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2006/04/29

マダガスカルの旅(19) 紙幣とコイン

マダガスカルの紙幣とコインです。単位はアリアリ。(1000アリアリは約56円。2006年3月のレート)

今回は、日本円、ユーロ、ドルと3種類持って行きましたが、結論から言うと、日本円だけでも良かったかもしれません。ただし、タクシーブルースなどの現地交通手段を使って、田舎をずっと旅する人は、ドルかユーロも必要ですが、アンタナナリヴを起点にして飛行機で動く場合は、日本円の方がかえってレートが良かったりします。(俺たちは、足りなくなったら空港でも両替しました) ドル、ユーロの場合は、日本円からの両替で手数料を取られているので、2重に払うことになってしまいます。(旅の仕方にも関係しますが、何を持っていくかの参考になればと思います)

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現在、マダガスカルでは、旧紙幣、マダガスカル・フランを使わなくなっていますが、田舎に行くと、たまにフラン札を渡されます。(5フラン=1アリアリ)
下の紙幣は、1000フラン札(200アリアリの価値)です。
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2006/04/28

マダガスカルの旅(18) モノクロ写真

マダガスカルのモノクロ写真ギャラリーを作りました。電網写真館 a-Galleryの中にあります。

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2006/04/25

マダガスカルの旅(17) ベタフの写真

昨日、蓄膿症の話を書きましたが、一日明けて、痛みはだいぶなくなっているのですが、なぜか顔の腫れがひどくなっています。どうしたんでしょう。まるで「ブルドッグ」みたいらしいです。写真でも撮ってみなさんにお見せしたいところなのですが、「美」を追求する当ブログではふさわしくないと思い断念します。

さて、今日は、以前「ベタフ温泉」でも書きましたが、アンチラベ西部の町、ベタフの写真です。

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2006/04/24

マダガスカルの旅(16) チクングンヤ熱などの病気

この数日、たいへんでした。蓄膿症が悪化して顔が腫れ、痛くて痛くて、何もやれない状態でした。

今日病院で鼻から注射器を突っ込んで、膿を抜いてもらいました。それでだいぶ痛みも収まり、こうしてパソコンの前に座ることができました。

これは持病といってもいいのか、過去2回経験しています。これで3度目です。風邪をひいた状態で飛行機に乗ると悪化するそうです。担当の先生は言っていました。そういえば、1回目は、メコン川源流からの帰りで、確かに風邪をひいていて、飛行機に乗りました。

今回も、マダガスカルから帰る直前風邪をひきました。帰国後もなかなか鼻水が止まらなくて、ずいぶん長い風邪だなあと思っていたのですが、数日前、突然ほほに痛みを感じ、「あっ。これはあの症状だ」と思い出し、すぐ病院へいったのですが、翌日から顔が腫れてしまいました。

でも、「良かった」と思ったのです。なぜかというと、帰国後発病したからです。これがマダガスカル旅行中だったらどうなっていたか。想像すると怖い。そして、マダガスカルから変な病気をもらって帰ったのかなと、一抹の不安があったので。

ところで、マダガスカルはいろいろ病気があるので、それなりに注意しました。マラリアにならないように(蚊に刺されないように)、なるべく長袖で通し、ベープマットを焚いて寝ました。実際自覚している回数、蚊に刺された回数ですが、俺は4回です。これが多いのか少ないのかわかりませんが、幸いにも、マラリアには罹りませんでした。けっきょく俺たちは予防薬は飲みませんでした。それは副作用が怖かったからです。

それぞれ事情があるでしょうから、マラリア対策をどうするか、素人の俺が言うべきことではないと思うので、専門家に相談してみてください。

国立国際医療センターでは、他の感染症についても予防接種、相談、検査をやってくれるようです。
東京都新宿区戸山1-21-1 (tel 03-3202-7181)
http://www.imcj.go.jp/dcc/index.html

マラリアもそうですが、今話題になっているのは、「チクングンヤ熱」です。これはフランス領レユニオン島などで流行しているウイルス性疾患です。これも蚊(ヒトスジシマカ、ネッタイシマカなど)によって媒介される病気です。高熱、頭痛、関節痛などの症状があります。この「チクングンヤ」という名前はスワヒリ語で「前屈みになって歩く」という意味だそうです。患者が痛みのために前屈みになって苦しむ様子から命名されたようです。

この病気がマダガスカル東海岸にも上陸しているという話を聞きました。キリンディー森林公園で会ったフランス人旅行者から、東海岸トアマシナへ行ったとき、たくさんの患者を(しかも、屈んだ患者を)見たと聞きました。それがチクングンヤ熱の患者なのか、デング熱の患者なのかはわかりませんが。

外務省ホームページにはこういう記事が載っています。
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info.asp?num=2006C103
「Toamasina市では、2006年1月中旬からデング熱の流行が報告されているいる。また、2月中旬からはチクングンヤの発生も確認されている。」
状況は刻々と変わっていますので、最新情報に当たってください。

いずれにしても、マダガスカルにはいろいろな病気があり、気をつけなくてはなりません。体あっての旅です。蚊に喰われないように、あまり汚いところでは食べないように注意して、マダガスカルの旅を楽しんできてください。

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2006/04/18

マダガスカルの旅(14) アンブシトラ

アンブシトラ、夕方の写真です。この街、気に入りました。

盛り場ではビデオを見せる小屋があって若者たちがたむろしていました。街を歩いてジロジロ見られたのは、ここだけだったような気がします。

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2006/04/17

マダガスカルの旅(13) マダガスカル人

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今回、マダガスカルを旅していて、人から話しかけられたのは、ガイド、みやげ物売り、物乞い以外ほとんどありませんでした。こちらには話しかけませんが、かといって興味を持っていないわけでもなさそうです。話しかけると、ちゃんと話をしてくれます。ただ、ほとんどはフランス語しかわからないので、(フランス語もわからない人も多いので)、俺のフランス語の能力不足もあって、なかなか突っ込んだ話はできなかったのですが。

マダガスカルでの車の運転は意外と丁寧ですね。たとえば、前方に障害物があった場合、対向車を待ちますが、かなり手前からスピードを落として、対向車が通過するのを待っています。無理して突っ込んでくる対向車に対しては、注意をしていました。そして注意された方も、苦笑いして謝っていました。交通ルールはよく守られているようです。(信号は1基もないのではないでしょうか)

1度、追い抜かせてあげた後続車が、前方に走り去るときハザードランプを、2、3回点滅させたのはびっくり。てっきり、この「感謝」の挨拶は、日本だけだと思っていたのですが、マダガスカルでもそうなんですかね。前方が渋滞している合図としても、このハザードを点滅させるのは日本と共通。(あるいは、世界共通?)

