を地名にしてしまう中国は、すごい!!

まぁ、それはともかく、当時、中甸では、日本にマツタケを輸出して金持ちになった人たちの家を「松茸御殿」と言っていたようです。日本様様だったのですね。その後、マツタケは年々乱獲されて、取れる量が少なくなっているという話も聞きます。

日本が買ってくれるまでは、価値がない食材で、地元民は取りませんでした。取ったとしても、他のキノコと同じ程度の価値しかなかったようです。

だから、俺が地元の食堂で、マツタケの炒め料理をたらふく食べたことがありましたが、高くはなくて、普通のキノコ料理と同じ値段で食べることができました。中華風に炒めてしまうと、マツタケ特有の香りは感じなくて、もったいない気がしたのですが、そこは日本人の持つ特殊な香り文化のせいであって、地元民にはただ黴臭いだけだったかもしれません。今は、どうでしょうか。日本人の影響で焼いて食べる人もいるのかもしれませんが。

それにしても、日本人がマツタケを「秋の味覚」といって欲しがったことが、雲南省の山中の町の様子を一変させたというのはすごい影響力です。もちろん、変わったのはマツタケのせいだけではないし、変わったことが良かったとか、悪かったとか、俺が言えることでもありませんが。

ただ、日本人の庶民がささやかな食材を求めることさえも、地球のどこかを劇的に変化させるだけの「力」を持っているんだということを、ちょっと恐ろしく感じるだけです。ただ、日本人はすでに食糧の半分以上を外国からの輸入に頼っているわけで、そんな事をいちいちに考えていたら、おいしいものもおいしく感じなくなってしまうので、「鈍感に」ならざるをえないということなんでしょうねぇ。

「庶民以下」の俺は積極的に「マツタケを食べたい」と思ったことはありませんが、でも、もしどこかで出されたら、俺だっておいしく食べるだろうし、「雲南」や「北朝鮮」よりは、「日本の秋」をしみじみ感じてしまうのです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/25

ビルの窓拭きの話

060925
(写真は銀座のビル)

ビルの窓拭きの続きです。

地上とはどこかで感覚の断絶があって、屋上にいると現実感がないと書きましたが、ある日、このことが原因でハッとしたことがありました。

それは屋上にカラスがやってくるのですが、思わず、屋上に落ちているコンクリートのかけらを、そのカラスめがけて投げつけそうになるんです。もし、そのかけらが地上に落ちたらたいへんです。小さなものでも、当たり所によっては人に大怪我をさせてしまいます。地上にいると勘違いしてしまうんですよねぇ。危ない、危ない。

高さについての恐怖心なら、むしろ、10階くらいが一番怖かったです。10階以下だと、ビル自体にはゴンドラ(ワイヤーで吊るされた籠状の乗り物)がついていないので、「ブランコ」という用具で降りてくるのです。それは屋上に縛り付けたロープを地面まで垂らし、ロープをエイトカン(昔はシャックルだった)という金具に巻きつけ、エイトカンに吊るされたブランコ状の板に腰掛け、ゆっくり降りてくる装置のこと。

風が強い日は怖かったぁ。遮るものが何もないので、もろ、風に吹かれて、ビルの窓や壁に半回転してぶつかることもあります。このブランコ作業があったから怖いというのはもちろんですが、やっぱり10階から眺める地面は、36階からとは違って、俺と直接つながる現実感を持つのです。

そして業界内で一番事故が多く起こるのは、意外に2階とか1階でした。

恥ずかしい話ですが、俺も労災保険を受けるほどひどい怪我をしたことがあります。それもなんと1階でした。雨で塗れたビルの床に滑って顔面(というか、正確には前歯なんですが)を強打し、前歯が2本欠けたのです。同僚からは「どうして他は怪我してないのに、前歯だけ折れたのか?」と不思議がられました。「普通滑ったら手をついて顔は守るだろうに」と言われたのです。確かに、そうだよな。俺もそう思いましたが、よく覚えていません。

それが少しネックになったのか、労災がなかなか下りなかったようにも思います。でもなんとか労災が下りたので、義歯も最高のものを入れることができました。

ここからが自慢話です。なぜかというと、医者はこっそりと教えてくれたのです。「これは、まわりの歯の色と合わせることができるセラミック製で、あの松田聖子も入れてるやつだよ」と。(これが事実かどうかわかりません) 「そうか、これは松田聖子と同じなんだぁ」と思って、彼女がテレビに出てくるたびに、まるで友だちのような親近感を抱いてしまいました。秘密の共有者のように。なんという勘違い!!

低いところでは気がゆるむんですかねぇ、事故が多いというのは。その代わり、数は少ないけれど、高いところから落ちたら重大事故、運が悪ければ死んでしまいます。慣れてしまえばどうってことないのですが、けっこう危険な仕事でした。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/24

手で触れられるボクの居場所

060924
(写真は新橋のビル群)

ビルの窓拭きのバイトをしていたという話は、昨日も触れましたが、今日はある感覚の違いについて書いてみます。

ビルの窓拭きは命がけの仕事でした。でも、このアルバイトは性に合っていたらしく、ずいぶん長く続けていました。いや、このバイトがなかったら、旅をして写真を撮るということはできなかったでしょう。2ヶ月休んで旅に出ても、また帰国したら雇ってくれたし。そして実労時間は短く、午後早くには仕事が終わってしまうことも多く、そんなときは都内の写真ギャラリーをまわることができたのです。社長には今でも感謝しています。

このバイトでとくに好きだったのは、品川駅前のパシフィックホテルの屋上36階から眺める「下界」の現実感のなさでした。こういうバイトしていると、「怖くないんですか?」とよく聞かれます。でも、36階になると、かえって怖くなかったですね。下に見える車や人が、玩具や蟻ん子に感じます。自分と彼らはどこかで断絶していて、違う世界に感じるのです。むしろ、10階くらいが一番怖い。

みなさんも、飛行機に乗っているときはそうでしょう。ただ、俺は飛行機の離着陸のとき、車輪になって(車輪の近くに張り付いている自分を想像して)、滑走路の凹凸を感じることはありますが。

そこに俺はあることと似ているなぁと感じています。

東京でもいつか巨大地震は起こるとずっと言われていました。(もちろん、今も) ただ、「今じゃない」、「今日じゃない」、「たぶん明日でもない」と思っていますよね。でも、「いつやって来てもおかしくない。今、来るかもしれない」という反対のことも、ちゃんと頭ではわかっているのです。

10年後にはすでに起こっているかもしれないと思うでしょ? 100年後ならもっと確実でしょう。でも、明日くらいまでは「ない」と信じてしまう。どうしてなんだろう?

