« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007/08/30

モンゴル国に行ってきました (5) こんな天気、見たことない

070830
ツェンケル温泉に滞在中、夕方、近くの牧畜民のゲルを訪ねることになったとき、雷鳴がひっきりなしに響き、それはまるでボーリング場にいるように鳴り続けたのですが、まだ雨が降り出す様子はありませんでした。

ところがゲルに着いて、中に入れてもらったとたん、ゲルのフェルト製の屋根がボツンと鈍い音をたてました。外を見ると直径2cmほどの白い玉が地面を転がっています。あっちにも、こっちにも。雹(ひょう)でした。巨大な雹。

すぐに、すさまじい勢いで雹が降り始めたのでした。さっきの雷鳴が普通ではなかったことに、ようやく「なるほどな」と納得できたのです。雹は数分間以上降り続き、草原は雪が降っているように白くなりました。まるで地球最後の日を迎えたような、非現実的な光景に、俺は、ゲルの中で食品の写真を撮るという仕事をそっちのけで、しばし呆然と草原を眺めていたのです。

なんて表現したらいいのでしょうか。わくわくします。人間の存在を越えた圧倒的な自然の威力を感じます。一種の感動。あるいは、畏れ。

東の空を覗いたら、虹が出ていました。あわててウインドブレーカーを頭からスッポリ被って表に飛び出ました。雹が当たるとさすがに痛い。ウインドブレーカーの隙間からカメラを出して写真を撮りました。雹が降っている中で虹が出るという天気に遭遇したのも初めて。

表につながれていた馬は、雹に打たれながらじっと絶えています。(↑の写真) このときばかりは、馬に生まれなくて本当に良かったと思いました。

こんなすごい天気に遭遇したのは久しぶりです。そういえば、中国雲南省のドアン族の家に泊めてもらったときも、すごい雹が降りました。お父さんも、お母さんも、子どもたちも、みんな雹を拾っては食べ、拾っては食べていました。翌朝、村を散歩していたら、女の子が竹筒を持って、中に手を突っ込んでは何かを口に入れていました。「何を食べているの?」と聞きながら竹筒を覗くと、昨夜降った雹だったのです。よほど珍しかったのでしょうね。

モンゴルの、この牧畜民の子どもたちも、地面を転がってくる雹を、おもしろがって手には取りましたが、食べることはしませんでした。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (6) 朝青龍、ドリームランドに滞在か?」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (4) 「スモウ」のキャラクターのモデルは朝青龍か?」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/29

モンゴル国に行ってきました (4) 「スモウ」のキャラクターのモデルは朝青龍か?

070829
とうとう朝青龍が、今日昼の便でモンゴルに帰りました。モンゴル到着後、朝青龍の関連会社が経営する温泉宿泊施設「ドリームランド」のあるハラホリン(カラコルム)へ向かうとも言われています。

にわかに注目を浴びたハラホリンという町は、かつてモンゴル帝国の首都だったところで、カラコルムと呼ばれていました。今は小さな田舎町です。

この町には、2005年に登録された「オルホン渓谷の文化的景観」に含まれる「エルデニ・ゾー」という仏教寺院群があります。なので、外国人観光客は多いところです。だから朝青龍のドリームランドもここに作られた理由はわかります。

町には市場もあります。入り口には、ミルク缶を並べて馬乳酒を売っている人たちがいました。甘酸っぱい味で、飲みやすい。

建物の中では、肉、衣料品、野菜などが売られていました。ただ、野菜はお世辞にも新鮮とはいえないものばかりでした。中国から輸入される野菜が多いようです。

商店の食料品売り場で、「スモウ」を見つけました。(↑の写真) モンゴルのスナック菓子です。見た目、塩味を期待させるものなのに、口に入れると甘い。ちょっとした「裏切り」を感じます。2種類ありますが、ひとつはカカオ味、もうひとつはミルク味です。味自体は悪くありません。

このキャラクターがかわいくて、お土産として買ってきました。このモデルは、やっぱり朝青龍でしょうか。朝青龍にも「裏切り」を感じているファンは多いのではないでしょうか。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (5) こんな天気、見たことない」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (3) 朝青龍の母国」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/28