本で読んでいたイメージとはちょっと違って、意外と時間には正確。たとえば、タクシーを「何時に」と約束したことがありました。でもその約束の時間になってもタクシーが来なくてイライラしていました。「やっぱり、マダガスカル時間だなぁ。遅れてもしかたないかぁ」と。ところが、部屋の外に出てみたら、そのタクシーが約束時間の前からちゃんと待っていたんです。来てるなら、声かけてくれてもよさそうなのですが。気を使ってくれているんですかねえ。そんなこともありました。

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マダガスカル人は、「俺、俺」と前に出てくるのではなくて、一歩引いた控えめな行動をする人たちのようです。この奥ゆかしさはアジア人的、いや、農耕民族的だなという印象を持ちました。「まるでアジアのようだ」と言ったら、マダガスカル人は喜ぶかもしれません。初めてこの島にマレー・ポリネシア系の人が移住してきたのが5世紀ごろと言われています。その後アフリカ系の人と混血し、今のマダガスカル人が作られました。だから風貌からしてアジア人です。そして意識としても、アフリカよりもアジアを向いているのがマダガスカル人です。


4週間弱の短い体験での話なので、ここで書いたマダガスカル人を一般論とするには無理があると思われるかもしれません。実際、アンタナナリヴからタクシーブルースに乗ったときはかなり飛ばしていたし、マダガスカルのドライバーのみんながみんな丁寧だともいえないでしょう。

でも、俺は第一印象は大切にしています。

たとえば、何度か旅先で出会った外国人から、日本に初めて来たときの印象として「日本人は時間に正確すぎる」ということを聞かされました。実際はいろんな人がいるし、そうとばかりも言えないですが(俺なんかそうです)、一方では、やっぱりそうだなとも思って、苦笑します。

その国をだんだん知ってくるにしたがって、一般論が言えなくなる、わからなくなるということはあるようです。第一印象というのは、ピントが合っていないカメラのファインダーを覗いているようなもので、輪郭と色しかわかりません。ただ、この輪郭と色は、ぼんやりはしていますが、間違ってはいません。だんだんピントが合ってくると、細部がはっきり見えてきますが、そのかわり、全体的な印象はむしろぼやけてきます。具体的な人間、光景を知るにしたがって、それを無視することができなくなるからです。無知なるがゆえに言えることって、あるんですよね。それがまた的を得たりするのが不思議なところです。(知識が増えればその物・事がよくわかるのかというと、俺は必ずしもそうではないと思っています)

俺は、マダガスカルに関しては、まさに「ピントが合ってない状態」で、今後また何度か行く機会があれば、印象からだけで一般論を語るということはしなくなる(語れなくなる)でしょう。

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2006/04/15

マダガスカルの旅(12) アンタナナリヴの写真

首都、アンタナナリヴの朝の写真です。

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2006/04/12

マダガスカルの旅(11) マダガスカルの料理と食品

今日は、マダガスカルで食べた料理、食品について書きます。

マダガスカルのヴィザは、東京にある大使館へ直接いって取りました。そのとき、職員から、マダガスカルの伝統的な料理について教えてもらいました。「トロンドロガシ」と「ルマザヴァ」というものがあるとのこと。

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さて、その料理ですが、まず「トロンドロガシ」とは魚料理です。トマト、タマネギ、塩を使って淡水魚(鯉)の煮たものですが、すごくシンプルな料理です。淡水魚のことを「トロンドロ」といいます。田んぼの中にも住んでいます。これをおかずにして大量のご飯を食べるわけです。

マダガスカルの一般的な食堂のことを「Hotelyホテリー」といいますが、アンチラベのホテリーで食べたとき、値段は1600アリアリでした。もちろんご飯付です。それと「ラーヌ・ブラ」というお湯が出てきます。「ラーヌ・ブラ」を直訳すると「黄金の水」ですが、これはご飯を炊いた鍋にこびりついたおこげを洗ったお湯(だから、スープと言えるかどうか)だそうです。薄いほうじ茶のような味がします。

昔、中国西域(シルクロード)をロバ車で旅行していたとき(このときの話はいずれしたいと思いますが)、途中で泊めてもらった道路工事のキャンプで食事をご馳走になり、そのとき、「スープいるか?」と聞かれて「いりません」と答えたとき「どうせ洗うんだから」と言われたのでした。つまりわざわざスープを作るのではなくて、料理を作ったあと、中華鍋をきれいにするためにお湯で洗うわけですが、そのお湯がそのままスープになるというものでした。一石二鳥というんでしょうか。少ない貴重な水を、節約する方法として感心したものです。

事情は中華料理とは違うかもしれません。西域では水が貴重だという理由でしたが、マダガスカルでは水よりもご飯(おこげ)でしょう。貴重な食料を無駄にしないという「意気込み」は感じられます。もっと言えば、貧しいところだからこそ、その習慣が「ラーヌ・ブラ」を生み出したのかもしれません。「トロンドロガシ」自体、凝った料理ではなくて、質素さを感じさせるものでした。

