『何でも見てやろう』の小田実さんが死去
(写真はエジプト・アスワン。夕方のナイル川)
小田実さんが30日未明、胃ガンのため亡くなりました。
75歳でした。
俺が初めて外国へ行こうと決心して、焼肉屋でのアルバイトに励んでいたとき、何冊かの旅行記を読みました。
その中の一冊に、小田さんの『何でも見てやろう』がありました。
1961年に発表された、ヨーロッパやアジアなどをめぐった旅行記で、当時ベストセラーになったそうです。
俺が読んだのは、1979年だと思うので、発表されてからずいぶん時間がたっていましたが、まだ、外国を自由に旅行した本はあまり多くはなかったので、この本を、むさぼるように読んだ記憶があります。
内容はほとんど覚えていませんが、この『何でも見てやろう』というタイトルだけは忘れませんでした。忘れるどころか、今までずっと頭の中にあった気がします。旅するときは、なんでも見て、聞いて、食べて、経験して・・・、がむしゃらに行動する青年旅行者、タイトルにはそんなイメージがありました。
1950年代は、まだ外国へ旅する日本人も少なかったろうし(小田さんはフルブライト奨学制度を利用して出ています)、俺が出た1979年でさえ、今と比べればまだそれほど多くはなかったでしょう。海外の情報に飢えていた若者たちの心の叫びだったかもしれません。若者ばかりではありません。日本人の海外旅行の仕方そのものが、まだ成熟していない、青臭さを持った「青年期」だったのです。そんな時代を象徴するようなタイトルでした。
その後、海外旅行は一般的なものになり、「何でも見てやろう」というよりは「ここだけ見てやろう」という旅行が多くなってきたようです。それだけ、日本人の外国に対する知識量は増え、嗜好、趣味が多様化してきたということでしょうか。
今は、テレビ、雑誌、インターネットで、外国の情報にあふれています(ほんとうはそうでもないんですが)。行かなくても、行ったつもりになれます。下手したら、実際行った人よりも、情報をよく知っている人がいるくらいです。
ただ、行かないとわからないことがあります。わからないことは、実際に現地に行って、初めてわかります。あたりまえですが。
それは情報ではありません。自分の体で感じるものです。他人とは共有できない、自分だけの感覚です。「見る」というと視覚的なことばかりを想像してしまいますが、小田さんが書いていたことも、「情報」ではなくて、日本人が外国へ行ったときの「感覚」だったのではないかなと、今思います。
いつまでも「何でも見てやろう」という気持ちで、旅ができたらいいなぁと思っています。
ご冥福をお祈りいたします。
小田実さん死去 作家 市民平和運動に尽力
(東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007073002037096.html 参照)
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