モンゴル国に行ってきました (3) 朝青龍の母国

070828
とうとう朝青龍はモンゴルに帰ってしまうのですね。明日の便ですか。(今度こそ、本当の病気ならしかたありません。)

でも、もう日本に帰ってこないのかなぁ。昨日のニュースでは、副業で得た収入を適正に申告していなかったということも明らかにされました。

しかし、なんですねぇ。次から次へと問題が出てくると、なんとか早く幕引きしたいと思っている関係者もいるでしょう。そもそもの発端となった、夏の巡業を休んだ病気が、本当だったのか、仮病だったのかさえ、わからずじまい。

運よく、朝青龍は外国人力士なので、母国に帰して厄介払いできると、ほくそ笑んでいる関係者もいたりして・・・。日本人力士だったら、こうはいかないでしょ。

首都ウランバートルの西、車で6時間のところ、ハラホリン(カラコルム)という古都に、朝青龍の関連会社が経営する「ドリームランド」という温泉施設があります。看板が立っていました。(↑の写真)

俺たちは今回、このドリームランドの隣のゲルキャンプ(ゲルを宿泊施設にしたゲストハウス)に泊まりました。だから実際ドリームランドの中は見ていませんが、カラコルム郊外の見晴らしの良い草原の中にあり、たぶん療養するにはとてもいい環境ではないでしょうか。テレビ報道によると、朝青龍は、ここに滞在するのでは?と言われています。従業員からも「近々、朝青龍がここに来ると聞いている」という証言を得ているそうです。

ところで、今回、モンゴルの何ヶ所かで、手形とサインの入った朝青龍の色紙を見つけました。有名人なので、いろんなところで色紙をお願いされているようです。レストランの従業員によると、朝青龍は、偉ぶったところもなく、普通のモンゴル人でとても好印象を持ったといいます。モンゴル人には、すこぶる評判が良いようです。

日本は朝青龍に対して厳しすぎるというのが、一般的モンゴル人の思いらしい。そういえばこの件について、ガイドさんに話を聞くのを忘れたなぁ。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (4) 「スモウ」のキャラクターのモデルは朝青龍か?」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (2) 草原、草原、また草原の道」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/27

モンゴル国に行ってきました (2) 草原、草原、また草原の道

070827
草原の国モンゴル。

ほんとに草原だらけなんですね。そして「道」の概念が変わりました。

車のドライバーの運転を見ていると、まるで馬を操っているようです。ハンドルを回しているところは、馬の首をなでているように見えました。これは俺が「モンゴル人は騎馬民族」というイメージを持っているので、とくにそう見えてしまうということはあるのかもしれません。

ただ、同行の作家Sさんと話をしていたら、Sさんも全く同じように感じていたらしいので、俺だけの思い込みでもなさそうです。

車は草原のどこを走ってもいいそうです。ドライバーは、日によって、天気によって、走る轍を変えています。だから、進んでいた轍が、大きな石が転がっていたり、溝ができていたりして、突然行き止まりになり、バックで戻るということも何度かありました。

ドライバーに聞いてみました。どうやって道を覚えているんですか?と。彼は、地形を覚えているそうです。たぶん、「道」を覚えるというのは、「車の轍」を覚えることではなくて、彼が言うとおり、地形を覚えることで、方向は決めるけど、通る轍は毎回変わっているのでしょう。つまりそれは、馬を走らせるのと、同じことなんですね。

ただ、地面の状態で、走りやすい轍というのができます。だから、走りやすいところは、多くの車が通るので、ますます轍の跡がはっきりしてくる、ということがあります。そうなったところが、俺たちが「道」と呼んでいるもの、と言っていいのではないでしょうか。

草原の「道」って、とてもおもしろい。日本じゃ考えられない。実際に行ってみないとわからないことってありますね。それが旅の一番の楽しみでもあります。

ところで、「○○町まで、ウランバートルから@km」と表記されるんですが、もちろん、直線距離ではないそうです。でも、どの轍を通った距離を計っているんだろう?と、不思議に思ったのでした。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (3) 朝青龍の母国」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (1) ウランバートル」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/08/26

