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2006/09/27

[棚田病」とは?

060927
(写真はフィリピン・ボントックの棚田)

昨日、「棚田病」について触れたので、ついでにこの病について書いてみます。

      ★★

「棚田病」とは?

症状 1: 今までは気がつかなかったのに、棚田が目に付くようになる。

症状 2: 何を見ても棚田に見えてしまう。

症状 3: 「棚」という字、あるいは「タナ」という音を聞くと、ビクッと体が反応してしまう。

症状 4: 棚田の魅力をやたらに人に教えたがる。

症状 5: 棚田があると聞くと、どこまでも出かけてしまう。

症状 6(末期症状): 社会現象や社会問題、果ては、宇宙原理さえ、無理やり棚田と結び付けて考えてしまう。棚田を自分で耕作してしまう。

      ★★

原因 1: 棚田病の人間(症状4以降)から共感感染する。この共感感染というのは、言葉や文字や写真によって、棚田病の人(あるいは作品)に共感することによって感染する。

原因 2: 棚田に出会って感動し、自分の脳内で特殊な物質を生み出し、自己感染する。

原因 3: 棚田米などの食品をとることで感染する。

      ★★

特効薬 : 現在まだ発見されていない。罹ったら一生治らない。今のところ諦めるしかない。

      ★★

以上、「棚田病」についてでした。怖いですねぇ。みなさん気をつけましょう。いや、このブログ読んだ人は、もう感染していると思いますが。


Ya_2「棚田病」は同時に「棚田療法」でもある(2014/07/23)


世界の棚田、アジアの棚田、日本の棚田を紹介する◆オリザ館(アジアの棚田)◆はこちらです
「オリザ館」


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2006/09/25

ビルの窓拭きの話

060925
(写真は銀座のビル)

ビルの窓拭きの続きです。

地上とはどこかで感覚の断絶があって、屋上にいると現実感がないと書きましたが、ある日、このことが原因でハッとしたことがありました。

それは屋上にカラスがやってくるのですが、思わず、屋上に落ちているコンクリートのかけらを、そのカラスめがけて投げつけそうになるんです。もし、そのかけらが地上に落ちたらたいへんです。小さなものでも、当たり所によっては人に大怪我をさせてしまいます。地上にいると勘違いしてしまうんですよねぇ。危ない、危ない。

高さについての恐怖心なら、むしろ、10階くらいが一番怖かったです。10階以下だと、ビル自体にはゴンドラ(ワイヤーで吊るされた籠状の乗り物)がついていないので、「ブランコ」という用具で降りてくるのです。それは屋上に縛り付けたロープを地面まで垂らし、ロープをエイトカン(昔はシャックルだった)という金具に巻きつけ、エイトカンに吊るされたブランコ状の板に腰掛け、ゆっくり降りてくる装置のこと。

風が強い日は怖かったぁ。遮るものが何もないので、もろ、風に吹かれて、ビルの窓や壁に半回転してぶつかることもあります。このブランコ作業があったから怖いというのはもちろんですが、やっぱり10階から眺める地面は、36階からとは違って、俺と直接つながる現実感を持つのです。

そして業界内で一番事故が多く起こるのは、意外に2階とか1階でした。

恥ずかしい話ですが、俺も労災保険を受けるほどひどい怪我をしたことがあります。それもなんと1階でした。雨で塗れたビルの床に滑って顔面(というか、正確には前歯なんですが)を強打し、前歯が2本欠けたのです。同僚からは「どうして他は怪我してないのに、前歯だけ折れたのか?」と不思議がられました。「普通滑ったら手をついて顔は守るだろうに」と言われたのです。確かに、そうだよな。俺もそう思いましたが、よく覚えていません。

それが少しネックになったのか、労災がなかなか下りなかったようにも思います。でもなんとか労災が下りたので、義歯も最高のものを入れることができました。

ここからが自慢話です。なぜかというと、医者はこっそりと教えてくれたのです。「これは、まわりの歯の色と合わせることができるセラミック製で、あの松田聖子も入れてるやつだよ」と。(これが事実かどうかわかりません) 「そうか、これは松田聖子と同じなんだぁ」と思って、彼女がテレビに出てくるたびに、まるで友だちのような親近感を抱いてしまいました。秘密の共有者のように。なんという勘違い!!

