2024/09/12

【犬狼物語 其の七百七十八】「狐狼地獄」の中の狼像

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狼像のルーツを探る中で知った「狐狼地獄」の中の狼像。

これは1180年代に描かれたもの。

歯をむき出して火炎吐く狼と、少しわかりにくいですが、腹に食いつく狐。恐ろしや~

「地獄草紙」奈良国立博物館画像データベースより

 

 

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2024/09/07

今日から二十四節気「白露(はくろ)」、七十二侯「草露白(くさのつゆしろし)」

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二十四節気「白露」ですが、まったくそんな感じじゃないですね。まだまだ暑いです。

稲刈りが各地で始まっているので、コメ不足は解消していくのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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2024/09/02

品川神社の備前焼狛犬

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品川神社を参拝した時、独特の色の狛犬があり、これはもしかしたらと思ったら、やっぱり備前焼の狛犬でした。

西日本の狼像を探していたとき、複数回、備前焼の狼像や狛犬を見たので、この色で気がつきました。

文政13年(1830年)奉納です。願主は品川の人らしいので、遠く備前焼の窯元に発注して奉納した狛犬らしい。

すばらしい造形です。

 

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2024/08/31

【犬狼物語 其の七百七十七】長命寺の「六助塚」

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向島に行ったついでに、数年ぶりに長命寺を参拝しました。

ここには『犬像をたずね歩く』に載せた明治21年4月建立「六助塚」の碑と犬像がありまます。

ユニークな犬像として紹介した六助ですが、実際は頭だけです。頭だけの犬像というのは他に記憶がありません。

今回見たら、六助の頭は、碑の土台といっしょになっていることがわかりました。数年前はもっと土に覆われていて、地面に首が置かれたように見えたのでした。もしかしたら左側に胴体、あるいは尾の一部分のようなでっぱりも見えるので、もっと掘り下げると、横たわった六助像があらわれるのかもしれません。

お寺で聞いても何も資料が残っていない(焼けた)とのことで、首から下がどうなっているか、お寺でも把握していないとのことです。

ところで、六助とはどういった犬だったのでしょうか。

倉林恵太郎氏の「鼠を取(捕)る飼い犬「六助」」に、碑文が掲載されているのでそこから引用させてもらうと、

「名前は六助,生まれつきの性質は強く,ものごとに屈せず,幼いときより北新川のある酒問屋で飼われていた。飼い主に対して忠実で家を守り,また勤勉であったが,この犬は鼠を取る珍しい技能を持っていた。おおよそ,鼠の類に遭遇した場合,数々の猫より身軽ですばやさが優り,鼠は死をまぬがれることはなかった。これをもって六助は鼠を取り,数年間,人に対して被害を加えなかった。突然,屠犬者によって斃死した。縁故の皆様が悲しみ,その不幸のため資金を集めて碑を建てて,その魂を慰さめた。」

とあります。

ネズミを捕るという珍しい犬でした。猫よりも身軽というのだから小型犬だったのでしょうか。犬像を見ると、柴犬のようにも見えます。

六助は、野犬狩りに殺されたようです。明治時代になって、無主の犬は、一掃されてしまうわけですが、おそらく六助は酒問屋で飼われてはいても、日ごろは自由に歩き回っていた犬だったのかもしれません。だから野犬と誤解されて殺されたということらしい。

ところで、六助が飼われていた酒問屋は「北新川」とありますが、倉林氏は、現在の永代橋西側、中央区新川1丁目付近だろうと推測しています。長命寺からは南へ約6kmのところです。

 

 

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2024/08/30

デコピン

 

デコピン、大きくなったね。子犬の成長は速いです。

始球式までやってお犬さまのヒーローです。

でもやっぱりそうなんですね。デコピンのあの動きは一発勝負では難しいのではないかと。

大谷さんは2~3週間練習した、1回は球場に連れてきてリハーサルしたと聞いて、あのデコピンの完璧な動きに納得しました。それにしても何に対しても手を抜かず完璧を目指すんですね、さすがです大谷さんは。

大谷さんが抱き上げようとしたとき、ちょっと嫌がって逃げるんですが、このあたりヴィーノもこんな感じだったので、ヴィーノを思い出しました。もう4ヶ月経つんですね。

いつかデコピン連れた大谷さんの銅像が立つ確率高いので、その時は『犬像をたずね歩く』に加えさせていただきます。ちゃんと取材もして、本人のインタビューも載せられたら最高ですが。

 