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もうひとつ、大使館で教えてもらった「ルマザヴァ」ですが、こちらは煮込み料理(具の多いスープ)です。「ブレッド」という名の青菜、小タマネギ、ゼブ牛とトリの肉片が入り、トマト味です。ご飯付で2000アリアリ。味噌汁のようなコクもあり、それなりにおいしいものでした。

あとマダガスカル人から、伝統的な料理として「ラビトト」のことを聞きましたが、この「ラビトト」については、「ある農家の話」ですでに書いたので、ここでは省きます。

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コメを使った料理(食品)については「ムルンダヴァの朝食」でも書きましたが、「クバ」についてもう一度。「クバ」は、首都アンタナナリヴや、アンチラベの町角でも見かけました。直径10cmほどのバナナの葉に包まれた三角柱状のものを輪切りにして売っています。100アリアリを出すと、幅5mmくらいの薄さにナイフで切って出してくれます。コメ粉、ピーナツ、砂糖(蜂蜜)が材料です。それほど甘くもなく、おいしい食べ物です。

マダガスカルに着いた初日、アンタナナリヴの街を歩いていると、この「クバ」売りがいたのですが、さすがの俺も、なんだろう?と敬遠していました。サラミのようにも見えました。でも、これがコメ食品だとわかって、ぜひ食べてみたいと思うようになりました。先入観はよくありません。食べてみたら、けっこうおいしいのです。

また屋台では「ネム」と呼ばれる揚げ春巻きや、さつま揚げふうの食品もおいしかったです。

060412_4マダガスカルは、ゼブ牛肉がたくさん消費されています。飼われているゼブ牛は、人口よりも多いそうです。そのためか肉の中で一番安いのもこのゼブ牛です。俺は旅の期間中、何度もゼブ牛料理を食べました。ゼブ牛のカレーふう煮込み料理、タン(舌)の煮込み。ステーキもうまかったですね。意外とやわらかくて癖もありません。

ゼブ牛の「ソシシ(ソーセージ)」「キトーザ(味付けした肉片)」も一般的です。お粥「バリスス」を食べるときは、この「ソシシ」や「キトーザ」などもいっしょに頼みます。「ソシシ」はゼブ牛肉ミンチと血をいっしょに詰めたものらしく、血の味がしてちょっと癖があります。日本人には好き嫌いが分かれるかもしれません。

ところで余談になりますが、この背に瘤があるゼブ牛、けっこう気性が荒いのか、下手に近づいたりすると、突進してくるときもあるので注意しないといけません。マダガスカルの人間は優しいのに、牛は怖い。アジアを旅していて、牛や水牛に突進された経験はないので、ゼブ牛はやっぱり特別なのかもしれません。

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2006/04/11

マダガスカルの旅(10) イサル国立公園

今日、用事で銀座へ行ったときのことです。
「マキちゃ~ん!」
その声に俺は敏感に反応してしまいました。振り返ると、その「マキちゃん」と呼ばれたおばさんは、地下鉄の改札越しに、おじさんから白い紙袋を受け取りました。「マキちゃん」は忘れ物をしたようです。

俺はおもわず、ニタニタ顔。その「マキちゃん」は、人間からバナナをもらっている猿に見えたからでした。「マキ」と聞けば「ワオキツネザル」を思い出してしまうのは、マダガスカルから帰ってまだ2週間しかたっていないからです。マダガスカルでは、「マキ」とは現地の言葉で「ワオキツネザル」のこと。

思わず、ニタニタ笑ってすみませんでしたが、こういう理由で笑ったのです。へんなおじさんではありません。


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さて、小話はこれくらいにして、今日もマダガスカルの話を書きます。今回は「イサル国立公園」で出会った「マキちゃん」やシファカなどの話です。

ラヌヒラは、ゲストハウス、ホテルも数件ありますが、メインストリートが200mほどの小さな町で、イサル国立公園の基点になります。公園の管理事務所で手続きをして公園に入るわけですが、行く場所、日数、ガイドによって料金は変わります。俺たちはあまり時間はなかったので、マキ・キャニオンだけ1日有効のチケットを買い、ガイドを雇いました。

マキ・キャニオンは、ラヌヒラの町から20kmほど離れていますが、草原の中の土道を車で行きます。左手に見える絶壁の何ヶ所かが縦に割れていて、そこが奥まで続く峡谷になっているのがわかります。すごい風景です。

入り口に近づくにつれて、集落と水田が見えてきました。公園の現地ガイドのダニエルさんによると、この集落がもともとのラヌヒラの村だったという。バラ族の男が、「買わないか?」とニワトリを持ってやってきました。値段を聞いたら、1羽6000アリアリだと言っていました。その日は2週間に一度開かれるラヌヒラでのマーケットがあるらしく、男は、そこへ行く途中だったらしい。物を売買するのは当然ですが、若い人たちにとっては異性を探す場所でもあるとのことです。ここだけではないですが、マーケットはそういう場所でもあるんですね。

駐車場で車を止め、そこから30分は、川を渡り、水田のあぜ道を歩きます。バラ族の墓もありました。正確に言うと、それは墓標だけで、骨はどこか遠くに埋めてあり、この下にはないそうですが。

田んぼは、ちょうど田植えと、牛をたくさん使って田んぼの泥の中を歩かせて耕す「踏耕」が行われていました。そして稲刈り直前の田んぼもありました。赤いコメではなくて白いコメを作っているそうです。ここは、標高900~1000mで、高地に比べると暑いので、2期作も可能です。

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いよいよジャングルに入る手前、緑金色に光る「マンテラ」と呼ばれるカエル(キンイロマダガスカルガエル属)と、20cmほどのゲッコーを発見。ジャングルに入って川に出たとき河畔の木の枝に真っ赤な鳥が止まっていました。これは「フーディ」と呼ばれるベニスズメの一種。繁殖期には、オスが赤くなりますが、他の季節は目立たなくなるらしい。ガイドのダニエルさんは、「フーディ」はコメをついばんで茶色に変化していくと言いましたが、ちょうど収穫の時期と重なるからであって、コメを食べるからではないかもしれません。。

