関東地方晩秋の旅(6) ある飲酒運転者
茨城県のある町で泊まったとき、夜、ラーメン店で食事をしました。
ふたりの青年が食事を終えて、レジへ向かいました。従業員のおばさんと話をしていたので知り合いだったのでしょう。ふと見ると、彼らのテーブルには日本酒の徳利がふたつとビール瓶がひとつ。そして彼らは車で帰っていきました。テレビではちょうど飲酒運転の事故を報道していました。もっとも、運転する方が飲んだかどうかは見ていないので正確にはわかりませんが、でも状況的には、ふたりとも飲んだと考えるのが自然でしょう。
俺は、おどおどしてしまいました。気がつかなかったらよかったんですが。
店のおばさんは、彼らが車で来て車で帰って行くのを知っていたはずで、それでも酒を出したんだから、彼らが事故を起こしたら、彼女も逮捕されるかもしれないですね。
じゃぁ、この俺は? そういうことを知って、黙認したことはどうなんでしょう。俺は彼らとは知り合いでもなんでもないので、この場合は許されるのでしょうか? たぶん、ね。じゃぁ、もし知り合いだったらどうでしょうか? たまたま同席してしまったら?
でも、こんな状況でいきなり赤の他人が、実際言いづらい。いらんおせっかいしてしまって、別のトラブルになるかもしれません。喧嘩してでも止める必要があるのでしょうか。わかりません。
「飲酒運転だめなんじゃないですか?」「なんだおまえ? 関係ないだろ」とかいって喧嘩になり、俺は彼らから刺されて死んじゃったとする。すると俺は間接的に交通事故を防いだことになるのかもしれないなぁ、などと、妄想する。
基本的に俺は飲酒運転だろうがなんだろうが、本人が好き好んでやることを止めたりはしません。勝手に酒飲んで事故起こして死んでもしかたない、ということです。自分で選択したんだから。でも、彼らの好き勝手に、他人が巻き添えを食うのは納得できません。
「車は凶器にもなりうる」という事実をメーカーはひた隠そうとしているようですね。人気芸能人を使って、あるいは、「先進国」でコマーシャルフィルムを撮影して、そのイメージからより遠くにみんなを誘導しています。
狭くてごちゃごちゃして、いつ人を引っ掛けてしまうかもしれない東京の路地裏ではなくて、なぜか犬のウンコも落ちていないきれいなパリの裏路地を走ってみせる。下品なデザインのパチンコ屋や、派手な看板が目ざわりな大型商業施設が立っている美しい国、日本の国道ではなくて、カナダやアメリカの大自然を悠々と疾走する車の姿を見せる。
最近あるね、「エコ・カー」って。 「地球にやさしく、人には危険な車」って、ほんとに皮肉だね。商売とはいえ、そのこっけいさにはメーカーの宣伝担当者も気がついているんだろうね。ただ、上司から「やれ」と命令される。会社だから上の言うことに逆らうことはできないよね。恥ずかしさの代わりに給料がもらえるんだから、これはこれで、仕事と割り切って納得しているんだろうけど。
俺たちは、いまさら車を使わないで生活することなどできません。なんとか、自分が凶器を使っていることを意識しないとだめなんだろうな。でも正直言うと、その凶器ゆえに、それを振り回しているときの快感も確かにあるんだよねぇ。スピードを出して、スリルを味わうこともあります。それは俺も否定できません。人間の闇だね。凶器を凶器だと思わなくなってしまった、つまり車に慣れてしまった人間が一番の凶器なんだよなぁ。
あの大きな鉄の塊が、狭い道を猛スピードで走り去る。ふと、立ち止まってみると、とんでもなく危険なことなのに、それが普通に見えてしまう自分の鈍感さに、いまさらながら驚いてしまいます。
「便利な道具」にするか「危険な凶器」にするかは、その人しだい、か。
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