ミャンマー・インレー湖の写真
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(写真はミャンマー・パガン遺跡)
「鈍感力」ということばが話題になっています。元総理の小泉さんが言ったことで話題になりましたが、もともとは渡辺淳一氏の『鈍感力』というエッセイがあります。
渡辺淳一オフィシャルブログ
(http://watanabe-junichi.net/archives/2007/02/post_49.html 参照)
安部総理がまわりを気にしすぎているのを見かねて言ったという話もありますが、これが話題になること自体、今の日本人に欠けているから、「そうだよな」と思わせるところがあるのかもしれません。そして「鈍感」はどちらかというとマイナスイメージだったので、その意外性にも注目させられるのでしょう。
話題になったから言うわけではありませんが、俺も、似たようなことを考えていたので、「こんな言葉だと、しっくりくるなぁ」と、感心しました。(渡辺淳一氏の『鈍感力』も知らなかったし)
本の内容からすると、人間関係が主題のようです。細かいことを気にしないというか、もっと大きな包容力を持って人と接しましょうということでしょう。敏感なのだけが良いわけではない、行き過ぎるとよくないという意味でもあると解釈できます。
とくに最近の言葉狩りのような、言葉尻をとらえて、ああでもない、こうでもない、こんなことを言った、あんなことを言ったと、問題になることが多いように思います。その細かな(中には見過ごせないものもあるのは確かですが)ことにエネルギーを使ってしまい、本質的なことがおろそかになってしまっては、元も子もありません。そんなことも意識した小泉さんの発言だったかもしれません。
これは「鈍感力」と言えるかどうかわかりませんが、いつも思っていることがあります。「部分」を積み上げていっても、「全体」になるかどうか?と言えば、俺は疑問に思っています。「全体」は「全体」として、感じなければならないし、見なければならない。「部分」をひとつひとつ正確に理解しても、全体を理解したことにはならないということです。同じように、「部分」を正しいものにしたとしても、合わせたその「全体」が正しくなるとは限りません。
ぼんやりと見ることも大切なんですね。本質が逆に見えてくることがあるかもしれません。この「鈍感力」は、あまりにもギスギスし、細々したことに右往左往する今の日本人に、ちょっとしたショックを与える効果はあるのではないでしょうか。
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(写真はミャンマー・インレー湖)
日本人旅行者が出会うと、たいていは早い段階で、年の話になることが多い気がします。欧米系旅行者と会っても、いきなり年を聞かれることはあまりないので、これは、日本人特有なのかもしれません。
先輩後輩を気にする、目上を敬うなど、儒教的な文化があるからだと言われますが、とすると、中国人や、韓国人もそうなのかもしれませんが、年を聞いて、自分との関係が決まらないと、不安なんでしょうね。(人事のように言いますが)
学生たちを見ていてもどこの大学で、何年生で、という話をよくしていますよね。(おじさんには最初から近づいてこないので、年を聞かれることもないし、いや、すでに俺の場合、だいぶ上であることは見かけでわかるので、あえて聞く必要がないからでしょうが。ちょっと、ここ、仲間にしてもらえない、ひがみが入っています)
学生にとっては、年とともに重要なのは学校名らしい。日本では、学校名は、一種「身分」と考える人たちもいるようなので、それを聞いて、自分とその人との関係を作っていかなければならないので大切なんでしょう。
以前、ある旅行者と会い、話をしているとき、俺に対して敬語を使っていたので(この人は年を聞きませんでした)、ずいぶん丁寧な人だなぁと思っていました。見たところ、俺よりも5歳くらい上の人のようでした。
ところが、2、3日たって年の話になったとき、俺が彼よりも若いことがわかり、びっくりしていましたが、それ以来、俺を呼ぶとき、「あおやぎさん」から「あおやぎくん」に劇的に変わり、今度は俺がびっくりしました。(それだけ、老けて見られたということでもありますが) でも、それで関係がもっとしっくりしたように感じましたが、気のせいでしょうか。俺も、実は気にしてないようで、気にしているのかもしれません。
まぁ、それが良いとか悪いとか言うつもりはもうとうありませんが、外国を旅していて、不思議だなぁと思っていたことのひとつです。
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(写真はミャンマー・インレー湖畔)
俺がまだ20代のころ、旅先でよく説教されました。
俺は説教されやすい風貌をしていたのではないでしょうか。もともと、年上でも年下でも、あまり年齢を気にしないで話ができる性格ではあるようです。というより、俺は子供のころから人の話に合わせるのがうまかっただけなのですが。
しかも、どことなく地に足が着いてなく、何度も書いてますが、まだ何をやっていいか分からない時だったし、そういうのが風貌にも現われていて、格好の説教相手だったかもしれません。そして若いころは、俺も今よりは素直な人間だったので、説教も「はい、はい」言って、神妙に聞いていたようです。「説教しがいのある人」と「説教しがいのない人」というのがあるのでしょう。
説教するのは、30代、40代の先輩バックパッカーで、ある意味ためになることもたくさん教えてくれるし、こちらとしては、むげに拒否するのも悪いなぁと思っていました。それがある時期から、説教されるのが嫌になり、そういう場になると席を立つなどして、だんだん拒否するようになっていきました。それは、俺自身の年齢が上がっていったということもあるでしょうが、これも風貌に現われ始めたのではなかったでしょうか。「こいつに説教しても聞かないだろう。つまらない」というような。(つまり、素直じゃなくなってきた)
それにしても、どうして中年バックパッカーは、若いバックパッカーを見つけては説教してしまうのでしょうか? 説教するということは、自分が正しいと思っているからできることでしょう。自信があるんでしょうね。俺なんか自信もないし、今までやってきたことはぜんぜん一般化できないものだと感じているので、たとえ説教しても、役に立たないだろうと思っています。
というより、俺は若者に説教して「いい人生」を与えたいとも思わないし、その義理もありません。どんな生き方をやろうが、勝手にやってください、ということです。だから、若い人に会っても、自慢はするけれど説教はしていないつもりです。(でも、その自慢が説教に聞こえるかもしれませんが)
ただ、もちろん助けを求められたり、意見を求められたりしたときは別です。多少説教くさいことも言います。それを素直に聞いてもらえると、正直、快感があるんですよね。たぶん、この快感を求めて中年は説教するのではないでしょうか? 優越感?もあるのかなぁ。当然ながら、自分よりは「下」、あるいは「弱者」と見なしている人にしか説教はしませんねぇ。ただ「下」に見るといっても、軽蔑するほどひどくはないです。せいぜい、カワイイ「ペット」に対する態度くらいでしょうか。
俺は、説教はしないけど、体験談はしゃべりたいほうです。(blogやってるということ自体、その証拠でしょ? もちろん、ちゃんと興味を持ってくれる人にだけですが) その話を聞いて、「なるほど」と感心したり、「こうだけはなりたくないなぁ」と軽蔑するのは自由だし、気にしません。でも、正直に言えば内心、もし俺と同じような感性・感受性を持っている人(絶対数は少ないですが)なら、俺の体験談から何かを感じ取ってもらえるはず、とも思っています。俺自身、若いころ、そういう中年バックパッカーに出会って、説教ではなくて、体験談から、「そうか」と教えられたこともあったのです。
ひとつ提案ですが、説教する中年の話は拒否しないで聴いてみてください。説教したいお年頃なんです。悪気はないんですよ。かと言って、けっして若者たちの行く末を案じてのことでもありませんが。表面では「はい、はい」言って聴いていれば、中年は満足なんです。そういう話の中には、とてもためになる話も、たまーに、ありますので。損はないですよ。(これも「提案」の名を借りた「説教」かもしれませんが)
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まだ2月だというのに、この暖かさはどうしたことでしょうか。
