カテゴリー「旅(日本)」の548件の記事

2019/08/18

宮城県村田町歴史みらい館の企画展『猫にお願い』10月20日まで

Img_20190818_064308001

Img_20190818_064346045

 

宮城県村田町歴史みらい館で企画展『猫にお願い 東北地方の猫神・猫絵馬・猫供養』が開催中です。10月20日まで。

前回の狼展も面白かったですが、今回の猫展も面白そうです。

企画展リーフレットから引用すると、

「猫は、古くから養蚕農家や米蔵の鼠除けとしての益獣、愛玩動物として飼われていました。養蚕の鼠除けでは、猫の絵が入ったお札が各地から出されました。猫を神格化して祀った神社、猫を供養した塚や石碑などが、特に福島・宮城・岩手で多く見つかっています。今回の企画展では、猫を描いた絵馬、猫の絵が入った鼠除けのお札、猫の石像・木像など、民俗資料を通して猫と人の関係を探ります。」

個人的には、猫の姿が刷られたお札や、猫像に興味をそそられます。狼像のレリーフが丸森町に複数存在することは石黒さんに教えていただいたのですが、そのとき、猫像もあると聞いていました。ただその時は、狼像を追っていたので、猫像をあえて写真に撮ろうという発想はなくて、今度行ったときは、ぜひ猫像もと思っています。

この数年来、「犬」「狼」をテーマにしているので、人からは「犬派」と思われているようですが、もともと子供のころから飼っていたのは猫で、猫好きでもあるのです。だから俺は「犬派」でも「猫派」でもありません。

今日、8月18日は、13:30から、この猫展を企画した専門員・石黒伸一朗さんの講演があるようです。演題は「東北地方の猫神社と猫供養」です。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/07/31

【犬狼物語 其の三百七十六】「東京狼」

Photo_20190731161601

 

『オオカミは大神』第二弾の「東京狼」の企画については、前に書きました。

「東京」とは言っても、実際は関東圏の狼像と狼信仰についてです。「大都会」と「狼」というギャップが面白いかなと思っています。

原稿を少しづつ書き始めていますが、そのために現在の三峯・御嶽神社の位置と、江戸時代の三峯社の位置を地図で合わせてみました。

グーグルマップに赤や黄の狼マークをプロットしたのが現在の三峯・御嶽神社、プラス狼像のある寺社の位置で、黒丸が三木一彦氏「関東平野における三峰信仰の展開 ―武蔵国東部を中心に―」の「武蔵国における三峰末社の分布 -文化・文政年間(1804~30」から引用したものです。

おおざっぱな地図で、正確なものではないので、傾向を読み取るしかできないのですが、これを見て気がつくのは、文化・文政年間には、かなりの数の三峯社が江戸にあったこということです。しかも、今はあまりないところにです。たとえば、墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区あたりでしょうか。

単純に想像すると、関東大震災や戦時中の空襲によって、また、戦後は都市の再開発で、無くなってしまったのか?ということです。

その代わり、今は、都内でも西側に多く残っているように見えます。ただし、これは三峯神社と御嶽神社です。しかも、東京都三鷹市の東牟礼御嶽神社のように、今、まさに消滅している神社もあります。たしか、東牟礼御嶽神社も、道路拡張に伴って壊されていたと思います。

これからも、増えることはもうなく、減るだけかもしれませんが、何とか、都会の狼が残ることを期待しています。狼が鎮座するところには杜も残っています。そういう意味で、狼が杜を守っているともいえるかもしれません。

あとはこの地図を見て気づくのは、俺が住んでいる中山道沿いについて言えば、さいたま市周辺にも黒丸の比較的集中しているところがありましたが、今は、それほど残っていません。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/07/12

令和2(2020)年版「旧暦棚田ごよみ」の打ち合わせ

Img_20190711_130730727

 

来年は、東京オリンピックの年、令和2年、2020年版の「旧暦棚田ごよみ」の打ち合わせがありました。

去年よりも早めの打ち合わせです。

来年は閏年にあたり、旧暦のカレンダーは13ヶ月あります。(1ヶ月多いので、お得感がある?)