「未来」に対するふたつの違う感覚が、共存しているのではないでしょうか。そこがどうも、高層ビルで眺める下界に現実感がなくなる感覚と俺には同じなのです。高層ビルは「空間」で、地震の方は「時間」という違いはあるけれど。自分の手で触れられそうな「未来」と、触れられない「未来」とでも言うんでしょうか。

人間は飛行機やロケット、電話やインターネットで、活動範囲が「広くなった」と感じていますが、実際の生活では、どんなに遠くのことを想像しても、手で触れられる「ヒューマンサイズ」の範囲のことしか本当はわかっていないのではないでしょうか。このブログが、地球の反対側のブラジルで見ることができて、実際見ている人がいると知っても、あまり現実感はないし、汚くて狭い部屋で、このキーボードを打っていることしか俺の体は知らないんです。これは空間の話ですが、時間に関してならなおのこと。「過去」はわかるけど「未来」はだれにもわかりません。

たぶん、、手で触れられそうな「未来」には責任を持たなきゃならないことを気がついているから「地震はない」ということにしておかないと、とんでもないパニックに陥ってしまう。でも、触れられない「未来」には、責任も感じなくてすむので、「地震は確実に来る」と断言することができる。俺たちは、ある範囲、つまり「ヒューマンサイズ」を越えたものに対して、現実感をあえて持たないようになっているのかもしれないですね。じゃないと、頭がおかしくなってしまいます。飛行機になんか乗れなくなってしまいます。精神の自己防衛手段でしょうか。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/19

斎藤佑樹投手の話(2)

060919
(写真はマダガスカル・キリンディー公園のレムール)

斎藤佑樹投手の話は先日も書きましたが(「斎藤佑樹投手の話」2006/9/12)、そのあと、気になることがあったので、ふたたび書いてみます。そのひっかかる部分、うまく伝わるか。とにかく書きますね。

斎藤佑樹投手がテレビのインタビューを受けている顔を何度も何度も観ているうちに(暇だねぇ・・・)、突然、太平洋戦争で死んでいった若い兵士とオーバーラップしたのでした。そして彼らがアメリカ遠征に出発するとき集まった人たちが、「お国のために、りっぱに戦ってこいよ!」と言って、旗を振って戦場に送り出す人たちとオーバーラップしたのでした。

どうしてそんなふうに思ったのかなぁ。彼の髪型や昭和初期を彷彿とさせる容貌? そんなのも影響しているかもしれません。ただ、こんな素直な青年たちが戦場に送られたんだろうなぁと想像しました。

Ya_2自爆テロ国家「北朝鮮」と、危ういトレンド国家「日本」

彼は、素直で謙虚で思慮深い真面目な青年です(と思います)。戦後民主主義教育の「最高傑作」かもしれません。でも、何かが引っかかるのです。

ハチャメチャな青年、亀田興毅選手と斎藤佑樹投手。水と油のように対照的なふたり。でも、一歩引いてふたりを眺めると、「素直な親思い」という点で同じように見えてしまうのは俺だけでしょうか。(亀田選手が親思いだという話は、過去の記事「作られたキャラクター、「亀田興毅」」(06/08/04)に書いています) 彼らほど親の言うことを素直にきく青年もいないのではないかと思っています。いや、今は、けっこう素直な青年が多いのではないでしょうか。

たぶん、俺が引っかかったのは、青年の「素直さ」「純粋さ」などが、「脆さ」「危うさ」に簡単に変わってしまうこともあるのかもしれないなぁという点かもしれません。斎藤佑樹投手個人の話ではなくて。日本人全体の話なんですね。日本人は、あるきっかけがあると一方向に流れてしまう性質を持っていると俺は思っています。トレンドに弱いのです。もっとも、彼らの心の内側は知る由もありませんが。あくまでも、想像です。

じつは、俺も外見的には「素直で真面目な親思いの子ども」でした。だから、なんとなく引っかかるのかも。(外国を旅してから、180度変わったわけですが) 親や先生が求める息子像、生徒像を敏感に感じ取って、それを演じるようなところのある子どもだったので、「素直で真面目」は「見かけ」に過ぎなかったわけです。(最近、そういう子どもが親を殺したりします。この件について、そのうち記事を書こうと考えています)

何度も言うようですが、これは斎藤佑樹投手個人の話ではなく、ひっかかる部分、漠然とした感じですが、わかってもらえたでしょうか。日本人のトレンドに弱い部分でしょうか。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/09/16

昭和の味、河北町ふう「お好み焼き」

Ya_22008年のどんが祭りについては、こちらで


060916

今日から山形県河北町の「谷地どんが祭」が始まっています。昨日記事を書いてから、子供のころのいろんなことを思い出しました。

どんがどっとjpに、ライブカメラも設置されているので、これでも見ながら祭に行った気になっています。(小雨か。傘さした人が見える)

Ya_2「2006谷地どんが祭」

八幡宮の境内に、昔は、見世物小屋やお化け屋敷が立ったのですが、今はどうなんでしょうか。食べ物の屋台は出ているようです。「お好み焼き(どんどん焼き)」や「わた飴」や「焼きそば」などありましたねぇ。

ところで、俺は大学まで山形に住み、そのあと東京に出ました。すぐアルバイトを始めましたが、そこで働いていたのは、日本各地の出身者でした。あるとき、彼らと「お好み焼き」の話になりました。そこで知ったんですよね。「お好み焼き」って、形が違っていたんだぁと。

河北町(山形県も?)で「お好み焼き」と言えば、ソーセージ・海苔をくっ付けたクレープ状のものを割り箸に巻いて、ソースを塗ったものだったのです。今のように食べ物番組もなかったので、山形以外の食べ物についての知識はありませんでした。だから、生まれてからずっとこれが「お好み焼き」だと思っていたし、もちろん日本全国同じ形だと思っていました。

このとき、「それは違うよーー」と、みんなから馬鹿にしたように笑われたとき、初めて河北町の「お好み焼き」が、すごく例外的な形をしているんだと知ってショックを受けました。俺は井の中の蛙だったんですね。

久しぶりに思い出したので昼飯に作ってみました。それが上の写真です。小麦粉を水で溶いた生地の中に、ネギや紅ショウガも入っていたかもしれません。忘れました。今日は、何も入れずに作りました。そして、なかったので青海苔も省略。誰がなんと言おうと「お好み焼き」はやっぱりこの形です。

それにしても、なんて素朴な食べ物でしょうか。昭和の味がしました。みなさんも作ってみてください。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/09/15

「谷地どんがまつり」が開催

Ya_22008年のどんが祭りについては、こちらで

060915
(写真は、中国青海省の祭のサーカス呼込み嬢)

9月16日(土)から9月18日(月)まで、俺の出身地、山形県河北町で「谷地どんがまつり」が開催されます。

奴行列や御輿還御の2kmにも及ぶ行列。囃子屋台と呼ばれる山車が町の中を練り歩きます。八幡宮では林家舞楽奉奏、どんが餅つきの公開もあります。林家舞楽は、国の重要無形文化財に指定されています。

昔は祭が1週間も続き、「谷地のばか祭」と呼ばれていたという話を両親から聞いたことがあります。「山形の三大祭のひとつ」とも呼ばれていたようです。それだけ盛大な祭でした。俺たちが小学生のころは、祭の期間、学校は休だったかな。

お化け屋敷やサーカスがやってきて、子どもにとってはわくわくする数日間でした。格子状になった鉄球の内側をバイクが疾走するやつとか。みなさん見たことないですか?

