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2007/03/31

桜に浮かぶ絵

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昨日は、埼玉県さいたま市浦和のギャラリー楽風で、旅する絵描き福井昭夫氏のお話会に行きました。

俺は今回進行役を勤めましたが、ちょっと難しかったですね。自分のことならぺらぺらしゃべることができるのに、人の話を聞き出すことの難しさを初めて知りました。でも、福井氏の生活の素朴さと絵に対する誠実さは伝わったのではないでしょうか。

休憩時間で出したイランのお茶や、なつめの砂糖菓子、何とかいうナッツは好評だったようです。(売ってる店をみんなに聞かれました。御茶ノ水にあるイラン商店「ダルヤー」です。「ダルヤー」とは「海」を意味するペルシャ語です。丸の内線出入口のある大通りを秋葉原方向にいった、神田川沿いにある店です。店主は日本語OK)

お話会が始まる直前、窓から見た光景が↑に掲載の写真です。福井氏の絵が、桜の中に浮かんで見えました。外と内の明るさのバランスがちょうどいいとき、窓ガラス越しに、これが見えるのですが、考えてみれば、この数分間、しかも桜は昨日が満開のようで、1年でこの日しか、この光景には出会えないということなのでしょう。


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2007/03/30

佐賀県唐津市相知町の蕨野棚田 (2)

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おととい、佐賀県の蕨野棚田へいったことは、きのうのブログで書きましたが、その中で、集落の人たちの結束力について触れました。

おととしの秋、「浮立(ふりゅう)」というお祭を見ました。五穀豊穣の願いや雨乞いのお祭らしいのですが、この集落がひとつにまとまっているなぁと、そのとき思ったのです。

保存会顧問の百武さんから、昭和40年代の、若者クラブという会(若者宿)の話を聞いたとき、インドネシア・バリ島を思い出しました。バリでも、昼、農作業をして、夜集まって歌や踊りなどを楽しみます。百武さんたちの若者クラブもそんな雰囲気だったようです。

仕事や遊びや祭りを通して、みんなの結束力が強くなっていったのでしょう。結束力が強くないと、何事も進まないという当時の状況はあったかもしれませんが、それが今の時代も生きているということを、この蕨野で見せてもらった気がしました。

浮立では、太鼓、笛、鉦も使います。大きな鉦は銅鼓のようにも見えます。バリのガムラン音楽も鉦をつかっているので、浮流の音楽を聴いたとき、なんだかバリ島の匂いがしたのでした。もしかしたら、この匂いは、稲作をやっている民族共通の匂いなのかもしれません。


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2007/03/29

佐賀県唐津市相知町の蕨野棚田 (1)

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昨日は、雑誌の取材で佐賀県唐津市相知町の蕨野棚田まで、編集者といっしょにいってきました。

蕨野棚田保存会顧問の百武さんにインタビューです。

百武さんには、写真絵本『棚田を歩けば』でもお世話になりました。コンバインで稲刈りをしている写真を使わせてもらいましたが、それが息子さんたちです。

天気も良くて、気温は20度くらいまで上がったのではないでしょうか。棚田は菜の花が咲いてきれいでした。今が見ごろのピークで、あと1週間ほどで、菜の花は土に鋤き込まれ、なくなるそうです。

「みんなから「すごいですね」と言われるので、棚田は、なんとか守っていかねばならないと思います」

百武さんは言いました。今は「蕨野棚田米」の評判も良くて売れています。米作りをやってきた農家の人たちですから、米がおいしいと言われるのは嬉しいことで、保存活動にも励みになっているようです。

話を伺っていると、ここはいろんな好条件が重なり合って成功しているんだなと思いました。

昭和40年代には、青年クラブという若者の会があって、そこですでに「棚田保存」について話題になっていたといいます。当時としては、先進的な話だったのではないでしょうか。比較的都市に近かったので、都市の人の目に触れていて、「ここはすごい」と言われていたからだそうです。

蕨野集落では若者も同居しています。唐津や伊万里に仕事があるので兼業できるからです。

そして集落の中には親戚が多く、何かやろうとするとき、まとまりやすかったということもあるようです。ここにはまた「手間講」と呼ぶ相互扶助のシステム(ユイ)があって、りっぱな石垣や、ため池を作ってきました。集落のみんなが力を合わせて、ひとつのことをやり遂げるという意識は、蕨野の人たちにはもともと伝統的にあったようです。

いろんな好条件が揃って、今の蕨野棚田があるんですね。


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2007/03/28

「記憶は作られる」

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家で仕事をしているときは、ラジオをつけていますが、ふと、「記憶は作られる」という言葉にハッとしました。それで、仕事の手を休め、急いでラジオのボリュームを上げたのですが、もう話題は、他のことになっていて、だからどういったことから「記憶は作られる」という言葉が出てきたのかは不明です。

自分がなんで、この言葉に「異常に」反応したのでしょうか。

雑誌やラジオのインタビューを受けたとき、かならず言うことがあります。それが最近は、すんなりと言葉が出てきて、極端に言えば、せりふの一語一語さえも決まってきたようにも感じます。それは何かというと、写真を始めるきっかけを聞かれたときの俺の答えです。

パリでギャルソンのアルバイト中、レストラン近くの本屋で写真集を立ち読みしたとき、たまたま感動した写真集が日本人撮影の写真集だとわかって驚いた。写真は言葉がわからなくても万国共通語になるんだなぁと思った。それが写真を始めたきっかけだと。

ところが、あるとき、当時の日記を見つけたので、そのときの感動をどう書いていたのか調べたことがあるんです。そしたら、「写真集に感動した」なんていう文章は見つかりませんでした。「バゲットはおいしい」とか「フランス語はたいへんだ」とかは書いていましたが、写真集については触れてないのです。書くほどの印象ではなかったようです。

これは意外でした。なぜなら今から思えば、俺が写真に本格的に興味を持ったのは、たしかにこの写真集との出会いがターニングポイントになっているからです。さんざん人にもそう説明してきました。

人の記憶ってあいまいです。いや、ターニングポイントは、その時点ではわからないということでしょうか。そのときは重要ではないように感じることでも、何年か後、とても意味のあることに変わってくる、そういうことでしょうか。

それとも、記憶とは、自分の都合の良いように再構成されるということなのかもしれません。すべての出来事を覚えていることはできないでしょう。だから意識上は(無意識ではわかりませんが)、どれかを捨てて、どれかを覚えておくということで、記憶を整理しなければなりません。こうやって自分の記憶を積み上げていっているのでしょうか。