季節と地域があるので、選ぶのは難しいですが、そこが棚田ごよみ作りの醍醐味でもあります。

13ヶ月の棚田写真の流れがスムーズにおさまるまで、入れ替え、差し替えを繰り返しました。

そして、ようやく落ち着くところに落ち着きました。ただ、表紙は今日決まりませんでしたが。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/07/10

『遠野物語』カッパ淵でのヴィーノ

_mg_9464

Image_20190710152801

 

遠野について書くことになり、原稿を考えていたのですが、突然、思い出したことがあります。

これは、犬だけではなく、狼にも通じる(と俺が感じている)ことでもあります。

ヴィーノを連れてカッパ淵を歩いたときのことです。ヴィーノは嬉しそうに川の水を飲み、高さ60センチほどのカッパ像の匂いをかぎました。でも、どうもそわそわして落ち着きがない。クーン、クーンと鳴いて、リードを強く引っ張ってどこかへ行こうとしました。

「ヴィーノ、どうした?」

すると、観光客のおばさんが、騒ぎ始めたヴィーノを見て、

「このワンちゃんにはカッパが見えるようねぇ」

といったのです。

なるほど、と思いました。昔の人間にも見えていたカッパ。でも時代と共に、見えなくなってきました。犬にはわかるようです。(「ゲゲゲの・・・」の水木しげる氏にも見える?)

この場に漂うある種の気配です。自然との対話の場所。あるいは死と生の境をいったり来たりできる空間。そんな場が、カッパ淵にはあるのかもしれません。

犬は人間のように理屈で自然を理解することはありませんが、自然そのものを感じることは出来るに違いないのです。そこがどういうところか直感することはできるのでしょう。でなかったら、生きのびられないからです。

 そしてもう一カ所、遠野の北、荒川高原牧場への途中に、「犬淵」という地名があって訪ねました。その集落の入り口にあった山神さまです。人間がくぐるには鳥居が低く、まさか犬用の鳥居ではないでしょうが、ふしぎな光景です。

ここでもある気配を感じたのか、ヴィーノは落ち着きません。 

犬は、超高感度の感覚器官を持っています。人間には聞き分けられない音や嗅ぎ分けられない匂いもちゃんとわかります。

人間が発達させた脳によって「賢く」はなったかもしれませんが、そのかわり失った「感覚」というものがありそうです。犬は細部に敏感です。感覚器官から入った情報をそのまま生かしているようです。一方、人間は環境をそのまま見るのではなく、いったん脳で処理して、おおざっぱな概念で見ています。だから、極端に言えば、人間は見たいと思ったものだけ見ているらしいのです。

直接的に自然を感じる犬が、そばにいることは、人間に本当の自然を思い出させてくれるといえるかもしれません。先日の話の、犬(狼)が「自然への案内人」というのがよくわかります。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/06/13

渡良瀬遊水地の旧谷中村跡

287a5494

287a5450_1

287a5406_1

287a5427_1

287a5422_1

 

渡良瀬遊水地を訪ねました。

以前、栃木県野木町の雷電神社内にある三峯社について書きましたが、雷電神社が、今は渡良瀬遊水地になっている旧谷中村から遷座したということが気になって、旧谷中村の雷電神社跡を見てみようと思ったからです。

遊水池の北ゲートから入りました。谷中村跡は、ハート型湖の北側に位置します。ちょうどボランティアガイドがいて、いっしょに歩いてくれました。周りは背丈以上のヨシが茂り、「イノシシに注意」の立て看板もあります。

まずは役場跡です。東屋が建っています。ここに解説看板と地図がありました。谷中村とはいっても、昔は、複数の村がいっしょになった村でした。

ここは、最後まで移住を拒み、国に抵抗した人たちの拠点となったところです。用地買収に反対した人たちが16戸あったそうです。強制執行が行われ、家を壊された人たちは仮小屋を建てて抵抗し続けました。

雷電神社跡にも解説看板があって、意外なことがわかりました。と、言うのは、雷電神社というのは、他にもあり、野木町に遷座したのは、この神社ではなく、恵下野(えげの)にあった雷電神社だったのです。そのことについては、いろいろとあるので、後日ちゃんと書きます。

その恵下野というのも、谷中村を構成していた複数の村(のち大字)のひとつです。ヨシ焼の直後なら、村の痕跡が少しは見つかるらしい。恵下野は、役場跡から東側に位置します。現在堤防になっている内側だとわかったので、あとで堤防に上って写真を撮りましたが、単なるヨシの原っぱです。中に入っていくことはできません。このどこかに民家や雷電神社があったわけですね。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/06/08