低いところでは気がゆるむんですかねぇ、事故が多いというのは。その代わり、数は少ないけれど、高いところから落ちたら重大事故、運が悪ければ死んでしまいます。慣れてしまえばどうってことないのですが、けっこう危険な仕事でした。


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2006/09/23

「フラニーニャ」

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(写真は、雲南省大理の虹)

「フラニーニャ」って知ってますか? (『フラガール』という映画とは違います。本日公開だそうです。この映画、面白そうです)

フラダンスを踊りながら天気を解説する気象予報士のユニット。フラダンスの振りは、気象を表しているのがあるらしく、まさに気象予報のための踊りらしい。テレビで紹介されていました。

天気予報ができるフラダンサーか、フラダンスもできる気象予報士か。どっちだろう。いや、どっちでもない、「フラニーニャ」なんだろうと思います。ふたつのものをひとつにして、新しいところを狙っているようです。これから有名になっていくかもしれません。個人的にはフラダンスと気象予報は、別々に見てみたい気がしましたが。

俺も、昔は、「窓拭きもできる写真家」でした。30代半ばまで、アルバイトで高層ビルの窓拭きをやっていました。今はどうでしょうか。高いところは無理かも。歳とともに反応が鈍くなっていると思うので、高いところの作業は危険なんですよね。

この窓拭きの仕事って、俺の性分に合うのか、好きだったし、長く続きました。36階のビルの屋上から眺める「下界」の現実感のなさが特に好きでした。(このことについては明日書くつもりです)

でも、「窓拭きもできる写真家」、だからどうした?って感じですかね。「フラニーニャ」とは違います。残念ながら需要はないかもしれません。


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2006/09/21

主流じゃないものを撮る

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(写真は、山口県油谷の棚田)

情報です。

季刊『新・田舎人』第49号(発行:ふるさと保全ネットワーク TEL 03-3234-5476)に、インタビューと棚田写真が掲載されています。どういう経緯で写真を撮ることになったのか、とか、写真とは俺にとってなんなのか、という問題について真面目に(?)しゃべっています。

その中で、どうして棚田なのか?という質問がありましたが、結局のところ、「主流じゃないもの」に対する愛おしさではないかと思います。もちろん、理由はこれだけではないですが、その中のひとつであることは確かです。

言い換えると、世界中グローバル化によって同じようなもの、同じような価値観になる方向に行こうとしていますが、それでいいのか?という疑問、反発があるのです。雲南省、少数民族、メコン河、そして棚田・・・。今まで俺が興味を持って写真を撮ってきた被写体です。

それは俺自身がそうだからということでもあります。どうして、みんなと同じじゃなきゃならないのか? 主流になれない、いや、もちろん、なる必要などないのですが、写真を撮ることで、俺はその主流じゃないもの(少数派)の価値を見続けたいと思っています。


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2006/09/20

タイで、微笑みのクーデター

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(写真はチェンセーンの僧侶)

タイでクーデターが起こったようです。

Ya_2livedoorニュース

タイでは、タクシン首相一族の株不正取引疑惑などをめぐって、首相への批判が激化し、今年初めから辞任要求運動が高まっていたそうです。

そういえば、今年3月マダガスカルへ行ったとき、途中タイ・バンコクに2泊しましたが、そのとき、王宮広場では反政府集会が開かれていました。それほど緊迫感を感じませんでしたが、あとで新聞など読むと、タクシン首相に対する激しい抗議行動が行われていたようです。

タイは、過去74年間で17回のクーデターが起こっています。しょっちゅうクーデターが起こっているような印象があります。ただ、他の国と比べると穏やかなクーデターというのがタイの特徴です。最後は、やはり、国王が出てきて決着つくのでしょうか。

タクシン首相は今のところ亡命する気はないらしいですが、実際タイに戻って来れるのかわかりません。

権力者が引き際を間違えるとたいへんです。いったん握った権力は、離したくなくなるのでしょう。日本でも、引き際を間違って醜い姿をさらした権力者がどんなにか多いことか。


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2006/09/19

斎藤佑樹投手の話(2)

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(写真はマダガスカル・キリンディー公園のレムール)

斎藤佑樹投手の話は先日も書きましたが(「斎藤佑樹投手の話」2006/9/12)、そのあと、気になることがあったので、ふたたび書いてみます。そのひっかかる部分、うまく伝わるか。とにかく書きますね。

斎藤佑樹投手がテレビのインタビューを受けている顔を何度も何度も観ているうちに(暇だねぇ・・・)、突然、太平洋戦争で死んでいった若い兵士とオーバーラップしたのでした。そして彼らがアメリカ遠征に出発するとき集まった人たちが、「お国のために、りっぱに戦ってこいよ!」と言って、旗を振って戦場に送り出す人たちとオーバーラップしたのでした。

どうしてそんなふうに思ったのかなぁ。彼の髪型や昭和初期を彷彿とさせる容貌? そんなのも影響しているかもしれません。ただ、こんな素直な青年たちが戦場に送られたんだろうなぁと想像しました。

Ya_2自爆テロ国家「北朝鮮」と、危ういトレンド国家「日本」

彼は、素直で謙虚で思慮深い真面目な青年です(と思います)。戦後民主主義教育の「最高傑作」かもしれません。でも、何かが引っかかるのです。

ハチャメチャな青年、亀田興毅選手と斎藤佑樹投手。水と油のように対照的なふたり。でも、一歩引いてふたりを眺めると、「素直な親思い」という点で同じように見えてしまうのは俺だけでしょうか。(亀田選手が親思いだという話は、過去の記事「作られたキャラクター、「亀田興毅」」(06/08/04)に書いています) 彼らほど親の言うことを素直にきく青年もいないのではないかと思っています。いや、今は、けっこう素直な青年が多いのではないでしょうか。