ある意味、自分に都合のいい「物語」ですね。もちろん、嫌な思い出さえも、ですが。なんとなく、俺の答え方に、自分で後ろめたさを感じなくもない・・・。もちろん嘘ではないのだけれど、写真を始めたのは、それだけが理由ではないし、シンプルに語りすぎているのではないだろうか? 作っているのではないだろうか? 分かりやすさに媚を売っているのではないだろうか?という後ろめたさです。だから、ラジオからの「記憶は作られる」という言葉に異常に反応してしまったのだと思います。

いや、実際問題、限られた時間内に話をしなければならないときは、しかたのないことなのです。だからこれからも、その答え方をしていくに違いないのですが。


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2007/03/27

山形県朝日町『美しい農村づくりプロジェクト』

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(写真は朝日自然館からの風景)

山形県朝日町『美しい農村づくりプロジェクト』に招かれた話は、おとといしましたが、少し付け足します。

これは前も何度となく書いていることですが、俺は、人の役に立とうとか、社会のためとか思って写真を撮っているのではありません。きわめて個人的な理由で、自分の衝動に従って撮っているだけです。棚田を撮ることで、俺は、棚田から何かを得ているのだと思います。棚田がなかったら、日本を撮ることもなかったかもしれないし、日本の良さにも気がつかなかったかもしれません。それだけ、棚田には、何か力があると、俺は身をもって感じています。

その撮った写真を、どう使うか(発表するか)は、また違った仕事になります。「役に立つため」に撮っているのではなくても、結果的に、誰かの役に立つなら、これほど嬉しいことはありません。とくに、棚田を使って何かをやりたいと考えている人たちのためなら。そのいっしょうけんめいさが、心地良かったです。基本的に俺も「おもしろいことはやりたい」と考えるほうなので。

愛媛県内子町石畳で「村並み保存」を手がけてきた岡田さんもおっしゃってました。「住民自身がおもしろがってやらないと続きません」と。そうだと思います。やっていることが、義務とか、責任とかだけだと、きついです。自分が楽しめなくて、どうして他人をおもしろがらせることができるでしょう。無理は長続きしません。写真を撮ることがそうなので、よくわかるんですよね。

無責任に言わせてもらいますが、棚田を使って住民の人たち自身が楽しく遊んでほしいですね。そのおもしろさは、きっと外の人にも伝わると思います。陰ながら応援しています。


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2007/03/25

山形県朝日町 椹平の棚田

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昨日、山形県朝日町にやって来ました。ここは、棚田百選に選ばれている椹平の棚田がある町です。

棚田博士の中島峰広氏、愛媛県内子町の「村並み保存」運動を手掛けてきた岡田文淑氏とともに『美しい農村づくりプロジェクト』に呼んでいただきました。ここで世界の棚田の写真を映しながら話をしました。

俺がしゃべることなんか、役に立つのだろうかと思ったのですが、「おもしろかった」といわれて、そうかなぁと一応安心しました。まったくの部外者として(観光客として)の意見ですが、ただ、そういった視点が求められている時代でもあるのかもしれません。「活性化」とは、違った価値観のぶつかり合いでもあります。そしてそこから新しいものが生まれてくるのではないでしょうか。

日本の棚田百選をまわって、最後、山形の棚田にたどり着いたとき、不思議な感覚にとらわれました。俺は田舎を嫌って世界に飛び出したかっこうだったので、まさか、自分が山形の写真を撮ることになるとは思ってもいませんでした。

山形の棚田にたどり着いたとき、旅行者の目で故郷を見ることになったのです。それが新鮮でした。嫌いだった故郷が、「いい所じゃないか」と、田舎の良さを再発見することになったのです。俺自身の中で、価値観のぶつかり合いがあったとも言えるでしょう。

会場は、若宮寺の本堂でした。お寺でスライド映写をやったのは、初めてでしたが、いい雰囲気でした。

昼は、椹平の棚田ママの会が、試行錯誤して作っている「棚田弁当」をごちそうになりました。

すべて地元でとれた食材を使った料理です。米はもちろん椹平の「はえぬき」と、古代米を使っています。あさづきの酢味噌和え、五百川のあけび煮、ふきのとう・よもぎ・たらの芽の早春天ぷらなど。春を感じさせる弁当になっていました。

いずれ将来、これが棚田の近くで食べることができるようになるかもしれません。実際レストラン構想もあるようです。棚田を観ながら弁当を食べる、想像しただけで楽しくなります。

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2007/03/23

美しいもの。高橋大輔、キムヨナ、安藤美姫、ビルジニー・ドデュ

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美しいものよっつ。

フィギュアスケート世界選手権、昨日銀メダルを取った高橋大輔のステップ。

フィギュアスケート世界選手権、今日23日現在トップのキムヨナと、2位の安藤美姫の演技。

世界水泳シンクロ・ソロで金メダル取ったフランス人ビルジニー・ドデュの昨日の演技。

ドデュが優勝、原田は4位 世界水泳シンクロ・ソロFR
asahi.com http://www.asahi.com/sports/spo/TKY200703220420.html 参照

完成された美しさに息をのみます。

ドデュの演技中、波紋が美しいことに気がつきました。無駄な波を立てていないということでしょうか。水しぶきが派手に上がると、迫力を感じてしまいますが、ドデュの演技は、それとは違った静かな迫力がありましたね。


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2007/03/22

『福井昭夫 旅の絵画展』 アジアの風景

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(楽風の展示室にかけられた福井昭夫氏の絵画)

昨日、友人の個展の搬入を手伝いました。浦和駅から徒歩8分、和風喫茶店「ギャラリー楽風」です。

ここで、俺も過去3回写真展を開きました。展示室は、古民家を改造した2階の畳敷きの部屋で、土壁がなんとも風情があるんですよね。アジアがテーマの写真展や絵画展にはぴったりです。

俺の写真展に来た友人は「この壁がいいねぇ」とさかんに言っていました。写真よりも壁をほめられて、複雑な思いをしましたが、悔しいけど、いい空間であることには違いありません。

友人の福井さん(普段は呼び捨てですが)とは20年ほど前、ビルの窓拭きのバイトで知り合いました。(俺が面接にいったとき、ちょうど面接を受け終わって帰ろうとしていたのが福井さんでした) それ以来の付き合いです。アジアを中心に回っている、旅する絵描きです。

今日からやっていますので、興味のある方は、寄ってみてください。

『福井昭夫 旅の絵画展』
アジアの風景----イエメン・中国・タイ
2007年3月22日(木)~4月3日(火) [28日(水)は休み]
10:00a.m.~7:00p.m. [最終日 5:00p.m.まで]

会場・問合せ ギャラリー楽風(らふ)
〒330-0064 さいたま市浦和区岸町4-25-12
048-825-3910

なお、3月30日(金)には、福井さんのスケッチを見せながら、ふたりの「お話の会」があります。(18:30開場 19:00開演)

俺が進行役を勤めます。少人数で、落ち着いた会を予定しています。アジアの旅の話や、絵と写真の話をする予定ですが、ふたりで話してみなければ、どんな話題になっていくかわかりません。それもいいでしょ? ライブとはそんなもんです。(打ち合わせが面倒なだけ?)

