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2007/04/30

新潟から山形県庄内地方

070430
4月30日、月曜日、晴れ

昨日の夜は、暗闇の中で、はさ木の写真を撮った。暗闇といっても、月明かりがあるので、写真を撮るには充分な光量がある。シャッターは5分~20分開けておくが。

今朝は4時半に起きた。5時くらいに民家の屋敷林から太陽が出た。東側には山がなかったようだ。西側には弥彦山、多宝山などが見える。すがすがしい朝。5時過ぎには、農家の人たちの作業が始まった。仕事は、日の出とともに始まり、日の出とともに終わる。

はさ木は朝日をバックにシルエットに浮かび上がる。夏井には約600本が保存されているという。それにしても不思議な形。マダガスカルの、バオバブの木を思い出す。

バオバブも水田の中に立っている。いや、水田に立っている木が目立つ。普通は(自然の状態では)、ジャングルの中にあるので、あの独特な形は、よくわからない。近くから見上げるしかないからだ。

結局、あの独特の形に感動するが、皮肉にも人間がジャングルを切り開いたり、焼き払ったりした残骸ということらしい。バオバブの太い幹には、水分が多く、ジャングルの他の樹木が焼けても、バオバブだけは焼け残ったということらしいのだ。もちろん牛に幹をかじらせて水分補給をさせたという話も聞いたので、バオバブは人間にとって有用だったということでもある。

一段落して駐車場に戻ると、新潟市内から来たというおじさんに声をかけられた。彼は何度もここに来ているらしく、「あそこに花が咲いているので案内します。着いて来てください」といって車で先導し、俺を花の咲いている場所まで連れて行ってくれた。

「この花を前景に入れて、はさ木を撮るといいですよ」とアドバイスをくれる。地元のアマチュアカメラマンはよく知っている。アドバイスはありがたい。ただ「自分の影は入れないように」と注意されて、俺は、内心「そんなこと、わかっているよ」と思ったが、口には出さず、「ありがとうございました」と、素直な人間を演じたのは言うまでもない。

夏井から、新潟市に戻り、新発田市、村上市と北上。昨日通った道を逆戻り。日本海沿いを行ったり来たりしているが、天気、時間、撮影地の優先順位を考えて、こんな大移動をしている。長距離運転に少々疲れ気味。

村上市から、海岸沿いの道、国道345号線に入る。15kmくらいのところに、「笹川流れ」がある。眼鏡岩、獅子岩などの奇岩と洞窟が11km続く景勝地。変化に富んだ風景だ。それにしても、水が青い。

カモメがたくさん止まるお椀型の岩のところで、思わず車を止めて、海岸まで降りていった。砂浜はゴミだらけだったが、水際はきれいだった。波の写真を撮る。(↑に掲載)かなり危険な撮り方。海水をかぶったらアウト。波しぶきが風で飛ばされてくる。

再び国道7号線といっしょになり、海沿いを北上。このあたり、塩造りが盛んらしい。直売もしているようだ。由良から内陸に入り、鶴岡市の北から三川町。ここに道の駅庄内みかわがある。「なの花温泉 田田」が隣に。りっぱな建物だ。温泉の料金400円。風呂の他、サウナやマイナスイオン室まである。

温泉から北東方向、車で約40分、松山町の「眺海の森」に上る。ここからは、鳥海山や、最上川が見渡せる。遠く輝いているのは、日本海だろうか。夕方の日の入りを待つ。

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2007/04/29

新潟県、夏井のはさ木

070429
4月29日、日曜日、晴れ

昨日は、男鹿半島の付け根、天王町の道の駅てんのうに泊まった。ここには温泉もある。ゴールデンウィークということで、車中泊しながら旅をしている人も多い。隣の車では、コンロを出して、朝食の準備だろうか。本格的だ。

6時半に出発。海岸沿いの県道56号線を南に。秋田市内を抜けて、ひたすら南下する。時間が早いせいか、昨日よりも、車がすくなくスムーズだ。そういえば、昨日から気がついたが、この日本海沿いには、風力発電のプロペラが多い。秋田市郊外にも10基ほど並んだ場所があった。やっぱり風が強いところなのだろう。

市内から南に10kmほどいったところ、JR駅みちかわのちょっと手前に、「日本ロケット発祥の地」という看板があって、昨日もなんだろうと思っていたが、気になったので、よってみた。

国道7号線を海岸のほうに降りる細い道があって、曲がったら、5mほど先から10mほど、砂地になっていた。嫌な予感はあったのだが、大丈夫だろうと思い、下っていった。砂にタイヤを取られたが、なんとかクリアー。

看板には、100mとあったので、そのまま海岸までいったが、何もない。おかしいなぁと思って、戻ったとき、さっきの砂地のところに碑があった。100mもない。10mだ。俺の勘違いか?