ジャングルを歩くこと15分、また川に出ました。ダニエルさんは、俺たちを残してレムールを探しにでかけました。待つこと10分、彼が「いたよ」と言いながら戻ってきました。速く行かないとレムールは移動してしまうから、と急がされました。

ダニエルさんは、もともとアンタナナリヴ出身ですが、20年以上ここに住んでいるので、現地人といってもいいでしょう。裸足でジャングルを移動するのですが、着いていくのがせいいっぱいです。坂があるし、道は狭いし。息を切らして急坂を上ると、ダニエルさんは上を指差しました。

「いたーっ!」

060411_1ワオキツネザルとシファカ。約10匹が木の枝にしがみついていました。そして木から木に飛び移ります。木が揺れる音が静かなジャングルに響きます。レムール(キツネザル)という名前の通り、猿と言えば猿ですが、狐のようにも見えます。

ワオキツネザルの子供でしょうか、かなり近くまで近づいてきました。好奇心旺盛です。物をねだっているようにも見えました。物をあげるのはもちろん禁止されていますが、この子供のワオキツネザルの行動を見ると、過去、人から物をもらったことがありそうです。

木から木へ軽やかに飛び移ります。6mも飛ぶそうです。こんなレムールの集団は3グループあるらしい。でも、レムールのようにジャングルを走り回るダニエルさんがいなかったら、こんな広い場所でレムールを見ることはできなかったでしょう。さすが現地ガイド。

この公園には他にブラウンレムールもいるらしいですが、木の高いところに住んでいて、見るのは難しいそうです。

また川まで戻って、峡谷(マキ・キャニオン)を200mほどさかのぼっていきました。他の外国人観光客が10人ほど休憩していました。そこには、昔、領主様しか浴びることができなかったという天然のシャワーがあります。対岸の岩場から水がシャワー状に落ちていましたが、涼しげです。今でもここは聖なる場所で、地元のバラ族の人たちがお供えを持ってきたりしているとのことです。

人と猿が静かに暮らしていた時代があったのですね。それが毎日観光客がやってくる場所になりました。今は雨季で観光客は少ない時期です。少ない時期でこの人数。ピーク時には何人やってくるのでしょうか。そんな大勢でやってきて、あんな狭いジャングルでレムールを見ることはできるのかな?と、いらない心配をしてしまいます。押し合いへし合いしながら見上げる観光客の姿を想像すると、ちょっとこっけいです。

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ジャングルを抜けたとき、目の前を2匹のカメレオンが通り過ぎていきました。オスとメスらしい。ただ意外と速く歩いていって、あっという間に草むらに入って見えなくなりました。マダガスカルでは野生のカメレオンをよく見るという話を聞いていたのですが、今回、野生のを見たのは、この2匹だけでした。

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2006/04/10

マダガスカルの旅(9) 秘湯、ベタフ温泉

マダガスカルの首都アンタナナリヴから車で3時間南下したところにあるアンチラベ。しゃれた感じの街です。ホテルも多く、外国人密度も高いようです。焼き鶏ならぬ。焼きゼブ牛肉をつまみに酒を飲める店や屋台も何軒かあります。
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郊外にありとあらゆるものが売られている、大きな青空マーケットがありました。野菜が豊富ですね。それと今が旬の、柿。ある一角には、動物売りが並んでいました。ニワトリ、七面鳥、ガチョウなどなど。その中で猫も売っていましたが、ペットでしょうか、それとも・・・。写真を撮ろうとすると強く拒否されました。

アンチラベから、さらに22kmほど西にベタフの町があります。水田とトウモロコシなどの畑が交互に現れる田園風景の中を、タクシーブルースに乗って約40分。ベタフの中心に着きます。町といっても、もちろんアンチラベとは比べ物にならないくらい小さい。

立派なサレズィアン教会に面した広場はマーケットになっていました。昼近かったせいでしょうか、閑散とした感じです。町を抜けて北へ10分ほど歩くと、クタマリナ湖に出ます。その湖に面した高台にヴァキナカラトゥラ族の王(1740~1800年)の墓があります。声を掛けた自転車を押して自宅に帰ろうとしていた学生が案内してくれました。

ベタフの市場に戻り食堂で昼食。少し英語を話す従業員がいたので、ベタフ温泉のことを聞いてみました。町から国道を西へ3km。ただ場所はわかりにくいらしい。この炎天下、40分以上歩くのは辛い。それでプスプス(人力車)で行くことに。彼女にお願いし、プスプスの青年に交渉してもらい、4000アリアリで往復雇うことにしました。

ベタフからは下り坂になるので、すごいスピードが出ます。怖いったりゃありゃしない。ちょっとでもバランスが崩れたら、横転してしまったでしょう。

国道から左に入る道があり、小さな橋を渡って坂道を上るとそこが温泉。秘湯中の秘湯といってもいいでしょう。まわりには棚田とトウモロコシ畑が見えます。
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従業員のおばさんが、まるで俺たちが来ることを知っていたかのように笑顔で迎えてくれました。外国人の入浴料金は1000アリアリ(約56円)です。他にバケツに入った水が、1杯100アリアリ。3杯頼むと、女の子がどこからか持ってきて、部屋の中に運び込みました。

長屋の建物が2棟あり、全部で16の個室になっています。中は、3畳くらいの広さで、湯船が中央にあるだけ。扉にも鍵などないので、開かないようにレンガで内側から押さえます。湯船で体を洗って、バケツの水で洗い流すというのが入り方らしい。タオル、石鹸など何もないので、自分でもっていくしかありません。

日焼けした肌はちょっとひりひりしますが、温度はちょうどいいくらい。癖のない湯でしたが、少し塩分があるのかな。屋根があるから日差しも避けられるし、バリ島の温泉よりも、ゆっくりできて良かったですね。

