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2006/12/31

チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (3)

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『ココシリ』の映画の中で、北京から来た記者が、山岳パトロール隊と、ウサギのモモ肉を食するシーンがありますが、とても印象的でした。俺にも似たような体験があったからです。

昨日のブログにも書いたチベット人のガッデさんは、メコン源流から村へ帰る途中、友人の天幕住居に寄っていこうと誘いました。少しの時間ならいいだろうと、お邪魔しました。でも、なかなかガッデさんは腰を上げようとしませんでした。

村に帰りつくのが夜になってしまわないかと心配になって、俺が「時間がないよ」と腕時計を指さすと、「いい時計だね。いくらした?」と、彼はまったく時間など気にしてないようで、ヨーグルトやヤク肉を、他人の家とは思えないほど遠慮なくたらふく食っていました。

これがチベット人の習慣なのでしょう。いらいらしても仕方ないと、俺もついに諦めて、ガッデさんといっしょになって、ゴム・タイヤのようなヤクの干し肉をナイフで一口大に切り、チューインガムのようにクチャクチャとしばらく噛み続けても柔らかくならないので、結局は飲み込んでしまうということを、何度か繰り返しました。

映画でも食事のシーンが何度か出てきます。チベット人たちは、北京の記者のナイフの使い方を注意します。「ナイフの歯は自分の方に向けるんだ」と。たぶん、食事以外でも、人に歯を向けないというのが彼らの礼儀なのでしょう。だから向けるときは、よほどのときで、「敵意」を表すということではないでしょうか。

密猟者を何日も追いかけて、食料がなくなったとき、ウサギを獲って食べるのですが、皮を剥いだだけのモモ肉が記者に渡されます。生肉を食べるのです。最初、躊躇しますが、結局食べます。チベット人たちの中で記者が「お客」から「仲間」に変わった瞬間です。

「仲間」などというのは、こちらの勝手な思い込みなのかもしれませんが、でも、少なくともこういうとき食べ物を断らないほうが、彼らに近づきやすいとは言えるでしょう。(もちろん、食べられなかったら、断わりますが)

雲南や貴州では「ブタの生肉」がごちそうで、冠婚葬祭でだされます。そのとき、村人は、じっと俺の様子を観察しているのがわかります。食べると、嬉しそうです。拍手されることもあります。反対に、日本に来た外国人がナットウをおいしく食べるのを見ると、少し嬉しくなります。彼らと同じものを食べるのは、「腹を満たす」という実質的な意味ばかりではなくて、精神的な、一種「村入りの儀式」でもあるようです。

メコン源流の話に戻ります。

思わぬところで時間を食ってしまい、夕方になってしまいました。ガッデさんの友人宅を出て、ザナチュの川床を渡り向こう側の岸に上る。そこで俺が写真を撮っている間、10m離れたところでガッデさんはウンコをしていました。食い過ぎでしょうか。

また雲行きが怪しくなった空を忌ま忌ましく見上げ、再び馬にまたがりました。ガッデさんは、馬の脇腹を両足で思いっきり蹴ると、勢いよく走り出しました。彼からロープで引かれた俺の馬も走り出します。カメラは背負ったバッグの中でガタガタと踊りだし、俺の体の中は胃も腸もいっしょに混ざってしまうほど揺れました。

前日だったか、ヒツジの胃袋に詰めた牛乳を長時間コロコロ転がしていると、牛乳が分離してバターができると聞きましたが、まさにそのとき俺はバター製造器になっていたのです。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (2)


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2006/12/29

チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (2)

061229
『ココシリ』の映画の中で、山岳パトロールの隊員たちは、骨太な男臭いチベット人として描かれていました。俺もメコン源流を探して馬で旅したときも、こんな感じの現地チベット人にお世話になりました。

8月下旬でしたが、標高4200mほどの高原には雪が降り、馬は穴に足を取られないように、ゆっくりと注意深く歩いていました。ふと気がつくと、2人のガイドたちは俺の存在など忘れてしまったように、スタスタと馬を飛ばしていつの間にか視界から消えてしまい、残ったのは馬を引いてくれているガッデさんという男とふたりだけになってしまいました。

近道をするために一端ザナチュ(メコン川源流のチベット名)から外れて湿地帯を突っ切り、再びザナチュに出ると、源流を目指した時は全くの清水だった川の水が、見事な赤茶色の水に変わっていました。一日雨や雪が降っただけで、これだけはっきり水の色が変わってしまうのもすごいものです。

地元の人民政府で、数十年前から草地が減少していて、それが家畜を放牧するのに大変深刻な問題になっているんだと教えられました。草地がはがれて保水能力を失った赤い土は、雪解けの水や雨に打たれて流れだし、ザナチュの色を変えるのです。

いったいどうして草地がはがれていくのか、現地チベット人たちは、地球全体の環境変化についてはあまり知らないようで、不思議がっていました。地球の環境汚染とも関係するのでしょう。近代文明を拒むような厳しい環境のチベット高原ですが、文明は空からもやってくるのです。逃れられる土地はもうこの地球上にはありません。

地元の牧畜民が、こうして草原を失い、非合法と知りながらチベットカモシカの密猟に手を染めるということは、映画でも語られていたことです。

ところで、ガッデさんは、あるところで、馬を止めて、「俺の写真を撮ってくれ」と言いました。記念写真をくれとおねだりしているのかな?と思ったら、彼はこう言ったのです。