イランのお茶、お菓子付きで1,000円ですが、予約が必要です。申し込みは、楽風までお願いします。

詳細・地図は、こちらのページ


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2007/03/21

植村直己 冒険家は究極のエゴイスト (2)

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(写真は中国青海省・メコン源流)

昨日の続きです。

植村直己は偉大な冒険家でした。

究極のエゴイストとして生きてきたはずでしたが、でも、そのうち、スポンサーなどとのしがらみができて、エゴイストであり続けられなくなったとき、偶然にも(もしかしたら、必然的に)、マッキンリーの山で行方不明になってしまいました。

まぁ、それでも、彼は普通の人にはできない、やりたいことをやって死んだのだから、幸せだったでしょう。自分のやりたいことをわかっている人は幸せです。たいていの人は、わかったつもりになっているだけです。

俺も、「本当に」やりたいことというのがわかっていません。とりあえず「やりたくないこと」の方がわかるので、なるべくやらなくてすむことなら、やらずにすましています。それでいいのかもしれません。

最近は、やたらと「やりたいこと」を探そうとしていて、それを「自分探し」などと言っている人たちもいますが、なんだか強迫観念にとらわれている気がしてなりません。そんなに「やりたいこと」を見つけなければならないんでしょうか。最近のリクルートのコマーシャルでもあるじゃないですか。「自分探し」を50年やっても見つからなくて、爺さんになってしまったという・・・。

これも前に書いたような気がしますが、また書きます。

メコン河の写真集、写真展のあと、「燃え尽き症候群」に陥り、一時は何もやる気が起こらなくて、半引きこもり状態になったことがありました。いまからちょうど10年ほど前です。

なんとかせねばとあせるのですが、どうも駄目。こういうとき、サラリーマンなら、とりあえず会社に行くこともできますが、フリーは、すべてにおいてフリーなので、やらなくても、誰も文句は言いません。そのかわり、やらなければ、確実に死んでしまいます。

そこで俺は考えたんです。ここで荒療治をしなければと。それは、カメラを持たないで旅にでることでした。そしたら、写真が撮りたくてしかたなくなるに違いないともくろんだのでした。

ところが、1週間、2週間、3週間たっても、いっこうに写真を撮りたいと思わなかったのです。ただ、旅していることだけで満足でした。それで俺は悟りましたね。あぁ、俺は写真撮らなくても平気な人間なんだと。荒療治は失敗に終わったのでした。

ただ、だからと言って、俺がやりたいことは、写真ではないなどと結論するのは、ちょっと違います。事はそう簡単ではないのです。

撮りたいと思わないときは、撮らずにすむということは、いいことでもあるし、また、悪いことでもあります。写真はなんだかんだ言っても、行為がすべてです。カメラを持ってシャッターを切るという行為がなくては写真になりません。頭で想像して「念写」でもできれば別ですけどね。それは冗談としても、とにかく、動かなければ駄目なのです。だから、無理してでも、撮り続けることは、スランプからの脱出につながるでしょう。

でも、一方では、やりたくないなら、徹底的にやらずにおこうとも思います。一番底まで行ったら、あとは上に登るしかない。俺はこの方法を取ったような気がします。「気がします」とは、あいまいですが、実際、どうやって、「メコン河燃え尽き症候群」から脱出したのか、俺もよくわからないのです。気がついたら棚田の写真を撮っていた、あれ、いつの間にか、また写真を撮っているなぁ、という感じなんです。

なんだかんだ言いながらも、かれこれ20年ほど写真は撮っているし、まだ飽きないし、だから、未だにほんとにやりたいことかどうかはわかりませんが、というより、そんなことを言ってもしかたないことで、写真は続けます。続いたことが、けっきょく「やりたいこと」なんではないでしょうか。


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2007/03/20

植村直己 冒険家は究極のエゴイスト (1)

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(写真は中国青海省・メコン源流)

この前の日曜日、NHKスペシャルで『ラストメッセージ(4) 植村直己』(☆山岳部落ちこぼれからの出発 ☆五大陸最高峰登頂 ☆夢を追い続ける)をやってました。

植村直己の4歳上の奥さんの一言は胸にしみました。「冒険家は、究極のエゴイストです」と。俺もそう思います。誰もが自分のやりたいことをやりたいんです。あこがれます。でも、いろんな事情でできません。あきらめます。

冒険家は、それでもやってしまうエゴイストなんです。でも、奥さんが言った「エゴイスト」という言葉に、植村直己を認めている優しい包容力を感じたのは言うまでもありませんが。

それでもやってしまう、それでもやらざるをえない、究極のエゴイスト。エベレスト登頂成功しようが、南極大陸走破しようが、そんなこと(すごいことではありますが)よりも、この社会の中でエゴイストであり続けることが、冒険的といってもいいかもしれません。エゴイストであり続ける精神力に、人とは違っているという英雄の姿を見るのではないでしょうか。勇気づけられます。

彼は言っています。やったことがすごいんではない。それをやり遂げるための過程がもっと大切だと。俺もそう思います。「旅」は目的地に着くことではなくて、その過程そのものであること。

植村直己が書いた本は俺も読んで影響を受けました。彼は大学卒業しますが、就職できずに、世界放浪の旅に出ます。俺の記憶違いでないならば、たしかアメリカでは綿花畑で働きましたが、不法就労だったので、イミグレに捕まり、留置場にも入れられたのではなかったでしょうか。留置場の快適さに、アメリカの物の豊かさを思い知ったということを書いてあったような、なかったような・・・。

俺が、パリでギャルソンのアルバイトをしようと思ったのも、彼の本の影響があったのかもしれません。番組を観るまで、すっかり忘れていましたが。


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2007/03/18

ヨシ焼きの中のゴルフ

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昨日、渡良瀬遊水地で行われたヨシ焼きについて書きました。

ヨシ焼きの最中、火の中でゴルフをしている人たち。


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2007/03/17

渡良瀬遊水地のヨシ焼き

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070317_1(ヨシ焼き)


3月17日、土曜日、曇りのち晴れ

今日は、栃木県・群馬県・埼玉県・茨城県にまたがる渡良瀬遊水地のヨシ焼きの日。昨日の夜に自宅を出て遊水地のそばで車中泊し、朝5時に起きて場所を探した。

ヨシ焼きの日は、人が遊水地の中に入ることはできず、車の駐車場も3ヶ所だけ指定される。6時ころ土手に着くと、もう30人ほどのカメラマンが集まっていたが、ヨシ焼き開始時間になると、土手の400mほどの区間がカメラマンで埋め尽くされた。何人いるだろうか? ざっと1000人は集まったかもしれない。壮観な眺め。

以前このブログで「恋人たちの等間隔の法則」という記事を書いたが、今日も、その法則にのっとって、カメラマンが等間隔に並ぶ。(今日の条件は「隣の人がぶつからない距離」だ) 

これだけのカメラマンが集まるイベントに参加したのは初めてのこと。ヨシ焼きよりも、この集まったカメラマンの多さに驚く。それがほとんど中高年。これから団塊の世代の大量定年を迎え、このカメラマンたちに仲間入りする人たちも多いのではないだろうか。来年は、1500人、再来年は3000人?