碑によると、昭和30年8月6日、日本初の国産ペンシルロケットの発射実験を行った海岸らしい。全長23cmで、高度600mという、今からみればおもちゃのようなロケットだったが、その後の日本のロケットの発展はすごかったんだなぁと思う。23cmでも、飛んだときの嬉しさは想像できる。

さて、帰ろうと思い、また砂地を一気に上ろうとしたら、とうとう砂にタイヤを取られて動かなくなってしまった。サハラ砂漠ならともかく、日本で砂に阻まれるとは思ってもみなかったが、普通の自動車は、こんな些細なことで動かなくなってしまう。いかに自動車というものが、均一に作られている道があってこそ、走れるということがわかった。

幸いにも、近くに、木の枝や、ゴムのような床材が落ちていたので、それをタイヤにかませて、動かした。そして脱出できた。

本荘市を通過。正面に鳥海山が見え始める。北側だからだろうか、雪で真っ白。

道の駅象潟で休憩。ここにパソコンがあったので、自分の昨日のブログを見た。ところで、この近くに「物見山」というものがあることがわかった。1802年、伊能忠敬が象潟で測量を行ったが、その記録に物見山のことが書いてあるそうだ。

道の駅から、250mほどのところにあった。「山」というから、もっと大きいのかなと思ったら、高さ15mほどの丘だ。頂上には休憩所もあった。周辺の海はよく見える。

酒田市を過ぎて、国道7号線を離れて、海沿いの道を走った。湯の浜温泉、由良温泉というところを通った。昔、子供のころ、家族で海水浴といえば、このふたつの海岸。懐かしい。当時と比べると、りっぱなホテルもできている。

また7号線に戻り、南下。新潟市で、ちょっと道に迷ってしまったが、なんとか、夕方4時には、旧岩室村の「夏井のはさ木」にたどり着いた。不思議な風景だ。まわりの田んぼの半分は、水が張ってある。秋田県よりは田植えが早い。ちょうどトラクターで、代掻き作業中。それにしても、風が強い。

車がもう一台やってきた。山梨から来た人たち。彼らも今晩ここに泊まるそうだ。駐車場とトイレがある。

月が出て、はさ木といっしょに写真に撮る。暗くなりかけると、カエルの鳴き声が聞こえ始めた。田んぼの仕事は、暗くなるまで続いた。


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2007/04/28

秋田県八郎潟干拓地

070428
4月28日、土曜日、晴れ

7時半に山形県河北町の実家を出て、庄内平野へ。国道47号線から、酒田市に入らず、国道345号線で吹浦まで。途中、鳥海山がよく見える。水の張った田んぼもあったが、まだ少ない。

国道7号線に入り、ひたすら北上。山形県から秋田県に入ると、晴れてあったかくなってきた。今日は、東北北部は晴れるらしい。

本荘市、秋田市を抜けて、午後2時過ぎに五城目町に着いた。この町には朝市が立つらしい。看板が立っていた。2,5,7,0の付く日の8:00~12:00までだそうだ。

森山の山頂に上る。道は五城目城の先、途中から狭い砂利道になって走りにくい。分岐点もあり、迷ってしまった。大きめの石もあって、車が大きく揺れる。夜だと怖い道だ。

頂上からは、広大な八郎潟干拓地や男鹿半島の寒風山が見わたせる。ただ、まだ田んぼには水がないので、畑のようだ。風がまだ寒い。

秋田市から来たという夫婦は、このあたりの田んぼに水が入るのは、あと10日間後くらいではないでしょうかといった。八郎潟の道は、菜の花と桜がきれいでしたよと教えてくれた。

森山を下り、八郎潟へ行ってみた。夫婦が言ったとおり、菜の花と桜並木。ただそれほどすごくはなかった。車を停めて写真を撮って、さらに先へ行くと、ずらっと満開の桜と菜の花。こっちはすごい。5kmは続いているのではないだろうか。

みんな、路肩に車を停めて記念写真を撮っている。食事をしているグループもいる。花見だ。桜と菜の花の、ふたつの花見が同時にできる場所。

いい天気だし、桜のピークは今日かもしれない。菜の花の香りも漂っている。

それにしても、道はまっすぐ。気持ちいい。本州にある他の水田地帯とは、さすがに雰囲気が違う。


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2007/04/27

反面教師

070427
4月27日、金曜日、曇りのち晴れ

 

