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2006/06/28

「写真」と「音楽」 手作り音楽CD第三弾完成

手作り音楽CD「ASIAGE MARCH」が完成しました。インディーズCDの第3弾です。

5人の架空の人格が、'95に音楽ユニットを結成しました。メンバーは次の通りです。

 Mastukane Shun (日本)
 Goi Cuon (ベトナム)
 Bawsuk (タイ)
 Mi Xian (中国)
 Nasi Goreng (インドネシア)

その架空ユニット名が「ASIAGE」です。「アジャージ」と発音してください。「ASIA」と「AGE」をくっつけた造語です。アジア各地で俺が録音してきた音と、パソコンで作った曲をミックスしたもので、アジアをイメージした曲集です 。

実は高校、大学時代、ちょっとだけ音楽をやっていました。ブラスバンドとロックバンドです。いずれもパーカッション、ドラムと、リズム担当です。だからリズムについてはある程度知識がありました。

ただ、バンドを組んでもしっくりいかず、人といっしょにやることがあまり得意ではないなと気が付きました。当時からグループ行動がだめだったんですね。でも、ひとりで音楽をやる方法があることを知りました。

ギター、ベース、ドラムなどをひとりで録音してひとつの曲にすることを「多重録音」と言っていましたが、本格的にやろうとすると、大きな4チャンネル、8チャンネルトラックのテープデッキが必要でした。でもそれを買うだけのお金はなかったので、一番簡単にやれるカセットデッキをふたつ使ってやる多重録音にトライしました。

一方のカセットデッキにドラムの音を録音し、それを再生しながら、ミキサーを通してギターの音といっしょにもう一方のカセットデッキに録音するのです。次にそれをまた再生しながら、次の楽器の音をミキサーを通して入れていく。こんなやり方を「ピンポン録音」といっていました。理論的には、これで何十人分の楽器を多重録音できそうですが、そうは問屋がおろしません。テープ再生の時のノイズがだんだん増幅していくので、ぎりぎり4回くらいしかできませんでした。

その音質はお世辞にも良いとはいえなくて、だんだん音楽に対する熱も冷めていきました。そしてちょうど外国に興味が出た時期でもあって、旅に出るようになってから、音楽は聴くだけになっていきました。

1994年「メコン河」の写真集を出すことになり、そのデザインをしてくれるデザイナーが、パソコンでレイアウトをしているのを知りました。デザイン業界もデジタル化が始まっている時期でした。なんどかそのデザイナーの所に行くようになりましたが、そのとき彼からこんな言葉を聞いたのでした。「最近のパソコンは何でもできる、作曲もできるらしい」と。

それを聞いたとき、心の中で何かが、むくっ!と起き上がりました。それが音楽をまたやりたいと思うきっかけになったのです。さっそくデザイナーにアドバイスしてもらい、パソコン(Mac LC630)と音楽ソフト(ミュージ郎)、音源(Roland Sound Canvas)などを買いました。だから俺がパソコンを始めたきっかけは「写真(画像)」ではなくて「音楽」だったんです。

封印されたものが表に出たのでしょう、パソコンの曲作りに、一気にはまってしまいました。今まで15年来あきらめていたことが、こんなにも簡単に安くできてしまうことの驚き。すぐに何曲かできました。たまたま俺はドラムをやっていたので、リズムについてはある程度知識はありますが、和音についてはほとんど無知です。でも、パソコンでの作曲というのは、その無知を補ってくれます。特別俺が作曲の才能があるわけではありません。

「そうだ、メコン河の写真展では、これをBGMで流そう」と思い立ちました。それでASIAGEという架空のユニットを作ったのでした。

どうせ架空なら、メンバーも作ってしまえと思って、5人作りました。日本人の松金俊。初めて買ったパソコンは「Mac」でした。だからこの「まつきんとし」にしたのでした。「マッキントッシュ」にかけて。くだらない? そうですね、確かにくだらないね。「中年」なんで許してください。

ベトナム人のGoi Cuon(ゴイ・クォン)は、ベトナム料理「生春巻き」のこと。中国人のMi Xian(ミーシェン)は、雲南省など南部中国では一般的な米から作った麺のことです。インドネシア人のNasi Goreng (ナシゴレン)は、インドネシアの一般的な料理、チャーハンのナシゴレンのこと。そして、タイ人のBawsuk(バウスク)とは、俺の友人でタイによく行っていて、タイ語もできる絵描きの福井の、「福」と「井戸」をタイ語で言うとこうなります。

前に書いたようにもともとは、写真展「メコン河」のBGMとして作ったものでしたが、意外(?) にも評判が良かったので、いい気になって、その後も「棚田水景」などのアルバムを作ってしまいました。初めはテープでしたが、そのうちCDにしました。

写真集よりもこのCDの方がよく売れた写真展もありました。複雑な気持ちでしたが、でも、俺にとって、写真展の「音」は大切な要素であると考えているので、その写真展の一部である音が評価されるのは嬉しいことです。