今でも一番強烈に覚えているのは、地面に井戸が掘ってあり、覗くと、10mほど下に、「人魚」がいるという見世物でした。どう考えても、地面に10mもの穴を1日で掘るのは無理だと思うので、鏡かなにか使ったトリックだったのでしょうが、小学生の俺はそんなことに考えが及ぶほど賢くはなかったし、まぁ、自分で言うのもなんですが、要するに田舎の素朴な子どもだったので、すかり騙されてしまいました。

とにかく、不思議でしたねぇ。しかも、お姉さんがけっこう子どもには刺激的な格好でもあったわけで、俺と友だちは、口を開いて凝視していたのではなかったでしょうか。

そしてさらに衝撃的だったのは、その「人魚」が魚の鱗を脱いで立ち上がり(なんと、足があった!!)、縄梯子のようなものを2、3段上って裸電球の紐を引っ張り、電気を消して真っ暗にしたのでした。それでショーは終り。覚えているのはこんな感じなのですが、いったいどういうトリックだったのか、そしてお姉さんがどうして鱗を脱いでしまったのかは、今もって謎です。

今は、どんが祭の期間も縮小されましたが、祭のエネルギーに衰えはありません。(と、書きながら、俺はもう20年以上、見たことないですが)

近くの人は、ぜひ行ってみてください。もし、その「人魚」が来ていたら、教えてください。

詳しくは、地元の有志がたちあげたホームページ「どんがどっとjp」をご覧ください。

Ya_2「どんがどっとjp」

Ya_2「2006谷地どんが祭」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/09/04

ライブドア元社長、堀江貴文氏がネクタイをして出廷

060905
(マダガスカル・チンバザザ動物園にて)

今日は元ライブドア社長の、堀江貴文氏の裁判が始まり、朝からニュースでさかんに取り上げていましたね。

その中で、堀江氏が法廷では青いネクタイをしているという報道がありました。公の場でネクタイをしたのは初めてらしいのです。

ネクタイというものの不思議さを感じます。単にファッションというのではなく、ネクタイを着ける、着けないかは、「公」と「私」、「ハレ」と「ケ」、「フォーマル」と「カジュアル」、「真面目」と「??」、「誠実」と「??」などを分ける「標識」、あるいは、もうひとつの「言葉」と言ってもいいでしょうか。着けることで、「私は、きちんと誠実にやります」と宣言することになるのでしょう。堀江氏も、とうとうこの「言葉」を使わざるをえないほど、土壇場にいるということでしょうか。

最近は「クールビズ」とやらで、ノーネクタイを推奨する動きもあります。ただ、特に営業マンは、スーツ、ワイシャツ、ネクタイが正装だそうで、ネクタイをしないと失礼に値するといいます。

俺はサラリーマンの経験もないし、ネクタイをする機会は、人が死んだときに黒いネクタイをするくらいなので、その感覚がわかりません。仮に相手がネクタイをしていようが、していまいが、ぜんぜん気にしないし、していないから「失礼だ」とか「信用がおけない」などとも感じたことはありません。(仕事柄しかたないでしょうね)

だから、そういうことを気にする人からみたら、俺もかなり「失礼な」服装でいる場合があるようです。ネクタイ着用までは必要なかったのですが、数年前、ある会にすごくラフな格好(Tシャツにジーパン。汚くはなかったですよ)で出たら、あとで、言った本人ではなくて、間接的に、それを聞いた人から又聞きしたのですが(ここがまた日本人的!)、「あの服装はなんだ?」と、ある人が非難していましたよと聞いて、少しショックでした。

俺としては、まったく礼を失するほどひどい格好ではなかったと思うのですが、やっぱり服装を気にするする人がいるんだなとあらためて思ったのです。俺にはそのもうひとつの「言葉」がわからない。同じ日本に住んでいても、完全にこの人と文化が違うんだなあと実感しました。

たぶん、これからもずっとこんな生活スタイルでしょうが、反面、ネクタイに憧れがないこともありません。機会があったら着けてみたいですね。「似合わない」と言われるのは必至ですが。


 ■以前書いた記事「ぼく、フォリエモンです。」(2006/1/26)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/02

俺はどうして犬に噛まれるのか?(4)

060802
俺は犬に噛まれやすい性質なのではないかと気が付いてからは、犬には敏感になりました。だから現地の人間が犬をどうやって撃退しているかも注意して観察するようになったのです。

それで分かったのは、犬が吼えてきたら、地面の石を拾って投げつけるのです。そうすると、犬はあわてて逃げていきます。これが面白いほど、効果覿面です。石がなかったらどうするか? 心配いりません。石を拾う真似をするだけでいいのです。腰を屈めて地面の石を拾うような格好を見せるだけで犬は逃げていきます。

日本でも吼えられたときやってみました。ところが駄目なんです。犬はキョトンとして、吼えるのをやめません。これは学習の問題なんでしょう。日本の犬は、人間から石を投げつけられる経験が無いので、まったく効き目がないのでした。

チベット高原では、「俺はどうして犬に噛まれるのか? (2)」でも書いたように、石を結んだ長さ1mほどの紐を頭上でクルクル回しながら撃退します。俺を助けてくれた女の子とは別な女の子が、「なんとかちゃん、いるー?」といった感じで隣の天幕住居から現われたときも、やっぱり紐を回しながらやってきました。隣のうちに遊びに行くのも、命がけです。

タイの北部の山岳民族では、犬攻撃を防ぐのに棒を持って歩くのが常識らしい。また夜になると、トイレがない村では草むらで用を足すことになるのですが、やっぱり犬がやってきます。そのときは、懐中電灯で顔を照らし続けると近づかないことがわかりました。

それにしても、中国の犬はたいへんな境遇にあります。今は「ペット」、あるいは「家族」となった犬も多いようですが、昔は、半野良犬状態で、食糧事情が悪いときには、食べられてました。そんな事情を知るにつれて、犬に対しては、恐怖、同情、哀れみなど、複雑な思いを抱くようになっていました。

ところで、ここから本題です。俺は犬年であるにもかかわらず、どうして、犬に噛まれやすいのか?という問題です。

これだけ犬の被害に遭えばだれだって考えるでしょう。何か理由があるはずだと。そこで、いろいろ考えた末、自分なりに分析してみました。

俺は犬を飼ったことはないので、詳しくは知りませんが、犬をしつけるときには、仰向けに寝かせ、自分が主人であることを分からせるそうですね。犬は、主従関係がはっきりしているのです。それだけ社会的な動物であるらしい。猫とは対照的です。俺はどちらかというと、昔から(犬から噛まれる前から)猫が好きでした。子供のころは、実家でもずっと猫を飼っていたし。といっても、犬が嫌いだったわけではありませんが。