昨日書いた、「環境保護を御旗に掲げた暴力集団」は別としても、みんなの環境についての関心が高まってきたのは確かでしょう。とくに、地球温暖化や異常気象の問題ですね。こう「異常」な暖かさが続くと、否が応でも考えてしまいます。
俺が小学生の頃(そんなカワイイ時もあったね)、山形県の内陸盆地ですが、冬はスキーをはいて学校まで通ったことや、家の1階部分は雪が積もって、中が真っ暗だったことを覚えています。それがここ何十年かで、すっかり暖かくなって、あまり雪が積もらなくなってきました。
10数年前、ラオス南部・コーン島のあるゲストハウスで、俺と、スイス人と、ラオス人が話をしているとき、3人とも、「俺の国では最近気温が上がっている」と言ったのです。俺からみれば、ラオスはいつも暑くて、そんなことあるのかと思ったのでしたが、暑い中でも、さらに気温の上昇を感じているらしいのです。スイスでも雪は少なくなっていると言っていたし、これは世界中の傾向なんだなぁと漠然と思ったのを覚えています。
地球温暖化の原因は「温室効果ガス説」が有力だそうです。ただ、地球そのものは、太古の昔から、暖かくなったり、冷たくなったりを繰り返してきました。そういう「異常とはいえない」いくつもの自然の原因があって、その上に、人間が作った原因が重なっているということなのでしょう。
人間は、地球を覆う、薄皮のような大気の中で、温度が1度、2度上がっただけで大騒ぎしている生き物なんですね。そして、偶然の重なりで、こんなラッキーな環境が、何万年も続いてきたことに驚くのです。地球環境は、「普通に周りにある」ので、未来永劫続くような気がしていましたが、とてもデリケートで、吹けば飛んで消えてしまうようなものなんだということに、俺たちはようやく気がついたのです。
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この前アメリカの環境保護団体から、日本の調査捕鯨船日新丸が妨害されたというニュースがありましたが、日新丸ではその後火災が発生し乗組員が亡くなりました。この環境団体との関係はまだわかりませんが、投げ込まれた発炎筒が原因ではないかとも疑われています。
そして今度は、別な鯨調査船海幸丸が体当たりされたというニュースがありました。
米環境保護団体 日本の鯨調査船に体当たり<2/14 21:55>(日テレNEWS24 http://www.news24.jp/77454.html 参照)
捕鯨船火災、妨害活動の影響「あったのでは」・農相
(NIKKEI NET http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070216AT3S1600F16022007.html 参照)
この前も書きましたが、こういう「動物には優しく、人間には乱暴な」環境保護団体というのはなんなんでしょうか。
もちろん、この団体のメンバーでも、ちゃんと考えて行動している人たちがいるでしょうが、一部の人たちは、「自然保護」「動物保護」「環境保護」を御旗にして、過激な行動をとっています。
結局、攻撃した船が火災を起こし、航行不能になり、油漏れをするかもしれず、ペンギンの生息地を犯す恐れさえ出ているというではないですか。環境保護団体の過激な活動によって、環境が汚れるというのでは、まったく大きな矛盾と言わざるをえません。
「自然を支配しているのは人間だ」という考えで、今までさんざん自然を破壊し、動物を絶滅に追いやり、環境を悪化させてきました。ところが、今度は一転して自然を保護し、動物を保護し、環境を守ろうというのです。
でも、「自然を支配しているのは人間だ」という考えは変わっていないようです。人間は「自然」ではなく、「動物」でもなく、あくまでもそれとは「別」の存在、「上」の存在。人間も「動物」であり「自然」であることを忘れているのではないですか?
とにかく「我々が、自然、動物、環境を保護してやる」みたいな傲慢さを感じてしまうのは、俺だけでしょうか。
自然保護、動物保護、環境保護、そのこと自体は悪くないのです。でも、この「有無を言わせない御旗」を出して、自分を絶対的に正当化するのが気に食わないんですよね。人間を傷つけてまでやる環境保護活動って何なんでしょうか。
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(この写真は雲南元陽の棚田)
今日、ラジオ番組の収録がありました。J-WAVEの、「ANA WORLD AIR CURRENT」という番組です。放送日は、3月3日(土曜日)、19:00~です。ぜひ聴いてみてください。
J-WAVE ANA WORLD AIR CURRENTのホームページはこちら
この番組のナビゲーターは、世界的なヴァイオリニストである葉加瀬太郎さんです。毎回、いろんなゲストを招いて旅の話を聴くという番組です。
この初対面の葉加瀬さんに、なんと俺は大胆にも、自分で作った『ASIAGE』の音楽CDを持って行ったのです。しかも、3つ(3種類)もです。趣味で作っている音楽ですが、葉加瀬さんの音楽にも影響を受けていたので、この出演依頼の話が来たとき、自分の立場を忘れて、すっかり舞い上がってしまいました。
もちろん、今回番組に呼んでもらったのは、旅する「写真家」としてであって、決して「音楽家」としてではありません。何を勘違いしているのでしょうか、俺は。今さらながら恥ずかしくなり、そして、葉加瀬さんも、どうしたらいいのか戸惑ったことでしょう。
まぁ、音楽CDの件は若気の至り(?)ということで許してもらうことにして、本題の「写真」や「旅」のインタビューでは、ちゃんと、いろんなことをしゃべりました。そして最近なんでも棚田に見えてしまう「棚田病」であることなど。
葉加瀬さんは、音楽にとどまらず、絵も描く芸術家なので、俺が言うのもなんですが、考え方が柔軟で話をしやすかったですね。うまく乗せられて、俺は饒舌になり、言わなくてもいいことまで言ってしまったので、そこはカットしてもらうことにしました。
以前から葉加瀬さんの音楽は好きでしたが、ますますファンになりました。そして、葉加瀬さんも、めでたく「棚田病」に感染したかもしれません。
音楽CD『ASIAGE』のページ(電網写真館 アジアフォトネット)
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今年の冬は暖かい。まだ2月だというのに、すっかり気分は春ですね。このまま本当の春に突入してしまうのでしょうか。
中国では、新年(春節)を迎え、にぎやかなことだろうと思います。観光地は混雑しているでしょうね。
これは、雲南省東部、羅平の菜の花畑の写真です。ちょうど今の時期、撮影したものです。
見渡す限りの菜の花で、写真ではわからないですが、いい香りがあたりに漂っています。たくさんの養蜂家がテントを張って暮らしています。
近づいたらミツバチに刺されてしまいました。それが原因ではないと思いますが、次の日から体調を壊してしまい、ホテルで2日寝てました。とうとう町の病院へ行きましたが、医者は体を診ることもなく、ただ「体調が悪い」「下痢が続いている」「少し熱がある」という俺の言葉だけで処方箋を書いたのでした。
初診料は30円くらいで、薬も15円くらいで安かったのですが、ちゃんと薬の効果はあったようで、それから回復し、また菜の花畑へ撮影に出たのでした。
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『ニューワールド』という映画をDVDで観ました。
17世紀に、イギリス人が「新大陸」アメリカに入植したときの話です。監督は『シン・レッド・ライン』を撮ったテレンス・マリックで、この映画は戦争映画でしたが、自然の美しさを静かに描写していた部分が好きでした。『ニューワールド』にも同じような美しさを感じました。
ところで、こういった異民族が遭遇する瞬間(ファーストコンタクト。この場合は、イギリス人と先住民族)に興味を持っているので、どんなコミュニケーションを取るのか、ファーストコンタクトをどんなふうに描くのかということに興味を持ちながら観ました。
映画のテーマは、イギリス人男性と先住民族女性との「愛」だったので、それほどファーストコンタクトに力を入れて描いてはいませんでしたが。
言葉もわからない人たちに対して、こちらが「敵意がない」ことを示すにはどうすればいいんでしょうか。やっぱり、ニコニコ笑顔を作り、物をあげるということなんでしょうね。