セスナ飛行機が飛んできて、ヨシ焼きの日であることを告げた。洗濯物を表に出さないように、窓を開けないように注意していた。

なぜヨシ焼きをするかというと、土手でもらったパンフレット『ヨシ焼き Q&A』(渡良瀬遊水地利用組合連合会主催)によれば、「ヨシを焼くことにより、害虫を駆除したり、落ち葉等も焼くことによってヨシを育ちやすくしたり、飛散するヤナギの種等を焼くことによって林のようになるのを防いだり、ヨシが成長する前に成長する春植物の発芽を促進する等の効果がある」とのこと。

午前8時半。棒の先に火を付けた係りの人たちがヨシ原の中に歩いて入っていく。遠くのほうから煙が立ち昇った。紅い炎も見えた。ようやく始まったようだった。まるで戦場のようだ。でも、こちらに近いところはなかなか燃えない。池があるので湿っているからだろうか。

もうもうと立ち昇る煙の中を、トンビとカラスが喧嘩しながら飛んでいる。どこかに避難しなくていいのだろうかと、人事ながら心配になる。

トンビとカラスの心配もさることながら、こんな日にも、ゴルフ場は営業している。黒煙と炎を背景にしてゴルフを楽しむ人たちを見て驚いた。こちらから見ると近いと感じるだけで、実際、火は遠いのかもしれない。でも、それにしても・・・。

今日は立ち入り禁止だが、ゴルフだけは例外的に許されているらしい。「ゴルフをやる」といって、中に入って写真を撮ったら、たぶん、誰も撮っていないアングルになるので、目を引くことになるだろう。少なくとも、この1000人の写真とは違うものが撮れる可能性が出てくる。

ようやく土手に近いところも燃え出した。炎は渦を巻き、パチパチと、ヨシが燃えてはじける音が聞こえる。炎を見ると興奮する。心に力がみなぎってくる。イラン・ヤズドでは拝火教の寺院へいった。聖なる炎が燃え続けていた。炎に神秘性を感じるのはイラン(ペルシャ)人だけではなかった。日本でもそうだった。心の奥深いところの何かが刺激される感じがする。

炎の熱で顔が温かくなった。冷えた体に、炎の熱はありがたい。煙が天まで延びて、ようやく顔を出した太陽を再び隠す。

ところで、今日の教訓として、場所は充分にあるので、わざわざ早起きして三脚用の場所取りする必要はなかった。1時間前に着けば充分。

11時ころ、ひと段落つき、カメラマンたちも帰りだした。焼けたヨシ原の匂い。これが渡良瀬遊水地の春を告げる匂いなのだろう。


Ya_2「渡良瀬遊水地」、北海道「大沼」、兵庫県「円山川下流域・周辺水田」などがラムサール登録(2012/07/04)

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2007/03/15

雲南の「おもしろさ」を買う

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(写真は、雲南省北西部、梅里雪山とチベット集落)

雲南関係の仕事が入ってきたので、雲南で撮影した写真をあらためて見直しています。

そういえば、去年は1回も雲南に行ってないんですよね。そんな年は、ここ20年で、3回(年)くらいで、ほぼ毎年少なくとも1回は雲南に行っていました。今年は行けるでしょうか。

それにしても、自分で言うのもなんですが、よくこんなに雲南省の写真を撮ったものだと感心します。よほど暇なのか、バカか、というくらいです。職業として考えると、経済的にはほとんど成り立ちません。にも関わらず、撮り続けるには、かなり強力なワケがあるはずです。

それはなんなのか? まぁ、一言で言ってしまえば、「おもしろい」からです。「おもしろさ」は大切です。たぶん、雲南が、肌に合ったのでしょう。一目惚れしたと言ってもいい。とにかく、おもしろくないと、なかなかそこまでのめりこむことはなかったわけです。

でも、こんな俺の行動が、「市場原理」からすると、やっぱり理解できないと考える人もいると思います。どうしてお金にもならないことをいっしょうけんめいやるのか?と。(実際は、少しだけお金になっていますが) なので、こう考えてみてください。

俺が雲南に行かないと、その時間を使って仕事をしたときに稼げるお金があるわけです。そのお金を使って雲南の「おもしろさ」を買っていると考えるんですね。バーター交易です。お金は見えませんが、ちゃんとお金が動いていると考えてみるんです。

よく「お金にもならないことを」と言う人がいますが、それは正しくないかもしれません。ちゃんとお金は動いている、ただ見えないだけです。「おもしろさ」を与えてくれる雲南に、俺がお金を払うのはあたりまえです。そう考えれば、摩訶不思議な行動も、市場原理から理解されるのではないかなと思います。どうでしょうか。

それはボランティア活動もそうだと思いますよ。「無償で」助けるといいますが、そういう活動をすることによって、助ける人が、助けられる人から、「満足感」「達成感」「生きがい」「やりがい」などを、見えないお金で買っているんです。表面上は「無償で」活動しているように見えるだけ。

こう言った方がわかりやすいでしょうか? 「満足感」「達成感」「生きがい」「やりがい」を与えてくれるんだから、お金を払っても当然だと。(あくまでも、お金を払っているのは、助ける活動をしている人の方ですよ) 

そう考えれば、助ける人は傲慢にならないし、助けられる人も卑屈になることもないし、対等な関係をもてると思います。


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2007/03/14

『LOST シーズン2』を観て (3)

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『LOST』でまだ引っ張るぞー。

昨日、嘘でもいいから、「助かる」という希望を語る人が必要だなどと書きましたが、もしかしたら、ふたつの方向に分かれるのかもしれません。

と、言うのは、元の世界に執着し、あくまでも「助かる」ことを前提に生きる人たち。そして、もう一方は、新しく生まれ変わったつもりで、島でずっと生きていくことを決意する人たち。

俺はどっちだろう? たぶん、後者かもしれません。こう見えても、いや、見るからにと言ったほうがいいかもしれませんが、環境に順応しやすいことは自覚しています。だから、自分の運命を受け入れて、島で生きていくことを決意するかもしれません。