俺自身、猫型性格だと思います。上下関係に無頓着。どちらかというと一匹狼的で、群れをつくるのが嫌いです。人や所属集団に対する忠誠心が薄く、興味があるほうにすぐに流れます。「気まぐれ」といってもいいでしょう。そしてあまり常識にはとらわれない(ルールを覚えられない)。

以前、俺はどんな人も対等に見る癖があると書いたような気がします。その通りなんですよね。だから、子どもに対しても、初対面なら敬語を使っていることがあるそうです。「そうです」というのは、自分では気が付かなかったのですが、そばにいた人からそう指摘されたのでした。

逆にどんなに偉いと言われている人に対しても、崇め奉ったりしません。どうせ人はみんな同じだと思っているので、「偉い」なんて言われる人に限って、裏ではとんでもないことやっているんだろうなあと、すぐに思ってしまうのです。だから、可愛げがないんでしょうね。あまり好かれません。そのかわり、妙な宗教には絶対引っかかりません。教祖と言われる人も、普通の人だと思ってしまうので、尊敬するとか、信仰するとか、崇めるとかの対象にならないんです。

つまり、こういうことです。犬に対しても「対等」である目をするので、犬は「こいつは、上下どっちなんだ」と不安に陥り、混乱して噛み付いてしまうんじゃないでしょうか。犬にとっては、上下関係がはっきりしていないことは、情緒不安定につながります。ガツンと一発くらわせば、あるいは、俺はお前の主人だという態度で接すれば、犬も、精神的に落ち着いて、噛み付くこともないような気がするのです。

もちろん、噛まれてからは「怖い」というのが俺の態度に表れて、それを犬も察知してしまい、ますます噛まれる結果になったのではないかと思うのですが。

犬に対等な目をするというのは、「人間」と「犬」という上下関係ではなく、「生き物」として対等な立場に立ってしまうということです。というのも、犬の目を見たとき、一瞬ですが、俺は犬の目線で世界を見た気がするからです。犬が餌をあさって地面をはいずりまわっている感覚なんかが、リアリティーを持って胸に迫ってくることがあります。俺自身、一瞬犬になっているんでしょうか。犬のほうも俺を「こいつは犬だ」と意識するのではないでしょうか。

そのあたり、はっきり断言する気はありませんが、そうではないかなあと思っているだけです。いずれにしても、犬に噛まれやすい性質であることは疑いのないところでしょう。

こんな俺ですが、その後、友人宅や妻の実家のビーグル犬と付き合うことで、リハビリに努力し、今では犬を触ることができるまでに回復しました。噛まれてから回復するまで10年以上かかりました。ただ、やっぱり今でも、心の底では「怖い」という感覚はゼロにはならないんですよね。たぶん、一生なくならないと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/07/31

俺はどうして犬に噛まれるのか?(3)

060731
今度は雲南省の犬です。

雲南省西部に、アルハイ湖や蒼山に囲まれた風光明媚な標高2000mの高原盆地の町、大理があります。大理古城(旧市外)に泊まった俺は、毎朝暗いうちに招待所を出て、アルハイ湖まで歩いて写真を撮りにでかけていました。1987年当時は、レンタサイクルも、ましてやタクシーなんかもなく、歩くしか方法がなかった時代です。町から湖畔まで約4km。歩くと1時間ですが、それはたいした問題ではありませんでした。ただ、いつも頭を悩ませていたのは、途中襲ってくる犬たちでした。

それでカメラの三脚を前に構えて、振り回してなんとか逃げていたのですが、あるとき、いいアイディアを思いつきました。それは、ビスケットを持っていって、襲ってきたら、鼻先に投げつければ、それを食べて、俺が「敵」ではないことがわかるだろう、餌で犬を手なづけることができるはずだ、と思いました。我ながらいいアイディアに「俺は天才だ」と有頂天。これなら絶対大丈夫と、自信がありました。

さて前日商店から、その当時はまだぜいたく品である高いビスケットを買い込み、ポケットに入れて出発しました。また村に差し掛かると、犬が吼えながら近づいてきました。それでさっそくビスケットを投げたのです。すると、犬は予想通り、そのビスケットを食べて吼えるのをやめました。

「成功だ」

と、思ったのもつかの間、食べ終わった犬は、何事もなかったかのように、また俺に吼えながら迫ってくるのでした。あわてて、もうひとつ投げました。すると、また同じように、食べている間だけは静かですが、食べ終わると、また吼えるのです。腹が立ちましたね。俺でさえめったに口に入れない高級品のビスケットを食べておきながら、まったく恩を感じていない。俺があげたんだぞ、そのビスケットは。結局ビスケットを全部食べられたあげく吼えられるという結末に、我ながら腹が立ってきました。

この方法は失敗したことを悟りました。それからは、また三脚で追い払うしかありませんでした。


今度は、麗江の犬です。麗江は世界遺産になってから観光客が激増し、今では、雲南省有数の観光地になっていますが、1988年ころは、まだ人も少なく静かな田舎町でした。だから放し飼いの犬も多かったのです。

賓館には貸し自転車があったので、ある日、借りて郊外に点在するナシ族村を訪ねてまわりました。

ある村の入口に差し掛かったときです。前方に犬を発見しました。犬もこちらを発見。道は一本道。どうしようか考えましたが、とにかく進むしかなかったので、全力で駆け抜けることにしたのです。でも、これが大失敗のもとでした。走ってはだめなのです。犬は、哺乳類の中でも、かなり足が速い動物なのでした。しかも動くものが大好きです。

やっぱり、とんでもないことになってしまいました。当時の中国製自転車は鉛のように重く、スピードが出ないしろものでした。それでも、追い付かれないように必死にこぎました。3匹くらいがお尻に迫ってきました。漫画によくありますが、今まさに噛まれそうだというところで、犬たちの歯音がしましたが、噛まれるには至らず、なんとか難を逃れました。

村を出て、ようやく犬たちが諦めるのを確かめて自転車を降り、その場にへたり込みました。これ以上走る距離が長かったら、きっと、お尻を噛まれていたでしょう。想像しただけでぞっとしました。(あとで聞きましたが、こういう犬たちは狂犬病の予防注射はしてないそうです。今は、大丈夫かな)

しばらく、地面から立ち上がれませんでした。ゼーゼーと息を切らしながら、嫌ーな汗を大量に流しました。こんなにいっしょうけんめい自転車をこいだのは、生まれて初めてです。(競輪の練習にはいいかも)

こういう場合、自転車を降りて、引きながらゆっくり歩いて通り過ぎたほうがいいようです。

こんなことをしていたら、いつかはまた犬に噛まれてしまう。なにかいい方法はないだろうか。俺は真剣に犬撃退方法を考え始めました。(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/07/30

俺はどうして犬に噛まれるのか?(2)

