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2005/02/28

雲南から帰って

雲南から帰って4日たちました。その間、野菜を何種類か食べましたが、どうも味が違う。
とくにプチトマト。雲南で食べたプチトマトや、普通の大きさのトマトは、ほんとに「トマト」の味がしました。匂いがきつく、癖があるということでしょうか。日本のは、味がマイルドな感じがします。
トマトだけじゃないですね。なんでもそうです。癖とか、個性とかがだんだんなくなって、テレビのグルメ番組では、若いレポーターの女の子なんかが「あまーい!」とか表現する以外にないのかな?と思ってしまうくらい、野菜の味の上品化には違和感を覚えます。そのうち、トマトも、ニンジンも、タマネギも、辛味や癖などが取り除かれて、ぜんぶ同じものになっていてしまうんではないでしょうか?こんな日本の傾向は、消費者にも責任はあるでしょう。まっすぐなきゅうり、辛くない大根、甘いトマトなどなど。消費者がそういうものを求めるから、そうなっていくんでしょう。
でも、俺はもっと個性的な味や癖を持ったものを食べることこそ、味覚を進化させるものだと思っているんですがねえ。

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2005/02/25

雲南から戻りました

昨日の夜、雲南から戻りました。
東京、埼玉と自宅に近づくにつれて、雪になっていました。昆明は初夏のような暑さだったので、そのギャップにびっくりです。やっぱり日本はまだ冬だったんだぁ。今日も寒いです。
雲南の写真や記事は、電網写真館 アジアフォトネットの」方で、徐々にアップしていきます。

Ya_01_7電網写真館 雲南館

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2005/02/17

昆明の食べ物

2月17日(木)昆明
今日、昆明はとても暖かです。暑いといってもいいくらい、Tシャツ姿の若者もみかけます。
北京路と環城路が交わる北東側の裏路地に、昔よくいっていた食堂街があり、昨日もいってみたら、まだありました。ある食堂で昼食。お気に入りのヨウザーパイグー(排骨)と、三鮮湯をたのみました。排骨は骨付きスペアリブのから揚げですが、これがなかなかうまいんです。今回雲南に来てようやくちゃんとしたヨウザーパイグーにありつくことができました。肉厚でジューシー。食べごたえがありました。三鮮湯もお気に入りで、いろんな具の入ったスープ。青菜、きのこ、ユバ、ハルサメ、豚肉など。味はあっさりと塩味で、日本人好みの味です。

昆明百貨店の近くで、人だかりがしていたので何かなと思って近づいたら、アイスキャンディー売りでした。濃厚なミルク味。この光景をみて「飛ぶように売れる」という表現はおおげさじゃないんだなと思いました。アイスは箱から次から次へと飛んでいくように見えるのです。だれかが買っていると、つられて買ってしまうということもありますが、このアイスはたしかに美味しい。昨日もう一度いってみましたが、もう売り切れたのか、売りこさんが出ていませんでした。

裏路地の回族食堂で食べた羊肉のケバブとチャオメン(炒麺か? 新彊ではパンメンと呼んでいたと思いますが)のうまかったこと。チャオメンを食べると一気にイタリアまで飛んでいってしまいます。ピーマン、牛肉などとコシのつよい手打ちうどんをトマトソースで炒めてあるもので、一説にはスパゲッティーのルーツともいわれているそうです。たしかに、その通りで、麺がスパゲッティならイタリアの料理といわれても不思議ではありません。チャオメンには、ユーラシア大陸の壮大な文化の交流をみるようです。

祥雲美食城というフードセンターがありました。バンコクのフードセンターにも似ていて、いろんな店が周りを囲み、真ん中にテーブルがずらりと並んでいます。実際、泰国式○○とか、タイふうの料理やドリンクを売る店もあります。飲み物屋で頼んだのが一杯5元の「マン果西米」というタピオカ入りマンゴージュースです。程よい酸味のジュースの中にグラス半分ほどタピオカが入っていて、スプーンですくいながら食べます。この東南アジアふうの雰囲気はのんびりした気分にさせてくれます。

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2005/02/15

雲南省昆明2月15日

2月15日 曇り時々晴れ
昨日、昆明の街を歩きました。前回昆明に来たのは、2年前でした。元陽もそうでしたが、昆明の変化もすさまじいものがあります。昆明百貨店前のロータリー一帯は、巨大な公園になっていました。車道は地下を通るようになりました。特に昨日は、まだ春節の休みらしく、いったいどこから出てきたのか?と不思議に思うくらいの人出。マックも、ケンタッキーも、ディコスも、家族若者たちであふれています。みんなの表情は穏やかで、生活に余裕があることをうかがわせます。
とうとうあの百貨店から博物館への裏道、順城街が姿を消そうとしているところでした。まだ3、4棟、古い建物も残っていますが、ほとんどは瓦礫の原です。昆明百貨店の巨大なビルが、ますます大きく見えて、まるで勝ち誇っているようです。
順城街はイスラム街でした。夕方になると、羊肉ケバブの煙と香ばしいイスラム風パンの香りが漂い、まるで中近東の国に迷い込んだような錯覚を覚えたものです。今は、いくつかの店が仮小屋で営業していますが、かつての面影はありません。
もったいないなあと思います。今は「新しさ」が「良さ」ですが、そのうちきっと古い街並みの価値に気がつくのです。残しておけば、観光地として使えただろうに。昆明の都市計画にたずさわっている人の中に、先見のめいを持っている人物がいなかったことを残念に思います。もちろんそういう意見を持っている人はいるのかも知れませんが、少数意見でしょう。あの文化大革命でさえ壊れなかったものは、経済の大革命では、あっけなく姿を消しています。まあ、中国人が自分でやるんだから、外国人の俺がとやかくいう筋合のものでもないかもしれませんが。