中国では、よくタバコを差し出されることがありました。(今はどうでしょうか。タバコを吸わない人も多くなったので、こういう習慣は廃れつつあるのかも) こちらから差し出すこともあります。これも「私はあなたに敵意はない」という表現が発展していって習慣化したもののひとつでしょう。タバコを自分で吸わない人も、タバコは持ち歩いていて、周りの人たちにあいさつ代りによくあげていましたね。
そういえば、雲南では、なるほど、こういうふうにして始まるんだぁと思わせる場面を目撃したことがあります。
それは、ある西双版納タイ族自治州の日曜マーケットでのことです。ハニ族のおばさんたちが、外人に追いかけられて逃げ回っていたのです。
なぜかというと、外人は彼女たちが被っている頭飾りや、身に着けている民族衣装が欲しくて、それらを指差して「ハウマッチ?(いくらで売る?)」と聞いていたのですが、今まで外人など見たことがなく、英語など聞いたことのないハニ族のおばさんたちは、どうしてあの白い鬼たちは私たちを追いかけるのか?と、怖くて逃げていたのでした。そもそも自分たちが身に付けているものを欲しがられるとは想像もできなかったでしょう。まさか自分たちが身に付けていたものが、お金になるとは。
ところが、それから1年経つか経たないかで、彼女たちは、外人が近づいてくる意味を完全に理解し、それどころか、彼女たちは、むしろ積極的に物を売るようになっていったのでした。今度は、外人が彼女たちから頭飾りや民族衣装を見せられて「ハウマッチ?(いくらで買う?)」と、しつこく追いかけられることになったのでした。そして彼女たちから民族衣装が消えていったのでした。
異民族間で、どうやって交易が始まっていくのかを見ているようで、妙な感動を覚えたものです。
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写真絵本『棚田を歩けば』ができました。今日、編集者から2冊もらいました。新しい写真集の紙とインクの匂い、好きだなぁ。
本というものの魅力というのは、こういうことも含むんですよね。インクの匂い、持った感触、重さ、ページをめくったときの紙の音などなど。決してネットでは感じられない肌触り。
印刷立会いした話は以前書きましたが、納得できるものに仕上がっていたので一安心しました。これが書店に並ぶのは、21日だそうです。
内容について知りたい方は、ホームページでどうぞ。
写真絵本『棚田を歩けば』
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2月11日、日曜日。
今朝もよく晴れた。国道20号線から県道に入り、山梨県須玉町へ。途中、いろんなところで、富士山を見る。ただ、山梨側からだと、逆光ぎみになる。
須玉の三代校舎ふれあいの里へいってみた。ここは別件で、雑誌に取り上げるかもしれないので、下見をしておくことにしたのだ。
「おいしい学校」の昭和校舎、「農業体験施設」の大正校舎、「資料館」の明治校舎。昭和校舎。大正校舎は、再建されたものだが、明治校舎は、柱・階段など、なるべくそのままで復元している。
明治8年に建設された校舎は、モダンな洋館風で、足踏み式オルガンや、楽器や、アルマイトの給食の食器など、なつかしい昔の品が展示されている。頼めば、蓄音機を聴くこともできる。昭和初期をイメージした教室。
教室に掛けておく「掛図」が、懐かしいのもあっておもしろい。中でも、大正3年発行の「音階図」の口の絵が興味を引いた。(掲載の写真)
昭和校舎の「おいしい学校」には、パン工房があって、新鮮で美味しいパンを買うことができる。シナモン・レーズンパンを食べた。ここには宿泊もできる。温泉もあるし、昔ながらの「給食」も食べられる。
国道141号線に戻り、韮崎の道の駅。ほうとうと、わさび漬けを買った。そのあと穴山駅を経由して、国道20号線に出た。釜無川を渡ったところが韮崎市の円井。ここに徳島堰がある。釜無川から取り入れた水を運んでいる用水路だ。
円井の集落、徳島堰を見渡せる田んぼのあぜ道を見つけた。そこから写真を撮ったが、ちょうど正面に富士山が見える。時期と、時間を選ぶと、かなりいい風景になりそうだ。
撮影後、ひたすら20号線を東京に向かう。高尾山付近でちょっと渋滞があったが、家に戻ったのは、5時半くらいだった。
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2月10日、土曜日。
雨が降るかなと思ったら、今日も晴れ時々曇りの天気。雪が降らないのが残念だ。
糸魚川市の木地屋の里へいった。国道8号線から国道148号線を、白馬のほうに南下する。この道は、5日前も通った道だ。30分ほど走り、トンネル手前から県道505号線に下りて、山のほうへ入っていく。10分ほど行くと、趣のある集落があった。そこで写真を撮る。集落の上のほうへいくと、そこから白雪をいただいた美しい山も見える。いいなぁ、このロケーション。
道を歩いてきたおじさんに話かけられた。この集落は、大所というところで、木地屋ではなかった。木地屋はそこから3kmほどさらに奥のほうにあるという。
木を使った椀など作っていた集落だ。でも、今はもうやってない。技術を持った人たちは、みんな死んでしまったよという。今は、資料館とレストランを開いている。ただし、冬はお客が来ないので、閉めている。5月のゴールデンウイークからオープンするという。今年はめずらしく雪が少ない。例年ならここは2mほどの積雪があるのだという。
話の途中、トラックが数台、山のほうへ向かった。なんでも、ここはスノーモービルの遊び場らしい。松本、長野からスノーモービルを運んできて遊んでいるそうだ。
ところで、家では携帯が入らないので、今、アンテナ立ててくれるように頼んでいるのだという。ただ、村で2ヶ所だけは電波が入るポイントがあるそうだ。「この道の、そこと、もうすこし行ったところ」と、おじさんは言った。そんなことあるんだね。
そういえば、高倉健主演の映画『単騎、千里を走る』でも、携帯の電波を拾うために、村で一番高い場所、屋根に上っていたのを思い出す。
おじさんと分かれて、木地屋へむかった。集落は数戸だけ。ひっそりとしていたが、民家は日本家屋で、それが雪の風景にマッチしている。たしかに、レストランもあったが、雪に埋もれていた。雪に足跡がなかったので、誰も近づいていないようだ。夏はいいだろうなぁ。
国道148号線に戻り、ふたたび南下。白馬村の青鬼集落を訪ねた。ここは「日本の棚田百選」にも選ばれている棚田があるので、何度も来ている。8回は来ているのではないだろうか。ただ冬に来たのは初めてだ。ここでは紫米を作っている。それを道の駅でも売っている。他に、紫米を使ったカキモチやパンもある。
集落の入り口に駐車場ができていた。今日は土曜ということもあってか、カメラマンや絵描きさんたちがいた。絵を描いていたおばさんたちは、「感動をどう伝えるか、それが課題なんです」という。確かにそうだ。「まず、感動しないとだめなんですね」と俺はいった。「そうですね」
この風景のどこに感動しているか、自分で分かっていたら、絵でも写真でも、他人に感動は伝えやすいかも。でも、どこに感動しているかわからないときがある。この全体だろうか。それとも、この部分だろうか。意外と人間の目は、全体を見ているようで、見ていない。部分をたくさん見て、それを頭の中で再構成しているらしいのだ。(ある本を読んでいたら、それらしいことが書いてあった。この件についてはいずれまた) ある風景の全体を写真に撮って、あとで見ると、散漫な印象で、自分の感動がよみがえらないという経験は俺もある。そんなときは、やっぱり部分を切り取って、あとは想像させると、意外と良かったりする。まぁ、これもケースバイケースで、いろいろだが。
白馬に戻り、さらに南下。混雑した松本市を通過し、国道20号線に入る。諏訪湖に到着。前回は、夕方になってしまい、諏訪大社へ行かなかったが、今日は行ってみた。もう暗くなりかけていたので、人も少なく、ひっそりとしていて、それがかえって神秘性を増しているようだった。後ろに控える、鬱蒼とした神体山。この空間そのものがカミなのだ。
その後、展望できる公園(名前忘れた)に上って、諏訪の町が暮れていくところを眺めていた。日が落ちたら急に寒くなった。デートスポットだね。カップルが次々やってくる。
諏訪から30分走って、道の駅、信州蔦木宿へ。ここは、おととしも泊まった。温泉付きなので便利。朝10時から夕方6時までは500円、夕方6時から10時まで400円。湯船が4つもある。ジャグジーもあってリラックス。今日から3連休だからだろうか。車が多いね。
いよいよ、明日は帰宅。あくまで、予定だが。
こちらにも、白馬村青鬼集落の写真があります。
2月9日、金曜日。
夜中、雨が降った。久しぶりの雨だ。これで車もきれいになっただろう。(洗車しろって?)
