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2006/07/31

俺はどうして犬に噛まれるのか?(3)

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今度は雲南省の犬です。

雲南省西部に、アルハイ湖や蒼山に囲まれた風光明媚な標高2000mの高原盆地の町、大理があります。大理古城(旧市外)に泊まった俺は、毎朝暗いうちに招待所を出て、アルハイ湖まで歩いて写真を撮りにでかけていました。1987年当時は、レンタサイクルも、ましてやタクシーなんかもなく、歩くしか方法がなかった時代です。町から湖畔まで約4km。歩くと1時間ですが、それはたいした問題ではありませんでした。ただ、いつも頭を悩ませていたのは、途中襲ってくる犬たちでした。

それでカメラの三脚を前に構えて、振り回してなんとか逃げていたのですが、あるとき、いいアイディアを思いつきました。それは、ビスケットを持っていって、襲ってきたら、鼻先に投げつければ、それを食べて、俺が「敵」ではないことがわかるだろう、餌で犬を手なづけることができるはずだ、と思いました。我ながらいいアイディアに「俺は天才だ」と有頂天。これなら絶対大丈夫と、自信がありました。

さて前日商店から、その当時はまだぜいたく品である高いビスケットを買い込み、ポケットに入れて出発しました。また村に差し掛かると、犬が吼えながら近づいてきました。それでさっそくビスケットを投げたのです。すると、犬は予想通り、そのビスケットを食べて吼えるのをやめました。

「成功だ」

と、思ったのもつかの間、食べ終わった犬は、何事もなかったかのように、また俺に吼えながら迫ってくるのでした。あわてて、もうひとつ投げました。すると、また同じように、食べている間だけは静かですが、食べ終わると、また吼えるのです。腹が立ちましたね。俺でさえめったに口に入れない高級品のビスケットを食べておきながら、まったく恩を感じていない。俺があげたんだぞ、そのビスケットは。結局ビスケットを全部食べられたあげく吼えられるという結末に、我ながら腹が立ってきました。

この方法は失敗したことを悟りました。それからは、また三脚で追い払うしかありませんでした。


今度は、麗江の犬です。麗江は世界遺産になってから観光客が激増し、今では、雲南省有数の観光地になっていますが、1988年ころは、まだ人も少なく静かな田舎町でした。だから放し飼いの犬も多かったのです。

賓館には貸し自転車があったので、ある日、借りて郊外に点在するナシ族村を訪ねてまわりました。

ある村の入口に差し掛かったときです。前方に犬を発見しました。犬もこちらを発見。道は一本道。どうしようか考えましたが、とにかく進むしかなかったので、全力で駆け抜けることにしたのです。でも、これが大失敗のもとでした。走ってはだめなのです。犬は、哺乳類の中でも、かなり足が速い動物なのでした。しかも動くものが大好きです。

やっぱり、とんでもないことになってしまいました。当時の中国製自転車は鉛のように重く、スピードが出ないしろものでした。それでも、追い付かれないように必死にこぎました。3匹くらいがお尻に迫ってきました。漫画によくありますが、今まさに噛まれそうだというところで、犬たちの歯音がしましたが、噛まれるには至らず、なんとか難を逃れました。

村を出て、ようやく犬たちが諦めるのを確かめて自転車を降り、その場にへたり込みました。これ以上走る距離が長かったら、きっと、お尻を噛まれていたでしょう。想像しただけでぞっとしました。(あとで聞きましたが、こういう犬たちは狂犬病の予防注射はしてないそうです。今は、大丈夫かな)

しばらく、地面から立ち上がれませんでした。ゼーゼーと息を切らしながら、嫌ーな汗を大量に流しました。こんなにいっしょうけんめい自転車をこいだのは、生まれて初めてです。(競輪の練習にはいいかも)

こういう場合、自転車を降りて、引きながらゆっくり歩いて通り過ぎたほうがいいようです。

こんなことをしていたら、いつかはまた犬に噛まれてしまう。なにかいい方法はないだろうか。俺は真剣に犬撃退方法を考え始めました。(つづく)

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2006/07/30

俺はどうして犬に噛まれるのか?(2)

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青海省西寧タール寺で犬に噛まれてから、当然犬嫌いになってしまいました。日本でも、俺は犬がいるとよけて通るようになったし、絶対、犬に手を出したりしなくなりました。