今日は、母校で講義を頼まれました。卒業生が後輩たちにメッセージを送るもの。

 

「卒業生」とは言っても、俺は、ほとんどバイトざんまいで、外国に行ったきり帰ってこなかったような学生だったので、自慢じゃないけど、「りっぱな学生」ではありませんでした。

 

それでもいいということだったので、今回の講義を引き受けました。「反面教師」としては、いい教材なのでは?と思ったからです。

 

ところで、今回実家で初めて大学の卒業証書を見ました。(ほんとに卒業していたかどうか確認しました) 俺は卒業式にも出席せずに、すぐ神奈川県にちり紙交換のバイトに出てしまったので、卒業証書は郵送してもらったのです。だから実際には見ていませんでした。

 

今回、卒業以来、初めて足を踏み入れた大学校内。20数年以上たっていますが、なんとなく建物の様子は覚えていました。

 

講義を受けてくれた学生たちを見て、こんな初々しい時期、俺にもあったんだろうかと思いました。メコン川や棚田の写真を映し、どんなふうにして「写真家」になったのかという話をしました。それと「旅」から学んだ偶然の出会いの大切さ。もちろん、留年した話や、卒業式に出なかった話もしました。それから「自分探し」はほんとに必要なのか、ということ。

 

こっちをちゃんと見ていたので、それなりに真剣に聞いているなぁという実感はありました。とくに、バックパッカーについては興味津々でしたね。新入生なので、100人いるうち、外国へいったことのある人は、10人くらいでした。たぶん、これが2年、3年生になってくると、外国旅行体験者は増えていくのでしょう。ぜひ、学生時代にバックパッカーを体験してもらいたいですね。(俺みたいになっては困りますが)

 

最近の学生は、一時期の「しらけ」世代とは変わってきていると聞きました。「いっしょうけんめい」がまた美徳として復活しているのかなと思います。

 

真剣に聞かれると、こちらもできる限り対等に、まじめに返事をしようと思ったし、緊張感が生まれて良かったのではないでしょうか。彼らからエネルギーをもらった気がします。今日の話は、難しいところもあったかもしれません。だから、何年かあと、「あぁ、あおやぎさんが言っていたのはこういうことだったんだ」とわかってくれれば嬉しいですね。

 

 

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2007/04/25

福島から山形まで

070425
4月25日、水曜日、雨

昨日、埼玉を出て、福島までやってきた。

途中休憩した、ある道の駅の売店で、何か地元の珍しいものないかなと思って、店員に聞いた。「ここでしか買えないものないですか?」すると、店のおじさんは「ありますよ」といって、俺を案内してくれた。なんとそこにあったのは、東国原氏のイラストが入った宮崎の物産だった。

たしかに、宮崎でしか手に入らないはずのものが、ここで買えるのは珍しいのだろう。たぶん、自慢なのだ。だからニコニコして案内したんだね。

「そうじゃなくて、地元の食材を使ったものなんかですが・・・」と俺。

おじさんは、「ここにはありません」といった。結局、特別興味が引かれるものはなかった。

西那須野から西に進み、山越えして、福島県南会津町の道の駅たじまに。売店を覗いたら、「じゅうねんゆべし」というのがあった。530円。一つ買う。「じゅうねん」とはエゴマのことらしい。それをすりつぶして、もち米といっしょに搗いたもの。

今日はここで泊まる。

☆☆

夜中、雨が降り始めた。雨だれが車の屋根を打つ音で、何度か目が覚めた。朝も降ったり止んだりの天気。息が白く見えるが、それほど寒いわけではなかった。

道の駅たじまを出て、日光街道、国道121号線を2kmほど北上し、352号線を西に折れる。会津高原駅を過ぎて、中山峠の中山トンネルを抜けて旧舘岩村へ。前沢曲家集落は、道の南側にあった。山には雨雲がかかり、茅葺民家の集落は幻想的だった。駐車場に車を停めて、歩いて集落の中に入っていく。

一番奥に、神社があり、古い鳥居をくぐって階段を上っていくと、そこから集落が見渡せた。ここには、茅葺の曲家がたくさん残っている。曲家は、母屋と馬屋がカギ型につながっているもので、豪雪地帯の生活に合わせて、長年かけて工夫された南会津の民家の形だという。