「あんたの家族に、俺の写真を見せてくれ。この場所にガッデという男がいて、いっしょにザナチュの源流に行ったと伝えてくれ」

その言い方が、頼もしく清々しかったのです。カッコよかったのです。俺はちょっと恥ずかしくなりました。この40歳ほどの、人民帽を被った大柄なガッデさんを眺め、ほんとにこんな人が世の中にいるんだなぁとうれしくなりました。そしてこんな人に会いたいために旅をしているのだと、あらためて実感したのでした。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (3)

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (1)


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2006/12/28

チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (1)

061228
いい映画をDVDで観ました。

『ココシリ (原題「可可西里」)』
監督  ルー・チュァン(陸川)
脚本  ルー・チュァン(陸川)
出演  ドゥォ・ブージェ(多布傑)、チャン・レイ 他

中国青海省でチベットカモシカ(チルー)の密猟者を追う山岳パトロール隊の攻防。実話に基づいた映画です。2004年東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞しています。最後の結末で、なんだか割り切れないもやもやしたものが残りますが、それも事実だとすればしかたないことだし、実際、現実というのは、不条理そのものなのでしょう。

100万頭いたチベットカモシカも、この物語のころの1996年には、わずか1万頭に減っていたそうです。彼らに同行取材した北京から来た記者の記事によって、その事実が明かされ、後の保護活動によって3万頭までに回復しました。

過酷で美しい大自然には圧倒されます。その中で、山岳パトロールのチベット人の男たちは、どうしてあれほどまでに密猟者を執拗に追い続けたのでしょうか。報酬もなく、仕事でもないのに、です。それは、この映画の背景にある事情を抜きにしては語れないのではないでしょうか。チベット人と漢民族との確執です。

この映画を観て思い出しました。実は、俺も縁あって青海省には、過去8回ほど行きました。そのうち2回は『メコン河』撮影のためです。映画のロケ地にもなっている歇武、玉樹、メコン源流の雑多にも行っています。そのとき、俺もチベットカモシカの群れに遭遇しました。

それと、チベットマーモットをたくさん草原で見かけましたが、チベット人のガイドは「街から来た漢民族が獲って毛皮を剥いでいく」と憤慨していたのです。穴の前で焚き火をし、反対側の穴から逃げようとするマーモットを捕まえるのです。それらしき漢民族にも出会いましたが、そのときは、それほど深刻な問題だとは思っていませんでした。いや、正直言えば、メコン源流がどこにあるか探すことしか頭になかったのでした。

今から思えば、あのチベット人ガイドの怒り方は尋常じゃありませんでした。チベット人にしてみたら、自分たちの土地が、よそ者に侵略され、荒らされると感じていたのではないかと思います。(その感覚は今も変わらないかもしれませんが) チベットの歴史的背景があります。

密猟者を取り締まり罰金を徴収し、皮を没収するパトロール隊員も、時々そのお金を生活費に当てています。もちろん非合法です。矛盾を抱えながら行っているのは、彼ら自身がよくわかっていることです。でも、ここを守るためには、それしか方法がないのだと記者に訴えます。

一方の、密猟者も、それしか生活する手段がないのです。草原は砂漠化して、牧畜業ができなくなった人たちが、密漁に手を染めていきます。皮剥ぎ職人のおじいさんは言いました。「人間より、カモシカが大事か?」と。この言葉に反論できません。重い問いです。

彼らの行動を高みの見物で覗き「それはいけない」と、何の躊躇もなしに言えるとしたら、よっぽどの幸せ者です。あるいは、おろか者です。こういう状況を作っている原因のひとつは、チルーの毛皮が高値で取引され、毛を加工した織物やショールを買っていた日本人などの外国人でもあったわけです。

青蔵(青海チベット)鉄道が開通し、チベットは、ますます中国化されていきます。生き残った山岳パトロール隊だった人間は、今、どのように感じているのでしょうか。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (2)

ところで、このルー・チュアン監督の、すごく気になる記事がありました。

「南京大虐殺」をテーマにした映画で、日本人の俳優募集ー中国
Yahooニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061223-00000015-rcdc-cn 参照)


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2006/12/26

初詣は、インターネットで参拝

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初詣は、ネット上のバーチャル参拝で済ませる人もいるんですね。

神社のネット参拝 神社本庁が注意喚起
全国約8万か所の神社を包括する神社本庁が、全国の神社に対し「信仰の根幹に関わる問題だから、もう一度考えていただきたい」と注意を喚起、ちょっとした論議になっている。
J-CASTニュース http://www.j-cast.com/2006/12/25004582.html YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20061218nt06.htm 参照)

この記事の中で取り上げられていた愛宕神社を「参拝」してみました。そしたら、どーってことないものでした。こんなんだったら、電網写真館のトンパ文字のページと大差ないでしょ? おみくじもあるし、スロットマシーンまであるんだから。

遊び心で、便利なように、身近に感じられるように、流行に乗ってネット化するというのも面白いじゃないですか。信じる人それぞれですからね。ネット参拝で「ご利益がある」と信じる人にとっては「ある」んだし「ない」と信じる人にとっては「ない」んです。

とても重要なこと、例えば、神前結婚式するのに、パソコンを立ち上げて神社のホームページを開き、それを前に式を挙げるカップルは(今のところ)いないでしょう。要するに、参拝したとしても、どうでもいいような程度の参拝の時だけだと思いますよ。