一昨年の棚田のイベントでも、CDを販売していましたが、ある日、レジのおばさんから、俺に会いたいっていう人が来てると言われて会ってみたら、前日CDを買ってくれた女性のお客さんで、感動したので会いに来ましたと言われました。そこまで言われるとなんだか嘘っぽいのですが。でも嘘でも、そう言われると嫌な気はしません。まあ、これ以上言うと、自慢話になってしまうので、もうやめます。

もちろん、せいいっぱい作ってはいますが、あくまでも音楽は趣味であって、自分のレベルはある程度知っているつもりです。でもこれも写真と同じなんですかねえ。ひとりでも「いい」と言ってくれる人がいれば、その「写真」や「曲」の存在する意味はあるのかもしれません。

よく、乗り物に乗っているときなど、エンジン音や周りの雑音をボーッと聴いていると、いつのまにかあるメロディやリズムになっていることがあります。「幻聴」とは違うと思います。このあたり、やっぱり写真を撮ることと似ているんですが、漫然とした周囲の風景からある「部分」を切り取って見せることが写真ですよね? 意外と人は同じ風景の中にいても、見ている「部分」が違います。それは「その人が、その風景をどの様に意識しているか」に関わってきます。人それぞれ意識の仕方、つまり見方の違いがあるので、そこに「個性」というものもできるわけです。

音楽の場合も、もちろんあくまでも俺の場合ですが、漫然とした周りの音から、ある音のかたまりを切り取ったら「曲」になった、という感じなのです。だから、「写真」と「音楽」とでは一見違うことをやっているようですが、俺の中では同じ心的作業にすぎません。

CDは、すべて手作りです。作曲はもちろんですが、ジャケットのデザインも自分でやりました。ぜひ、アジアの雰囲気に浸りたい人は聴いてみてください。音質をちょっとだけ下げていますが、1分間のサンプルソングを用意してあります。

気に入ってくれたら、ご購入お願いします。メールで受け付けています。

Ya_2ASIAGE音楽のページ


060628


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2006/06/22

村上世彰氏と似てる友人

おととい、大学時代の数少ない友人のひとり、Aと久しぶりで飲みました。

彼は俺と違って、卒業後はちゃんと会社に勤めて空調関係の仕事をしています。だから、エアコンの温度には敏感で、「27度に設定するとビールが売れますよ」と居酒屋の店員にアドバイスしていました。「温度のプロ」っていうのもいるんだね。

俺も気にはなっていたんですが、居酒屋に入ったときから、室内がちょっと寒く感じていたのです。東京ドームなどでも27度に設定してあるそうです。気温で27度だと「暑い」という感じかもしれませんが、冷房の27度ならビールがおいしく感じる室温らしいのです。そういえば、夏の快適睡眠室温も冷房で27度だったような。なるほど、そんなものかと感心しました。

俺は雪国で育ったので、寒いところは平気でしょと、よく言われるんですが、意外と寒がりです。妻にも寒がりと言われます。でも実は暑がりでもあるんですよね。要するに、皮膚が薄いんでしょう。薄皮です。気温には敏感なのかもしれません。

ところで、Aは今世間を騒がせている村上ファンドの村上世彰氏と似ています。どうりでテレビで村上氏が出てくると、嫌いなはずなのに(村上氏が記者会見で、私が嫌われるのは大儲けしたからでしょ?と開き直っているところが、勘違いだと思うんですが。大儲けしてなくても、嫌われてますよ)、それと相反して親近感を持ったのはそういうことだったのかと、おととい初めて気が付きました。Aも、自分でも似てることは自覚しているようでした。でも体型は少し違って、フォアグラ作るときのように村上氏に無理やり餌を与えて運動させないとAになりそうです。

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2006/06/20

リチャードギアのコマーシャル

リチャードギアは、嫌いじゃない。でも、あのコマーシャルには違和感を持つなあ。

あるカード会社のコマーシャル。インド(バラナシのようなところ)が舞台。ひとりの少女が屋台で「Five birds」といって鳥を買おうとするのですが、お金が足りなかったんでしょうね、店主から「One bird」と言われて1羽しか買うことができませんでした。そこをたまたま通りかかったリチャードギアが、店主にカードを出すのです。

場面は変わって、少女がさっき買った1羽の鳥を、鳥かごから放そうとする瞬間、周りから何十羽もの鳥がいっせいに飛び立つ。リチャードギアがカードを使ってその鳥たちを買ったんですね。「親切心」から。

最近インドへ行っていないので屋台でカードが使えるようになったのか? いや、そんなことではないんです。気になるのは。

仏教徒はよく功徳を積むために「放鳥」します。タイヤカンボジアでは、その放すための鳥を実際売っています。インドでもそういう習慣があるのか知りませんが、意味はそんなところでしょう。つまり、少女には、たくさんの鳥を放す必要はないんです。貧しくても、なけなしのお金を出して買った鳥を放すから意味があるわけで、外から来た金持ちが、カードを使ってたくさんの鳥を買い占めて放したところで、少女のためにはならないんです。Five birds 5羽ならまだしも。よけいなお世話でしょ。リチャードギアは敬虔な仏教徒だけに、こういうコマーシャルをOKした理由がわかりません。

どうですか? そう思いませんか?