たぶん、俺が引っかかったのは、青年の「素直さ」「純粋さ」などが、「脆さ」「危うさ」に簡単に変わってしまうこともあるのかもしれないなぁという点かもしれません。斎藤佑樹投手個人の話ではなくて。日本人全体の話なんですね。日本人は、あるきっかけがあると一方向に流れてしまう性質を持っていると俺は思っています。トレンドに弱いのです。もっとも、彼らの心の内側は知る由もありませんが。あくまでも、想像です。

じつは、俺も外見的には「素直で真面目な親思いの子ども」でした。だから、なんとなく引っかかるのかも。(外国を旅してから、180度変わったわけですが) 親や先生が求める息子像、生徒像を敏感に感じ取って、それを演じるようなところのある子どもだったので、「素直で真面目」は「見かけ」に過ぎなかったわけです。(最近、そういう子どもが親を殺したりします。この件について、そのうち記事を書こうと考えています)

何度も言うようですが、これは斎藤佑樹投手個人の話ではなく、ひっかかる部分、漠然とした感じですが、わかってもらえたでしょうか。日本人のトレンドに弱い部分でしょうか。


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2006/09/18

野町和嘉氏の写真展

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(この写真は、雲南省元陽多依樹棚田)

情報です。

野町和嘉氏の写真展が開かれます。


『野町和嘉写真展 イスラーム巡礼』
2006年9月16日(土)~10月29日(日)
午前10時~午後7時30分
武蔵野市立吉祥寺美術館
休館日:9月27日(水)、10月25日(水)
入館料100円(小学生以下・65歳以上・障害者は無料)

学生のときヨーロッパを8ヶ月旅した話は前にも書きましたが、後半の4ヶ月は、お金が尽きたので、パリでギャルソンのアルバイトをしながら暮らしていました。ギャルソンとは、英語で言うとウェイターですね。韓国系フランス人が経営する韓国・日本料理レストランでした。(フランスでのアルバイトについては、過去の記事を見てください

フランスのレストランは、午後3時くらいから5時半くらいまで休みなので、俺は、近くの本屋で立ち読みすることもありました。ただ、フランス語はほとんど分からないので、自然に、画集とか写真集を見ることが多くなりました。

ある日、シナイ半島の写真集を手に取りました。それがすごく良かったのです。それで後ろの奥付を見たんですよね。そしたら、この写真を撮ったのは日本人だったんです。「Kazuyoshi Nomachi」とありました。でも、俺は写真については素人で、このKazuyoshi Nomachi氏については何も知りませんでした。

ただこのとき「写真というのは、言葉がわからなくても、世界共通語になるんだ」と気がつき、漠然とですが、写真はいいなと思ったのでした。その後、日本に帰国した俺は、だんだんと写真に興味を持っていったのですが、この経験がきっかけだったのは間違いありません。

ただ、俺は「写真家」という職業を目指したわけではなかったように思います。当時は旅をして写真を撮るのが面白かったのです。結果として「写真家」になったのは、運が良かったとか、不安定な生活を気にしない俺の性格とか、他にやることがない、やれることがない(これ、大切)とか、いろんな要素が合わさってのことだと思います。(いまだに「写真家」という職業にはあまり関心がありません。と、書くと、「冗談でしょう?」と言われるので、これ以上書きませんが、ほんとうなのです。「職業」ではないんです、しつこいようですが。じゃぁ何で「写真家」と名乗っているかといえば、わかりやすく、便利だからです)

俺が写真家として活動を始めたころ、野町氏に会う機会がありましたが、ドキュメンタリー写真家としては、世界的にも有名な人になっていました。

ある意味、俺の人生を狂わせてくれた「恩人」でもあるし、今でも日本人のなかでは一番好きな写真家のひとりです。

Ya_2野町和嘉氏のホームページ


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2006/09/17

コマーシャル「こんな平和見たことがない」

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(写真は、青海省のサーカス)

おととい、「谷地どんが祭」について記事を書いて、どんな写真を使おうかなぁと考えたとき、中国ではよく祭りになると、サーカスがやってきていたなと思い出し、ファイルをあさっていると、青海省ウーランという町で行われた「ナーダム祭」の写真を見つけました。それが、おとといと今日の写真です。

「ナーダム祭」はモンゴル族の夏の祭ですが、大草原に会場が作られ、いろんな屋台、見世物小屋、サーカス小屋などが立ち並びます。おとといの写真は、そのサーカス団の呼込み嬢ですが、スピーカーから中国製のディスコ音楽が流され、若いお姉さんが、腰をくねらせて壇上で踊ってみせていました。

そのお姉さんの妖しい踊りに釣られて中に入ったのですが、普通のサーカスでした。(俺は何を期待していたんだぁ?)