傘をさしながら、写真を撮っていると、突然大音量の演歌が聞こえてきた。山あいの静寂が失われた。何かな?と思ったら、移動スーパーマーケットの車だった。集落の人たちは、車のそばに集まってきて、買い物をしているのが見えた。これがないと山あいの生活は大変なんだなぁ。大音量の演歌も、しかたないね。

前沢集落を出て、さらに北西方向へ走ると、401号線に出る。それを北へ。401号線から、289号線をさらに北へ走る。奥会津を走る沼田街道だ。

只見町から、県道に入り、山越えの狭い道を行く。雨と雲の中、松坂峠を越えて、北を東西に走っている国道252号線に出た。

その後、沼沢湖の沼沢湖山荘を通る。この山荘は、昔の木造校舎を改造して宿泊施設にしている。以前、中に入って写真を撮らせてもらったことがあった。雨が激しくなり、集落の写真は諦め、もう一度国道252号線に出て、49号線、県道21号線を通り、喜多方へ。このあたり、桜が満開。

そこからまた山越えして米沢、そして山形、寒河江、河北町の実家まで。

今日は、ずっと雨が降っていた。明日も降るらしい。山際でも雪も、などと天気予報では言っているが。


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2007/04/23

雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (3)

070423
今日も、映画『雲南の少女 ルオマの初恋』の話です。

映画に出ているハニ族の人たちは、ちゃんとハ二語をしゃべっていました。素人さんなんでしょうか。それもあって村の中のシーンは、リアリティがあります。

ルオマのおばあさんが、また、いい感じなんです。多くを語りませんが、ちゃんとルオマのことを心配しています。大都会、昆明に行きたいと言い出したルオマに対して、おばあさんは、無言で機織の仕事を続けます。だから、ルオマは、おばあさんが怒っているんだろうと思います。でも、その翌日、出て行こうとしたとき、机の上に卵と小銭が置いてあるのを見つけます。おばあさんがルオマのために用意してくれたものでした。

俺のばあちゃんを思い出しました。ばあちゃんは、「外国へ行く」ことがどういうことかあまりわからなかったかもしれません。外国旅行が一般的ではなかったし、外国はまだまだ遠い存在でした。何度も外国旅行することに、両親はあまりいい顔をしませんでしたが(とくに20代後半は)、ばあちゃんは、特別何も言いませんでした。ただ見守ってくれてるなぁとは感じてました。

とにかく、言葉で多くを語らないおばあさん、おじいさんというのは、その存在そのもので語っているように感じます。生きてきた年数の重さとでも言うんでしょうか。でも、今は言葉をしゃべる人が(しかも大声でしゃべる人が)力を持つ世の中なので、おばあさん、おじいさんは軽んじられてしまうのでしょう。

棚田が圧倒的な美しさで迫ってきます。棚田や雲南に興味がある人にはお勧めですね。

『雲南の少女 ルオマの初恋』公式サイト

Ya_2 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (2)

雲南の棚田写真ギャラリーはこちらです。

Ya_2「雲南の棚田」(◆オリザ館(アジアの棚田)◆

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2007/04/22

雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (2)

070422

昨日に続いて、映画『雲南の少女 ルオマの初恋』についてです。

主人公のルオマは、毎日元陽の町(新街鎮)に出て、トウモロコシを焼いて売っている女の子です。

元陽県の新街鎮は、昔、行政の中心地でしたが、今は、紅河沿いの南沙鎮に移っています。ただ90年代半ばから元陽県が棚田で有名になったので、新街鎮はすたれるどころか、いっそう発展しています。広場から続く坂道は、マーケット日になると、たくさんの人でごったがえします。

ルオマは、「こんなハニ族の女の子がいるなぁ」という感じで、リアリティがありました。映画では、外国人観光客が、かわいい彼女を写真に撮りたがりますが、彼女はそっぽを向いてあまり気安く写真を撮らせてくれません。

そんな様子を見ていた一人の青年がいました。昆明から来たアミンです。彼は新街鎮に写真館を開業していますが、お金がなく、大家さんから立ち退きを迫られている青年です。

アミンは、ルオマを見て、ある商売を思いつきます。観光客に彼女といっしょに写真を撮らせる商売です。よく中国の観光地に行くと、こういう人たちがいます。元陽にも登場しました。写真だけでなくて、歌まで歌います。映画では、ルオマと写真を撮る日本人観光客たちも登場します。

ルオマは、このアミンという都会から来た青年に恋をするのです。彼女の恋は、「都会」というものに対するあこがれ、という面もあったようですが。

さて、ふたりの恋の行方は・・・。

Ya_2『雲南の少女 ルオマの初恋』 (1)

