20年前の中国(4) 漢民族と少数民族のイメージ
(写真は中国鄭州)
1980年代中頃は、ようやく中国旅行が個人でできるようになってきた時期で、外国人バックパッカーは、香港でビザを取って入国するのが一般的でした。ただ中国人(実際は、漢民族)との喧嘩が絶えず、だから漢民族が、俺たち外国人に、あるイメージを抱かせてしまっていました。
それまで俺たちが持っていた中国に対してのイメージは「悠久の歴史」とか「大陸のおおらかさ」とかそんな漠然としたものしかありませんでした。NHKの「シルクロード」が作り上げたイメージは大きなものでした。でも、それは中国という土地に対してのイメージではありましたが、「今の中国人」に対するイメージは、ほとんどなかったといっていいのです。
実際中国に来てみると、まったく度肝を抜かれてしまい、「悠久の歴史」だの「大陸のおおらかさ」だの、いっぺんに全部ふっとんでしまいました。どこへ行っても人人人・・・の大洪水。しかも、文化大革命が終わって10年経っていましたが、人心が荒廃した人の群れでした。
旅行者たちは、「没有、没有(メイヨー、メイヨー(無い、無い)」だけ聞かされ鉄道切符が買えないと嘆き、ホテルをたらい回しされると文句をいい、従業員の態度が悪いと怒っていました。食堂の中でさえ、平気で啖と唾を吐き、とくに日本でならすぐ女優にでもなれそうな美人が目の前で「カーッ、ペッ!」と啖を吐いたときには、人間不信に陥るくらいショックを受けて、啖唾のためにヌルヌルした床に滑りこけると、周りの中国人から嘲笑される惨めさに泣きそうになりました。
ウンコが山盛りのトイレは囲いもなく汚く臭く、他人に排泄行為をジッと見られてウンコをしたことがないひ弱な俺たちは、すぐ便秘になって体調を崩し、町ではしょっちゅう喧嘩を見て、「もうやだーッ!」と叫んで逃げ出す外国人旅行者もいたくらいです。
「だれも英語をわかってくれないョ」とシクシクと泣いている欧米人旅行者に、俺は実際に会ったことがあり、「あんたたち欧米人でもどうにもならない国が世界にはあるんだぞ。思い知ったか?」と、そのときだけは中国人に裏で拍手を送り、屈折した喜びに俺は打ち震えたものでした。(日本人は漢字で「筆談」ができたので、欧米人よりは有利でした)
それはともかく、外国人バックパッカーたちは、旅行が自分の思い通りにならないもどかしさから来るストレスを、中国人(実際は、漢民族)の悪口を言い合うことで解消していました。だからバックパッカーが集まる宿のドミトリーは、いつも悪口で盛り上がっていたものです。
どうも、中国やインドなど、酷い目にあわされる確率が高い国を旅する旅行者同士ほど、結束力は強くなるようでした。戦場でいっしょに戦った戦友が、一生の友になるようなものなのでしょう。
でも、いわゆる、北京、上海などの大都市から、雲南省の田舎にやってくると、人が静かで比較的嫌な思いをすることがなく、そこから旅行者の間では「漢民族のいる大都市は嫌いだが、少数民族がいる雲南は好きだ」あるいは、もっと極端には「漢民族は悪くて、少数民族はいい」という、今から思えば作られるべくして作られたステレオタイプに陥っていたのです。
ここ20年で、このイメージがなくなったとは思えませんが、漢民族も生活に余裕が出たのか、かなり落ち着いてきたし、以前のような旅行のしづらさはだいぶ解消されてきました。俺たち旅行者も、カルチャーショックから立ち直って、冷静になり、漢民族も少数民族も、誰だっていいこともやれば悪いこともやる、という当たり前のことに気が付きました。
ただ漢民族が「没有」を言わなくなり、外国人と喧嘩しなくなって、良かったかもしれませんが、俺は一抹の寂しさを感じるのです。漢民族とぶつかっていたのは、良くも悪くも子供のように「正直」だから、という面はあったと思います。今は、「大人になってしまった」ということでしょうか。もちろん「お互いに」ですが。
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