他人の信仰心はわかりませんので、ここではあくまでも「俺はこうする」と言うことしかできません。

「参拝した事実」がほしいのならネット参拝で済むのでしょうが、俺は、あのキリキリする冷たい空気を吸って、神社という(俺にとっては)非日常の場に立つことで、気持ちを新たにしたいと思っています。そのためには体を使うことが必要だから、実際に出かけて行って、甘酒や焼きそばを食べて胃袋を使わなければなりません。ネット参拝では、ものたりない。だから、ネット参拝には、あまり価値を見出せません。

でも、そういう信仰心の問題だけではなさそうです。

もし、バーチャル参拝が、正式に認められてきたら、きっと出てくるんでしょうね。「お賽銭」が「振込み」を指示するものだったりするページが。「あっ、これはアレと似てるなぁ」と思ってしまうのは、俺ばかりじゃないでしょう? 新手の振り込め詐欺。神社本庁は、それを恐れているのかもしれませんね。あるいは、お賽銭が集まらなくなるとか。

Ya_2初詣に行ってみたものの・・・「初詣の雰囲気」(2007/01/02)


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2006/12/25

クリスマスの奇跡 処女懐胎したコモドドラゴン

061225
イギリスの動物園で、世界最大のトカゲであるコモドドラゴンのメスが、オスとの接触がないのに卵を産んだそうです。処女懐胎したメスの「フローラ」は、聖母マリアになぞらえて、話題になっているそうです。

あまりにもグッド・タイミングで、クリスマスに合わせた「奇跡の話」かな?と、へそ曲がりの俺は疑ったのですが、そうではなかったようです。珍しいことにかわりありませんが、実際あることなのだそうです。不思議ですねぇ。

「脊椎(せきつい)動物の単為生殖は珍しく、報告例は約70種、全体の約0・1%程度にすぎないという。」http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20061220-132904.html 参照

インドネシアにコモドドラゴン(コモドオオトカゲ (Varanus komodoensis) )を撮影に行ったのは、今から4年前の2002年10月、ちょうどバリ島で爆弾テロが起こったときでした。コモド島からバリ島に戻ったその夜、テロは起こったのでした。

コモド島へは、バリ島からフローレス島まで飛行機で飛んで、船に乗り換え、島を目指しました。コモドドラゴンは、コモド島にいるのはもちろんですが、その隣のリンチャ島にもいるとのことだったので、寄ってみました。

それにしてもこの海はすごかったですね。小さな船で穏やかな海を進んでいくんですが、周りに点在する島々が、まるでチベット高原で見た山とそっくりなんです。海が山とそっくりだというのもへんな話だと思われるかもしれませんが、チベットも大昔は海だったというし、その当時の様子はこんな感じだったのではないでしょうか。

そのリンチャ島に到着し、船を下りて桟橋を進んでいくと、そこに長さ1m半ほどのドラゴンの置物がドーンとありました。観光客用の土産かな? 近づこうとしたら、「待て!止まれ!」と管理人の男はあわてて俺を止めました。なんと置物だと思っていたものは、本物のコモドドラゴンでした。

よく見ると、確かに動いています。過去、観光客もドラゴンに襲われて怪我をしています。冗談じゃありません。ほんとに危険なんです。それが、何の柵もなく、普通にいるところがさすがです。保護区なので当然なのですが。

昔は観光客のために、ヤギを餌にしてドラゴンを呼び寄せていたそうですが、今は、やっていません。餌を与えることは禁止されています。でも、歳とった(つまり大きい)ドラゴンは、管理棟や観光客用のレストランの近くにやってきて、慣れた感じで餌をねだるので、野生の威厳は失われています。(島の奥に行けば人間から逃げるドラゴンもいますが)

島を巡るには、レンジャーといっしょにまわらなければなりません。ドラゴンがいる場所まで案内してくれます。それと、他にも野生動物がいるので、説明してくれます。毒蛇がぶら下がっていたときは、そこを迂回させてくれました。でも「これが野生のニワトリです」と説明を受けたニワトリは、普通のニワトリとどこが違うのかわかりませんでした。それと「野生のブタ」。イノシシではありません。普通のブタに見えましたが、野生だそうです。「飼い主がいない」という意味なんじゃないか?などと思いました。

島の中心部から桟橋に戻るとき、きらきらと輝く海を背景に、コモドドラゴンが100mほど先をのっそりのっそり歩く姿を見たとき、太古の時代にタイムスリップしたような気分でした。『ジュラシックパーク』ですね。

ところで俺はよく「コモドドラゴン」のことを「コドモドラゴン」と言い間違えてしまうんですよね。(前も書いたような・・・)


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2006/12/22

安倍総理会見の後ろの絵(再び)

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再び、安倍総理記者会見のときに後ろに見える絵についてです。

以前、首相官邸に電話して聞いたことは「安倍総理会見の後ろの絵」(2006/11/19)に書きましたが、この絵に関して、ネットでも話題になりつつあるようです。ただ、絵そのものについては、あまり評判がよくないようです。

絵を描いた岸田さんとは別に知り合いでもなんでもないので、彼の肩を持つ必要もないのですが。とにかく素直な絵だとは思いますよ。

どうも棚田のことになると、冷静さを欠くようで(病気なんです)、「良くない」と言われると、俺が言われているような気がしてしまい、言われっぱなしでは不公平だと思ったので、もう少し調べてみました。