出し物はいくつもありましたが、すごいと思ったのは、今日の写真の「馬乗りする虎」でした。「馬乗りするライオン」というのもありました。かなり訓練されているんでしょうね。

そして、これからが今日の本題なのですが、この写真を見て、あるテレビ・コマーシャルを思い出したのです。

ライオンとシマウマが抱き合い、ガゼル、アフリカ象、マサイ族が 涙を浮かべながら眺めているというもの。「こんな平和見たことがない」というキャッチコピーの「パチンコ・スロットの平和」のコマーシャルです。知らないですか?

「でも、待てよ」と、ひねくれ者の俺は思いました。このライオンは、友だちを装って食べる隙を狙っているんだろう。シマウマはライオンの顔色を伺って、逃げる隙を狙っているんだろうとしか思えません。だから、このシーンを見ると、俺は緊張します。いつ、この均衡が破られるのだろうかと。

もし仮に、ライオンが本心からシマウマと抱き合って餌にしなくなったとしたら、そんな動物界は「平和」なんでしょうか?

いや、制作者の意図は、こういうことかもしれないですね。このシーンに「平和」だと感じる日本人自身が平和なんだよと、強烈に皮肉っているのかもしれません。きっと、そうです。


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2006/09/16

昭和の味、河北町ふう「お好み焼き」

Ya_22008年のどんが祭りについては、こちらで


060916

今日から山形県河北町の「谷地どんが祭」が始まっています。昨日記事を書いてから、子供のころのいろんなことを思い出しました。

どんがどっとjpに、ライブカメラも設置されているので、これでも見ながら祭に行った気になっています。(小雨か。傘さした人が見える)

Ya_2「2006谷地どんが祭」

八幡宮の境内に、昔は、見世物小屋やお化け屋敷が立ったのですが、今はどうなんでしょうか。食べ物の屋台は出ているようです。「お好み焼き(どんどん焼き)」や「わた飴」や「焼きそば」などありましたねぇ。

ところで、俺は大学まで山形に住み、そのあと東京に出ました。すぐアルバイトを始めましたが、そこで働いていたのは、日本各地の出身者でした。あるとき、彼らと「お好み焼き」の話になりました。そこで知ったんですよね。「お好み焼き」って、形が違っていたんだぁと。

河北町(山形県も?)で「お好み焼き」と言えば、ソーセージ・海苔をくっ付けたクレープ状のものを割り箸に巻いて、ソースを塗ったものだったのです。今のように食べ物番組もなかったので、山形以外の食べ物についての知識はありませんでした。だから、生まれてからずっとこれが「お好み焼き」だと思っていたし、もちろん日本全国同じ形だと思っていました。

このとき、「それは違うよーー」と、みんなから馬鹿にしたように笑われたとき、初めて河北町の「お好み焼き」が、すごく例外的な形をしているんだと知ってショックを受けました。俺は井の中の蛙だったんですね。

久しぶりに思い出したので昼飯に作ってみました。それが上の写真です。小麦粉を水で溶いた生地の中に、ネギや紅ショウガも入っていたかもしれません。忘れました。今日は、何も入れずに作りました。そして、なかったので青海苔も省略。誰がなんと言おうと「お好み焼き」はやっぱりこの形です。

それにしても、なんて素朴な食べ物でしょうか。昭和の味がしました。みなさんも作ってみてください。


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2006/09/15

「谷地どんがまつり」が開催

Ya_22008年のどんが祭りについては、こちらで

060915
(写真は、中国青海省の祭のサーカス呼込み嬢)

9月16日(土)から9月18日(月)まで、俺の出身地、山形県河北町で「谷地どんがまつり」が開催されます。

奴行列や御輿還御の2kmにも及ぶ行列。囃子屋台と呼ばれる山車が町の中を練り歩きます。八幡宮では林家舞楽奉奏、どんが餅つきの公開もあります。林家舞楽は、国の重要無形文化財に指定されています。

昔は祭が1週間も続き、「谷地のばか祭」と呼ばれていたという話を両親から聞いたことがあります。「山形の三大祭のひとつ」とも呼ばれていたようです。それだけ盛大な祭でした。俺たちが小学生のころは、祭の期間、学校は休だったかな。

お化け屋敷やサーカスがやってきて、子どもにとってはわくわくする数日間でした。格子状になった鉄球の内側をバイクが疾走するやつとか。みなさん見たことないですか?