 

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2024/08/29

狐の嫁入り

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この三囲神社の狐像は享和2年(1802)奉納のもので、江戸狐の中でも古い方です。尻尾が直立、立ち耳の典型的なお狐さまです。

「狐の嫁入り」とは、日が照っているのに、急に雨がぱらつくこと。いわゆる天気雨のこと。

まさにこの日は「狐の嫁入り」でした。雨が止まった瞬間に、東京スカイツリーとのコラボ写真を撮影。

「狐の嫁入り」は地方によって他に「狐雨」「狐のご祝儀」などとも呼ばれるそうです。

 ちなみに、外国でも天気雨のことをマレーシアでは「狐の嫁入り」、韓国では「狐の雨」、スリランカでは「狐の結婚式」という情報がネットにありました。

 なぜこの天気が「狐」と関係するのか(一説には晴なのに雨が降る怪現象が狐に騙されているようだからとも)、調べればまた何か面白そうなことが出てきそうです。

 

 

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2024/08/28

多武峯内藤神社内稲荷神社の狐像

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新宿御苑の東に鎮座する多武峯内藤神社。境内に稲荷神社が鎮座し、嘉永元年(1848)奉納の江戸時代の狐像があります。

左は宝珠、右は鍵を持っていて、今まで撮影してきた江戸狐の中では小ぶりな像です。尻尾は横に回してあるし、宝珠がなかったら狼像かなと間違えそうな像で、現在でも割とよく見かける狐像かなと思います。

でも造形は洗練されてて、想像ですが、高遠石工の作ではないかと。なぜなら、ここは高遠藩内藤家の下屋敷の屋敷神として祀られていたからです。

ところで、この撮影が終わって、表通りに出たら、友人と似ている男が歩いてきました。ずいぶん似た人間いるもんだと思ったら、向こうも俺を見ていて、本物の友人だとわかりました。2年ぶりくらいに会いました。その間連絡もしていなかったし、彼がここにいたのも偶然で、もちろん俺も偶然で、おそらく10秒違っていたら気がつかずに通り過ぎていたでしょう。

まったくの偶然なのですが、これを単なる偶然で済ますのも惜しい気がします。お狐さまのお導きかとも思いますが、こんな偶然を楽しみたいと思います。

それで2年ぶりに会って何を話したかというと、狼像には狐像の影響がありそうなので、ここの狐像も本に載せるかもしれない、とかいった話で、彼も少しは興味を示してくれたものの、またかぁと飽きられていたかもしれません。

 

 

 

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2024/08/25

動物の慰霊碑・供養碑

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日本にはどうして動物の慰霊碑・供養碑(依田賢太郎氏は塚と呼んでいるようだが)が多いのか、猫、蛇、犬、狼などの動物像で1冊本を作りたくなってきました。

動物と人が水平の関係=日本、動物と人が垂直の関係=西洋と捉えると、動物観の違いが表現できて、面白い本になると思うんですが。

先日見た動物供養堂の狸なんかもあるし、鯨、蚕、虫、etc と際限ないかな。 

 

 

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2024/08/22

今日は、二十四節気「処暑」、七十二候「綿柎開(わたのはなしべひらく)」

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今日からは、二十四節気「処暑」の初候「綿柎開」です。

「処暑」は、暑さが峠を越えて後退し始めるころ、「綿柎開」は綿を包む萼(がく)が開くといった意味です。

今までの暑さに比べれば、今日は確かに峠は越えたかなと思える気温。

昔は東南アジアのような暑さが好きでしたが、今はそういうレベルではなくなってきています。これから毎年こんな酷暑の日々が続くと思うと恐ろしい。

 

 

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2024/08/21

「Air」が「空気」ではなくて「水」の国

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「Air」が「空気」ではなくて「水」の国とは?

一昨日、NHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」でロケ地がペナン島と聞いたので思わず見てしまいました。

海上集落やアルメニアンロードやフードコートなど、自分が行ったところも映ると懐かしさがこみあげてきました。

ペナンは、マレー系、インド系、中華系など、いろんな文化が混在していて、そこが一番の魅力でもあります。

朝は飯店で飲茶をし、昼はイスラムレストランでカレー、夜はフードコートでイラン料理を食べたりしました。

だからペナンには、中国系寺院、モスク、ヒンズー寺院、教会などもあります。

中国系では、いろんなところで狛犬を見ました。じゃっかん日本とは趣が異なる狛犬像の数々です。

 

 

 

 

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