カテゴリー「旅(日本)」の590件の記事

2021/04/15

『オオカミは大神(弐)狼像をめぐる旅』の予約PV

 

音楽は、インドネシア・バリ島のガムランふうのオリジナル音楽です。現地バリ島での儀式での歌をミックスしています。

どうしてBGMをこれにしたかというと、日本の狼神社と、バリ島のヒンズー寺院の雰囲気が似ていると思っているからです。

どちらもアニミズム的なカミを敬い、自然に感謝する姿に共通するものを感じています。

だから言葉はバリ語ですが、そんなに違和感がないと思うのは、俺だけでしょうか。

| | コメント (0)

2021/04/05

『オオカミは大神 弐  狼像を巡る旅 』の予約ページ

Jpeg

 

amazonに、予約ページできています。 

今回の表紙の写真は、武甲山御嶽神社の一の鳥居に建つ狼像です。

これはもともと別なところ(産業道路)に建っていましたが、大型車が通りづらいということで、こちらに移されたそうです。

苔がまるで体毛のようでもあり、長い時間を感じさせるすばらしい狼像だと思います。

 

オオカミは大神 弐 狼像を巡る旅 – 2021/6/14

 

 

| | コメント (0)

2021/03/26

渋沢栄一先生「道徳経済合一説」の講義

Img_7924

Img_7928

Img_7958

Img_7943

Img_20210325_140028467

Img_20210325_140821993

深谷市の渋沢栄一記念館、 旧渋沢邸「中の家」、尾高惇忠生家、「青天を衝け」の大河ドラマ館へ行ってきました。

記念館では、アンドロイド先生による「道徳経済合一説」の講義を受けました。8分ほどの短い講義ですが、道徳と経済は反するものではなく、両方とも同時に追求できる、道徳を失わない経済活動は人々を幸せにできるという、今の時代にピッタリの講義であったと思います。

渋沢栄一の最初の奥さんであった千代は、コレラで亡くなっているんですね。先週のドラマでは、安政4、5年が舞台だったようですが、安政5年には江戸でもコレラが大流行して、コレラ除けのために「お犬さま」を求めて多くの人が三峯神社、武蔵御嶽神社へ参拝した年でもあります。このことを今、『オオカミは大神2』の原稿で書いているところなので、興味を持って観ています。今度の放送ではコレラ禍がえがかれるのかどうか。そしてお犬さまのお札が登場するのかどうか。(ただ、千代が亡くなったコレラ禍というのは、安政ではなく、明治になって流行したときのもの)

富岡製糸場に最初女工があつまらなかったのは、フランス人技師がワインを飲んでいるのを見て、「血を取られる」という噂が立っていたからだそうです。赤ワインだったのでしょうか。コレラが外国からの「悪狐」の仕業だったり、外国人が人の血を飲むといった妄想は、外国人を知らないことによる誤解からきていただろうし、外国人に対しては、「怖い」イメージがついていたのでしょう。知らない外国人には意識的無意識的な身構え(もっと極端には差別)が生まれるのは、今もまったく同じです。話してみれば、普通の人間だとわかるんですが、やっぱり「見かけ」は大きいですね。もっとも、生物としての本能で、「見かけ」で判断するからこそ、瞬間的に、身の危険を避けることができるということでもあるので、「差別反対」と念仏のように唱えて安心するだけでは解決しない問題ではあると思います。

記念館の後ろに設置されている渋沢栄一の銅像ですが、前は駅前にあったらしいのですが、評判が悪く、ここに(しかも記念館の裏側)置かれたようです。たしかに、頭がやけに大きく感じ、バランスが悪いですね。

そこから桜並木を歩いて15分のところに、 旧渋沢邸「中の家」があって、ここには若いころの栄一の銅像があります。普段「狼像」などを撮っているせいか、ここでも銅像が気になって、つい撮影してしまいます。

 尾高惇忠生家は、惇忠や栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したところだそうです。この計画は実行されませんでしたが、もし実行されていたら、栄一も惇忠も生きてはいなかっただろうし、日本の姿は、今とはだいぶ違ったものになっていたのかもしれません。

もう一か所は、NHK大河「青天を衝け」のドラマ館へ。もともと建物は体育館だったようです。入り口には、栄一が、深谷市イメージキャラクター「ふっかちゃん」に現ナマを渡しているような看板が。

さっきは、「道徳を失わない経済」と講義していた栄一が、「ふっかちゃん」にお金を見せて、何かを要求しているように見えてしかたありません。

 

 

| | コメント (0)

