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2007/05/30

2007初夏、車中泊の撮影旅(11) 岡山県蒜山高原、鳥取県三朝町穴鴨棚田、島根県美保関、平田市漁村、出雲大社

070530
5月30日、水曜日、晴れ

昨日の午後は、用瀬から国道482号線で西に進み、佐治村に。辰巳峠の手前は、いくつかの集落と棚田があった。こじんまりとした棚田。わずかな土地でもなんとかコメを作りたい。なんだか愛おしくなってくる。ここまでやってしまう、というか、やらざるをえない人間というものが。

人形峠を通り、岡山県から鳥取県に入る。そこは三朝町だ。

下ると、国道179号線との分岐点に突き当たるが、ここが穴鴨の集落。穴鴨には石垣の棚田があると聞いてきたので、どれだろうと探しながら下ってきたが、集落の手前1kmほどのところに、10段くらいの広い石垣の棚田があった。耕作放棄されている部分を含めると、けっこう大きい。人はいなかった。たぶん、ここがそうだろうと確信して写真を撮った。

集落に入って、誰かに訊こうと思うが、人がいない。郵便局があった。ここで訊くことにした。

「石垣の棚田があるそうですが、どこですか?」「石垣の棚田? 聞いたことないですねぇ」 他の局員も「知らないですねぇ」と困った様子。すると女性の局員が「待っててください」といって役場に電話してくれた。それで、さっきの写真を撮った場所が、その棚田であることが判明。

間違いなかった。やっぱりなぁ。さすが、棚田に関しては、勘が鋭くなっている。「埼玉から来たんですよ。ありがとうございました」「それはご苦労様です」

国道482号線を南下し、途中ショートカットして、八束村に抜けた。ここは蒜山高原。山側を走る。道の駅ひるぜんがあった。ここで牧場の場所を聞き、さっそくいってみた。途中、中蒜山と下蒜山が見える開けた場所があったので写真を撮った。すると、そこを通りかかった登山スタイルのおじいさん。

「いい写真機だねぇ」「そうでもないです」「登山ですか?」「うん、あのふたつを上ったよ。6時間かかった」「すごいですね」「今朝、新見から車で来て、駐車場に停めて上った。この先だ。にいさんどこまで?」「車で送りましょうか?」「悪いねぇ」「でも、車の中は汚いですよ」「汚くても平気だよ」

後ろはマットを敷いてあるし、急いで助手席を整理して、人が乗れるスペースを作った。普段は靴とゴミ置き場になっている。

駐車場までおじいさんを送ったあと、牧場へ。広々とした牧場。爽やかな風が吹いている。残念ながら、牛も馬も、放牧の様子は見れなかった。でも、草原と蒜山の広々とした写真は撮ることができた。

山を降りて、また国道482号線に戻った。そこが川上村。道の駅風の家があるので、ここ泊まり。田んぼに囲まれた駐車場。静か。でも、わからないよね。午前3時までは。(今日初めてこのブログをご覧になった方は、26日の分をお読みください)

☆☆☆☆

そして今日は、30日。夜中雨。

岡山県川上村の道の駅を出るときは雨は止んでいたが、走り出したとたん、大雨と大風になった。厚い雲で暗い。大雨の中、山道を運転するのは気持ちよくない。峠を越えると、また鳥取県だ。米子市へ向かう。

地図を見ていたら、米子市の手前に「小野小町の墓」とあったので、注意して運転していたのだが、標識らしきものは見当たらなかった。見過ごしたか。この前、秋田県で「小町堂」へいったので、つい気になった。どうしても見たいわけでもなかったので、そのまま米子市に。

美保湾の弓ヶ浜沿い、国道431号線を行くと、境港市。「げげげの鬼太郎」でおなじみの、水木しげるロードがある街だ。

水木さんとは、14年ほど前、雲南省の取材旅行に同行させてもらったことがあった。暗くなった大理の町角で、水木さんが、暗闇に向かってシャッターを切った。さすがだなぁと思ったね。暗闇に潜む幽霊を撮ったのかな。でも、それは違うことを、あとで知った。ストロボの光が、遠くまで届かないことを、あまりご存じなかったようだ。戦争を体験している人だから、どんな環境にも動じない。汚いトイレもなんのその。とにかく、エネルギッシュな行動ぶりに、同行していた俺たちは感心したのだった。本人自身が「シャーマンになりたい」といっていた。もうなったのだろうか。

