2025/04/19

宮古市姉吉の「大津波記念碑」

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明治三陸津波や昭和三陸津波でも被害が出て姉吉地区ではこの石碑を立てた。

「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津波、此処より下に家を建てるな」

この碑から下に住居はなく、東日本大震災でも津波はこの碑の手前で止まったという。先人の教えが住民を守った好例。


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普門寺の五百羅漢

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陸前高田の普門寺の東日本大震災慰霊のため奉納された五百羅漢。

その中には犬の石像も2体ありました。

 

 

 

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2025/04/18

蓬莱島(ひょうたん島)

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東北お遍路の巡礼地の一か所になっている蓬莱島(ひょうたん島)。

数百メートルの桟橋を歩いて、島に鎮座する弁財天にお参りしました。

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2025/04/15

【犬狼物語 其の八百一】中村八幡の石像狛犬

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延宝六年(1678)、中村の庄屋が寄進した石像狛犬です。

江戸時代前期の石像狛犬の作風のひとつ。

狛犬のルーツがスフィンクスにまで遡るとすれば、ライオンのネコ科動物→獅子・狛犬像→イヌ科動物に変わってきたともいえます。

 

 

 

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2025/04/14

『古代DNA』展のイエネコ

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イエネコの直近の祖先種はリビアヤマネコだそうです。写真(上)が今回『古代DNA』展で展示されていたリビアヤマネコの剥製です。

日本では長崎県のカラカミ遺跡から日本最古のイエネコとさせる骨が見つかっていますが、現代の日本猫の多くは平安時代に日本に来た猫を祖先としている可能性が高いという。

仏教が日本にもたらされたとき、大切な仏教経典を鼠から守るためにいっしょに猫も連れてこられた、というのが文献的な説。古代DNA解析によって、それが裏付けられたようです。

写真(中)は、「動物足跡付須恵器」ですが、猫の足跡のようです。わざと付けたのか、偶然なのか、面白いですね。

写真(下)はエジプトの猫のミイラ。古代エジプトでは猫は神様で、バスト女神として信仰されました。また多くの猫のミイラが作られました。これは人のミイラと同じなんでしょうが、魂が再び体に戻るためには、肉体がちゃんと保存されていることが大切と考えられていたとのこと。それを猫に対しても行ったということらしい。

中国大陸や沖縄あたりで行われていた猫が死んだら木に架けておく葬方も、このエジプトのミイラとどこかでつながっているんでしょうか。

 

 

 

 

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2025/04/13

【犬狼物語 其の八百】『古代DNA』展の狼頭骨

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『古代DNA』展に行ってきました。

「イヌの来た道」のコーナーには、武蔵御嶽神社の大口真神像の写真(俺が撮影しました)が飾られ、先日撮影した清川村と武蔵御嶽神社の狼頭骨も展示されています。

その他、新しく発見されたニホンオオカミの剥製、縄文犬、弥生犬などの展示もあります。

猫については明日報告します。

 

 

 

 

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2025/04/11

猫塚と鼠塚

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御前崎市には猫塚があり、伝説があります。

かいつまんでいうと、海を漂っているところを寺の住職に助けられた仔猫は、あるとき旅僧に化けた古鼠から、隣の猫と協力して住職を守ったのでしたが、戦いは激しく、猫たちは死んでしまいました。そこで手厚く葬ったのが猫塚です。

この話には続きがあって、死んだ古鼠が村人の夢枕に立ち「御前崎の漁業の守り神となりますから私のお墓を作ってください」と頼み、鼠塚も建てられた、ということです。

なぜかこの地では、敵のねずみも守り神に祀りました。バランス感覚が働いたということでしょうか。

それに関して、信州にあった習俗がこの猫と鼠がセットで祀られていることと関係しているのではないかと思わせます。

野尻湖畔の山村では「新暦大晦日に、猫と鼠に年を取らせると云って、猫には魚の汁などを飯にかけてご馳走し、鼠には米をばらまいてやる。年を取らせぬと次の年に悪さをするという(小林忠太郎氏談。一九四〇年代の行事)(『猫の民俗学』)

信州の下条村では、正月十四日には家畜、家財道具いっさいに年を取らせる。「鼠には篩を伏せてその上に飯を盛り煮干しをそえて鼠の通りそうな場所へ置くなどして年を取らせる(『民俗』二巻二号、一九二七年)」(『猫の民俗学』)

「猫と鼠に年を取らせる」という習俗。

猫と鼠に年を取らせないと祟るという考えがあって、このような習俗があったらしいのです。

これは、鼠が「漁業の守り神となりますから」と自分で「祟りません」と宣言しているようなものです。鼠が悪さをしないことは豊作・豊漁につながるということなんでしょうね。

猫にまつわる伝説というと化け猫伝説が幅をきかせていますが、これは猫は化けない恩返しの話で、猫伝説の中では貴重なのかな(しかも猫像も伴って)と思います。

猫にも義猫がいたんです。

 

 

 

 

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2025/04/09

 東北お遍路プロジェクトの写真

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 東北お遍路プロジェクトは、東日本大震災により被害を受けた福島県いわき市から青森県八戸市までの沿岸地域に、慰霊と鎮魂の道を作ろうと2011年9月に発足しました。


10年以上経ち、巡礼地の数も増えたので、HPや地図の写真をリニューアルすることになり、写真を一部撮り直すことにしました。それがこの地図です。
なるべく早く撮り終えたいとは思いますが、実際、どれだけの日数がかかるかわかりません。まずは4月中に第一弾の撮影をすることになりました。

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2025/04/07

蛇碑

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猫碑だけではなく、どうして蛇碑も多いのか疑問だったんですが、伊具郡では、ある社から幣束を受けてきて「蛇を借りる」と言っていたそうで、猫も蛇も、ここでは蚕を食べる鼠を追い払ってくれる養蚕の守り神。だから蛇碑も多いということなんでしょうか。

 

  

 

 

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2025/04/05

招き猫の姿

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家畜として、犬と比べると猫の歴史は浅いので、猫の民俗も西洋から中国、日本へと連続しているものが多いようです。

どうして招き猫がこのような姿をしているか、というのも、中国唐代の文献「俗にいわく。猫面を洗ひて耳を過ぐれば、すなわち客至る」などの俗信が中国にもあり、その影響があったのではないかという。

猫が顔を洗っているとき、手が耳のところまで上がるシーンは良く見ます。このとき「客が来た」というのが結びつき記憶された、ということかもしれません。「雨乞いの儀式」と「雨が降った」が結びついたように。

そこから客や富を招く縁起の良い姿として招き猫の形が出来上がっていったということなんでしょうか。

これは「錯覚の科学」でもやっていたと思いますが、「猫が顔を洗う」と「客が来る」には直接的関係はないし、猫が顔を洗っても、客が来ないときの方が圧倒的に多いでしょう。でも、印象的な方が記憶されやすいということはあると思います。 

このような俗信がうまれるのには確率以上の何か理由があるのかもしれません。

「錯覚の科学」では「雨乞いの儀式」と「雨が降る」との関係だったかなと思います。ただし、これは「科学的ではないからダメだ」という話にはなりません。そうではないところにむしろ「人らしさ」が現れると思っているので。 

 

 

 

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