10年ほど前、バリ島中央、バトゥール湖畔にあるホテルの中に露天風呂(温泉プールといった方がいいかな)があり、入ったことがありました。トヤブンカ温泉。ちょうど昼時。他には誰も入っていなかった理由がわかったのでしたが、あとの祭り。肌はひりひりするし、頭は痛くなるしと、さんざんな目にあいました。バリ島の温泉は炎天下入るものではありません。命にかかわります。

ベタフに帰る道は、今度は上り坂。仕事とは言え、なんだか俺はプスプスの青年を奴隷のようにこき使っているようなかたちになっていました。沿道の地元民たちも、青年に同情し声を掛けていました。「たいへんだねえ」と。やっぱりというか、当然というか、町に戻ったとき初めに約束した料金よりも1000アリアリ高く請求されたのでした。

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2006/04/08

マダガスカルの旅(8) ある農家の話

060408_2ある農家を訪ねました。

アンブシトラ郊外の農家の主人は、ラライベーロさんといい、キリスト教徒で85歳でした。彼の息子さんたちが、3階建ての民家の庭先で作業中。ビニールの前掛けをつけ、専用の石に稲を打ちつけて脱穀していました。飛び散った籾が庭先に散乱しています。民家の西側に棚田が広がっていて、稲刈りをやっている人の姿が見えました。そこで刈られた稲が、ここに運ばれてきて脱穀されます。

脱穀された籾は天日乾燥したあと貯蔵されます。当面食べるコメは3階の部屋に袋詰めにして積み上げられていましたが、残りは、庭先に掘られた直径1.5m、深さ2.0mほどの穴倉に入れられます。穴倉を見せてもらおうとしましたが、直系40cmほどの鉄板のフタがしてありました。フタは重石で押さえています。この大きさの穴倉は全部で3つあります。

穴倉は地下なので、いつも一定温度でコメを貯蔵するには都合がいいのでしょう。民家は、棚田のある高さと比べると、高い位置にあるので、水が流れてくる心配はなさそうです。家族が食べる1年分のコメは、ここに蓄えられています。売るほどの余裕はありません。全部自家消費だそうです。

ただこの地下貯蔵庫は、一般的なものなのかどうかはわかりません。アンバラヴァウ東部の村にいったとき訪ねた別の民家では、コメは2階建て建物の1階部分に貯蔵してありました。

ふたりの息子さんたちはそれぞれ家族を持っていて、この民家でいっしょに暮らしています。総勢15人の大所帯です。階ごとに2つづつ部屋がありました。かなり堅牢な建物です。窓はあまり大きくないので、中は薄暗く感じます。ガラス窓などはありません。

マダガスカルの伝統的な農家の玄関は、西側を向いているそうです。この家もそうでした。山口洋一著『マダガスカル アフリカに一番近いアジアの国』(サイマル出版会1991年)によると、それは東からの強風を避けるためという理由と、先祖が住んでいるのは西方向であるという彼らの宗教的観念とも関係があるとのことです。

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2階、3階に、それぞれ囲炉裏(厨房)もありました。燃料は薪を使います。鍋が3つほど置いてありました。コメはこの鍋で煮ます。ひとつの鍋には、「ラビトト」が入っていました。この「ラビトト」というのは、キャッサバ(マニオク)の葉を細かくしたもので、この葉まで食べてしまう文化が世界中でどれほどあるかわかりませんが、マダガスカルではポピュラーな料理です。食感がまるでお茶の葉のようですが、これと、豚肉、あるいは、牛肉(ゼブ牛)といっしょに煮たものが、おかずになります。少量の「ラビトト」で大量のご飯を食べます。

俺も2度、この「ラビトト」を食べました。喉にひっかかるような感じがして、あまり好きになれませんでした。アンタナナリヴのスーパーでも「ラビトト」が売られていたので、土産に2袋買ってきました。肉をもっと細かくして、味付けを考えれば、もっとおいしく食べられそうな気がします。そのうち、試してみようと思います。

部屋の中には、ベッドが置いてあります。布団(マット)も敷いてありました。寝るのはベッドと布団、両方使うんですね。3階の上、屋根裏部屋はちょっとした農具なども置いてありました。建物の外では、豚1匹、ゼブ牛4頭が飼われています。

棚田、山の森林、引いてきた水路、レンガ造りの3階建て民家、家畜たち、そして3代にわたる家族たち。これらすべて一体となって、昔から代々に伝わってきた、ささややではあるけれど、完成されたシステムであることを感じさせるのでした。この中で、どれひとつ欠けても、長くは続かないんだろうなと思いました。

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2006/04/07

マダガスカルの旅(7) 棚田の国

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マダガスカルに行こうと思い立ったのは、何度も書いているように、「棚田がある」と聞いたからでした。ここずっとアジアの棚田を撮影していて、「棚田病」とでも言えるほどこだわっています。

情報を発信すれば、情報が入ってくるのがネットの特徴。棚田のホームページや、雑誌、写真展で発表していると、ここにもある、あそこにもあると、棚田情報が入ってきます。それで俺の性格上、聞いてしまえば行ってみないと気がすまなくなってしまいます。

「マダガスカルにある」と初めて聞いたとき、アフリカ(マダガスカルをアフリカの国といっていいのか疑問ですが)に棚田?と半信半疑でした。棚田はアジアにしかないと思い込んでいたし、そもそもマダガスカルがどこにあるかも正確には知らなかったので。

でも、調べてみると、コメの生産量が世界第20番目で、一人当たりの年間のコメ消費量にいたっては、世界でもトップレベルであることがわかりました。それだけコメを食べる国に、猛烈に興味が出てきました。「棚田病」のウイルスがまた活発に活動を始めてしまいました。