モンゴル国に行ってきました (1) ウランバートル

070826
モンゴル国から帰りました。

10日間ほど休みましたが、今日からブログを再開します。

モンゴル取材内容についての詳しい話はできませんが(雑誌が出るとき、あらためてお知らせします)、モンゴルの印象を何回かに渡って書いていきます。

まず、首都ウランバートルの第一印象から。

空港から市内までは、車で約25分ですが、空港を出るとすぐ草原になります。「モンゴルは草原の国」というイメージを裏切らない風景が続くので、かえって驚くくらいです。

市内が近づいて一番初めに目に飛び込んできたのが、大きな煙突でした。石炭を使った火力発電所の煙突。こんな首都の近くに発電所があるのに驚きます。(しかも、あとでわかったのですが、3ヶ所くらいありました)

市内に入ると、ロシア風のビル。どことなく社会主義の匂いが残っています。(1992年、モンゴル人民共和国からモンゴル国へと国名を変え、社会主義を放棄しました) 看板に書いてあるモンゴル語はキリル文字なので、なおさらロシアのようです。そしてあちこちで、新しいビルが建設中でした。

ウランバートルは、メインストリートに、しゃれたレストランや店も並んでいるし、旧国営百貨店の「ノミンデパート」も店内は明るい雰囲気で、輸入電化製品、化粧品、食料品などが並び、予想以上に都会的でした。

でも、ビルとビルの間にゲル(天幕住居)が建っていたり、郊外の住宅地にもゲル街があって、そこだけは「さすがモンゴル」。(市内のゲルは、馬乳酒を飲ます飲み屋らしい。時間がなくて入れませんでしたが)

でも、街並みや匂いは違っているけれど、世界中、都会はやっぱりどこも同じような方向に変化していくんだぁと思いました。

↑に掲載の写真は、「ボルド(BOLD)」という男性歌手の看板。モンゴルの伝統的な音楽ではなくて、ポップスです。今週のCD売り上げベストテンに入るくらいの人気歌手らしい。その音楽をちょっとだけ耳にしたのですが、てっきり女性歌手だと思ったら、違いました。その歌声は女性のようで、やさしく、耳ざわりのいいものでした。なかなかいい曲なんです。もともと4人のグループを抜けて(解散して?)、ソロになったら売れ出したとのこと。

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (2) 草原、草原、また草原の道」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/14

今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』

070814
明日からブログは10日間ほど休みます。もし、現地からブログを更新する時間があれば、してみますが。

なお、いただいたコメントとトラックバックは、帰国後の公開になります。

            ●●●

この前、中国内蒙古自治区ハイラル郊外のハムスロンさんといっしょに草原に遊びにいったことを書きましたが、村を出たところで、ある出会いがありました。

バスに乗るために自動車道路まで出ると、1台のトラックが止まっていました。ハムスロンさんは、「あの車に乗せてもらおう」と、ふたりで近づいてみると、トラックはロシア人たちの車で、レストランとは反対方向へ行くことがわかりました。しかも車は故障中。

彼らロシア人たちは、チタからきて、中国の農場で働いて2年経つといいました。農業の合弁事業らしい。リーダー格の男が、住所と名前を書いた紙をくれましたが、さっぱり読めません。ロシア語でした。かろうじて、名前は、ガルマーユ何とかさんだとわかりましたが。中国語はまったくしゃべりませんでした。

ボンネットに座っていた男たちが、写真を撮れというので、2、3枚写真を撮りました。すると、油で揚げたようなパンと、ビールをくれました。それと、不要になったロシア語の雑誌も。もちろん、くれるというものを拒否したりしません。ありがたく全部もらい、その場で食べ、飲みました。そして分かれました。ロシア人と話をしたのは、このときが初めてでした。

この一件があって2年ほどたったとき、日本で、ある映画が公開されました。それが『ウルガ』という映画です。

原題 URGA/CLOSE TO EDEN
製作年度 1991年
製作国 フランス
監督 ニキータ・ミハルコフ
ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞

内容は、内モンゴルの草原で、ロシア人、セルゲイの運転するトラックが故障してしまい、近くのゲル(天幕住居)に住んでいたモンゴル族のゴンボ一家にお世話になり、遊牧民の生活を知っていくという話なのです。(このハイラル郊外の一件と共通する導入部です。それだけ、ロシア人のトラックは故障するということかもしれませんが)