今でも一番強烈に覚えているのは、地面に井戸が掘ってあり、覗くと、10mほど下に、「人魚」がいるという見世物でした。どう考えても、地面に10mもの穴を1日で掘るのは無理だと思うので、鏡かなにか使ったトリックだったのでしょうが、小学生の俺はそんなことに考えが及ぶほど賢くはなかったし、まぁ、自分で言うのもなんですが、要するに田舎の素朴な子どもだったので、すかり騙されてしまいました。

とにかく、不思議でしたねぇ。しかも、お姉さんがけっこう子どもには刺激的な格好でもあったわけで、俺と友だちは、口を開いて凝視していたのではなかったでしょうか。

そしてさらに衝撃的だったのは、その「人魚」が魚の鱗を脱いで立ち上がり(なんと、足があった!!)、縄梯子のようなものを2、3段上って裸電球の紐を引っ張り、電気を消して真っ暗にしたのでした。それでショーは終り。覚えているのはこんな感じなのですが、いったいどういうトリックだったのか、そしてお姉さんがどうして鱗を脱いでしまったのかは、今もって謎です。

今は、どんが祭の期間も縮小されましたが、祭のエネルギーに衰えはありません。(と、書きながら、俺はもう20年以上、見たことないですが)

近くの人は、ぜひ行ってみてください。もし、その「人魚」が来ていたら、教えてください。

詳しくは、地元の有志がたちあげたホームページ「どんがどっとjp」をご覧ください。

Ya_2「どんがどっとjp」

Ya_2「2006谷地どんが祭」


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2006/09/14

山形は、もっとも進んだ環境県民

060914
(写真は山形県大石田町)

山形県出身者の俺には、耳ざわりのいいニュースがありました。山形県の一人一日当たりのごみ排出量が2004年度、884グラムで、全国で一番少ないそうです。こちらのブログで知りました。

Ya_2「天使のたまご」

昔は、紙などの燃えるゴミは、庭のドラム缶で燃やしていましたね。今はどうでしょうか。いろいろと問題があるので、禁止されているかもしれないですが。

ごみが少ない要因について、

(1)集団回収の徹底やマイバッグ運動の推進など地道な取り組みの成果
(2)モノを大事にする県民性
(3)ごみを土に還元しやすい農村部が多いこと

をあげています。俺がうなずけるのは、(2)ですね。モノを大切にする、つまり、なんでも「もったいない」と思ってしまうのです。もともと貧しいところだったからかもしれません。

少し前まで、これは「ケチ」と言われた性質です。実際今でも「もったいないなぁ」と内心思っても「ケチって言われると嫌だなぁ」と考えてしまい、黙っていることも多いですよ。

でも、ますますこれが「トレンド」になっていけば、大いばりで「もったいない」と言えるわけです。世の中変われば変わるもんです。

そういえば、最近「もったいない」運動がトレンドになりつつあります。ケニア出身の環境保護活動家であり、ノーベル平和賞受賞経験者のワンガリ・マータイさんが、日本人の「もったいない」の考え方こそ、環境問題を考えるにふさわしい精神として、世界へこの言葉「MOTTAINAI」を広めようとしているらしい。みなさんも聞いたことあるのではないでしょうか。
ウィキペディア参照)

ということはですよ、この「もったいない」精神を一番理解して実践しているのが山形県民だと言っても過言ではないでしょう。そして山形県民の中でも貧乏な我が家(物の消費が少ない)が、さらに「進んだ」家族だと・・・。

ただ、俺はひねくれ者なので、みんなが「もったいない」と言い始めたら、言わなくなるかもしれません。さんざん消費文化を謳歌しておいて、何を今さら・・・、と思う気持ちもあるしね。そして、田舎が嫌いで飛び出したはずの俺が、今さら山形県民と名乗るのも、なんだかヘンだよなぁ。


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2006/09/13

『中央公論』10月号にイラン・マースーレの写真掲載

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(イラン・マースーレ全景)

お知らせです。

『中央公論』10月号に「イラン・マースーレ村」の写真が3ページで掲載されています。最近何かとニュースになるイランですが、国内は、治安はいいし、親日的で親切な人たちにもたくさん出会います。

マースーレ村は、カスピ海に面したイラン・ギーラーン州の山間部にある村ですが、ここが特徴的なのは、民家が階段状に建っていて(まるで棚田のようです)、前の家の屋根が後ろの家の通路になっているんです。

イラン人にも人気の観光地になっているらしく、行ったときはイランの休日ということもあって、たいへんな混雑でした。民宿もあるので泊まることもできます。ただ、ちゃんとした案内所のようなところはないので、雑貨屋で紹介してもらいました。

普通の民家の1室を借りるのですが、ちゃんとシャワー室もトイレも家の中にあったので、とりあえず快適です。窓からの眺めもいいですよ。

いったいだれですかねぇ、イランを「悪の枢軸」なんて呼んだのは。ここが「大量破壊兵器を保有し、世界に脅威を与えるテロ支援国家」だそうです。ずいぶんと怖いイメージを植えつけられたもんです。

窓から顔を出して下を覗くと、ロバを連れた老人がのんびりと歩いていき、おばあさんと立ち話を始めました。


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2006/09/12

斎藤佑樹投手の話

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(写真はマダガスカルのカメレオン)

