2023/09/21
2023/09/19
新日本風土記「オオカミとカワウソ」
新日本風土記で「オオカミとカワウソ」が放映されます。
https://www.nhk.jp/p/fudoki/ts/X8R36PYLX3/episode/te/J7GQWM8YJW/
新日本風土記の予告編に出てくる鳥居は見覚えがあります。鳥居に付けられた「山神図」も見えます。
ここはもしかしたら東北の、かつてオイノ(狼)祭りが行われていた「山の神」と「三嶺山」の碑が残っているあの鳥居ではないでしょうか?
地元住民によると、オイノ祭り自体はもう行われていませんが、しめ縄を替えたり、お参りしたり、ということはやっているそうで(数年前の時点)、予告編に出ている3人の参拝者は近所の村人なのでしょうか。
この鳥居の近くから山へ登る道が続いていますが、それは遠野へ通じる旧道で、山と里の境界でもあって、狼がこれ以上里に来ないでほしいという願いもあったとか。
2023/09/10
「モロッコ地震 死者2000人超」のニュース
Shocking videos starting to come through of what looks like entire villages destroyed close to the epicentre of the earthquake in Morocco
— Emir Nader (@EmirNader) September 9, 2023
pic.twitter.com/kYu4tSO5MY
地震のニュースには敏感で、他人事には思えません。今回の地震は数百年ぶりの規模らしい。
とくに最近は関東大震災から100年ということもあり、地震に対する意識は高まっています。
昔モロッコ には2回行ったことがあって、マラケシュ にも滞在しています。
今回の地震の震源地は、マラケシュから南西約70kmとのこと。2枚の写真はそのあたりになると思われる集落の写真です。
今も変わってないと思いますが、モロッコの田舎はこのようにレンガ造りの建物が多く、耐震構造にはなっていないので、地震には弱いのではないかと心配します。
ツイッターにあげられた地震の様子ですが、建物が崩れているのがわかります。写真と同じ村かはわかりませんが、同じような被害に遭っていると思われます。
日本からも救助隊の速い派遣をお願いしたいところです。
2023/09/09
コロナが再拡大
コロナが5類になり、電車でもマスクをしてない人が増えて、もうパンデミックは収束したかに思えましたが、撮影現場でも、再びコロナ感染で撮影が中止になったりという影響を受け始め、あぁ、まだコロナは終わっていなかったんだなぁとあらためて思います。
学校の文化祭で感染が拡大し、休校になった学校もあるというニュース。文化祭は盛り上がるかならなぁ。閉鎖空間のお化け屋敷やダンスパフォーマンスの応援は要注意かもしれません。
そういえば、8年ほど前にブラッド・ピット主演の映画『ワールド・ウォーZ』がありました。これもパンデミックをテーマにした映画でした。この時は遠い世界の話として見ていたように思います。
ただ、率直に感想を言わせてもらえば、映画を見終わったときの、このもやもや感はなんだろう?と思いました。
大量のゾンビを殺していくシーン、とくに、エルサレムの高くそびえる壁を乗り越えてくる何千、何万というゾンビたちに人々(感染していない人々)が襲われるシーンは圧巻ではあったのですが・ ・ ・。
映像的には迫力あるシーンに握手を送りたいとは思うのですが、一歩引いて内容を考えると、ゾンビは「敵」なのか?という疑問が浮かび上がって、物語りにのめりこめなくなってしまいました。
たぶん俺の「ゾンビ」に対するイメージというか、偏見でしょうが、ゾンビ自体に、ある種の「ばかばかしさ」を感じてしまうのは、アメリカの土葬と日本の火葬という文化の違いもあるのかもしれません。幽霊やお化けと違って、「死体」が動き回ることにリアリティを感じないのです。
