展示写真から 今日の一枚 (3) イランの棚田
今日は、イラン北部、マーザンダラーン州の棚田です。
「イラン」というと、「砂漠」や「乾燥地帯」をイメージしますが、実は、カスピ海沿岸は、大稲作地帯なのです。そして山ぎわには、棚田があります。
イラン人は、手先が器用で几帳面だといわれています。この棚田のあぜ道にも、その几帳面さが現れています。まるでペルシャ絨毯の職人が、棚田の模様を織り上げているようです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今日は、イラン北部、マーザンダラーン州の棚田です。
「イラン」というと、「砂漠」や「乾燥地帯」をイメージしますが、実は、カスピ海沿岸は、大稲作地帯なのです。そして山ぎわには、棚田があります。
イラン人は、手先が器用で几帳面だといわれています。この棚田のあぜ道にも、その几帳面さが現れています。まるでペルシャ絨毯の職人が、棚田の模様を織り上げているようです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今日は、インドネシア・バリ島の棚田です。
聖なる山、アグン山の噴火によってできた島の、いたるところが棚田です。この写真は、満月の夜の、バリ島東部ティルタガンガの棚田です。
このあと、もっと暗くなってから「田毎の月」が現われました。「毎」といっても、水面に映る月もひとつだけなのですが。
「田毎の月」という言葉から連想するのは、田んぼそれぞれに全部月が映るイメージですが、実際はそうなりません。でも、なぜそういうイメージが生まれたかというと、実際この場に立ってみて気がつきました。
自分が動けばいいんです。そうすれば、全部の田んぼに月が映ったのを見る(体験する)ことができます。だから、「田毎の月」は、「見るもの」というよりも「体験するもの」なんだぁと思いました。
写真ギャラリー「田毎の月 & 田毎の星」(◆オリザ館(アジアの棚田)◆)
田毎の月 The moon reflecting in the individual rice fields (YouTube)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今日から写真展『棚田を歩けば』が始まっていますが、当ブログでは、展示写真から毎日1点づつ取り上げて、掲載したいと思います。
初日の今日は、水田で遊ぶカンボジアの少年たち。アンコール遺跡群のあるシエムリアプから郊外に出ると、一面水田が広がっています。子どもたちは、水田の水路に飛び込んだり、魚採りをしたり、日が暮れるまで遊んでいました。
幸い、このあたりに地雷は埋まっていないということでした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今日、写真展の搬入を無事に終わりました。こんな感じです。
写真パネル点数は40点になりました。それと、DVDによるスライドショーで写真を映写しています。
近くにお出かけのときは、お立ち寄りください。
写真展『棚田を歩けば』についての詳細は、こちらをどうぞ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
写真展のお知らせです。
写真展 『棚田を歩けば』
2007年6月26日(火)~7月8日(日)
(7月1日、2日は休み)
12:00~18:00
ブックギャラリー ポポタム
入場無料
アジア・日本の棚田の写真パネル展示と、スライドの映写で、"たなだ"を感じる空間をお贈りします。
それと、もうひとつ、写真展期間中(今度の金曜日ですが)、スライド&トークショー 『棚田を探して旅をする』をやります。1週間前まで当ブログで連載していた「2007初夏、車中泊の撮影旅」で撮影したばかりの水田や棚田、他に、中国・インドネシア・フィリピン・ベトナム・イラン・マダガスカルの棚田や人々の生活、食べ物の写真を映写しながら、エピソードなどを話す予定です。こちらは有料ですが、佐賀県蕨野棚田米を使ったおにぎりとお茶が付きます。棚田好きな人はもちろん、旅好きな人もどうぞ。
2007年6月29日(金) 18:30~
料金 \1000
ブックギャラリー ポポタム
(お茶・棚田米のおにぎり付き)
予約が必要ですので、ポポタムまで、メールか電話で申し込んでください。
mail: popotame@kiwi.ne.jp
tel/fax: 03-5952-0114)
ポポタムの地図は、こちらで
ポポタムのホームページは、こちら
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
(写真は、石見銀山の神社跡に残る階段)
島根県大田市の石見銀山を訪ねたのは、5月31日のことでした。
商店の89歳になる店主に、お茶をごちそうになりながら聞いた世界遺産の話。あのとき、「世界遺産が延期になる」とかいうことも聞いた気がします。そのときは、聞き流してしまったのですが、それがこういう話だったのかと、昨日のニュースを聞いてわかりました。
どうも、ユネスコは「顕著な普遍的価値の証明が足りない」として「登録延期」を勧告しているらしい。それで、日本側は、当時は銀生産の世界の3分の1を日本が占めていたなど、世界的歴史的価値をアピールし、評価格上を目指して、ユネスコ側を説得しなければならないらしいのです。
石見銀山の登録審査へ 23日から世界遺産委員会
(中国新聞 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200706210445.html 参照)
商店の店主が言っていた通り、地元では賛成する人もいるし、反対する人もいます。しかも俺は石見銀山について詳しいことは、訪ねてから知ったようなものなので、世界的価値がどれくらいあって、そして登録されたほうがいいのかどうかはわかりません。
ただ、実際見た感触として、あそこに当時は大きな町があって、大量の銀を採掘し、それが日本経済を支え、アジアや世界の経済にも影響を与えていたという事実は、やっぱりすごいことなんだと思います。でも、・・・。
このことを、日本人のどれだけが知っているのでしょうか? 俺は訪ねるまで知らなかったし。一般的な日本人があまりよく知らないことを、一気に世界の人に認めてもらうというのは、かなりの説得力が必要ではないかと思います。
結果は、27日か28日にわかるようです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
河北町の「肉そば」については、以前、このブログでも書きましたが(山形県河北町谷地の「肉そば」2007/5/7)、肉そばの缶詰が発売されていると聞いて、河北町へ行ったとき、この缶詰を買ってきました。(今回の旅で、唯一みやげといえるものです) 肉そばのセットは他にも売られているようですが、缶詰はこれだけかもしれません。
肉そばは、俺の出身地、河北町谷地が発祥の地。鶏と鰹のスープで、あまり塩辛くはなくて、むしろ甘めです。具として入っている鶏肉のスライスが堅めでコリコリしておいしい。
地元では、「つったえ肉そば」が好まれます。「つったえ」とは「冷たい」の方言。雪が降り続ける寒い冬でも、「つったえ肉そば」を食べます。
缶詰を買ったのは、河北町の道の駅ぶらっとぴあ。閉店間際に飛び込んで、店員のおばさんに「埼玉からやってきました。何とか売ってください」と頼み込んで買い求めた、麺とスープがセットになったものです。大盛り2人前のセット1000円。
麺を煮て、鶏肉の入った濃縮スープを水で薄めてスープにするだけ。もともと「冷たい肉そば」なので、常温でもだいじょうぶ。
食べてみました。懐かしい肉そばでした。おいしかったですよ。ただ、やっぱりというか、しかたないというか、スープに入っている鶏肉は、出来立ての鶏肉のような歯ごたえが感じられませんでした。(スープが肉に染み込み過ぎコリコリ感が少ない。これが良いという人もいるでしょうが) まぁ、缶詰だから当然なのですが、その辺は許すことにしましょう。
地元のそば屋で食べるのが一番なのはもちろんです。だから、これは河北町谷地に行けない人にとっての救世主です。俺も無性に食べたくなるときがありますからね。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
先月、東京MXテレビで、棚田の番組をやる話は書きましたが、放送日が近づいてきたので、もう一度お知らせします。
Tokyo MXテレビ(地上デジタル9ch/UHF14CH)
ガリレオチャンネル
「よみがえる棚田~美しき日本の原風景~」
6月24日(日)朝8:00~8:30
7月 1日(日)朝8:00~8:30(再放送)
日本の棚田の現状や、棚田の活動を紹介する30分番組ですが、俺も棚田の写真(↑に掲載の写真は、三重県丸山千枚田です。この写真も登場するかもしれません)とともに、少しだけ出演します。どうぞご覧ください。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
5月26日の記事で書いたように、砺波平野の散居集落を見渡せる展望台は、夕方まで雨が降っていましたが、一瞬だけ、雲が切れて光が田んぼに射し込みました。そのときはフィルムカメラでしか撮る余裕がなかったので、その次の日ブログに載せた写真は、そのあとデジカメで撮った写真でした。でも、おとといフィルムの現像を終えたので、今日は、約束どおり、この写真を載せます。
「こんなことあるんだなぁ」という瞬間が、たまにあります。それは写真を撮っている人間にはたまらなく幸福な瞬間で、何か見えない力で撮らされているような瞬間でもあります。この偶然に感謝したくなります。
ついでに言うならば、写真のおもしろさは、こんな偶然が実際あるんだぁと知ることに尽きるでしょう。その偶然が、「ほんとにあった」と知っているのは俺だけです。なぜなら、パソコンを使えば、これくらいの「創作」はできてしまうからです。(自分以外は騙すことができるということです)
この写真は、夜中の3時に、宮沢賢治『風の又三郎』ふうの「どーどど、どどーど、どどーど、どどー」を奏でていた例の「極端に大きな音でバイクを走らせるにいちゃんたち」とともに、一生忘れられないものとして、心に刻みこまれたのでした。(トラウマになったのです)
初めてこのブログに来て、宮沢賢治の「どーどど、どどーど・・・」って、何の話?と、わからない方は、ぜひ、こちらをご覧ください。
「2007初夏、車中泊の撮影旅(7) 砺波平野の散居集落と、『宮沢賢治』」
ところで、彼らが宮沢賢治を練習しているのでは?と考えた瞬間、少し笑ってしまったのでした。あんな恐怖のどん底にいても、人間は笑えるんですね。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
話はさかのぼり、5月28日、京都府北部、丹後半島にある伊根の「舟屋の里」の写真です。
後ろに迫る山、すごいですよね。海岸際をうまく使った形が「舟屋」なんだなぁと、これを見るとわかります。
映画『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」や、NHK朝の連続ドラマ『ええにょぼ』でもここが舞台になったそうです。
5月28日の記事はこちらでどうぞ。「2007初夏、車中泊の撮影旅(9) 京都府伊根の「舟屋の里」、兵庫県城崎」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
5月27日の話に戻りますが、石川県加賀市山中町の東谷地区大土町の写真です。
これは土蔵ですが、なんとなく、マダガスカルの民家を思い出してしまいました。(似てるかどうかは、これを見てください。俺は似てると思ったんですが。)
大土町は4人しか住んでいない「町」として知られています。
記事については、「2007初夏、車中泊の旅(8) 富山県砺波散居村と、石川県山中」でどうぞ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今回の車中泊の撮影旅、ひとまず昨日で終わりました。疲れはあとで出てくるようです。休みがなかったからね。雨でも降ってくれたら、休むんだけど、晴れると、貧乏性なもんで、つい写真を撮ってしまう。
今日一日、ぐだーッとしていました。
今回の旅は、棚田だけではなくて、広大な水田、畑、集落などを中心に回りました。これらはいずれも、人の暮らしとともにある景観です。生活から生まれた景観です。
いずれ1冊の単行本にまとめたいと考えています。
今日から何日間かにわたって、気に入った場所を振り返り、『車中泊の撮影旅(付録)』として、写真を掲載していきます。
今日は、秋田県八郎潟の写真です。
ほぼ1ヶ月前なので、なんだか懐かしい感じがします。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月15日、金曜日、曇りのち晴れ
今朝は、7時に出発。正面に富士山が見えたので、以前も行った韮崎のポイントに寄ってみた。ところが、ちょうど着いたころから雲が出て、富士山が見えなくなってしまった。しばらくたっても駄目なようだったので、写真撮影は次回にすることにする。
甲府についたころ、天気が回復しだした。そして今日も暑い一日になった。なんだろう、この天気は?