公園でちっちゃい犬に驚いているところを見た、近くで遊んでいる幼稚園児から「このおじさん、怖がっているよ」と馬鹿にされても、じっと歯を食いしばり、「お前は、犬という動物の本質を分かっていない」と内心つぶやき、その侮辱に耐えました。

中国四川省の九塞溝に行ったついでに、その先のルールガイ(ゾルゲ)という草原の町まで足を伸ばしたときのことです。郊外の草原はチベット族の夏の放牧地になっていて、いくつもの天幕住居が点在し、ウマやヒツジやヤクが放牧されていました。

たまたまその10日ほど前、成都のホテルでいっしょになった日本人旅行者から、チベット族の話を聞いていましたが、「犬には注意したほうがいいよ」と教えられていました。放牧地は犬がたくさんいるそうです。ただ彼は自信を持って言いました。「犬が吼えながら寄って来ても、じっと動かないでいれば噛み付いたりしません」と。

草原のチベット族の天幕住居を目指したとき、さっそく向こうから大型の犬が3匹やってきたときは、「これは写真のためだから」と自分に言い聞かせ、怖いと思う気持ちと闘いました。まさかタール寺の二の舞を演じることはないだろうと安心もしていました。「タール寺の犬は特殊だったのだ。また犬に噛まれるなんてことはないはずだ」

ところが、です。

3匹の犬は俺の前後を挟みうちにし、ワンワン吠え立てました。が、あの日本人の忠告を思い出しました。何もしなければ大丈夫だと。俺はその通りにしました。手を合わせ、天を仰ぎ、はやく退散してくれーッと祈るようなポーズで目をつぶって待ちました。

そのとき、右くるぶしに衝撃を感じたのです。なんと、後ろにいた犬が俺の右足のくるぶしに噛み付いたのです。俺はとっさにまたやられると思い、全身から血の気が引きました。そしてワーワーと騒いでしまったのです。それでますます犬たちは獰猛な牙をむいて威嚇しました。これはもう終わりだーッと思いました。

騒ぎを聞きつけて、近くの天幕住居から女の子が出てきました。女の子は、石をくくりつけた紐を持って、それを自分の頭上で回しながらやってきました。まるでヘリコプターの真似をしているようです。驚きました。自分の犬なのに、こんな自衛手段を取らないと、近づけないくらい獰猛な犬なのか? チベット犬、恐るべし。女の子は俺のところまで来て、ようやく犬を追い払ってくれました。

冷静になってくるぶしを見たら、だらーッと、よだれで鈍く光ってはいましたが、キャラバンシューズのくるぶしを噛んだだけで、幸い足にまでは達していませんでした。痛みもありませんでした。それでだんだん気持ちが落ち着いていきました。

それにしても、また噛まれてしまったというショックと、あの日本人の忠告が、嘘だったことに、妙に腹が立ちました。このとき、俺の頭にひらめいたのです。「俺は、犬に噛まれやすい性質なんではないか?」と。(つづく)


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2006/07/29

俺はどうして犬に噛まれるのか?(1)

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アジアを旅していると、犬にはよく噛まれます。自慢話じゃありません。どうしてそうなのか? 俺なりの答えは、最後「俺はどうして犬に噛まれるのか?(4) 」に書くことにしているので、まずは、噛まれた話を聞いてください。

 ※ 犬好きな方には辛い内容が含まれているかもしれませんので、この先は読まないことをお勧めします。

初めて噛まれたのは、中国青海省西寧郊外のタール寺。1984年のことです。この年、初めて中国へ行きました。そして初めて一眼レフのカメラを持っていった年でもあります。だからよく覚えているんですよねえ。

タール寺は、チベット仏教寺です。当時は、まだ外国人旅行者はほとんどいませんでした。たしかまだ日本では中国の個人ビザが取れなかったと思います。我々外国人バックパッカーは香港でビザを取って中国へ入っていました。

そうです。忘れもしません。3月の寒い日の午後です。寺の通りを歩いていくと、ある建物の門にたむろしていた犬が吠え出したのです。体長50cmくらいで、チャウチャウ犬(?)。それほど大きな犬ではありませんでした。

それで別にあわてたわけでも、怖くなったわけでもありません。日本でもたまにこういう場面に出くわしていましたが、大回りをして、無視してゆっくりと通り過ぎれば何事も起こらないことを知っていたからです。

