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2006/02/26

荒川静香選手とシャニー・デイビス選手の金メダル

シャニー・デイビス選手は、黒人選手としては冬季オリンピックで初めて金メダルを獲得しました。どうして彼のメダルが話題になるかというと、これは、富裕層と貧困層の問題、差別の問題ということをあらためて考えさせるからでもあるでしょう。

どうして黒人が冬期オリンピックで活躍していないか。アメリカのスポーツに詳しい人の話では、冬のスポーツは、設備投資がかかること、スポーツクラブに所属しなければならないが、そのためには資産がないとだめらしい。つまり、冬のスポーツは富裕層しかやれないものなのです。彼の金メダルは、そういった貧富の差の問題や差別の問題を乗り越えての快挙だということです。なおさら、拍手を送りたいと思います。

これはアメリカの話。でも、事情は、世界に広げても同じでしょう。以前のブログでも書きましたが、やっぱり冬のオリンピックは、裕福な国のものなのか、という疑問がわいてきます。そうすると、「世界の祭典」と言われるオリンピックに対する見方が、ちょっと変わってきます。

ya意外な国からの参加者、冬季オリンピック

今回、フィギュアスケートで荒川静香選手がみごと金メダルを取りました。でも、荒川選手も、ある意味シャニー・デイビス選手と同じような境遇にあったろうことは想像できます。フィギュアスケートという欧米文化の中で、アジア人が頂点に立つことの難しさ。欧米人と同じレベルではだめなのです。欧米人に文句を言わせないだけの圧倒的な美しさと技術が必要でした。だから荒川選手の金メダルは、欧米選手が取る金メダルとは、質が違うと言ってもいいでしょう。もっと価値があると、俺は思っています。

俺はひがみっぽいのでしょうか。そうかもしれません。欧米人にコンプレックスを持っているのは俺も認めます。でも、実際、こういう話も聞きます。日本人が各競技で優秀な成績を収め始めると、日本人に不利なルール改正も行われるという話です。もちろん、日本人だけをターゲットにしたルール改正ではないでしょうが、どうも欧米人の意識の中に、「欧米人以外の選手から勝ってほしくない」という思いを感じるのですが。ただ、日本人にも問題はあるようです。日本人に不利になりそうなら、それに反対する強い抗議が必要なのに、それができていないそうです。言葉のせいでしょうか。

アメリカの新聞では、フィギュアはロシアの時代は終わり、これからはアメリカと日本の時代だ、みたいなことを書いているそうです。ほんとうは「アメリカの時代だ」と書きたかったのでしょう。でも荒川選手が金を取ってしまい、そう書けませんでした。荒川選手に続く日本人選手たち、安藤美姫選手、浅田真央選手は、これからもアメリカを悩ます目の上のたんこぶであり続けてほしいものです。

今回トリノでは、荒川静香選手がアジア人初の金メダル、シャニー・デイビス選手が黒人として初の金メダルを取ったことは、象徴的な出来事ではないでしょうか。冬季オリンピックの転換点であったかもしれません。意義深いオリンピックでした。


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2006/02/24

おめでとう金メダル、荒川静香選手

051221午前4時に起きて、フリーの演技を見始めました。

安藤美姫選手は、14人目に登場。4回転に挑戦しましたが、惜しくも失敗。でもしかたない。もう飛ぶしかなかったでしょう。みんなの期待と、自分自身の思い。この失敗があとを引いてしまったのか、次々にミスを繰り返してしまいましたが、会場から暖かい拍手が沸き起こりました。
直後のインタビュー。
「すごい疲れた」「4回転まわったときはいいかなと思ったが・・・」「4回転に挑戦できて良かった」「はじめてのオリンピックで、100パーセント力を出したかったが・・・」
すごく疲れたような表情でした。彼女は魔物に取り付かれてしまったのかな。4回転という魔物です。

村主章枝選手。スグリワールドを作り上げました。1回転足りないミスがあり、点数はあまり伸びませんでした。
インタビュー。
「やれるだけのことはやったので満足」「今日の結果を受け止めて、今後につなげていきたい」「自分の力は出せるところまで出せた」
惜しかったけど、がんばりました。コーエン選手よりも良かったと思ったのですが。お疲れ様でした。