今度は、山口県長門市の安倍さんの事務所に問い合わせしました。描いた岸田さんというのは安倍さんの支援者だそうです。でも、この岸田さんについて、それ以上詳しいことはわかりませんでした。(今回はここまでにしておきます)

描いた場所は、棚田百選の場所「東後畑」とは離れていますが、安倍家のお墓がある高台から見た油谷湾だそうです。絵の中に町も見えますが、あれは油谷の町(コメントを寄せてくれたMТさんの情報で、掛淵という町だそうです)だったのですね。実在する風景でした。と、いうことは、安倍総理の会見は、先祖が眠るお墓の前でしゃべっているような格好になるわけです。

どうしてあの絵を飾っているのか? 安倍総理のスローガン「美しい国、日本」を意識して飾ったのか? 『ダヴィンチコード』のように(?)謎は深まるばかりです。


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2006/12/19

「正しい和食」認証制度に反発 (2)

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「食文化」に興味を持ちながら写真を撮ってきたので、こういうニュースには敏感です。なので今日もこの話題を。

「正しい日本食」認証制度については、内外から反発は多いですね。ブログをあちこち見ていると、「反対」の立場で書いている人が多く、「賛成」というのは少ないように思えます。この事実が、役人ではない一般人の感覚を正しく反映したものではないでしょうか。

「まずい」「高い」「違う」と思ったら、次回から行かなければいいだけです。それで店は淘汰されていくわけだし。何度も言いますが、これは民間ならいいでしょうが、政府が音頭をとってやるべきことではないと思います。

そもそも「正しい日本食」ってなんでしょうか? アメリカ産や中国産の大豆を使った納豆、これは「正しい日本食」? オーストラリア産の小麦じゃないとコシが出ない讃岐うどんは「正しい日本食」? アメリカ産牛肉じゃないとパサパサしてうまくないという牛丼は「正しい日本食」? 東南アジアやアフリカのマングローブをつぶして作った養殖場の海老をネタにせざるをえない寿司は、「正しい日本食」? 材料を外国から買いあさって作られている今の日本食は、ほんとに「正しい」のでしょうか。

こんな記事もありました。

朝鮮日報(2006/11/27) 日本食認証制度:日本政府の狙いは食材輸出?
日本政府は来年4月から、海外の日本料理店に対する認証制度を導入していくと、米国紙ワシントン・ポストが24日付で報じた。
日本政府がこのような制度を導入するのは、松岡利勝農水相が最近、米国コロラド州を訪問した際、現地の日本料理店のメニューに韓国式の焼き肉が含まれていたのを見て、「これは日本料理店ではない」と思ったことがきっかけになったと同紙は伝えた。松岡農水相は「日本料理はきちんと教育を受けた調理師が作るべきだ。日本料理店の看板を掲げておきながら、実際には韓国料理、中国料理、フィリピン料理を出すというのは“料理に対する罪”だ。日本の飲食文化を守らなければならない」と主張したという。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/27/20061127000011.html 参照)

もし、これがほんとなら、松岡さんという人の感覚を疑ってしまいます。「日本料理はきちんと教育を受けた調理師が作るべきだ」だって。言ってくれるじゃないですか。「日本食は日本人が作るべきだ」というふうにも聞こえます。「俺が教えてやる」みたいな態度に見えるから、反発を受けるんじゃないでしょうか。

そしたら、日本料理の教育を受けたことのない俺が作る日本食も、松岡さんに言わせれば「罪」なのかもしれませんねぇ。


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2006/12/18

「正しい和食」認証制度に反発 (1)

061218
やっぱり反発を受けましたねぇ。

先日「海外の日本食に農水省がお墨付き? (2006/12/7)」という記事を書きましたが、これは外国から反発があるかもと思っていました。

「正しい和食」認証制度に米メディア猛反発
Sankei WEB 参照)

なんで政府が音頭をとって認証制度なんかやるのでしょうか? (民間なら勝手ですけど) 認証制度で作られた「正しい日本食」のお墨付きをもらったレストランのリストは、誰の役に立つのでしょうか? 現地の大使館員や駐在員が、誰かを接待するときには役立つでしょうが。

どこかの国の日本食「きつねラーメン」というのが紹介されていました。こんなもの日本食じゃないと、レポーターだったか、コメンテーターだったかが眉をひそめていましたが、俺は「食べてみたいな」と思いました。前にも書きましたが、俺は不思議なものが好きなので、こういう料理も別に拒否しません。(マズそうなら食べませんよ)

1年ほど前でしょうか。テレビである番組を見ました。アメリカで行われたコメを使った料理コンテストでした。コメの一番おいしい食べ方というと、一般的な日本人は炊きたてのご飯「銀シャリ」かもしれません。でも、コンテストでは粉をスープに混ぜてとろみをつけるために使ったり、日本では絶対にありえない素材を巻き込んだ寿司ふうの料理だったり、サラダ感覚の料理などなど、日本人の発想にはない料理の数々に、驚きとともに、日本人のコメに対する思い込みというものに気がつきました。

10年以上前ですが「平成のコメ騒動」というのがありましたが、そのとき、仕方なく輸入された「タイ米」をいかに「日本米」に近づけられるかということばかり語られていましたね。タイ米を、タイふうにおいしく食べる方法なんて、あまり興味をもたれないのが不思議でした。「コメはこうあるべきだ」、「ぱさぱさしたコメはまずい」、「香りのあるコメはダメだ」と、最初から先入観があって、他の食べ方を認めようとしない。良く言えば「こだわりがある」、悪く言えば「食わず嫌い」なんです。

