2024/09/30

【犬狼物語 其の七百八十一】東京都新宿区 鎧神社の三峯社と狛犬型庚申塔

287a3334

287a3352_20240930092301 

287a3355

鎧神社内の合祀殿に三峯社が祀られています。

それと、ここには新宿の有形民俗文化財に指定されている「狛犬型庚申塔」があります。江戸の狐像や狼像よりも古い享保6年(1721)のものです。狛犬型の庚申塔は珍しいそうです。

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2024/09/23

「光る君へ」では、彰子の出産と「五十日の祝い」のシーン

Img_6281

287a6041

 

昨日の「光る君へ」では、彰子の出産シーンがありました。魔物を祓うシーンがありましたが、出産という異常事態は、狐や物の気の憑依と考えられていたということなんですね。

中村禎里著『狐の日本史』には、
「平安時代における六字経法修法例の一覧を見ると、十二世紀に入ってから、御産祈祷に六字経法が修せられる例が非常に多くなることがわかる。では、なぜ安産に六字経法が有効なのだろうか。出産時には、母と生まれようとする子の生命は、一種の危機状況におかれる。その危険を象徴するするのは、狐や物の気の産婦への憑依であった。密教の加持祈祷は、これを解除しなければならない。」とあります。

そして生後50日後の「五十日の祝い」、今でいうところの「お食い初め」の儀式のシーンも。なにか白いドロドロしたものを口に含ませていましたね。

平安時代には生後50日目に、流動食の一種、重湯の中へ餅片を入れ、赤ちゃんの口に少し含ませる「五十日の祝い」がありました。また、生後100日目には「百日の祝」がありました。

現代の「お食い初め」では、特に関東では、「餅」が「歯固めの石」に変わってきたようです。関西では「歯固めの石」ではなく「タコ」などを使うようです。

| | コメント (0)

2024/09/20

【犬狼物語 其の七百八十】武蔵御嶽神社

 

287a3159

287a3162

287a3029

 

すごいものを見てしまいました。

江戸時代の火事装束のお犬さま(狼)。現在宝物殿で展示されています。

刺繡の狼像を見たのは初めてです。火伏の神としてのあうん2体の狼像が描かれています。

刺繍糸が狼の毛並みと合っているのでなおさら迫力が。そして歯や爪は金属製で細工も細かく文化財ものです。

奥宮遥拝所と大口真神社にも参拝。

そして築山のお犬さま像(一番下の写真)。つい最近、明治26年奉納のものと判明しました。

太陽光線の当たり具合によって刻々と変化するお犬さまの表情。2時間じっくりと見続けながら、お犬さまが一番カッコイイと思える瞬間を捉えるのが俺なりの狼信仰。

ところで、右奥の牙が、数年前の牙より長くなっているように見えるのは気のせいか。

 

 

| | コメント (0)

2024/09/17

2024年の「中秋の名月」

Img_7807

 

「中秋の名月」です。

秋を初秋(旧暦七月)、中秋(旧暦八月)、晩秋(旧暦九月)の3つに分けますが、「中秋の名月」は、「秋の真ん中」=「旧暦八月十五日夜」の月のことです。

旧暦では、「中秋の名月」は八月十五日で日付は固定されていますが新暦では、毎年、日付が変わります。

今年2024年の「中秋の名月」は新暦9月17日。雲もなく、月がくっきりと見えています。

 

 

 

| | コメント (0)

2024/09/16

【犬狼物語 其の七百七十九】「役行者前後鬼・八大童子像」の狼

24091215(MIHO MUSEUMホームページより)

 

 

京都・醍醐寺蔵、15世紀室町時代に描かれた「役行者前後鬼・八大童子像」。

役行者を見上げる狼の姿も描かれています。

垂れ耳とまではいきませんが、伏せ耳とあばらの表現がある狼です。

これが狼信仰のお札や狼像に直接影響したかはわかりませんが、少なくとも、昔から伏せ耳・あばらの表現のある狼の姿があったことは分かりました。

 

 

| | コメント (0)

2024/09/12

【犬狼物語 其の七百七十八】「狐狼地獄」の中の狼像

Photo_20240912065101

狼像のルーツを探る中で知った「狐狼地獄」の中の狼像。

これは1180年代に描かれたもの。

歯をむき出して火炎吐く狼と、少しわかりにくいですが、腹に食いつく狐。恐ろしや~

「地獄草紙」奈良国立博物館画像データベースより

 