060730_1
青海省西寧タール寺で犬に噛まれてから、当然犬嫌いになってしまいました。日本でも、俺は犬がいるとよけて通るようになったし、絶対、犬に手を出したりしなくなりました。

公園でちっちゃい犬に驚いているところを見た、近くで遊んでいる幼稚園児から「このおじさん、怖がっているよ」と馬鹿にされても、じっと歯を食いしばり、「お前は、犬という動物の本質を分かっていない」と内心つぶやき、その侮辱に耐えました。

中国四川省の九塞溝に行ったついでに、その先のルールガイ(ゾルゲ)という草原の町まで足を伸ばしたときのことです。郊外の草原はチベット族の夏の放牧地になっていて、いくつもの天幕住居が点在し、ウマやヒツジやヤクが放牧されていました。

たまたまその10日ほど前、成都のホテルでいっしょになった日本人旅行者から、チベット族の話を聞いていましたが、「犬には注意したほうがいいよ」と教えられていました。放牧地は犬がたくさんいるそうです。ただ彼は自信を持って言いました。「犬が吼えながら寄って来ても、じっと動かないでいれば噛み付いたりしません」と。

草原のチベット族の天幕住居を目指したとき、さっそく向こうから大型の犬が3匹やってきたときは、「これは写真のためだから」と自分に言い聞かせ、怖いと思う気持ちと闘いました。まさかタール寺の二の舞を演じることはないだろうと安心もしていました。「タール寺の犬は特殊だったのだ。また犬に噛まれるなんてことはないはずだ」

ところが、です。

3匹の犬は俺の前後を挟みうちにし、ワンワン吠え立てました。が、あの日本人の忠告を思い出しました。何もしなければ大丈夫だと。俺はその通りにしました。手を合わせ、天を仰ぎ、はやく退散してくれーッと祈るようなポーズで目をつぶって待ちました。

そのとき、右くるぶしに衝撃を感じたのです。なんと、後ろにいた犬が俺の右足のくるぶしに噛み付いたのです。俺はとっさにまたやられると思い、全身から血の気が引きました。そしてワーワーと騒いでしまったのです。それでますます犬たちは獰猛な牙をむいて威嚇しました。これはもう終わりだーッと思いました。

騒ぎを聞きつけて、近くの天幕住居から女の子が出てきました。女の子は、石をくくりつけた紐を持って、それを自分の頭上で回しながらやってきました。まるでヘリコプターの真似をしているようです。驚きました。自分の犬なのに、こんな自衛手段を取らないと、近づけないくらい獰猛な犬なのか? チベット犬、恐るべし。女の子は俺のところまで来て、ようやく犬を追い払ってくれました。

冷静になってくるぶしを見たら、だらーッと、よだれで鈍く光ってはいましたが、キャラバンシューズのくるぶしを噛んだだけで、幸い足にまでは達していませんでした。痛みもありませんでした。それでだんだん気持ちが落ち着いていきました。

それにしても、また噛まれてしまったというショックと、あの日本人の忠告が、嘘だったことに、妙に腹が立ちました。このとき、俺の頭にひらめいたのです。「俺は、犬に噛まれやすい性質なんではないか?」と。(つづく)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/07/29

俺はどうして犬に噛まれるのか?(1)

060729
アジアを旅していると、犬にはよく噛まれます。自慢話じゃありません。どうしてそうなのか? 俺なりの答えは、最後「俺はどうして犬に噛まれるのか?(4) 」に書くことにしているので、まずは、噛まれた話を聞いてください。

 ※ 犬好きな方には辛い内容が含まれているかもしれませんので、この先は読まないことをお勧めします。

初めて噛まれたのは、中国青海省西寧郊外のタール寺。1984年のことです。この年、初めて中国へ行きました。そして初めて一眼レフのカメラを持っていった年でもあります。だからよく覚えているんですよねえ。

タール寺は、チベット仏教寺です。当時は、まだ外国人旅行者はほとんどいませんでした。たしかまだ日本では中国の個人ビザが取れなかったと思います。我々外国人バックパッカーは香港でビザを取って中国へ入っていました。

そうです。忘れもしません。3月の寒い日の午後です。寺の通りを歩いていくと、ある建物の門にたむろしていた犬が吠え出したのです。体長50cmくらいで、チャウチャウ犬(?)。それほど大きな犬ではありませんでした。

それで別にあわてたわけでも、怖くなったわけでもありません。日本でもたまにこういう場面に出くわしていましたが、大回りをして、無視してゆっくりと通り過ぎれば何事も起こらないことを知っていたからです。

ところがです、だいぶ犬から遠ざかったのに、背後でまだ鳴き声が聞こえていました。「しつこいやつ」と思いながらも、先を急ごうとちょっと小走りになったとたん、突然犬の鳴き声が止み、かわりにタッタッタッ・・・という音が背後から近づいてきたなと思った瞬間、左足のふくらはぎに衝撃。そしてすぐに激痛に変わりました。

「痛ーーーッ!!!」

俺は思わず叫び声を上げてしまいました。見るとふくらはぎに犬が噛み付いています。なんて卑怯な。後ろから狙うとは。俺はしりもちをついて、足をばたばたさせて犬を追い払おうとしましたが、ウーウーとうなって離れようとしません。犬と格闘したのは短い間だったのでしょうが、すごい長い時間に感じられました。

近くにいた人民解放軍の兵士が騒ぎを聞きつけて駆けつけてきて、犬を追い払ってくれました。犬が遠ざかり、あらためてふくらはぎを見ると、ジーパンの上から噛まれた歯型に血が滲んでいました。解放軍の兵士は、俺をどこかに連れていこうとしました。彼らのキャンプに医務室があったのでした。

そこで、ジーパンを脱ぎ、噛まれたあとを消毒してもらいました。痛みも和らぎ、だいぶ落ち着いてくると、今度はジワリジワリと別な思いが頭の中を占領しだしました。それは走馬灯のように、くるくると目の前を回り始めたのです。「狂犬病」という3文字でした。

俺は、医務室の兵士に、紙と鉛筆を借りて「狂犬病」と書いて差し出しました。すると彼らは、「心配ないよ」といった感じで微笑み、手を横に振ったのです。気休めでこんなことを言うのだろうと思って「我行病院」と書きましたが「必要ない」みたいにまた手を振るのです。

どうしてそんなことを言うんだろうと不思議に思ったのを彼らは察したようで、兵士が自分の親指を差し出したのです。なんだろうと思ってみたら、赤チンが塗られた指でした。これはあの犬に噛まれたというのです。これを見て、俺もやっと安心することができました。そしてあの犬は、兵士たちが飼っているペットだということも判明したのでした。

結局、町の医者にも行かずに済ませました。彼らの言うことを信じるしかなかったのです。それにしても、犬というのは本当に噛む動物なんだと、あらためて知ることになったのでした。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/07/04