当時、けっこう話題になった映画なので、覚えている人も多いのではないでしょうか。いい映画でした。

映画のタイトルになっている「ウルガ」とは、先に輪が付いた馬を捕まえるための竿のことです。これが草原に立ててあれば、そこで男女が仲良くしてますよ、というサインにもなるらしい。つまり、草原にウルガを見つけたら、近寄らないことが遊牧民のエチケットらしいのです。粋なサインですね。(これはフィクションかもしれないことがわかりました。「モンゴル国に行ってきました (7) 映画『ウルガ』について(2007/09/02)」を参照

淡々とつづられるユーモアを交えたゴンボ一家の生活も良かったのですが、俺はとくに、音楽に魅せられてしまいました。その後、この映画のオリジナルサウンドトラック CDを買おうとしたのですが、ちょっと遅れてしまい、もう売ってないと言われて、諦めてしまったのでした。

今回モンゴルの話を書くために、当時の日記を読んで、このトラックのロシア人たちとの出会いを思い出したのでした。そして、この映画『ウルガ』のこと、その音楽CDが欲しかったことも。誰か持っていたら譲ってください。

『ウルガ』のラストシーン(記憶違いでなければ)がまた、印象的なんです。草原に立つウルガが、時代が変わって○○○○に変わっていくのでした・・・

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(7) 「蒼き狼」の末裔、モンゴル相撲の力士」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2007/08/13

今、何かと話題のモンゴル(7) 「蒼き狼」の末裔、モンゴル相撲の力士

070813
草原ツアーに行った日の夕方、ハイラルの街に戻ってから、ナダム祭りのモンゴル相撲「ブフ」の会場で知り合った力士たちを、宿舎に訪ねました。

バォリタさんという青年は、今回の「ブフ」の試合で4位になった力士でした。

彼は、年に2、3回里帰りするそうです。

この辺(ハイラル郊外)では夏だけゲル(天幕住居)に住むのとは違って、彼の実家の田舎では、夏も冬も、1年中ゲルに住む、完全な遊牧民が多いところらしい。草丈が高く、冬でも雪が積もることはないので、冬も放牧できます。ただし、やっぱり冬はめちゃくちゃ寒いらしい。

ゲルには、電線など来てないので、ヤマハの発動機を使って、自家発電しています。夜は(昼もそうかもしれませんが)、家畜の鳴き声意外は何も聞こえないところです。隣のゲルは、とても遠いのです。遊牧をするには、かなりの面積の草原が必要です。

時々、狼が出没し、羊を食べられてしまいます。遊牧民にとって、一番怖いのが野生の狼です。

『元朝秘史』(Wiki 参照)には、「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白き牝鹿ありき。」とあります。昔、井上靖の『蒼き狼』というチンギスハーンの小説を読みましたが、モンゴル族の起源として、この一節が引用されていたような気がします。そして今年は、映画『蒼き狼 地果て海尽きるまで』が公開されました。(観てないですけど・・・)

狼はモンゴル族の祖先だと考えられていますが、「羊を襲う狼は、やっぱり悪いやつです」とバォリタさんは笑いながら言ったのでした。

ハルピンの体育学校に入るまで、彼はずっと田舎のゲルで暮らしていたので、モンゴル語だけで、普通話(北京語)もしゃべれませんでした。だから最初町に行ったとき、言葉ができなくて苦労しました。頼れるのは、自分の体と「ブフ」の才能だけ。言葉のハンデにも負けず続けられるのは、故郷の人たちの応援があるからだと言います。

今回「ブフ」の試合で勝ち取った4位の賞品は、羊1匹と洗濯機でしたが、田舎へのいいおみやげができて喜んでいるとのこと。

こうした青年たちが、モンゴル相撲で活躍するようになっていくんですね。田舎の期待を一身に背負って出るようなところは、日本の力士たちと同じです。朝青龍は、モンゴルという国を背負って相撲をとっているのでしょう。

ちなみに、朝青龍は、「15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝した。1997年に朝赤龍とともに日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に退学して角界に入門した(後に卒業が認められた)。」(Wiki「朝青龍明徳」から引用

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(6) 大草原のモンゴル族 2」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2007/08/12

