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2007/05/27

2007初夏、車中泊の旅(8) 富山県砺波散居村と、石川県山中

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5月27日、日曜日、晴れ

昨日は、車の修理工場へ午後2時過ぎにいった。作業は1時間半くらい。原稿書きで時間をつぶす。

エンジンも調整してくれた。そういえば、3日ほど前から、カラカラカラという音が気になりだしていたのだが。エンジンオイル漏れほど深刻な不具合ではないというが、九州まで行けなくなったら大変だ。(時間切れになりそうな予感もするが)

でも、整備してくらた青年は言う。「今回の旅行は大丈夫でしょうけど、帰ったら、近くの整備工場で診てもらったほうがいいですよ。錆びた部品があるので、また違ったところから漏れるかもしれません」「オイルが無くなるとどうなるんですか?」「焼けてエンジンが駄目になります」「ブログで旅日記書いているので、もし旅の途中で止まったら、それも書きます」

そうとうガタがきているようだ。一昨日の夕方、77777kmを越えたオンボロ車だ。いつまで走れるだろうか、ちょっと不安になった。

昨日「宮沢賢治」を聴かせてくれたバイクのにいちゃんたちが現れたとき、危機予知能力が備わるなどと書いたが、オイル漏れも、早期発見することができた。やっぱり何かあるんだろうな。普段では気がつかないことでも、旅先では、敏感になるってことが。俺だけではない。みなさんもそうなんじゃないでしょうか?

ようやく、出発できる。途中で止まらないことを祈って。整備してくれたのは、なかなか感じのいい青年だったので、お礼にポストカードをあげた。

国道359号線、471号線を行くと、小矢部市に「クロスランド おやべ」がある。ここに立っているクロスランドタワーは、この砺波平野の散居村を眺められる別なポイントになっている。タワーの料金は400円。ふと、エレベーターのメーカー名に目が行ってしまった。「HITACHI」と書いてあった。

展望台がちょうど高さ100mだ。360度、いい眺め。水の中に農家が浮いているように見える。不思議な光景。

降りてきてから、タワーの係りの女性と少し話した。「このタワーができたのは、1994年。当時と比べると、だいぶ新しい建物が建って、風景が変わってしまいました。黄色になっているのは、麦畑です。タワーができた当時は、ほとんどが水田でしたが、減反で、麦畑に変わったんです」「でも、黄色もきれいですね」「そうですね、今の時期です。夏は何も作ってないので」

国道8号線に出て、金沢市を通過し、国道157号線で鶴来町の道の駅に。

☆☆☆☆

そして今日、5月27日。

鶴来から国道8号線に出た。それを南へ。石川県南部、山中温泉のある山中へ。ここの東谷地区へ向かった。ある資料に、東谷地区のことが載っていたので行ってみた。何の予備知識も、先入観もなく、その東谷地区に入ったのだが、「ここもいいなぁ」と直感した。

谷沿いに数ヶ村続いていた。家が独特。道端で草取りしていたおばあさんに道を聞いたら、東谷の一番奥に、大土町というところがあるという。そこまで行ってみることにした。

それにしても、こんな山の中に「町」? もしかしたら、隣町のことかもしれない。県道を外れて、「大土町」の標識の方、いっそう細くなった杉林の道を進んだ。こんな先に突然大きな町が出現するのだろうか? そもそも、村さえあるようには思えない。

5分ほど行くと、民家が見えてきた。そして道はそこで終わっていた。ちょうど男の人たちがいたので、「ここが大土町ですか?」と訊くと「そうです」との答え。どう見ても「町」には見えない。ざっと見渡すと10戸ほどだけだ。「東谷地区で、保存活動か何かやっていると聞いて来たんですが」というと、そのおじさんは、「それは、このあたり全部」という。