荒川静香選手。ほぼ完璧。流れるような美しさ。思わず胸が熱くなりました。今まで、荒川選手にそれほど興味がなかったのですが、今回のオリンピックで彼女のスケートの美しさを知りました。
インタビュー。
「いまだにまだ信じられない。ただ今回のオリンピック楽しめればいいなと思ったので、メダルを取れるとも思っていなかったので、びっくり」「今回は、けっこう冷静に望めた」「自分の演技をできればいいと思っていたので、びっくり」
スルツカヤ、コーエンを抜いての大逆転。金メダル、ほんとうにおめでとう。

ya右脳を刺激される選手、村主章枝


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2006/02/23

意外な国からの参加者、冬季オリンピック

トリノ冬季オリンピックのテーマは、"Passion lives here."(情熱はここに息づく)。

夏のオリンピックとは違うので、雪が降らない国からの参加者はあるんだろうかと思って調べてみました。お金がなくてもできるスポーツが多い夏とは違って、どちらかというと設備も道具もいる冬のスポーツは、やっぱりお金持ちの国の人たちのものなのか?とか、欧米と敵対しているイスラム教徒の国は参加しているんだろうか?という疑問もありました。

「雪」と「経済」に相関関係があるのかわかりませんが、トリノオリンピックの公式ホームページで調べたら、意外にも、アフリカも数ヶ国参加しているし、アジアではイランやタイなど、あまり「雪」のイメージがない国からも参加している選手がいました。ただ、やはり、設備があまりいらない、クロスカントリーなどですが。そして、その参加選手の中に、ある意味、"Passion lives here."そのものの選手も見つけました。

イランは、砂漠の(暑い)国というイメージがあるかもしれませんが、去年実際行ってみて、山には雪が降るしスキーもやっていることを知りました。今回は、スキー距離男子15キロクラシカルに出ているミルハシェミ・セイードモジュタバ選手と、大回転に出ているサベーシェムシャキ・アリダード選手の2選手がいます。ふたりとも、テヘラン北部シェミラン地区出身です。このシェミランは、テヘランでも裕福な人々が住んでいる地区で、アルボルズ山脈の麓にあります。

イラクの次に攻撃されるかもしれないと問題になっているイランが参加していることに、ちょっと驚きました。政治とスポーツは別なのでしょうが、イランの余裕を感じます。

そしてタイの選手にはドラマを感じました。

ya選手のデータはこちら

選手の顔が出てきたとき、ずいぶん歳とってるなというのが第一印象でした。誕生日を見たら1958年1月12日生まれ。なんと、「中年バックパッカー」と同じ47歳。興味がわいて調べて見たら、次のようなことがわかりました。

名前は、プラワット・ナグバジャラさん。今回はスキー距離男子15キロクラシカルに出場しました。

  以下、asahi.com (2006年02月18日01時04分)より引用させてもらいます。

  ・・・

雪と無縁なタイから1人でトリノ五輪に参加した47歳のプラワット・ナグバジャラが17日、しんしんと降る雪の中でスキー距離男子15キロクラシカルに出場した。8年前の長野大会に初出場したケニア人選手に刺激され、本格的に競技を始めたという。トップから29分以上遅れの最下位の97位ながらも、「最後の五輪」と決めての初完走に、会場から温かい拍手がわいた。
ナグバジャラは98年、長野大会の男子10キロをテレビ観戦した。目がくぎ付けになったのは、1位から20分以上遅れてゴールしたケニア人のフィリップ・ボイト(34)。ノルウェー人の優勝選手が、初出場で完走した最下位のボイトをたたえ、ゴール地点で出迎える場面に感動した。
その時、「私も五輪へ行く」と決めた。「同じ雪のない国の選手が奮闘したのだから、私もできると自分に言い聞かせて練習に励んだ」
バンコク生まれのナグバジャラは、17歳で大学入学のために米国へ渡った。コンピューター工学の博士号を取り、現在は米ドレクセル大で準教授をしている。雪を初めて見たのも渡米後で、20代から趣味でクロスカントリーを始めた。
決意から4年後。ソルトレーク大会の30キロにタイ人初の冬季五輪選手として参加したが、周回遅れで完走すらできず、悔しい思いが残った。トリノでの初完走後、「5回くらい転んだけれど、完走できてうれしい」とおどけた。
今後は「今は、冬に五輪があることすら知らない人が多い」というタイで、ショートトラック選手などを育成するのが夢だという。

  ・・・
  以上、引用終わり。

一昨年の暮れに起こったスマトラ沖津波は、タイ南部プーケット島にも大きな被害をもたらしました。荒れ果てた様子を見たナグバジャラさんは、祖国タイの人たちにまた元気になってもらいたくて、あらためてオリンピックに出る決意を固めたとのことです。「参加することに意義がある」とは言われますが、彼のためにある言葉かもしれません。

