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2007/06/10

2007初夏、車中泊の撮影旅(22) 宮崎県日之影、大分県蒲江、鶴見

070610
6月10日、日曜日、

昨日は、熊本県矢部町(今は、町名が変わっているかも)の通潤橋から、国道218号線を東へ向かう。この九州を横断する国道は、何度も通った。観光客には勝手のいい道だ。山道なのだが、谷は大きな橋で結ばれているので、比較的アップダウンが少なく、道幅も広く、走りやすい。昨日一日で、島原湾から日向灘に抜けた。

高千穂町を通過し、日之影町に。ここに、石垣の村、戸川がある。この棚田は「棚田百選」に選ばれているので、2000年の春に来たことがあった。国道から、日之影川に沿って進んでいくのだが、この深い渓谷が「どこへ行くんだろう」という、不安あり期待ありの不思議な感じを持たせるのだった。2度目なので、不安はなかったが。

集落の手前、400mくらいのところで、石垣の村が見えてくる。ここでまず写真。集落は戸数7戸。入っていくと、駐車場のある食堂兼宿がある。今日は、俺の他、観光客の車はなかった。

歩いて棚田の上のほうから写真を撮りにいったが、暑くてダウンしそう。食堂で、アイスと地元で採れたゆずジュースを飲んで、ようやく汗も引いた。

働いてる女性の話では、ここが棚田百選に選ばれてから、訪ねてくる人が増えたという。宿泊客も多い。季節によって、春には山桜、秋には紅葉と、美しい自然を楽しむことができる。釣り客も来るという。

棚田百選が選ばれたときは、まだわからなかったが、ここに、11mの石垣があることが、その後「発見」された。それで、「日本一の石垣」となったわけだが、ちょっと微妙な問題がある。

それまでは、佐賀県唐津市相知の蕨野棚田の8.5mが一番高いといわれてきた。ただ、戸川の石垣のある棚田は、今、耕作されていない。だから、現在も使われている棚田としての日本一は、やっぱり蕨野になるだろう。ただし、ここもまた作り始めたら? どうなるか。まぁ、一位でも二位でも、高いことに変わらない。

石垣の脇に農道があるので上っていって、縁に立ち、下を覗いてみた。高所恐怖症ではない俺でさえ、足がすくむ。下の段は、畑として使われている。

それにしても、この石垣を積んだ人たちは、日本一を目指そうなどと考えたわけではなくて、ただ、なるべく耕作地を増やしたいと思って造っただけだろう。もし今生きていたら、「これが日本一ですよ」といわれて、びっくりするのではないだろうか。

村を出て、日之影町の中心地へいった。ここの高千穂鉄道の日之影温泉駅は、駅舎の2階がほんとに温泉になっているのだ。2000年戸川に来たときも、偶然ここに入って、面白い温泉だなぁと思ったのだった。露天風呂からは、プラットホームと線路が見えた。縦に3つ電気が付いている鉄道の信号があるが、それが休憩室に架かっていて、電車の時間、「5分前」「15分前」などを、明かりが点いて教えてくれる。

ところが。今回、露天風呂から身を乗り出して下を覗くと、線路が外されている。電車は来ない。あとで従業員のおばさんに聞いたら、一昨年の秋の台風で、橋はふたつ流されてしまい、今、復活するか、廃線にするか、検討中とのことだった。そういえば、一昨年の台風のニュースは覚えている。ただ、この路線のことはまったく知らなかった。

おばさんは、廃線になると寂しいね、といった。その通りだと思う。でも、車社会になってしまい、赤字路線だから、復活は難しいのかもしれない。そういう事情を聞いた後で、今でも、時刻表どおりに、来るはずのない電車の到着を「5分前」などと、信号が予告しているのが、妙にせつなく感じてしまった。とりあえず、温泉だけはちゃんと続けていけるそうだ。

日之影温泉駅から国道218号線に戻り、東へ。約1時間で、延岡市に着いた。国道10号線を左折。北へ向かう。7kmほど先の、道の駅、北川はゆまに泊まる。

☆☆☆☆

そして、今日、10日。

今朝は、けっこう冷えた。半袖では肌寒いくらい。6時半に出発。国道10号線を北へ行き、10kmほどのところから、蒲江方面の県道43号線に入る。山に靄がかかる。それほどアップダウンはない。

三河内から国道388号線になる。でも、これはかなり狭い個所もあって、ほんとに国道?と思うくらい。山間に光が当たって、美しい風景が続く。田んぼの水に映る白い民家。タバコ畑が多い。木造の小屋。それがまた朝日に輝いている。まるでヨーロッパのよう。