「ハンカチ王子」こと、斎藤佑樹投手が大学進学を決めました。ヨンさまと同じような香を漂わせながら、相変わらずもてはやされています。

俺は、甲子園で優勝したとき、彼の実力に拍手を送りました。今でも、それは変わっていません。ただ、その後の、まわりのもてはやし方には、ちょっとついていけないものを感じます。もてはやされたことのない俺のひがみ根性だと言われても仕方ありませんが。実際、ひがみがまったくないと言ったら嘘になります。確かに、あります。

「ハンカチ王子」にする教育方法が注目されているそうです。でも、同じ家庭環境に育ったとしても、違った性格になるのは、兄弟姉妹を見ればはっきりしているでしょう。いくら、彼の家庭のように教育しても、彼のような若者にはなかなかならないんです。やっぱり、彼のもともと持っている素質というか、性質だからそうなっただけで、教育を受けても、努力しても変わらない部分はあるわけです。それこそ「個性」と「運」ですよね。

そして、仮にその教育方法で、青年がみんな彼のように、爽やかで、礼儀正しく、素朴な人になったらどうですか? 気持ち悪いでしょう、そんな世の中。いろんな人間がいるからいいのであって、いわゆる「いい人」だけで構成される社会なんて、そもそもありえないし、あったら怖いです。

個性や才能は、教育や努力でどうなるものでもない部分を含んでいます。(100パーセントとは言ってないですよ) 俺もいろんなコンプレックスを抱えているので、よくわかります。努力すればどうにかなると思いたい。でもそうではない。辛いですが、それが現実です。

みんな斎藤投手と比べられ始めている中学生、高校生は可愛そうです。どうして彼みたいにならなきゃなんないのか?と考えると思いますよ。そもそも親が斎藤投手のような人間じゃないのに、子どもにだけに期待するのはどうなんでしょうか。人と比べられるのが嫌だし、俺なら絶対反発しますね。きっと、わざと定職にもつかないで、旅する人になってやります。(あれ? なってるね)

Ya_2斎藤佑樹投手の話 2

Ya_2自爆テロ国家「北朝鮮」と、危ういトレンド国家「日本」


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2006/09/10

飲酒運転について

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(この写真は、中国新疆ウイグル族のナイフ)

昔、イスラエルをヒッチハイクでまわっているとき、死海のほとりで野宿した翌朝、道路に出たら、ちょうど車がやってきたので手を挙げました。

車が止まり、乗り込んで俺は「あっ、まずい」と思いました。運転席わきには、ビールの小瓶が5、6本並んでいたのです。空になったビール瓶でした。ドライバーのおじさんはもうかなり酔っていました。エジプトへ抜けようとしていたので、「エラートまで」と言ったのですが、おじさんはろれつの回らない口で、「あんたが行きたいところ、どこへでも」と英語で言ったのでした。

おじさんは、車を出しました。レンタカーで旅行しているアメリカ人でした。イスラエルの死海ほとりの道は、幅も広く、車も少ないので、なんとかこんなおじさんでも運転できたのです。

しばらく走ったとき「あんた、運転代わってくれ」と命令口調で言い出しました。「免許証持ってません」と言うと「いらない。大丈夫」と言うのです。もうおじさんは酔いがまわってべろべろだし、砂漠の真ん中で、人家もなく、これは俺が運転したほうがいいかなと思い、代わることにしました。

もちろん、俺は外国で車を運転したのも初めてだし、左ハンドルも初めてでした。おっかなびっくりで始めた運転でしたが、慣れると、気持ちよくなりました。こんなに走りやすい道は日本にはなかったからです。

ある村を通過したとき、ヒッチハイカーがいました。おじさんは「乗せろ」と命令しました。俺は車を止めて彼らを乗せました。彼らは俺に「どこまで行くんですか?」と聞いたので、「この人に聞いてくれ」と俺は、おじさんの方を向きました。彼らが怪訝な顔をしたので「車はこの人が借りたもので、俺はヒッチハイカーなんだ」と言ったら、ますますわけがわからないといった顔をしました。

それで不審に思われたのか、彼らは「ここでいいから」といって、すぐに降りてしまいました。

その日、いろいろあって(軍隊ごっこをするおじさんでした。完全にイカレテいました)、途中検問もありました。無免許だったので、なんか言われると思って心配していたのでしたが、検問していた警官(兵士?)も「あなたが運転して来て良かったですね」と同情してくれたのでした。

エジプトとの国境の町に着いたとき、やっとおじさんが俺を解放してくれました。酒の酔いもさめて、だんだんおとなしくなってきました。酒を飲まないと、こんなにもいい人だったのかと、そのギャップに驚きました。