ところがです、だいぶ犬から遠ざかったのに、背後でまだ鳴き声が聞こえていました。「しつこいやつ」と思いながらも、先を急ごうとちょっと小走りになったとたん、突然犬の鳴き声が止み、かわりにタッタッタッ・・・という音が背後から近づいてきたなと思った瞬間、左足のふくらはぎに衝撃。そしてすぐに激痛に変わりました。

「痛ーーーッ!!!」

俺は思わず叫び声を上げてしまいました。見るとふくらはぎに犬が噛み付いています。なんて卑怯な。後ろから狙うとは。俺はしりもちをついて、足をばたばたさせて犬を追い払おうとしましたが、ウーウーとうなって離れようとしません。犬と格闘したのは短い間だったのでしょうが、すごい長い時間に感じられました。

近くにいた人民解放軍の兵士が騒ぎを聞きつけて駆けつけてきて、犬を追い払ってくれました。犬が遠ざかり、あらためてふくらはぎを見ると、ジーパンの上から噛まれた歯型に血が滲んでいました。解放軍の兵士は、俺をどこかに連れていこうとしました。彼らのキャンプに医務室があったのでした。

そこで、ジーパンを脱ぎ、噛まれたあとを消毒してもらいました。痛みも和らぎ、だいぶ落ち着いてくると、今度はジワリジワリと別な思いが頭の中を占領しだしました。それは走馬灯のように、くるくると目の前を回り始めたのです。「狂犬病」という3文字でした。

俺は、医務室の兵士に、紙と鉛筆を借りて「狂犬病」と書いて差し出しました。すると彼らは、「心配ないよ」といった感じで微笑み、手を横に振ったのです。気休めでこんなことを言うのだろうと思って「我行病院」と書きましたが「必要ない」みたいにまた手を振るのです。

どうしてそんなことを言うんだろうと不思議に思ったのを彼らは察したようで、兵士が自分の親指を差し出したのです。なんだろうと思ってみたら、赤チンが塗られた指でした。これはあの犬に噛まれたというのです。これを見て、俺もやっと安心することができました。そしてあの犬は、兵士たちが飼っているペットだということも判明したのでした。

結局、町の医者にも行かずに済ませました。彼らの言うことを信じるしかなかったのです。それにしても、犬というのは本当に噛む動物なんだと、あらためて知ることになったのでした。(続く)

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2006/07/28

2006年棚田学会大会

2006年棚田学会大会が、8月6日(日)、日本橋三越劇場で開かれます。

今年、俺は「棚田学会賞」を受賞します。「罰」には縁があるに「賞」にはなかなか縁がなくて、「賞」がつくものをもらうのは、中学時代の絵画の賞以来のことではないでしょうか。これで「賞罰」そろってようやく一人前? 人間て、バランス取って生きていくもんなんですね。(罰はありません。冗談です)

受賞後、記念講演(というほど大げさではないですが)をすることになっていますが、スライドを使ってマダガスカルの棚田を紹介しようと思っています。10分程度なので詳しい話はできないかもしれませんが。

詳しい情報は、こちらのページをご覧ください。
Ya_01_52006年棚田学会大会
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2006/07/25

地球上で最も幸せな国はバヌアツ??

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asahi.comに、「地球上で最も幸せな国はバヌアツ」という、記事がありました。

「地球上で最も幸せな国は、人口20万人で経済活動も小規模な南太平洋の島国バヌアツ共和国――。英国の独立系シンクタンクが12日公表した「地球幸福度指標」で、このような結果が出た。先進国は軒並み順位が下で、日本は対象178カ国中95位、英国108位、米国150位などとなっている。」
(以上、asahi.comより引用 http://www.asahi.com/international/update/0713/015.html)

バヌアツってどこよ? 