ある程度の気温、水、食糧、寝るスペース、排泄できるところがあれば、けっこう生きていけるような気がします。あとは精神的にどうかという問題です。他に仲間がいればいいですが、もし、ひとりになってしまったとしても、昨日書いたように、俺は嘘をつくことができるし、それは自分自身に対してもそうで、「ここは、住みやすい」という嘘を頭の中にでっち上げ、生きていけるように思うのです。

でも、こんなこと書いている俺ですが、実際、ほんとに絶海の孤島に取り残されてしまったら、気が狂ってしまうかもしれません。意外ともろいモンです。

そう考えると、『LOST』の人たちはタフですね。あまり「帰りたい」と言わない。もっとも、このドラマは、「遭難」がテーマというわけではなくて、むしろサスペンスドラマなので、そのあたり、リアルに描く必要もないからでしょう。

登場人物の過去が明らかになるにつれて「元の世界」に執着する必要のない、「不幸だった人たち」の寄せ集めであることがわかってきました。どうしてこの島に「来た」のか?という、このドラマの最大の謎は、そのことと関係すると、俺は予想しているのですが。


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2007/03/13

『LOST シーズン2』を観て (2)

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(写真はタイ・プーケット島のジャングル)

昨日、『LOST』のような状況に置かれたとき、俺のようなヤツは、ブタの解体しかできないなどと書きましたが、実際、何かできるでしょうか。

飛行機が墜落して、パニックになっているとき、まず必要とされるのは、医者かもしれません。怪我人を治してくれる人です。そしてドラマでは、不幸にして亡くなった人たちをそのままにはできないので、死体を適当な場所に運び穴を掘り、埋葬しました。だから、穴をほれる人、体力がある人が必要です。お祈りできる人もかな。

食糧をなんとかしなければならなくなるので、海に近ければ、魚を獲る人が必要です。小動物を獲る人も必要です。あるいは、バナナや椰子を集める人。ドラマでは1ヶ月すると、畑で菜園を作り始めていたので、栽培の知識を持った人が必要になります。

問題はそのあとですね。もちろん、俺は島に取り残されてサバイバルをやったことがないので、想像するしかないのですが、1ヶ月くらいは、慣れない環境に精一杯適応しようとしているので、あまりゆっくり考えることもなく、あっという間に時間が過ぎていくような気がします。だから気が張っているので、かえって元気でいられるかもしれない。

ところが、1ヶ月たっても救助隊は来ないとなると、もう捜索は打ち切られたのだろうか?と考えるだろうし、食糧を調達することにも慣れて、時間的に余裕ができてくると、かえって不安感が増すのではないかと思うのです。いつまでこの生活を続けなくてはいけないのか?と。期限付きのサバイバルなら気が楽です。でもこの場合、いつになるか全くわからないという状況なので、不安感は倍増するでしょう。

当面の危機から脱すると、数十人の中には、嫌いなヤツ、そりが合わないヤツも出てくるだろうから、その人間関係も気になってくると思います。嫌いなヤツらと分かれて危険な状態を受け入れるか、それとも我慢していっしょにいて安全を得るか、葛藤に悩むかもしれません。精神的にきつくなってくるのではと想像します。ドラマでも、その微妙な駆け引きが描かれています。

そんなとき、何とか仲間割れしないような調整役と、「いつかは助かる」という希望を与えてくれる人が必要でしょう。それはどんな人なのかなぁと思うわけです。想像をたくましくして、シミュレーションしてみるんです。

調整役、つまりリーダーは、やっぱり腕っぷしの強いヤツかな。そして希望を与えてくれる人は、ある意味、嘘つきがいいのかもしれません。嘘でもいい、助かるんだという希望が欲しい。その希望さえ失わなければ、生きていけるような気がします。未来を語る嘘つきが。その役目、俺にふさわしいような気がしないでもない・・・・。


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2007/03/12

『LOST シーズン2』を観て (1)

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(写真はタイ・プーケット島のジャングルの青い湖)

『LOST シーズン2』の4巻まで見ました。飛行機が墜落し、南海の孤島で生活することになった人たちのサバイバル・サスペンスドラマです。

『LOST』オフィシャルサイトはこちら

ああいう状況の中で、どういう人がリーダーになっていくのか、どういう人がどういう役割を担っていくようになるのか、という興味を持って観ているのも面白いですね。その人の過去が生かされるんです。

俺なんか、「写真を撮れる」という技術を持っていても、こういうサバイバル状態の、生きるか死ぬかの場面ではさっぱり役に立たないようです。医者とか、警官とか、魚釣の技術とか、農業技術とかが重宝されます。

しいてできると言えるのは、ブタの解体ですかね。ただ、実際はやったことはないですよ。でも、アジアを旅していて、冠婚葬祭で解体されるブタは何度も見ています。見たからできるというものではないかもしれませんが、でも、まったく知らない人よりはできるでしょう。まぁ、その前に、獲物を獲る技術がないとだめですが。

獲物(いのししなど)の頚動脈にナイフを入れて、血を抜きます。この血はバケツなどの器に取っておきます。血もりっぱな食糧になるので無駄にできません。周りに燃えやすい藁や小枝を集めて火をつけて表面を焼きます。毛を焼くわけです。そのあと熱湯をかけながら、包丁(鉈の方がベター)で毛を剃り落とし、表面をつるつるにします。そして喉から腹の方を切っていきます。開きのようにして各内臓を切り取り、取り出します・・・。

10年以上前ですが、中国で知り合った旅行者たち数人が、東京で再会したことがありました。店で食事をしながら話は盛り上がっていき、なぜかブタの解体の話になって、こんな解体の仕方を得意になってしゃべっていたら、隣のテーブルにいたおばさんから、「あんたたち、そんな話、ここでしないでちょうだい」と怒られてしまいました。

「あっ、そうか」と俺たちは気がつきました。そこはトンカツ屋だったのです。「すみません」と俺たちは恐縮し、別な話題にしましたが、数分後、今度は中国の汚いトイレの話で盛り上がったのは、言うまでもありません。


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2007/03/09

ゴミ屋敷

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昨日の「ゴミタワー」に引き続いて「ゴミ屋敷」のことを書きます。どうも、気になるんですよね。いや、俺は「ゴミ」に寛容なのです。

写真(↑)は30代の頃借りてたアパートの部屋です。(今住んでいるところは、もう少しきれいですよ) 俺は、この部屋を「コックピット」と呼んでいました。イスから動かずに、電話、パソコン、もろもろを操作できて便利だったからです。(ここ、自慢話です) よくこんな写真を撮ったと思いますが、そしてまさか、この写真が日の目を見るとは想像もしていませんでしたが。