コメはこうあるべきだ、という考えにあまりにも縛られているのかもしれません。「コシヒカリがうまい」となると、なんでもかんでもコシヒカリだし。もっといろんな産地のコメを楽しみたいなぁ。コメの消費が落ち込んできたのは、こういうこだわりにも原因があるのかもしれませんよ。もっと自由でいいはずです。

文化は生き物です。現地に合った形で日々変化していくのはあたりまえです。「正しい日本食」なんて、ほんとにあるんでしょうか? 今回の認証制度は、日本人の妙なこだわり(プライド)の現れではないかと思います。


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2006/12/16

匿名の著作権は?(2)

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匿名に著作権はあるのか?という話を昨日書きましたが、調べてみたら、過去、裁判がありました。

それはインターネット上の匿名掲示板に書き込んだ内容を無断で出版物に利用したことが、著作権法違反に問われた裁判です。匿名の記事にも著作権が認められたのですね。(ただし条件付きです)

ITmedia NEWS http://www.itmedia.co.jp/news/bursts/0204/15/13.html 参照

人からもらったメールを勝手にホームページやブログに掲載するのも、場合によったら違反になります。とすると、昨日俺がブログに載せた「勝手に人の写真を使ってホームページを作るな。恥ずかしいぞ」というメールにも匿名者の著作権はあり、掲載した俺は罰せられるのでしょうか。

でも、それこそ匿名で相手に連絡もつかず、「載せていいですか?」と聞くこともできないし(聞いたところで「いいですよ」と言うはずもないですが)、ただこの場合、単に「嫌がらせ」と客観的に認められると思うので、だいじょぷでしょう。いってみれば、相手は、俺の写真かどうか俺に確かめもせず、一方的に攻めているんですから、俺は被害者といってもいいでしょう。俺はせめてその馬鹿げたメールをブログに公表することで、鬱憤を晴らしているのです。それくらいしかできないでしょ。言われっ放しというのは、あまりにも不公平です。匿名者の著作権だけ守られるのはおかしい話です。

こうは言えるでしょうね。匿名者にも権利が認められたということは、それと同時に責任も伴うということです。


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2006/12/15

匿名の著作権は?(1)

061215
昨日、写真無断使用のJTBの話を書きました。今後、著作権の問題は、ますます複雑に、また大きくなっていくと思われます。

その話の中で、写真をなくされると悲しいと書きましたが、この感覚が最近変わってきています。それはデジカメの場合、オリジナルの写真(スライド)というものが存在しなくなったからです。

データなので、コピー(どっちがコピーで、どっちがオリジナルかなんていうのも意味ない)が手元に残るし、「なくされる」ということ自体がなくなりました。ただ、「勝手に使われる」ということはデータになったことでますます多くなってしまうでしょうが。いずれにせよ、10101010・・・といったデータそのものに愛着が沸くことはなく、「悲しい」という感情はありません。元データからいくらでも再生できるので。

これからの「写真」というものの意味を考える場合、アナログからデジタルに変わるという、その技術的方法からだけではなく、もっと精神的・心理的な変化を考えないといけないのかもしれません。

突き詰めていけば、10101010・・・という数列に、「オリジナル」を感じる、感じなければならないわけです。(そういう意味で、DNAなんかもそうです) ただ、今の俺は、その感覚をすんなり受け入れるには、かなりハードルは高いですね。そのうち慣れるんでしょうか。デジカメを使っている人は、そんなこと気にしないんでしょうか。引っかかっているのは、また、俺ばかり? だから、今のところ、結局、プリントした時点で、ようやくオリジナルが発生するというふうに考えています。

ところで、ホームページを開いて間もないころ、「面白い」嫌がらせのメールがきました。こんな内容でした。

「勝手に人の写真を使ってホームページを作るな。恥ずかしいぞ」

というものでした。著作権を侵害しているというのです。もちろん、ホームページの中に使っている写真どころか、地図や絵さえも、自分で作った100パーセントのオリジナルだったので、俺はそのとき、バカ正直にその相手に返信し、自分の写真であることを丁寧に説明しました。それに対する返事はもちろんありませんでしたが。

それにしても、「人の写真」というくらいだから、どこかで俺の写真を見ていたのでしょうか。そして、「いい写真」だったから、こういうメールも来たんだと、俺は、いい方に解釈して、匿名のメールに対するもやもやした鬱憤をはらしたのでした。いや、正直言うと、俺は打たれ弱いので、今でもこのメールに対してはもやもやしたものを持っています。

匿名の快感は俺もわかります。匿名の意見の有用性もわかります。匿名の方がいい場合もあります。俺も匿名になることもあります。ただ匿名というのは、実体がない、それこそ10101010・・・というデータに思えることもあります。データと喧嘩するつもりはありません。

匿名で著作権を主張できるのでしょうか。だれか知ってたら教えてください。


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2006/12/13

「栄養と料理」で1年連載「文化的景観」

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2007年の1年間、雑誌「栄養と料理」で写真と文で連載します。タイトルは『土と水、人と暮らし 日本の文化的景観』というものです。1月号は俺の出身地、山形県を流れる「最上川」です。

「文化的景観」という言葉は、まだなじみがないかもしれません。文化庁の定義によると、「地域における人々の生活または生業および当該地域の風土により形成された景観」というものです。ちょっとかたい表現ですが、具体的にいうと、棚田、畑、水路、集落などの、人間が自然といっしょに作り上げてきた景観です。

