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2006/01/26

ぼく、フォリエモンです。

俺は、フォリエモンのTシャツ姿を後ろから見たとき、気が付いたんです。背中の真ん中、縦一直線に、ファスナーが付いていることを。

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060126
あるとき「彼」の目の前に「フォリエモン」という着ぐるみが現れました。その日から、「彼」は「フォリエモン」の着ぐるみを着始めたのです。「フォリエモン」を着た「彼」に、みんな拍手喝采し、いつしか「彼」は、それに酔いしれていきました。

「彼」は、あるテレビのインタビューの時、一番幸せなときはいつですか?という質問に対して「寝るとき」と、本音を漏らしました。でも本当は、「この着ぐるみを脱ぐとき」と言いたかったんですが。

でも、いつの日か着ぐるみのファスナーが壊れて、着ぐるみが脱げなくなってしまいました。もはや、夜、独りになって「フォリエモン」の気ぐるみを脱ぐ、唯一の幸せを失ったのでした。いや、その幸せを失っても、それ以上の幸せを見つけたのでした。それは、「フォリエモン」の一言が及ぼす影響力の大きさで、みんなを動かす快感でした。着ぐるみを着ていることも、いつしか忘れてしまいました。

「彼」は、着ぐるみのポケットから手品のようにいろんなものを取り出して見せると、みんな大喜びしました。あるとき、たくさんの木の葉を取り出して見せました。すると、その木の葉をみんな高く買ったのでした。みんなは「フォリエモン」が、この木の葉をお金に変えてくれると期待したからでした。こうして「彼」は自分にできないことはない、自分は「神」だと信じるようになっていきました。ますます「フォリエモン」の言葉は過激になり、神がかり的になっていきました。

ある日、「フォリエモン」の着ぐるみのファスナーが直り、「彼」は、久しぶりに気ぐるみを脱ぎました。不用意にも、その姿を人に見つかってしまいました。

ようやくみんなは、「フォリエモン」は着ぐるみであることを知りました。すると、高値で買ったはずの木の葉は、単なる木の葉であることにも気が付きました。みんなは大騒ぎしました。「フォリエモン」に騙されたと。

でも、冷静になってみると、そもそも「フォリエモン」の着ぐるみを作ったのが自分たちだと気が付いたのでした。その着ぐるみは焼却処分されてしまいましたが、みんなは相談しました。今度はどんな着ぐるみを作ろうかと。

 ※ この話は、すべてフィクションです。ところで、今、時代の寵児ともてはやされた堀江貴文元ライブドア社長の、本当の姿がだんだん明らかにされています。これからどうなっていくのか、しばらく目がはなせません。ところで、中国では、ライブドアは「活力門」と書かれているそうですが、これを中国語読みすると「huo li men(フォリーメン)」で「ホリエモン」と近い発音になっているのは偶然なんでしょうか。

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2006/01/25

イタリア映画 「苦い米」 1

060125
最近、人から聞いて知ったのですが「苦い米」というイタリア映画があるそうです。インターネットで調べたら、次のようなことがわかりました。

「苦い米(Riso Amaro)」
1949年度作品。
監督ジュゼッペ・デ・サンテス。
出演シルヴァーナ・マンガーノ。

イタリア北部ポー川流域の水田地帯が舞台で、季節労働者たちの映画らしい。ホームページではみなさん「いい映画だった」と書いているので、たぶんそうだと期待します。

イタリアはヨーロッパでの米どころ。FAOの資料(2004年)によると、コメ生産量は世界で27番目です。ちなみに、第1位は中国ですが、日本は11位、イランは19位です。最近はエジプトあたりから安いコメが入ってくるようになって、水田が減っているようです。棚田は本当にあるんでしょうか?