鳴神山の雷

287a4460

287a4311

 

昨日は、桐生市の鳴神山に登りました。山頂直下に神社があって、お犬さま像がいます。

天気予報では、雨は午後からと言っていたので、登山には支障はないと思っていましたが、登り始めと同時に小雨になり、雷鳴がとどろきました。最初、何の音だろう?と思いました。山崩れのような、飛行機の音のような。さすがに鳴神山です。

大滝(不動滝)を通過しました。高さは10mほどですが、美しい滝です。

登山自体は難しくはないです。ひたすら沢沿いの道を上っていくだけで、道を迷うようなことはありません。

でも、中間地点を通過した時には、雨は本降りになりました。靄の中にたたずむお犬さまが神秘的です。

このお犬さま像も、詳しくは、あとで【犬狼物語】でムビーといっしょに報告します。

その後、水上町の湯原神社に向かいました。この境内には、三峯神社がありました。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/06/07

群馬・埼玉の犬・狼像探しの旅へ

287a4161

287a4235

287a4260

 

昨日は群馬県も気温が上がり、暑かったですね。犬・狼像を探す旅ですが、今回はヴィーノ無しです。ヴィーノのいない犬旅ははじめてではないでしょうか。この暑さでは、ヴィーノを連れてこなくてよかったですが。

でも、藤岡市三波川・琴平神社は、お犬さま(狼)像がすばらしく、しばし暑さもわすれるくらいでした。

詳しくは、また【犬狼物語】で書くことにします。

金鑚神社にも寄りました。ここは群馬ではなく、また埼玉ですが。昔、この神社でもお犬さまのお札を出していたようです。今はありません。お守りだけです。

それから北上し、藤岡市を通り、玉村八幡宮へ。八幡様は、亥・戌の守り神でもあります。

ここには子安信仰の授乳犬の像がありました。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

 

| | コメント (0)

2019/05/26

【犬狼物語 其の三百三十一】埼玉県上尾市 三峰信仰と御岳信仰

287a1126
( 上尾宿の鎮守 氷川鍬神社)

287a1151
(橘神社「平方河岸出入商人衆奉納の石祠」前の犬か狼かの石像)

 

上尾市に引っ越してきたのだからと、地元に狼信仰や狼像はないだろうかと調べています。そこで犬か狼かの石像があったという話は、先日の「平方・橘神社」に書いた通りです。

上尾図書館には、平成元年ころ行われた上尾市内の民俗調査をまとめた報告書がありました。上尾市文化財調査報告『上尾の民俗』(上尾市教育委員会)です。

これによると、上尾にも三峰講と御岳講があったようです。

上尾市教育委員会によると、平成元年ころ民俗調査をやったときは、いろんな話が聞けたそうですが、ここ何十年かで、そういった民俗文化が急激に廃れ、もうほとんど講社もなくなったといいます。

今では上尾もこんなに建物ばかりが密集している都会ですが、昔は田畑が広がる農村でした。

現在の埼玉県に該当する武蔵国内の16郡については、正保年間(1644~48)から元禄年間(1688~1704)までの約50年間に、村の数が403カ村増加していて、17世紀後期になって新田開発が進んだことがわかるという。

三木一彦『関東平野における三峰信仰の展開 ―武蔵国東部を中心に―』には、「武蔵国における三峰末社の分布 」の地図が載っていますが、それを見ると、文化・文政年間(1804~30)では、 江戸市中と、中山道、日光街道などの街道筋に多く点在しています。

当時の宿場の軒数は、鴻巣490軒、桶川250軒、上尾宿170軒、大宮200軒、浦和208軒ありました。
享和二(1802)年に大坂銅座勤務を終えて江戸に帰ったときの大田南畝は、紀行文の中で、中山道の宿場町について、こんなふうに書いています。

「本庄は賑やかであり、深谷は五・十の六斎日にあたり、熊谷はとくに賑わい、江戸を彷彿とさせるものがあったが、鴻巣から桶川・上尾・大宮は、「わびしき所也」「ひなびたり」」(『埼玉歴史の道50話』埼玉県立博物館編著/埼玉新聞社)