大菩薩峠を越えて埼玉に戻ることにしたので、途中、勝沼のぶどう畑地帯を通った。ワインの丘に登り、写真を撮る。見晴らしがいい。スイスの風景と似たところがある。(なんでも外国と比べるのは、行ったことを自慢するためではありません) 山の斜面が一面ぶどう、ぶどう。ぶどう畑の中を電車が通り過ぎる。
ぶどうの収穫にはまだ早すぎるので、観光客はほとんどいない。静かでいいね。でも、いつか、収穫時期に写真を撮りに来なければ。今日は、通過。
国道に戻り、山越えする。峠からは、富士山が見えた。急坂を下っていく。青梅、入間を経由して、午後1時半、狭山市に到着。無事、もどったーーーっ!
今回は、27日間、走行距離6420km。
明日からは、今回撮った写真で、まだ載せていない写真を使いますので、引き続き、このブログをご覧ください。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月14日、木曜日、雨時々曇り
ようやく雨。今までの晴天が異常。
昨日、栗東の道の駅に泊まるつもりだったが、近くを新幹線が走り、うるさかったので、次の竜王町の道の駅で泊まった。
俺の車の横で泊まろうとしていた人が声をかけてきた。「泊まりですか?」
彼は、俺と同じくらい25日前、九州を出て、北海道まで回ってきたという。ほぼ1万km走ったといっていた。道の駅では、他の車中泊の人に声をかけて、なるべく近くに車を停めて寝るという。ある道の駅で、車の「集会」があり、怖かった体験をしたかららしい。明日京都と姫路城を見て帰るといった。俺も帰るので、残っていたポストカードをあげることにした。家が九州というので、玄海町の浜野浦棚田のカードをあげた。玄海町に棚田があることを初めて知ったようだった。
今朝、雨の中、6時に出発。数km先の近江八幡に寄る。ここへは2年前も来ている。まだ6時半なので、もちろん観光客もいないし、地元の人もあまり出ていない、静かな八幡堀界隈。堀割にはアジサイの花も咲いている。雨でしっとりしている風景もまたいいものだ。アジサイに雨がよく似合う。
豊臣秀次は天正13年(1585)年に、琵琶湖までの八幡堀を開削し城下町を開いた。江戸時代は、近江商人発祥の街として栄えた。平成18年1月26日、文化的景観の第1号として「近江八幡の水郷」が選定された。それは住民の景観保全に対する高い意識があったといわれる。
1960年ころの八幡堀は異臭をはなち、埋め立てて駐車場にする話まで出たが、住民が中心となり、八幡堀を今の姿に再生させたという実績があったのだ。これは、住民の努力によって救われた風景なのだ。
近江八幡から、国道8号線に戻り、米原へ。ここで、国道21号線を東へ。岐阜市、各務原市を経由して、御嵩から、県道65号線に入る。これは、旧中山道の一部。狭くて曲がりくねった道。人が自然に歩いて造り上げた道の曲線。車で走ると走りづらいが、人が歩くには心地よい曲線。いや、なるべく楽に歩ける曲線、といえるのかも。
ところどころに集落。田んぼと畑。そして途中で見つけた弁天沼。緑濃い木々に囲まれた、ハスの花(左に赤い花、右に白い花)が咲く小さな沼だったが、石橋がかかっていて、雰囲気はなかなか良い。昔の旅人もここで一休みしたんだろうな。反対側の田んぼでは、牛蛙が鳴いていた。
中山道美濃十六宿のひとつ、大@宿。(@の字忘れた。あとで地図で確かめます)ここまで来ると、空間は広がる。田んぼが広がるが、旧道の雰囲気はなくなる。
坂を下って国道に出た。道幅は広くなり、曲線は緩やか。やっぱりこれは、車用の曲線。たぶん、ここを歩くと疲れると思う。と、思っていたら、歩いているバックパッカーを一人、追い抜いた。彼も旧道を歩いたあと、この国道に出たのかも。なんとなく疲れているように見えたのは、気のせいか。
恵那市で昼食、兼、休憩。国道19号線、木曽路を北上。このルートを取るのは、なるべく市街地をはしらないようにして埼玉に戻るため。太平洋側、国道1号線はうるさそうだからだ。
雨に煙る山々の間を快調に走る。川にはほとんど水がなく、大きな石が露出している。雨が少なかったからだろうか。
長野県塩尻市で国道20号線に入り、諏訪市を経由して、富士見町にある、道の駅信州蔦木宿。ここは何度も泊まっている常宿だ。温泉、つたの湯が併設されている。ここから埼玉の家まで、あと3,4時間。明日の昼前には着くだろう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月13日、水曜日、曇り
昨日は暑かった。北海道でも30度を越えていたそうですね。今日は、曇っているが、そのかわり蒸し暑い。水分補給量が昨日よりも多い。
それにしても、車中泊が長くなってきて、車が「ゴミ屋敷」状態になってきた。
今朝は、岡山県玉野市の道の駅、みやま公園を6時半に出た。国道2号線まで戻り、ひたすら東へ進む。姫路城をちらっと見て、国道を離れて稲美町へ。ここは、ため池が多いところとして有名だ。
郷土資料館へいって稲美町教育委員会のパンフレットをもらった。それによると「いなみ野台地は元来、水の乏しい原野でした。しかし、先人たちは永い時間をかけて、農業を営むためにため池・水路をつくり、人々の居住する集落をつくり、次第に豊かな田園空間へと発展させてきました。」
町内にあるため池は、昭和30年代には、140箇所以上あったものが、現在では89箇所だそうだ。
館の人はいう。ため池は俯瞰できないので、写真コンテストなどを参考にしながら、どんな視点があるのか検討中とのこと。たしかに、土地は平らで、展望台があるわけではなく、あったとしても、たくさんのため池を見るためには、航空写真しかない。資料館には天満大池(てんまおおいけ)を写した航空写真が展示してあった。その周辺にもたくさんのため池が見える。すごい、と思う。
それは特殊な目線だ。人々が日常風景としているのは、地面から見る景観だった。でも、飛行機ができてから、「すごさ」がわかったナスカの地上絵みたいなこともあるし。とにかく、多いだけで、すごいとは思う。
ため池の写真をわざわざ撮りに来る人もそれほど多くはないだろうが、とにかく、写真にするのが難しいのは確かだと思う。天満大池に行ってみた。
天満大池は、兵庫県でもっとも古い池で、古文書によると、その原型は、白鳳3年(675年)に築造されたといわれている。天満大池の近くにある神社、天満神社で祭ってあるのは、天満天神(菅原道真公)、大年大人(池大明神)。
また、ここは、「あさざ」という水生植物の生息地らしい。絶滅危惧種でもあり、全国で、ここと、茨城県霞ヶ浦、淡路島南淡町のため池の3箇所だけ。季節によるのだろうが(いつ咲くかは調べてないので)、今日は見つからなかった。公園に来ている人たちにも聞いてみたが「見たことないなぁ。役場で聞いてみたら、咲く時期も教えてもらえるでしょ」とアドバイス。その通りなのだが・・・。
池の周りは、一部は公園になっている。散歩する人、子供を遊ばせている人、ジョギングする人、白鷺が魚を獲っていたり、亀が岩の上で甲羅干ししていたり、というのが見られる。
稲美町から県道で、国道175号線に出た。セルフのうどん屋でうどんを食べる。こういう店、関東では少ない。さすが関西。たくさん目にする。
国道372号線に入る。これは神戸や大阪の市街地を迂回するような感じで、山側を東西に走っている。姫路から、京都の西、亀山まで。この道は何度か通っているが、田園風景の中を走るので、写真を撮るにはいい道だ。棚田あり、山あり、森林あり、そして趣のある集落の数々。道はそれほど広くはないが、車の数も多くはないし、お勧めの道だ。
亀山から国道9号線で、京都市、道は1号線になり、大津、草津を通り、栗東の道の駅で泊まる。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月12日、火曜日
昨日の続きから。大分県豊後高田市の田染荘荘園遺跡から、小倉を目指す。今日で九州の撮影は終わり、明日からは、東へ向かい、撮影しながら、埼玉へ帰るつもりだ。
今日で、道の駅を使った車中泊の撮影旅も24日目を迎え、ちょっと疲れてきた。写真も集中力が途切れると良くない。だいたい3週間がいいところ。ほんとなら、四国も周りたかったが、今回は時間切れ。仕事も入ってしまった。写真展の準備もある。
国道10号線に戻り、宇佐市を過ぎ、マックで仕事。棚田の画像を選ぶ。これをCD-Rに焼いて明日、ある雑誌宛に送らなければならない。データ量が大きいので、モバイルからメールでは、時間がかかってしまうので、郵送することにした。
デジカメで撮った写真、メール、電話で仕事ができてしまう。家にいなくても仕事ができるなんて、数年前までは考えられなかった。極端な話、住所不定でも、世界中どこにいても、パソコンとデジカメさえあれば仕事ができるということなのだ。もちろん、ブログやホームページは、俺が留守中も、ちゃんと「営業活動」してくれている。そんなに沢山お客さんが来るわけではないが、不思議な仕事の仕方になってきた。すごい変化だ。
豊前、行橋を経由して、北九州市。小倉は、1週間ほど前、迷ってしまったが、今日は、大丈夫。フェリー乗り場も覚えていたので、すんなりとたどり着いた。下関までのフェリーに乗る。
岸壁を離れ、小倉の工場群が小さくなっていく。海風が涼しい。と、思ったら、「ドライバーは、車に戻ってください」のアナウンス。「一番短いフェリー」だからね。わずか13分。
上陸して、下関駅前を通り、国道2号線に入った。市内から6kmくらいいったところのスーパーの駐車場で休憩、兼、仕事の電話待ち。
暗くなってから、再び国道2号線を走る。30分くらい走った山の中で、駐車スペースがあったので、そこで泊まる。よく、トラック運転手が仮眠を取っている場所だ。日本の物流を支えるトラック運転手たち。実際、こういう旅をしていると、毎日長距離運転することの大変さがつくづくわかる。なんて、半分遊びのためにやっている俺がそんなこと言う資格ないかもしれないが。彼らとは比較にならない。
国道脇の駐車スペースなので、夜中も車の行き来はあって、車の音がする。でも、慣れるんだよねぇ、こんな条件でも、俺は眠ることができる。熟睡とまではいかないが。開高健が、昔、ベトナム取材をしたとき、砲弾が飛んでくる中で、平気で食事をしたり眠ったりする兵士に驚いた、みたいは文章があったと思う。戦地でもそうなんだから、長距離ドライバーにとって、国道の騒音なんて、たいしたことはないのかもしれない。
午前5時出発。国道から海に面した住宅街の中に田んぼが見えた。停車して写真。むかし、住宅街になる前は、もっと広い田んぼだったのではないかと思わせるような。その周辺には工場地帯が広がっている。マックがあったので、朝食と仕事。従業員の女の子に、この町の名前を聞いたら、旧徳山市、今は、周南市というらしい。
国道2号線をひたすら東へ進む。今日は移動日だ。東広島市のどこか、小さな郵便局で、今回の旅で、デジカメで撮影した棚田画像を焼いたCD-Rを、依頼者宛に送る。