彼らは「病人(感染者)」じゃないかなと思うと、「ゾンビ」とレッテルを貼られた人間が有無を言わずに殺されるというのが違和感だったのです。まず「病人(感染者)」を助けるのが筋じゃないのかと。
いや、そこが俺の勘違いなのだと後でわかりました。映画で描かれていたのはすでに死んだ「ゾンビ」なんです。噛まれたらすぐに感染して死んでしまい、その結果としてすぐにゾンビになるということらしいのです。だから「病人(感染者)」という状態の人間は存在しません。
ゾンビは動き回わりはしますが、あくまでも「死体」なので、問答無用に殺しても(死んだ人間を「殺す」という表現は変ですが)罪悪感は生まれないということになります。
「ゾンビ」にあまりにもフォーカスを当て過ぎるとこの映画の良さを見誤るかもしれないし、だから「ゾンビ映画」と呼ぶのは間違っているのかもしれません。
謎のウィルスが突然世界に蔓延し、パニックに陥る「パンデミック・パニック映画」と捉えれば、ブラピが出演したことも腑に落ちるというか、ブラピ自身はこの映画にほれ込んでいたようだし。
ブラピ演じる主人公は、元国連捜査官で、韓国やイスラエルでウイルスの正体を調査します。でも、正体はわからずじまいで、人間とゾンビの戦いが続いていくようなのです。
とりあえず有効なのが、ある「病気」になると、ウイルスの宿主として役に立たなくなって、ゾンビから襲われなくなるという応急処置が発見されたのでした。
つまり、この映画の続編が作られるということを暗示していたのでしょう。でも、8年経って、その間コロナの本当のパンデミックが起こり、続編はいまだにできていないし、できたとしても、内容は変わってくるんだろうなと思います。
2023/09/06
悪夢について
犬と暮らしている人なら見たことあると思いますが、寝ているとき、手足をばたつかせたり、短い吠え声を何度も出したりしているところ。夢でも見ているんだろうなと思っています。
実際、眼球運動もしているようで、これは人間でいうところのレム睡眠で、夢を見ている状態です。だから犬も夢を見ているんでしょう。ただそれを証明することはできません。
仮に夢を見るとすると、イヌの心にも無意識の領域はあるんだろうなと想像します。おやつを食べたり、野原を駆け回っているように想像される犬の寝姿から、夢は願望充足でもあると思われます。
そこで、「悪夢」について常々思っていることです。
自分で夢日記をつけていて思うのですが、そもそも「悪夢」というのは何なのかはっきりした定義はないし、仮に「怖い夢」「うなされる夢」が「悪夢」としても、それは意識側から見た話で、無意識にとっては、その人にその夢が必要だから見ているのだろうということなのです。
たとえ、殺されるような夢を見ているとしても、実際に死ぬわけではなく、無意識内での「死」は、何か意識側で、今の自分を否定し(殺し)、新しく変わらなければならない、あるいは、新しく変わりたいという願望かもしれないのです。疑似的な死がなければ再生できないわけで、だから、意識側の人間が、勝手に「悪夢」と判断して、夢にうなされている人や犬を起こすのは、けっしていいことではないような気がします。そのままにしておく。妻にも俺が夢でうなされていても起こさないようにと頼んでいます。
うなされているとき起こされると「悪夢を見た」ことが記憶されてしまいますが、そのままスルーされれば、結局本人も、悪夢を見たことを覚えていないので、見なかったと同じです(意識上では)。
でも、そのままにしておくのは、意外と難しいものです。辛そうにしている人や犬を見ているのは忍びないということでしょうが、それは、そうしない自分に対する後ろめたさであるかもしれません。
2023/08/31
映画『福田村事件』関東大震災から100年
そのうち観なければ、と強く思う映画です。
映画『福田村事件』公式サイト
https://www.fukudamura1923.jp/
関東大震災直後、避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報を聞いた福田村の村人が、疑心暗鬼に陥り、人々は恐怖にかられます。そして混乱のなかで善良な村人たちがだんだんと過激化していき、ついには惨劇が起こってしまいます。
