九州から戻りました
昨日の夜、自宅に戻りました。
一昨日の夜は、大分県院内町の道の駅でレンタカーを止めて寝て、昨日は早朝から撮影開始。
この町は石橋の町としても有名で、5年前、ある棚田へいったとき、棚田の真ん中に川が流れていて、長さ6mほどの石橋がかかっていて、なんとも風情のある棚田だと感激したのを思い出します。
今回は、ちょうど稲が黄色くなっていました。まだ緑のやつもあります。声をかけられた地元のおじさんによると、今年の水不足で、7月まで田植えがやれなかったので稲の成長が遅れたからだそうです。
ここも数年前「棚田百選」に選ばれましたが、選ばれて何か良かったことは?と聞くと、「なんにもないねえ。あるとすれば、おたくのようなカメラマンが来て、写真をコンテストに出して、賞を取ったりしてくれることかなあ」
言葉どおりにとれば、自分たちの棚田が「美しい」と認められることは嬉しいことではあるんでしょう。でも、「そんなことぐらいしかないんだよ」と、冷ややかな見方にもとれます。時には農作業のじゃまをしてしまうカメラマンに、へきえきしている棚田も全国にはあります。写真を撮る俺としては耳の痛い話ですが、それも現実です。ここもそうなのかどうかはわかりませんが。
高齢者が多くなり、棚田は耕作されない田んぼも増えています。林に戻った田んぼもあります。おじさんの息子は、幸いにして、酪農とシイタケ栽培などといっしょに田んぼをやるつもりだとのことです。
今、観光客のために村にはトイレと休憩所を作っています。それも自分たちで?と聞くと、さすがにそれは補助金で作られているそうですが、おじさんは言いました。「トイレができたころは、みんな年寄りは田んぼを作らなくなっているかもな」と。
なんとも悲しい話ですが、ここばかりではありません。日本の田舎は、大なり小なり同じような問題で、廃れていっています。それを単に「時代の流れだ」といってあきらめるのは、なんか違うかなあと俺は思うんですが。
かといって俺は農村に住んでいるわけでもなく、都市文明のありがたさを享受しているんですがね。どうすりゃいいんだか。ただそういう田舎の「美しさ」を発見することが、せめて今の俺ができることだとも思っています。
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