竹原市に、温坂温泉があった。ホテル一軒と、かんぽの宿。聞いたら、かんぽの宿では日帰り温泉が可能。600円。露天風呂もあってゆっくりできた。昨日は風呂なしだったから、気持ちがいい。
意外と、国道2号線沿いには温泉が少ない。ここから倉敷あたりまで、地図で温泉が探せなかったので、ここで入っておいた。
風呂から上がって着替えをしていると、ひとりのおじさん。やたらにあたりを見回し、ズボンをきちんとたたんでいた。これほどちゃんとたたむのは、ただ者じゃないと思ったら、やっぱり、背中には立派な模様のある人。よく温泉の入り口には、「いれずみのある方はご遠慮ください」などと書いてあるが、ご遠慮する方々なのだろうか?と、思う。でも、お賽銭はいらないので、こういう人がいると、いつものように、背中の模様に、心の中で手を合わせ、旅の安全祈願と、今年の五穀豊穣を祈らせてもらうのだ。
温泉を出て、休憩室でテレビがついていたが、みのもんたの番組。日本全国、この時間、みのもんたを観てるのか。
竹原市から、尾道市の郊外、バイパスのパーキングで休憩。倉敷市から県道22号線に降りて、玉野市まで。ここの道の駅、みやま公園に泊まる。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月11日、月曜日、晴れ
昨日、棚田で夕日まで待った。ここも、川が湾曲しているところに造られているので、和歌山県あらぎ島の棚田と同じような形になっている。牛の声が聞こえた。どこかで飼っているのだろう。
暗くなったあと、道の駅に戻って泊まった。
そして、今朝、6時に出発。緒方町から竹田市へ。ここで、国道442号線に入るのを忘れ、国道57号線を熊本方向にしばらく走ってしまった。間違いに気がつき、山の中をぐるぐ走り、久住高原に出た。
さわやかな高原の朝。久住山と青々とした牧場。牛さんが数頭、草を食んでいた。遠くには阿蘇山も見える。雲ひとつない。雄大な高原地帯。ようやく国道442号線に出た。
県道11号線、やまなみハイウェイに入る。上りがきつい。上ったところは絶景。阿蘇山遠望。バイクのライダーもここで停まり、携帯で写真。
この県道11号線は、湯布院を経由して、別府まで続いている。途中、草原と、絶景の繰り返し。停まって写真を撮り始めたらきりがない。今度は、山の写真を撮りながら日本を周ることもあるだろう。今回は、田んぼ、畑、集落といった農業と関係あるものだけに絞る。(テーマといえるほどしっかりしたものでもないが)
別府で、国道500号線に入った。湯煙と硫黄の匂いの中、3,4km上って行くと、別府全景を見渡せる展望台がある。ここで写真。夜景のスポットらしい。あいにく霞がかかったようにぼんやりしていた。
院内町で、国道387号を右折、北上。宇佐市から国道10号で東へ進み、国道213号に入り、豊後高田市まで。ここに、田染荘荘園遺跡がある。800年の歴史がある。豊後高田市観光協会が出しているパンフレットによると、「田染荘は、宇佐八幡宮の「本御荘十八箇所」と呼ばれる根本荘園の一つで、もっとも重要視された荘園でした。荘園の里では、このすばらしい遺産を後世に残すため、人と自然と歴史が融合する田園空間博物館として人々に「やすらぎ」と「いやし」を与える未来への架け橋づくりを行っています。」とのこと。
豊後高田市内から、県道34号線を南東方向へ15分ほど走ると、看板が出ていてすぐわかった。この道は農道らしいが2車線の立派な道路を行くと、そこが田染荘。盆地になっているので、この空間は、パンフレットにもあるように、見所が点在していて、博物館のようだ。
夕日観音というのが山の上にあって、そこから俯瞰できる。田植作業をしていたおばあさんは、「昨日は田植祭りでにぎやかだったですよ。残念でしたね」というので「いや、静かでいいですよ」「写真撮るにはいいですかね」夕日観音の場所を聞くと、「あの道が曲がってるところです。看板も出ています」と教えてくれた。
林の中に上に続く階段があった。木陰はひやりとして気持ちがいい。上の岩からは、荘園を見渡せた。田んぼは、棚田とは言えないかもしれないが、丸みを持った田んぼが連なっている。岩手県一関の骨寺村荘園遺跡と雰囲気は、どことなく似ている。
岩の突端に恐る恐る出て、写真を撮った。下まで、50mはあるだろうか。俺は文字通りの「がけっぷち写真家」だ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月10日、日曜日、
昨日は、熊本県矢部町(今は、町名が変わっているかも)の通潤橋から、国道218号線を東へ向かう。この九州を横断する国道は、何度も通った。観光客には勝手のいい道だ。山道なのだが、谷は大きな橋で結ばれているので、比較的アップダウンが少なく、道幅も広く、走りやすい。昨日一日で、島原湾から日向灘に抜けた。
高千穂町を通過し、日之影町に。ここに、石垣の村、戸川がある。この棚田は「棚田百選」に選ばれているので、2000年の春に来たことがあった。国道から、日之影川に沿って進んでいくのだが、この深い渓谷が「どこへ行くんだろう」という、不安あり期待ありの不思議な感じを持たせるのだった。2度目なので、不安はなかったが。
集落の手前、400mくらいのところで、石垣の村が見えてくる。ここでまず写真。集落は戸数7戸。入っていくと、駐車場のある食堂兼宿がある。今日は、俺の他、観光客の車はなかった。
歩いて棚田の上のほうから写真を撮りにいったが、暑くてダウンしそう。食堂で、アイスと地元で採れたゆずジュースを飲んで、ようやく汗も引いた。
働いてる女性の話では、ここが棚田百選に選ばれてから、訪ねてくる人が増えたという。宿泊客も多い。季節によって、春には山桜、秋には紅葉と、美しい自然を楽しむことができる。釣り客も来るという。
棚田百選が選ばれたときは、まだわからなかったが、ここに、11mの石垣があることが、その後「発見」された。それで、「日本一の石垣」となったわけだが、ちょっと微妙な問題がある。
それまでは、佐賀県唐津市相知の蕨野棚田の8.5mが一番高いといわれてきた。ただ、戸川の石垣のある棚田は、今、耕作されていない。だから、現在も使われている棚田としての日本一は、やっぱり蕨野になるだろう。ただし、ここもまた作り始めたら? どうなるか。まぁ、一位でも二位でも、高いことに変わらない。
石垣の脇に農道があるので上っていって、縁に立ち、下を覗いてみた。高所恐怖症ではない俺でさえ、足がすくむ。下の段は、畑として使われている。
それにしても、この石垣を積んだ人たちは、日本一を目指そうなどと考えたわけではなくて、ただ、なるべく耕作地を増やしたいと思って造っただけだろう。もし今生きていたら、「これが日本一ですよ」といわれて、びっくりするのではないだろうか。
村を出て、日之影町の中心地へいった。ここの高千穂鉄道の日之影温泉駅は、駅舎の2階がほんとに温泉になっているのだ。2000年戸川に来たときも、偶然ここに入って、面白い温泉だなぁと思ったのだった。露天風呂からは、プラットホームと線路が見えた。縦に3つ電気が付いている鉄道の信号があるが、それが休憩室に架かっていて、電車の時間、「5分前」「15分前」などを、明かりが点いて教えてくれる。
ところが。今回、露天風呂から身を乗り出して下を覗くと、線路が外されている。電車は来ない。あとで従業員のおばさんに聞いたら、一昨年の秋の台風で、橋はふたつ流されてしまい、今、復活するか、廃線にするか、検討中とのことだった。そういえば、一昨年の台風のニュースは覚えている。ただ、この路線のことはまったく知らなかった。
おばさんは、廃線になると寂しいね、といった。その通りだと思う。でも、車社会になってしまい、赤字路線だから、復活は難しいのかもしれない。そういう事情を聞いた後で、今でも、時刻表どおりに、来るはずのない電車の到着を「5分前」などと、信号が予告しているのが、妙にせつなく感じてしまった。とりあえず、温泉だけはちゃんと続けていけるそうだ。
日之影温泉駅から国道218号線に戻り、東へ。約1時間で、延岡市に着いた。国道10号線を左折。北へ向かう。7kmほど先の、道の駅、北川はゆまに泊まる。
☆☆☆☆
そして、今日、10日。
今朝は、けっこう冷えた。半袖では肌寒いくらい。6時半に出発。国道10号線を北へ行き、10kmほどのところから、蒲江方面の県道43号線に入る。山に靄がかかる。それほどアップダウンはない。
三河内から国道388号線になる。でも、これはかなり狭い個所もあって、ほんとに国道?と思うくらい。山間に光が当たって、美しい風景が続く。田んぼの水に映る白い民家。タバコ畑が多い。木造の小屋。それがまた朝日に輝いている。まるでヨーロッパのよう。
写真を撮ったあと、国道を進んでいくと、バリケードがあり、「全面通行止め」の看板。近くで、農家の人がタバコ畑で作業していたので聞いたら、看板を見落としてしまったようで、蒲江には、広域農道でいかなければならないと教えられた。
1kmほど戻ると、たしかに分岐点と、標識がある。
山道を降りると、海に出た。その直前、野生のシカ。そして、シカの交通事故の死体。こんなに人家に近いところで、野生のシカが活動しているのか。
海沿いの道を、途中休憩しながら、蒲江まで。ここに来たのは、「シシ垣」を見たいからだ。イノシシ除けの石垣だ。さっきシカを見たが、イノシシもシカも農家の人にとっては害獣になる。シシ垣が多いということは、昔から、害獣には悩まされてきたということなのだろう。
誰かに場所を聞かなければ。道の駅があった。でも、まだ7時半なので、営業していない。町に入ってみた。
タクシー会社があった。何人かドライバーがいたが、今は使ってないし、探さないとわからないだろうという。場所は知らなかった。
あまり若い人に聞いてもだめだろうと思っていたら、おじいさんが海の椅子に腰掛けていたので、聞いてみた。すると、言葉がよくわからない。しかも、細かい地名を言うのだが、「埼玉から来たので、このあたりわかりません」と何度言っても、それを繰り返してしまう。それでも、彼が言った言葉のなかから、「トンネルふたつ抜けたところ」と「今は木に隠れてしまっているので、案内人がいないと難しいだろう」ということがわかった。
それで今日は日曜なので、いるかどうかわからなかったが、役場を訪ねた。すると、当直の人が、たまたまシシ垣について知っている人で、詳しい地図を描いてくれた。ただ、最近は行ってないので、崩れてしまっているかもという。
ところで、このシシ垣は、江戸末期に造られたようだが、最初に造ったのが、「わきち爺」という人物だったらしい。海岸から石を一個一個運んできては、村の周囲に積み上げた。それを、あとで知った村人も協力し、みんなで石を築いた。そんな伝説があるという。なので、村の集会などで、率先して準備をする人に対して、「おまえは、わきち爺だなぁ」といったそうな。
わきち爺は、最初の石に印を付けたらしい。それで、昔、当直の人も探しにいったことがあるそうだ。
