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2005/03/30

フランスでアルバイト

1980年にフランスに5ヶ月いたからといって病気になるかもしれないと恐れているわけでもないし、ましてや後悔なんかしていません。なにしろ、この経験がなかったら、そもそも写真家にはなっていなかっただろうし、「どんな生き方でもありなんだ」という今の考え方にはなっていなかったかもしれません。むしろ、フランス滞在はいい体験でした。

フランスのパリで自分が働くなどと想像もしませんでした。労働ビザなんてもちろん持ってないし、いわゆる、不法就労者でした。だから、レストランで働いている先輩からは、いつも観光客のように見えるようにと、カメラを持たされて出勤していたし、地下のワイン蔵には、奥の方に続く通路があって、もしイミグレが踏み込んできたら、ここから逃げるようにと教えられていました。

どうしてKで働くようになったかというと、その前に、フランス南部の葡萄摘み(ヴァンダンジュ)のアルバイトのことから話さなくてはなりません。

2ヶ月のつもりで日本から出てきたので、そろそろお金も尽きてきて、何か仕事をやらなければ旅は続けられない状態になってきました。9月ころでした。それでとりあえず、葡萄摘みのアルバイトをやってお金をためようと思ったわけです。スペインとの国境にも近いペルピニャンという町だったと思います。その町のユースへ行けばアルバイト情報があると、あるバックパッカーから聞いていってみたんです。でも、アルバイトを探すのはそう簡単ではありませんでした。

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2005/03/29

英仏滞在者の輸血禁止について

「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」(vCJD)の患者が国内で初めて確認された問題で、厚生労働省は七日、一九八〇年から九六年にかけ、イギリスとフランスに一日以上滞在していた人の献血を禁止することを決めた。日赤によると、対象者は数十万人にのぼる。臓器提供も同様に禁止される。
産経新聞ネット版より。

驚きました。俺も該当するんだよね。1980年~1981年にかけてフランスに通算5ヶ月間いました。しかも、牛肉と関係が深かったんです。それはなぜかというと、4ヶ月間はパリの焼肉レストランでアルバイトをしていたからです。

1980年大学4年の初夏、ヨーロッパへ初めての海外旅行へ出ました。ほんとは2ヶ月で帰るつもりでしたが、旅にはまってしまい、帰国は翌年になってしまいました。途中お金が足りなくなって、南フランスで葡萄摘みのバイトなどやりましたが、寒くなった11月ごろ、パリに戻って、レストランで働き出しました。それがD通りにあった(今でもあるかな)Kという韓国系フランス人経営の韓国・日本料理のレストランでした。当然ここでは焼肉料理を出していました。

我々従業員は毎日焼肉を食べられたわけではなく、賄い料理でしたが、それでも週に2日くらいは牛肉が出されたように思います。今になってこんなことになるとは思ってませんでしたが。

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2005/03/25

癇の虫 2

2月4日も書いたのですが、癇の虫の話をもう一度。

先週用事があって、山形の実家に帰ったとき、またあらためて母親に「癇の虫」のことを聞きました。そしたらやり方が若干違っていました。
この前やったときは出なかったので、このやり方を間違っていたようです。

まず、塩水で手をきれいに洗ったら、タオルで水分をふき取ります。そのあと、筆で墨を使って手のひらに「虫」と三回書きます。

今回は、小学生の姪といっしょにやってみました。そしたら、なんと出たんです。姪よりも俺の方がよく出たというのは、俺の方が癇癪持ちだということなのか、分けがわかりませんが、確かに、指の先から白い「癇の虫」が出てきました。

昔の親は、こうして癇癪持ちの子どもをなだめていたんでしょうね。こんな虫を見せられたら、子どもは黙ってしまうかも。いや、親自身が安心したかったからかもしれませんが。癇癪を起こすのは、この虫なんだと。

とは言え、これはある意味すごく「科学的」なことがわかったんですが。まあ、実際やってみればどうしてこういうことが起こるのか気がつく人はきっといるでしょう。俺なりの解説はいつかの機会にしたいと思います。(とか言って、もったいぶって、ほんとは知らないんだったりして。図星・・・。静電気が関係しているんじゃないでしょうか)

でも、いいじゃないですか。風習、おまじない的なものがあったって。すべてが科学で割り切れるもんじゃないんです、世の中は。

みなさんもぜひやってみてください。

    ☆☆☆☆☆☆

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2005/03/23

雲南棚田の写真 4

Duoyishu_04
今日は、元陽県多依樹の写真です。

この下の方に棚田が広がっているんですが、この日、結局雲海が晴れなかったので、棚田撮影はあきらめて、村の写真だけ撮りました。

逆光ぎみの光が、霧に当たって、幻想的な雰囲気になっています。刻々と変化する霧。ずっと見ていても飽きません。

棚田の写真は「オリザ館」でどうぞ。日本、アジア各地の棚田の写真を掲載しています。

yaオリザ館


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2005/03/13

雲南棚田の写真 3

mengpin07これは、元陽県モンピンの棚田です。

モンピンは、元陽新街鎮から約20kmのところにあるイ族の村ですが、ここに今は展望台もできて、毎日観光客でにぎわっています。みやげ物売りの屋台や、民族衣装の女の子たちが、歌や踊りを見せる商売をやっています。

棚田は、崖の下に広がっています。最近は、写真のようにビニールハウスが多くなってきました。苗を育てている苗床です。

そのビニールハウスが、夕日を受けて光っていますが、不気味な感じです。細胞に巣くった寄生虫のようにも見えます。

でも、これは棚田の現代的光景と言えるでしょう。

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2005/03/09

雲南棚田の写真 2

bada_01
昨日に引き続いて、元陽県バーダーの棚田です。

空撮のように見えるかもしれませんが、これは300mほどの高さの崖のふちから下を見下ろして撮った写真です。

このしわしわ模様。気持ち悪くないですか?
俺は、こういうのを「吐き気がするほど美しい」といっているんですが、実際その場に立った人は同意してくれます。

崖のふちに立っているせいもあるんでしょうね。つい谷に引き込まれそうになって、頭がくらくらします。
その瞬間、異様な感覚になります。吐き気がします。でも棚田は圧倒的に胸に迫ってくるんです。「美しい」と表現する以外ないんです。

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2005/03/08

雲南棚田の写真

quanfu_02

ようやく今回2月の雲南で撮ってきた写真の整理を始めたところです。

これは、元陽県全福庄という村の近くで朝9時半ころ撮った写真ですが、この15分前まで、霧で何も見えませんでした。

「今日は何も見えないなぁ」とあきらめかけていると、突然、霧が晴れだし、スーッと谷の下のほうに引いていきました。あわててカメラを出して撮ったものです。

このあと、5分ほどで霧は見えなくなってしまいました。ほんとに、元陽の天気はわからない。山の天気です。

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