富山、黒部
2月9日、金曜日。
夜中、雨が降った。久しぶりの雨だ。これで車もきれいになっただろう。(洗車しろって?)
朝6時半に起きた。雨はあがり、暖かだった。昨日までの朝とはだいぶ違う。寝袋と布団をかぶっていては暑いくらい。(それは大げさか)
砺波市から国道156号線を北へ向かう。高岡市から、国号8号線に入り、西へ。快適に富山市を通過し、マクドナルドの看板を見つけたので入る。ここが今日の仕事場。空気がどんよりして、あまり写真を撮りたい気分ではないので(この1週間撮り続けたので、疲れたというのもある)、原稿とブログ用日記を書くことにする。
店員に「ここはどこ?」と聞く。「滑川ですが・・・」怪訝な顔をされる。そういえば、俺はいろんなところで「ここはどこ?」と聞いているようだ。聞かれたほうからすると、戸惑ってしまうのかもしれない。俺は移動しているし、いちいち場所を確認しているわけでもないので、ほんとうにどこか分からなくて聞いているだけだが、店員は、からかわれていると思うのか「この人、何?」という顔をする人もいる。(その戸惑った様子を見るのがまた楽しいのだが)
さすがに「私はだれ?」とは聞かないよ。聞きたいのはやまやまだが。どう答えるだろうか? たぶん怖がられるだけだろうなぁ。でも、「あなたは、@@@@@ですよ」といってくれたら、それを素直に納得できるような気もする。俺が自分で思っている「自分」と、他人が思っている「自分」は違う。違うけれども、ほんとの「自分」は、やっぱり、その中間であるような気がしてならない。いくら自分だけ「俺はこうだ」と主張しても、他人がそれを認めなかったら、どうなんだろうか。いや、だからといって、他人の言うことを俺はよく認めているわけでもない。頑固なところがあるので、周りでは迷惑しているのも知っている。それでもなお、「自分」というものは、他人を無視しては成り立たないような気がするのだ。
それで、また映画「それでもボクはやってない」の話だが、冤罪を晴らすのが難しいのは、こんな理由もあるのかもしれない。自分ではやってないのは、自分は確実に知っている。ただ、他人が、「あなたはやった」といっている状況だ。自分以外みんな「あなたはやった」といっている場合、自分ひとりだけ「やってない」と言い張る苦労というか、虚しさというか、怖さというか・・・。大多数の他人が考える「自分」を、自分が知っている「自分」と置き換える作業の難しさは想像できる。いっそ、みんなが言っている「あなたはやった」という主張を呑んでしまい、自分が思う「自分」ではなく、他人が思う「自分」を受け入れたほうが楽なんじゃないかと思っても不思議ではない。
話は突然変わるが、そういえば、雲南省の山の中でハニ族の結婚式に参列して、外は雨風がすごくなり雷が鳴ったとき、昼から夜まで延々と宴会が続き、酔いと、疲れもあったのだろう。一瞬、自分がどこにいるのか、自分が誰なのか分からなくなる瞬間があった。そして「あぁ、そうか。俺は今、日本から数千kmはなれた雲南で結婚式にいるんだ」と、すぐに思い出したのだ。こういう瞬間は、旅の途中、たまにあって、嫌いな感覚ではない。むしろ、好き。
今回も、越前海岸を走っているとき「ここはどこ?」状態になった。というのも、ラジオのNHKの上に、中国語の放送がかぶって、よく聴こえなくなったのだ(というより、中国語放送が良く聴こえた)。そうか、今日は2月7日、星期三(水曜)で、北京は天気がいいのか(天気くらいは中国語が聞き取れる)、と思ったとき、「あれっ? ここ、どこだっけ?」と思ったのだった。(ちなみに韓国語、ロシア語もよく聴こえた)
「デジャヴ」というのがあるが、これは「既視感」。それと「既臭感」や「既聴感」や「既触感」というのもありそうだ。もしかしたら、こういう状況を知らず知らずのうちに(無意識に)目指していたから、結果「デジャヴ」かな?とも思う。
