賢すぎるカーナビ
カーナビって、不思議なものですね。カーナビの登場で、「旅」が変わっていくのを実感しています。
俺は普段は使いませんが、レンタカーに付いているので使います。その便利さに驚きます。(今どき、こんな話題で、かなり遅れているのは自覚していますが)
とくに夜ですね。カーナビを使わないときは、地図を頼りにドライブするわけですが、暗くて地図が見づらいということがよくあります。それで何度道を間違えたことか。
それと、夜のドライブは寂しいもので、カーナビからの「この先、5kmで右折です」などという女性の声に癒されます。そのうち、話し相手になってくれるカーナビなんかも登場するのではないでしょうか。眠気防止にもなると思うし、夜間走行するトラックの運ちゃんに需要はあると思うのですが。
でも、カーナビを使うことで、目的地までの途中の意味が変わってきます。俺が日本の棚田の旅を始めたのは、今から7、8年前ですが、もし、カーナビを使っていたら、これだけ棚田を探す旅にのめりこんだか、ちょっと疑問です。
便利なカーナビは、使いたい人だけ、使いたいときだけ使えるので、選択肢が増えたことは悪いことではありません。ただ、探すおもしろさを求める旅では、俺は使わないかなぁ、と思いますが。便利さが、必ずしも「旅」のおもしろさに結びつきません。人に道を尋ねることも少なくなってしまいます。
カーナビを使うと「運転する」から「運転させられる」感じがしないでもありません。大げさに言えば、自由度が下がるような・・・。そのときの気分で、こっちに行きたいのに、あるルートを指定されてしまったり、裏道を通ったり、地図では右折できそうなところも、実際は右折禁止のところも、ちゃんとそこを迂回して誘導してくれるとか、最近のカーナビは驚くほど賢いんですよね、いや、賢すぎます。
そのうち、慣れてしまうんでしょうか。ケイタイが普及して「待ち合わせ」の意味と方法が変わってしまったと同じように。
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コメント
コメント、ありがとうございます。
田舎に住むと、頭を使い、体を使い、器用にならざるをえないのでしょうねぇ。賢くなるような気がします。
便利さだけがいいのではないという考え、私も同感です。カーナビでいうと、「お任せ」することで、わずらわしさから解放されますが、これを「便利」と言うのでしょうね。そのかわり、今までの「おもしろさ」も失われます。(別な「おもしろさ」が生まれるかもしれませんが)
1980年代なかば、日本を出て中国雲南省まで辿り着くまで、約1週間かかりました。今は、直行便でわずか7時間です。これを「便利になった」というか「近くてつまらなくなった」というか。これも場合によるということでしょう。とにかく、選択できるうちは、なんとか、だいじょうぶなのですが・・・。
投稿: あおやぎ | 2007/05/13 00:52
私もナビは使いません。
地図で探したり、人に尋ねたりしながら目的地に向かうのが「旅」だと思っています。でも、なかなか目的地にたどり着けないことが多く、そのときは地図が分かりにくいとか道案内が不親切だとか、一人で怒鳴り散らしています。
都会ではお金を払えばなんでも簡単にできます。便利です。しかし、田舎では札束を振り回してもだれもやってくれる人がおらず、自分でやるしかありません。田舎で暮らすにはなんでもこなしてしまう器用さが必要です。
お金で買える便利さと、なんでも自分でやる楽しさと、どちらを選ぶかは自由ですが、「不便さ」の価値をもう一度考え直してもいいのではないかと思います。
投稿: 棚田へようこそ | 2007/05/12 12:15