地図で確かめたら、日本の南、オーストラリアの東、南太平洋上に浮かぶ島国でした。イメージとして「南の島」は暖かくてのんびりしているし、確かにそうかもしれないと、一瞬納得してしまいそうになるのですが、この「地球上で最も幸せな国」という表現は、ちょっと問題があるらしい。

そもそも、この「地球幸福度指標」とはHappy Planet Index (HPI) のことで、その計算方法は以下の通りだそうです。(ますたぁ日記(一語一会)より引用 http://d.hatena.ne.jp/baymaster/20060713)

HPI = ( Life satisfaction x Life expectancy) / Ecological Footprint

Life satisfaction……人生の満足度

life expectancy……平均寿命

Ecological footprint……地球占有度

ここで、仮に分子が同じだとすると、分母になるEcological footprintとは、生活を維持するために必要とされる土地をどれだけ使っているかということなので、発展途上国と言われるところはこの値が少なくなり(幸福度指標は大きくなる)、反対に先進国は多くの土地(資源)を使うのでこの値が多くなる(幸福度指標は小さくなる)傾向にあるのです。だからこれは「どれだけ環境とうまく付き合っているか」という指標であって、「人間がどれだけ幸福か」という指標ではなかったようです。Happy Planet Indexを「地球幸福度指標」と訳していますが、「幸福な地球であるための指標」というニュアンスのようです。

ところで、分子に来る「Life satisfaction……人生の満足度」なんて、どうやって数値化しているんでしょうか? この値が一番高い国はスイスだそうですが。「あなたは満足ですか?」と聞いて「満足です」と答える人が一番多い国ということでしょうか。それなら、その時点で、一番幸福な国はスイスでいいと思うんですが。

でも「幸福だ」と思う人が多い国、少ない国があるのはわかるとして、結局個人の幸福は、人とは比べられません。俺と、バヌアツの青年実業家と、イラクの煙草売りのおばあさんと、アメリカの連続殺人犯と、スイスの美少女ハイジと比べて、「だれが一番幸福だ」なんていえないですからね。

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2006/07/22

旅は麻薬みたいなもの

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「旅は麻薬みたいなものだ」と言った人がいました。それを初めて聞いたのは、まだ20代後半で、もちろん写真では食っていない、単なるバックパッカーだった時期です。

これが妙に心に引っかかったのは、この言葉に否定的な響きを嗅ぎ取ったからではないかと思います。というのも、将来の見通しもなく、こんな旅をずっと続けていたら、どうなるんだろうという不安もあったし、麻薬なら、いつかは絶って、社会復帰しなければならないときが来るのだろうか?とも思わせる言葉だったのです。

旅をしているときは気持ちよく、日本での現実(何をやったらいいかわからない。お金がない。など)を忘れることができたし、このまま続けばいいなあと思うこともありました。旅から帰ってしばらくすると、禁断症状が現われて、また旅に出たくもなりました。確かに「麻薬」の要素はあったと思います。

ただ、今思えば、これを言った本人は、けっして旅に中毒したわけではなく、どちらかというと、やっぱり外側から見た印象だったのだろうし、中毒気味だった俺に対して、良く言えば忠告しようとした、悪く言えば嫉妬したのではないかと思います。

「いつまでそんなこと続けているんだ」と両親からも小言を言われていたし、友人からは「今だけだよ、楽しいのは」と言われていました。俺は、心のどこかに「いつかはやめなければ」ということを感じていたかもしれません。一生旅を続けていける自信もなかったし。ただ、俺は結果的にやめられませんでした。

「麻薬」と言われる旅は、いつのまにか人生そのものになってしまいました。それはどうしてなのでしょうか? 自分でもはっきりは分かりませんが、「社会復帰しよう」という気が無くなったからかもしれません。開き直ったわけですね。「いいよ、麻薬でも。だれが社会復帰なんかしてやるか」と、やけっぱちな気持ちもあった気がします。ただその後、写真というものと旅が結びつき、麻薬は化学変化を起こし、毒性が薄められたようです。

麻薬は痛みが激しい末期症状の患者には必要なものです。ただ副作用が大きすぎるという欠点があります。それだけ切羽詰っているかどうかということでしょう。今から思えば、俺は切羽詰っていました。

社会復帰できるような社会的な人、自制心のある人は、いずれできるんです。ただ、どうしてもできない人もいます。いいことか悪いことかなんて、今もって俺にはわかりませんが、そういう人にはあえて言いたいですね。「中毒になりきれ」と。それで破滅するなら、それがあなたの運命。しかたのないことです。 (また無責任なことを言ってしまった・・・・)

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2006/07/16

中田英寿 “人生とは旅であり、旅とは人生である”

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中田が(呼び捨てですみません)、電撃的な引退を表明してから、いろんな話を聞くと、それまで、有名なサッカー選手だし、生きている世界も、立場も、レベルもぜんぜん俺とは違っていた(ただ見かけだけは似ているというのがあったけれども)人間が、ある一点について、すごく共感できる人間に変わりました。

