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2005/10/20

「桃源郷」と「写真」

「桃源郷」とは、晋代の陶淵明作『桃花源記』が元になった「理想郷」といった意味の言葉です。中国湖南省が舞台になっていますが、実際「桃源」という町があります。

町の名前としては実在しますが、「理想郷」といった意味の「桃源郷」は、ほんとにどこかにあるんでしょうか?

俺は「ある」と信じています。そして「ない」とも思っています。まったく矛盾することを同時に信じているわけですね。どういうこと? つまり、俺はこう感じています。「桃源郷」を「ある」と信じて「探している状態」が「桃源郷」なのだと。
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実際どこかの「桃源郷」にたどり着いたとしても、たどり着いた瞬間、「桃源郷」ではなくなってしまいます。どこの国、地域も旅行者にとっては理想郷でも、住んでいる人には生活の場であり、嫌なこともたくさんあって、決して理想的な「桃源郷」とは言えません。どこも一長一短あって、完璧な桃源郷はないのかもしれません。それもわかるんですが、「ない」と言ってしまうのも、なんか寂しすぎます。やっぱり俺は「ある」と思いたい。

それで写真を撮る行為なんですが、その理想とする「桃源郷」を探すことなんだろうなと思うんです。ただ「場所」ばかりではなく、精神的な「状態」も含みます。

この写真は「週刊朝日」に載せているミャンマーの親子の写真ですが、俺はこの親子の姿を借りて、俺の「桃源郷」を現しているんです。彼女たちの姿を見たとき「いいなあ」と感じました。もちろん俺はそれほど仏教を信じていませんので、仏教徒の理想としてではなくて、もっと根源的なこと、たとえば「生きることへのひたむきさ」とか「信じることの純粋さ」とかですね。そういった人間としての「理想」を目に見える形で表したもの、それが写真であったり、絵であったりすると俺は思っています。


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