映画 『ブラッド・ダイアモンド』 (1) 映画を観て泣いた理由
(↑の写真はマダガスカル)
映画 『ブラッド・ダイヤモンド』 (Blood Diamond) をDVDで観ました。お勧めの映画ですよ。
アフリカのシエラレオネ共和国での内戦(1991-2000年)での、「ブラッド・ダイヤモンド」(紛争の資金調達のため不法に取引されるダイヤモンド、いわゆる紛争ダイヤモンド)を巡るサスペンス映画。(Wiki参照)
ストーリーなどは、公式ホームページでどうぞ。
http://wwws.warnerbros.co.jp/blooddiamond/
俺が一番この映画で気になったのは、「善悪」の問題です。
ディカプリオ扮する、主人公のダイヤ密売人アーチャー、家族と引き裂かれ、大粒のダイヤを見つけたソロモン、そして紛争ダイヤモンドの真実を暴こうとするジャーナリストのマディーが、RUF(革命統一戦線)という反政府勢力の襲撃から逃れた先が、ベンジャミンという元先生の施設でした。RUFに捕らえられて、少年兵士にしたて上げられていた子どもたちを取り戻し、普通の子どもに戻す活動をしている元先生です。
そこでの、ベンジャミンと、アーチャーとの会話が印象的です。
(ベンジャミン) 「私は性善説を信じたいが、現実を見ると違う。君はどう思う? 多くの人間は善だと思う?」
(アーチャー) 「いや、ただの人間だ」
(ベンジャミン) 「その通り。善悪は行動で決まるんだ。悪人でさえ、一瞬の愛情があれば、人生に意味を与えられる」
アフリカで生まれた白人の苦悩を、ディカプリオは見事に演じていたのではないでしょうか。軍隊では白人と黒人がいっしょに戦いました。敵は、共産主義のはずだったのに、実は、象牙、金、石油、そしてダイヤモンド、つまりアフリカ外の外国人たちの利権と戦っていたわけです。
アーチャーは、さんざん人を殺し、金のためなら何でもするような男で、ソロモンからダイヤをねこばばしようとさえしていたのに、最後の最後、ある「善いこと」をするのです。結局、アーチャーは、ベンジャミンが言ったような人生の意味を得たのでした。そしてもうひとつ、ジャーナリスト、マディーという女性に出会ったことも、人生の大きな意味になりえたのです。
人を「善人」「悪人」というふたつの言葉で判断することの無意味さ・・・。まさにアーチャーのような人間を、「善人」「悪人」と分けることはできません。いや、人間だけではありません。何が「善」で何が「悪」か、この映画を観ているとわからなくなります。
ダイヤモンドを密輸すること、それは「悪」?それとも「善」? ダイヤモンドが、闇取引され、いろんな場所を経由して、正規のダイヤに化けて加工され、各国で売られ、それを結婚指輪として買うことは「悪」?それとも「善」? 俺にはわかりません。
そのわからなさが俺自身ふがいなく、また、このやるせなさをどこにぶつけていいのかわりませんでした。そして人生の意味は、最後の最後までわからないものなんだなぁと思ったり、いろんな物が頭を渦巻いて、泣いてしまいました。泣く以外、この気持ちの収まりどころを探せなかったのです。
ただ、誤解して欲しくないので、わざわざ書き足しますが、人が殺されて可愛そうとかいう「同情心」とか「人道主義的な気持ち」で泣いたのではありません。
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