また、棚田か?と、あきれないでください。ベトナム北部サパの棚田にいたとき、ゲストハウスで知り合ったドイツ人女性が、俺がアジアの棚田を撮っていることを知って、「そういうライステラスなら、イタリアでも見た気がしますよ」と教えてくれたのでした。それからいろいろ調べてみると、たしかに北部イタリアでは稲作をやっていることがわかりました。

イタリア人が棚田でカンツォーネなど歌いながら田植えをしているんだろうか?と、想像だけは膨らんでいます。そんなとき、この「苦い米」という名作の話を聞いたので、ぜひ観てみたいと思っています。

だれか、どのかのレンタルビデオ屋で見かけた人はいないでしょうか? 古い映画なので、大手のレンタルビデオ屋では置いていないとは思うんですが。VHS中古ビデオが売られているのは、インターネットで見つけました。

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ようやくビデオを探して観ることができました。その記事はこちらで。(2006/10/16)
Ya_2イタリア映画 「苦い米」 2


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2006/01/21

『単騎、千里を走る。』 中国雲南省(その1)

060121
『単騎、千里を走る。』 (千里走単騎)が、1月28日(土)から全国東宝邦画系で公開されます。内容については、こちら公式サイトでどうぞ。

 公式サイト:http://www.tanki-senri.com/

チャン・イーモウ(張芸謀)氏が監督し、健さん(高倉健)が出演します。(日本でのシーンでは、降旗康男氏が監督) チャン・イーモウ監督は、健さんのファンでした。いつかいっしょに映画を作りたいと考えていたようです。

この前テレビで、この映画のメイキング映像をやっていました。それを見ると、雲南省麗江の他、麗江郊外の石鼓の村、元謀の土林などでも撮られているらしい。「長卓宴」という、ハニ族の「長街宴」と似た大人数の食卓風景も出てきますが、これはどこで撮られたのでしょうか。出演者(中国人)は素人だそうで、しかも実名で登場するらしい。チャン・イーモウ監督らしい映画になっているのか、まあ、いずれにしても、雲南の匂いを感じさせる、いい映画になっていればいいなと期待しています。

ya映画を観ての感想

ya麗江の写真

ya麗江ナシ族の写真

健さんは、中国人にはよく知られた俳優です。俺が初めて中国へいったのは1984年。その当時、長距離列車に乗ると、外国人はまだ珍しく、周りの中国人の乗客から質問攻めにあうのでした。「中国にいつ来た?」から始まって、「中国料理はおいしいか?」「仕事は何?」「給料はいくらか?」「この靴はいくらか?」「この旅行は、自費で来たか、それとも公費か?」「父親の仕事は何か?」「父親の給料はいくらか?」といった質問のあと、「ガォ・ツァン・ジェン」の「ツィ・ブー」がどうのこうのというのです。

まだ中国語がわからなかったので、「ガォ・ツァン・ジェン」も「ツィ・ブー」も何のことやらわからず、紙に書いてもらうと、「ガォ・ツァン・ジェン」とは「高倉健」のことで、「ツィ・ブー」とは「追捕」のことだと判明。もちろん健さんのことはわかりました。でも、日本では「ガォ・ツァン・ジェン」ではなくて「タカクラケン」ですと教えても、中国人は、漢字を中国語以外で発音する(読む)人たちがいることをなかなか理解してくれませんでした。

同じ理由で困惑したことがあります。「シャン・コウ・バイ・ホェイ」なんて知らないと答えたら、ほんとに日本人か?あんなに有名な歌手なのにと言われて漢字を書いてもらったら「山口百恵」のことでした。「ヤマグチモモエ」と教えても「違う。シャン・コウ・バイ・ホェイだ」と言い張りました。

ところで、この「追捕」とは、いったい何なのか? 漢字を書いてもらっても、まだわかりませんでした。それで、「知らない」と答えると、「お前、日本人のくせに『追捕』も知らないのか?」と軽蔑されるしまつです。

あとでわかったことですが「追捕」とは、映画「君よ憤怒の河を渉れ」の中国でのタイトルだったので、俺が知らないのも仕方のないことだったのですが。この映画によって健さんが中国で人気を博したとのことです。公式サイトによると、チャン・イーモウ監督は27年前にこの映画を観たと答えています。ということは、1979年ころですか。(日本では1976年に公開されたそうです) 健さんは昔から中国人にも憧れの俳優だったんですね。