朝6時半に起きた。雨はあがり、暖かだった。昨日までの朝とはだいぶ違う。寝袋と布団をかぶっていては暑いくらい。(それは大げさか)
砺波市から国道156号線を北へ向かう。高岡市から、国号8号線に入り、西へ。快適に富山市を通過し、マクドナルドの看板を見つけたので入る。ここが今日の仕事場。空気がどんよりして、あまり写真を撮りたい気分ではないので(この1週間撮り続けたので、疲れたというのもある)、原稿とブログ用日記を書くことにする。
店員に「ここはどこ?」と聞く。「滑川ですが・・・」怪訝な顔をされる。そういえば、俺はいろんなところで「ここはどこ?」と聞いているようだ。聞かれたほうからすると、戸惑ってしまうのかもしれない。俺は移動しているし、いちいち場所を確認しているわけでもないので、ほんとうにどこか分からなくて聞いているだけだが、店員は、からかわれていると思うのか「この人、何?」という顔をする人もいる。(その戸惑った様子を見るのがまた楽しいのだが)
さすがに「私はだれ?」とは聞かないよ。聞きたいのはやまやまだが。どう答えるだろうか? たぶん怖がられるだけだろうなぁ。でも、「あなたは、@@@@@ですよ」といってくれたら、それを素直に納得できるような気もする。俺が自分で思っている「自分」と、他人が思っている「自分」は違う。違うけれども、ほんとの「自分」は、やっぱり、その中間であるような気がしてならない。いくら自分だけ「俺はこうだ」と主張しても、他人がそれを認めなかったら、どうなんだろうか。いや、だからといって、他人の言うことを俺はよく認めているわけでもない。頑固なところがあるので、周りでは迷惑しているのも知っている。それでもなお、「自分」というものは、他人を無視しては成り立たないような気がするのだ。
それで、また映画「それでもボクはやってない」の話だが、冤罪を晴らすのが難しいのは、こんな理由もあるのかもしれない。自分ではやってないのは、自分は確実に知っている。ただ、他人が、「あなたはやった」といっている状況だ。自分以外みんな「あなたはやった」といっている場合、自分ひとりだけ「やってない」と言い張る苦労というか、虚しさというか、怖さというか・・・。大多数の他人が考える「自分」を、自分が知っている「自分」と置き換える作業の難しさは想像できる。いっそ、みんなが言っている「あなたはやった」という主張を呑んでしまい、自分が思う「自分」ではなく、他人が思う「自分」を受け入れたほうが楽なんじゃないかと思っても不思議ではない。
話は突然変わるが、そういえば、雲南省の山の中でハニ族の結婚式に参列して、外は雨風がすごくなり雷が鳴ったとき、昼から夜まで延々と宴会が続き、酔いと、疲れもあったのだろう。一瞬、自分がどこにいるのか、自分が誰なのか分からなくなる瞬間があった。そして「あぁ、そうか。俺は今、日本から数千kmはなれた雲南で結婚式にいるんだ」と、すぐに思い出したのだ。こういう瞬間は、旅の途中、たまにあって、嫌いな感覚ではない。むしろ、好き。
今回も、越前海岸を走っているとき「ここはどこ?」状態になった。というのも、ラジオのNHKの上に、中国語の放送がかぶって、よく聴こえなくなったのだ(というより、中国語放送が良く聴こえた)。そうか、今日は2月7日、星期三(水曜)で、北京は天気がいいのか(天気くらいは中国語が聞き取れる)、と思ったとき、「あれっ? ここ、どこだっけ?」と思ったのだった。(ちなみに韓国語、ロシア語もよく聴こえた)
「デジャヴ」というのがあるが、これは「既視感」。それと「既臭感」や「既聴感」や「既触感」というのもありそうだ。もしかしたら、こういう状況を知らず知らずのうちに(無意識に)目指していたから、結果「デジャヴ」かな?とも思う。
ここ滑川のマクドナルドに今、自分がいるのは、必然かもと思う。俺は自分で、いろんな選択肢を自分で自由に選んで、自分で車を運転してここにやってきた。それは事実。すべて自分の自由によってここに来たと思っているが、もっと俯瞰して自分を見てみると、かなり制約があることに気が付く。大きく言えば、地球から逃れられないし、車で海は渡れないし、空を飛べない。物を食べなければならないし、ウンチしなければならない。「自由」なんて、たかだかそんな程度? いや、だから「自由がない」と言いたいんじゃない。むしろ、その制約(スポーツに例えて、ルールといったほうがいいかも)があるからこそ「自由」を感じているのかもしれないな、ということ。
4日前、黒部に来たとき、扇状地の散居集落を見なかったので、俯瞰できるところを探すことにした。地図だけではわからないので、市役所で聞くことにした。対応してくれた職員は、地図を書いて、船見城址からなら見えるでしょうと教えてくれた。
地図を見ると、船見城址から8km先に、宇奈月温泉と書いてある。有名な温泉だ。ちょっと興味が出たので、行ってみることにした。黒部川の扇状地がちょうどすぼまったところ(扇の要)に温泉街があった。たくさんのホテルや旅館がある。駅もあった。駅舎の前には、温泉らしい噴水が出ていた。観光客らしいおばさんふたりが、その湯に手をかざしていた。
市役所で教えてもらった船見城址に上がる。公園になっていたが、だれもいない。真新しい船見城が建っていた。当時の形を再現したものだろうか。門には、「3月末まで閉館です」とあった。城の裏側に回ると、扇状地を展望できる場所があった。散居集落の様子がわかる。今日は曇って遠くが良く見えない。冬なので、水田と畑には作物がほとんどないので、寒々とした感じだ。今回は、下見を兼ねているので、今度は、夏場に来ようと思っている。
山の下に下りたところに「ふれあい温泉」があった。450円。町民で賑わう温泉だった。前にも書いたことがあるが、俺は意外と肌が弱いので、ここの温泉成分は、ちょっと強かったようだ。顔がひりひりする。風呂自体は広くてゆったりできる。なかなかいい温泉だ。休憩室も充実している。無料の茶もある。おじいさんが、椅子で寝ていた。長居できる証拠だ。お金だけかけたりっぱな温泉なのに、ほとんど人が来ていないところもあることを考えれば、こういうのが地元に貢献している温泉というのだろう。
ふたたび、国道8号線に出て、さらに西へ向かう。この前、「ヒスイ海岸」については書いたが、そのとき、このあたり「タラ汁」の看板が目に付いた。なんだろうと気になっていたが、今日は、実際入ってみることにした。「榮食堂」と書いてあった。
中は、ストーブが置いてあるテーブル席と、奥は畳席になっている。トラックの運ちゃんたちが食事をしていた。ガラスケースには、いろんな惣菜が並んでいたが、もちろん、今日は「タラ汁」とご飯を頼む。
出てきたものを見てびっくり。おしゃれな器などではなくて、直径20cmの調理用の鍋がそのままドーンと出てきた。いいね、この豪快なところ。漁師料理だったのだろうか。
