作られたキャラクター、「亀田興毅」
テレビで試合見ました。判定が出たときは俺も驚きました。耳を疑いました。逆じゃないのかと。
ただそれまで、「負けた」とは思っていましたが、むしろ、日ごろの生意気な発言をするタレントの姿ではなくて、ボクサーとしての必死さが伝わってきて、感動すら覚えたのでした。朦朧としながらもリングに立ち続けた姿は、ある意味かっこう良かった。試合に問題はなかった。なのに、あんな疑惑の判定が出てしまった。そして、そのあとの興毅の言動にはだんだん幻滅していきました。
でも、「亀田興毅」を作り上げたのは、周りの人間なのかもしれません。ああ見えて、興毅は、近ごろまれにみる「素直」で「親思い」の子なのではないかと思わせます。父親の言うこともよく聞くし、父親のためにチャンピオンを目指すとも言っていたし、またスポンサーなどが望む「亀田興毅像」をきちんと演じているのではないでしょうか。痛々しく感じさえします。
どう贔屓目に見ても、口で言っているほど強くはなかったということを、この試合で証明してしまいました。なのに、あくまでも、強気の発言。だれがそういうキャラクターを望んでいるんでしょうか。自分だけの意志でやっているとしたら、単なるおバカさんでしょう。(それならそれでかまわないけど。そこが魅力とも言えるし)
もし、父親や周りの大人たちが「そういう発言はみっともない」と忠告すれば、素直に聞くはずなので、逆に言えば、父親や周りの大人たちはそういう忠告はしていない、あるいは、容認しているということになりますよね。だからやっぱり、あのキャラクターは、まわりが望んでいるものなのでしょう。
あるテレビにガッツ石松が出て、判定を批判していました。「ほとんどの人たちが負けたと思った」ということが、今回の正しい判定だ、みたいなことを言っていました。ガッツ石松が、これだけまともな発言ができる人だというのも驚きましたが、それはさておき、彼の言うことはもっともだと感じます。
ボクシングは、「ボクシングのプロ」だけのものではないでしょう。ファンのものでもあります。そのボクシングファンの人たちのほとんどが「負けた」と判定しているのに、「プロの評価はプロにしかわからない。プロに任せて、素人は口出しするな」と言われているようにも感じます。
今回の問題は、判定にあったと言えるでしょう。試合自体や試合中の興毅に問題があったとは思いません。
ただ、今後の興毅について思うのは、自分の弱さを自覚すること。強くなるにはそれしかありません。空威張りしても強くはなれません。これからも「亀田興毅」を演じ続けるのであれば、タレントとしてはいいかも知れませんが、ボクサーとしての将来はないでしょう。
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コメント
コメント、ありがとうございます。
ひまわりさんの言う通り、問題は判定にあったのは間違いありません。みんなを納得させる判定であって欲しかった。
ただ判定の問題と、今バッシングが起こっている問題は、俺は別だと思っています。試合がほんとは勝ってたか、負けたかなんて、正直あまり興味はありません。彼の試合後の言動なんですよね。気になるのは。
今回の試合の判定をきっかけに、亀田興毅選手をめぐって論争がわき起こっていることは、ある意味健全だなぁとも思います。
そして俺は、自分のことを棚に上げて、他人の「欠点」を非難するほどエライ人間ではありません。その人の「欠点」は、別な面から見れば「長所」になるわけだし。亀田選手の強気な発言は、彼の魅力のひとつであるとも実は思っています。
ただ今回は、少し謙虚さがあってもいいのでは?と感じただけです。それは、彼自身に対してもそうだし、周りの大人たちに対してもそう思いました。
強がることが「強い」ことの証明ではないでしょう。彼には真のチャンピオンになって欲しいので、そう言っているだけです。
たとえば、イチローや松井秀喜 をどう思いますか? 俺は誇らしく思っています。じゃぁ、今の亀田興毅は?
投稿: あおやぎ | 2006/08/08 19:21
ボクシングやプロレスは怖くて全く見ないのですが、なぜかこの亀田興毅の試合は最初から最後まで見てしまいました。試合終了後、判定に持ち込まれたときには、素人の私にも彼の敗北が判りました。判定には首を傾げましたが、彼を非難するのは間違いだと思います。判定を下した側に責任あり・・と私は思うのですが。
投稿: ひまわり | 2006/08/08 11:07