役場から東方向の山にあった。教えられたとおり行ってみたが、シシ垣は、林の中にあった。枝をかき分け、クモの巣と格闘しながら、中へ入っていくと、数十mくらい崩れていないところがあった。イノシシが飛び越えられないように、「武者返し」のように、先端が反り返っている。
「発見」したような気分。「探す」ことの面白さは、以前、このブログでも書いているが、こういうものを探しながら歩くのが好きなんだろうなと自分でも思う。最初から、「ある」ことがはっきりしているより、今日のシシ垣くらいが一番いい。「ないかもしれない、でも、あった」
長い年月が経ったことがわかるのは、石垣の間から木が生えているからだ。まるで、アンコール遺跡群のタプロームのよう。ガジュマルの木が、遺跡の石と一体になっているが、規模は小さいが、そんな感じ。(ここは地雷が埋まってないのでいいが) それにしても、よくまぁ、こんなすごいことを昔の人はやったなぁと感心する。これは立派な農業遺産だな。
役場に戻り、当直の人に、デジカメの画像を見てもらい、確かめた。ここまで来て、違うものを撮っていたら、笑うに笑えない。当直の人は、「そう、これです。まだ残ってましたか」といった。
今度は、鶴見を目指す。ここにもシシ垣があると聞いている。蒲江から国道388号線を行く。海沿いの道を行くのは、気持ちがいい。6月だが、「五月晴れ」。
途中、国道から、鶴見方面への道に入る。トンネルを抜けると、鶴見町の真ん中。役場があったので、シシ垣を聞いた。すると、こちらは、シシ垣は有名らしく、ちゃんと駐車場や看板も立っているという。ただ教えられていってみたが、林道を、半島の突端、鶴御崎方向へ、延々と進まなくてはならなかった。しかも「時々崖崩れがありますから、注意して」といわれたとおり、3ヶ所くらい崩れたところがあった。
看板も立っていたし、遊歩道のようなものも作られていて、蒲江よりも整備が進んでいる。とは言え、あまり見に来る人が多そうにも思えないし、草が生えて歩きにくいのはしかたないだろう。こちらは2mほどの高さのところもあった。シシ垣は、村を囲むように造られていた。看板の地図を見て知った。鶴見のシシ垣は、総延長十数kmもあるらしい。
シシ垣のある山から、下へ降り、海沿いを町に戻る。そこからまた国道388号線に出て、佐伯市から国道10号線を西へ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月9日、土曜日、
昨日の午後の話から。
轟水源のある宇土から、南へ30分、旧竜北町(今は氷川町?)に、八代干拓地がある。その景観の写真を撮りにいった。八代海に突き出た農業用地だ。これを一周する堤防の道があり、そこを走ると、干拓地と海面の高さがよくわかる。
車を停め、屋根のルーフキャリアに上った。足の怪我で足元がふらつく。安定しない。へっぴり腰だ。それでも、海よりも、干拓地が低いのがよくわかった。そのための頑丈な堤防だ。オランダのようなところだ。
散歩していた人の話では、もちろん、今まで海の水が入ってきたことはないという。当然かもしれないが。干拓地の突端には、桟橋があって、釣りをしている人たちがいた。海を挟んで反対側は、不知火町だ。陸地まで直線距離で、1.5kmしかない。
宇土に戻りガソリンを入れ、国道57号線の天草街道を戻る。午前中通った御輿来海岸で、夕日を待ってみようと考えたからだ。宇土市が出しているパンフレットによると、「御輿来海岸の岩は頁岩と砂岩互層からなり、鬼の洗濯岩のようにみえます。別名「ふとん岩」とも呼ばれています。沖合いは遠浅の砂浜で、干潮のときは、見渡すかぎり美しい波模様が望まれ、有明海の奇勝を形づくっています。」とある。
午前中は曇っていたが、午後4時、うっすらと太陽も見えるし、夕方に賭けてみよう。どうせ、「肉ばなれ直前」なので、足を休ませたいし。今晩はここに泊まろうと思う。
干潮は午後7時ころと聞いた。今、4時40分。なんとなく潮が引いている感じ。海岸線が沖のほうにゆっくり伸びている。
午後7時、太陽は、ちょうど雲仙岳の頂上近くに落ちた。かなり干潟の波模様が現れたが、残念ながら、雲があって、赤くはならなかったが、それでも、薄暗がりに広がる波模様は独特だった。
暗くなりかけたころ、3人の観光客がやってきた。大潮のときも来たことがあるといい、そのときは、干潟が1.5倍くらい沖に伸びたという。大潮と夕日が重なれば、すばらしい写真が撮れるのかもしれない。
☆☆☆☆
そして今朝、4時半に目覚ましをかけて起きてみたが、空は雲に覆われて、雲仙も見えなかったので、写真を撮るのをやめて、もういちど寝た。起きたのは7時ころだった。
宇土を通過し、国道3号線を進む。国道218号線で、美里町に。ここには、緑川流域の石橋群がある。
まず、ふたつの川(津留川、釈迦院川)が合流する地点に、橋がL字型に架かっている「二俣橋」。その先には、「大窪橋」。丸い橋で、形が美しい。
そして、有名な「霊台橋」。単一アーチの石橋としては、日本一の大きさ。1847年に、肥後の名工といわれた、種山石工三兄弟が造り上げた。国指定重要文化財。石組がすばらしく、美しい。今、この霊台橋の隣に、国道の橋が架かっているので、車は通らず、歩いて渡れる。
国道218をさらに東に進むと、矢部町の通潤橋がある。ここは、近くの棚田撮影のときに立ち寄ったことがある。観光地だ。日曜日正午、「放水」があるらしい。
走ったりするのはまだ無理だが、足の痛みもほとんどなくなり、これで一安心。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月8日、金曜日、
昨日の続きから。
口之津から天草の五和町までのフェリーは30分間だった。あまり乗客もいなくて、のんびりしたフェリー。デッキの椅子に座って青い海と島影を眺める。天気がいい。まるで夏だ。
漁船が近づいてきた。舳先に立っているのはおじいさんか。天草の漁師。年がいもなく、俺はおじいさんに手を振った。手を振り返してくれなかった。隣に座っていた母娘たちからじっと見られているように感じて、俺はぎこちなく手を下ろした。
上陸して、すぐ右方向へ走る。国道324号線だ。それにしても、午後の太陽光線はきつい。右側だけ黒くなりそうだ。
ヤシ並木を見ると、南国にいる実感がわく。道は、広くなったり、狭くなったりしたが、車も少なく、快適だった。下田温泉というところを通過。
国道389号線だ。「サンセットライン」というらしい。ここも一部は狭いところがあった。アップダウンを繰り返す。曲がりくねった海岸線の道。いくつかトンネルを抜けると、右手の高台に天主堂が見えてくる。それが大江天主堂。りっぱな建物だ。1年半前、ここに来た。このときは、敷地まで行ったが、今回は、遠くから眺めて写真撮って通過。
そして、富津トンネルを抜け、右折すると、崎津天主堂がある。
この天主堂は、中が畳敷きだ。天草のキリスト教はここを中心に広がった。乳飲み子を抱いた母親が「踏み絵」をさせられたこともあったという。今の静かなたたずまいからは、そういう悲惨で、血なまぐさいものは感じられない。
村の後ろの山には、チャペルの丘公園がある。500段以上の階段を上っていくと、公園からは、崎津の集落と海と天主堂が一望に見渡せる。ここは「香り百選」にも選ばれているが、公園まで、潮の香りが漂ってくるようだ。
それにしても静か。公園には俺一人。しばらく休んでいると、船が来た。周りが山に囲まれた湾だからだろうか、船のエンジン音が特別大きく感じる。
1年半前に撮った写真は、『栄養と料理』3月号(たぶん)で使っている。今回は、来なくても良かったのだが、どうしてもまたこの天主堂を見下ろす公園に立ちたくて、つい、フェリーに乗ってしまった。
崎津から、本渡市に出た。そこで食料を買い込み、熊本への道、国道324号線沿い、海に面した駐車場で夕食。有明町の道の駅まで、ここからたぶん5kmくらいだろう。今晩はそこで泊まる。
道の駅に着いたら、幸運にも隣に温泉があった。今日は風呂なしか、と諦めかけたときだったので、うれしかった。さざ波の湯だったかな。ゆっくりつかることができた。
☆☆☆☆
そして、今日、8日。
今朝は、7時ころ出発。国道324号線を快適に走る。海がきれいだ。松島町で、天草松島を見渡せるという展望台に行ってみた。千厳山というところだ。天草5橋や、遠くには雲仙岳が見えた。
下に下りて国道に戻り、橋を渡ろうとしたら、けっこういい感じだったので、車を停めて写真を撮った。ちょうど橋の下から漁船が出てきた。朝のさわやかな風も気持ちがいい。
ところが、ところが・・・。
トラブルは、予想外に起こるものだ。今度は、何? 写真を終わって、車に戻ろうとして、10cmくらいの段差の車道に下りたときだ。右ふくらはぎに激痛。石でも当たったかなと思ったが、車も途切れたときだし、状況的にそんなことは考えられない。どうも、肉ばなれを起したか?
痛みはすぐに治まるだろうと、5分ほど休んでいたが、だんだんひどくなっているよう。ここから埼玉まで帰らなきゃならない。それを考えて不安になった。
とりあえず運転はできそうだ。ただブレーキのタイミングが遅れる。これは駄目だなと思ったとき、コインランドリーがあり、ここで洗濯しながら、どうしようか考えることにした。
洗濯物を入れたとき、ちょうど管理人がやってきて「所沢から?」と聞かれたので、車中泊しながら全国の田んぼや畑の写真を撮っているんです、などと話が始まってしまった。管理人は、それはうらやましいですねぇ、水俣の奥のほうにも棚田がありますよ、などとだんだん話が長くなっていきそうだったが、足の痛さが気になって、会話は上の空。
たまりかねて「この近くに医者か病院ないですか?」と聞いた。「どうしたんですか?」というので、さっきのいきさつを話したら、ここから5kmくらいのところに佐々木整形外科がありますよという。それで、まずその医者へ行くことにする。まだ8時だったが、もう診察はするでしょうとのこと。
佐々木整形外科はお年寄りでいっぱいだった。でも、「旅行中で」といったのが効いたのか、10分ほどで診察してくれた。医者は「肉ばなれになる前、筋肉の表面が傷ついたんでしょうね」という。それで応急処置でシップをし、包帯でぐるぐる巻きにし、サポーターをかぶせてくれた。完治するまでは3週間ほどかかるとのことだったが、これでなんとか旅は続けられそうだ。
痛み止めとシップ薬の処方箋を書いてもらい、隣の薬局へ。窓口の女性が「住所は?」と聞くので「埼玉県・・・」と答えると、怪訝な顔をしたので「旅の途中なので」というと納得したようだった。「これから埼玉まで、撮影しながら運転して帰るんですよ」「右足ですか?」「そうなんですよ。アクセルは大丈夫ですが、ブレーキが・・・」「それは大変ですね」「これもブログに載せますから、見てください」と、しっかりブログの宣伝だけはしておいた。
歩くときは、右足を引きずって歩くしかないが、薬が効いてきたのか、痛みは治まってきた。これなら大丈夫。みなさん、心配しないでください。(誰もしてないって?)