「どうやって食べるんですか?」と従業員の女性に聞くと、「よそおいますか?」というので「お願いします」と頼んだ。別に普通に食べればいいだけだが、タラが半身ほど入った味噌汁風だ。ねぎ、ごぼうも入っている。もちろん、一番美味しいところ、タラの頭も。
「この前、このあたり通ったとき、タラ汁の看板たくさん見たので、入ってみようかなと思ったんです。でも、どこがいいのか分かんなくて。ここはトラックたくさん止まっていたんで美味しいのかなと」といったら「そうです。うちが一番ですよ」「これはこの時期だけなんですか?」「いいえ、いつも出してます」量も多かったが、熱々の汁で体が温まった。これで、1050円だった。
「榮食堂」から7分ほど走ると、道の駅があった。ここには、テレビを見れる部屋もある。ニュースを見た。「しーしぇぱーど」という動物保護団体のことをやっていた。
日本の調査捕鯨船に物を投げるなどしてケガ人まで出した。「動物には優しく、人間には乱暴な」こういう団体、どうなんですか? 人間はあくまでも動物の「上」に立っているという考え方。「自然を支配しているのは人間だ」という考えと、なんら変わらない。あまり言うと、嫌がらせメールがたくさんくるかもしれないので、やめておきます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2月8日、木曜日。
昨日、道の駅福光で泊まろうとしていたら、パトカーがやってきた。中年男性の警官二人と婦警さん。あれは嫌だね。懐中電灯でぶしつけに顔を照らされるのは。そして、ゴミため状態の車内を見渡した。それで一気に不機嫌になった俺は、彼らの職務質問にぶっきらぼうに応対した。
「どこまで?」「タマムラ」「タマムラ? どこ?」「タマムラですよ。地図に書いてあるでしょ」「トガムラかい?」「トガムラの手前」「タイラムラ?」「タマムラですよ」ここで俺は、タイラムラ(平村)のことを、タマムラ(玉村)と勘違いしていたことに気が付いた。(玉と平の漢字が似ていて、勘違いしたようだ)
でも、いきがかり上、間違っていたとは言いたくなくて、「まだどこへ行くか、決めてないので」といった。免許証を出すと、ナンバーをメモし、どこかに連絡を始めた。「旅行ですか?」「はい」「仕事?」「仕事」「何をやっているの?」「写真」
それで納得したわけではないようで、車内に戻った3人は、それからもしばらくそばにいて、10分ほどして去っていった。なぁるほど、おととい、石川県鶴来町の加賀一ノ宮駅に、不釣合いな「テロ警戒中」という目立つ看板があったが、こういうことか。まぁ、県外ナンバーで、しかも、インドネシアのバティックの布を張り巡らしている車を、怪しまないのが不思議ともいえる。職務質問から犯罪を未然に防いだ話は聞くことなので、しかたないのだが。婦警さんは初心者なのか、妙に緊張していたので、それが俺にも伝染して、ぎこちなくなったということでもある。
今朝も冷えた。福光を6時に出た。304号線を南下し、五箇山トンネルを抜け、国道156号線にぶつかったら、右折。平村(タイラムラ)の五箇山合掌造り集落の、菅沼にいった。ここは世界遺産。13、4戸(9戸の合掌造り)の集落で、大きくはない。でも、こじんまりしているが、正月に行った白川郷よりも集落自体は美しいと思う。ちょうど、太陽が出て、集落の民家を照らし始めた。子供たちが、学校へ行く。スクールバスに乗ったようだ。
8時くらいになると、集落の入り口に、記念写真屋さんが長椅子など組み立て、ひな壇を作って、仕事の準備を始めた。「世界遺産だから、人がたくさん来るでしょう?」と声をかけると、「そうですね。今は、大型バス3台くらいやってきます」とのこと。ここは、国道にも面しているので、意外と観光客は多いのかもしれない。
もうひとつ、合掌造り集落の、相倉へいった。こちらは23棟の合掌造りが残っているという。広い駐車場があった。管理人のおじさんによると、屋根を葺くための茅がある茅場は岩山の後ろ側にあるという。10月、11月に刈り取るといっていた。ここにもいってみたかったが、今は雪で見れないというので諦めた。今度夏に来たとき行ってみよう。
集落を見渡す場所(よく写真を撮られている場所)は、駐車場の上のほうにあった。雪の中を歩いて6分くらい。写真を撮る。集落に降りて、中を歩く。観光客がバスでやってきたので、急ににぎやかになった。集落の中には、土産物屋と民宿もある。規模は、白川郷には及ばないが、のんびりするなら、こっちのほうがいいかもしれない。合掌造りの建物も貴重なのかもしれないが、このロケーション自体がすばらしいのだ。中国雲南省の山村に、よくこんな村が多い。
とは言うものの、住んでる人にとっては不便で大変なことも多いだろう。観光客だから気楽に「いいところ」と言える面はある。でも、やっぱり、そのものの価値は、そこの住民だけのものではないかもしれない。俺たち、みんなお互い様なのだ。他人があって、はじめて価値が生まれる。だから価値のありようは、住民の人たちと、外部の人たちとの間にあるような気がする。その接点というか、合意点というか。もちろん、パーセンテージの大部分は、住民の側にあるのは当然としても。
平村から山越えして利賀村に抜ける。山深いところだ。山は雪が残っている。車は、10分に1台くらいでとてものんびりしているので、見晴らしのいいところで車を停めて、休憩、兼、日記書き。下に見えるのは「利賀温泉」、「そばの卿」がある村か。
この村の外れにあるスターフォレストという、廃校を利用した宿によってみた。3月いっぱいまで閉館。役所にいって事情を聞く。通年営業しようとしていたが、それは難しいようだ。4月くらいからなら予約客を受け付ける。1泊2食付で、4500円くらい。廃校なので、教室もそのまま、黒板などもなるべくそのままにしているという。そば打ち体験などができる。そばの里だ。(あさってから3日間、「そば祭り」があるそうだ)
国道471号線を北上。富山市を目指す。うす雲がかかってきた。この道は、すごかった。左手にずっと谷を見ながらクネクネ曲がりくねった道が続く。こんな道、こんな山、どこかで見たなぁ。ほんとに雲南だ。車はあまり通らないので、それほど気を使う道ではなかった。好きなところでのんびり車を停めて休憩できる。夏もいいだろうなぁ。
国道156号線にぶつかって、それを左折。庄川温泉を通過して砺波市まで。今晩はここまで。
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2月7日、水曜日。
昨日、暗くなったので、いったん写真撮りを終えて、朝日町の道の駅パークイン丹生ヶ丘で泊まった。6時半に起きて、ふたたび越前海岸を目指す。朝からいい天気だ。
数年前、棚田百選を撮影中、ここ越前の梨子ヶ平の棚田にも寄った。そのとき棚田で仕事をしていたおばあさんと話したが、棚田は米ではなくて、今は水仙を作っているとのことだった。たぶん訪ねたのは6月くらいだったと思う。おばあさんは「冬にきたらいい。水仙の花がみごとですよ」と教えてくれた。だからいつか来ようと思っていたのだが、あれから数年もたってしまった。