「親切心」というのは難しいこともあります。自分が余裕があるからといって与えても、与えられる側にも別な事情があるわけで、それを、理解はできなくても想像してあげないと。他人をダシに使ってする自己満足は、迷惑です。

ところで、この下の写真はインド・バラナシの朝の様子です。洗濯物を棒で叩く、ポンポンポンという音が響いていました。インド、久しく行ってないなあ。

060620

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2006/06/16

香菜、パクチー、コリアンダー

最近は、一般家庭でもエスニック料理を作ることが多くなったので、大きなスーパーにはあるのですが、残念ながらこの周りのスーパーでは、パクチーを見かけません。

ラオスとベトナムでは、パクチーを大量に食べられて満足しました。「カメムシ」の匂いがするといって嫌いな人もいるパクチーですが、俺は最初から大丈夫でした。ドクダミ同様、クセがあるやつが好きなんでしょうね。(人間も含むのかな)

初めて食べたのは、たぶん、タイだったと思います。あの麺に入ったやつ。今までの人生の中で、まったく体験したことのない味。それが「遠いところに来た」という実感を生んだようです。(もう、今ではタイは、「遠いところ」とは言えなくなってしまいましたが)
060616

それで、セキチューで種を買ってきてプランターで栽培を始めました。2週間たって、ようやく3、4cmに成長。

実は去年もトライしたんですよね。ただ失敗してしまいました。高さが15cmくいらいまでは成長しましたが、使うにはまだ小さいなと思って、取るのを我慢していたのですが、それからほどなくして、枯れてしまいました。どうしてなのか、原因はわかりません。あまり水をやりすぎたのかもしれません。だいたい、プランターで栽培する植物は、ほとんど失敗しています。「栽培」に才能がなさそうです。

今年はどうでしょうか。パクチー栽培にコツがあったら教えてください。

Ya_2この3週間後の写真

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2006/06/01

アップルトンの「隠れ家理論」とネット上の匿名

アップルトンの「隠れ家理論」というのがあります。たまたま「景観」というキーワードで本を探していたとき、ふと目に止まった本でした。ただこの本は難しく、3分の2を読んだところで挫折してしまいました。

でも、大雑把に(俺が理解した範囲で)言うと、「眺望が良いところで、しかも近くに隠れるところがある場所というのは、生物学的に、人間が好ましいと思う空間である」ということらしい。(間違っていたらすみません)

つまり、これは動物である人間が、自分の身を隠しながら、敵を観察できるところでもあるらしい。なんとなくわかります。確かに落ち着けますね。

この話を聞いたとき、ネット上の「匿名」というものが頭に思い浮かびました。

ネット上に氾濫しているおびただしい数の情報。見たいと思えば簡単に見れる。意見を言おうと思えば簡単に言える。しかも、自分の身は隠してそれができるのです。これは、「隠れ家理論」で「好ましいと思う空間」そのものではないかと思ったわけです。ネットがこれだけ発展したのは、この人間の「好ましいと思う空間」が、自宅にいても提供されるようになったからではないでしょうか。この「匿名性」が快感なのです。

それまでも、匿名でいることの「快感」には気がついていました。以前このブログでも書いた「「ターミナル」を観て」の「山手線の内側で生きる男」も、ある意味匿名性があるから、なってみたいと考えた物語の主人公でした。

「全体」にまぎれることで、透明人間のようになれ、しかも自分は傷つかない。動物の生存本能として、これ以上重要なことはないと思われます。

じゃあ、俺は実名でブログやホームページを開設しているのは、どうしてでしょう。「隠れ家理論」からすると、自分をさらしていることは、とても危険なことをやっているわけです。少なくとも、これだけでは快感には結びつきません。

それは、俺の場合、仕事(経済活動)とも結びついています。だから、身をさらす危険や不快感、それと経済的メリットや有名になることなど、ふたつの相反するもののバランスを考え、今の時点で実名でやった方がいいと判断しているからこうやっているわけです。このバランスが崩れれば、俺も匿名になるでしょう。(最初から匿名でデビューして仕事になっている人もいますが、これは少数派でしょう)

ただ、ノンフィクションと匿名というのは、あまり相性がいいとも思えません。匿名の人が書いたノンフィクションでは説得力がないように思うからです。実在するこの人が書いているから(あるいは、撮っているから)、その文章(あるいは写真)を信頼するということがあると思うからです。

ところで、女性ノンフィクション作家にも年齢を隠している人がいますね。年齢という情報も、読者からすると、「ああ、こういう時代の人だからこう考えるのか」とか「この年齢だからこういう意見を持っているんだな」と、参考になるとこともあるんですがね。作品の中の他人の年齢はすべて正確に書いているのに、書いた本人の年齢だけは書いていない・・・。ちょっと引っかかります。これも「隠れ家理論」なのでしょうか。

もっとも、このことを非難しているのではありません。俺も、その女性ノンフィクション作家同様、「隠しておきたいこと」はもちろん隠しています。(たぶん、何でも正直に書いたら、とんでもないことになるでしょう) それはやっぱり、その点について目立ちたくない(敵から襲われたくない)という「隠れ家理論」で説明できるのかもしれません。

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