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さて、棚田ですが、標高1500m前後の中央高地は、どこへいっても棚田だらけといっていい状態でした。イランのように、棚田を探す必要もありません。ある意味、世界でも有数の棚田地帯といってもいいでしょう。というのも、今回は車でアンタナナリヴから700km離れたイサル公園まで南下しましたが、アンバラヴァウまでずっと棚田地帯なのです。途中、町があったり、山林があったり、畑が多くなったりしますが、水田が主、しかも棚田が主であると言ってもいいでしょう。2日半、棚田地帯を走り続けるかっこうになりました。

「田んぼ」のことを、マダガスカル語で「タンニバーリ」といいます。本当は、「タニンバーリ(tanimbary)」らしいのですが、「タンニバーリ」と聞こえました。そして、これが早口で言われると「タンバ」「タンボ」と聞こえて、思わずびっくりしてしまいます。もちろん偶然ですが。ちなみに「コメ」は「ヴァーリ(vary)」といいます。

アンバラヴァウの手前に、ちょっとした峠がありますが、ここを越えたとたん、急に雰囲気が変わります。サバンナ気候の「アフリカ」的な風景に変わってきます。サボテンやヤシ、マンゴーの木も増えます。さらにイサル公園手前は見渡す限りの草原地帯で、基本的に水田は少なくなりますが、まったくなくなるわけではありません。草原の水田で、田植えをやっている集団にも会いました。

棚田地帯は、ちょうど稲刈りが始まる季節でした。「秋」と呼んでいいんでしょうか。稲刈りもそうですが、柿の木には柿の実がなって、沿道でも柿売りがたくさんいました。(ちなみに、現地でも柿のことは「カキ」と呼んでいます。1個100アリアリくらい。熟して甘い柿です) 畦道にはコスモスも咲いています。トンボも飛んでいます。まるで、アジアのどこかにいるようです。

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2006/04/05

マダガスカルの旅(6) 首都、アンタナナリヴ

時間的にさかのぼりますが、「マダガスカルの旅」の初日に戻ります。

バンコクから9時間ほどでマダガスカルの首都アンタナナリヴの北13kmに位置するイヴァト国際空港に朝到着しました。
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さっそく声をかけてきたのは、自称「ガイド」だったのですが、彼が「親切にも」両替所まで案内してくれて、「諸物価高騰の折、アンタナナリヴ市内までのタクシーの相場は今は30000アリアリです」というのです。マダガスカルには現在でもふたつの通貨が流通しています。「フラン」と「アリアリ」です。

フランの札は街ではほとんど見かけませんが、田舎に行くとありました。触りたくないような、何万人の汗が染み込んだぼろぼろの札です。(何枚か日本に持って帰りました) 物の値段を聞いたとき、それがフランなのかアリアリなのか確かめないとダメです。これがややこしい。1アリアリが5フランです。着いたばっかりで、30000アリアリが日本円でいくらになるのか瞬間的に判断できず、「そんなもんか」と妥協して彼の白タクに乗ってしまいました。

その後何度か空港・市内まで往復することになりますが、30000アリアリはちょっと高い相場だったようです。15000アリアリくらいです。今、1000アリアリは56円くらい。(マダガスカルでは、最初に声を掛けてくる人間を振り切って進むと、もっと安くて質のいいものが手に入るという法則があるようです。乗り物でも土産でも。まぁ、この国だけじゃないですけどね)

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アンタナナリヴは丘がたくさんあり、坂道が多い街です。それがまたこの街の魅力でもあるのですが、暑い中歩くのはけっこう辛いときもありました。一国の首都としては、かなり「小さいな」というのが第一印象ですが、人口が1,690万人(2003年)の国ですからね。このくらいなのでしょう。(アンタナナリボの人口は484万人(2003年)になっていますが、これは郊外も含めた人口でしょう)

でも、何泊もすることになり、この街もまんざら悪くないなと思うようになりました。フランス人に言わせると「とても居心地のいい街」だそうです。そりゃぁそうでしょう。フランス人がこの国を植民地にして自分たちに都合のいいようにフランス化したんだから。

3月上旬はまだ暑かったのですが、下旬になると、だいぶ「秋」も深まり、日中でもしのぎやすくなりました。標高が1300mほどあって、高原の爽やかさを感じます。基本的なものは全部揃うし、歩いてまわれる大きさというのはありがたい。教会も多く、石畳の通りを歩いていると、まるでヨーロッパの田舎のようです。ただメイン通りは、物乞いと物売りがかなりしつこい。

中国人地区は、地元マダガスカル人からも「危ないところ」として敬遠されています。あるタクシーの運ちゃんは、この地区に入ったとき「シノワ・パ・ボン(中国人、良くない)」と吐き捨てるように言いました。とくにこの数年、中国大陸から渡ってきた新興中国人たちが増えて治安が悪化しているという話も聞きました。彼らの中には、不法入国者も多いようです。

新興中国人のカップルが開いている食堂で食事をしたことがありました。「リカントネ(広東ふうのご飯、つまり炒飯)」とか「ミサオ(炒麺)」とか、中華ふうの料理は、マダガスカルでも一般的な料理ですが、ここのはさすがに本格的な中華。トリのカレーと酢豚をとりました。

彼らに話を聞いたところ、2年前に広州からマダガスカルにやってきたといいます。俺が日本人だとわかると、どうして中国語をしゃべるんだと驚いていたようです。主人は、俺が店に入ったときから「いったい何者だ」と警戒しているようでした。すでに俺はかなり黒くて、地元の人間にかなり溶け込んでいたようなので。

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2006/04/04

マダガスカルの旅(5) ムルンダヴァの朝食

この「マダガスカルの旅」をムルンダヴァから始めたのは「マダガスカルらしいところから」と考えたからでしたが、今回訪ねた中で一番「アフリカ」を実感する町でもあったからだと、あとで気が付きました。

中央高原の棚田地帯は、今回のメインだったし、そもそもマダガスカルへ行こうと思ったのも、棚田があると聞いたからでした。そしてちょうど田んぼは稲刈りで、美しい季節でした。でも、この風景は「マダガスカルらしい」とは言え、アジア人には見慣れた風景であって「アフリカ」を強烈に意識させるものではありません。