 

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2006/01/17

心霊写真

「TVのチカラ」という番組を見ていたら、「心霊写真」が出てきました。ある少女が行方不明になっている事件を、外国の何とかいう女性超能力者が「透視」して手がかりを探すというものでした。(この件は、ここ何週か続いています) その中で、番組スタッフ(あるいは、家族)が、「透視」されて、ここではないかと見当つけられた現場の写真を撮影したら、光やら、影やらが映っていて、それを超能力者は、「少女の霊」だといっていました。

別にこの番組だけではなく、心霊写真が登場する番組は今までもたくさんあり、そのたびに不思議に思っていたのは、写真に何か光やら影が映っていたら、まず、専門家の写真家、あるいは写真関係者(カメラメーカー、フィルムメーカー)に見て貰おうと考えないのだろうか?ということです。

写真関係者が見たらすぐわかるでしょう。超能力者の手を煩わせることはありません。今回の写真の一枚は、空中に漂っていたゴミにフラッシュの光が当たって、それがぼけた感じで映っているように見えました。(詳しく鑑定させてくれればもっとはっきりしますが。まあ、絶対やらせてくれないでしょうが)

また、林の中で撮影した写真に写っていた「人」のように見える影については、風が吹けば木の枝なども移動するし、それほどふしぎな写真ではありません。現に、そのくらいの「心霊写真」もどきは、俺は日常茶飯に撮っています。ロールシャッハテストのようなもので、「人」に見たい人には「人」に見えるし、「木の枝」に見たい人には「木の枝」に見える、あいまいさを持った写真です。

買ったばかりのデジカメで撮影したら、影のようなものが映りこみ、それがセンサーに付着したゴミだとわかったのは、つい先日のことです。ゴミ対策に写真家たちは頭を悩ませているというのに、ゴミが写りこんだものを「少女の霊」と言い切るのに、なにか根拠があるんでしょうか。

ひとつこういう理由が考えられます。「手がかりがまったくない」とは言わず、「霊がいる」と言ってあげることで、家族も癒されるのかもしれない、ということです。そういうことなら俺もわかります。

たかだか「心霊写真」に、こんなにむきになることもないのかもしれません。テレビ局にも、超能力者にも、俺は利害関係ないし、たんなる番組として見ていればいいのでしょう。でも、少女がいなくなっているのは事実です。家族にしたら、何にでもすがりたい気持ちでしょう。だからこそ番組にも出演したはずです。そんなとき「少女の霊」だと言っていることに、どうしても違和感を覚えます。俺が写真家だからでしょうか。

もしかしたら、みんな番組の娯楽性を了解済みで、「心霊写真」など、ほんとは信じてないのでしょうか? むきになっているのは俺ばかりでしょうか。それならそれでかまわないのですが。

俺は、すべての「心霊写真」や超能力、超常現象を信じないわけではありません。現段階の科学なんて、宇宙の真理からみれば、ミジンコが餌をあさっている程度にもなっていないでしょう。だからむしろ、俺は、超能力や超常現象も、あると信じています。ただし、「本物」をです。

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2006/01/15

「オリンパスフォトグラフィ」のインタビュー

060115
「オリンパスフォトグラフィ」2006年1月1日発行の「冬」号に、俺の棚田の写真とインタビューが掲載されています。

インタビュアーは、写真家・東京造形大学教授の柳本尚規氏。柳本氏は冒頭このように書いています。「風景は好きだが風景写真の多くが好きではない私はそんなにへそ曲がりではないと思う。何がといって、美しいと思うだろうといった雰囲気のありきたりの美しい写真、日本人の心を歌うといった感じの意味ありげな風景写真ほど鼻白むものはない。」と書いておられます。俺もまったく同感です。

ところで、自分が思い描いている「自分」と、他人が見ている「自分」とは、必ずしも同じではありません。「本当の自分」とはいったいどういうものか。たぶん、両方であり、また、どちらでもないのかもしれません。