今回のオリンピックの参加選手の中では、最年長の一人。今回で引退し、これからはタイ人の選手を育てるようです。

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2006/02/17

「新潮45」に棚田の写真掲載

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棚田についての情報です。

「新潮45」3月号に、棚田の写真が掲載されています。

日本の棚田、岐阜県坂折、佐賀県浜野浦、佐賀県蕨野、和歌山県あらぎ島、山形県最上川河畔の棚田の5点です。

060217_02
表紙はこれです。機会があったら見てください。

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2006/02/12

右脳を刺激する選手、村主章枝。

いよいよ始まりました。トリノ・オリンピック。いろんな競技が楽しみです。

051221その中のひとつ、フィギュアスケート、村主章枝(すぐりふみえ)選手のファンの一人としては、今回村主選手がオリンピックに出れたことはほんとに良かったです。

彼女は1980年12月31日千葉市生まれですが、父親が日本航空国際線パイロットの仕事の関係で、3歳から5歳まで米国アラスカ州アンカレジに住んでいました。そこでスケートを始めたといいます。

村主選手の演技には独特の世界を感じます。俺は「競技」というよりも「演技」として見ているからでしょうか。彼女の表現力はすばらしいですね。2005年12月のNHK杯、全日本選手権のときは、観客を総立ちにさせるすばらしい演技を披露して会場を村主ワールドに染めました。

彼女はあるインタビューで答えています。

「技術にとらわれすぎると、逆にハートが入らなくてお客さんに伝わらない。その技術とハートのバランスがとても難しいところです。」
「フィギュアスケートのよさは、演技を通して自分のメッセージを人々に伝えられること。しかもスポーツですから、競技という部分もあります。」
「ジャンプやターンに固執していなかった昔というのは、いかに美しく滑るかをみな考えていたわけです。」
(「力の意志」2002年6月号より)

彼女は、技術よりも表現にこだわっているようです。選手それぞれにいろんな持ち味がありますが、彼女の持ち味は、やはり「美しさ」を追求する表現のすばらしさでしょう。スポーツ選手というよりも、芸術家とかアーティストと呼びたくなります。もちろん、表現を支える技術がなければだめなことは言うまでもないですが。

もともと俺は写真も本格的に勉強したことはなくて、ただ、「旅」を表現したいという思いだけで続けてきたので、写真家と名乗ってはいますが、正直言うとカメラそのものやテクニックのことはあんまり詳しくはありません。(それで恥をかくことも多いです)

テクニックに興味がないと言ったら極端ですが、「撮りたい」という気持ちの方が先行し、テクニックはあとで付いてくるなどと考えて、努力を怠ってきたといえるかもしれませんが。まあ、こんな俺でも、20年も続けてきたら、人並みの技術はいつのまにか付くものです。

だからと言って、それは村主選手とは違う点でもあるでしょう。あのやさしい表情の裏には、血の滲むような努力があったことは想像できます。

とにかく、村主選手の目指す方向性が、俺の感性と合うんでしょうね。だから応援したくなる。ジャンプなどの技を追求する選手を「左脳を刺激する選手」だとすれば、彼女は「右脳を刺激する選手」なのです。みんなの魂を揺さぶるような印象に残る演技を期待しています。

yaショートプログラム終了(2月22日)


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2006/02/08

イラン映画『マリアの息子(Pesar'e Maryam)』

在日イラン大使館では、月の初めにイラン映画上映会を開いています。

俺は今回で2回目です。それにしてもイラン大使館の建物は立派ですね。地下に100人ほど入れるホールがあります。映画が終わったあとは、カステラ、ナツメヤシ、ギャズ(ピスタチオが入った甘い菓子。エスファハーンの名物)と、お茶やジュースがサービスされます。これがまたイラン風でいいんですよね。

ところで、今回の映画ですが、『マリアの息子(Pesar'e Maryam)』というタイトルです。監督は、ハミド・ジェベリ、出演は、モフセン・ファルサフィン、ラーフィク・デルガーブリリヤーン、ハーディ・ナーイーニーザーデなど。日本でも、数年前東京国際映画祭で公開されたことがあるそうです。

[あらすじ]
敬虔なムスリムの少年ラフマンは、村のカトリック教会でマリア(ペルシア語ではマルヤム)像を見て、同じマルヤムという名前の、顔も知らない亡き母を想う。村人から慕われる穏やかな神父は、まもなく数年ぶりにこの教会で行われる儀式の準備を着々と進めていたが、ある日、高所から落ちて体を痛めてしまう。ラフマンは、神父に頼まれて、神父の弟を探すために街に行き、街の教会でクリスチャンの少年と出会う・・・。(もらったチラシ「第8回 イラン映画上映会」より)
その少年の助けがあって、なんとか神父の弟を探し出すことができ、ラフマンは弟とふたりで村の教会へ戻る。弟は兄(怪我をした神父)の様子をみて、これは病院へ行かなければだめだと説得し、連れて行く。神父は教会の鍵をラフマンに預けた。ところがすぐ、神父が亡くなってしまう。