今、何かと話題のモンゴル(6) 大草原のモンゴル族 2

070812
ハイラルから、ロシアとの国境、満州里に行き、2泊したあと、ふたたびハイラルに戻ったとき、何日か前、北京で知り合った日本人青年(海外青年協力隊員)のWさんと再会しました。

もうひとり、満州里で知り合ったシンガポール人バックパッカー(華僑)と3人で、ハイラル郊外の草原に行くことになりました。

俺にとっては、2度目の草原です。

この前は、公共バスで行ったのでしたが、今回は、旅行社で車を頼んで回ることになりました。

前回も立ち寄った草原のゲル(天幕住居)のレストランへ行って、「ショウバーロウ」という、羊肉の料理を食べました。これは、羊肉を豪快に切った塊を水で煮たもの。塩や香辛料などは、一切加えない。その骨付き肉を手づかみで食べるのが、モンゴル伝統料理「ショウバーロウ(手扒肉)」です。これはうまかった。羊の臭みがまったくないんです。「これが羊の一番おいしい食べ方です」と、Wさんは教えてくれました。

レストランからの帰り、大草原の中にゲルを見つけたので、訪ねることにしました。

主人はダリマさんといいました。ダリマさん一家は、奥さんと5人の子どもの7人暮らし。羊100匹、牛50頭、馬15頭飼っていて、1台トラクターも持っているといいました。牧畜民としては、裕福な方らしい。夏の間、3ヶ月ここで放牧し、冬は南の定住地へ帰ります。

奥さんが、バターとパンを出してくれました。バターもパンも、もちろん手作りです。バターは「ハバ」と呼ばれる筒状の器に牛乳を入れ、約1000回棒で攪拌すると、バターが分離してきます。Wさんによると、このあたりの牛乳の脂肪分は日本の牛乳の2倍はあるという。分離したバターをスプーンで集めて茶碗に盛ります。

長男が、ゲルの真ん中に置いてあるストーブで、ミルクティーを作り始めました。大きな塊の茶をナイフで削って湯に入れ、そのあとミルクを入れるとできあがり。熱々のミルクティーはおいしく、俺たち3人は大満足したのでした。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(5) 大草原のモンゴル族 1」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(7) 「蒼き狼」の末裔、モンゴル相撲の力士」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/10

今、何かと話題のモンゴル(5) 大草原のモンゴル族 1

070810
ハイラルのナダム祭りは3日間続きましたが、閉幕式が終わった翌日、今度はバスで郊外に出てみました。

大草原の中に、モンゴル族、エベンキ族、ダフール族などが住んでいます。

あるモンゴル族の村でバスを降りました。食堂兼売店があったので中に入っていくと、数人のモンゴル族のおじいさんたちが、朝から酒を飲んでいました。

日本語を覚えている人も多く、ポンポンと日本語の単語が飛び出します。「ヤポン(日本人)か?」と言って、手を握り、いきなり手の甲にキスをしたおじいさんがいました。モンゴル族のあいさつでしょうか? それ以上の意味はなさそう・・・。

そこで知り合った村の村長(といっても45歳くらい)の、ハムスロンさんといっしょに、10数kmはなれた「草原のレストラン」まで遊びに行くことになりました。

途中、村長の知人の家に寄りました。1軒目は、レンガ作りの家で、ミルクを飲ませてくれました。ロシアの影響なのか、意外と家の中が洋風で驚きました。中国人(漢族)の家とは、あきらかに違います。

2軒目は、伝統的なゲル(天幕住居)の家。「ゲル」のことを中国語で「パオ」といいます。木のフレームを組み立てて、屋根と横の部分をフェルトで覆います。ここではありませんが、以前、新疆のカザフ族のユルト(カザフ語ではゲルのことを「ユルト」と言います)の組み立てを見ていたことがあります。家族5人で半日かけて、1軒のユルトが完成しました。

ここの主人は、荷車を引く馬車まで用意してくれました。3人で馬車に乗って、ゲルのレストランがある丘へ。眺めのいい丘で、そこからは、牧畜民とたくさんの馬たちが、川に入っているのが見えました。(↑の写真)

どこまでも続く緑の草原と雲。吹き渡る風の気持ちよさ・・・。

ところで、こういう環境で育った人間が、都会のマンションの1室でじっとしていなければならない「苦痛」は、俺もわかります。でも、「苦痛」があるから、「処分」になる。朝青龍には、そこをわかってほしい。そして復活してほしい。