それは、「世界を知りたい」という欲求があって、引退後は世界を旅するということを聞いたからです。また、ナカタネットのホームページには、“人生とは旅であり、旅とは人生である”という言葉と、10年のサッカー人生も旅であったという言葉が載っていました。

中田はテレビのインタビューで、自分の知らない世界を知ることによって、今までとは違った見方ができる、というようなことを言っていたように思いますが、まったく俺も同感です。

学生時代にヨーロッパ旅行を8ヶ月して、俺は自分が観光旅行をしたいんじゃなくて、「旅」をしたかったんだと気が付いたという話は、今までもさんざん書いてきましたが、旅の何が面白いかって、移動の快感もさることながら、違う世界を見て、違う価値観を知って、自分を客観的に見ることができるようになったことです。別な言い方をすれば、今まで生きてきて「正しい」と信じて疑わなかった価値観が、ガラガラガラと音を立てて崩れていく快感でした。

こんな人もいるのか、こんな考え方もあるのか、こんなことでもいいんだ、という驚き。それに驚いている自分が好き、というのも正直、ちょっとはありましたが、でも、実際その価値観の転換がなかったら、8ヶ月のヨーロッパから帰ってきて、大学は1年遅れて卒業はしたものの、就職せず、旅を続けることを決めることもなかったでしょう。やっぱりそれはすごい転換点になったんだなあと、今でも思います。

はたして、この旅を続ける生活を選んだことが良かったのか悪かったのか分かりませんが、少なくとも今は後悔していません。それどころか、もし、普通に卒業して、就職していたら、俺は今ころどうなっていただろうか?とも思います。

ただ、この生活にはリスクがあります。不安定、お金のなさは、旅を続けると決めた時点で、覚悟したはずなので、それはしかたないことだとは思いますが、正直、時々不安にもなります。すべてが全部そろうなんて、ほんとに運がいい人だけです。ほとんどの人は、何かを得たら、何かを失うというバランスを取って生きていかざるを得ません。

話が脇にそれてしまいました。

とにかく、中田が、身近に感じられるようになりました。そういう話です。そのうち、どこか外国の宿で中田と偶然出会う日を夢見て。(でも、バックパッカーが行くような宿には泊まらないんだろうな・・・)

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2006/07/15

キムヨンナム氏とウンギョンさん

横田めぐみさんの元夫とされるキムヨンナム氏と娘のウンギョンさんの記者会見で、彼女は母親について語らなかったのは、父を悲しませ、今の母親に申し訳ない気がしたからだといいました。数年前の記者会見のときに(当時は、ヘギョンちゃんでしたが)見せた無邪気な笑顔が消えていました。

「こちらに会いに来てください」と、横田夫妻にむけていいました。一部マスコミでは、北朝鮮当局に洗脳されているから、あるいは、言わされているのだ、といわれています。

じゃあ、本心とは? 「私はおじいさん、おばあさんに会いにすぐ日本に行きたい」ということなんでしょうか?

数年前、突然自分の母親が日本人だと知らされ、当惑と、絶望感を味わったのではないでしょうか。「どうして今まで黙っていたの?」と父親をなじったかもしれません。北朝鮮に生まれて育って、北朝鮮人だと思って疑わなかったのが、なんと、敵国人の血を引いていることが分かったのだから、その衝撃は計り知れなかったと思います。日本人の血が混じっていることは、北朝鮮で生きていくうえでは、マイナスになる国でしょう。

日本人が騒げば騒ぐほど、当局の監視と干渉が多くなり、自分と家族の立場が悪くなっていくことを感じているかもしれません。そもそも、外国に出たら「自由に物を言える」とは思っていないだろうし、たとえ出て「正直に言ってもいいですよ」といわれても、そう簡単にしゃべることはできないでしょう。外国は怖いと感じているかもしれません。だから「こちらに会いに来てください」というのは北朝鮮に生まれて育った19歳の女性にしたらあたりまえ、本音といえば本音でしょう。

「拉致被害者」とか「北朝鮮」とか関係なく、世界中どこの国の人たちもと同じように、家族の関係があるはずです。日本では、親が嫌いで家出したり、引きこもりになったり、家に火をつけて殺してしまったりということがあります。ウンギョンさんは、ぐれもせず(たぶん)、家族を守るため、自分の運命と戦っているように見えます。また父親であるヨンナム氏も、娘を守るため、時には嘘もつくし、不注意な発言をしないようにがんばっているように見えます。自分が悪者になってもです。