今日、梨子ヶ平の棚田にいってみると、おばあさんが教えてくれた通り、棚田は水仙だらけだった。でも、写真的には、ここよりも、もっといいポイントがたくさんあった。しかも今日は天気が良いので、水仙の花が輝いて見える。
昨日探しておいた場所(水仙ミュージアム付近)にまたいってみた。水仙畑、集落、そして日本海が望める場所だ。山側の斜面は階段状になっていて、ここもすべて水仙だ。望遠で写真を撮っていると、おばさんがひょこっと現れた。上の方で仕事をしていたようだ。
ここに「福井市越廼観光協会」が立てた看板があった。それにはこう書いてあった。
「越前水仙は、越前海岸に咲く日本水仙の総称で越廼村居倉を発祥の地とし、房総半島、淡路島と共に日本三大群生地として知られ、特に栽培規模では日本一となっております。この付近一帯の水仙は、農家が栽培しておりますので、「つみ取ったり」「掘り取ったり」するような行為は堅くお断りいたします」
やっぱり水仙を取ってしまう観光客がいるんだね。
枯れ草を燃やしているおばあさんがいたので話しかける。「いい匂いですね」「そうですか。外から来た人たちは、みなさん、水仙のいい匂いがするといいますが、私たちは、毎日いるので、匂いがしないんですよ」そんなもんかなと思う。慣れると感じなくなるのは、なんでも同じ。強烈な匂いではなくて、どこからともなく漂ってくるような、無理強いしないやさしい匂いだ。初めての水仙の匂いと太陽の暖かさで、早春を感じる。
水仙の見ごろは正月くらいだという。「たくさんのカメラマンがやってきました。その中のひとりが、去年ここで撮った写真がコンクールで金賞取ったといっていましたよ」「そしたら、ここが一番きれいな畑なんですね?」とお世辞をいうと「どうですかね」といった。
水仙は、つぼみの状態で収穫して出荷する。咲いてしまった花は長持ちしないので、観光客には人気がないそうだ。ここは、思ったとおり、昔は棚田だったという。米はお金にならないので、ずいぶん昔に水仙に換えたといった。「何年前ですか?」と聞いたが、「ずいぶん前です」との答え。
ふたたび、梨子ヶ平の方へいった。この周辺はすごい。水仙と青い海が見渡せる。福井から来たという人たちと立ち話する。彼女たちの話によると、水仙の見ごろは終わりかけだという。今年は暖かいので、時期が早かったようだ。でも、例年だと雪があってこんなに畑は良く見えない。天気もいいので、今日はいい条件ではないですか、といっていた。
気のすむまで水仙畑の写真を撮って一段落付いた。これから福井へ出て、国道8号線を北上し、金沢から富山県平村へ向かう。鯖江市で大型カメラ店をみつけた。今回もデジカメとフィルム、両方で撮影している。思いがけず、いい光景をたくさん見て、予定のフィルムを使い切ってしまったので、新しく購入。
夕方のラッシュにはまだ早かったようで、すんなりと金沢市を通過。8号線から、国道304号線に入る。山に差しかかったら、とたんに冷えた。実際このあたり、ところどころ雪が残っている。
20分ほど走ったところで、「川合田温泉」という看板を見つけたので、入ってみた。何度もいうようだが、マイナーな温泉を探して入るのが好きなのだ。地図で確かめたら「川合田鉱泉」と小さく書いてあるが、このことだろう。宿でもあるようだ。温泉は熱くなかったので、長く入ることができた。3人のおじさんが入っていた。静かな温泉で気に入った。
そこから2,3kmで福光の町に着いた。意外と大きな町だ。大きなショッピングセンターのそばに、マクドナルドがあったので、ここで原稿書きの仕事と、今日のブログのアップ。今晩は近くの道の駅に泊まる。
明日から天気が悪くなりそうだ。
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2月6日、火曜日。
昨日、白米千枚田の写真を撮った後、明日の朝も、やっぱりもう一度氷見港で写真を撮ろうと思い直し、ここで泊まるのはやめて、氷見へ向かって戻ることにした。七尾市の道の駅いおりまで。
また6時に起きて、氷見港へ。昨日とは違って山には雲がかかり、太陽が出そうもなかった。それでも、漁船が海に出るシーンの写真を撮る。たくさんのカモメが船の周りを飛んでいる。船からエサでもまいているんだろうか。海面に集まったたくさんのカモメたち。
30分ほどして、雲が切れて太陽が見えた。そのとき、カモメたちが海のほうから戻ってきた。そして1羽、太陽の中を飛んだ。昔「月に雁」という名画があったと思うが(小学生のころ、切手を買ったので覚えている。歌川広重だそうだ)、これは「太陽にカモメ」。
国道160号線を南下し、8号線を金沢方向へ向かう。金沢市を過ぎて、国道157号線に入り、鶴来町に。道の駅しらやまさんに。ここの対岸は、手取川を挟んで、七ヶ用水取水トンネルがある。明治36年(1903年)に建設された大水門など。手取川扇状地に農業用水を供給し続けてきた。
道の駅で、話しかけた地元のおばさんは、対岸を眺めながら、いろいろと話をしてくれる。彼女は、金沢出身。結婚してここに来た。川は意外と深く深いところは9mあるという。2年ほど前、泳いだ若者が深みにはまって亡くなったという。夏は、この河川敷はキャンプ客が多く、たくさんのゴミがでるといっていた。
北陸鉄道石川線の駅、加賀一ノ宮駅がある。1時間に1本。ここからはあまり乗らないという。昔はもっと奥から続いていたようだ。それでも地元の人にとっては、大切な交通機関であることに変わりはない。
道の駅の2階から七ヶ用水取水トンネルの写真を撮ってから、こんどは近くまで車でいってみた。手取川七ヶ用水土地改良区白山管理センターというところがあって、この取水トンネルの管理をしているらしい。そして建物の2階は資料室になっていて、用水の歴史や背景など、わかりやすいパネルが展示してあった。昔の図は、だれそれの田んぼにどうやて水が流れていくか、ツリー構造になっていた。
あとで職員の女性に鍵をあけて大水門の上に入れてもらった。そこを経由して下に下りると、水路と門が見れる。「気をつけてください」と言われる。用水路の水量が多くて速くて、怖いくらいだった。この大水門は明治に作られた。苔むした門が歴史を感じさせる。
センターの人にお礼をいってから、線路沿いに駅へいってみた。加賀一ノ宮駅だ。古い駅舎は趣がある。無人駅らしい。道の駅のおばさんが言ったとおり、時刻表を見たら、1時間に1本くらいの運行だ。
入り口には、黄色で目立つ看板。どうにも不釣合いな看板が立てかけられていた。「テロ警戒中」 こんな田舎にもテロリストがやってこないという保障はない。それはわかるのだが。
駅前の道で、駅舎の写真を撮るのに夢中になっていて、ふと目をファインダーから離したら、なんと、車が俺の脇にずっと止まって、写真が終わるのを待ってくれていた。そこまでしてくれなくても、と思ったが、とりあえず、おばさんにお礼。この辺の人の親切心?