いままでは、例えば歴史的な建造物とか、大自然とか、そういうものの価値は認めてきましたが、棚田とか畑とか用水路とか、そういうものは、人の生活とあまりにも近く、ありふれた(と思っていた)ものだったので、その価値が見落とされてきました。

俺が棚田を撮り始めた今から10年以上前は、「タナダって、何ですか?」と聞かれるくらいでした。最近は、だいぶ浸透してきたと思います。フィリピン、ルソン島のコルディリア山脈のバナウェには、世界遺産に登録された山岳民族イフガオ族の棚田があります。登録されたのは1995年で、正式な登録名は「Rice Terraces of the Philippines Cordilleras」ですが、これも「文化的景観」としての価値が認められて登録されたものです。

世界的な流れも、この文化的景観を見直そうという方に向いています。その流れに合わせて日本でも、文化財保護法の一部が改正されて、去年施行されました。


ところで、上に掲載の写真は、重要文化的景観の候補、愛媛県内子町にある屋根付き橋、昭和19年(1944)に作られたといわれる田丸橋です。

屋根付き橋で思い出すのは、映画『マディソン郡の橋』でしょうか? (俺はもうひとつ、中国貴州省のトン族の屋根つき橋を思い出しますが)

映画の中で、マディソン郡にある屋根つき橋を探しにいったのは、クリント・イーストウッド扮する中年バックパッカー、いや、中年写真家のロバートでした。映画は、そこで知り合った平凡な主婦、メリル・ストリープ扮するフランチェスカとの恋の物語です。似たようなことを期待して内子町までいったわけではありません。ロマンチックな話は柄に合いませんし。(他人から言われる前に、自分で言っておいたほうが・・・)


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2006/12/09

「麗江」 NHK探検ロマン世界遺産

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NHKの「探検ロマン 世界遺産」で、茶の交易で栄えた街、中国雲南省麗江が放映されていましたね。4年ほど訪ねていないので、ずいぶん変わったなぁというのが感想です。

昔麗江を支配していた木氏の宮殿「木府」の門壁が汚れていました。これが再建されたのは、1996、7年ころだったと思いますが、工事中も訪ねました。当時は真新しい白い門壁が、あまりにも新しくて不自然で、まるで映画のセットのようでしたが、でも、今は、数年の歳月を経て、雨風に晒され、いい感じに汚れて、まるで、昔からの建築物のように見えます。

そして街中を走っている用水路の水がきれいになっていたことにも驚きました。

もともとこの街は、きれいな水が流れるところから「麗江」と呼ばれるようになりました。今は用水路に金魚なんかも泳いでいるんですね。80年代、初めてたずねたときは、食堂や民家から生活排水をバサーッと直接捨てていて、あまりきれいではなかったのですが。

水は、「三眼井」といい、一番上流は飲み水、二番目が野菜を洗う水、そして三番目が洗濯用の水と、3段階で使われています。おばあさんは言いました。「母親から水場をきれいに使うことを厳しく教えられました。水場でつばを吐いたりしたら、乳首が腫れるといわれました」

俺が子供のころも、家の前に用水路があって、そこで野菜を洗ったり米を研いだりしていました。(水道もあったはずなのですが) まだきれいな水が流れていた時代でした。だから大人たちからは、「用水におしっこなんかしたら、チンポ曲がっぞ」と脅かされていましたが、ナシ族も似たようなことを言われていたんですね。どちらも、罰が性に関するものに及ぶというのが偶然にしても面白いと思いました。

トンパ文字についても触れていました。博物館もりっぱになりました。大トンパの和学文さんも元気そうです。

ところで2007年の干支「亥」のトンパ文字のイラストは明日載せるつもりです。毎年恒例ですが、年賀状を書く時期なので、そのサンプルをいくつか考えてみました。

Ya_2「20年前の中国(6) 暗くて重々しい麗江」(2007/10/25)

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2006/12/08

正しい日本食レストランの認証制度について

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(上の写真は、イランの首都テヘラン、日本食レストランSの「キャビア寿司」。ふたつの軍艦巻きの上に載っているのがカスピ海産キャビア。メニューには「みそしろ」もある)

昨日、正しい日本食レストランの認証制度のニュースについて書きましたが(「海外の日本食に農水省がお墨付き?」)、今日も一言。

やっぱり、なんとなく、しっくりこないなぁ。どうしてでしょうか。俺は外国で食べる「妙な日本食」が、嫌いではないからかもしれません。それと、文化は生き物で、固定されたものではないからです。

日本にある日本食レストランはどうなんでしょうか? それは自由でいいんでしょうか? 自由でいいんでしょうねぇ。老舗レストランの高級食材を使った何万円もする日本料理と、駅前の安食堂で食べる450円の奇妙な丼物と、どちらも「日本料理」、どちらも「日本文化」です。

まぁ、でも、こんなことに目くじら立てるのは、俺だけかもしれません。世の中、格付けが必要とされています。ありがたがられています。有名なところでは、フランスの「ミシュラン」。タイ料理にもあるそうですよ。格付けやお墨付きがあったら便利だしねぇ。冒険したくない人にとっては「良い」とされている店に行けば、とりあえず安心で、自分で考えなくてすみます。

レストランに限らず、ブランドを崇拝する人たちは、たくさんいます。(俺も、怪しいメーカーのフィルムより、有名なメーカーのフィルムを使いますが)