でも、結局、「病気」と診断してもらって、療養のため(今度こそ仮病ではなく)モンゴルに帰ることになるのでしょうか。もし来週、同じ便に乗るようなことがあれば、よろしくね。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(4) モンゴル相撲と日本軍」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(6) 大草原のモンゴル族 2」


モンゴル国へ行ってきました。朝青龍の関連会社経営の宿泊温泉施設がありました。(2007/8/28)
次のページでどうぞ。
Ya_2「モンゴル国に行ってきました (3) 朝青龍の母国」

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/09

今、何かと話題のモンゴル(4) モンゴル相撲と日本軍

070809
モンゴル相撲のことを「ブフ」と呼ぶことは、昨日、一昨日も書きましたが、漢字では「博克」と書いていました。

中国内蒙古自治区ハイラルのナダム祭の「ブフ」会場には、パネルが展示されていて、その中に、興味を引かれた写真がありました。

昔、ハイラル郊外に「甘珠廟」という廟がありました。これは文化革命時代に壊されてしまいましたが、それまでは、この廟が「ブフ」大会の会場だったそうです。

その「甘珠廟」での「ブフ」大会は、1936年から始まりました。第一回目の優勝者は、ダムティン・ワンジルさんという名前だそうです。彼の写真も展示されていました。

その隣に展示してあったのは(↑に掲載の写真ですが)、1938年大会のとき、日本軍が撮った写真だそうです。当時、出場した力士が映ってます。「ドゾク」と呼ばれるベスト、「ゴダル」と呼ばれるブーツも、ちゃんと着用しています。軍人らしき人間は映ってないようですが。

この写真の時代背景を調べてみたら、こんな感じでした。
Wiki 「日中戦争」を参照

1937年(昭和12年)、7月7日、盧溝橋事件が勃発し、日中戦争が始まりました。写真の1938年は、その翌年にあたります。7月から8月にかけて、張鼓峰で発生したソ連との国境紛争、張鼓峰事件というのがありましたが、この写真が撮られたのはその頃らしい。さらにその翌年、1939年(昭和14年)、5月~8月には、ノモンハン事件で日ソ武力衝突がありました。

この写真を撮った日本軍人は、翌年のノモンハン事件に遭遇したのではないでしょうか。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(3) 相撲と朝青龍について」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(5) 大草原のモンゴル族 1」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/08

今、何かと話題のモンゴル(3) 相撲と朝青龍について

070808
中国内蒙古自治区のハイラルで行われた祭り「ナダム」のモンゴル相撲「ブフ」で、優勝した力士に贈られた賞品は、白いラクダでした。(↑の写真) ちなみに、2位は馬、3位は牛、4位は羊と洗濯機でした。これとは別に行われた少年の部での優勝賞品は、大きなラジカセでした。

ところで、朝青龍の問題ですが、だんだん日本とモンゴルとの政治的・経済的な問題にも発展しそうです。

嘘をついて(仮病はもう疑惑ではない?)巡業を休むことは、理屈抜きで悪いので、2場所出場停止と謹慎処分はしかたないでしょう。厳しい処分ですが、そこはスポーツマンらしく、潔く受けて、再起してほしい。

ただ、引っかかることがあります。朝青龍が日本人だったら、このバッシング報道は、どうだったのだろうか?と、ひねくれ者の俺は考えます。

今回の件は、朝青龍個人の言動に関わる問題なのですが、背景には別な問題もあるように感じます。これだけ外国人力士が増えてきた角界そのものを、日本人はどう見ていくのか。外国人に日本の「相撲道」を求めることの難しさです。(それを覚悟の上で、朝青龍も日本に来たはずなのですが)

Wiki「相撲」によると、相撲は「もともとスポーツではなく、力のある男性が神前にてその力を捧げる神事であった。そのため神に対する敬意を示すための礼儀作法が重視されている。 」とあります。(モンゴル相撲「ブフ」の起源も、宗教的儀式でした) 