ただ今、休煙中

今、「休煙中」です。「禁煙」ではありません。あくまでも「休煙」です。

世の中、環境、健康ブームで、タバコに対する風当たりは強くなる一方ですね。俺は、「愛煙家」と言えるほどタバコを吸う人間ではもともとないですが、しかも、無くてもいいという感じなので、人前でもあまり吸いません。俺がタバコを吸うことを知らない知人もいるでしょう。

休煙しているのは、7月1日からまたタバコの値段が上がったという理由だと思われるのも癪に障りますが、確かに無意識にそれもあったかもしれません。でも、違うんです。今までも、たまにあるんですよね。突然、タバコの煙が嫌いになるときが。別に体調が悪いとか、そういうんじゃないんです。わけもなく、です。6月29日ころだと思いますが、またこのタバコ嫌いの症状が突然現われて、今、その状態が続いています。だから、タバコを休んでいる状態の「休煙中」です。

それにしてもなんですね。いつの間にか、タバコは、「嗜好品」から「毒物」に地位を下げてしまいました。煙を吸うことが、少なくとも「健康に良い」とは、天地がひっくり返っても言えないことは俺もわかっています。でも、「健康」とは何か? 「健康である」ということはどういう状態を言うのか?という問題を突き詰めて考えていくと、「タバコの害」ということが言われますが、本当にそうなんだろうか?と疑問にも思えてきます。

俺は長生きするために「タバコをやめよう」とは思いません。一仕事終わったあとの一服。たまらんですねえ。あるいは、山道を登っていってたどり着いた峠での一服。たまらんです。大げさに言えば「生きてて良かったな」と思います。(だから精神的にはきわめて健康です) こういうのが贅沢な瞬間を演出してくれる「嗜好品」というものの効用なのです。コーヒーだってそうでしょ?

もちろん、タバコによる「健康の問題」と、嫌いなものを吸わされる「被害の問題」は別でしょう。嫌なタバコの煙を無理に吸わされるのは、拷問とも言えるでしょう。タバコの問題が取り上げられるのは、嫌いな人の前で吸う人がまだたくさんいることです。べつに、ひとりで吸って、ひとりで健康を害して死んでいくぶんには、それほど世の中、関心を示しません。

そう思っているので、吸わない人の所では吸わないようにしています。そのくらいの「思いやり」は俺にもあります。これは何もタバコだけではなくて、例えば、俺が一番嫌いなのは、電車の中やエレベータの中で嗅がされる香水の匂い。想像しただけで吐き気がしてきます。こういう想像力に欠けた人間がいると、ほんとに殴りたくなります。(心の中ではすでに殴っています) だから、嫌なものを吸わされたり、嗅がされたりすることの苦痛はわかります。

ただ、タバコを吸うからというだけで人を非人間扱いしたり、白い目で見るのだけはやめて欲しい。趣味が違うだけなんだから。もっとも、最近は、病院に禁煙科が設けられるなど「病人」扱いされるまでになっていることに、俺はちょっとだけ不安を感じています。そのうち、タバコは「麻薬」となり、強制入院させられて「禁煙」を強要されてしまう日が来るんでしょうか。

「健康至上主義」みたいな考え方に、俺はどうもなじまないようです。

060704

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/06/28

「写真」と「音楽」 手作り音楽CD第三弾完成

手作り音楽CD「ASIAGE MARCH」が完成しました。インディーズCDの第3弾です。

5人の架空の人格が、'95に音楽ユニットを結成しました。メンバーは次の通りです。

 Mastukane Shun (日本)
 Goi Cuon (ベトナム)
 Bawsuk (タイ)
 Mi Xian (中国)
 Nasi Goreng (インドネシア)

その架空ユニット名が「ASIAGE」です。「アジャージ」と発音してください。「ASIA」と「AGE」をくっつけた造語です。アジア各地で俺が録音してきた音と、パソコンで作った曲をミックスしたもので、アジアをイメージした曲集です 。

実は高校、大学時代、ちょっとだけ音楽をやっていました。ブラスバンドとロックバンドです。いずれもパーカッション、ドラムと、リズム担当です。だからリズムについてはある程度知識がありました。

ただ、バンドを組んでもしっくりいかず、人といっしょにやることがあまり得意ではないなと気が付きました。当時からグループ行動がだめだったんですね。でも、ひとりで音楽をやる方法があることを知りました。

ギター、ベース、ドラムなどをひとりで録音してひとつの曲にすることを「多重録音」と言っていましたが、本格的にやろうとすると、大きな4チャンネル、8チャンネルトラックのテープデッキが必要でした。でもそれを買うだけのお金はなかったので、一番簡単にやれるカセットデッキをふたつ使ってやる多重録音にトライしました。

一方のカセットデッキにドラムの音を録音し、それを再生しながら、ミキサーを通してギターの音といっしょにもう一方のカセットデッキに録音するのです。次にそれをまた再生しながら、次の楽器の音をミキサーを通して入れていく。こんなやり方を「ピンポン録音」といっていました。理論的には、これで何十人分の楽器を多重録音できそうですが、そうは問屋がおろしません。テープ再生の時のノイズがだんだん増幅していくので、ぎりぎり4回くらいしかできませんでした。

その音質はお世辞にも良いとはいえなくて、だんだん音楽に対する熱も冷めていきました。そしてちょうど外国に興味が出た時期でもあって、旅に出るようになってから、音楽は聴くだけになっていきました。

1994年「メコン河」の写真集を出すことになり、そのデザインをしてくれるデザイナーが、パソコンでレイアウトをしているのを知りました。デザイン業界もデジタル化が始まっている時期でした。なんどかそのデザイナーの所に行くようになりましたが、そのとき彼からこんな言葉を聞いたのでした。「最近のパソコンは何でもできる、作曲もできるらしい」と。

それを聞いたとき、心の中で何かが、むくっ!と起き上がりました。それが音楽をまたやりたいと思うきっかけになったのです。さっそくデザイナーにアドバイスしてもらい、パソコン(Mac LC630)と音楽ソフト(ミュージ郎)、音源(Roland Sound Canvas)などを買いました。だから俺がパソコンを始めたきっかけは「写真(画像)」ではなくて「音楽」だったんです。

封印されたものが表に出たのでしょう、パソコンの曲作りに、一気にはまってしまいました。今まで15年来あきらめていたことが、こんなにも簡単に安くできてしまうことの驚き。すぐに何曲かできました。たまたま俺はドラムをやっていたので、リズムについてはある程度知識はありますが、和音についてはほとんど無知です。でも、パソコンでの作曲というのは、その無知を補ってくれます。特別俺が作曲の才能があるわけではありません。

「そうだ、メコン河の写真展では、これをBGMで流そう」と思い立ちました。それでASIAGEという架空のユニットを作ったのでした。

どうせ架空なら、メンバーも作ってしまえと思って、5人作りました。日本人の松金俊。初めて買ったパソコンは「Mac」でした。だからこの「まつきんとし」にしたのでした。「マッキントッシュ」にかけて。くだらない? そうですね、確かにくだらないね。「中年」なんで許してください。