もう一度、コインランドリーのところまで戻り、洗濯物を回収。ちょうどおばさんが来て、この布団洗えますか?と聞くので、これは12kgって書いてあるので、大丈夫でしょうなどと説明したが、もしかしたら、俺を管理人だと思ったのだろうか。
三角港で、国道57号線に。島原湾に面した道を快適に走る。御輿来海岸ちかくに、新しい道の駅。ここで、宇土の轟水源を聞いた。町の中から行ったほうがわかりやすいと教えてくれた。
途中、長浜など、干潟が美しい海岸を通過。夕方はきれいらしい。今は、潮が満ちている。足もなんとか落ち着いてきたようだ。普通にしていては、痛みは感じない。ブレーキをかけるとき、少し痛む程度。
宇土市内から、「轟水源」の看板に導かれてたどり着いた。説明書きの看板によると、「昔から肥後三名泉のひとつとして知られ・・・この水源を導水して総延長5kmにわたる水道が轟泉水道で、現在使われている上水道としては日本最古・・・これは二代宇土藩主細川行孝によって発案、施設されたもので、石管を用いた地下水道です。現在も多くの人たちの飲料水に使用されています」
次々に人がやってきて、ポリタンクに水を入れていく。水源の水は大人気だ。コケの生えた古そうな取水口。まわりは木々に囲まれ、なんだか神秘的な雰囲気を漂わせる。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月7日、木曜日、
昨日、鹿島から嬉野へ向かった話から。
嬉野町は嬉野温泉、茶で有名。嬉野の街中から、南へ3,4km下ったところから、長崎県の川棚に抜ける山道がある。
山に向かって進む谷沿いは、茶畑が多い。最後の集落に、国指定天然記念物である、「嬉野の大茶樹」がある。推定樹齢340年、高さ4m、枝張り8mの巨大な茶の木だ。「さが名木100選」にも選ばれている。
「茶の木」と「棚田」とくれば、雲南省のアイニ(ハニ)族。雲南省南部の西双版納州、アイニ族という少数民族が住んでいる山には、樹齢800年の茶の木があった。ここは日本でも有名なプアル茶を栽培している一地区だ。ここで採れた茶葉がプアルの町まで運ばれ、「プアル茶」として出荷される。
村の宿に泊まっていると、夕方、茶畑から茶の葉を摘んで戻ってきたアイニ族の人たちが、宿の前を通っていった。茶の葉を管理する事務所があり、彼らは葉の重さを量ってもらい、それを現金に換え、商店で生活必需品を買うのだった。
たしか、この中国「茶樹王」の座は、800年のこの木ではなくて、もっと古い木が思茅地区で発見されてから、こちらになったのではなかったかな。(ちょっと、あやふや情報ですが)
峠を越えると、そこは長崎県だ。川棚町の木場棚田へ降りていく。「百選」撮影以来なので、もう6年ぶりだ。ここで、田植作業休憩中のおじさんと話し込む。昔の話をいろいろしてくれた。この棚田も石垣がすばらしい。石は、このあたりから出てきたもの。石垣はほぼ垂直に築かれている。今もコンクリートではなくて、石垣のほうがいいというので、訳を尋ねると、石垣なら上り下りできるし便利だからという。
昔は牛を使っていたというので、このまえ「壬生花田植」で聞いた「牛は水を怖がって田んぼに入らないでしょう?」と聞いたら「そんなことなかったです」という。昔は子牛のときから田んぼで使っていたので、水には慣れていたのでは、という。
農道も広くなって、コンクリートにしたが、昔、葬式のとき、このあたりはまだ土葬だったので、細いあぜ道を棺おけを担いで墓まで運んだ。
「一時期、みかんも作りましたけんね。わたしも和歌山県に研修にいって、みかん栽培を習ってきました。そのあたりの山も、あの山の上にもみかんを作りました」今は、もう、うっそうとした林に返っている。
九州北部には、「浮立(ふりゅう)」という祭りがある。唐津市相知の蕨野では、一昨年、その浮立を見た。ここの浮立は、山を越えた嬉野の村との交流があったので、村人が嬉野で覚えてきたことなのだという。天気が悪い日なんかは、みんなで太鼓や鉦をならして踊りの練習をした。テレビもラジオもなかったので、唯一の楽しみが、浮立の練習だった。この村の浮立は、おじさんが中学生のころから始まったようだ。
おじさんは「写真は大切だ」という。「1年2年ではわからないが、20年30年たつと、こんなことをしていたんだなぁと、いろんなことがわかる」 言われるとおり、写真の「記録性」の価値を評価するのは、現在ではないということ。こういう山村に住んでいるから、とくに、周りの変化に敏感なのかもしれない。
おじさんは言った。「わたしの代で、何もかも大きく変わりましたけんね」 今まで何代にもわたって受け継いできた集落と棚田は、おじさんの代で、がらりと変化してしまった。「自分の代で田んぼを荒らしたくない」と考えている人が農家の中には多いと聞く。だから、もしかしたら後ろめたさのようなものが、おじさんにはあるのかも。だから「写真は大切だ」などという言葉も出たのかなぁ。でも、仕方ないよね。おじさんのせいではない。個人ではどうしようもない時代の変化なのだから。
木場棚田を降りていくと、県道4号線にぶつかり、左折すると、すぐに国道204号線に出る。それをハウステンボス方向へ。ショートカットをして、202号線に出た。「ちゃんぽん」の看板に誘われて、食堂に入る。長崎といえば、ちゃんぽん。それくらいしか思い浮かばない俺は、遠いところから来た人。九州はやっぱり遠い。
国道202号線の西海橋を渡る。景色がいい。2kmくらい行くと、国道202、206号線の交差点があるが、その真ん中、大瀬戸町への山越えの道があったので上っていく。20分ほどで、大瀬戸町に着いた。
ここに来たのは「柳の防風垣」を撮るためだ。ところが「柳」とは、木の名前ではなくて、集落名だとわかった。どうしても「柳を使った防風林」というのがわからなくて、役場(今は市役所の支所)にいって聞いた。
役場から4kmほど北へ行くと、柳集落があった。その上に上ると、みかんとびわの栽培地が広がっている。その木を風から守るために植えられた木が、垣根のようになっている。それが「防風垣」だった。働いていたおじいさんに聞いてわかった。そして、その防風垣で一番美しい(良い)と評価されたのが(何か賞をもらったといっていた)、柳集落のそれだったのだ。
確かに、高い緑の垣根になっているが、丁寧に剪定されていて、美しいといえば美しい。盆栽のpセンスのある人かもしれない。みかんやびわ栽培に素人の俺には「何だろう」という不思議さは感じる。これも、日本の農業景観のひとつだ。
写真を撮ったあと、町に戻り、商店で冷たい飲み物を買って、さらに南下すると、道の駅、夕日がみえる丘そとめ公園があった。夕日がきれいなのだろう。まだ午後4時だったが、今日はここ泊まりにする。今朝も早かったし。食べるところもあるし、売店もある。(温泉が近くになさそう。残念) なんと言っても、雄大な景色が気に入った。
そして今日、6月7日。道の駅、そとめ公園を出る。
国道202号線から一山越えて、大村湾のほうに出た。時津町から海沿いを走る国道207号線に入る。この道は国道だが、リアス式海岸をくねくね走る細い道だ。でも、風景はいい。海までの斜面が段々の石垣になっていて、みかんが栽培されている。
地図で見ると、鹿島という島だろうか、島全部がみかん畑になっているようだ。諫早市を経由して、国道57号線で愛野まで。ここのジャガイモ畑が文化的景観の候補地になっている。昨日の、大瀬戸町の「防風垣」もそうだが、正直、地味な被写体かなと思っていた。
ところが、実際その場所に足を運んでみると、いろんな発見はあるし、こんな光景があるのかぁとびっくりするのだ。やっぱり実際自分の目で確かめないと、わからないことが多い。情報は知ることができても、どんな「感じ」かは、現地でないとわからない。だから旅が面白い、ともいえる。
役場でジャガイモ畑を見渡す場所を聞いたら(こういうのは役場に聞かないとわからない。一般的な観光地ではないから)、教えられたのは、山の中腹に建つペンション「マイティーム」。国道251号線を長崎のほうに走った山側にある。役場から約20分。みかん畑の細い道を登っていくと、しゃれた感じのペンションにたどり着く。そこでジャガイモ畑の写真を撮りに来たことを言うと、オーナーは、快く部屋のベランダに上げてくれた。もちろんお客がいない部屋の、だけど。
それが雄大な風景。畑そのものは収穫が終わってしまい、今は、畑は茶色だが、右手には海、そして雲仙普賢岳の雄大な山をバックに、まるで棚田のようなひな壇に見えるジャガイモ畑も、またいい感じだ。そこを国道が走っているのもよく見える。
ペンションでコーヒーを頼み、少し話をした。このオーナーは福岡出身だが、ペンションを開きたくて土地を探していたところ、ここを見つけた。風景が気に入った。2002年のこと。なんとなく「隠れ家」的な雰囲気のあるペンションで、リピーターの人たちが多いという。(連絡先は、0957-36-3400 ホームページ http://www/mari-time.jp)
ところで、オーナーは、この前、雲仙の噴火によって犠牲になった人たちを慰霊する16回目の慰霊祭の日、雲仙普賢岳の溶岩ドームから妙な雲が上がっているのを見つけた。偶然にしては、不思議な風景だなぁと、普段は写真を撮らないが、このときだけはデジカメで写真に撮った。それを見せてくれた。確かに人工的な雲に見える。不思議な雲だ。慰霊祭ということを知らなければ見過ごしていた雲なのかもしれない。たとえば、慰霊祭について無知な俺が見たとしても、たぶん気がつかなかったのではないか。見えるか見えないか、その人の心と無関係ではないということか。
山を下り、国道251号線を東に走り、愛野に戻り、そこから国道57号線で、千々石へ。ここには棚田百選の岳棚田がある。初めて来たときはなかったが、今は、展望台ができている。展望台は、集落の中へ入る道ではなくて、雲仙温泉へ通じる県道沿いにある。
すごい。下からしか見たことがないから、岳棚田がこういうふうになっていたのかと、初めて知った。