相撲は、神事でした。だから、単なるスポーツではなくて、もっと日本人の精神的なところに深く入りこむ文化でもあると思われます。とくに、その大相撲力士の頂点である外国人横綱の「ふさわしくない(もしかしたら、モンゴル人には気にならないかもしれない)言動」によって、日本人の心をかき回されるのは、気持ちが悪い(癪にさわる)ということはあるかもしれないなぁと、俺自身の気持ちを探っていくと、そう思います。

日本人の妻をもらって、日本人に帰化して・・・そういう横綱だったら、もっと好意的に見るのでしょうか。「外国人」に風当たりが強いのは、なにも角界だけではありませんが、でも、とくに、日本人と似ているモンゴル人には厳しいかもしれません。近親憎悪というやつですね。むしろ、ハワイ出身の力士やブルガリア出身の力士の方が、顔形が違っているだけ、逆に「外人だから」と甘く見ることはないのでしょうか。

外国人力士を最初に受け入れた時点で、今回のような問題はいずれ起こるだろうと、予想されていたでしょう。今の日本人の若者は、相撲をやりたがりません。でも、大相撲を続けるためには、外国人を受け入れるしか、今のところ方法はないとすれば、日本人と外国人が、いっしょになって新しい大相撲を作り上げるしかありません。

朝青龍の問題で、角界の国際化の問題も再び浮き彫りになりました。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(2) 伝統的な祭りナダム」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(4) モンゴル相撲と日本軍」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/07

今、何かと話題のモンゴル(2) 伝統的な祭り「ナダム」

070807
内蒙古自治区ハイラル(海拉爾)でも、夏には、モンゴル族の伝統的な行事、「ナダム」が開かれます。

ナダムは「娯楽」を意味するモンゴル語で、一般的には7、8月に行われます。もともと、ナダムは屈強なモンゴル人たちが武力を競う場でした。競技は、相撲、競馬、弓(アーチェリー)で、「男の3種の娯楽」と呼ばれました。

モンゴルの首都ウランバートルでは今年、7月11日、「ナダム」の開幕式が行われたそうです。(朝青龍がサッカーでヘディングシュートを見事に決めた試合は、ナダム祭とは関係なかったのかな?)

ハイラルでは、モンゴル族ばかりではなく、エベンキ族、朝鮮族、漢族が一同に会し、物資交流会を兼ねた大運動会が開かれたのでした。

草原で繰り広げられる「ブフ」(日本ではモンゴル相撲と呼ばれる)。(↑に掲載の写真)

モンゴル相撲は、13世紀のチンギスハーン時代に、兵士の鍛錬のために行われたという説があります。日本とはちょっと違っていて、土俵というものがありません。

モンゴル国の「ブフ」は、肘・膝・頭・背中・尻が地面に着くと負け(手をついても負けにはならない)。 一方、内蒙古(中国側)の「ブフ」は、足の裏以外の部分が地面に着いたら負けになる。(wiki ブフ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%95 参照

日本とはルールが違います。押し出しとかはないので、投げ技が見ごたえありますね。

朝青龍も子どものころからモンゴル相撲をしていたんでしょうね。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(1) モンゴル・ヴィザ」

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(3) 相撲と朝青龍について」

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/06

今、何かと話題のモンゴル(1) モンゴル・ヴィザ

070806
今、朝青龍の問題で何かと話題のモンゴルへ、来週、雑誌の取材で行くことになりました。

でも、朝青龍とはまったく関係ありません。当然ですが。編集部のほうで、ヴィザ申請してくれるというので、申請用紙とパスポートを渡してきました。ヴィザは、パスポートの有効期間が6ヶ月以上ないとダメだったので、今回、パスポートも新しくしました。(パスポートは、中に、堅いページが挟まっていたりして、だいぶ変わりましたね) 観光ヴィザは一週間で取れます。(特急料金もあるようです)

今まで、内蒙古(内モンゴル。中国側)は、3度ほど行ったことがありますが、モンゴル国は初めてです。

↑に掲載の写真は、内蒙古自治区の、ロシア・モンゴルとの国境近く、ハイラル(海拉爾)の草原です。現在は、ホロンバイル市の政治、経済、文化、交通、通信の中心で、ハイラル区になっています。

馬に乗ったモンゴル族たちが、さっそうと草原を行く姿には、惚れ惚れします。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(2) 伝統的な祭りナダム」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/03