ベトナム人のGoi Cuon(ゴイ・クォン)は、ベトナム料理「生春巻き」のこと。中国人のMi Xian(ミーシェン)は、雲南省など南部中国では一般的な米から作った麺のことです。インドネシア人のNasi Goreng (ナシゴレン)は、インドネシアの一般的な料理、チャーハンのナシゴレンのこと。そして、タイ人のBawsuk(バウスク)とは、俺の友人でタイによく行っていて、タイ語もできる絵描きの福井の、「福」と「井戸」をタイ語で言うとこうなります。

前に書いたようにもともとは、写真展「メコン河」のBGMとして作ったものでしたが、意外(?) にも評判が良かったので、いい気になって、その後も「棚田水景」などのアルバムを作ってしまいました。初めはテープでしたが、そのうちCDにしました。

写真集よりもこのCDの方がよく売れた写真展もありました。複雑な気持ちでしたが、でも、俺にとって、写真展の「音」は大切な要素であると考えているので、その写真展の一部である音が評価されるのは嬉しいことです。

一昨年の棚田のイベントでも、CDを販売していましたが、ある日、レジのおばさんから、俺に会いたいっていう人が来てると言われて会ってみたら、前日CDを買ってくれた女性のお客さんで、感動したので会いに来ましたと言われました。そこまで言われるとなんだか嘘っぽいのですが。でも嘘でも、そう言われると嫌な気はしません。まあ、これ以上言うと、自慢話になってしまうので、もうやめます。

もちろん、せいいっぱい作ってはいますが、あくまでも音楽は趣味であって、自分のレベルはある程度知っているつもりです。でもこれも写真と同じなんですかねえ。ひとりでも「いい」と言ってくれる人がいれば、その「写真」や「曲」の存在する意味はあるのかもしれません。

よく、乗り物に乗っているときなど、エンジン音や周りの雑音をボーッと聴いていると、いつのまにかあるメロディやリズムになっていることがあります。「幻聴」とは違うと思います。このあたり、やっぱり写真を撮ることと似ているんですが、漫然とした周囲の風景からある「部分」を切り取って見せることが写真ですよね? 意外と人は同じ風景の中にいても、見ている「部分」が違います。それは「その人が、その風景をどの様に意識しているか」に関わってきます。人それぞれ意識の仕方、つまり見方の違いがあるので、そこに「個性」というものもできるわけです。

音楽の場合も、もちろんあくまでも俺の場合ですが、漫然とした周りの音から、ある音のかたまりを切り取ったら「曲」になった、という感じなのです。だから、「写真」と「音楽」とでは一見違うことをやっているようですが、俺の中では同じ心的作業にすぎません。

CDは、すべて手作りです。作曲はもちろんですが、ジャケットのデザインも自分でやりました。ぜひ、アジアの雰囲気に浸りたい人は聴いてみてください。音質をちょっとだけ下げていますが、1分間のサンプルソングを用意してあります。

気に入ってくれたら、ご購入お願いします。メールで受け付けています。

Ya_2ASIAGE音楽のページ


060628


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/22

村上世彰氏と似てる友人

おととい、大学時代の数少ない友人のひとり、Aと久しぶりで飲みました。

彼は俺と違って、卒業後はちゃんと会社に勤めて空調関係の仕事をしています。だから、エアコンの温度には敏感で、「27度に設定するとビールが売れますよ」と居酒屋の店員にアドバイスしていました。「温度のプロ」っていうのもいるんだね。

俺も気にはなっていたんですが、居酒屋に入ったときから、室内がちょっと寒く感じていたのです。東京ドームなどでも27度に設定してあるそうです。気温で27度だと「暑い」という感じかもしれませんが、冷房の27度ならビールがおいしく感じる室温らしいのです。そういえば、夏の快適睡眠室温も冷房で27度だったような。なるほど、そんなものかと感心しました。

俺は雪国で育ったので、寒いところは平気でしょと、よく言われるんですが、意外と寒がりです。妻にも寒がりと言われます。でも実は暑がりでもあるんですよね。要するに、皮膚が薄いんでしょう。薄皮です。気温には敏感なのかもしれません。

ところで、Aは今世間を騒がせている村上ファンドの村上世彰氏と似ています。どうりでテレビで村上氏が出てくると、嫌いなはずなのに(村上氏が記者会見で、私が嫌われるのは大儲けしたからでしょ?と開き直っているところが、勘違いだと思うんですが。大儲けしてなくても、嫌われてますよ)、それと相反して親近感を持ったのはそういうことだったのかと、おととい初めて気が付きました。Aも、自分でも似てることは自覚しているようでした。でも体型は少し違って、フォアグラ作るときのように村上氏に無理やり餌を与えて運動させないとAになりそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/20

リチャードギアのコマーシャル

リチャードギアは、嫌いじゃない。でも、あのコマーシャルには違和感を持つなあ。

あるカード会社のコマーシャル。インド(バラナシのようなところ)が舞台。ひとりの少女が屋台で「Five birds」といって鳥を買おうとするのですが、お金が足りなかったんでしょうね、店主から「One bird」と言われて1羽しか買うことができませんでした。そこをたまたま通りかかったリチャードギアが、店主にカードを出すのです。

場面は変わって、少女がさっき買った1羽の鳥を、鳥かごから放そうとする瞬間、周りから何十羽もの鳥がいっせいに飛び立つ。リチャードギアがカードを使ってその鳥たちを買ったんですね。「親切心」から。

最近インドへ行っていないので屋台でカードが使えるようになったのか? いや、そんなことではないんです。気になるのは。

仏教徒はよく功徳を積むために「放鳥」します。タイヤカンボジアでは、その放すための鳥を実際売っています。インドでもそういう習慣があるのか知りませんが、意味はそんなところでしょう。つまり、少女には、たくさんの鳥を放す必要はないんです。貧しくても、なけなしのお金を出して買った鳥を放すから意味があるわけで、外から来た金持ちが、カードを使ってたくさんの鳥を買い占めて放したところで、少女のためにはならないんです。Five birds 5羽ならまだしも。よけいなお世話でしょ。リチャードギアは敬虔な仏教徒だけに、こういうコマーシャルをOKした理由がわかりません。

どうですか? そう思いませんか?

