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2006/07/04

ただ今、休煙中

今、「休煙中」です。「禁煙」ではありません。あくまでも「休煙」です。

世の中、環境、健康ブームで、タバコに対する風当たりは強くなる一方ですね。俺は、「愛煙家」と言えるほどタバコを吸う人間ではもともとないですが、しかも、無くてもいいという感じなので、人前でもあまり吸いません。俺がタバコを吸うことを知らない知人もいるでしょう。

休煙しているのは、7月1日からまたタバコの値段が上がったという理由だと思われるのも癪に障りますが、確かに無意識にそれもあったかもしれません。でも、違うんです。今までも、たまにあるんですよね。突然、タバコの煙が嫌いになるときが。別に体調が悪いとか、そういうんじゃないんです。わけもなく、です。6月29日ころだと思いますが、またこのタバコ嫌いの症状が突然現われて、今、その状態が続いています。だから、タバコを休んでいる状態の「休煙中」です。

それにしてもなんですね。いつの間にか、タバコは、「嗜好品」から「毒物」に地位を下げてしまいました。煙を吸うことが、少なくとも「健康に良い」とは、天地がひっくり返っても言えないことは俺もわかっています。でも、「健康」とは何か? 「健康である」ということはどういう状態を言うのか?という問題を突き詰めて考えていくと、「タバコの害」ということが言われますが、本当にそうなんだろうか?と疑問にも思えてきます。

俺は長生きするために「タバコをやめよう」とは思いません。一仕事終わったあとの一服。たまらんですねえ。あるいは、山道を登っていってたどり着いた峠での一服。たまらんです。大げさに言えば「生きてて良かったな」と思います。(だから精神的にはきわめて健康です) こういうのが贅沢な瞬間を演出してくれる「嗜好品」というものの効用なのです。コーヒーだってそうでしょ?

もちろん、タバコによる「健康の問題」と、嫌いなものを吸わされる「被害の問題」は別でしょう。嫌なタバコの煙を無理に吸わされるのは、拷問とも言えるでしょう。タバコの問題が取り上げられるのは、嫌いな人の前で吸う人がまだたくさんいることです。べつに、ひとりで吸って、ひとりで健康を害して死んでいくぶんには、それほど世の中、関心を示しません。

そう思っているので、吸わない人の所では吸わないようにしています。そのくらいの「思いやり」は俺にもあります。これは何もタバコだけではなくて、例えば、俺が一番嫌いなのは、電車の中やエレベータの中で嗅がされる香水の匂い。想像しただけで吐き気がしてきます。こういう想像力に欠けた人間がいると、ほんとに殴りたくなります。(心の中ではすでに殴っています) だから、嫌なものを吸わされたり、嗅がされたりすることの苦痛はわかります。

ただ、タバコを吸うからというだけで人を非人間扱いしたり、白い目で見るのだけはやめて欲しい。趣味が違うだけなんだから。もっとも、最近は、病院に禁煙科が設けられるなど「病人」扱いされるまでになっていることに、俺はちょっとだけ不安を感じています。そのうち、タバコは「麻薬」となり、強制入院させられて「禁煙」を強要されてしまう日が来るんでしょうか。

「健康至上主義」みたいな考え方に、俺はどうもなじまないようです。

060704

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コメント

コメント、ありがとうございます。

「子どもの目線」大切です。タバコは、子どもからすると、包丁と同じですね。歩きながらのタバコは、包丁を持ち歩いている状況と同じです。その想像力があるかどうか、その人の問題でしょう。タバコや包丁そのものが悪いわけではないですし。
タバコが嫌われるのは、こういうこともあるんですよね。

投稿: あおやぎ | 2006/07/09 08:45

休煙・・・いいことですね。タバコが大嫌いな私としてはありがたいことです。歩きタバコをしている方を時々見かけますが(先輩はしないと思いますが)、タバコを吸ってその手を下ろしたとき丁度子供の顔の位置なんです。この下ろした手のタバコの火が子供に当たり、喧嘩したことがあります。外国人女性でしたが、日本語でまくし立てました。子供がいると母は強しです。

投稿: danndelion | 2006/07/07 16:45

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