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2006/05/06

「旅」にあこがれる

この前、NHKで「鄭和」をやっていましたね。観た人もいると思います。番組を観たあと、「旅」についてまた考えてしまいました。

鄭和は雲南省出身のイスラム教徒で、子どものとき明軍に捕らえられ、宦官として永楽帝に仕え、働きを認められて大航海の船団の司令官を務めた人物です。

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この写真は、雲南省イスラム教徒、回族の清真寺(モスク)で行われていた葬式の様子

最近は、コロンブスのアメリカ大陸「発見」よりも前に、鄭和がアメリカ大陸に到達していたのではないかという新説まで出ているそうです。

その説の真偽はともかく、鄭和が人生の大部分を旅に費やしたということに俺は興味を覚えます。「人生は旅である」とはよく言われることですが、鄭和の人生は旅そのものでした。

子どものとき、鄭和は父親から何度も聞かされるのでした。人生は旅であること。そしてイスラム教徒ならば、メッカ巡礼を果たすこと。もし仮にメッカまで到達できなくとも、そこを目指したことで天国に行けること。

実際、鄭和自身はメッカ巡礼を果たせませんでした。(別部隊は行ったようです) しかし、父親から言われたとおり、メッカを夢見て亡くなったのだから、鄭和もこれで満足だったのかもしれません。ただ、鄭和の場合は、命令を受け、仕事で旅を続けていたわけだし、純粋に旅を楽しんでいたわけではありません。彼の人生は旅そのものだったのですが、「旅行家」と呼ぶことはできても、彼を「旅人」と呼ぶには抵抗があります。それはなぜかというと、「仕事」であったところと「大人数」だったところが引っかかるのでしょうか。

旅行も最初は「非日常」でも、そのうち「日常」になってきます。新鮮味がなくなって、「旅行」ではなく、より「生活」に近くなってしまいます。長期で海外を回っているバックパッカーの中にも、たまにこういう人がいますね。「もう、どこも同じに見えてきた」と言い、周囲に興味を失って、ゲストハウスでごろごろしている人たち。ただ食事は生存に関わるので、それだけにはかろうじて執着もあり、3度の食事をどうするかで一日を過ごす人たちです。

彼らをもはや「旅行者」とは呼べません。旅行していないんだから。しいて言うなら「漂流者」とでも呼んだらいいでしょうか。(「浮浪者」では怒るでしょ?) ただ、この「漂流者」ですが、なんとなく「旅人」でもあるような気がします。うらやましいとは言いませんが、彼らのような「漂流者」にあこがれていないことはありません。実際、学生時代、8ヶ月ヨーロッパを旅しているとき、そういう日もありました。(と言うことは、浮浪者にもあこがれているということになるんでしょうか)

前にも書いたことがありますが、「旅」と「旅行」という言葉があります。ふたつの違いはなんでしょうか。

まず「旅行」は、目的地がある、身体的・移動的レジャーで、「旅」は、目的地が必ずしも必要ではなく、精神的・内面的な心のありよう、あるいは、生き方そのものという感じがします。もっと大げさに言えば、「旅行」はしなくても死にませんが、「旅」はしないと死んでしまうということです。「旅」を求める人にとっては、「旅をする」のではなくて、むしろ「旅をやらざるをえない」といった表現の方がぴったりきます。

ただ、「いずれにしても移動しているんだから、同じでしょ?」と言われてしまえば、「そうですね」と答えるしかありません。どこまでが「旅」で、どこからが「旅行」か完全に分けることは難しく、その境はすごくあいまいであるとも感じています。でも、俺はこの微妙な違いにこだわっています。いや、こだわりたいのです。そして俺はやっぱり「旅」にあこがれます。


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コメント

コメント、ありがとうございました。

ここ10年ほど、テンチを見に行っていませんが、昆明の街の近代化から、水が汚れているのは想像できます。そんなにひどくなっているんですね。

今の中国は「環境」より「経済」を優先させているんでしょうか。一昔前の日本を思い出してしまいます。

投稿: あおやぎ | 2006/05/28 11:37

五月の連休で雲南に旅してきました。一昨年に続いて二回目です。昆明の填池(テンチのテンはサンズイです)の全景を今回、初めて見ました。
 あの内陸で育った鄭和が航海に長けていたとは不思議だ、とかつて思っていたのですが、司馬遼太郎氏の説明では填池があったから不思議ではない、と。
 まぁ、それはともかく鄭和に関心を持って以来、填池は是非、見てみたいとおもっていたのですが、ショックでしたね。あれは青潮というのですかね。湖面全体が不気味な色をしたグリーンに覆われていました。赤潮よりたちが悪いそうですね。
 とても美しい風景や情景に心惹かれる者ではありますが、日本以上に無神経な工事による山岳道路や文革で破壊された寺院の廃墟など醜い現実もみました。
 美しいものに対極するものもまた現実、両方をみていかなくては、と今回の旅で思いました。

投稿: 森 周映雄 | 2006/05/27 20:11

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