「親切心」というのは難しいこともあります。自分が余裕があるからといって与えても、与えられる側にも別な事情があるわけで、それを、理解はできなくても想像してあげないと。他人をダシに使ってする自己満足は、迷惑です。

ところで、この下の写真はインド・バラナシの朝の様子です。洗濯物を棒で叩く、ポンポンポンという音が響いていました。インド、久しく行ってないなあ。

060620

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/06/01

隠れ家理論

アップルトンの「隠れ家理論」というのがあります。たまたま「景観」というキーワードで本を探していたとき、ふと目に止まった本でした。ただこの本は難しく、3分の2を読んだところで挫折してしまいました。

でも、大雑把に(俺が理解した範囲で)言うと、「眺望が良いところで、しかも近くに隠れるところがある場所というのは、生物学的に、人間が好ましいと思う空間である」ということらしい。(間違っていたらすみません)

つまり、これは動物である人間が、自分の身を隠しながら、敵を観察できるところでもあるらしい。なんとなくわかります。確かに落ち着けますね。

この話を聞いたとき、ネット上の「匿名」というものが頭に思い浮かびました。

ネット上に氾濫しているおびただしい数の情報。見たいと思えば簡単に見れる。意見を言おうと思えば簡単に言える。しかも、自分の身は隠してそれができるのです。これは、「隠れ家理論」で「好ましいと思う空間」そのものではないかと思ったわけです。ネットがこれだけ発展したのは、この人間の「好ましいと思う空間」が、自宅にいても提供されるようになったからではないでしょうか。この「匿名性」が快感なのです。

それまでも、匿名でいることの「快感」には気がついていました。以前このブログでも書いた「「ターミナル」を観て」の「山手線の内側で生きる男」も、ある意味匿名性があるから、なってみたいと考えた物語の主人公でした。

「全体」にまぎれることで、透明人間のようになれ、しかも自分は傷つかない。動物の生存本能として、これ以上重要なことはないと思われます。

じゃあ、俺は実名でブログやホームページを開設しているのは、どうしてでしょう。「隠れ家理論」からすると、自分をさらしていることは、とても危険なことをやっているわけです。少なくとも、これだけでは快感には結びつきません。

それは、俺の場合、仕事(経済活動)とも結びついています。だから、身をさらす危険や不快感、それと経済的メリットや有名になることなど、ふたつの相反するもののバランスを考え、今の時点で実名でやった方がいいと判断しているからこうやっているわけです。このバランスが崩れれば、俺も匿名になるでしょう。(最初から匿名でデビューして仕事になっている人もいますが、これは少数派でしょう)

ただ、ノンフィクションと匿名というのは、あまり相性がいいとも思えません。匿名の人が書いたノンフィクションでは説得力がないように思うからです。実在するこの人が書いているから(あるいは、撮っているから)、その文章(あるいは写真)を信頼するということがあると思うからです。

ところで、女性ノンフィクション作家にも年齢を隠している人がいますね。年齢という情報も、読者からすると、「ああ、こういう時代の人だからこう考えるのか」とか「この年齢だからこういう意見を持っているんだな」と、参考になるとこともあるんですがね。作品の中の他人の年齢はすべて正確に書いているのに、書いた本人の年齢だけは書いていない・・・。ちょっと引っかかります。これも「隠れ家理論」なのでしょうか。

もっとも、このことを非難しているのではありません。俺も、その女性ノンフィクション作家同様、「隠しておきたいこと」はもちろん隠しています。(たぶん、何でも正直に書いたら、とんでもないことになるでしょう) それはやっぱり、その点について目立ちたくない(敵から襲われたくない)という「隠れ家理論」で説明できるのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/03/25

癇の虫 2

2月4日も書いたのですが、癇の虫の話をもう一度。

先週用事があって、山形の実家に帰ったとき、またあらためて母親に「癇の虫」のことを聞きました。そしたらやり方が若干違っていました。
この前やったときは出なかったので、このやり方を間違っていたようです。

まず、塩水で手をきれいに洗ったら、タオルで水分をふき取ります。そのあと、筆で墨を使って手のひらに「虫」と三回書きます。

今回は、小学生の姪といっしょにやってみました。そしたら、なんと出たんです。姪よりも俺の方がよく出たというのは、俺の方が癇癪持ちだということなのか、分けがわかりませんが、確かに、指の先から白い「癇の虫」が出てきました。

昔の親は、こうして癇癪持ちの子どもをなだめていたんでしょうね。こんな虫を見せられたら、子どもは黙ってしまうかも。いや、親自身が安心したかったからかもしれませんが。癇癪を起こすのは、この虫なんだと。

とは言え、これはある意味すごく「科学的」なことがわかったんですが。まあ、実際やってみればどうしてこういうことが起こるのか気がつく人はきっといるでしょう。俺なりの解説はいつかの機会にしたいと思います。(とか言って、もったいぶって、ほんとは知らないんだったりして。図星・・・。静電気が関係しているんじゃないでしょうか)

でも、いいじゃないですか。風習、おまじない的なものがあったって。すべてが科学で割り切れるもんじゃないんです、世の中は。

みなさんもぜひやってみてください。

    ☆☆☆☆☆☆

ランキング参加しました。よかったら、クリックして投票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/02/04

癇の虫

「癇の虫」というのを聞いたことがあるでしょうか?
山形の実家に帰ったとき、前から気になっていた「癇の虫」のことを母親に聞きました。子どものころ、確かにこの「癇の虫」が出てきた想い出があるからです。ただ、もう40年くらいたってしまったので、それが本当にあったことだったのか、夢でも見たのか自信がなくなり、母親に聞いてみたんです。そしたら、夢ではなくて、本当に「癇の虫」を出したことがあるそうです。記憶は確かでした。ただ、子どもだから出たんだろうねとも言いました。今やっても出てこないんでは?というのが、母親の意見です。
その「癇の虫」は、どうやって出すのかというと、まずぬるま湯の塩水で手をきれいに洗います。その後、手のひらに筆を使って墨で「虫」と3回書きます。しばらくすると、指の先から白い糸屑のようなものが、ひょろひょろと出てくるのです。まるで、白くて細いミミズみたいに。それを「癇の虫」と言っていました。これを出すと子どもはおとなしくなるそうですが、一種のおまじない、風習みたいなもんだったでしょう。これがうちだけの風習か、全国的な風習かはちょっとわかりませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/28

ブログはじめます

031112今日からアジアフォトネットのブログはじめます。
旅の話が中心になると思いますが、日本各地、アジア各国、いろんな旅先からも書き換えられると思ったので、ブログに挑戦することにしました。今年も、中国、イラン、日本各地を旅する予定なので、期待していてください。

最初なので、簡単に自己紹介しておきます。(詳しくは、電網写真館のホームページの「PROFILE」をみてください)

サブタイトルに「中年バックパッカー」と告白(?)している通り、1958年生まれの自称「中年」です。
この写真は、たぶん俺が5歳くらいのときでしょうか。右側にいるのは、俺の妹です。こんなあどけないときもあったんですね。無邪気ですね。妹が、だけではなくて、俺もね。まさか、20歳から旅ばかりしている人間になるとは、この写真からは、その片鱗もうかがえませんよね。
後ろに「形」という字が見えますが、「山形」だと思います。出身は山形県です。妹の右側に、花のようなマークが見えますが、これは、たしか「山形交通」のマークだったように思います。ただ、これがどこなのか覚えていません。どこかのバス停のベンチかなあ。それにしても、わずか40年前は、日本はこんなかんじだったんですよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)