おじさんは、運転を代わり、国境まで乗せてくれました。そして俺が車を降りたとき、ちょっと寂しそうでした。軍隊ごっこがやれなくなった寂しさだったのかもしれません。

福岡の飲酒運転で子供3人死亡させた事件以来、飲酒運転の報道が多くなっています。酒に酔って包丁を振り回す男は、みんな恐ろしいと思うし、すぐにニュースにもなるのに、今までは、飲酒運転に関してはそれほどニュースにもなりませんでした。でも、酒に酔っ払って凶器を振り回すという点では同じようなものなんですよね。日本人の飲酒運転に対する意識はこれから変わっていくのではないでしょうか。


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2006/09/09

やっぱり、アメリカが「冥王星」に抗議

060909
(この写真は雲南省大理アルハイ湖畔の村と星空)

冥王星騒動ではさんざん記事を書いたのですが、今日の話題が、また冥王星の話です。すみません。

国際天文学連合(IAU)の惑星定義の会議で、冥王星は惑星ではないと多数決で決まり、決着がついたと思われました。ところが、やっぱりというか、アメリカが今さら抗議しているらしい。

「格下げは「間違い」米科学者が批判、続く冥王星騒動
国際天文学連合(IAU)が冥王(めいおう)星を惑星から“格下げ”した定義を決定したことについて、米国の有力な惑星科学者、アラン・スターン博士が「明らかな間違い」と強く批判した。
米科学誌サイエンス電子版が1日、コメントを掲載した。スターン博士は本紙の取材にも応じ、「IAUの惑星定義は、技術的にも言語表現としても欠陥がある」と指摘。冥王星を発見した米国での反発は依然根強く、同誌は「冥王星を巡る争いは終わっていない」としている。」
(YOMIURI ONLINE より引用 http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060902i503.htm)

さすが冥王星を発見した国。アメリカが冥王星に持ってる愛着はそうとうのものらしいですね。記事によると、スターン博士は、冥王星探査機「ニューホライゾンズ」を打ち上げた探査計画のリーダーだそうです。意地でも「惑星探査機」にしたいのでしょうか。

それにしても往生際が悪いというか、アメリカ人が好きな「民主的な方法」で決めたのにねえ。

それなら、アメリカに提案です。アメリカは国際天文学連合(IAU)を脱退して、独自に「冥王星は惑星」としたらいいじゃないですか。自分の思い通りにならないものは「悪い」と考えるアメリカにはふさわしい解決法だと思いますが。


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2006/09/08

「摂理」警戒注意報

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(これは雲南省ジンポー族教会に置いてあった賛美歌集)

「摂理」の教祖は韓国人の鄭明析(チョン・ミョンソク)。アジア各地で女性信者に対する性的暴行事件を起こしていますが、今は行方不明だそうです。オウムから10年、またこういうものが表に出てきました。

「摂理」は、サークル活動で信者を増やしてきたそうです。日本では1985年ころから活動し、信者約1600人。ほとんどが若者たちだといいます。

元信者の告白というのをラジオでやっていました。彼女も自分はこういう妙な宗教にはひっかからないと自信があったといいました。ただ、そこが「摂理」のうまいところで、ほんとに「普通のサークル」のように見せて、人間関係を深めていき、引きずりこんでいったらしい。「普通」だから彼女は信じ、「私が信じるものは大丈夫」と、逆にその自信があだとなってしまったようです。

「私は大丈夫」と自信がある人。そういう人が一番危ないんですね。

実は、大学を卒業して、東京に住み始めて間もなく、ある駅前で声をかけられて、近くにのマンションに連れていかれたことがあります。それが宗教の勧誘だと知っていたかどうかは覚えていません。勧誘してきたのは女性だったので、若気の至りで、多少スケベ心もあったでしょう。あと、何でも知りたいという好奇心、それと、この「勧誘」自体田舎の学生には無縁だったので、そこに「都会」を感じて着いていったのかもしれません。

俺は田舎で生まれ育ち、へんな宗教の怖さも知らなくて、免疫はいっさいありませんでした。だから、今から思うと、よくもまぁ無防備にのこのこと着いていったなぁと思いますが、運良く被害に遭わなかったのは、ある理由があったからなのです。

マンションの部屋に入ると、中には数人の若者がいて、すごくにこやかに対応してくれました。そしてビデオが3台くらい置いてあり、そのひとつの前に座らされ、ビデオを見せられました。15分か20分くらいだったでしょうか。それは世界が破滅するという内容だったと思います。原爆とか、戦争で人が殺されるシーンなどあったようです。

その後、また1回行ったような気がするのですが、それ以上のことはありませんでした。幸いしつこい誘いもなかったです。いや、あったのかも知れませんが、そのとき、俺の頭の中には「外国へ旅に出たい!」ということだけしかなかったので、他のことに興味が沸かなかったのです。だから熱心に勧誘されていたとしても、俺は聞き流していたのかもしれません。なんの宗教だったのかさえ、覚えていません。オウムかな。

言ってみれば、「旅」が救ってくれたと言えなくもないのです。それだけ旅をしたい気持ちは大きかったのでしょう。いや、宗教団体側が「こいつはだめだな」とさじを投げただけだったのかもしれませんが。

人のスキをついてきます。気をつけないといけません。


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2006/09/07

『東京棚田フェスティバル』開催!

060907
(写真は、雲南省元陽の棚田)

情報です。

『東京棚田フェスティバル』開催!

2006年11月11日(土) 12:00~18:00
会場:大塚商会本社ビル(東京・飯田橋)

11月11日なので、まだ先の話ですが、東京棚田フェスティバルは、「東京で棚田の収穫祭がやりたいね」「都市の人たちが棚田に出会う機会がほしい!」「棚田を守る農家と棚田ファンの気軽な交流の場を」などの思いから生まれた、NPO法人棚田ネットワークの発足十周年記念イベントです。

嬉しいことに、全国の棚田地域から郷土料理屋台や物産展が大集合します。俺の出身地山形の「笹巻き」(現地発音では、「ササマギ」)や、岐阜県恵那市坂折棚田保存会の「五平餅」や、新潟県十日町市池谷の「新米のおにぎり」や、静岡県松崎町の「黒米うどん」なども出るらしい。楽しみです。

また、迫力!躍動!の伝統芸能&創作舞踊も披露されます。
『能登半島・輪島市に伝わる御陣乗太鼓熱演!』
『鴨川・里舞グループ「オリザ」の華麗なる舞』

俺も、参加します。アジアやアフリカの棚田と人々を撮影したスライドを映しながら、話をします。棚田撮影旅行の裏話みたいなのも飛び出すのではないでしょうか。

お問い合わせは、棚田ネットワークまで。(イベント手伝ってくれるボランティアと協賛団体も募集中です)

Ya_1棚田ネットワーク

また日時が近づいてきたら、あらためてお知らせします。

Ya_1 『東京棚田フェスティバル(2006/11/7)』

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2006/09/05

『家庭画報』10月号に棚田の写真掲載

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(この写真は、福岡県うきは市つづら棚田で撮影したものです)

情報です。

『家庭画報』10月号に、「稲穂そよぐ棚田へ」というタイトルで、秋の棚田の写真が5ページで掲載されています。女性誌らしい写真の組み方になっているのではないでしょうか。

主な撮影地は、福岡県うきは市つづら、山形県山辺町大蕨の杭掛け、岐阜県恵那市坂折などの棚田です。

機会があったら、見てみてください。


  ■家庭画報ホームページ


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2006/09/04

ライブドア元社長、堀江貴文氏がネクタイをして出廷

060905
(マダガスカル・チンバザザ動物園にて)

今日は元ライブドア社長の、堀江貴文氏の裁判が始まり、朝からニュースでさかんに取り上げていましたね。

その中で、堀江氏が法廷では青いネクタイをしているという報道がありました。公の場でネクタイをしたのは初めてらしいのです。

ネクタイというものの不思議さを感じます。単にファッションというのではなく、ネクタイを着ける、着けないかは、「公」と「私」、「ハレ」と「ケ」、「フォーマル」と「カジュアル」、「真面目」と「??」、「誠実」と「??」などを分ける「標識」、あるいは、もうひとつの「言葉」と言ってもいいでしょうか。着けることで、「私は、きちんと誠実にやります」と宣言することになるのでしょう。堀江氏も、とうとうこの「言葉」を使わざるをえないほど、土壇場にいるということでしょうか。

最近は「クールビズ」とやらで、ノーネクタイを推奨する動きもあります。ただ、特に営業マンは、スーツ、ワイシャツ、ネクタイが正装だそうで、ネクタイをしないと失礼に値するといいます。

俺はサラリーマンの経験もないし、ネクタイをする機会は、人が死んだときに黒いネクタイをするくらいなので、その感覚がわかりません。仮に相手がネクタイをしていようが、していまいが、ぜんぜん気にしないし、していないから「失礼だ」とか「信用がおけない」などとも感じたことはありません。(仕事柄しかたないでしょうね)

だから、そういうことを気にする人からみたら、俺もかなり「失礼な」服装でいる場合があるようです。ネクタイ着用までは必要なかったのですが、数年前、ある会にすごくラフな格好(Tシャツにジーパン。汚くはなかったですよ)で出たら、あとで、言った本人ではなくて、間接的に、それを聞いた人から又聞きしたのですが(ここがまた日本人的!)、「あの服装はなんだ?」と、ある人が非難していましたよと聞いて、少しショックでした。

俺としては、まったく礼を失するほどひどい格好ではなかったと思うのですが、やっぱり服装を気にするする人がいるんだなとあらためて思ったのです。俺にはそのもうひとつの「言葉」がわからない。同じ日本に住んでいても、完全にこの人と文化が違うんだなあと実感しました。

たぶん、これからもずっとこんな生活スタイルでしょうが、反面、ネクタイに憧れがないこともありません。機会があったら着けてみたいですね。「似合わない」と言われるのは必至ですが。


 ■以前書いた記事「ぼく、フォリエモンです。」(2006/1/26)


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