そのまま雲仙温泉街まで上った。硫黄の匂い。湯煙が上がっていた。道を南にとり、北有馬町に出た。そこから国道251号線で、半島の南、口之津まで。ここからフェリーに乗って、天草に渡ろうと思う。着いたのは、午後1時20分。今度の便が出るのが午後2時15分というので、このブログをアップしておく。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月6日、水曜日、
昨日は2ヶ月ぶりの佐賀市。あの「アパレルアワビ」の町。(「アパレルアワビ」については、以前のブログ「佐賀市の不思議」を読んでください)
佐賀市から多久市、唐津市相知を経由して、玄界灘に出た。棚田百選の棚田が3ヶ所ある。佐賀県の浜野浦棚田、大浦棚田、長崎県の土谷棚田。
海に面した棚田は、日本独特といってもいいと思う。韓国にもあったから、日本だけということではないが、島国、しかも、海に面していても急斜面でないと棚田にはならない。たとえば、バリ島では、海岸沿いにも田んぼはあるが、海岸付近の傾斜はゆるくて、棚田になっていない。だから、ここは、日本の地形に合わせて作られた、独特の棚田景観だ。
浜野浦棚田は、苗が育って青々としていた。展望台も立派になっていて、駐車場も2つできた。大浦はあまり変わりない。
長崎県福島の土谷は、駐車場近くに、「夕日の見える棚田カフェ ばぁーばのキッチン」ができた。今年4月にオープンしたばかりだという。塩見さんたち、家族経営の店だ。(↑に掲載の写真)
棚田と玄界灘を見下ろす高台にあって、椅子が大雑把に並べられている。(きちんとしてないところがいい。なんだかとてもアジア的) コーヒーは150円。ソフトドリンクもある。料理としては、お好み焼き、焼きそば、これから暑くなったら冷やしソーメンなども出す予定とのこと。
「石垣だんご」と「よもぎまんじゅう」も売っている。どちらも1個50円。昔から食べられていた地元の食品だ。「石垣だんご」は、紫芋と普通のサツマイモが、サイコロ状になって入っていて、それが棚田の石垣に見えるからこの名前がつけられたらしい。ごつごつした外見で、蒸しパン風の素朴な味だが、棚田を見ながら食べたらgood。
刻々と変化する海の様子を見ながら、コーヒーを飲んで、ゆっくりした時間をすごす。やっとのんびりできた。俺は急ぎすぎているのだろうか。「写真を撮る」ことを優先させると、つい、早め早めに動こうとしてしまう。
日が落ちてから、島の入り口にある国民宿舎で日帰り風呂。2002年ころ、雑誌(棚田特集)の取材で、この国民宿舎に泊まったことがある。今日は風呂だけ。300円。
予定では、このあたりで泊まろうと思っていたのだが、天気予報を聞いたら、明日晴れるらしいので、それなら干潟の写真を、と考えてしまった。今晩中に鹿島までいかなくては。なので、福島から県道を使って暗い山越えをし、コンビニで弁当食べて、伊万里市から国道498号線で武雄市を経由して、有明海まで出た。
国道207号線にぶつかり南下、鹿島市郊外の道の駅鹿島まで。看板が小さくて、いったん見落として行き過ぎてしまった。9時半。疲れた。すぐ寝た。
☆☆☆☆
そして今朝、午前4時に起きた。まだ薄暗い。道の駅の海側は、広大な干潟。だんだん明るくなってく様子は神々しささえ感じる。干潟に日が照ると、いろんな生き物が見えてくる。
有明海は、干満の差が最大6mもあり、潮の引いたあとには、広大な干潟が現れる。もちろん日本最大だ。
泥の中を飛び跳ねているのはムツゴロウだろうか。頭をふりふり歩く姿はコミカルだ。前回佐賀のクリーク取材のとき、居酒屋で食べた貝(名前忘れた)も泥の中を動いていて、その跡が残っている。カニも食べたなぁ。シオマネキの塩辛。わらすぼ、くちぞこなども食べた。干潟は命の宝庫、食材の宝庫。
ビギナーズラックというやつか? ムツゴロウの飛び跳ねた瞬間の写真を簡単に撮ったのだが(掲載の写真)、あとで、もう少し気合を入れて撮ろうと思ったら、ムツゴロウは、なかなか飛ばずに断念。朝だけなのだろうか、活発に飛ぶのは。あとで、道の駅の中にあったパネルの説明書きには、ムツゴロウが飛び跳ねるのは、求愛のダンスで、オスだけらしい。朝は求愛のダンスが多いということか?
鹿島市には、茅葺民家が数軒残っている区域があるので、寄ってみた。伝統的建造物保存地区に指定されたばかりで、これから整備されるらしい。茅葺屋根にシートが掛けられたりしていた。
鹿島市から、嬉野市を目指す。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月5日、火曜日、雨のち曇り
昨日午後、ブログをアップしてから、福岡県添田町から宝珠山村に抜ける県道52号線は、途中すごく狭かった。峠の研石トンネルを抜けると、宝珠山村の竹地区だ。ここに棚田百選の棚田があって、過去2回来ているが、この道を通ってきたのは初めてで、林を抜けたと思ったら、棚田が見えてくるところはなかなか良かった。まだ田植が済んでいないところも少しだけあった。ちょうど田植をしている人もいる。
村の中に車20台ほど停められる駐車場ができていた。展望所も作られていた。だいぶ整備された。
ここはなんといっても、石垣のすごさだ。谷を挟んで反対側から見ると、なおいっそうそのすぐさがわかる。一個一個積み上げていった人たちのことを想像するだけで、鳥肌が立つ。よくもまぁ、これだけの大仕事をやってのけたものだ。
今回は行かなかったが、近くの「岩屋公園」の岩山の頂上から、竹の集落と棚田が見渡せる。
竹の棚田から、県道52号線を下る。国道386号線にぶつかる。それを右折(西へ)。しばらく走ると、道の駅、原鶴がある。ここは原鶴温泉が有名だ。ここの案内所で、筑後川の山田堰の場所を聞いた。車で5分ほどのところにあった。
この堰を管理している土地改良区の事務所があり、少し話を聞くことができた。山田堰は、国内で唯一の石張りの堰。江戸時代初期に作られた当時を忍ばせるような姿を残している。朝倉市内の656haの水田を潤す。
今年はまだ堰の水門を全開にしていないので、水は用水路を少ししか流れていない。6月18日に全開し、通水する。秋の10月20日前後まで水を取り入れる。だから冬から初夏にかけて、この下流に当たる菱野三連水車は回っていない。(解体されていると聞いたので、今日は行かなかった)
この菱野三連水車には、4年ほど前に来たことがあったが、てっきり観光用の水車だとばかり思っていた。でも、話を聞いてみると、まったくそうではなくて、また、だからこそいいのだが、山田堰で取り入れられた用水路の水を、田んぼの面の高さまで上げるための水車だったのだ。(朝倉三連水車は観光客用に毎日モーターで回されている)
あくまでも実際に使っている農業用の水車。全国、水車は多くなったが、観光ではなくて、実際使っている水車は珍しいのではないだろうか。ところで、木製の水車なので、5年に1度作り変えられるという。
山田堰には神社「水神社」があった。昔、水難事故などがたびたびあったので、ここに神社を建てたという。神社の下を用水路が流れている。許可をもらって、階段を下りて、堰の水を間近に見れる場所までいった。水門はほとんど閉まっているので、いったん堰に入った水が、本流の方に戻されている。
4月上旬、雑誌『ひととき』(6月号と言っていたので、もう出てるはず。JR西日本の雑誌です)の取材で、佐賀県のクリークを訪ねたが、そのときも、筑後川の水の有効利用方法、佐賀平野では水に苦労していることなど、いろんな人に聞いた。ほんとに、水がないと、人は生きられない。当たり前の話だが、あらためて水の大切さを思う。特に今日のような暑い日には、水を大量に飲んだし。生命は水で作られる。
撮影後、道の駅原鶴に戻る。今朝は早かったので、早めに寝よう。日が落ちたら、だいぶ涼しくなってきた。
そして今日は、6月5日。雨のち曇り。
うかつだった。蚊に対する準備をすっかり忘れていた。昨日の夜、とうとう蚊にやられた。明け方まで蚊と格闘。10匹はつぶしたが、最後の1匹がつぶせず、結局、喰わせるだけ喰わせれば満足して止めるだろうと思って、探すのをやめた。うとうとできたので、蚊も満腹になったのだろう。それにしても、なんであんなに沢山入っていたのだろうか。寝たのは午前3時ころ。そして目覚めたのは午前8時ころだった。
雨の中、道の駅原鶴を出発。7分ほど西に走ると、三連水車が左手に見える。これが観光客用の朝倉三連水車だ。(掲載の写真) 本物は、木製だが、これはステンレス製。モーターで回し、水は用水に戻している。大きな駐車場と、物産館、レストランなどの施設がある。
佐賀市を目指す。途中、甘木市のドラッグストアで、電池で使う蚊取りを買う。これで大丈夫。国道34号線で、佐賀市へ。北にある石井樋公園にいった。4月上旬も来たところだ。石井樋は、嘉瀬川から多布施川へ水を分ける取水施設。
さが水ものがたり館の館長さんにも再会。今回は別件で、多布施川の写真を撮りに来たのだったが、ついでに、前回取材させてもらった雑誌『ひととき』が編集部から届けられていたので、見せてもらう。
多布施川周辺は公園になっている。適当な場所で写真を撮る。ブログをアップ。
これから、日本海に面している佐賀県の棚田へ向かう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月4日、月曜日、
昨日の続きから。午後、壬生の花田植の祭りは最高潮に。さっき商店街で踊りを披露した小学生の田楽団のあと、本地花笠おどりの一団がやってきた。
「これは何だ?」と思わず目をみはってしまう。花笠とはこれのことか。山形県の「花笠踊り」とは、ぜんぜん違う。こっちのほうが派手だ。大きな傘状の骨に和紙の白い花をつけたもの。すごい。回転して踊る。傘の中で踊っているのは全部男性だそうだ。
次に、田んぼに飾り牛が入って、代掻き作業の真似をする。一列になって田んぼの中を、うねうねと歩く。ちゃんと牛は言うことをきいている。調教のたまもの。会場のアナウンスが、牛について解説してくれる。神社で準備中に聞いた話とだいたい同じ。
今は機械が発達し、牛を使役に使わなくなったので、調教が大変。音楽を聞かせたりして、1年間、世間に慣らす、田んぼに慣らす。牛は「農家の宝」。田んぼの労働で使い、最後は肉になる。