 

| | コメント (0)

2024/09/07

今日から二十四節気「白露(はくろ)」、七十二侯「草露白(くさのつゆしろし)」

09287a5071

二十四節気「白露」ですが、まったくそんな感じじゃないですね。まだまだ暑いです。

稲刈りが各地で始まっているので、コメ不足は解消していくのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2024/09/02

品川神社の備前焼狛犬

Img_5914 Img_5920

 

品川神社を参拝した時、独特の色の狛犬があり、これはもしかしたらと思ったら、やっぱり備前焼の狛犬でした。

西日本の狼像を探していたとき、複数回、備前焼の狼像や狛犬を見たので、この色で気がつきました。

文政13年(1830年)奉納です。願主は品川の人らしいので、遠く備前焼の窯元に発注して奉納した狛犬らしい。

すばらしい造形です。

 

| | コメント (0)

2024/08/31

【犬狼物語 其の七百七十七】長命寺の「六助塚」

Img_7160

向島に行ったついでに、数年ぶりに長命寺を参拝しました。

ここには『犬像をたずね歩く』に載せた明治21年4月建立「六助塚」の碑と犬像がありまます。

ユニークな犬像として紹介した六助ですが、実際は頭だけです。頭だけの犬像というのは他に記憶がありません。

今回見たら、六助の頭は、碑の土台といっしょになっていることがわかりました。数年前はもっと土に覆われていて、地面に首が置かれたように見えたのでした。もしかしたら左側に胴体、あるいは尾の一部分のようなでっぱりも見えるので、もっと掘り下げると、横たわった六助像があらわれるのかもしれません。

お寺で聞いても何も資料が残っていない(焼けた)とのことで、首から下がどうなっているか、お寺でも把握していないとのことです。

ところで、六助とはどういった犬だったのでしょうか。

倉林恵太郎氏の「鼠を取(捕)る飼い犬「六助」」に、碑文が掲載されているのでそこから引用させてもらうと、

「名前は六助,生まれつきの性質は強く,ものごとに屈せず,幼いときより北新川のある酒問屋で飼われていた。飼い主に対して忠実で家を守り,また勤勉であったが,この犬は鼠を取る珍しい技能を持っていた。おおよそ,鼠の類に遭遇した場合,数々の猫より身軽ですばやさが優り,鼠は死をまぬがれることはなかった。これをもって六助は鼠を取り,数年間,人に対して被害を加えなかった。突然,屠犬者によって斃死した。縁故の皆様が悲しみ,その不幸のため資金を集めて碑を建てて,その魂を慰さめた。」

とあります。

ネズミを捕るという珍しい犬でした。猫よりも身軽というのだから小型犬だったのでしょうか。犬像を見ると、柴犬のようにも見えます。

六助は、野犬狩りに殺されたようです。明治時代になって、無主の犬は、一掃されてしまうわけですが、おそらく六助は酒問屋で飼われてはいても、日ごろは自由に歩き回っていた犬だったのかもしれません。だから野犬と誤解されて殺されたということらしい。

ところで、六助が飼われていた酒問屋は「北新川」とありますが、倉林氏は、現在の永代橋西側、中央区新川1丁目付近だろうと推測しています。長命寺からは南へ約6kmのところです。

 

 

| | コメント (0)

2024/08/30

デコピン

 

デコピン、大きくなったね。子犬の成長は速いです。

始球式までやってお犬さまのヒーローです。

でもやっぱりそうなんですね。デコピンのあの動きは一発勝負では難しいのではないかと。

大谷さんは2~3週間練習した、1回は球場に連れてきてリハーサルしたと聞いて、あのデコピンの完璧な動きに納得しました。それにしても何に対しても手を抜かず完璧を目指すんですね、さすがです大谷さんは。

大谷さんが抱き上げようとしたとき、ちょっと嫌がって逃げるんですが、このあたりヴィーノもこんな感じだったので、ヴィーノを思い出しました。もう4ヶ月経つんですね。

いつかデコピン連れた大谷さんの銅像が立つ確率高いので、その時は『犬像をたずね歩く』に加えさせていただきます。ちゃんと取材もして、本人のインタビューも載せられたら最高ですが。

 

 

| | コメント (0)

«狐の嫁入り