写真を撮ったあと、国道を進んでいくと、バリケードがあり、「全面通行止め」の看板。近くで、農家の人がタバコ畑で作業していたので聞いたら、看板を見落としてしまったようで、蒲江には、広域農道でいかなければならないと教えられた。

1kmほど戻ると、たしかに分岐点と、標識がある。

山道を降りると、海に出た。その直前、野生のシカ。そして、シカの交通事故の死体。こんなに人家に近いところで、野生のシカが活動しているのか。

海沿いの道を、途中休憩しながら、蒲江まで。ここに来たのは、「シシ垣」を見たいからだ。イノシシ除けの石垣だ。さっきシカを見たが、イノシシもシカも農家の人にとっては害獣になる。シシ垣が多いということは、昔から、害獣には悩まされてきたということなのだろう。

誰かに場所を聞かなければ。道の駅があった。でも、まだ7時半なので、営業していない。町に入ってみた。

タクシー会社があった。何人かドライバーがいたが、今は使ってないし、探さないとわからないだろうという。場所は知らなかった。

あまり若い人に聞いてもだめだろうと思っていたら、おじいさんが海の椅子に腰掛けていたので、聞いてみた。すると、言葉がよくわからない。しかも、細かい地名を言うのだが、「埼玉から来たので、このあたりわかりません」と何度言っても、それを繰り返してしまう。それでも、彼が言った言葉のなかから、「トンネルふたつ抜けたところ」と「今は木に隠れてしまっているので、案内人がいないと難しいだろう」ということがわかった。

それで今日は日曜なので、いるかどうかわからなかったが、役場を訪ねた。すると、当直の人が、たまたまシシ垣について知っている人で、詳しい地図を描いてくれた。ただ、最近は行ってないので、崩れてしまっているかもという。

ところで、このシシ垣は、江戸末期に造られたようだが、最初に造ったのが、「わきち爺」という人物だったらしい。海岸から石を一個一個運んできては、村の周囲に積み上げた。それを、あとで知った村人も協力し、みんなで石を築いた。そんな伝説があるという。なので、村の集会などで、率先して準備をする人に対して、「おまえは、わきち爺だなぁ」といったそうな。

わきち爺は、最初の石に印を付けたらしい。それで、昔、当直の人も探しにいったことがあるそうだ。

役場から東方向の山にあった。教えられたとおり行ってみたが、シシ垣は、林の中にあった。枝をかき分け、クモの巣と格闘しながら、中へ入っていくと、数十mくらい崩れていないところがあった。イノシシが飛び越えられないように、「武者返し」のように、先端が反り返っている。

「発見」したような気分。「探す」ことの面白さは、以前、このブログでも書いているが、こういうものを探しながら歩くのが好きなんだろうなと自分でも思う。最初から、「ある」ことがはっきりしているより、今日のシシ垣くらいが一番いい。「ないかもしれない、でも、あった」

長い年月が経ったことがわかるのは、石垣の間から木が生えているからだ。まるで、アンコール遺跡群のタプロームのよう。ガジュマルの木が、遺跡の石と一体になっているが、規模は小さいが、そんな感じ。(ここは地雷が埋まってないのでいいが) それにしても、よくまぁ、こんなすごいことを昔の人はやったなぁと感心する。これは立派な農業遺産だな。

役場に戻り、当直の人に、デジカメの画像を見てもらい、確かめた。ここまで来て、違うものを撮っていたら、笑うに笑えない。当直の人は、「そう、これです。まだ残ってましたか」といった。

今度は、鶴見を目指す。ここにもシシ垣があると聞いている。蒲江から国道388号線を行く。海沿いの道を行くのは、気持ちがいい。6月だが、「五月晴れ」。

途中、国道から、鶴見方面への道に入る。トンネルを抜けると、鶴見町の真ん中。役場があったので、シシ垣を聞いた。すると、こちらは、シシ垣は有名らしく、ちゃんと駐車場や看板も立っているという。ただ教えられていってみたが、林道を、半島の突端、鶴御崎方向へ、延々と進まなくてはならなかった。しかも「時々崖崩れがありますから、注意して」といわれたとおり、3ヶ所くらい崩れたところがあった。

看板も立っていたし、遊歩道のようなものも作られていて、蒲江よりも整備が進んでいる。とは言え、あまり見に来る人が多そうにも思えないし、草が生えて歩きにくいのはしかたないだろう。こちらは2mほどの高さのところもあった。シシ垣は、村を囲むように造られていた。看板の地図を見て知った。鶴見のシシ垣は、総延長十数kmもあるらしい。

シシ垣のある山から、下へ降り、海沿いを町に戻る。そこからまた国道388号線に出て、佐伯市から国道10号線を西へ。

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