日本では、オオカミはシカやイノシシを食べ、結果、人間にとっては農作物を守ってくれたので益獣でした。だから農村部の人々が三峰信仰に求めたのは、最初はシカやイノシシ除けでした。

「例えば、安永9年(1780)頃 の『武蔵演路』には、「曽て狼ありて田畑を守護し諸獣を入れず,其神妙数知らず」と」あります。 

当時は上尾あたりにも狼がいたのでしょうね。 

村々には、必ずといっていいほど「大山講(石尊講)」と「榛名講」がありました。これらの講は、雨乞い・嵐除け・雹除けなど、農業に関わる願意が中心となっていました。農業の作神として信仰されていたようです。「三峰講」も「御岳講」も作神としての信仰でした。

ちなみに上尾には、他に「戸隠講」「宝登山講」「富士講」「成田講」などあったようです。なんと「伊勢講」までありました。伊勢神宮へは毎年参拝というわけではありませんが。 

『上尾の民俗』には、「三峰講」や「御岳講」の具体的な 話が出てきて興味深いです。聞き取りが行われたのは平成元年ころなので、大正から昭和にかけての話です。

 御岳講は、青梅市の武蔵御嶽神社へ代参するのですが、大正時代から昭和初期には、上尾から自転車で行っていたというんですね。しかも日帰りの代参もあったというからすごいです。

『上尾の民俗 Ⅱ』(上尾市教育委員会/平成4年)の、戸崎の御岳講の例を引用すると、

「御岳神社を信仰する講で、作神様であるという。二人一組で四月の節供のころの代参であった。御岳には自転車で行ったもので、戸崎から平方に出て川越に渡り、入間川を経由して青梅に入り、ここからは神社までもう少しであった。神社では毎年決まった御師の世話になる。御師はOといい、現在のケーブルカーの下の駅の近くである。御岳に着くとまず御師「代参できました」といって荷物を置いて神社を参拝する。参拝から帰ると御師の家の中に祀ってある神社で御師が中心になって祭典を行ない、いただいて帰るお札やツツガユの紙を揃えてもらう。このときに、御師にはお札料と宿泊費を払うが、金額は提示されず、適当な金額を払うと、これに応じた賄いをしてくれる」

ツツガユ(筒粥)とは、その年一年の作物の出来の予測が書いてある占で、これを見て、「今年はコク(収穫量)がありそうだ」とか「今年はオカブ(陸稲)がだめだから、照りそうだ」などと話していたそうです。

上尾から御岳まで何キロあるのでしょうか。調べたら片道64kmありました。時速12kmとしても5時間半。行きは緩やかな登りできつかったが、帰りは楽だったとありますが、自転車往復が11時間とは、想像しただけでも「遠い」ですね。

俺も中国雲南省の麗江で、ナシ族の村へは片道10キロを自転車で行っていましたが、80年代の中国の自転車は、それこそ車体もペダルも意地悪いくらいに重くて、玉龍雪山へ向かう緩やかな上り坂と向かい風には死ぬような思いをしたので、それを思い出してしまいます。日本だって昔の自転車は重かったろうし、道だって舗装していないところも多かったのではないでしょうか。たぶん、日帰りの場合は、夜明け前4時ころには出発しなければならなかったのではないかなと思います。

そんな苦労をしてまでも、行きたい、いや、行かなければならないという当時の農民の心情を想像してしまいます。御岳までの日帰りの「旅」も、講員の思いを引き受け、くじで選ばれたという責任感や義務感に支えられた、単に物見遊山ではない苦労が偲ばれます。

とはいえ一方では、農作業が始まる前の春先、一日だけではあっても御岳までの「旅」はそれなりに楽しかったのかもしれません。村を出たことがない若者にとって、外の世界を知る絶好の機会でもあります。事実リクエーション的要素もあったらしいのです。

御岳では、いつも同じ御師にお世話になっていたようです。地域の担当が決まっていて、秋、冬には同じ御師が集落を周ってお札を配ることもありました。調査の中で、多の人が御師の名前を出していますが、すべてOさんです。