ここ滑川のマクドナルドに今、自分がいるのは、必然かもと思う。俺は自分で、いろんな選択肢を自分で自由に選んで、自分で車を運転してここにやってきた。それは事実。すべて自分の自由によってここに来たと思っているが、もっと俯瞰して自分を見てみると、かなり制約があることに気が付く。大きく言えば、地球から逃れられないし、車で海は渡れないし、空を飛べない。物を食べなければならないし、ウンチしなければならない。「自由」なんて、たかだかそんな程度? いや、だから「自由がない」と言いたいんじゃない。むしろ、その制約(スポーツに例えて、ルールといったほうがいいかも)があるからこそ「自由」を感じているのかもしれないな、ということ。
4日前、黒部に来たとき、扇状地の散居集落を見なかったので、俯瞰できるところを探すことにした。地図だけではわからないので、市役所で聞くことにした。対応してくれた職員は、地図を書いて、船見城址からなら見えるでしょうと教えてくれた。
地図を見ると、船見城址から8km先に、宇奈月温泉と書いてある。有名な温泉だ。ちょっと興味が出たので、行ってみることにした。黒部川の扇状地がちょうどすぼまったところ(扇の要)に温泉街があった。たくさんのホテルや旅館がある。駅もあった。駅舎の前には、温泉らしい噴水が出ていた。観光客らしいおばさんふたりが、その湯に手をかざしていた。
市役所で教えてもらった船見城址に上がる。公園になっていたが、だれもいない。真新しい船見城が建っていた。当時の形を再現したものだろうか。門には、「3月末まで閉館です」とあった。城の裏側に回ると、扇状地を展望できる場所があった。散居集落の様子がわかる。今日は曇って遠くが良く見えない。冬なので、水田と畑には作物がほとんどないので、寒々とした感じだ。今回は、下見を兼ねているので、今度は、夏場に来ようと思っている。
山の下に下りたところに「ふれあい温泉」があった。450円。町民で賑わう温泉だった。前にも書いたことがあるが、俺は意外と肌が弱いので、ここの温泉成分は、ちょっと強かったようだ。顔がひりひりする。風呂自体は広くてゆったりできる。なかなかいい温泉だ。休憩室も充実している。無料の茶もある。おじいさんが、椅子で寝ていた。長居できる証拠だ。お金だけかけたりっぱな温泉なのに、ほとんど人が来ていないところもあることを考えれば、こういうのが地元に貢献している温泉というのだろう。
ふたたび、国道8号線に出て、さらに西へ向かう。この前、「ヒスイ海岸」については書いたが、そのとき、このあたり「タラ汁」の看板が目に付いた。なんだろうと気になっていたが、今日は、実際入ってみることにした。「榮食堂」と書いてあった。
中は、ストーブが置いてあるテーブル席と、奥は畳席になっている。トラックの運ちゃんたちが食事をしていた。ガラスケースには、いろんな惣菜が並んでいたが、もちろん、今日は「タラ汁」とご飯を頼む。
出てきたものを見てびっくり。おしゃれな器などではなくて、直径20cmの調理用の鍋がそのままドーンと出てきた。いいね、この豪快なところ。漁師料理だったのだろうか。
「どうやって食べるんですか?」と従業員の女性に聞くと、「よそおいますか?」というので「お願いします」と頼んだ。別に普通に食べればいいだけだが、タラが半身ほど入った味噌汁風だ。ねぎ、ごぼうも入っている。もちろん、一番美味しいところ、タラの頭も。
「この前、このあたり通ったとき、タラ汁の看板たくさん見たので、入ってみようかなと思ったんです。でも、どこがいいのか分かんなくて。ここはトラックたくさん止まっていたんで美味しいのかなと」といったら「そうです。うちが一番ですよ」「これはこの時期だけなんですか?」「いいえ、いつも出してます」量も多かったが、熱々の汁で体が温まった。これで、1050円だった。
「榮食堂」から7分ほど走ると、道の駅があった。ここには、テレビを見れる部屋もある。ニュースを見た。「しーしぇぱーど」という動物保護団体のことをやっていた。
日本の調査捕鯨船に物を投げるなどしてケガ人まで出した。「動物には優しく、人間には乱暴な」こういう団体、どうなんですか? 人間はあくまでも動物の「上」に立っているという考え方。「自然を支配しているのは人間だ」という考えと、なんら変わらない。あまり言うと、嫌がらせメールがたくさんくるかもしれないので、やめておきます。
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