国道8号線に戻り、今度は加賀市から305号線に入って、越前海岸を目指す。越前岬手前が、水仙の群生地。海に面した斜面がずっと水仙畑だ。国道からでも見ることができる。しおれているのもあったが、時期は終わりだろうか。今年は暖冬で早いのかもしれない。水仙ランドとか、水仙ミュージアムというのもある。午後はずっと曇っていた。夕方太陽は出たが、うす雲にさえぎられて、昨日までのような強さはない。
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2月5日、月曜日。
新湊市の道の駅を6時に出た。国道415号線を行き、氷見まで。ちょうど日が昇り始めた。今朝も天気がいい。
氷見市内は、消雪道路らしく、水びたし。うっかりしていたが、その下が凍っているところもあって、滑る。危ない。
地図にはなかったが、氷見港も道の駅になっていた。車を停め、周辺の写真を撮る。海に注ぐ川沿いは、古い家並みも残っている。ちょうど月も出ている。いつも外国と比べてしまうのだが、この雰囲気は、ベトナム中部、世界遺産にもなっているホイアンと似ている。あそこでも、町並みといっしょに川と月の写真を撮った。
橋の反対側は、海だ。堤防と、灯台。朝靄の中で釣りをする人や、漁船の姿。30分間、行き来する漁船や釣り人や海鳥の写真を撮っているうち、手はかじかんで動かなくなってしまった。まだ氷点下らしい。だから靄も立ち上るのだろう。
車に戻り、暖をとっていると、道の駅の売店がオープンした。まだ8時だが、ずいぶん早いなと思ったら、観光バスが2、3台やってきて、観光客がわんさと降りた。俺も中に入ってみた。すると、水揚げされたばかりの魚などが売られている。魚には値段はもちろんだが、名前も書いてあるので、魚を覚えるのにいい。カメラと財布を取りに戻った。造ったばかりだという「甘エビ寿司」を買った。1パック600円。
氷見を出て、国道160号線を北へ向かう。右手にはずっと富山湾が見えている。いくつもの、趣のある漁村を通過する。道の駅いおりは七尾市だが、このあたりは、定置網で有名だ。
しばらく行ったり来たりしながら、定置網を見下ろせる場所を探した。道路工事でガードマンしていたおじさんに聞いたら、佐々波というところには大きなものがあると教えられていったが、よくわからなかった。道からは見えないのかもしれない。
ガソリンを入れたついでに、店員の青年に定置網の見える場所を聞いたら、詳しく教えてくれた。それで、そこへ行ってみた。道は断崖になっていて、定置網の浮きが見えた。作業中らしい船も遠くに浮かんでいる。
写真を撮った後、海を見ながら、さっき買った「甘エビ寿司」を食べた。とろろ昆布と甘エビを使った押し寿司だ。店員のおじさんに「これはここで水揚げされたエビ?」と聞いたら「今朝作ったばかりの寿司」と、ちょっとズレた答えが気になった。中国産エビなんてことはないよね。ない、ない。もっと人を信じることにしよう。最近、食べ物に関していろんな偽装があるので、どうも人を疑ってばかりいる。ここで水揚げされたものだから、ここで食べるのが美味しいんだ。おじさん、ごめんなさい。
七尾市を通過。国道249号線で、ふたたび北上。能登半島の先端を目指す。珠洲市から県道28号線に入り、禄剛埼灯台まで。このあたり、木造の民家が多くなる。珠洲市自体もそうだった。雰囲気のある町だった。
ここ禄剛埼灯台が能登半島の北端だ。これは、日本唯一「菊の御紋章」がある灯台だそうだ。確かにあった。ただ、説明の看板を見ても、どうして「菊の御紋章」があるのか、その由来はなかった。
それとは別に、「東京302km、上海1598km、釜山783km、ウラジオストック772km」の標識が立っていた。地図がないから釜山とウラジオストックがほぼ同じ距離というのは意外だった。北朝鮮にも近いのではなかったか。前来たとき、夜になると、ラジオはハングルだらけだった。
灯台から、輪島のほうへ10kmほど走ると、きのうら荘という国民宿舎の看板を見つけた。フロントで尋ねると、風呂に入れますという。ここは温泉ではなかったが、見晴らしが良かったのでここで風呂に入った。300円。
通年営業しているらしいが、今日は誰もいないようだった。こじんまりした円形の湯船。ひとりじめしてゆったり湯につかる。こういう、あまり人が来ないような温泉(ここは温泉じゃないと言っていたが。今は、「温泉」と言えなくなった?)、いいね。看板を見て、ふらっと入る温泉が好きだなぁ。
揚げ浜塩田に寄る。塩田は1598年に始まったという。最近では、また塩田の塩の価値が見直されてきたらしく、道の駅もできていた。塩田での塩作りの体験もできるようだ。そういえば、さっき風呂に入ったきのうら荘でも、この塩田で作ったらしい塩をお土産に売っていた。
日が沈む直前、白米千枚田に到着。さすがこの時期、だれも写真撮っていない。もしかしたらと、少しは期待してきたのだが、雪はまったく残っていなかった。残念。
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2月4日、日曜日。
どうしてまた安曇野に泊まったかというと、昨日の朝、月が山に沈むところを見て、明日なら、太陽の光が山に当たったころちょうど月が隠れる位置にくるはずだという、今までの経験から、写真にはちょうどいいと思ったので、それを期待して、もう一回トライすることにした。
低気圧が近づいていて明け方まで雪だという天気予報。雪景色に月が見れるかな。天気予報は外れることも多い。
夜、冷えたようだが、明け方空をみたら、雲はあったものの、月が煌々と輝いている。天気予報は外れたようだ。雪はないが、月はいい感じだと、さっそく、昨日写真を撮ったところへ急ぐ。
月明かりが民家のトタン屋根に当たって光っていた。ゆっくりと周りがあかるくなってくる。それにしても風が吹くと寒い。雲南の大理で写真を撮っていたころを思い出す。あそこも、山が目の前に迫った広々とした水田地帯で、明け方は特に美しかった。暗いうちに宿を出て写真撮りにでかけた。でも、大理と違うのは、ここでは犬の襲撃がないこと。日本ではその心配がないだけありがたい。大理では、三脚を使って犬を追い払いながらの撮影もあった。俺も、犬も、お互いが怯えているんだよね。
山は上のほうからピンク色に変わる。白い山は神々しい。一番高い峰は常念岳だろういか。太陽の光は、だんだんと下の方に降りてきて、いつの間にか、俺の影も作った。スリムな影が、畑の奥まで伸びている。月は周りの明るさに目立たなくなり、山に沈んでいった。
地元の人が、犬を連れて散歩したり、ジョギングしたり。だんだん暖かくなってきた。また道の駅に戻ってコーヒーを飲む。
今日はどこを走ろうか。おおざっぱな予定は決めてきたが、細かなことは、その日、やる気と天気を考えて決める。これから、白馬村経由で日本海に出て、それから富山県、石川県を目指すことにする。今回は、輪島市の白米千枚田まで行くつもりだ。途中、おもしろそうなところを見つけたら、そこも寄り道。白米千枚田に着けるだろうか。いいかげん。
国道148号線を北上する。白馬村手前の峠にさしかかったら、日陰に雪が積もっていた。下り坂になっていたが、さっそく追突事故があったらしい。4台ほど。みんな表に出て、車を見たり、携帯かけたり。そんなにひどい衝突ではなかったようだ。
白馬村には雪が降ったらしい。みんな表に出て雪かきをしていた。周りの新雪が美しい。糸魚川に出るまで、途中、雪の積もった集落がいくつもあった。民家の後ろが急坂になっている。雪崩とか、心配はないのだろうか。
海をみたら、暖かい気分になるのかなと思ったら、海は日本海。波を見たら、かえって寒々としてきた。国道8号線にぶつかり、左折。西へ向かう。風が強い。どんよりした天気だったが、だんだんと回復してきた。
「ヒスイ海岸」という看板を見つけた。「ヒスイ(翡翠)」にひかれるものがあり、線路を渡って海岸までいってみた。というのも、「越」と「ヒスイ」の関係に興味があるからだ。
中国の、長江下流に昔、越の国があった。「呉越同舟」ということばの元になった国だ。日本の文化との共通性も言われている。そこで、この越の国だが、ヒスイが取れて、しかも、ヒスイがとても大切な意味を持っていた。ヒスイは王権の象徴でもあったようだ。今、旅先なので、詳しいことは調べることができないので、これくらいにしておくが、とにかく、「越」と「ヒスイ」なのだ。新潟県も「越の国」だが、糸魚川から富山県の境にかけて、ヒスイが取れるらしい。この「ヒスイ海岸」からも、ヒスイを拾えるらしい。これは偶然なのだろうか。
しかも、越は、稲作が盛んな国だった。紹興酒は当時から造られていたというモチ米の酒だ。新潟も米と酒が有名だ。これも偶然なのか。そうかもしれないけど、中国から「越人」がやってきて、新潟県に同じ名前の国を作ったと想像するのは、とても楽しい。