ところで、雲南省大理は、80年代からバックパッカーのたまり場として有名でしたが、日本人のために日本料理を出す食堂もたくさんできました。中には「カツ丼」や「トン汁」など、かなりレベルの高い日本料理を出すところもありました。

俺も10年ほど前、ある店で日本料理を教えたことがあります。その店の女の子は麗江出身のナシ族で、熱心にレシピをメモしていましたが、「日本料理、好き?」と聞いたとき、「甘いから嫌い。でも、商売になるから」と答えられたとき、なんとも言えない寂しさのようなものと、商魂のたくましさを感じたのでした。

形は似ていても、なんとなく違う味は、彼女が日本料理を舌(感覚)で作っているのではなくて、頭(知識)で作っていたからでしょう。ほんとに「妙な日本食」でした。そのあと、この店がどうなったかわかりませんが、たぶん、たくさんの日本人旅行者の舌に鍛えられて、味は洗練されていったと思います。


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2006/12/07

海外の日本食に農水省がお墨付き?

061207
海外の日本食レストランに対して、日本の農水省がお墨付きを与えることが検討されているそうです。

まず、農水省のホームページには、「海外日本食レストラン認証有識者会議の設置について」がありましたので紹介します。

海外では、日本食レストランと称しつつも、食材や調理方法など本来の日本食とかけ離れた食事を提供しているレストランも数多く見られます。
このため、海外日本食レストランへの信頼度を高め、農林水産物の輸出促進を図るとともに、日本の正しい食文化の普及や我が国食品産業の海外進出を後押しすること等を目的として、海外における日本食レストランの認証制度を創設するための有識者会議を設置します。
http://www.maff.go.jp/gaisyoku/kaigai/ 参照)

最近は、日本食ブームで、形だけまねをしただけの「ニセモノの日本食レストラン」が多くなり、とくに、寿司などは生ものを扱うので、正しい知識がないと、実際危ない。「生食が危ない」となると「生食をする日本食が危ない」というようなイメージになっていく可能性もあり、日本の食文化が誤解される心配があるとのこと。もっともな考えに一見思えますが・・・。

俺が20数年前、フランスのパリでバイトをしていた話は前に書きましたが(「フランスでアルバイト」2005/5/8)、「ニセモノの日本食レストラン」で働いていた立場から言わせてもらいます。

白状します。実際、料理人はみんな素人でした。俺も料理人が休んだとき、厨房に入って料理を出したこともあります。ほとんどは日本人だったので、生ものの扱いはある程度分かるので、食中毒問題は起こさずにすんだのですが。ただ、料理については、「これが日本食?」と思うのも、実際出していましたねぇ。(経営者は、日本人ではなくて、韓国系フランス人だったので)

大使館員や駐在員などが現地の日本食レストランに入って、「これは違う」「まずい」「まともな日本食を食わせろ」と怒っているからこういう話が出てきたのではないかと、俺は勘ぐっています。

「ちがう」とか「まずい」とか思うんだったら、行かなきゃいいんですけど。でも、「まずい、まずい」と言いながら日本食レストランにしか行かない(行けない)日本人がいるのはよく聞く話です。とくに仕事で行っている人は、けっして現地が好きで自分から行ったわけではないので、なるべく現地の料理は食べずに生活している人がいるのも知っています。旅が好きな人間からみると、もったいないと思うんですが。

そして、どうなんでしょうか。日本にも怪しい「フランス料理」「ベトナム料理」「タイ料理」などありますよね。昔は、とても「本物だ」とは言えないものがたくさんありました。日本人の口に合わせた嘘っぽい料理でした。最近は、タイ人、ベトナム人がやっている本物の料理店が増えてきたので、だいぶましになったのではないでしょうか。

フランスでバイトしたあと、日本に帰国した当時、フランスパンが食べたくて探しましたが、だいたいは「フランスパン」という名の「ふ」みたいなパンしか売ってませんでした。「これのどこがフランスパンなんだ?!」と憤慨したものです。(実は今も売ってるよ。「●●パン」のフランスパンだよ! がっかりだよ!)

よほどやり方をうまくやらないと、これは世界中から非難を浴びそうな微妙な問題を含んでいます。そもそも「正しい日本料理」なんてあるのかなぁ? 日本では「エスニック料理」と称して、めちゃくちゃな料理を食べているくせに、日本料理だけ「正しい日本料理」しか認めない日本人、なんていうイメージで見られたら、それこそ国益を損なうことになってしまうんじゃないでしょうか。

さて、今日は東京に出たので、昼食はマクドナルドで「照り焼きバーガー」を食べました。でも、これって、日本食? それともアメリカ食? アボカドを使った寿司「カリフォルニア・ロール」は、アメリカ料理? それとも日本料理? 俺が考案(?)したヨーグルトにつぶあんを混ぜたものは、和風のデザート? それとも洋風のデザート? バンコクで見かけたタイ風寿司(上の写真)は、日本料理? それともタイ料理?