昨日、NHKクローズアップ現代で、監督のインタビューがありました。監督は、人間の集団行動に注目しているようです。肉体的に弱い人間が地球上で生き延びることができたのも、集団行動をとることでした。(集団で狩をすることはオオカミから学んだという説は、何度も書いていることですが)
でも、集団行動には副作用があります。とくに平時は問題ないのですが、有事になったときです。恐怖や疑心暗鬼にとらわれ始めると、「個」はなくなり「集団」の意志が暴走し始めます。不安や恐怖を感じたとき「集団」は、ひとつにまとまろうとし、異質なものを見つけては攻撃し排除しようとします。
こういった悲劇を起こさないためには?という質問に、監督は、「集団」を主語にしないことが大切だと言います。その通りですね。ただ有事には「個」を保ったとしても、「集団」の力は強く、どうしようもなくなる場合があるとも。まさに「福田村事件」がそうだったのでしょう。
心理学者スタンレー・ミルグラムが行った服従実験というのがあります。ナチス政権下でユダヤ人虐殺に関係したとされるアイヒマンに由来して「アイヒマン実験」ともいわれますが、普通の人たちも、ある状況の元では、権威者に命じられるままに、罪のない人に電気ショックを与え続けるという実験です。
それと並んで有名な心理学的実験は、フィリップ・ジンバルドの監獄実験というものがあります。
スタンフォード大学で模擬刑務所を作り、大学生を囚人役、看守役に分けて生活をさせるものでした。参加者たちは自分の「役」に没頭し、看守は攻撃的、威圧的になってゆき、囚人役はより服従的になっていきました。でも、囚人役が心身に異常をきたしたので、2週間の実験を取りやめ、6日間で終了したという実験です。
普通の人たちが「役」にはまることで、どんなふうに変わっていってしまうのか、見ていると恐ろしくなります。なぜ恐ろしいかというと、「彼らは特別な人間」ではないからです。
ミルグラムがいうところの「状況の力」がいかに人間の行動に影響するか、俺たちはなかなかわかりません。
たとえば、ある犯罪が起こったとすれば、「あいつは残忍で非情な性格だからあんなことをやったんだ」と、つい結論してしまいます。それは「あいつは異常で俺たちとは違うのだ」と思い込むことで、どこか安心したがっているからでしょう。「俺は犯罪を犯さない」という(根拠の無い)自信を持ちたいのです。
ところが「状況の力」を過小評価し、個人の性格などに理由を求めてしまうのは、人間が共通して持っている「基本的な帰属のエラー」と呼ばれるものだそうです。
つまり状況しだいでは、どんなに「善良な人」も、最悪なことをやってしまいかねないということです。ということは、「俺もそうやってしまうんだろうか」という不安がぬぐえないことになってしまいます。
でも、「状況の力」のことを恐れているなら、逆に、そういう状況を作らない、そういう状況を拒否することで、最悪な行動を取らなくてすむかもしれません。
「自分はそんなことはしない」という自信を持っている人ほど危ないとも言えるわけですね。「(自称)善人」の危うさはここにあるようです。
「福田村事件」のような状況はまた生まれる可能性があります。いや、現に今、そんな危ない状況が生まれているように見えます。
たとえば、福島第一の原発処理水問題。インタビューである中国人は、正確には忘れましたが、こんなふうに言っていました。これは世界中の環境を破壊し、人々を不幸にします、といったようなことをです。
一方の日本人も、中国人は科学的ではないとか、なんとか。両方とも、中国人は主語を「世界の人々」にし、日本人もだんだんと「個人」の意見ではなく「日本人」の意見のように言い始めている人たちがいます。「お前が世界の人や日本人を代表しているわけじゃないだろ?」と突っ込みを入れたくもなります。気持ち悪い正義感のような物がにじみ出ています。
