2025/04/19
2025/04/18
2025/04/15
2025/04/14
『古代DNA』展のイエネコ
イエネコの直近の祖先種はリビアヤマネコだそうです。写真(上)が今回『古代DNA』展で展示されていたリビアヤマネコの剥製です。
日本では長崎県のカラカミ遺跡から日本最古のイエネコとさせる骨が見つかっていますが、現代の日本猫の多くは平安時代に日本に来た猫を祖先としている可能性が高いという。
仏教が日本にもたらされたとき、大切な仏教経典を鼠から守るためにいっしょに猫も連れてこられた、というのが文献的な説。古代DNA解析によって、それが裏付けられたようです。
写真(中)は、「動物足跡付須恵器」ですが、猫の足跡のようです。わざと付けたのか、偶然なのか、面白いですね。
写真(下)はエジプトの猫のミイラ。古代エジプトでは猫は神様で、バスト女神として信仰されました。また多くの猫のミイラが作られました。これは人のミイラと同じなんでしょうが、魂が再び体に戻るためには、肉体がちゃんと保存されていることが大切と考えられていたとのこと。それを猫に対しても行ったということらしい。
中国大陸や沖縄あたりで行われていた猫が死んだら木に架けておく葬方も、このエジプトのミイラとどこかでつながっているんでしょうか。
2025/04/13
2025/04/11
猫塚と鼠塚
御前崎市には猫塚があり、伝説があります。
かいつまんでいうと、海を漂っているところを寺の住職に助けられた仔猫は、あるとき旅僧に化けた古鼠から、隣の猫と協力して住職を守ったのでしたが、戦いは激しく、猫たちは死んでしまいました。そこで手厚く葬ったのが猫塚です。
この話には続きがあって、死んだ古鼠が村人の夢枕に立ち「御前崎の漁業の守り神となりますから私のお墓を作ってください」と頼み、鼠塚も建てられた、ということです。
なぜかこの地では、敵のねずみも守り神に祀りました。バランス感覚が働いたということでしょうか。
それに関して、信州にあった習俗がこの猫と鼠がセットで祀られていることと関係しているのではないかと思わせます。
野尻湖畔の山村では「新暦大晦日に、猫と鼠に年を取らせると云って、猫には魚の汁などを飯にかけてご馳走し、鼠には米をばらまいてやる。年を取らせぬと次の年に悪さをするという(小林忠太郎氏談。一九四〇年代の行事)(『猫の民俗学』)
信州の下条村では、正月十四日には家畜、家財道具いっさいに年を取らせる。「鼠には篩を伏せてその上に飯を盛り煮干しをそえて鼠の通りそうな場所へ置くなどして年を取らせる(『民俗』二巻二号、一九二七年)」(『猫の民俗学』)
「猫と鼠に年を取らせる」という習俗。
猫と鼠に年を取らせないと祟るという考えがあって、このような習俗があったらしいのです。
これは、鼠が「漁業の守り神となりますから」と自分で「祟りません」と宣言しているようなものです。鼠が悪さをしないことは豊作・豊漁につながるということなんでしょうね。
猫にまつわる伝説というと化け猫伝説が幅をきかせていますが、これは猫は化けない恩返しの話で、猫伝説の中では貴重なのかな(しかも猫像も伴って)と思います。
猫にも義猫がいたんです。
2025/04/09
2025/04/07
2025/04/05
招き猫の姿
家畜として、犬と比べると猫の歴史は浅いので、猫の民俗も西洋から中国、日本へと連続しているものが多いようです。
どうして招き猫がこのような姿をしているか、というのも、中国唐代の文献「俗にいわく。猫面を洗ひて耳を過ぐれば、すなわち客至る」などの俗信が中国にもあり、その影響があったのではないかという。
猫が顔を洗っているとき、手が耳のところまで上がるシーンは良く見ます。このとき「客が来た」というのが結びつき記憶された、ということかもしれません。「雨乞いの儀式」と「雨が降った」が結びついたように。
そこから客や富を招く縁起の良い姿として招き猫の形が出来上がっていったということなんでしょうか。
これは「錯覚の科学」でもやっていたと思いますが、「猫が顔を洗う」と「客が来る」には直接的関係はないし、猫が顔を洗っても、客が来ないときの方が圧倒的に多いでしょう。でも、印象的な方が記憶されやすいということはあると思います。
このような俗信がうまれるのには確率以上の何か理由があるのかもしれません。
「錯覚の科学」では「雨乞いの儀式」と「雨が降る」との関係だったかなと思います。ただし、これは「科学的ではないからダメだ」という話にはなりません。そうではないところにむしろ「人らしさ」が現れると思っているので。
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