Ya_2『雲南の少女 ルオマの初恋』 (3)


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2007/04/21

雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (1)

070421

『雲南の少女 ルオマの初恋』公式サイト

中国映画『雲南の少女 ルオマの初恋』の公開が、6月16日(土)からに決まったそうです。

中国雲南省元陽の棚田を舞台にした、ルオマというハニ族少女の初恋の物語です。

監督は、四川省成都生まれの章家瑞(チアン・チアルイ)、主人公は、当時雲南の高校に通 うハニ族の李敏(リ-・ミン)。2002年モントリオール国際映画祭正式出品作品で、李敏は2003年金鶏奨最優秀新人賞を受賞しました。

ルオマの初恋も切ないですが、雄大な棚田の村で、たんたんと続けられるハニ族の生活そのものが、胸がキュンとなるような切なさがありますね。なんででしょうか。

20代のころから行き始めた雲南省ですが、まだ写真もどうやって撮るかわからない状態で、雲南の方々を旅した思い出が重なるからでしょうか。

とにかく、もう一度観たい映画のひとつです。公開が楽しみです。

Ya_2 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (2)


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2007/04/20

『地球冒険13周半の旅』 中川隆さんの本

070420
(写真はエジプト・アスワン)

写真家の中川隆さんが本を出しました。今回は、写真集ではなくて、旅行記です。

『夫婦で30年間 地球冒険13周半の旅』
講談社
定価:本体 1500円

中川さんとは少なからぬ因縁があります。というのは、今から20数年前、俺がまだ写真を撮り始めて間もないころ、エジプトのアスワンで会いました。中川さんと奥さんが、アスワンのオートキャンプ場に泊まっていて、ぶらぶら歩いていた俺に声をかけてくれたのでした。

夕食の焼肉をご馳走になりながら、中川さんは、ペンタックス6×7の中盤カメラで、ピラミッドの稜線を平行に移動する太陽の写真を撮ったときのエピソードを、熱く語ったのでした。

彼らはその後、車でアフリカをまわったのでした。そのときはそれだけで終わったのです。住所交換もしたかどうか、忘れてしまいました。

ところが、今から15年ほど前(中川さんと会って10年後)、俺は2度目の写真展を新宿のペンタックスフォーラムで開くことになったのですが、そのとき、担当者と話をしていると、「あおやぎさんのように世界中行っている人が写真展開くんですよ」と教えてくれたのです。そして名前を聞いたら「中川隆さん」というではないですか。あれっ?聞いたことある名前だなぁと思ったのですが、もしかしたら、10年前、エジプトで会ったあの人ではないかと思い、確かめたら、やっぱりそうだったのです。

そんな偶然があって、再会を果たしました。それからは、お互いの写真展で会ったりするようになりました。

そんな中川夫婦の旅の本が出版されたのです。興味のある方は読んでみて下さい。

ただ、日本人離れした、並外れた行動力と、体を張った体験に、ちょっと息苦しさを感じるほどですが。一歩間違ったら、死んでいたような危険な体験がたくさん書いてあります。これだけの冒険旅行をしている人たちは、なかなかいるもんじゃありません。俺なんか、足元にも及びません。中川さんの旅行記を読むにもそれなりの「覚悟」と「体力」が必要かもしれません。

今、イメージだけが肥大していく俺たちに「体を張った体験」が衝撃を与えてくれるに違いありません。まるで原始人を見ているようです。「生きてるなぁ」と感じさせる中川夫婦の旅人生です。


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2007/04/19

『福井昭夫作品展』 大阪で

070419
友人の絵描き、福井昭夫さんの個展情報です。

先月、埼玉県浦和の和風ギャラリー「楽風」で個展を開いたことや、ふたりでトークショーをやったことは書きました。(福井さんについては、前の記事『福井昭夫 旅の絵画展』を見てください)

今度は大阪です。近くの方は、どうぞ。俺も撮影旅行の途中で立ち寄るつもりでしたが、期間中大阪まで行くのは難しくなってしまいました。残念。

『福井昭夫作品展』
2007年4月23日(月)~28日(土)
11:00am~7:00pm(最終日は5:00pmまで)
マサゴ画廊
〒530-0047 大阪市北区西天満2-2-4 (裁判所西側の筋小山医院角入る)
06-6361-2255