「中国人」「日本人」として応酬が始まると、だんだんエスカレートしていき、それこそ監督が言っている主語を「集団」に持っていく危ない兆候といわざるをえません。
監督が言っていることはこういうことなんだろうな。福田村事件の犯人たちも、国のためにやった、みたいなことを裁判で言っていたらしい。罪悪感がなくなっているんです。これも「個」を離れ「集団」(この場合は日本)が主語になった恐ろしさです。
2023/08/26
【犬狼物語 其の六百八十三】西日本のある神社の狼像
これは西日本のある神社の狼像です。
造形的にも優れていて、木目がきれいに現れています。子狼でしょうか。二重まぶたで、小さな牙もあります。健気で可愛らしい。
この狼像、今は宮司宅に置かれています。
宮司のおじいさん、つまり先々代の宮司は、馬で神社へ通っていましたが、ある日、明治初期のころ足元で狼を見たことがあるという話を聞いたという。明治時代には、このあたりにも狼はいたようです。
宮司の話では、この神社では、どのような経緯で狼信仰が始まったのかわからないが、昔の人にとっての最大の関心事は、五穀豊穣と疫病が流行らないことの二つ。日本最強の動物、狼を祀って、害獣を追い払い、五穀豊穣と、疫病退散を祈ったのではないか。そういった災害が起こらないように、祭りもたくさん行っていたという。
ところで、この神社では昔、盗難に遭っているそうです。現在の宮司のお父さん、先代のときですが、「狛犬調査」と称して電話があり、先代が狼像があると答えたところ、後日、高さ70cmほどの狼像が無くなっていたそうです。
実際にそういう目に遭っているので、この狼像を宮司宅に置いておくのはしかたありません。
俺の思い込みや、たまたまかもしれないですが、東日本では、あまり聞いたことのない狼像の盗難が、西日本では複数回聞きました。と、いうことは、西日本には昔はもっと狼像があったのではないかと想像します。
先日の記事「渡来系弥生人と狼信仰」の続きのようですが、西日本では昔はもっと狼信仰が盛んだったのではないか、という話を、逆に裏付けるような盗難の話を聞くことになってしまいました。
「物」が無くなるということは、「物語」も同時に失うことです。「物語」が無くなってしまえば、表面上は最初から無いのと同じように見えてしまいます。
2023/08/25
「ネッシー大捜索」のニュース
半世紀ぶりでネッシーの大規模捜索が行われるらしい。大々的にニュースになっていますね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e3a95fe1fcd1f750d9ed4a5398eda9850743b00d
もうネッシーは解決済みだと思っていたら、そうではないようです。昔、湖面から首を出した生物の写真が発表されて注目を集めましたが、のちに、これは捏造だった(おもちゃだった)ことがわかり世間に衝撃を与えました。
その後も捜索活動は散発的に行われていて、故石原慎太郎さんも捜索したことがあって、そのときは巨大ウナギ(と言っても1mほど)を発見したのではなかったでしょうか。その他にも湖水のDNA検査から、やっぱりネッシーの正体はウナギの可能性大ということでした。
もし恐竜のような、いわゆるネッシーがいるとすれば、1頭では繁殖できないので、かなりの数がいなければならず、そう考えると、もっと目撃されてもいいのではとも思います。
と、ここまで書いてきて、ネッシーはファンタジー(物語)であることをつい忘れそうになっている自分にハッと気がつきます。
捜索は、8月26、27の両日に行われるという。どうして今さら大々的に捜索をするんだろうというのが一番の疑問です。ファンタジーならファンタジーのままでいいじゃないかとも思います。「いない」ことがわかっているからこそ安心して「ネッシーの物語」を楽しむことができる、というふうにも言えます。(かりに実在していたら、なんらかの被害が出て、笑ってばかりもいられないでしょう)