ところで、おじさん、おばさんが、ポケットに丸い石を詰めて海岸から戻ってきた。ヒスイではなかったようだが、いい形の石も拾えるらしい。10人くらいが海岸で石を拾っていた。
黒部市に入って、国道8号線から折れて、黒部川の堤防を走る。広々とした道。上流に向かって走ると、正面に雪山がドーンと広がっている。これが立山連峰だろうか。天気がいいので、山のピークがすべてはっきり見える。のんびり雪山を眺めているのは気持ちが良いなぁ。しばらくここで休憩、兼、日記書き。
堤防で夕方まで待って、山がピンク色に変わるのを待った。でも、それほどではなかった。こういうのは、気象条件に左右される。よほど条件がそろわないと、いい色には変わらない。今日は空気がきれいすぎて、紅くならなかったようだ。
富山市を過ぎ、新湊市の道の駅で泊まる。ここには夜遅くまでやっているレストランが併設されていた。国道8号線沿いだから、客は多いようだ。今晩も冷える(氷点下3度)と天気予報ではいっているが。
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2月3日、土曜日。
昨日、諏訪湖の写真を撮ったあと、塩尻市の道の駅小坂田公園で泊まった。今朝は6時に出発。夜はかなり冷えたようだ。洗濯した靴下が、棒状になってカチンカチンに凍っていた。もちろん車内に干していたものだ。
幸い路面には雪も氷もないので、運転はしやすい。国道20号線から19号線に入り、北上。松本市を経由して、三郷村へ。今は、安曇野市だろうか。
ここへはおととしの秋にも来た。アルプスの山々を見渡せる場所を探す。やっぱり同じ場所にたどり着いた。いろんな条件を考えると、ここが一番いいようだ。一軒、日本家屋が畑の中に建っているところだ。住んではいないのかもしれない。
田んぼを見ると、あぜ道の日陰になる方(北側)には、雪が残っている。草に張り付いた氷は太陽光線を受けて、きらきら輝いている。見るからに寒そう。日は昇ったが、まだ氷点下のようだ。ただこれが例年並みの気温。暖かさに慣れてしまっているので、寒く感じてしまう。
撮影後、道の駅アルプス安曇野で、コーヒーを買い休憩。体が温まる。
国道19号線に出て、さらに北上。ガソリンを入れる。国道403号線に入る、道は狭いところもある。さすがに峠には雪が積もっていた。道も、シャーベット状になっている部分があるので、気をつけて運転。
田毎の月で有名な、おばすて棚田の手前、2kmのところに、雪が積もった棚田があった。下のほうには、長野自動車道のSAが見える。そこから700mくらいいくと、千曲川展望公園があった。千曲市と川の全貌が見渡せる。盆地の中にびっしり詰まった建物。その中を、千曲川がゆったりと流れている。写真を撮った後、公園のベンチで日記をつける。日向にいると、まるで春のような暖かさだ。
おばすて棚田へいってみた。田んぼは、休憩中。農道の坂を上っていったら汗をかいた。遠くに千曲川が見える。すばらしい眺望だ。
また403号線で、安曇野に戻る。途中、坂北のスーパーで弁当買って食べてトイレ休憩。となりに車を止めたおじいさんが、「所沢」ナンバーを見て、笑顔になり、話しかけてきた。窓を開けて話す。
おじいさんは「懐かしいなぁ」という。なんでも、50年以上東京で仕事をしていたのだという。定年後、この近くに土地を買って住んでいる。出身地もこの近くらしい。
「農業しているんですか?」と聞くと、「もうそんなことできる年ではないよ。もう80だよ」という。まったく80歳には見えない。「元気ですね。まったく見えませんよ」「そうかい」
おじいさんは「ここはなにもないよ」という。「いい風景があるじゃないですか」というと、「空気だけはいいね」といった。「気をつけていってよ」元気で爽やかなじいさまに出会って、こちらまで元気になった。旅では、こんなたわいもない出会いがうれしい。
安曇野に戻り、国道19号線から、500mほど山側に入った場所に、公営の保養センターの看板を見て入ってみた。「長峰荘」という。入湯料は350円と格安。でも、小さいながら、ちゃんと露天風呂もあった。アルプスを望める風呂で、なかなかいい。
風呂から上がって着替えていると、壁に「御宝田池の白鳥 現在450羽」と張り紙があった。フロントで道を聞いたら、近くだというのでいってみた。
犀川橋から200mほど南にいった地点だ。たくさんの人がいて、すぐにわかった。どうも白鳥は、夕方、ここに戻ってくるらしい。だから今はいるかわかりませんと、長峰荘の人はいっていたのだが、100羽はいた。それと、たくさんいる鳥は、カモだろうか。エサを与える人がいて(エサやりはOKか?)、怖いくらいに鳥が集まってくる。中国青海湖からきてる渡り鳥はいないんだろうか、とチラッと頭をよぎる。
午後4時を過ぎたころ、だんだん鳥の帰宅時間になっているようだ。それに合わせてカメラマンと観光客の数も増えている。そろそろ俺も準備して写真を撮ることにしよう。なるほど、カメラマンたちは、白鳥が着水する瞬間を狙っているのだ。そういえば、そういう写真が写真雑誌に載ってるな。白鳥の写真を撮りにきたことはないので、カメラマンたちの行動が新鮮。彼らのまねをする。
日が暮れるころ、係りの人がエサをまくと、たくさんの鳥が集まってくるが、あまりにも激しいエサの奪い合いに、恐ろしささえ感じる。係りの人に聞いたら、エサは、モミ殻の付いた米。一番多いのは、オナガガモとかいったな。
道の駅アルプス安曇野で泊まる。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2007年2月2日。
今日からまた撮影旅行に出た。
午前10時ころ狭山市を出て国道16号線を南下、八王子から国道20号線に乗り、山を抜けて、甲府を経由して諏訪湖までやってきた。これは「甲州街道」だよね。
そういえば、今から25年前、東京からヒッチハイクで北陸旅行した。「ヒッチハイクで旅行しようと思う」といったら、ある友だちは、「無理だよ。日本では乗せてくれないよ」といった。だからかえって俺は「絶対行ってやる」と実行した。昔から、反対されるとやりたがる癖は変わっていないようだ。いい癖なのか、悪い癖なのか。
その旅のとき、20号線の上野原から大月にかけて、どこだか忘れたが、しばらく歩いた(車が拾えなかったからだが)ことを思い出した。そのとき、通過した集落は、二階建ての木造家屋が並んでいた。古い宿場町のようで感激したものだったが、それ以来だ。いや、夜は通過したことはあったが、そのときは暗くてよく見えなかったので、今日確かめることができた。
たぶん、20数年もたっているので、もう残っていないんだろうなぁと思っていたが、俺の記憶よりは少ないが、ちょっとだけ残っていた。「あぁ、こんな家だったな」と思い出すことができた。このあたりの街道が好きだ。
夕方5時過ぎに諏訪や岡谷の町並みを見下ろす峠に着いたので、ここで暗くなるまで写真を撮ることにする。しばらく待つことにした。ここからわき道に入って、もっと見晴らしのいいところへ行こうとしたが、雪で通行止めだった。
湖の東側に見えるのは、なんという名前の山だろう。雪がかぶっている。あとで調べることにする。今年は大暖冬で雪があまりない。日陰に残っているのは、前回1月6日の爆弾低気圧で積もった雪の残りだろうか。あのときも、この辺にいたが、すごかった。ブリザード状態だった。今日は、久しぶりに、例年並みの寒さといっているが、ブリザードと比べれば、なんてことはない。でも、この寒さも今日だけのようだ。
夕日が山を照らしてピンク色に変わり、ゆっくりと暗くなっていく。それとともに、町の街灯がつき始めた。東の山頂からオレンジ色の月が出た。満月らしい。
撮影後、デジカメで撮った写真をパソコンに取り込み、この文章を書く。ブログはここからアップ。と、思ったが、失敗。
今、6時10分。すっかり暗くなってしまい、山も見えない。街灯の明かりがない暗い部分が、諏訪湖面だとわかる。
月がやけに明るく感じる。ネパールで見た月とそっくりだ。世界中、月はどこでも同じというかもしれない。科学的にはそうなんだ。俺だって、月が1個だということは学校で習って知っている。それでも、やっぱり今日の月はネパールの月と似ていると感じるのだ。
どうしてって? そんなこと、答えられない。答えられたとしても意味はない。もったいぶって言っているわけではなくて、俺だけの理由だから。いや、理由なんて、よくわからない。
今回の旅だって、あまりちゃんとした目的があるわけでもない。最近、無性に「意味のない旅」をしたくなってきた。これもどうしてか、よくわからない。「自分」の行動にすべて理屈がつくと思っているのは錯覚だと思う。
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