このふたりの様子に、政治や国家に弄ばれた人間の悲しみを見ます。この問題の「解決」とは、ふたりが韓国か日本に帰ることでしょうか。であるならば、そのときが早く実現することを祈るだけです。

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2006/07/14

やっぱり駄目か? 香菜、パクチー、コリアンダー

まだ10cmほどしか育っていないのに、どうも、成長が止まってしまったように感じます。

写真では、よく分からないと思いますが、パクチー独特の葉の形にはなったものの、2、3日前から、葉に異常が現われました。白いまだら模様になってしまったのです。明らかにこれは枯れる前兆でしょう。

今年も失敗してしまったようです。諦めるのは早いので、栽培は続けますが、とにかく、少しは口にしたいので、枯れる前に少し摘もうと思います。

原因はなんでしょうか。わかりません。ひとつ言えるのは、種を蒔く時期が遅すぎたようですが。

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Ya_2栽培開始時の写真

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2006/07/04

ただ今、休煙中

今、「休煙中」です。「禁煙」ではありません。あくまでも「休煙」です。

世の中、環境、健康ブームで、タバコに対する風当たりは強くなる一方ですね。俺は、「愛煙家」と言えるほどタバコを吸う人間ではもともとないですが、しかも、無くてもいいという感じなので、人前でもあまり吸いません。俺がタバコを吸うことを知らない知人もいるでしょう。

休煙しているのは、7月1日からまたタバコの値段が上がったという理由だと思われるのも癪に障りますが、確かに無意識にそれもあったかもしれません。でも、違うんです。今までも、たまにあるんですよね。突然、タバコの煙が嫌いになるときが。別に体調が悪いとか、そういうんじゃないんです。わけもなく、です。6月29日ころだと思いますが、またこのタバコ嫌いの症状が突然現われて、今、その状態が続いています。だから、タバコを休んでいる状態の「休煙中」です。

それにしてもなんですね。いつの間にか、タバコは、「嗜好品」から「毒物」に地位を下げてしまいました。煙を吸うことが、少なくとも「健康に良い」とは、天地がひっくり返っても言えないことは俺もわかっています。でも、「健康」とは何か? 「健康である」ということはどういう状態を言うのか?という問題を突き詰めて考えていくと、「タバコの害」ということが言われますが、本当にそうなんだろうか?と疑問にも思えてきます。

俺は長生きするために「タバコをやめよう」とは思いません。一仕事終わったあとの一服。たまらんですねえ。あるいは、山道を登っていってたどり着いた峠での一服。たまらんです。大げさに言えば「生きてて良かったな」と思います。(だから精神的にはきわめて健康です) こういうのが贅沢な瞬間を演出してくれる「嗜好品」というものの効用なのです。コーヒーだってそうでしょ?

もちろん、タバコによる「健康の問題」と、嫌いなものを吸わされる「被害の問題」は別でしょう。嫌なタバコの煙を無理に吸わされるのは、拷問とも言えるでしょう。タバコの問題が取り上げられるのは、嫌いな人の前で吸う人がまだたくさんいることです。べつに、ひとりで吸って、ひとりで健康を害して死んでいくぶんには、それほど世の中、関心を示しません。

そう思っているので、吸わない人の所では吸わないようにしています。そのくらいの「思いやり」は俺にもあります。これは何もタバコだけではなくて、例えば、俺が一番嫌いなのは、電車の中やエレベータの中で嗅がされる香水の匂い。想像しただけで吐き気がしてきます。こういう想像力に欠けた人間がいると、ほんとに殴りたくなります。(心の中ではすでに殴っています) だから、嫌なものを吸わされたり、嗅がされたりすることの苦痛はわかります。

ただ、タバコを吸うからというだけで人を非人間扱いしたり、白い目で見るのだけはやめて欲しい。趣味が違うだけなんだから。もっとも、最近は、病院に禁煙科が設けられるなど「病人」扱いされるまでになっていることに、俺はちょっとだけ不安を感じています。そのうち、タバコは「麻薬」となり、強制入院させられて「禁煙」を強要されてしまう日が来るんでしょうか。

「健康至上主義」みたいな考え方に、俺はどうもなじまないようです。

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