皮肉をこめて言えば、そもそも、あのオオカミに対しては徹底的に駆除したイギリスじゃないですか。オオカミは、イングランドでは、ヘンリー七世治下(1485~1509年)、スコットランドでは1743年には絶滅にいたったという。危険動物がいない「安全な自然」を作り上げてきたイギリスが、ネッシーのような危険生物をそのままにしておくはずはないのです。
今回の捜索は話題作りなんでしょう。世界的にもネット上でいろんなものが知られてきたので、相対的にネッシーの知名度・観光地的価値がだんだん下がっているのは確かです。ここで起爆剤を投入して、また盛り返そうということなんでしょうね。観光地があの手この手で生き残りをかけるのは、別に悪いことだとも思いません。日本でも屈斜路湖にクッシーがいますし。
「企画したのは、ネス湖の観光拠点「ネス湖センター」と独立のボランティア調査チーム」(Yahooニュースより)だそうです。
2023/08/23
【犬狼物語 其の六百八十二】渡来系弥生人と狼信仰
縄文人の後で大陸から入ってきた弥生人との混血によって現代日本人が作られたという「二重構造モデル」。
東南アジアから北上した2集団のうち、海岸沿いに北上して日本列島に入ったのが旧石器人、後に縄文人。そしてそのとき日本には入らず、内陸側を北上した集団は、やがて寒冷地適応をうけて東北アジアの旧石器人に。
その後、この集団の一部が朝鮮半島から日本(九州北部)に入ってきました。それが渡来系弥生人です。今のところ、長江流域の古人骨の分析が行われていないので、稲作をもたらした集団が、この東北アジアの旧石器人とどのようなつながりがあるかわかりませんが、ふたつの集団は、朝鮮半島付近でいっしょになり、渡来系弥生人として日本に渡って来たと考えるのが、今のところ妥当であるらしい。
そこで以前紹介した書籍『人類の起源』の中で気になったのが次の地図です。各都道府県によってどれだけ縄文人の痕跡の濃度に差があるか、というものですが、近畿地方と四国地方や中国地方の瀬戸内海側で、一番縄文人の痕跡が少ない、つまり逆に言えば、一番弥生人的であるということが興味をひきます。
DNA解析から、この渡来系弥生人の流入の数は考えられていた以上に多かったのではないかという話です。その人たちが日本に稲作や金属器を伝えました。もしかしたら「狼信仰」もあったのでは?という話になってくるわけですね。
日本の狼信仰のルーツを考えたとき、日本で自然発生的に始まった説と、大陸から伝わった伝播説とあるかもしれませんが、どちらか一方、というのではなくて、両方あるんだろうと思います。どちらにしても、狼という恐ろしくも強く気高いものに接したときの、人間が共通して持った畏怖の気持ち。これが狼信仰の原点かなと思うので。
それはそうと、四国に渡来系弥生人の痕跡が多いことに興味を持つのは、香川県の神社に祀られている狼像が、狼信仰を持っていた渡来人の末裔の影響だったらしいという話を聞いているからです。
それは香川県さぬき市に鎮座する津田・八幡宮(津田石清水八幡宮)です。ここには狛狼像が1対あります。わざわざこの石像は狼像であると表示してあります。
その由来、正確にはわかりませんが(資料などは焼失)、宮司や郷土史家の話では、神社は1600年に現在地に遷座したのですが、元あった社には狼像があったそうです。渡来系の末裔たちが住んでいた地域で、地元民とのいさかいを極力避けるため、山犬を番犬化して使っていたそうです。そのなごりで元社にも狼像が置かれたとのこと。
四国ではこの1件だけだし、大和政権に請われて来た渡来系の人たちなので、弥生時代初期の話ではありません。なので、渡来系弥生人が本当に狼信仰を持ってやってきたかはわかりませんが(文化・信仰の伝達はひとりでもできるので)、少なくとも、そういう例があったということはひとつ参考になるかなと思います。
それとこれは近畿ですが、『欽明天皇紀』(540年)に、秦大津父が喧嘩をしていた二頭の狼に出会い「あなたは貴い神で、荒々しい行いを好まれます。もし猟師に会えば、たちまち捕獲されるでしょう」といって仲裁をしたところ、天皇は夢を見て秦大津父を捜し出し、大蔵大臣に取り立てました。これは秦氏が狼信仰を持っていたとされる記述で、いろんな媒体にたびたび引用されています。この秦氏は中国系渡来氏族とされます。(なお、秦氏は稲荷信仰ともかかわります)