という、淡々とした映画。おそらく登場人物のほとんどは素人さんでしょう。ラフマンもそんな感じがしたけど。何もドラマチックなことは起こらない、静かな映画でした。イラン映画らしいと言えば、イラン映画らしい。(それほどイラン映画を知っているわけでもないですが)

以前、第6回東京フィルメックス映画祭のアボルファズル・ジャリリ監督のトークショーを聞きにいった話はブログでも書きましたが、そのとき、監督は、イランでは子供を使った映画が多いという話をしていました。それは、いろんな制約があるらしくて、政治的でも宗教的でもない子供を主人公にした映画は作りやすいという理由もあるようです。

ya第6回東京フィルメックス映画祭

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国民のほとんどがイスラム教徒なので、こういうカトリック教徒とイスラム教徒が共存している村があるということが新鮮でした。アルメニア系の教会でしょう。でも、「平和共存」が、とくに強調されているように感じました。まるで教科書のように。

ただ、この映画はラフマン少年の純粋な心がテーマです。ラフマンは、偏見も先入観もなく、神父と心の交流を続けます。少年が教会でマリア像を見たときのシーンは、『フランダースの犬』でネロがルーベンスの絵「キリストの降架」を見るシーンを彷彿とさせました

(掲載の写真は、2005年6月に撮影したエスファハーン・ジョルファー地区(アルメニア人街)にあるヴァーンク教会です)

去年6月イランに行ったとき、ちょうど大統領選挙があって、保守強硬派のアフマディネジャド氏が勝利しました。イランは、今、核問題で揺れています。

これからどうなっていくのでしょう。イラクのように、アメリカや、あるいは国連が攻撃するなどという事態になってしまうのでしょうか。そのとき日本はどうするのでしょうか。人事ではない問題です。イランの石油を買っている日本人にも大きな影響が出てくることは確実です。

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2006/02/02

『単騎、千里を走る。』 中国雲南省(その2)

『単騎、千里を走る。』を観てきました。映画のストーリーは、公式サイト他でご覧ください。

 公式サイト:http://www.tanki-senri.com/

多少、設定に無理を感じたところもありますが(主人公「高田(高倉健)」が雲南へ行く動機に唐突さを感じたこと、中国の刑務所に外国人が入る許可が簡単に下りたことなど)、「映画だから」と割り切れば、全体的なテーマや情感などは、良かったと思います。雲南らしい「匂い」も感じさせました。素人の人たちの演技と思わせない自然な感じは、さすが、チャン・イーモウ監督です。

そして「高田」と少年ヤンヤンとのふれあい。言葉ができなくてコミュニケーションがうまくいかないことは外国を旅するとよくあることですが、もしかしたら、この場合、言葉が通じないからこそ、「高田」と少年ヤンヤンとは、心が通じ合ったのかな?とも思います。どんなに通信手段が発達しても、直接出会って、目と目を見て、体温体臭を感じることの意味は大きいでしょう。言葉(理屈)ではなく、体(感覚)で分かることの大切さみたいなことを、監督は表現したかったのではないか、とも思うのです。言葉が通じなくても、心は通い合うということは、俺も、外国を旅してたまに実感します。

そう考えると、「高田」が、仮面劇の撮影はしなくても良くなったのに、あえてまた刑務所へいって少年の父親に会う意味もわかります。写真だけなら、あとでプリントでもして渡してもらえばすむのに、「高田」は、直接彼に会いたかったのでしょう。いや、会う必要があったのです。直接会って、ヤンヤンを思う父親の気持ちを感じることで、「高田」自身もそこに自分を投影し、自分の息子との距離を縮めることができると考えたのかもしれません。ただ悲しいことに、そのとき、すでに「高田」の息子は亡くなっていたのですが。

健さん(高倉健)はかっこ良かった。いや、ちょっと良すぎたかな。チャン・イーモウ監督の思い入れなのでしょう。全体的には「遠くから来た日本人を助ける親切な中国人たち」という仕上がりにもなっているので、中国人にも評判はいいでしょう。

上に掲載の写真(スライドショー)は、今から16年ほど前に、貴州省鎮寧郊外の村で俺が撮影した「ディーシー」です。

映画の中で実際に『単騎、千里を走る』を踊っていた人たちは、貴州省西部、安順市の人たちだったようです。(エンドロールにも、そう出ていました) 雲南にも仮面劇がありますが、貴州の方が昔のまま良く保存されていることで有名でした。だから俺もそれを見たくて、春節の時期、安順付近に滞在していたことがあります。