俺は「ゴミ屋敷」に迷惑している近所の人の気持ちはわかります。風が吹いて飛ぶかもしれない、生ゴミは臭い、火事になったら危ない。確かにそうでしょう。でも、例えば北海道のゴミ屋敷が、東京や大阪の人間に迷惑をかけているとはとうてい考えられません。

「みんなに迷惑でしょ?」「いつ片付けるんですか?」とレポーターは突っ込みます。レポーターの彼女(彼)の後ろには、「善良な」視聴者がいます。「こんな迷惑な人がいるんだ。ほんとにひどい人ね。まわりに迷惑かけるなんてとんでもない」と、「善良な」市民は、我が事のように憤慨します。自分の道徳心を満足させてくれるかっこうの話題なのかもしれません。

大きな犬を公道で散歩させたり、香水を付けて電車に乗り込んだり、電車内で携帯を使ったりする迷惑行為は、自分の身に降りかかる確率は高いけれど、ゴミ屋敷は、かなりまれな例ですからね。安心して見ていられる話題です。

しつこく取材するレポーターにキレて、北海道のごみ屋敷の主人は「うるさい! ばばぁ!」とか暴言を吐いてしまいました。こぶしを振り上げて、殴ろうとします。そうするとレポーターは「こんなひどいことを言われました」「私たちは何もやってないのに、殴られそうになりました」といって怒ってみせます。でも本音は、主人の「ひどさ」を強調できるので「いいコメントと画が撮れた」とほくそえんでいるのです。俺だって、しつこくカメラを向けられたら怒りますよ。

反対に、ゴミ屋敷の主人が「改心」して、片付けでもしようものなら、「善良な」視聴者は、その姿を見て満足するのです。そしてレポーターは、まるで正義の見方のように満足な顔をテレビの画面にさらすのです。

なんなんですかねぇ。これはフェアじゃない、バランスを欠いていると思います。レポーターと視聴者が「道徳心」という錦の御旗を立てて、よってたかってひとりの人間を糾弾する一種の見せしめですね。イジメと言ってもいいでしょう。

別な、東京近郊のゴミ屋敷の主人は、おばあさんでしたが、関係者によると「彼女は孤独を埋めようと、ゴミを集めているんでしょう」だって。こちらのテレビレポーターは、北海道のとは違って、おばあさんに誕生日プレゼントにケーキまで持ってきてあげていました。それは、孤独感をなくし、ゴミを集めないようにしてもらおうというのでしょうか? 

一見違ったタイプのレポーターですが、根っこは同じ。よってたかって、彼女を「まともな」人間にしようと奮闘します。おばあさんが、それでも、のらりくらりと、嘘をついたり、とぼけたりしながら、ゴミ集めを続けるのがとても痛快です。そういうレポーターの本心を見透かしているようです。

別に俺はゴミ屋敷の主人たちに肩入れするつもりはありません。確かにゴミ屋敷は、周辺住民には迷惑です。仮に隣の家がゴミ屋敷なら、俺は隣の人と戦うでしょう。言ってもわからないヤツなら、窃盗犯になってもかまわないので、勝手にゴミを片付けるでしょう。

でもみんなで糾弾するほどどひどい人たちでしょうか? 今の社会になじめない人、むしろ、社会の弱者というふうに見えるんですが。昨日も書きましたが、「ゴミ集め」は、「もったいない」という無意識の「表現」なのではないかとさえ思います。今の社会に「何か」を訴えているような気がしてならないんです。

政治家など、糾弾すべき人はたくさんいます。そっちの方をまず、「まともな」人間にしてあげたほうがいいのではないでしょうか。

俺は想像してしまうんですよね。ゴミ屋敷ほど目立たなくても、ちょっとした迷惑をやったとき、集団で糾弾される怖さを。いや、自分でも迷惑だと自覚していることなら、しかたないのですが、でも、自分で正しいと思っていることで、もし集団で糾弾されたとしたら? 「数の暴力」とでも言ったらいいんでしょうか。あるいは、「善意の暴力」といってもいいかもしれません。それが、とても恐ろしい・・・。

「まともな」人間しか許してもらえない社会が、そんなにいいでしょうか? 俺たちは、「あなたは、まともじゃない」と、誰から判断されるのでしょうか? 人事じゃないんです。


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2007/03/08

「ゴミタワー」を「創作」したオヤジ

070308
「犯罪」と「創作」は紙一重のところがあるんですよね。などと、以前書いたことがあったと思いますが、まさに、このゴミタワーは、そのことと関係があります。

“築10年”10メートルゴミタワー解体
スポニチ http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/03/02/01.html 参照

ゴミを自宅の屋根に積み上げた、いわゆる「ゴミ屋敷」の変型版。高さは10m以上にもなっていて、見たところ『ハウルの動く城』みたいです。ゴミタワーの中には、「菜園」まであって、植物も栽培されているし、片付けている作業員たちはさかんに「臭い、臭い」と言っているので、何かが発酵しているのでしょう。微生物たちにとっては天国なのかもしれません。

ここで問題になっているのは、住宅街にこれを「創作」してしまったことでしょう。隣近所の人たちにしてみれば迷惑な話です。

だから、周りに民家もない場所でこれを「創作」したとしたら、たぶん、ゴミタワーのオヤジが「芸術です」と訴えれば、みんな「そうですね」と納得するかもしれません。仮に積極的にホメることはなくても、迷惑でないかぎりにおいて、消極的には認めてくれると思います。

さかんにレポーターは、「どうしてこんなことをしたの?」とオヤジに聞いています。でも、オヤジは、わけのわからないことを繰り返すだけです。「どうして」なんて、オヤジにもわからないんではないでしょうか。これを「創作」せざるをえない心の状態だったと、俺は想像するだけです。「もったいない」という無意識の「表現」なのかも、と。

これを「創作」するのに、10年以上かかったらしいですね。よくここまでやったな、という驚きを与える「作品」です。人の心を揺さぶる作品を創るのが芸術家であると定義するならば、このオヤジもそういっていいのかもしれません。芸術に、道徳とか、法律とか持ち出してきても、あまり関係ないでしょうからねえ。

もちろん、俺は、ある人たちとって「ゴミ」でも、別な人たちから見たら「芸術」にもなりえる、そしてそのふたつの境界は意外とあいまいだと言いたいだけであって、オヤジを全面的に支持したり、賛同したりしているわけではありません。念のため。


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2007/03/07

インドネシア・ジョグジャカルタで、飛行機事故

070307
(写真はジョグジャカルタ市内)

ガルーダ航空機が事故です。

事故には日本人も巻き込まれました。原因はまだわからないようです。

「テロ」という表記は今のところ無いようですが、どうなんでしょうか。

インドネシア・ジョグジャカルタは、数年前に行きました。町の中には王宮や大きなマーケットがあります。「ワヤン・クリッ(影絵芝居)」も鑑賞できます。郊外には、「ボロブドゥール」や「プランバナン」などの世界遺産もあり、観光地として賑わっています。だから外国人もたくさん訪れている町です。