マサゴ画廊のホームページはこちら


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2007/04/18

長崎市長銃撃事件と、アメリカの銃乱射事件

070418
偶然にも、日本とアメリカで、銃による事件についてのニュースが飛び交いました。

日本では、長崎市長が銃撃されて死亡するという事件が発生し、アメリカでは、バージニア工科大学で、銃の乱射事件が発生し、多くの死傷者を出しました。

自分のことは自分で守るというアメリカの銃社会。「力には力で」という思想から自由になれない社会でもあります。銃を拡大していけば、核兵器に辿り着くのは、子どもでもわかる理屈です。

ほんとに、銃を持つことが「安全」「安心」「幸福」につながるのでしょうか。相手も銃を持っているから、使わない抑止力になるともいわれます。核兵器も、持つことが抑止力になると言われています。

でも本当でしょうか。俺にはわかりません。そういう思想の中で育った人たちにとっての銃に対する感覚というものを、俺たちが想像するのは正直難しいところもあります。

そもそも銃がなかったら、銃による事件がなくなるという理屈なら、こんなバカな俺でもわかるんですが。ただ、アメリカで銃を規制する方向へはなかなかいかないというのも現実らしいですね。

「人間を殺すのは人間であって銃ではない」

これは全米ライフル協会のスローガン。歴代大統領も、献金をもらっている圧力団体だそうです。


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2007/04/17

映画 『ホテル・ルワンダ』

070417_1
(ルワンダは行ったことないので、写真はマダガスカルの草原です)

『ホテル・ルワンダ』を観ました。

衝撃的な内容ですが、映画としてもよくできた作品だと思います。ルワンダのツチ族、フツ族の問題は、正直、遠い話でしかありませんでした。(言い訳すると、当時の俺にはメコン川しか頭になかったし)

「虐殺」を「客観的」にではなく、主人公ポールの目を通した話になっているところと、虐殺のシーンが少ないことに共感を覚えるし、だからかえってより「虐殺」の問題が、身近に感じられました。(虐殺シーンが多すぎると、たぶん、とくに日本人は拒絶してしまうでしょ)

主人公のポールは、1994年、ベルギー系の高級ホテル、ミル・コリンで働く有能な支配人です。ホテルに避難民をかくまい、なんとか虐殺の悲劇から逃れるため、時には嘘をつき、ワイロを払うなど、いろんな手を使って、家族や避難民を守り通します。今まで、政治には関心を示さなかったホテルマンが、だんだんと、混乱を生きぬく「戦士」になってゆきます。

虐殺が始まったとき、その虐殺シーンの報道を見れば世界の人が助けに来てくれるはずですよね、とポールは、外人記者に同意を求めます。でも、外人記者は言います。「世界の人たちは、『怖いね』とは思うが、ディナーを続けるんだ」というのです。

滞在していた外国人はみんなルワンダを後にしますが、別れ際、外人記者は、ドアボーイが差し出す傘に対して「傘などいい。恥ずかしいから」と言いました。「世界の人たちは、『怖いね』とは思うが、ディナーを続けるんだ」と言ったとおりになってしまったのです。何も力になれなかった外人記者の気持ちが痛いほどわかりました。世界の人たちは、ルワンダを見捨てたのです。こうして、100日間で100万人(少なくとも50万人とも言われる)の大虐殺が行われてしまいました。

「虐殺はいけない」と、言葉では簡単に言えますが、いつ俺たちもそんな狂気に走らないという保障はありません。ルワンダのような悲劇は日本では起こらないなどと言い切ることはできません。

心の闇は、みんなが抱えているものです。だからこの悲劇も人ごとはありません。俺自身が、どうしようもなく暴力をふるいたくなってしまうような、危ない瞬間を何度か経験しているので、そう思います。その一線を越してしまったら、100万人まではすぐです。だから、この一線はなんとしてでも越えてはいけないのです。

『ホテル・ルワンダ』公式サイトはこちら


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2007/04/15

現代彫刻美術館特別展示 『松田重仁 展』

070415
松田重仁君と再会してきました。

高校の同窓生で、彫刻家です。

彼の作品は、パブリックコレクションとして、山形市役所、江戸川区総合区民ホール、多摩区総合庁舎、関西電力本社などでも展示されています。

直接会うのは、15年ぶりくらいではないでしょうか。いつのまにか音信不通になっていました。と、言うより、こいつとは、またどこかで会うだろうと思っていたので、特別連絡を取りあう気もなかったのですが。そういう人って、いますよねぇ。

高校時代は、それほど親しい付き合いをしていたわけではないのですが、やっぱり「サラリーマンではない」生活をしていると、しかも、写真、彫刻というアート系の仕事をしていると、自然に再会するもんなのでしょう。