苦手な電話のセールス

070803
(写真は、旧高山町役場に展示してあった古い電話)

電話のセールス。苦手です。

対応を間違えると、ちょっとやっかいになります。とくに不動産関係ですね。俺は、そういうセールスの電話が来ると、「お金がありません」「けっこうです」と言って、途中で切ってしまうのですが(これ、普通でしょ?)、何か、相手の「闘争心」に火を着けてしまうところが、たまにあるようです。

特別嫌な感じで対応しているとも思ってないし、相手を罵倒するわけでもないのですが、どうも、相手の何か触れてはいけない部分に触れてしまうのかもしれません。何度も電話されてきて、「いいかげんにしてくれ」と、受話器をガチャンと置くこともありました。

なので、ここ何度かかかっていた(最初かかってきたのは1ヶ月前くらいか?)電話に対して、今日は切らずに、話を聞いてあげ、それで、購入する意志のないことをわかってもらい、ようやく終わりました。たぶん、もうかかってこないでしょう。

今から、10年以上前ですが、やっぱり、マンションのセールスだったと思いますが、このセールスマンとのバトルが3ヶ月間ほど続いたことがありました。もちろん「いらない」と断っているんですよ。それでもしつこく何度も電話をかけてきました。留守番電話にまで録音されるようになりました。

それから、1ヶ月半ほどの海外旅行に出たのですが、帰ったとき、さすがにもう大丈夫だと思っていたので受話器を取ってみると、またあいつでした。そのしつこさには、腹が立つというよりも、恐怖を覚えたものです。

ここまで来ると、相手も、セールスなんてどうでもよくて、俺を困らせることに生きがいを感じ始めていることはわかりました。後ろに入っている、仲間の罵声。たぶん、わざと俺に聞かせていたんでしょうね。「そっちに行くぞ!」と言われて、俺は正直ビビリました。

本当は、そんなことはしないんです。そんなことすれば、自分が逮捕されることを知っているからです。(住所は知らないし) 単なる脅しなんですが、ただ、何ヶ月も続くと、来るかもしれないと思い込んでくるんです。

以前、俺は、犬に噛まれやすい性格だと書きましたが(「俺はどうして犬に噛まれるのか?(1)~(4)」2006/07/29)、やっぱり、これも同じ理由なのかな?と、思わないこともありません。

みなさんは、こういう電話にどうやって対応しているんでしょうか? いい方法があったら教えてください。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/08/02

暑中お見舞い申し上げます。(3)

070802
暑いときには、川の写真をどうぞ。

写真は、中国雲南省西双版納タイ族自治州のメコン河(ランツァンジャン 瀾滄江)の夕方。

タイ族が竹筏に乗って流されていきました。

どこまで行くのでしょうか。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/01

美しい日本の、美しくない政治家たち

070801
どうしたんでしょうか。美しい日本の、美しくない政治家たち・・・。

この期に及んで、まだ安倍さんは続投しようとしています。いや、安倍さんは、辞めたくても辞められない状況なのかもしれません。でも、赤城農水省大臣は?

この人の神経が理解できません。今回の選挙で自民党が敗北した原因のひとつに、自分の絆創膏にあることを気がついているんでしょうか? 美しくないんですよ。あの絆創膏の貼り方は。無精ヒゲも剃ってなかったし。(そっちかい?)

それは冗談としても、ここでちゃんとケジメをつければまだしも、このままズルズルいったら、自民党のイメージがさらに悪くなっていくのは確実でしょう。素人の俺さえそう思うのに、そうしないということは、そこに政治家の独特な論理が働いているのでしょうか。

それは、国民の感覚からズレた政治家の感覚です。美しくないよねぇ。という以前に、理解できないですよ。

赤城大臣も、もう少しユーモアを持って答えてほしかったなぁ。たとえば、絆創膏をはがしたとき、そこから鳩を出すとか、万国旗を出すとかすればねぇ。そんなユーモアがまったくないものね。もっとも、マジシャンさながら、選挙事務所で使った領収書を瞬時に消したり、同じ領収書をふたつに増やすのは、お得意のようですが。

■■■

昼のニュースで、とうとう赤城大臣は、今日(1日)午前辞職したそうです。それにしても、遅すぎますよ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »