斎藤佑樹投手の話(2)
(写真はマダガスカル・キリンディー公園のレムール)
斎藤佑樹投手の話は先日も書きましたが(「斎藤佑樹投手の話」2006/9/12)、そのあと、気になることがあったので、ふたたび書いてみます。そのひっかかる部分、うまく伝わるか。とにかく書きますね。
斎藤佑樹投手がテレビのインタビューを受けている顔を何度も何度も観ているうちに(暇だねぇ・・・)、突然、太平洋戦争で死んでいった若い兵士とオーバーラップしたのでした。そして彼らがアメリカ遠征に出発するとき集まった人たちが、「お国のために、りっぱに戦ってこいよ!」と言って、旗を振って戦場に送り出す人たちとオーバーラップしたのでした。
どうしてそんなふうに思ったのかなぁ。彼の髪型や昭和初期を彷彿とさせる容貌? そんなのも影響しているかもしれません。ただ、こんな素直な青年たちが戦場に送られたんだろうなぁと想像しました。
彼は、素直で謙虚で思慮深い真面目な青年です(と思います)。戦後民主主義教育の「最高傑作」かもしれません。でも、何かが引っかかるのです。
ハチャメチャな青年、亀田興毅選手と斎藤佑樹投手。水と油のように対照的なふたり。でも、一歩引いてふたりを眺めると、「素直な親思い」という点で同じように見えてしまうのは俺だけでしょうか。(亀田選手が親思いだという話は、過去の記事「作られたキャラクター、「亀田興毅」」(06/08/04)に書いています) 彼らほど親の言うことを素直にきく青年もいないのではないかと思っています。いや、今は、けっこう素直な青年が多いのではないでしょうか。
たぶん、俺が引っかかったのは、青年の「素直さ」「純粋さ」などが、「脆さ」「危うさ」に簡単に変わってしまうこともあるのかもしれないなぁという点かもしれません。斎藤佑樹投手個人の話ではなくて。日本人全体の話なんですね。日本人は、あるきっかけがあると一方向に流れてしまう性質を持っていると俺は思っています。トレンドに弱いのです。もっとも、彼らの心の内側は知る由もありませんが。あくまでも、想像です。
じつは、俺も外見的には「素直で真面目な親思いの子ども」でした。だから、なんとなく引っかかるのかも。(外国を旅してから、180度変わったわけですが) 親や先生が求める息子像、生徒像を敏感に感じ取って、それを演じるようなところのある子どもだったので、「素直で真面目」は「見かけ」に過ぎなかったわけです。(最近、そういう子どもが親を殺したりします。この件について、そのうち記事を書こうと考えています)
何度も言うようですが、これは斎藤佑樹投手個人の話ではなく、ひっかかる部分、漠然とした感じですが、わかってもらえたでしょうか。日本人のトレンドに弱い部分でしょうか。
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