三峰講についても『上尾の民俗 Ⅱ』から、地頭方の例として引用します。

 「三峰神社の神様は、オイヌサマであるといわれる。代参は4月ごろで、上尾まで出て、高崎線の列車に乗り、熊谷で秩父鉄道に乗り換え、三峰口で降り、ここからはバスで行った。代参は日帰りであった。この講では、各講員に配るお札のほかに、辻札と御眷属札をいただいてくる。辻札は、ムラ境に立てたもので、堤崎境、領家境、壱丁目境、中新井境の4カ所に立てる。御眷属札は、神明様のところに三峰神社を祀ってあり、ここに納めるものである。これは、毎年古い御眷属札を代参者が持って行って取り替えて、毎年納めるものである。」

 いつの時代なのか、この例では「日帰り」とありますが、三峰講の場合は上尾から遠いので、坊に宿泊するのが一般的であったようです。

 辻札というのは御岳講の人ももらってきていて、やはり4カ所に立てたという。辻札は、五尺くらいの篠竹の上部を二つに裂いて挟み、挟んだお札の上に杉の葉を逆さに付けて縛って挿しました。

『上尾の民俗』で語られる講員の話を読んでみて受ける印象は、人々が三峰や御岳を信仰していたのは、あくまでも農家が求める作神様というところであって、それが「狼信仰」というところには意識がいっていないんだなぁということです。

お札にはオイヌサマが刷られていても、それが狼であることにはあまり関心が無いようです。まぁそれはそうでしょうね。農家にとっては今年の作柄がどうなるかというところが重要であって、狼はすでにいなくなっていたし、狼がシカやイノシシを食べるという具体的なイメージはすでになく、狼かどうかははっきり言ってどうでもよかったといえるかもしれません。中には、「このオイヌサマは養蚕の神さまのようで、蚕のねずみ除けであるといわれた」と話した人もいます。

一方江戸では、三峰信仰はシカやイノシシ除けではなく、火災・盗難除けとして信仰されました。大火が何度も発生していた江戸で、火災除けは必然だったということでしょう。ちなみに1601年から1867年の267年間に、江戸では49回もの大火が発生しています。

浅草寺内にも三峯神社が鎮座しますが、他のお堂はみな南側を向いているのに、三峯神社だけ東側の本堂を向いているのは、火防の守り神だからだそうです。

それと盗難除けも、どちらかというと都会的です。

街道が発達してくると、上尾などの宿場でもその影響をうけるようになります。宿場からさらに田舎の農村にその影響は伝播していったということらしい。このように農村でも都会の影響を受けて、三峰も、だんだんと火災・盗難除けとして信仰されるようになっていった経緯があるようです。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/05/07

ゴールデンウィークの犬連れ車旅04 千葉県佐倉市 武家屋敷通り「ひよどり坂」

287a9763

千葉県佐倉市を訪ねました。

武家屋敷通りに隣接した「サムライの古径(こみち)」の「ひよどり坂」で、ヴィーノの記念写真を撮りました。江戸時代からほとんど変わらないという、凛とした美しさと静かさをもった竹林に囲まれています。

このヴィーノの写真は雑誌の連載で使えるかな。いいロケーションです。朝の光もちょうど美しく差し込む時間でした。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/05/06

ゴールデンウィークの犬連れ車旅02 神奈川県葉山の海岸&棚田

Img_3143

Img_3125

Img_3151

Img_3153

Img_3170

 

葉山の御用邸の海側が一色海水浴場になっています。そのまま南へ歩いて行くと、小磯の鼻、大浜海岸に続いています。

海岸自体はいいところです。波も穏やかなので、サーフィンではなく、SUP(スタンドアップパドル)を楽しんでいる人たちがたくさんいます。海岸に椅子を持ちだし、ビールを飲みながら海を眺めている人もいます。俺たちのように犬連れで歩いている観光客もいます。

でも、さすが御用邸のある海岸ですね。警備の警察官がところどころに立っています。偶然にも、前天皇が退位し、新天皇が即位したばかりです。「何か」あるといけないので、警戒も厳重なのでしょう。

葉山の町も、大きな車通りから一歩路地に入り込むと、いい雰囲気です。海岸だけではなく、意外と街歩きも楽しいところだと分かりました。

郊外には、神奈川県では珍しい棚田があります。葉山の棚田です。水は張ってありましたが、まだ田植えは終わっていませんでした。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

より以前の記事一覧