さて朝食の話をします。アフリカを感じさせるムルンダヴァでも、食べ物を見ると、やっぱりアジアに舞い戻ったような錯覚に陥ります。

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朝、ムルンダヴァの町のマーケットにでかけていろんな物を試しました。

一般の人たちは朝食として、「ムフガシ」や「クバ」や「バリスス」といったものを食べます。「ムフガシ」は、米粉に砂糖を混ぜたものを、たこ焼き風に焼いた、マダガスカル風パンのことです。ほんとにたこ焼き器みたいな鉄板を使い、片面が焼きあがったら、クルッと裏返して、米粉を注ぎ足して焼き上げます。1個50アリアリ(約2.8円)。

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「クバ」もマダガスカルではよく見かける朝の定番スナックですが、ムルンダヴァのものは、米粉と砂糖を混ぜて、ういろう状にした食べ物です。これも1切れ50アリアリ。

この「ムフガシ」と「クバ」に欠かせないのはコーヒーです。小さなホーロー・カップに入っていますが、1杯100アリアリ。コーヒー専門屋台では、奥の方で、炭火を使ってコーヒー豆を煎っているところでした。香ばしい匂いが漂ってきます。砂糖もあるので、お好みで入れて飲むことができます。かなり濃いコーヒーでしたが。

それと定番朝食は「バリスス」と呼ばれる粥ですね。白いコメのものもありますが、赤いコメの粥もあります。この粥と、ちょっとした惣菜、肉片といっしょに食べます。粥も1杯100アリアリです。


マダガスカルはコメの国。一人当たりのコメの年間消費量(約200kg)は世界でもトップクラスです。(ちなみに日本は、60kg弱) 1960年にフランスから独立しましたが、マダガスカルの文化はアジア方面から渡ってきたマレー系民族の文化とアフリカからの文化とが融合した独特の文化を持っています。 

コメを食べる文化は日本人にもなじみやすく、アフリカにあってアジアを感じさせる雰囲気がマダガスカルの魅力のひとつと言えるでしょう。


  ☆☆☆☆☆☆

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2006/04/03

マダガスカルの旅(4) 南半球

マダガスカルは、赤道の南、南半球にあります。

太陽は東から出て西に沈みます。あたりまえのことを、何をいまさらと思うかもしれませんが、日中の太陽が北側に輝くのが、北半球とは違うところです。つまり、太陽は、右から左方向へ移動して行くように見えます。

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そんなことどうでもいいと思われるかもしれませんが、俺たちのように写真を撮っている人間にとっては、かなり気になる部分なのです。いや、けっこう重大事です。光の当たり方は時間によって当然変化していきますが、しばらく待てば、太陽がこう動くから、影はこうできるだろうと予想するときもあります。それが、南半球では、北半球とは逆になるわけです。

これに初めて気が付いたのは、10年ほど前、インドネシアのジャワ島の列車で、ジャカルタからジョグジャカルタへ移動しているときでした。強烈な太陽を避けようと、進行方向(東方向)に向かって左側(つまり北側)に席を取りました。ところが暑いんですよね。太陽が左側に照っています。あれっ? 俺はてっきり乗るべき列車を間違えてしまったのかなと思ったのでした。

こんなこと、普通の人にはどうでもいいらしく、当然ガイドブックにも載っていなかったので、「ああそうか。南半球だと、太陽は北に輝くんだ」と気が付いたときは、なんだかとてつもなく重大発見をしたような気がしたものです。


ムルンダヴァは、海岸沿いの安ホテルに泊まりました。いまだに名前を知らないんですが。

ここを紹介してくれたのは、空港からタクシーに乗ったドライバーの知人で、この「マダガスカルの旅」で「地元ガイド」として何度か登場してもらった彼、ツィンギー出身のマロハオさん。めずらしく英語をしゃべりました。(ほとんどはフランス語ガイドばかりです)

アロハシャツを着て、スキンヘッド。爪楊枝をくわえていて、見るからにうさんくさい、ジゴロのように見えましたが、あんがいいいやつでした。いいやつ過ぎて、キリンディー公園では、野生動物なんだから見れない日もあると覚悟していたので、「もういいよ」と思ったのでしたが、レムールを発見するまで長い間ジャングルを歩かされました。前日「必ず見れる」と約束したんだから、約束を果たすのがプロ。そういう意味で、彼は仕事熱心とは言えるようです。人は、見かけによりません。それはマダガスカル人も同じ。

ジャングルも半袖シャツ、サンダル履きで、虫には無頓着に見えた彼ですが、蜘蛛を発見すると異常に反応します。どうしてかというと、以前、毒蜘蛛にやられたそうです。やっぱり、ジャングルはガイドがいないと危ないこともあるようです。俺も、もうすこしで、蜂の巣に触れてしまいそうになりました。「危ない!」と注意されたのですが、これは写真家の習性なのでしょうか、離れる前に、写真を撮るのだけは忘れませんでした。

彼もたいへんです。今はシーズンオフなので、観光客も少なく、ガイドの仕事がありません。我々は、2日間お世話になりましたが、次にやってきた一人旅の日本人女性は、彼を雇わなかったし、俺たちがアンタナナリヴへ帰る飛行機に乗るために空港へ行ったとき、彼もタクシーに便乗し、次の観光客を待ちましたが、団体ツアーさんだけで、個人旅行者には出会えなかったようです。その日も、営業活動は不発に終わってしまいました。

仕事熱心なマロハオさん。少なくとも日本人に声かけるときは、爪楊枝はくわえない方がいいと思うんですが。

ムルンダヴァの夜(特に海岸沿い)は暗い。今はシーズンオフで、夜は通りを行き来する観光客も少ないので、なおさら寂しく感じたようです。でも、だからこそなのか、見上げると、満天の星空に感動します。オリオン座が真上に輝き、天の川がはっきり見えました。南十字星は、どれだろう? もっと星座に詳しかったらよかったのですが、知らなくても、美しいものは美しい。