2021/02/06

【犬狼物語 其の五百三十七】 宮城県石巻市 三峯神社の狼レリーフ像

287a0966

287a0924_20210206081201

287a0950

287a0956

287a0953

287a0945

 

宮城県石巻市の三峯神社を参拝しました。

仙台からの途中、小雪がパラつき寒くなりましたが、石巻に着いた頃は雪もあがり、晴れ間が見えてきました。ただ気温は低いままです。この日、最高気温は1度、2度だったらしい。

三峯神社は駅から約800m。石祠の台座、左右に狼のレリーフ像がありました。祠の右奥には、秩父の三峯神社参拝記念の碑も。だから、ここは本山から勧請した神社だということがわかります。

今、この神社を管理しているのは「三峯会」といい、20年前は100戸ほどが加入していましたが、震災後、徐々に減っていき、現在は60~70戸が加入しているという。

この社は、東日本大震災で壊れて津波にものまれました。修理をすることになりましたが、その時、社の中に祀ってある木祠の中からポロリと木札が出てきました。それには、「文化十四年三月武州秩父郡三峯山ヨリ御神ヲ遷ス奉ル」とありました。だから初めて勧請されたのは文化14年までさかのぼることが震災後にわかりました。

なお台座の刻字や石碑などから、今の石祠(狼のレリーフ像も)は明治25年に作られたものらしいとのことです。

でも、誰が勧請したか、なぜ勧請したかはわからないといいます。台座には「水」と書いた水桶のようなものも彫られているので、火災除けとしての勧請だったのではないかと思っているそうです。

ある女性は「水」にちなんで、水イボができたので、笹船に豆をお供えして祈願したという。三峯会の人たちは「それはないだろう」と思ったそうですが、でも、信仰という面からみれば、狼(ご眷属様)は、病気除けのご神徳もあるので、間違っているわけでもないでしょうが。

石祠もそうですが、神社で使っている石材は、加工がしやすい「井内石」を使っています。近くに「井内石」の産地があって、そこから採れる石を使って修理しました。昔は多くの石工もいたらしいですが、現在では少なくなりました。狼像もこの石工たちが彫ったものなのでしょう。

昔は、石巻三峯講として本山に詣でていましたが、現在は行なわれていません。(祠の中に祀ってある御札は「講」としてのもの)ただ、今でも、7月の第3~第4の土曜日(昔は7月19日)に祭りを行っています。羽黒神社の宮司が祈祷をする神事が行われ、夜8時ころから直会をします。また8月第1土(日)にも、総会と直会をやっています。

「19日」というのは、秩父三峯神社の域外、地方に貸し出されている御眷属様に小豆飯を炊いて供える「お炊き上げ」神事の日と同じです。

もともとこの神社は、近くの通りの遊郭街のどこかにあったものを現在のところに移したという話を聞いているそうです。神社前の道路は昔の旧道ですが、もともと道の広さは現在の半分程度だったので、三峯神社の境内も広かったらしい。銀杏の御神木がありましたが、老木になり、倒れることなども心配し、平成29年2月7日に伐採されました。その切り株が、歩道との境に残っていますが、境内が広かったころは、境内の真ん中に立っていた御神木だったようです。

境内を回り込むように昔は堀がありました。近くの酒蔵からこの堀を通り船で酒を運んでいたらしい。現在、一部用水路になっている部分もありますが、堀は埋められて道路になっています。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/12/18

藤川馬頭観音の牛のお札

161111_15_2

161111_12_2

161111_13_2

 

来年の牛・丑年にちなんで、牛の話題を続けようと思います。

西郷隆盛の愛犬「ツンの像」を探しに鹿児島県薩摩川内市の藤川天神を参拝した時です。牛の姿が入った馬頭観音のお札をいただきました。

駐車場から境内に入る参道脇にツンの像はありました。上野の西郷さんの像からの思い込みで、てっきりここも西郷さんといっしょのツンを想像していたのですが、像はツン単独の像です。

どうしてここにツンの像が建てられたのかというと、ツンの元々の飼い主だった前田善兵衛の家が、ここから4kmほどのところにあるからです。いわば、ツンの生まれ故郷に、錦を飾ったというかっこうでしょうか。

平成2年(1980年)のNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』の放映を機に、制作を彫刻家・中村晋也氏に依頼し、ツンの像が建立されたとのことです。

