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2005/01/31

続・はじめての「旅」

昨日の続きです。
さて「東京」の第一印象はどうだったのでしょうか? 夜行列車は上野に着いたはずですが、覚えていません。
すぐに上野駅で、あることに巻き込まれました。この話は、俺の記憶もあいまいだったので、最近父親に聞いて確かめました。つまりこういうことがあったようです。
あるおばさんが俺たちに声をかけてきました。一枚の紙を見せて、ここに行きたいんだけれど、どこまで切符を買えばいいでしょうか?と、訛りのきつい東北弁で聞いてきたのです。おばさんは、券売機の周りで人に聞いたらしいのですが、あまりにも訛りがきつくて誰もわかってくれませんでした。そのとき東北弁で話している親子をみつけたので、彼らだったら言葉がわかるのではないかと俺たちに助けを求めてきたということです。もっとも、おばさんはそう言いましたが、俺が父親とそんなに大声で話していたはずはなく、たぶん、言葉ではなくて、格好を見ただけで、俺たちは田舎から出てきたとわかったのかもしれません。
結局、切符は買ってあげましたが、あまりにも不安そうなおばさんをそのまま放って行ってしまうわけにはいかなくなり、その住所まで連れていってあげることにしました。飯田橋あたりだったようです。3人で住宅街を歩いているところは、今でもぼんやりと覚えています。おばさんの息子は大学のために東京に出てきたのですが、ずっと音信不通になってしまい、心配したおばさんは、息子を訪ねてきたという事情だったようです。でも、その住所に息子はいませんでした。そのあとおばさんがどうしたのかはわかりません。

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2005/01/30

初めての「旅」

俺の「旅」の原点はなんだろうと考えていたら、あることを思い出しました。
それは幼稚園のときです。1962年ころでしょうか。何の用事だったのか、父親に連れられて東京へ行くことになりました。当時は、山形からの夜行列車は蒸気機関車で、薄暗い車内には人がいっぱいでした。椅子に座れなかったので、父親は床に新聞紙を敷いて、俺を寝かせてくれました。(80年代の中国の旅では、列車に乗ったときよくこの方法を使いました。そのときの話は、またいつかします)でも初めての「東京」行きに興奮していたことと、車内に充満する酒とタバコの匂いで寝付かれませんでした。
いや、今だから東京へいったこともわかっていますが、このときは、「東京」と聞いてもぴんとこなかったはずです。田舎の子供が「東京」に具体的なイメージを持てたはずはありません。今でこそテレビでいろんな情報が入っていますが、当時は何もなかったし、それよりもなによりも、4、5歳の俺が外の世界を意識したなんていうことは考えられないからです。
だから多分、どこか遠くへ行くんだ、というくらいの感覚で、父親に着いていったんだろうと思います。でも、いまだにはっきり覚えているので、東京行きが印象深かったことはたしかでしょう。少なくとも「嫌いなところ」ではなかったということです。
湿った床の新聞紙の上に横になりながら、天井の裸電球を見つめていました。時々鳴る遮断機の警報音も遠ざかってゆきます。椅子に座って靴を脱いでいる男の足の臭さと、タバコの匂いで、ちょっと吐き気がしました。だんだん不安感に襲われてきました。「東京」というところが怖いところとしてイメージされたようにも思います。それでも、ガタゴトン、ガタゴトンという客車の揺れる音に身を任せているうちに、いつしか俺は眠ってしまったようです。(つづく)

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2005/01/29

だれか、こんな映画を知っていますか?

昔、子供のころ、たぶん小学生だったと思うんですが、ある映画のことを今でも覚えています。「文部省推薦」とかいうものだったのでしょう、先生に連れられて集団で鑑賞したように記憶しています。
タイトルも忘れたし、詳しいストーリーも忘れてしまいました。でも、今でも主人公の「放浪」する感覚だけははっきり覚えています。どういう事情だったのか、ある日本人の少年が、ロシア(当時はソ連かな)を放浪し、いろんな人に出会い、助けられたり騙されたりしながら、最後はモスクワにたどり着き、バイオリニスト(あるいは音楽家)になったか、ならなかったか、というものだったようです。どうして日本人の少年がロシアでバイオリニストになれるのか、不思議なんですが、子供ながらも、この少年の放浪する姿が妙に心に残りました。まだ「放浪」という言葉も知らなかったころですから、それが即、憧れになったわけではなかったのですが。
ただ、だんだん大人になって旅を続けることが自分にとって気持ちいいことだと知っていくに従って、この映画がもしかしたら、俺の方向性に少しでも影響を与えたのではないかとも思うのです。たぶん、1966年から1970年ころでしょう。俺と同年代の人で、この映画を知っている人がいたら、ぜひ教えてください。「私も観た」と。
実は最近、この映画がほんとうに観た映画なのか、ほんとうに存在したものなのか、わからなくなっているんです。もしかしたら、夢で観たものをほんとにあった映画だと思い込んでいるだけではないか、記憶を自分勝手に造り上げているんじゃないかと、だんだん自信がなくなっています。

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2005/01/28

ブログはじめます

031112今日からアジアフォトネットのブログはじめます。
旅の話が中心になると思いますが、日本各地、アジア各国、いろんな旅先からも書き換えられると思ったので、ブログに挑戦することにしました。今年も、中国、イラン、日本各地を旅する予定なので、期待していてください。

最初なので、簡単に自己紹介しておきます。(詳しくは、電網写真館のホームページの「PROFILE」をみてください)

サブタイトルに「中年バックパッカー」と告白(?)している通り、1958年生まれの自称「中年」です。
この写真は、たぶん俺が5歳くらいのときでしょうか。右側にいるのは、俺の妹です。こんなあどけないときもあったんですね。無邪気ですね。妹が、だけではなくて、俺もね。まさか、20歳から旅ばかりしている人間になるとは、この写真からは、その片鱗もうかがえませんよね。
後ろに「形」という字が見えますが、「山形」だと思います。出身は山形県です。妹の右側に、花のようなマークが見えますが、これは、たしか「山形交通」のマークだったように思います。ただ、これがどこなのか覚えていません。どこかのバス停のベンチかなあ。それにしても、わずか40年前は、日本はこんなかんじだったんですよ。

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