掲載している星空の写真は、東側を向いて撮っています。空が若干オレンジ色になっていますが、このあと10分後、マングローブ林の上から月が昇りました。


  ☆☆☆☆☆☆

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2006/04/02

マダガスカルの旅(3) モザンビーク海峡

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マダガスカルは、世界で4番目に大きな島(面積は日本の1.6倍)で、アフリカ大陸の東側に位置しています。

大陸とは、モザンビーク海峡で隔てられていて、ムルンダヴァは、そのマダガスカル島の西岸にある町です。

朝になると、湾の対岸の村から、漁民が魚を持って「ラカナ」と呼ぶカヌーでやってきます。エビ、カニ、色とりどりの魚。ムルンダヴァの市場で売るんです。漁民の女性の中には、日焼け防止のために、ある種の木を磨り潰した白粉を塗っている女性もいます。「美しさ」の表現?だとも聞きましたが、暗闇で突然遭遇したりすると、度肝を抜かれてしまいます。ミャンマーの女性も「タナカ」という同様の白粉を塗っています。

朝日が昇ると、毎日帆船が出航します。南部、トゥリアルの町や、海に面した小さな村々に人と物を運ぶためです。雨季ということもあって、海岸沿いに走る道は極端に悪路で、船で行ったほうが早いそうです。


ところで、マダガスカルの移動手段についてですが、俺たちは、最初の1週間は棚田撮影(これがメインの仕事)だったので、アンタナナリヴから、アンチラベ、フィアナランツア、アンバラヴァウ、イサル公園までの往復1300kmは、チャーターした車でまわりましたが、アンタナナリヴからムルンダヴァまでは飛行機を使いました。その後アンタナナリヴに戻り、タクシーブルース(乗り合いバス、タクシー)で再びアンチラベへ行き、4日間滞在してアンタナナリヴに帰りました。これが今回の旅程です。

マダガスカル全体に言えることですが、幹線道路を外れたら、どこも土道・泥道で、車(タクシーブルース)での移動はたいへんな国です。特に雨季は。時間がかかるというだけではなくて、事故や病気になるリスクが、アジアなどの国々と比べると極端に高いなと感じました。(初めてのアフリカなのでそう感じただけでしょうか) ある程度快適な旅行をしたいなら、限られた時間で島を海岸沿いに1周するのは難しく、首都アンタナナリヴにいったん戻ってから次の目的地へ向かうというルートにならざるをえないかもしれません。

それでも、体力と気力と時間があれば、全行程をこんな帆船や、タクシーブルースで旅することも可能でしょう。よほどの冒険心を持った人か、お金がない人以外はお勧めできませんが、自己責任で楽しんでください。俺も、いつかやってみたいなあ。

そういえば、フィアナランツア郊外で、アンタナナリヴへ向かっている日本人サイクリストを追い抜きました。彼は、世界を自転車で旅しているそうです。マダガスカルから、次はどこへ行くのか聞きそびれてしまいましたが、日本へ帰るのは当分先だと言っていました。彼のような旅人を見ると応援したくなります。


  ☆☆☆☆☆☆

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2006/04/01

マダガスカルの旅(2) バオバブ

「マダガスカル」といえば「バオバブ」というくらい、バオバブの木は人気です。特に日本人には。

こちらにバオバブの木の写真ギャラリーを作りました。

Ya_2a-Gallery 『バオバブの木』

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ムルンダヴァの地元のガイドは言ってました。「日本人は、バオバブの木だけ見て帰ってしまう」と。彼の言い方には、「どうしてだろう?」と不思議がっているところが感じられました。

それはサン・テクジュベリの「星の王子さま」が人気だからでしょう。俺はまだ読んだことはないですが、この中に星を破壊してしまう巨樹としてバオバブが登場します。

でも、バオバブのたくさん見られるムルンダヴァですが、マングローブや漁村や、昨日書いた珍しい動物がいるキリンディー公園など見所も多いのです。バオバブがそれほど珍しくないガイドからすれば、高い航空運賃を払ってバオバブだけ見にくる日本人は、「レムール」以上に不思議そのものの生き物なのでしょう。

バオバブは、アオイ目パンヤ(キワタ)科バオバブ属の植物で、アフリカ大陸、マダガスカル、オーストラリアに9種類確認されていますが、そのうち6~7種類はマダガスカル固有のものらしい。幹はスポンジ状で、多くの水分を含みます。なので、地元の人間はマダガスカルで飼育されているゼブ牛(背にこぶがある牛)に、水がないとき、この幹をかじらせてしまうので、木が倒れてしまうという話を聞きました。

それと、耕作地を増やすために森を焼き、バオバブを切っているという事情もあり、バオバブは年々少なくなっているそうです。バオバブがポツリポツリと立っている風景は印象的ですが、もともと森の中にあるものなので、不自然な風景(人工的な風景)とも言えるようです。

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ところで、バオバブの花(若い木にしか咲きませんが)は、下から見上げると赤い鳥か金魚のように見えました。

実もなります。実は直径10cmほどの球形で、ムルンダヴァの市場でも売られています。最初、ヤシの実かなと思いました。1個500~1000アリアリくらい。(1000アリアリは、約56円) ガイドから「食べられますよ」と聞いたので、試さないと気がすまない俺は、さっそく買ってみました。

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堅い殻を割ると、中は、1cmほどの種がたくさん入っていますが、その種のまわりには灰色の果肉がこびりついています。殻を割った瞬間、「まるで脳味噌だ」と、ちょっとショックを受けたのですが、その果肉は、タマリンドのような甘酸っぱい味がしました。乾し梅みたいにしゃぶりましたが、見た目とは違う上品な味です。

大木を引っこ抜いて、大地に逆さに突き刺したような不思議な形。アフリカを強烈に感じさせる木であることは確かです。


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