現在の狼信仰の濃度と、この弥生人痕跡の濃度は、反比例しているじゃないか、という人もいるかもしれません。たしかに西日本では、江戸・明治時代に盛んになった木野山信仰や賢見信仰などを別にすれば、東日本と比べてあまり狼信仰の痕跡は濃くないというのが印象としてあります。
でも、文化の中心地から波のように周辺に伝播していき、中心地ではその文化が逆に薄れてくるという状況は、他にも見られて、柳田が唱えた「方言周圏論」は、言葉の話ですが、文化一般にも当てはまるような気がします。
西日本を旅して、狼信仰については東日本ほどはっきりしたイメージがなく、もやもやっとしているんですが、話を聞いてみると、めちゃくちゃ歴史が古いということがあって、この周圏論は、説得力を持ちます。つまり古い文化は、周辺に残るということを実感するのです。
すでに書いているように、もちろん、縄文時代の遺跡から発掘された遺物にも狼信仰の痕跡をうかがわせるものがあるので、縄文時代には、すでに何等かの狼信仰的なものはあったと想像できます。弥生時代に関してもそうです。だから、日本の狼信仰のルーツを考えた場合、いろんなパターンがあるのだろうと想像するしかありません。渡来系弥生人がもたらした狼信仰もそのひとつでしょう。
2023/08/19
今井恭子さんの『縄文の狼 』
『縄文の狼 』を読みました。
今井さんは、本格歴史犬小説『こんぴら狗』の著者でもあります。「こんぴら狗」というのは、江戸時代、主人の代わりにこんぴら参りをしたという犬のことで、実在しました。今回も犬好き、狼好きの今井さんの思いが込められた作品になっています。
今、狼信仰のルーツをあれこれ妄想して楽しんでいる最中なので、この『縄文の狼』も時代的にぴったりで、興味を持って読みました。縄文時代の早期はこんな感じだったんだろうなと思いました。具体的な人物が喜怒哀楽を感じながら日常生活を送る姿はとてもリアルです。作者の想像の世界ですが、共感できる世界でした。資料や文献とは違う、作者の直感力と想像力のすばらしさです。
縄文早期が舞台ですが、移動しながら狩猟採取をする人たちと、海辺に定住している人たちが登場します。主人公のキセキは、移動しながら暮らす一族出身ですが、あるきっかけで定住者の村で暮らすことになります。
この状況もリアルだと思います。縄文人とひとくくりに言いますが、最近の古人骨のDNAの研究から、縄文人は各地域でかなりバリエーションのある集団だったようです。俺が知っている範囲でいうと、中国南部の少数民族が今でもそうであるように、山や谷を越えると違う民族の村があるといったような状態であったかもしれません。
キセキは定住村で、当時の先端技術をおぼえるんですね。それを他の集落や次の世代に受け継いでいくことになるのでしょう。こういうことが1万年以上も続いた時代が縄文時代です。ゆっくりと、少しづつ変わっていく。国家・国境などという縛りもなく、人間と動物たちが、それこそ自由に暮らしていた時代です。
作品ではまた、人や文化の移動について示唆的な描写があります。主人公キセキは、まず不可抗力で(自分の意志ではなく)海辺の村にたどり着くのですが、最後は自分の意志で移動します。たぶん、この「不可抗力の移動」と「意志を持った移動」というふたつは実際あったパターンなんだろうと想像できます。こうして人と文化が伝わっていったのでしょう。
また、縄文時代には、犬は人間の狩猟を手伝っていたらしい。実際縄文時代の遺跡からはきちんと埋葬された犬の骨も見つかっています。作品では、犬ではなく、狼犬ですが、犬と人間との関わりも、こんな感じだったんだろうなと思います。というか、犬と人間の関係性は昔も今もそれほど変わらないのではないでしょうか。
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