宮司さんは、

「上野のときには、ツンは死んでいて、雄犬をモデルにしたのですが、ここのツンの像はちゃんと薩摩犬の雌犬をモデルにしています」

といいました。上野の銅像を造ることになったときには、ツンは既に死んでいたので、別の薩摩犬の雄犬をモデルにして造られたという話は聞いていました。

こっちの方が実物に似ているということになるのでしょう。地元ではちょっとした自慢なのかもしれません。

社務所には御札やお守りがあって、中に動物が2頭刷ってあるお札があって、小さいほうがチベット犬の子犬の姿にも似ていました。

確認のために「これは犬ですか?」と聞いたら、馬頭観音の御札で、これは子牛の像なのだという。残念ながらやはり犬の姿ではありませんでした。

牛のお札をいただいたのは、ここが最初で最後です。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/12/12

埼玉県さいたま市浦和 青山茶舗は仮店舗営業中

4

2_20201212075901

1_20201212075901

Img_2473x

今年の夏から始まった青山茶舗の改修工事は、年末に終わる予定でしたが、年明けにずれこむらしい。新しい店舗で営業再開するのは立春(2月上旬)ころかもしれません。ずっとスチールとムービーで記録を撮っています。

今は、茶屋は、仮店舗で営業中です。旧中山道に面した店舗は養生シートに覆われていますが、正面右側のTimesの駐車場を通って裏に周ると、和風喫茶・ギャラリー楽風(こちらは通常営業)の庭で、手前に、仮店舗の入り口があります。そこを入ると、和室を利用した仮店舗です。一番下の写真がそうです。

これがなかなか趣があっていいのですが、仮店舗なので、見られるのは今だけです。ちゃんとお茶は販売していますので、ぜひ行ってみてください。今日あたり、足場が解体されるようだし、この前外壁塗装が終わったので、近々養生シートも外され、新店舗の外観だけは見られるようになるのではないかと思います。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/12/11

東京都豊島区 池袋氷川神社の池袋富士塚

287a8167

287a8156

287a8162

287a8164

287a8166

287a8171

 

 

東京都豊島区の池袋氷川神社で七五三の撮影がありました。この神社境内には、池袋富士塚があります。

解説看板によると、

「 高さ約五メートル、東西幅約十三メートル、南北幅約十八メートルを測り、全山がボク石で覆われている。

池袋富士塚は、明治四五年(一九一二)六月に池袋月三十七夜元講によって築かれたものである。 

 平十年(一九九八)六月に東京都豊島区指定史跡となり、保存がはかられている。」

なお、登拝が許されているのは7月1日だけのようで、通常は上ることはできません。

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/11/17

埼玉県川口市 川口神社の富士塚

287a4248

287a4252

287a4258

287a4256

287a4242

 

埼玉県川口市の川口神社を参拝しました。境内には浅間神社(富士塚)があります。

石碑には「富士」「登山」「参拝」と刻まれています。

意外と新しい富士塚で、昭和天皇即位を記念して 1929 年(昭和4年)に設置奉納されたそうです。

さらに2008年に撮られた写真を見ると、この碑だけの小さい塚でした。2014年(平成26年)に移築されて今の大きさになったようです。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/11/06

群馬県太田市 冠稲荷神社

Img_4034

Img_4040

Img_4038

Img_4044

Img_4042

287a1790

群馬県太田市の冠稲荷神社を参拝しました。

日本七社(日本七稲荷)のひとつだそうです。この前は、日本三大稲荷(あるいは日本五大稲荷)のひとつ、東松山市の箭弓稲荷神社を参拝したばかりです。

どうも最近、お稲荷さんに呼ばれているようです。

境内にはたくさんの狐像。いろんな像が点在していて見飽きないですね。

ところで、境内には日本一の大きさといわれる県指定天然記念物の樹齢400年、縁結びの木瓜(ボケ)があります。開花の時期は3月中旬~4月初旬頃なので、残念ながら今は地味な存在です。

「木瓜」と見ると、中国語の「ムーグワ(木瓜)」を連想してしまいます。南国シーサンパンナにはムーグワがたくさんありました。ムーグワとは、パパイヤのことです。日本語と中国語で意味が違います。どうして?

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/11/05

埼玉県久喜市 菖蒲町下栢間の富士塚古墳

287a7547

287a7540

287a7543_20201103083301

 

埼玉県久喜市の富士塚古墳に寄ってみました。

これは「栢間七塚」と呼ばれる栢間古墳群を構成する一基だそうです。 

一辺10mの方墳で、階段が付いています。

古墳頂上に立つ石碑の表には蚕影大神、木花佐久夜姫、豊受姫神、裏には、明治二十■■■と刻まれています。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

より以前の記事一覧