インドネシアは広い範囲にまたがる島国なので、移動するときは飛行機をけっこう使っています。最近は、航空会社も増えて、価格競争が激しくなっているらしい。整備もきちんとされていないのでは?という報道もありました。

そういえば、ガルーダ航空は、過去も大きな事故を起こしています。テレビ報道によると、過去20年間で6回起こしているそうです。かなり、事故の確率が高い航空会社と言えるかもしれません。


旅客機が着陸時に炎上、49人死亡 インドネシア
CNN http://www.cnn.co.jp/world/CNN200703070004.html 参照

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2007/03/06

泥棒がマンションの管理人だった

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(写真はパキスタンの男)

泥棒がマンションの管理人だったというニュースがありました。日本での話です。

被害者が、最近なんとなく財布から金がなくなっていくことを不審に思い、自分の部屋に監視カメラを設置。そしたら、財布からお金を(しかも全部ではなくて、少しづつ)盗んでいたのは、そのマンションの管理人だったというのです。管理人は合鍵を使って進入していたのでした。

なんともすごい話ですが、これを聞いて思い出したことがあります。

パキスタンのラホールにも「泥棒宿」がありました。一軒だけではありません。複数の宿がそうで、頻繁に宿の名前を変えていました。

それを知ってて泊まる俺も俺ですが・・・。

宿をチェックアウトして、パキスタンからインド入国のために国境を越えたときでした。たまたまこの宿でいっしょになった日本人旅行者4人と国境を越えることになったのですが、その中のひとりが、「あーっ、ないーっ!」と突然叫んだのです。なんと、現金を盗まれたのでした。そしたら、もうひとりも「私も盗られた!」といいました。彼女はトラベラーズチェックを盗られていました。

ふたりもやられたか、あの宿が噂の泥棒宿だったんだなと俺は思いました。でも、泥棒宿が多いと知っていて、盗られるのもまぬけだなぁと、俺は口には出しませんでしたが、内心思ったのでした。ところが、念のために俺も、マネーベルトを調べてみたら、あったはずのドル札だけないんです。使った記憶はないので、盗られたらしい。俺も、まぬけな旅行者の仲間入りをしてしまいました。

そこからわざわざ戻るのも面倒だし、仮に戻ったとしても、証拠はなくて、結局なき寝入りするしかなかったのです。なぜ泥棒宿が国境の町にあるのかわかりました。

盗られたのは、ドル札で1万円分ほどだったので、その後の旅に影響はあまりありませんでしたが。でも、どこで盗られたんだろう? 普段は現金・トラベラーズチェックは、マネーベルトに入れて、腹に巻いていたし、シャワーのときも、ちゃんと目の前に下げて浴びていました。

そう言えば、と思い出したことがありました。「安宿」という割には、熱いお湯がふんだんに使えるシャワーがあったり、無料のマッサージがあったり、今から思えば不審なところがあったのです。俺は、マッサージを頼んだのですが、屈強な男の従業員がオイルを塗って全身マッサージをしてくれたんですが、そのとき、男が「オイルで汚れるからはずしたほうがいい」と言うので、マネーベルトをはずして、枕元においてしまったのです。頭をグルグルといじっているとき、おそらく、彼(あるいは別な従業員)が、マネーベルトからこっそりドル札を抜き取った。そうとしか考えられません。他に外した記憶がないので。

だいたいは、部屋に隠し戸があったり、客が外出中に、宿の従業員やオーナーが合鍵で入ったりして、旅行者のものを盗む手口だったらしいのですが、今も、こんな宿あるんでしょうか。


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2007/03/05

土星とリングの写真

070305
(写真は、中国トルファン・交河故城)

去年の「冥王星騒動」以来の宇宙の話です。

土星とリングの写真、美しいですね。(↓のホームページ参照) こういう角度で撮影されたのは初めてだそうです。カッシーニ土星探査機が撮影しました。こんな写真を撮ってみたい。

NASA http://www.nasa.gov/mission_pages/cassini/media/20070301.html 参照
目が眩むほどの美しい土星
宇宙(そら)へのポータルサイト http://www.sorae.jp/031005/1735.html 参照

それにしても、宇宙で撮られた写真は、美しいものばかりですが、「美しくない宇宙の写真て、見たことないなぁ」と、突然思ってしまいました。

蜂の巣に美しさを感じるのと同じに、自然界にあるもののうち、「そうならざるを得ない」形をしているときが、美しいと感じるのでしょうか。自然の、宇宙の法則に則っている、その必然性に美を感じるのかもしれません。

そして人間のスケールと比べると、圧倒的に「巨大」であったり「遠方」であったりします。肉眼で見れる範囲を越えています。手で触れる大きさを越えています。スケールの違いが、「そうならざるを得ない」形の美しさを増幅しているようで、人間の目には新鮮に映るのではないでしょうか。

そういう意味で、ミクロの世界も同じですね。顕微鏡で見た世界は美しいものです。ピントがずれていたらなんですが、「美しくない顕微鏡写真」というのも、見たことないです。


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2007/03/03

「旅」とは?

070303
「旅」とは何でしょうか?

J-WAVEの番組「ANA WORLD AIR CURRENT」で、葉加瀬さんから最後に聞かれた質問です。

俺は「やらざるを得ない、仕方ないもの」などと言っていましたね。

人類が、アフリカから出たときから、旅をすることが運命付けられていた。だから俺が旅するのも、しかたのないことなんです、などと言ったことに対して、「ずいぶん大きな言い訳ですね」と、葉加瀬さんから切り替えされてしまいました。

「旅」と「旅行」との違いについては、以前も書いたので、詳しくは省きますが、「旅」はどちらかというと、精神的な移動、「旅行」は肉体的な移動を伴うレジャーというふうに、一応区別できるかもしれません。(あくまでも、俺だけの区別です) もちろん、そこにはっきりした線は引けないので、境はあいまいですが。ただ、俺は、その微妙なところにこだわっています。

「旅」とは何か?と一般的な言い方をすると難しいので、個人的に、俺にとって「旅」とは何なのか?を書いてみたいと思います。「人生は旅」とか「旅は人生」とか言われますが、この言い方は、あまりにも当然過ぎて、ちょっとピンときません。

いろんな言い方ができますが、ここでは3つにしてみます。

ひとつには、「やらざるを得ない、仕方ないもの」です。番組でも言ったことです。「外に出たい」という強い衝動です。水や空気がないと死んでしまうように、旅がないと精神的に死んでしまうのです。だから逆に、「旅しているときは精神的に安定する」と言うこともできるでしょう。

