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2006/08/02

俺はどうして犬に噛まれるのか?(4)

060802
俺は犬に噛まれやすい性質なのではないかと気が付いてからは、犬には敏感になりました。だから現地の人間が犬をどうやって撃退しているかも注意して観察するようになったのです。

それで分かったのは、犬が吼えてきたら、地面の石を拾って投げつけるのです。そうすると、犬はあわてて逃げていきます。これが面白いほど、効果覿面です。石がなかったらどうするか? 心配いりません。石を拾う真似をするだけでいいのです。腰を屈めて地面の石を拾うような格好を見せるだけで犬は逃げていきます。

日本でも吼えられたときやってみました。ところが駄目なんです。犬はキョトンとして、吼えるのをやめません。これは学習の問題なんでしょう。日本の犬は、人間から石を投げつけられる経験が無いので、まったく効き目がないのでした。

チベット高原では、「俺はどうして犬に噛まれるのか? (2)」でも書いたように、石を結んだ長さ1mほどの紐を頭上でクルクル回しながら撃退します。俺を助けてくれた女の子とは別な女の子が、「なんとかちゃん、いるー?」といった感じで隣の天幕住居から現われたときも、やっぱり紐を回しながらやってきました。隣のうちに遊びに行くのも、命がけです。

タイの北部の山岳民族では、犬攻撃を防ぐのに棒を持って歩くのが常識らしい。また夜になると、トイレがない村では草むらで用を足すことになるのですが、やっぱり犬がやってきます。そのときは、懐中電灯で顔を照らし続けると近づかないことがわかりました。

それにしても、中国の犬はたいへんな境遇にあります。今は「ペット」、あるいは「家族」となった犬も多いようですが、昔は、半野良犬状態で、食糧事情が悪いときには、食べられてました。そんな事情を知るにつれて、犬に対しては、恐怖、同情、哀れみなど、複雑な思いを抱くようになっていました。

ところで、ここから本題です。俺は犬年であるにもかかわらず、どうして、犬に噛まれやすいのか?という問題です。

これだけ犬の被害に遭えばだれだって考えるでしょう。何か理由があるはずだと。そこで、いろいろ考えた末、自分なりに分析してみました。

俺は犬を飼ったことはないので、詳しくは知りませんが、犬をしつけるときには、仰向けに寝かせ、自分が主人であることを分からせるそうですね。犬は、主従関係がはっきりしているのです。それだけ社会的な動物であるらしい。猫とは対照的です。俺はどちらかというと、昔から(犬から噛まれる前から)猫が好きでした。子供のころは、実家でもずっと猫を飼っていたし。といっても、犬が嫌いだったわけではありませんが。

俺自身、猫型性格だと思います。上下関係に無頓着。どちらかというと一匹狼的で、群れをつくるのが嫌いです。人や所属集団に対する忠誠心が薄く、興味があるほうにすぐに流れます。「気まぐれ」といってもいいでしょう。そしてあまり常識にはとらわれない(ルールを覚えられない)。

以前、俺はどんな人も対等に見る癖があると書いたような気がします。その通りなんですよね。だから、子どもに対しても、初対面なら敬語を使っていることがあるそうです。「そうです」というのは、自分では気が付かなかったのですが、そばにいた人からそう指摘されたのでした。

逆にどんなに偉いと言われている人に対しても、崇め奉ったりしません。どうせ人はみんな同じだと思っているので、「偉い」なんて言われる人に限って、裏ではとんでもないことやっているんだろうなあと、すぐに思ってしまうのです。だから、可愛げがないんでしょうね。あまり好かれません。そのかわり、妙な宗教には絶対引っかかりません。教祖と言われる人も、普通の人だと思ってしまうので、尊敬するとか、信仰するとか、崇めるとかの対象にならないんです。(そういう自信のある人間に限って大きな嘘にはコロッと騙されてしまうんですが)

つまり、こういうことです。犬に対しても「対等」である目をするので、犬は「こいつは、上下どっちなんだ」と不安に陥り、混乱して噛み付いてしまうんじゃないでしょうか。犬にとっては、上下関係がはっきりしていないことは、情緒不安定につながります。ガツンと一発くらわせば、あるいは、俺はお前の主人だという態度で接すれば、犬も、精神的に落ち着いて、噛み付くこともないような気がするのです。

もちろん、噛まれてからは「怖い」というのが俺の態度に表れて、それを犬も察知してしまい、ますます噛まれる結果になったのではないかと思うのですが。一説には、「怖さ」や「不安」は科学物質を出し、それを感じて咬んでしまうのではないかという話もあるようです。

犬に対等な目をするというのは、「人間」と「犬」という上下関係ではなく、「生き物」として対等な立場に立ってしまうということです。というのも、犬の目を見たとき、一瞬ですが、俺は犬の目線で世界を見た気がするからです。犬が餌をあさって地面をはいずりまわっている感覚なんかが、リアリティーを持って胸に迫ってくることがあります。俺自身、一瞬犬になっているんでしょうか。犬のほうも俺を「こいつは犬だ」と意識するのではないでしょうか。

そのあたり、はっきり断言する気はありませんが、そうではないかなあと思っているだけです。いずれにしても、犬に噛まれやすい性質であることは疑いのないところでしょう。

こんな俺ですが、その後、友人宅や妻の実家のビーグル犬と付き合うことで、リハビリに努力し、今では犬を触ることができるまでに回復しました。噛まれてから回復するまで10年以上かかりました。ただ、やっぱり今でも、心の底では「怖い」という感覚はゼロにはならないんですよね。たぶん、一生なくならないと思います。

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