ところで、彼は、「高校時代、いっしょにデッサンしたよね」などといいましたが、覚えていません。当時は、俺も絵に興味を持っている時期なので、したと言われれば、したのだと思います。(自分の写真家としての物語に必要ないものは忘れてしまったようです)

おととし、新潟県松代の農舞台で写真展をやったとき、松田君もそこで展示したことを聞き、その偶然に驚いたのでしたが、去年、『大地の芸術祭』について触れたとき、出展者である松田君のことも書きました。彼はインターネットで自分の名前を検索して、この記事を「発見」し、連絡をくれたのです。そして今回の再会につながりました。ブログのすごさですねぇ。

作品は「浮遊する水」をテーマに制作しています。偶然なのですが「棚田」と関係がなくはない。彼の性格が表れているようなやさしく自然な作品群です。小川を流れている木の葉を、のんびり眺めているような心地よさを感じました。

興味のある方は、いってみてください。

第9回現代彫刻美術館特別展示 『松田重仁 展』
2007年4月14日(土)~6月24日(日)
開館時間:午前10時~午後5時 (入場は午後4時30分まで)
月曜休館・入館無料
[4/30(月)開館 5/1(火)休館]

現代彫刻美術館
〒153-0061 東京都目黒区中目黒4-12-18 
電話03-3792-5858

現代彫刻美術館のホームページはこちら

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2007/04/14

佐賀県クリークの旅 (7) 筑後川昇開橋と夕日

070414
筑後川昇開橋の完成は1935年で、形式は、「昇開式可動橋」というものだそうです。

橋の長さは、507.2m。

2003年(平成15年)、国の重要文化財に指定されました。

筑後川昇開橋(Wikipedia)参照

昭和62年(1987)まで佐賀線が走っていました。廃線になったあとは、遊歩道として復活し、大川市と諸富町のシンボル的存在になっているそうです。

羽田から佐賀に飛んできたとき、着陸直前にクリーク地帯の写真を撮りましたが、そのとき、筑後川にかかるこの橋も撮影していたんですよね。写真を見て気がつきました。

ちょうど夕日が沈むころ訪ねました。どっしりとした存在感で、昇開橋のシルエットが映えていました。


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2007/04/13

佐賀県クリークの旅 (6) 桜の里公園

070413
白石町の桜の里公園から、南(鹿島)方向を見た風景です。

桜の花越に見える麦畑と集落の様子。左手奥には有明海。

この公園の下には、長崎本線が走っていて、列車の通過する音がのどかに聴こえてきました。

(つづく)


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2007/04/12

佐賀県クリークの旅 (5) 吉野ヶ里遺跡

070412
吉野ヶ里遺跡のゲートを入ると、広大な敷地が広がっていました。ずいぶん広いなぁというのが第一印象。

インドネシア・ボロブドゥール遺跡も、ゲートから遺跡までかなり歩いたことを思い出しました。りっぱな公園として整備されていて、ちょっとやりすぎ?と、感じないこともありませんでした。もちろん、これは好みの問題であるかもしれないので、この整備された公園の方が「歴史」を感じる人もいるのでしょう。それはわかりますが・・・。

吉野ヶ里遺跡には、ふと同じような匂いを感じてしまいました。もちろん、遺跡そのものは、すごいなぁと思ったし、当時の人たちの暮らしぶりに思いをはせることができたので、それなりに楽しめたことは言うまでもありません。

当時は、有明海(もちろんそんな名前じゃなかったかもしれませんが)の海岸線がこの近くまで迫っていたといいます。だから、おととい、ブログにも書いた「有明物」を食していたのでしょうね。「くちぞこ」や「わらすぼ」などです。

「わらすぼ」を初めて「食べてみよう」と考えた人は、どういう人だったのでしょうか。ここの人たちは、もう食べていたのでしょうか。まぁ、「エイリアン」と似てるグロテスクな姿と感じるのは、今の文化の感覚であって、昔の人には「かわいい」と、いやそれよりも「おいしそうだ」と映っていたということなのでしょう。

(つづく)

吉野ヶ里歴史公園ホームページ


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2007/04/11

佐賀県クリークの旅 (4) 佐賀市の不思議

070411
佐賀市内を走っていると、ある自転車屋さんの貼り紙に目が釘づけ。

「アパ レル アワビ」

何のこと? 編集者のUさん、ライターのSさんと3人で、いろんな推理をしてみるんですが、どうもわかりません。「自転車のほかに、アパレル商品とアワビも売っているのではないか」とか「暴れるアワビ、つまり生きの良いアワビという意味の佐賀弁ではないのか」とか。

