旅は麻薬みたいなもの
「旅は麻薬みたいなものだ」と言った人がいました。それを初めて聞いたのは、まだ20代後半で、もちろん写真では食っていない、単なるバックパッカーだった時期です。
これが妙に心に引っかかったのは、この言葉に否定的な響きを嗅ぎ取ったからではないかと思います。というのも、将来の見通しもなく、こんな旅をずっと続けていたら、どうなるんだろうという不安もあったし、麻薬なら、いつかは絶って、社会復帰しなければならないときが来るのだろうか?とも思わせる言葉だったのです。
旅をしているときは気持ちよく、日本での現実(何をやったらいいかわからない。お金がない。など)を忘れることができたし、このまま続けばいいなあと思うこともありました。旅から帰ってしばらくすると、禁断症状が現われて、また旅に出たくもなりました。確かに「麻薬」の要素はあったと思います。
ただ、今思えば、これを言った本人は、けっして旅に中毒したわけではなく、どちらかというと、やっぱり外側から見た印象だったのだろうし、中毒気味だった俺に対して、良く言えば忠告しようとした、悪く言えば嫉妬したのではないかと思います。
「いつまでそんなこと続けているんだ」と両親からも小言を言われていたし、友人からは「今だけだよ、楽しいのは」と言われていました。俺は、心のどこかに「いつかはやめなければ」ということを感じていたかもしれません。一生旅を続けていける自信もなかったし。ただ、俺は結果的にやめられませんでした。
「麻薬」と言われる旅は、いつのまにか人生そのものになってしまいました。それはどうしてなのでしょうか? 自分でもはっきりは分かりませんが、「社会復帰しよう」という気が無くなったからかもしれません。開き直ったわけですね。「いいよ、麻薬でも。だれが社会復帰なんかしてやるか」と、やけっぱちな気持ちもあった気がします。ただその後、写真というものと旅が結びつき、麻薬は化学変化を起こし、毒性が薄められたようです。
麻薬は痛みが激しい末期症状の患者には必要なものです。ただ副作用が大きすぎるという欠点があります。それだけ切羽詰っているかどうかということでしょう。今から思えば、俺は切羽詰っていました。
社会復帰できるような社会的な人、自制心のある人は、いずれできるんです。ただ、どうしてもできない人もいます。いいことか悪いことかなんて、今もって俺にはわかりませんが、そういう人にはあえて言いたいですね。「中毒になりきれ」と。それで破滅するなら、それがあなたの運命。しかたのないことです。 (また無責任なことを言ってしまった・・・・)
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