「自分のことは自分が一番良く知っている」とも言いますが、俺は、そうとばかりも言えないなと考えています。世界中に俺一人しかいないんだったら、俺が自分で考えている「自分像」が正しいのでしょうが、実際問題、他人との関わりのなかで生きている(生かされている)俺なので、他人が見ている「自分像」の方が客観性があるような気もします。

柳本氏はこう書いてくれました。「・・・青柳さんには農業技師、土地や品種の改良に携わりいつも畦道を歩いて見回っている人、のような沈着と合理性を尊ぶ生き方を思わせる雰囲気が漂っている。・・・」

宮沢賢治を彷彿とさせないですか? ちょっとこの表現は「ほめすぎ」「かっこ良すぎ」という感じですが、他人が思い描く俺の「自分像」を知る上で、とても参考になります。俺は、もっと感情的で場当たり的な人間だというふうに「自分」を考えていますが、他人からはそうは思われていないのかも知れません。

そういえば、「まじめですね」と言われることもあります。俺自身は「俺の何がまじめなんだろう」といつも思っていますが、そう思わせる雰囲気はあるのかもしれません。だいたいにして、山形弁をしゃべっているだけで「素朴」「まじめ」「誠実」と勘違いされることはよくあります。そんなことないのにね。山形でも凶悪犯罪は起こっています。思い込みは良くありません。

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2006/01/10

イランという国

060110
今日、あるイラン人に会いましたが、彼は「水管理」の研究をしていて、棚田についても知識があったので、イランの棚田についても話を聞くことができました。

去年5月にイランに行ったとき、現地の人から「Japanese Rice Terrace」と教えられたものがありました。見ると、階段状の棚田でしたが、規模が大きく、整然としていて、明らかに区画整理された棚田であることはわかりました。「日本人が作った田んぼ」と説明を受けたのでしたが。

今日の話から、日本の国際協力事業団JICAの人たちが教えた棚田だったらしいということがわかりました。20年間住み込んでイラン人に稲作を教えていたらしいのです。このプロジェクトは2年前に終わって、今は日本人はいませんが、イラン人がそのあとを継いで、引き続き棚田の区画整理に取り組んでいるとのことでした。

ya_4イランの棚田のギャラリーはこちら

ところで、彼が言うには、日本人は、アメリカやヨーロッパや中国には関心があるけれど、イランや中東の国に対しては、あまり関心を持っていない。イランとイラクを混同して、イランは「危ない国だ」と思っている人が多い。そう、不満を漏らしました。

俺もそうだと思います。俺自身がイランに対する関心は低かったし、知識もありませんでした。イランに行くまでは。あんな砂漠の国イランに棚田なんかあるはずがないと考えていたし、写真を見ても、「麦畑に違いない」と思ったほどでした。

自分に直接関わってこないと、正直な話、関心は持ちづらいですね。どうしても、「身近なところから」という優先順位があるのはしかたのないことでしょう。それは俺ばかりではなく、みんなそうです。

棚田をきっかけに、俺はイランに行き、イランが好きになりました。そして関心度がかなり高くなりました。他の日本人もそうかもしれません。イラン映画や、サッカーをきっかけに、イランに対して興味を持ち始めている人たちが増えているんじゃないかなと言うと、彼も同意してくれました。日本とイランとの関係は始まったばかりです。

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2006/01/02

素敵な宇宙船地球号。ハニ族「長街宴」

060108
遅れましたが、今年もよろしくお願いいたします。
2006年はどんな年になるでしょうか。いい年になってほしいものです。

さて、情報です。
今晩のテレビ朝日23:30からの「素敵な宇宙船地球号」で、「絶景雲南省世界最大の棚田に竜が舞う!! 長さ1キロ天空へ連なる大宴卓」をやるそうです。

ハニ族の棚田と祭り「アンマトゥ」で行われる「長街宴(または、長竜宴)」です。村のメインストリートに食卓が並べられ、村人全員で会食しますが、そのテーブルの長さが200m以上にも及びます。元陽県で撮影した俺の写真も出演します。

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