これを「地戲(ディーシー)」といいます。安順市、鎮寧県近郊の村々に伝わる仮面劇で、春節期間中それを見ることができました。

「地戲」は、明朝時代にこの地方に移り住んだ漢族の兵隊たちが娯楽としてやっていたものを、地元の農民が真似てやり始めたのが発端だと言われています。そういうわけで、「地戲」の演目は漢族の物語からとったものが多いのです。『千里走単騎』もそのひとつ。ところで、「地戲」と呼ぶのは、特別のステージを使わないで、地面の上でやるからです。写真を見てもらえれば、わかりますよね。演者と観客が同じ地面にいます。観客は周りを囲んで見物するのです。

俺がいった村では、春節の五日目から十五日目まで毎日行われるそうで、その期間、「地戲」を見物に方々から人が集まってきていました。「地戲」は午後3時ころから始まって約3時間続きました。これと平行して、隣のグラウンドではバスケットボールの村対抗戦が行われていたり、ビデオ館ではスピーカーで放映中のビデオの音を流し若い人たちを呼び込んでいて、たいてい「地戲」を熱心に見物しているのは老人たちでした。

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ヤンヤンがいた村は、映画では「石頭村」と言ったと思いますが、これは、麗江郊外の「石鼓鎮」と「土林」とその他を組み合わせたものでした。「石鼓鎮」の入口には、実際門付きの吊橋が架かっています。「石鼓鎮」はまた「長江第一湾」といって、金沙江(長江の上流)が、大きく方向を変えるところとしても有名です。

そして、土林の夕暮れは美しかったですね。土林は元謀県にあります。堆積した土が長年の雨によって浸食されて、まるで林のようになっているので、土林と呼んでいます。元謀県では、170万年前といわれる「元謀猿人」の化石も発見されています。

この土林の中を、健さんも、小型トラクターの荷台に乗っていましたね。ヤンヤンを連れて、ヤンヤンの父親のいる刑務所へ向かうシーンです。このトラクターは「トラジー」といって、雲南の田舎に行くとお世話になる乗り物です。バスが走っていない村に行くときなどに使います。どんな辺鄙な村にも、この「トラジー」は1台くらいあるので、これをチャーターすることもできます。10年くらい前ですが、1kmあたり1~2元くらいだったと思います。

060202_02ただ、これに乗るには、あるコツがいります。人や物が落ちないように、荷台の枠に鉄棒が張られていていますが、これを揺れるからといって力を入れて握っていると駄目なんです。緩く握ることが肝心です。それと、膝ですね。ぴんと伸ばすのではなくて、少し曲げて、中腰状態になるのが楽です。道が悪いので、あまり手や膝を緊張させておくと、間接をすぐ痛めてしまいます。(なかなか役に立つトリビアでしょ?) 俺は昔、山のイ族の祭を見に行くために、片道4時間乗ったこともあります。

それと「長卓宴」という、村人全員がテーブルを長くつなげて食事をするシーンがあるのですが、これはやはり、ハニ族の「長街宴」をイメージさせるものでした。ナシ族(ナシ族という民族名も映画では出なかったようですが)に、こういった習俗があると聞いたことはなかったし、俺も今まで見たことはありません。これは、映画のためのものなのかもしれません。

もうひとつ、九十九折の道が出てきたとき、観客から溜息が漏れましたが、あそこは、麗江から瀘沽湖へ向かう、金沙江の谷を降りていく道だと思います。ああいう道だらけなんですね、雲南は。逆に言うとまっすぐな道がない。それでも、十数年前と比べれば、主要な幹線には高速道路もできたし、田舎の道も作り直されて、幅も広い、だいぶ直線の多い道に変わってきています。

ところで、「高田」の息子が、雲南に6ヶ月滞在し仮面劇を撮っていたことといい、その息子が麗江の玉流雪山をボーっと長時間眺めていたことがあったことといい、「高田」と息子の会話があまりないことといい、「まるで俺の話しだな」と、観ていて思いました。しかも、この息子は「健一」という名前でした。

以前観た『山の郵便配達』でも、父親と息子の関係修復のドラマでした。今回の映画もそうです。父親と息子って、難しい関係ですよね。(俺だけかな?)


ya『単騎、千里を走る。』 (以前、ブログで書いた記事)

ya『山の郵便配達』を観た感想(以前、エッセイで書いた記事)

ya麗江の写真

ya麗江ナシ族の写真

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