2007初夏、車中泊の撮影旅(10) 日高町蓼川堰、出石「乙女の湯」、智頭の板井原集落
5月29日、火曜日、晴れのち曇り
来月6月26日から、池袋(JR目白駅からの方が近い)の本屋さんのギャラリーで写真展をやります。入場無料です。写真パネルと、DVDのスライド映写による、棚田を感じる空間を創ります。1ヶ月前ですが、忘れないうちに、宣伝を始めます。開催中、スライド&トークショーもあります。こちらは、お茶と棚田米のおにぎりが付いて1000円です。予約が必要です。詳細は、ホームページを見てください。
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さて、車中泊の撮影旅は、今日も続きます。昨日の午後の話から。
兵庫県豊岡市から、円山川に沿った国道312号線で日高町まで。ここの蓼川堰を探す。でも、探すまでもなく、堰は、丸山川にあった。ここで取水して田畑に水を供給している。撮ればいいという写真なので、時間はかからなかった。
近くの温泉を探して地図を見た。そしたら、日高から10kmほどのところに、出石があった。今朝、岐阜からの夫婦がここに行くといっていた。「但馬の小京都」と呼ばれているところだという。ここに「乙女の湯」という温泉があった。行かねばなるまい、「乙女の湯」。名前にひかれる。
こじんまりした施設だが、露天風呂もあるし、休憩所もゆっくりしているし、悪くなかった。入るとき、脱衣所の中から女性の声が聞こえたので、女風呂と間違えたと思い、番台の女の人に、「ここ男ですか?」と訊いたら「女の人の声に聞こえるでしょ。男の人だから大丈夫」といった。
脱衣所に入ったら、その声の主は、たしかに普通のおっさんだった。声が甲高いだけだった。なんだ、紛らわしい。「乙女の湯」なんていうから・・・。
県道2号線で、八鹿に出て、養父町の国道9号線の道の駅、但馬楽座に泊まる。
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そして今日は、29日。
兵庫県養父町を出て、県道6号線で西へ。お城のような立派な民家に朝日が当たってきれいだったので、写真を撮る。
田んぼの見回りに来ていたおじさんと話す。このあたりでのコシヒカリを作っているが、コメは金にならないから駄目だよ。今は他にほうれん草を作っている。向こうの山の上だがね。埼玉からかね。これからどこへ? 智頭かね。気をつけてな。
大屋町で、48号線に入りさらに西へ。若杉峠を越える上り坂の途中、最後の村の上のほうに、耕作放棄された棚田があった。
棚田を撮ったあと、カーブを回ったら、なんと目の前に鹿が5頭。たぶん小鹿だ。すぐに逃げていくわけではなかったので、あわてて車を停めてカメラを持って出たが、下の藪に隠れた。ブレてはいたが、3枚だけ、かろうじて写っていたが。動物カメラマンではないので、下手なのは勘弁してください。(と、言い訳)
峠を下ると、国道29号線に出る。それを鳥取方向へ。戸倉峠のトンネルを抜け、しばらく走り、道の駅はっとうで休憩。歯磨きしているおじいさんが車から出てきたので話しかけたら、彼らは宮崎県からやってきたが、奥さんとふたり、車中泊で日本一周するつもり。あと、1ヶ月か、2ヶ月か。時間に追われると、見た気がしないとのこと。うらやましい。時間が無制限にある人にはかなわない。
そこに地元のおじさんが加わった。彼も仕事が休みのときは、車中泊で旅行しているという。彼の話では、以前,車の中に畳を敷いている人を見て、自分もイグサの匂いのする敷物を敷いて寝るようになったという。「そのほうがゆっくりできるから」 日本人だね。俺もそうしようか。和風に改造。いや、今も布団で寝てるから「和風」といえば「和風」なのだが。
八頭から国道53号線に出て南下する。智頭へ。
ここに板井原集落というのがある。町から4kmほど山の中に入ったところ。伝統的建造物群保存地区になっている。昭和30年代の農村の様子をそのまま残している集落だ。
平家落人の隠れ里として伝えられている。大部分の建物は、築50年を越えていて、中には、約270年も経ったものもある。雲南省の村をトレッキングでまわっていたころを思い出す。こんな感じ。
村の中は、「六尺道」という幅2m弱の道が通っているが、これがオリジナルの道。今は、車道もある。道に長さ1m以上の蛇が。なかなか動かないので記念写真。この暑さでぐったりしているようだ。俺もぐったりしたいよ。
観光客は、村から200mはなれた駐車場に車を停めて村に入っていく。喫茶店もあったが、残念ながら日曜だけ。今日はひっそりとしている。水路の水音が涼しげだった。
智頭に戻り、さらに国道53号線を南下して、大屋の杉林を見に行く。大屋の村に入ったとき、おばあさんたちがいたので、道を聞いた。それは、20年ほど前までは棚田だったらしい。そこに杉を植えたので、今はうっそうとした杉林になっている。おばあさんたちも、そこが棚田だったとき、弁当を持って手伝いにいったのを覚えている。民家もあったくらいだから、けっこう大きな棚田だった。
いってみたら、かろうじて棚田の石垣が残っていたが、気をつけてみないと、棚田であったことはわからない。うっそうとした杉林だ。
また智頭に戻り、食堂で食事後、用瀬まで北上し、このブログをアップし、国道482号線で西へ進む。
九州までは遠い。
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