インドネシア・スラウェシ島のトラジャ族でも、水牛は「富」の象徴だった。どれだけ水牛を所用しているかが、その家の裕福度を示している。だから、「トンコナン」と呼ばれる船の形をした民家の軒には、水牛の角がたくさん飾ってある。ここは1週間続く葬式でも有名だが、その儀式で何頭の水牛を犠牲にできるかが、やっぱり裕福度を表わすと聞いた。(トラジャの葬式の写真は、a-Galleryで掲載しているので、そちらでどうぞ)
最後に、壬生田楽団と川東田楽団の入場。早乙女たちは、一列に並んで田植をする。その後ろでは、太鼓を打ちながら踊る男たち。これがメインイベント。彼ら田楽団は、過去、アメリカでも公演したことがあった。そのときは、実際田んぼを作って、1週間にわたって公演したのだという。芸能としてはかなりレベルが高いのは、俺にもわかる。
出店の数もそれほど多くなく、でも、子供たちが焼きそばなんか食べているのを見ると、懐かしい感じがした。素朴なんだけど、派手な祭りに、「いいなぁ」と感動した。
終わってから急いで道の駅に戻り、昨日も入った温泉アザレアへ。今日は無料開放。さっぱりしてから、出発。広島を目指す。そこで国道2号線に出て、西へ向かう。国道だが、バイパスにPがあったので、ここで泊まる。
こちらにも写真があります。
☆☆☆☆
そして今日は、6月4日、月曜日。午前4:45にPを出発。空がだんだん明るくなってきた。宮島が見える。ちょうどそのあたりで、太陽が出そうになったので、車を停め、朝焼けの写真を撮った。
国道2号線で、岩国市、徳山市、防府市、山口市などを経由して下関市まで。この国道2号線は、朝のラッシュに引っかかったせいか、ずいぶん混んでいたので、だいぶ時間がかかった。
下関から九州へ渡る。関門海峡フェリーを使う。本州・九州最短フェリーで、わずか13分。軽自動車550円、普通自動車750円。2隻で運行していたが、1隻エンジントラブルか何かあって、今は残りの1隻で運行。2隻に復活するのは、経営的にも厳しい事情があって、断念したと書いてあった。フェリーとしては最短だが、時間的にはもっと早くて便利な道路を使うのが普通なのだろう。でも、旅人には、のんびりとしたフェリーがお勧めだ。
下関発11:20。10数分で小倉に着いた。小倉の街中では道に迷ってしまい、こういうときカーナビ便利だなとあらためて思う。市街地で迷ってしまうと、なかなか元に戻れない。
なんとか小倉駅前に出て、国道322号線に入ることができた。これをずっと南下すると、香春町に。ここからは県道52号線で南に。ここはどのあたりだろうか。添田町くらいか? 新しそうな道の駅があったので、休憩、そしてブログアップ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月3日、日曜日、曇り時々晴れ
昨日、2日の続きから。井仁の棚田を見たあと、ブログをアップし、国道191号から261号線に入った。峠を越えると千代田町だが、その手前、両側がすごい石垣の棚田が続く。ここが棚田百選に入ってないのが不思議なくらい。立派な石垣と民家。下から見上げると、まるで山城のよう。
停まらないわけにはいかないでしょ。こんな立派な石垣を見ては。車を停めて歩いて棚田の農道を登っていく。ちょうど、おばあさんが歩いてきた。
「立派な石垣ですね。ここはなんというところですか?」「鈴張というところです」 山城のように見えた民家の住人が、おばあさん一家だった。明日の花田植を見に、千代田へ行く途中、すごい石垣を見たもんで、つい停まってしまいました」「そうですかい? 花田植は、この近くでもやりました。5月下旬でした」「ここは有名な棚田なんですか?」「ちょくちょく写真撮る人、参られるなぁ」「そうでしょうね。立派ですからね」「上から見られるといいですよ」 鎌を持ったおばあさんは、足取りも確かに、あぜ道を歩いていった。
おばあさんと分かれて、上に上った。民家ではおじいさんが植木の手入れ。しばらく立ち話をして、さらに上に。高速道路が視界に入ってしまう。だから、ここは下からの方がいいようだ。自動車の音が気になるのは、しかたないか。国道と、高速が通っている。
すごいなぁと思ったのは、民家の後ろまで棚田が迫っていて、屋根と同じ高さに田んぼがある。田んぼの下に民家があるように見えるのだ。(↑に掲載の写真) これも、石垣同様に、なるべく田んぼの面積を増やそうとしてきたことの結果だろう。
村の下から山城の写真を撮っていると、車が通りかかり、50代くらいの奥さんが「いい写真撮れました?」と声をかけた。「はい」といって、またこの石垣の立派なことを褒めると、「ここよりもいい棚田がありますよ。そこは棚田百選ですから」というので、「場所はどこですか?」と聞いたが、度忘れしたようで名前が出てこない。たぶん、井仁棚田のことだろうか。指をさす方向からするとそうだ。「時間があったら案内しますのに」というので「そんな。申し訳ないので、いいです」と断る。
峠を越すと、千代田町だ。道の駅に寄る。明日の祭りの会場、温泉、そしてコインランドリーの情報を聞く。
雲南省でも、祭りを見るためには、少なくとも祭りの前日までに行っておいて、下見をしていた。どこで行われるとか、それこそ、本当に行われるのかどうか、その場に行ってみないとわからないからだ。
それで、その癖が直らず、さっそく行ってみた。花田植の会場は、道の駅から約600m東方向の、壬生というところで、幟が立っていたのですぐわかった。30m四方の田んぼがあった。「貴賓席」というカードも立っている。どのくらい人が集まるのだろうか。
今度は、コインランドリー。交差点にあった。洗濯物がたまっていたので、これで安心。一応、俺も「人並みの下」くらいには清潔だ(と、思う)。
温泉は、運動公園の中にあるアザレアという施設で、道の駅では「すごく清潔ですよ」と教えられたのだが、本当だった。明日の祭りの日は、無料開放されるらしいが、今日は350円。(宿泊もできるようだ) 露天風呂はないが、サウナがある。大きな湯船に俺だけ。贅沢な気分。
スーパーもあったので食料を買い込むことができた。36円の缶コーヒー。安い! 「安いだけあって、これはあまりうまくないよ」と、そこにいた客のおじさんが俺に教えてくれた。「安いのはいいよね」 この町は車中泊の旅人には、いい環境だ。
夜、道の駅でトイレに行ったとき、「コンバンハ」という外国人と会った。インドネシアから鋳物の技術を習いに来ている青年。日本に来て1年たつ。ジャワ島のソロ出身。「2回行ったことあるよ」と言ったらびっくりしていた。
ソロといえば、バティックが有名。ちょうど車のカーテン代わりに使っているのが、ソロで買ったバティックだ。彼は、広島のインドネシアの友人を待っているところ。明日、野球大会があって参加するらしい。立ち話をしていると、そこに通りかかったのは、欧米系の金髪女性。俺たちに「コンバンハ」と挨拶して通り過ぎた。いったいここはどこだっけ?と、一瞬めまいのようなものを感じた。
☆☆☆☆
そして今日は、6月3日、日曜日。
今回が初めての祭りの撮影だ。壬生の花田植祭り。この花田植祭りは、国の重要無形民俗文化財に指定されている。「壬生の花田植保存会」で出しているチラシによると、「・・・これは田の神を祭って稲作の無病息災と、豊穣を願う農耕儀礼であるが、同時に苦しい田植え仕事を楽しくしようとする方法でもあった。・・・」
壬生神社では、飾り牛13頭の飾り付けが行われていた。龍の彫刻をほどこしたものなど、立派な花鞍を胴体に固定する。尻尾は藁と三つ編みのようにする。泥の撥ねを和らげるためらしい。
牛は今現在、農耕では使っていないので、調教しないといけない。それが大変だ。水牛と違って、牛は水が嫌いだという。水に入りたがらない。だから田んぼに入るのも慣れさせないといけないし、少しうるさくても暴れたりしないように、毎日音楽を聞かせ、雑音に慣れさせているのだという。この祭りの飾り牛として、かなり努力している。昔なら、毎日田んぼで農作業していただろうし、その苦労はなかったかもしれない。
同じチラシによると「この地方には古くから囃し田という行事があった。・・・大地主の中には、自家の田植には沢山な人を集めて盛大に囃し田をやるものもいた。これに参加する牛には、豪華な花鞍を更に造花で飾り、早乙女等は今日を晴れ着飾った。その様子が余りにも美しいので花田植と言ったらしい。」
商店街では、小学生の田楽団が踊りを披露した。素朴だが華やかな祭り。
祭りは「ハレ」の日。非日常の時。祭りが終わると、日常生活、「ケ」の日に戻る。
最近は、「ハレ」と「ケ」の区別が付きにくくなっている。祭りも「個人化」が進んでいるのかも。しかも、一年に一度とかいうサイクルでは遅すぎるとばかり、一日の中に、小さな「ハレ」と「ケ」を作っている。たとえば、日中仕事をして、夜は飲んだりカラオケやったり。それが小さな祭り。
道の駅から、祭り会場まで無料の巡回バスが出ていた。まだ花田植まで時間があったので、財布を取りにいったん道の駅に戻る。
こちらにも写真があります。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月2日、土曜日、曇り
昨日の昼ころ、萩市に到着。少し市内散策。萩は、400年前、毛利輝元によって作られた城下町だ。旧市街には、高杉晋作誕生地の家、重要文化財の菊屋家住宅、木戸孝允旧宅などが点在している。とくに、菊屋横丁は、日本の道百選にも選ばれている、白壁(なまこ壁)が続く通りだ。
中学生の集団がいて、「こんにちは」と元気に挨拶された。聞いたら、社会科見学できているらしい。どこから?と聞いたが、埼玉の俺には聞いたことのない地名だった。それにしても、彼らは、みんなに(町で工事している作業員にさえ)きちんと挨拶する。「こんにちは」と挨拶されて作業員も少し照れくさそうに「こんにちは」と挨拶を返す。みんなに挨拶するようにと教えられてきたのだろう。その初々しさは素朴で悪くない。そういえば、俺が中学のとき修学旅行で来た東京で、外国人を見たら「ハロー、ハロー」と挨拶していたなぁ。英語以外の言葉をしゃべる外人がいることなど知らずに。
高杉晋作誕生地の家は、平日は公開していないようだ。門は閉まっていた。写真を撮っていると、宅配のおじさんがやってきて「ここが高杉晋作さんの家だよな」といって荷物をポストに入れていった。まだ生きているような言い方に、内心笑った。ハンコ、いらんの?