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2005/02/13

今、中国雲南省の昆明です

今、中国雲南省の昆明です。日本を出たのは2月6日で、元陽の棚田と新平の花腰タイ族の正月行事「花街節」を見たあと昆明に戻りました。
元陽と新平の天気はよかったです。今年は雲南は暖からしく、もってきたダウンジャケットがうっとうしくなります。
元陽は2年ぶりですが、ちょうど春節の時期なので、中国人観光客であふれています。新しいホテルもできて、ますます観光地になってきました。今年公開される予定の元陽を舞台にした中国映画「ルオマは17歳」でも、主人公のハニ族少女が観光客を相手にモデルをするのですが、似たような商売は始まっています。モンピン村の老虎嘴棚田の展望台には女の子たちがたむろしていて、一人2元で踊りを見せていました。映画のように「モデル」の看板は出していませんが、写真を撮るとお金を要求されるので、モデル業といってもいい女性たちもいます。
朝焼けを見にいった多依樹棚田には中国人がラジオを持ってやってきて、静かな夜明けを迎えることができませんでした。残念。
棚田にはビニールハウスも多くなってきました。それと、ところどころ水の張っていない田んぼもできました。地元の人によると、耕作されない田んぼは、年々増えているそうです。若い人たちが村を出てしまい耕作する人がいなくなるという問題は、棚田を作っているところではどこも同じようです。元陽の場合、その問題はもっと後になって出てくるのかなと思っていましたが、その変化のスピードは予想以上に速いようですね。

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2005/02/04

癇の虫

「癇の虫」というのを聞いたことがあるでしょうか?
山形の実家に帰ったとき、前から気になっていた「癇の虫」のことを母親に聞きました。子どものころ、確かにこの「癇の虫」が出てきた想い出があるからです。ただ、もう40年くらいたってしまったので、それが本当にあったことだったのか、夢でも見たのか自信がなくなり、母親に聞いてみたんです。そしたら、夢ではなくて、本当に「癇の虫」を出したことがあるそうです。記憶は確かでした。ただ、子どもだから出たんだろうねとも言いました。今やっても出てこないんでは?というのが、母親の意見です。
その「癇の虫」は、どうやって出すのかというと、まずぬるま湯の塩水で手をきれいに洗います。その後、手のひらに筆を使って墨で「虫」と3回書きます。しばらくすると、指の先から白い糸屑のようなものが、ひょろひょろと出てくるのです。まるで、白くて細いミミズみたいに。それを「癇の虫」と言っていました。これを出すと子どもはおとなしくなるそうですが、一種のおまじない、風習みたいなもんだったでしょう。これがうちだけの風習か、全国的な風習かはちょっとわかりませんが。

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2005/02/01

スローライフの過激派

昔の旅の思い出話(自慢話?)は、3月になってからはじめます。今度の日曜日から、また雲南省へいってしまうので、中途半端になってしまうからです。
そこで、今日は、一週間前に行った山形行きの話をします。新宿から出ている高速バスに乗ったのですが、なんと、その便の乗客は俺一人だけでした。路線バスなので、一人でも出発します。昔の中国だったら、「今日は出ないから、明日また来い」と言われていたでしょう。なるべく早く着きたいので途中の休憩もいらなかったのですが、ちゃんと休憩前はアナウンスのテープが流れ、パーキングに3度止まりました。たぶん、会社の規定で休憩を取らなくちゃならないのかなと俺も思ったので、何も言わずにドライバーに従いました。
ところが最後の休憩が終わったとき「お客さん、早く着いてもいいですか?」とドライバーから聞かれました。「早く? 早く着くのにこしたことないでしょう」と俺が言うと、「早く着くとクレーム出すお客さんがいるので」と言いました。「早く着いて文句を言う人がいるんですか?」と聞くと、俺がそういう人間ではないと安心したらしく「いやあ、最近はいろんな人がいるんですよ。遅く着いて文句を言う人ならわかりますがね、早く着いて怒鳴られるのはわかりませんねえ」
俺は今回忙しくなかったし、だから新幹線と比べると運賃が安いバスにしたので、急いでいたわけではありませんが、それでも「なるべく早く着きたい」とは思っていました。でもどんな事情かわかりませんが、早く着いて文句を言う人がいるということに、面白いなあと思いました。「スローライフ」の過激派でしょうか?

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