ふたつには、「言葉のようなもの」と言えます。写真や音楽や絵と同じように、旅のやり方(行った場所やバックパッカー的旅の仕方)が、俺にとっては表現、他人とコミュニケーションを取るためのものになっているという意味で「言葉」なのです。

みっつめは、「見つからない桃源郷を探しているようなもの」と言えるかもしれません。桃源郷、理想郷は、結局見つからないかもしれません。でも、「ない」と思っているわけでもありません。「探し続けること」だと思うんですよね。一生。それがそのまま「旅」であるような気がします。

みっつ書いてみましたが、たぶん、全部同じことかもしれません。「精神的に安定する」ということは、気持ちがいいからだろうし、その気持ちよさは、自分の桃源郷に近いからでしょう。そしてまた、言葉を使って人との繋がりを感じられたときも、やっぱり気持ちが良いし、それは自分の桃源郷に限りなく近いからではないでしょうか。

ところで、番組では、やっぱり「ASIAGE」の音楽CDについては、カットされていました。残念。(音楽について葉加瀬さんと語り合うなんて、100年早いよね)


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2007/03/02

J-WAVEの番組放送は、明日(土曜日)です

070302
(写真はベトナム・ハノイ)

忘れている人に、もう一度お知らせです。(しつこい?)

ラジオ番組、J-WAVEの「ANA WORLD AIR CURRENT」は明日放送です。3月3日(土曜日)、19:00~です。旅の話、写真の話、棚田の話をしています。聴いてみてください。

J-WAVE ANA WORLD AIR CURRENTのホームページはこちら

ところで、昨日NHKの番組、ドキュメント72時間 「バックパッカーたちの東京」の話を書きました。その中で「自分探し」についても触れました。

どうも、俺はこの言葉がひっかるんですよね。どちらかというと、こそばゆいというか、気恥ずかしいというか、そんな感じ。というのは、「旅」そのものが、そういう意味を含んでいるのはわかるんですが、だとしてもそれを「自分探し」という言葉でヌケヌケと言ってしまうのが、とても気恥ずかしいんですよね。どうしてなのか、俺もはっきりわかりませんが。

自分は何であるか?という大きな問題に悩むのは人間の特権です。(若者だけの特権ではありません。中年であっても、老年であっても、おそらく死ぬまで、悩みは解決しません) 一番やりたいことを探すのも必要です。あまりにも多くの情報があふれている社会では、なおさら自分が何者で、何をやりたいのかが見えにくくなるということがあるからです。

ただ、そういう心の迷いを「自分探し」という言葉で、しかも、かっこいい(かっこよくもないか?)言葉で、言い換えてしまうのは、どうなんだろうか?と思っているからでしょうか。

自分が何者なのか、何をやりたいかなんて、そう簡単に分からないし、たいていの人は、一生わからないんです。わかったつもりになって、生活しているだけです。俺もそうです。「自分探し」などという言葉で言えるほど、サラッとしたものではない、と思うんですが。

ただ、前に何かのインタビューを受け、まだ写真家になっていない頃の話をしたとき、「それはあおやぎさんにとって、自分探しの旅だったんですね?」と聞かれて「そうですね」などと、平気で答えていたようにも思います。他人から言われるときは、俺も拒まないようです。(なんていい加減な!)


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2007/03/01

ドキュメント72時間『バックパッカーたちの東京』

070301
(写真はバンコク・カオサン)

ドキュメント72時間 「バックパッカーたちの東京」というNHKの番組が、おとといの夜、再放送(再々放送?)されました。この番組のことを知ったのは、放映されたあとだったので、今回の再放送を楽しみにしていました。

東京山谷という日雇い労働者が住むところ。そこに集まってくる外国人バックパッカーたち。欧米系旅行者のバイブルとも言えるガイドブック「Lonely Planet」に、山谷のゲストハウスが載っているからだそうです。

思い出します。いろんな国の、外国人がたまっている安宿。山谷のゲストハウスは、タイあたりのゲストハウスと雰囲気がそっくりです。外国のゲストハウスに泊まったとき、表へ出ると、怪しいおっさんが声をかけてきたりしますが、山谷でも同じようなおっさんがやっぱりいるんですね。バックパッカーは、こんなおっさんと仲良くなります。

安宿は、その町の治安が悪かったり汚かったりする地域で、現地の人間でも、あまり近づかないようなところにあったりします。だから安いのですが。それで現地の人間は、びっくりするわけですね。どうしてこんなところに外国人が泊まっているのかと。でも、そういうところが面白い。

治安が悪いホテルではありませんが、雲南省昆明の茶花賓館(カメリアホテル)のドミトリーに、現地の中国人を連れて行ったことがありました。当時、20人部屋があったので、中国人はびっくりしてました。どうして金持ちの外国人が、こんな狭いところに、たくさんの見知らぬ他人といっしょに泊まっているのかと。しばらく、唖然としていたのを覚えています。

番組の話に戻ります。

アフリカ系フランス人のアマーは写真家を目指してる青年です。フランスでアルバイトして、お金をためて、何度も日本にやってきています。「将来は、いろんな国で撮った写真が新聞などに掲載されるのが夢です」と語りました。まるで、昔の俺を見ているようです。

最後にどうして、日本に何度もくるのか?という質問に、「日本人はほんとに優しくて、すばらしいからだよ」と言いました。深読みすれば、フランスでは、肌の色や出身地で差別を感じる彼でも、日本ではむしろモテたりするのではないでしょうか。だから居心地がいいのでしょう。でも、それは「日本人が優しいから」とは単純に言えないところがあります。なぜなら、同じ外国人でも、アジア系の人には厳しい日本人ですからね。

自分で癒されない部分を求めて、外国へ行こうと思うのは自然な成り行きです。彼の気持ちはわかる気がします。

3年間そのゲストハウスに住んでいるポーランド系イギリス人の青年も登場しました。日本語もぺらぺらです。もともと写真やデザインの勉強をしていましたが、今は、英語の先生をしながら暮らしています。無断外泊をしたり、生活は、ちょっと荒れた感じです。彼はどうしたいのかよくわかりません。イギリスに帰っても、また日本に戻ってきているようです。

フランス人のアマーも、このイギリス人も、「自分探しをしているのでしょうか」などと、吹石一恵さんのナレーションが入っていましたが、そんなかっこいいものではないかもしれませんよ。彼らは、自分の国では、「主流」とか「エリート」とかいうものから外れたところにいる人間です。そういった彼らが、居心地の良さを感じるのは、外国にいるときだから、ということかもしれません。自分の国で見つけられない「自分」が、外国に出たからといって簡単に見つかるわけではありません。俺も、「主流」とか「エリート」から外れた人間なので、そう思うのかもしれませんが。

ただ、だからこそ見えている風景があるのです。彼らにしか見えない特別な風景が。


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