このおじさんは、区長さんだった。しかも、今日、村人がシャクナゲの木を神社の境内に植え替える作業をするために集まっているのだという。2年ほど前から、この東谷を何とかできないかと、周辺の今立、荒谷、杉水の村といっしょになって活動が始まったところらしい。

ところで「町」というのは、いわゆる「町」ではなくて、「村」というくらいの意味だ。他の村も、今立町、荒谷町といっている。区長さんから集会所の中に案内されたが、そこには、20年ほど前の村の航空写真や、昭和13年に村が全焼して、その再建の様子を写した写真などが飾ってあった。村の上には、30枚ほどの昔ながらの棚田もある。今は、半分が耕作放棄されているが、これからまた復田する予定もあるそうだ。

この「町」には現在4人しか住民はいない。今日集まった人たちは、4人以外、下の方に住んでいて、ときどきやって来ては作業をするらしい。

100年前まで、ここには45戸ほどの民家があった。そのときは、田んぼはなくて、炭焼きと焼畑で生計を立てていた。今杉林になっているところが焼畑だった。

45戸のうち、約半分の戸数の住人が、北海道に移住した。(そこから、埼玉県の所沢に移住した人もいるという) そのあと水田ができた。集会所には、100年前に移住していった北海道の末裔たちが、この村に里帰りしたときの集合写真も飾ってあった。

俺は、全国の田んぼや集落を見ながら旅をしている写真家だと名乗り、区長さんたちに和歌山県の「あらぎ島の棚田」のポストカードをあげた。こんな形の棚田があるのか?と感心していた。「あらぎ島」は、川が湾曲している土地に棚田を拓いたので、あこや貝のような形をしている。

区長さんたちは、ここの民家には煙突が付いているのが特徴ですという。たしかに、民家には煙突が立つ。今はほとんど使われないが、昔は、朝夕と、全戸から煙が上がっていたという。「それなら、煙突から煙を出してみせるイベントをやったら、人が来るんじゃないでしょうか」などと、俺は無責任に提案した。いや、少なくとも、写真に興味がある人は絶対に集まる。この俺が来たいと思うくらいだから。

高台に上がってみた。そこからは村の様子を見渡せる。村の真ん中にきれいな水が流れていたが、その上流には、「大土生水」と書いた、山の水飲み場があった。口に含んでみたら、とても冷たく美味しかった。

棚田の上の方にも行ってみた。区長さんが言ったとおり、半分は使われていない。

村を一回りしたとき、区長さんに「ここは、どうですか?」と訊かれた。「屋根が赤茶色で民家に統一感があるし、なんと言っても、ここにやってくるときの、自然の演出がまるで「桃源卿」のような、狭い道を通り抜けると、こういった空間がパッと広がって、気持ちいいところですね」と俺は言った。別にお世辞でもなんでもない。(良くなかったら、ブログには書かないだけだ) それと、道がこの村で行き止まりというのも、俺個人としては気に入った点だ。

村のところどころに生えている、シャクナゲを掘り起こし、それを神社の境内に運び、植えつける。みんないっしょうけんめいだ。

自分たちの力で、村を良くしようという姿勢に、すでに俺は気持ちよさを感じている。結局、村人自身が「どうしたいのか」がはっきりしていないと、なかなか難しいと思う。特に人の生活が作り上げた「文化的景観」の場合は。持続するものでなければ、意味がない。部外者から強制されてもうまくはいかないだろうし。ここは、そういう意味で、村人自身が「こうしたい」というのも見えるし、一歩一歩だが、着実に進んでいる感じがする。

大土町の写真は、こちらでどうぞ。「2007初夏、車中泊の撮影旅(付録3) 石川県加賀市山中町の東谷地区」

山越えして、隣の杉水町にも行ってみた。ここには蕎麦屋もあり、観光客も足を運んでいるらしい。大土よりも開けた感じ。

国道364号線から、福井市郊外で国道8号線に戻った。鯖江市、敦賀市を経由して、国道8号線から分かれ、西へ進む。


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