ホテルで聞いたら、少なくとも「佐賀弁ではありません」とのこと。

そして、とうとう有力情報を得たのでした。ある居酒屋で、店員に「アパレルアワビありますか?」と聞いたら、怪訝な顔をします。それで事情を話したところ「あぁ、あの自転車屋ですか。昔から変な言葉を書いて貼っている店です」という。その筋では有名(?)な店らしい。だからその店員さんの話では、「アパレルアワビ」に何の意味もないだろうというのです。

なぁんだ。そうなのか。それにしても俺たち3人の心を掴んだ(2日間迷わした)コピーの力には脱帽です。

そういえば、再び店の前を通りかかったとき、よく見てみたら、他にもわからないことが書いてありました。

「東大より佐大 だいたひかる」

言葉、それぞれの意味はわかっても、この組み合わせに何か意味があるのか? そして、どうしてこれが自転車屋に貼ってあるのか? わかるような、わからないような。佐賀市の不思議でした。

(つづく)

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2007/04/10

佐賀県クリークの旅 (3) 有明物

070410
有明海を見るために、佐賀市の南西、白石町にある桜の里公園に上りました。そこからは、塩田川の河口と、有明海が見えました。干潮は過ぎていたので、干潟は見られませんでしたが、なかなか雄大な風景です。さすが、「桜の里」というだけあって、桜がたくさん咲いていました。

もっと上まで道が続いていたので行ってみましたが、NTTのアンテナが立っているだけで、樹木にさえぎられて、有明海を見渡すことはできませんでした。

佐賀市内の居酒屋では、せっかくなので「有明物」を食べてみました。もちろん初めて食べるものです。

がん漬 (しおまねき蟹を潰して、唐辛子、醤油、塩で味付けした塩辛です)
いそぎんちゃく (意外とコリコリして歯ごたえがありました)
くちぞこ (ひらめの一種、平たい魚です)
わらすぼ (姿は「エイリアン」と似ている細長い魚。干物の空揚げで食べました)
      (邪馬台竜 http://www.interq.or.jp/kyuushu/dgoto/warasubo.html 参照

その土地で獲れるものを、なるべく無駄にせず、おいしく食べようとする努力。昔の人はすごい。それを今食べれる幸せ。

(つづく)


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2007/04/08

佐賀県クリークの旅 (2) 佐賀平野のクリーク

070408
羽田空港を出た飛行機は、1時間40分ほどで佐賀空港に到着します 。

着陸直前、佐賀平野を流れる筑後川や広大なクリーク地帯の上を飛びます。一見青々した水田に見えますが、これは麦畑です。(夏になると水田に変わります)

平野の水田(麦畑)、クリーク、川。これを見ると、水が豊かな穀倉地帯に感じますが、いろんな人たちの話を聞いていくと、そんな単純な話ではないことがわかって驚きました。

佐賀平野の後ろに控える山が浅く、もともと水がないところなので、クリークが発達したともいえるらしいのです。水をどうやって確保するかが、この佐賀平野の昔からの課題でした。水が余っているからクリークが存在するのではなくて、少ない水を無駄にしないためにクリークを作った、つまり、クリークが溜池の役目を果たしているそうです。

干満の差を利用した淡水をクリークに引き入れる「アオ取水」をはじめとして、涙ぐましい水との戦いがあったからでしょうか、佐賀平野に住む人たちは、水に対して意識が高いように感じました。

(つづく)


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2007/04/07

佐賀県クリークの旅 (1) 佐賀便からの富士山

070407
ブログ更新休んでました。お待たせしました。

4月4日からでかけて、昨日の夜(正確には今日)、九州から戻りました。

先週に引き続いて佐賀県で、今回は、編集者のUさん、ライターのSさんの3人旅。クリーク(堀)を巡る旅をしてきました。そのことについては、明日から書きますが、今日は、とりあえず、初日、羽田発佐賀行きの飛行機の窓から見た富士山です。

(つづく)


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2007/04/01

野火止用水

070401
昨日、今日と野火止用水にいってきました。

うちからそんなに遠くない、埼玉県新座市にあります。

昨日は、曇で肌寒かったですが、今日は一転して初夏の陽気。

散策する人もたくさんいました。

桜の見ごろは今日がピークらしい。

武蔵野の中でも、ここ野火止大地は水の少ないところで、川越城主松平伊豆守信綱が承応四年(1655)に野火止用水を開削したそうです。

来年の4月の雑誌用に撮影しておきました。


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