通りで人だかりができていた店。覗いたら、萩名物のお菓子を売っていた。俺もつられて、つぶあん入りの最中を買って食べた。程よい甘さ。
萩市から、秋吉台に向かう。車で40分くらいだ。ちょっと聞くことがあったので、美東町の役場に寄った。ドリーネ畑の場所をしりたかった聞いた。でも、観光課は、秋吉台エコミュージアムの中にあるという。そこまでは役場から車で20分くらい。
エコミュージアムの職員が地図を示して丁寧に教えてくれた。ドリーネ畑が耕作されているのは、長者ヶ森駐車場の手前、斜面の下の方にあった。カルスト地形の秋吉台にはところどころ窪地があり、そこを畑として使っている。栽培している作物は、ゴボウやキャベツなどだという。
ちょうど行った時、農家の人が作業していた。緑の草原の中に直径30mほどの円形の畑。独特の景観だ。ミステリーサークルのようにも見える。
さて、帰ろうかな(どこへ?)と思ってエンジンをかけたとき、駐車場にいた外国人に声をかけられた。「トコロザワから? これで旅しているの?」「所沢って知ってるの?」
彼はバイダル・アティッラさんといって、移動販売の車でアイスクリームを販売しているトルコ人だった。だから、アイスは、もちろんトルコ風の、粘りのあるアイスだ。(ドンドルマだっけ?) いつもこの駐車場で商売している。カップで300円、コーンは350円。いくつかの雑誌でも彼の店が紹介されている。それを見せてくれた。
あとで、日本人の奥さんと、愛犬「マロン」もやってきた。バイダルさんは、10数年日本に住んでいて、日本語はぺらぺら。かなりの日本通だ。埼玉にも住んでいたことがあるので、「所沢」の漢字も読めた。今は美東町に住んでいる。
彼らの話は面白くて、1時間くらいしゃべっていた。俺も20年前(ずいぶん昔だ)、トルコにいっているし、山形県寒河江は、さくらんぼ繋がりで、トルコのどこかの町と姉妹都市だったのではないだろうか。(不確か情報) 寒河江の道の駅には、トルコ館という建物、そしてトルコ人が、ドネルケバブのサンドイッチを売っていたことがある。そんなことがあり、トルコに関しては親近感がある。
ブログに載せていいというので、彼の写真を撮る。彼らは日の落ちる7時ころまでいるというので、俺は、萩市に戻ることにした。泊まりは、萩市にある道の駅。
☆☆☆☆
今日は、6月2日。萩市を出て東へ向かう。江津市までは来た道を逆戻りだ。
どうしてかというと、明日3日(日)、広島県千代田町で、田植え祭りがあるからだ。実は、今回、この祭りの日に合わせようとしていたので、速くなったり、遅くなったりして時間調節していた。
でも、実際、天気やトラブルでどうなるかわからなかったので、明日の祭りに行くかどうか、今日まで決めずにいたが、なんとか、行けそうなので、道を戻ることにした。写真を優先させると、そういう旅になってしまう。当日にならないと、どこへ行くかわからないという・・・。
益田市のマックで朝食兼原稿書き。今日は曇りらしい。涼しくていい。
江津市へ行くつもりだったが、益田市で、道を間違え、国道9号線ではなく、191号線を走ってしまった。気がついたのは、だいぶたってから山道が多くなり、どうして海が見えないのかと思っていたら、違う道だとわかった。でも、このまま進めば、戸河内の棚田があるので、たぶん、この棚田に呼ばれたんだろうと解釈して、そのまま進んだ。目的地までは、少し遠回りにはなるが。今日は移動だけなので、時間があるので大丈夫。
戸河内インターの交差点から、186号線を600mくらい進んだところの狭い道を左折。道は忘れていたが、今は、「井仁棚田」と立派な標識が立っていたので迷うことはなかった。
「トンネルを抜けると棚田だった」と本や雑誌に書いたのは、ここ井仁棚田に初めてやってきた7年前のこと。戸河内からやってくると、この狭くて暗いトンネルをくぐることになる。車は中ですれ違えない、と思う。それくらい狭い。ただ、まっすぐなので、向こう側に車が近づけばわかるので、譲り合って通るのに問題はない。
そして抜けたとたん、棚田が広がる広々とした谷に出る。この自然の演出が効いている棚田だ。棚田の数は、324枚。昔、ここは筒賀村といったが、今は、安芸太田町になっている。展望所に立つと気持ちがいい。緑色の若々しい苗がそよ風に吹かれて揺れている。水の音、鳥の声。ゆったりした気分に浸る。
毎週日曜日、8:30~13:00、「棚田青空市」が開かれるようだ。今日は土曜日。明日が市の日? ただ明日は特別な日でもあるようだ。たまたまだが、明日、6月3日は「第9回井仁棚田体験会」が開かれる。10:00から。明日はにぎやかだろう。
そのまま道は山を下り、田之尻のほうに下り、国道191号線にふたたびぶつかる。これを広島方面へ。太田川沿いの道。雄大な風景が続く。
ここはなんというところなのか、エレベーターまでついているショッピングセンター(でも古い建物)があったので、食事。兼、このブログのアップ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
6月1日、金曜日、晴れのち曇り小雨
昨日は、石見銀山の龍源寺間歩を見たあと、昼過ぎて、観光客の数も増えていた大森の町に戻り、国道9号線を目指す。
次の町、温泉津が古い町並み保存をやろうとしていることを、おじいさんから聞いたので、街中に入り、ちょっと車で見物してから、江津市に。
街郊外の島の星山(高角山)に上った。狭い道だが頂上の展望台近くまで車でいけた。駐車スペースに車を停めて、歩いて頂上の展望台に。そこから、江の川の河口と、角の浦と日本海が見渡せた。雄大な景色。少し雨がぱらついた。
江の川は全長194kmで、中国地方最大の川。昔は船運が盛んだったという。
山を降りて、町を通過し、国道9号線で西へ向かう。途中のスーパーで食料と飲み物を買う。市内から数km、石見海浜公園、大崎鼻辛の崎に灯台がある。ここから見る白砂青松の砂丘海岸、角の浦、江津の町、室神山(浅利富士)、日本海のパノラマはすごい。
浜田市の道の駅、ゆうひパーク浜田は、バイパスの9号線沿いにあった。今晩はここに泊まる。
駐車すると、隣の車におじさん。車内がちらりと見えた。生活感がありありだ。車中泊の旅人だと、最近は勘でわかるようになってきた。
「どこからですか?」と聞いたら「湘南から」という。「湘南は、東京の南の・・・」と、おじさんはいうので、「わかりますよ。俺は埼玉ですから」「へー、そうかい。埼玉だってよ」と、後ろで横になっていた奥さんに声をかける。
彼らは、これから北海道を目指す。俺は九州。もっと話をしたかったが、夕日がきれいになってきたので、俺は海の見える場所に移った。そこで暗くなるまで写真を撮る。
それにしても、「車中泊の旅人」というのは、かなりいるなぁ。7年前、棚田百選を回っていたころ、そんなに車中泊の旅人には出会わなかったような気がするが。
日本人の「旅行」に対する考え方の変化を感じる。今までだったら、年配の夫婦で旅行といえば、温泉旅行のような、いい宿に泊まって、おいしいもの食べてというもの。ところが、豪華な宿や食事にではなくて、むしろ、いろんなところを、あまりお金をかけずに見てまわりたいという価値観を持った旅人が増えてきた、ということなのだろうか。
お金さえ出せば、何でも買える今の日本で、よほど高価な宿や食事なら、それこそ俺にとっては「非日常」であることは間違いないが、それでもそこに大きな価値は見出せない。もちろん、人それぞれなので、どういった旅の仕方でもいいわけだが。
「旅」の原点は、「非日常」を感じること。そして、いろんなところを見たい、知りたいということだろう。
これはバックパッカーの価値観と言えるかもしれない。日本人の、全年代にわたって、旅人のバックパッカー化が進んでいるとしたら、俺としては、仲間が増えるということで、うれしく思う。
雨がぱらついて、カメラと三脚を持って、道の駅の建物に雨宿り。レストランの従業員が通りかかり、「雨ですね」と声をかけた。「この前、ここで、すごく大きな虹をみました。あれは誰か写真に撮っていたんでしょうか」と彼女は言った。そんな虹を俺も見てみたい。
雨が降ったり止んだりする中、島の後ろの海に落ちる幾筋もの光線を撮る。なんだか、この前の砺波平野の散居村のときと似てるなぁと思った。
この道の駅には、レストラン、食堂、モスバーガーが営業している。しかも夜10時ころまでやっていて、ドライバーには便利な道の駅だ。俺も食堂でカレー。周辺情報もたくさんある。日帰り温泉リストはためになる。大きな休憩室にはテレビもあるし、テーブルで原稿書きができる。
☆☆☆☆
そして今日、6月1日。とうとう6月。今朝6時に道の駅を出発。益田市で9号線と別れ、国道191号線に入る。市内から約7kmのところから、山側に入っていくと(かなり道を間違えてうろうろしたが)、戸田柿本神社というのがある。この近くに柿本人麻呂の遺髪を祀った墓もあった。ほんとうは、神社や墓ではなくて、この周辺の田園風景がいいと聞いてやってきたのだったが。
せっかくなので、墓の写真を撮っていると、声をかけられた。柿本神社の49代宮司の綾部さんだった。「どこからですか?」と訊かれたので「埼玉です」すると、川越市に、綾部家の末裔の家が20戸ほどあるという。12代前、ここから川越に移っていったらしい。氷川神社にも人麻呂像が祀ってあるそうだ。氷川神社といえば、骨董市が開かれる神社ではなかったか。初詣もいったことがある。そんな関係があるとは、まったく知らなかった。4月18日にはお祭りがあるので、綾部さんは呼ばれて、川越にいったことがあるという。
ところで、ここ戸田村には、村人の氏神を祀った小野神社というのがあった。(今は、石と石垣が田んぼに少し残っているだけ) 柿本神社は、だから村の神社ではなくて、綾部家個人の神社だった。代々綾部家が神社を守ってきたが、先代までは、女系で継がれてきたらしい。昭和38年ころまでは、神社境内から日本海も見えて展望が良かったそうだが、今は、林に覆われて神社も隠れてしまっている。
偶然にも、すごい人物にめぐり合えて、おもわずタイムスリップしたような気がした。
ところで、ここからひとつ山を越したところが、中垣内という集落。棚田百選に選ばれている棚田がある村だ。ということは、俺は、数年前、山の反対側から、ここに近いところまで来ていたのだ。そのときは、もちろん棚田しか興味はなかったので、この神社や墓のことも知らなかったが。
山を越えていってみた。どんなところかほとんど覚えていない。あのときは、大雨が降っていた中、撮影していたし。
このへんだったろうかというところの民家の前に、髭が立派なおじいさんがいたので、棚田のことを尋ねてみた。するとこの先400mくらいから見えますよと教えてくれた。いってみたら、きれいに見えた。でも、以前は、谷の向こう側から撮影したことがわかった。この角度で棚田を見るのは、だから初めて。
写真を撮り始めたら、1台の軽トラック。なんと、さっきのおじいさん。何事かなと思ったら、「石垣を見るなら、もっと先まで行ったほうがいいよ」と、わざわざ教えに来てくれたのだった。
そして、俺が埼玉から来ていると知って、とても驚いていた。「せっかく来たんだから、回り舞台も見てってな」と言って去っていった。棚田撮影後、その回り舞台にいってみたら、地元の奥さんたちが、境内の草取りをしていた。回り舞台の、下の戸を開けて見ていいよといわれて覗いてみた。これは4人の男が人力で回すのだという。実際芝居をやっているところをいつか見てみたいと思う。
国道191号線に戻り、山口県萩市を目指す。途中、阿武町の道の駅で休憩。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
最近のコメント