初めての「旅」
俺の「旅」の原点はなんだろうと考えていたら、あることを思い出しました。
それは幼稚園のときです。1962年ころでしょうか。何の用事だったのか、父親に連れられて東京へ行くことになりました。当時は、山形からの夜行列車は蒸気機関車で、薄暗い車内には人がいっぱいでした。椅子に座れなかったので、父親は床に新聞紙を敷いて、俺を寝かせてくれました。(80年代の中国の旅では、列車に乗ったときよくこの方法を使いました。そのときの話は、またいつかします)でも初めての「東京」行きに興奮していたことと、車内に充満する酒とタバコの匂いで寝付かれませんでした。
いや、今だから東京へいったこともわかっていますが、このときは、「東京」と聞いてもぴんとこなかったはずです。田舎の子供が「東京」に具体的なイメージを持てたはずはありません。今でこそテレビでいろんな情報が入っていますが、当時は何もなかったし、それよりもなによりも、4、5歳の俺が外の世界を意識したなんていうことは考えられないからです。
だから多分、どこか遠くへ行くんだ、というくらいの感覚で、父親に着いていったんだろうと思います。でも、いまだにはっきり覚えているので、東京行きが印象深かったことはたしかでしょう。少なくとも「嫌いなところ」ではなかったということです。
湿った床の新聞紙の上に横になりながら、天井の裸電球を見つめていました。時々鳴る遮断機の警報音も遠ざかってゆきます。椅子に座って靴を脱いでいる男の足の臭さと、タバコの匂いで、ちょっと吐き気がしました。だんだん不安感に襲われてきました。「東京」というところが怖いところとしてイメージされたようにも思います。それでも、ガタゴトン、ガタゴトンという客車の揺れる音に身を任せているうちに、いつしか俺は眠ってしまったようです。(つづく)
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