きりがないねぇ。まぁ、どっちでもいいや。おいしければ。


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2006/12/03

関東地方晩秋の旅(7) 山の向こう

061203
那須岳(茶臼岳)から見た北側の山並みです。那須高原の北は、東北地方、みちのくです。

高校時代は、実家のある山形県河北町から8km離れた寒河江市まで自転車で通っていました。ある日の夕方、いっしょに帰っていた友人が遠いところを見るような目をして、ふとこんな言葉をもらしました。

「あの山の向こうの人たちも俺たちど同じように、いろんなことに悩んだり考えたりしているんだべがねぇ」

俺たちが住んでいたのは盆地の中にある町だったので、いつも視会には山が見えていました。だから、いつも「あの山を越したら・・・」とか「あの山のむこうは・・・」と、山の向こう側に、見知らぬ世界、見知らぬ人々はもちろんですが、将来の夢や、希望や、あこがれや、不安なども見続けていたような気がします。

20 代後半から雲南の山を歩いて少数民族の村を訪ねて写真を撮るようになり、山道の峠にさしかかると、ふと山形の盆地を思い出してしまいました。そしてあの峠を越したら、どんな風景になるのだろう、どんな人たちが住んでいるのだろうと、峠の向こう側に思いをはせる感覚が、高校時代に山の向こうを想像していた感覚と同じような気がしてなりませんでした。


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2006/12/02

関東地方晩秋の旅(6) ある飲酒運転者

061202
茨城県のある町で泊まったとき、夜、ラーメン店で食事をしました。

ふたりの青年が食事を終えて、レジへ向かいました。従業員のおばさんと話をしていたので知り合いだったのでしょう。ふと見ると、彼らのテーブルには日本酒の徳利がふたつとビール瓶がひとつ。そして彼らは車で帰っていきました。テレビではちょうど飲酒運転の事故を報道していました。もっとも、運転する方が飲んだかどうかは見ていないので正確にはわかりませんが、でも状況的には、ふたりとも飲んだと考えるのが自然でしょう。

俺は、おどおどしてしまいました。気がつかなかったらよかったんですが。

店のおばさんは、彼らが車で来て車で帰って行くのを知っていたはずで、それでも酒を出したんだから、彼らが事故を起こしたら、彼女も逮捕されるかもしれないですね。

じゃぁ、この俺は? そういうことを知って、黙認したことはどうなんでしょう。俺は彼らとは知り合いでもなんでもないので、この場合は許されるのでしょうか? たぶん、ね。じゃぁ、もし知り合いだったらどうでしょうか? たまたま同席してしまったら?

でも、こんな状況でいきなり赤の他人が、実際言いづらい。いらんおせっかいしてしまって、別のトラブルになるかもしれません。喧嘩してでも止める必要があるのでしょうか。わかりません。

「飲酒運転だめなんじゃないですか?」「なんだおまえ? 関係ないだろ」とかいって喧嘩になり、俺は彼らから刺されて死んじゃったとする。すると俺は間接的に交通事故を防いだことになるのかもしれないなぁ、などと、妄想する。

基本的に俺は飲酒運転だろうがなんだろうが、本人が好き好んでやることを止めたりはしません。勝手に酒飲んで事故起こして死んでもしかたない、ということです。自分で選択したんだから。でも、彼らの好き勝手に、他人が巻き添えを食うのは納得できません。

「車は凶器にもなりうる」という事実をメーカーはひた隠そうとしているようですね。人気芸能人を使って、あるいは、「先進国」でコマーシャルフィルムを撮影して、そのイメージからより遠くにみんなを誘導しています。

狭くてごちゃごちゃして、いつ人を引っ掛けてしまうかもしれない東京の路地裏ではなくて、なぜか犬のウンコも落ちていないきれいなパリの裏路地を走ってみせる。下品なデザインのパチンコ屋や、派手な看板が目ざわりな大型商業施設が立っている美しい国、日本の国道ではなくて、カナダやアメリカの大自然を悠々と疾走する車の姿を見せる。

最近あるね、「エコ・カー」って。 「地球にやさしく、人には危険な車」って、ほんとに皮肉だね。商売とはいえ、そのこっけいさにはメーカーの宣伝担当者も気がついているんだろうね。ただ、上司から「やれ」と命令される。会社だから上の言うことに逆らうことはできないよね。恥ずかしさの代わりに給料がもらえるんだから、これはこれで、仕事と割り切って納得しているんだろうけど。

俺たちは、いまさら車を使わないで生活することなどできません。なんとか、自分が凶器を使っていることを意識しないとだめなんだろうな。でも正直言うと、その凶器ゆえに、それを振り回しているときの快感も確かにあるんだよねぇ。スピードを出して、スリルを味わうこともあります。それは俺も否定できません。人間の闇だね。凶器を凶器だと思わなくなってしまった、つまり車に慣れてしまった人間が一番の凶器なんだよなぁ。

あの大きな鉄の塊が、狭い道を猛スピードで走り去る。ふと、立ち止まってみると、とんでもなく危険なことなのに、それが普通に見えてしまう自分の鈍感さに、いまさらながら驚いてしまいます。

「便利な道具」にするか「危険な凶器」にするかは、その人しだい、か。


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2006/12/01

関東地方晩秋の旅(5) 茶臼岳

061201
黒磯市の市街地から那須街道を進み、那須高原有料道路に入ると、冬枯れた林越しに見える茶臼岳はごつごつしたはげ山で、不思議な光景が展開します。

那須岳の中で今も火山活動が続いている茶臼岳(最高地点1915m)の山頂駅までロープウェイで上ると、黒磯市か那須町らしい街並みが見えました。朝日を受けた屋根に光が当たっているんでしょうか。鏡のようにきらきらしています。

そしてなんといっても那須高原の雄大さには圧倒されてしまいました。


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