説教したいお年頃
(写真はミャンマー・インレー湖畔)
俺がまだ20代のころ、旅先でよく説教されました。
俺は説教されやすい風貌をしていたのではないでしょうか。もともと、年上でも年下でも、あまり年齢を気にしないで話ができる性格ではあるようです。というより、俺は子供のころから人の話に合わせるのがうまかっただけなのですが。
しかも、どことなく地に足が着いてなく、何度も書いてますが、まだ何をやっていいか分からない時だったし、そういうのが風貌にも現われていて、格好の説教相手だったかもしれません。そして若いころは、俺も今よりは素直な人間だったので、説教も「はい、はい」言って、神妙に聞いていたようです。「説教しがいのある人」と「説教しがいのない人」というのがあるのでしょう。
説教するのは、30代、40代の先輩バックパッカーで、ある意味ためになることもたくさん教えてくれるし、こちらとしては、むげに拒否するのも悪いなぁと思っていました。それがある時期から、説教されるのが嫌になり、そういう場になると席を立つなどして、だんだん拒否するようになっていきました。それは、俺自身の年齢が上がっていったということもあるでしょうが、これも風貌に現われ始めたのではなかったでしょうか。「こいつに説教しても聞かないだろう。つまらない」というような。(つまり、素直じゃなくなってきた)
それにしても、どうして中年バックパッカーは、若いバックパッカーを見つけては説教してしまうのでしょうか? 説教するということは、自分が正しいと思っているからできることでしょう。自信があるんでしょうね。俺なんか自信もないし、今までやってきたことはぜんぜん一般化できないものだと感じているので、たとえ説教しても、役に立たないだろうと思っています。
というより、俺は若者に説教して「いい人生」を与えたいとも思わないし、その義理もありません。どんな生き方をやろうが、勝手にやってください、ということです。だから、若い人に会っても、自慢はするけれど説教はしていないつもりです。(でも、その自慢が説教に聞こえるかもしれませんが)
ただ、もちろん助けを求められたり、意見を求められたりしたときは別です。多少説教くさいことも言います。それを素直に聞いてもらえると、正直、快感があるんですよね。たぶん、この快感を求めて中年は説教するのではないでしょうか? 優越感?もあるのかなぁ。当然ながら、自分よりは「下」、あるいは「弱者」と見なしている人にしか説教はしませんねぇ。ただ「下」に見るといっても、軽蔑するほどひどくはないです。せいぜい、カワイイ「ペット」に対する態度くらいでしょうか。
俺は、説教はしないけど、体験談はしゃべりたいほうです。(blogやってるということ自体、その証拠でしょ? もちろん、ちゃんと興味を持ってくれる人にだけですが) その話を聞いて、「なるほど」と感心したり、「こうだけはなりたくないなぁ」と軽蔑するのは自由だし、気にしません。でも、正直に言えば内心、もし俺と同じような感性・感受性を持っている人(絶対数は少ないですが)なら、俺の体験談から何かを感じ取ってもらえるはず、とも思っています。俺自身、若いころ、そういう中年バックパッカーに出会って、説教ではなくて、体験談から、「そうか」と教えられたこともあったのです。
ひとつ提案ですが、説教する中年の話は拒否しないで聴いてみてください。説教したいお年頃なんです。悪気はないんですよ。かと言って、けっして若者たちの行く末を案じてのことでもありませんが。表面では「はい、はい」言って聴いていれば、中年は満足なんです。そういう話の中には、とてもためになる話も、たまーに、ありますので。損はないですよ。(これも「提案」の名を借りた「説教」かもしれませんが)
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