境港市の鏡水道大橋を越えると、対岸が島根県の美保関町だ。美保神社で安全祈願。鳥居のところにいた地元の男の人の話では、昔、海は鳥居の下まできていたという。海が埋め立てられて、車道ができた。青石畳通りが昔の参道だ。青っぽい石畳が昔のままで残っている。雲南の麗江古城を思い出す。俺がいう「雲南」は「中国雲南省」のことだが、このあたりで雲南というと、たぶん、宍道湖の南にある「雲南市」のことだと思われるだろう。合併して新しくできた市ではなかたかな。

美保神社から250mほど青石畳通りと進むと、仏谷寺に突き当たる。戻って、通りの写真を撮っていると、プロパンのボンベを運んでいる地元の奥さんが話しかけてきた。

立ち話で、20分くらいその場にいたが、その間、ふたりのおばあさんが通りすぎただけ。静かだ。

奥さんは言う。「昭和30年代、40年代初めまで、毎日人がたくさん来ていましたよ。そりゃぁもう、当時は賑やかだったですねぇ。みんな境港までJRで来て、汽船でここにやってきました。船が便利だったんです。とくに、田植えが終わった、今ころの時期ですね。美保神社に豊作をお祈りに来てましたよ。今は、車の道も広くなったし、境港から橋も架かったので、みんなここに泊まらなくなったんです。日帰りできるようになりましたからねぇ」

「でも、地元の人には、便利になった感じがしますか?」「初めは道もできて便利になったと思いましたが、若い人たちは、もっと便利なところ、便利なところといって、都会に住むようになってしまいました。若い人たちは出て行ってしまったんです。車社会になって、ここは変わってしまいました。でも、ここだけじゃなくて、どこも若い人たちは同じでしょうけど」

「日が出てきましたね」「晴れましたね」「いやぁ、長々と話をしてしまって」「いえ、いろいろ話を聞かせてもらって、ありがとうございました」「お気をつけて」

奥さんが歩いていったのを見送り、また写真を撮り始めた。そのとき、軒先に置いてあった大きな茶色の瓶の水に太陽光線が当たって、赤いものが動いているのが目に入った。なんだろうと覗いたら、小さな金魚が泳いでいた。

美保関を出て、国道431号線を西へ。大都会松江市を通過し、宍道湖の北側に沿って走る。道の駅で休憩、兼、原稿書き。

国道431号線から、県道23号線に入る。ところが、日本海に出るまでの2、3kmの区間、2度と通りたくないような狭い道だった。対向車がなくてよかった。これじゃぁ、普通車の大きいのは通れない。道を間違えたかなと思ったくらいだ。海沿いに出て、ようやく安心。たぶん、どこかに迂回路があるんだろうが。

そして小伊津という漁村に着いた。入る手前、高台から見て、あっ、これは、と思うくらいすごい村だった。2階か3階建ての家々が、斜面に建ち並んでいるのだが、一塊の複雑な城塞都市のようにも見える。

港周辺は広々としている。最近作ったらしい公園まである。昔は、民家が海まで迫っていたのかもしれない。もしかしたら、1階部分が、舟屋のように、船を収納するガレージだったのかも。(確かめたわけではありません)

食事でもと思って来たのだが、残念ながら食堂のようなものは見つけられなかった。上から見たとき屋根に「民宿」の表示は見たような気がするが。

小伊津から平田市に出る。そこから国道431号線で、出雲大社へ。数年前、巨大な注連縄を撮りに来たことがある。棚田百選をまわっているときだ。稲作文化を象徴する「形」のひとつだと思う。それにしても、どのくらいの量の稲藁が必要になるのだろうか。

出雲大社から南に下り、国道9号線に出て、西へ進む。今日は、多伎町の道の駅、キララ多伎の泊まる。


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