秋の味覚。マツタケ
(写真は雲南省シャングリラのチベット仏教寺院、松賛林寺)
「秋の味覚。マツタケ」。マツタケ食べて「日本の秋はいいなぁ」としみじみする季節なのでしょうねぇ。
でも、ほとんど庶民が食べるのは、北朝鮮産と雲南産でしょ。「北朝鮮の秋」と「雲南省の秋」は、確かに感じられるかもしれません。(今年は国内産が大豊作とのことですが・・・)
10年ほど前、雲南省の中甸を訪ねました。中甸は、2002年5月、「香格里拉(シャングリラ)」と改名されました。「シャングリラ」とは、1933年に英国の作家ジェームス・ヒルトンが発表した小説「失われた地平線」 に出てくるチベットの山奥にある謎のラマ教寺院「シャングリラ」(サンスクリット語で理想卿の意)のことで、現在では「桃源郷」や「理想卿」を意味する言葉になっています。その小説に出てくる名前を地名にしてしまう中国は、すごい!!
まぁ、それはともかく、当時、中甸では、日本にマツタケを輸出して金持ちになった人たちの家を「松茸御殿」と言っていたようです。日本様様だったのですね。その後、マツタケは年々乱獲されて、取れる量が少なくなっているという話も聞きます。
日本が買ってくれるまでは、価値がない食材で、地元民は取りませんでした。取ったとしても、他のキノコと同じ程度の価値しかなかったようです。
だから、俺が地元の食堂で、マツタケの炒め料理をたらふく食べたことがありましたが、高くはなくて、普通のキノコ料理と同じ値段で食べることができました。中華風に炒めてしまうと、マツタケ特有の香りは感じなくて、もったいない気がしたのですが、そこは日本人の持つ特殊な香り文化のせいであって、地元民にはただ黴臭いだけだったかもしれません。今は、どうでしょうか。日本人の影響で焼いて食べる人もいるのかもしれませんが。
それにしても、日本人がマツタケを「秋の味覚」といって欲しがったことが、雲南省の山中の町の様子を一変させたというのはすごい影響力です。もちろん、変わったのはマツタケのせいだけではないし、変わったことが良かったとか、悪かったとか、俺が言えることでもありませんが。
ただ、日本人の庶民がささやかな食材を求めることさえも、地球のどこかを劇的に変化させるだけの「力」を持っているんだということを、ちょっと恐ろしく感じるだけです。ただ、日本人はすでに食糧の半分以上を外国からの輸入に頼っているわけで、そんな事をいちいちに考えていたら、おいしいものもおいしく感じなくなってしまうので、「鈍感に」ならざるをえないということなんでしょうねぇ。
「庶民以下」の俺は積極的に「マツタケを食べたい」と思ったことはありませんが、でも、もしどこかで出されたら、俺だっておいしく食べるだろうし、「雲南」や「北朝鮮」よりは、「日本の秋」をしみじみ感じてしまうのです。
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