「プチ★不幸」な人間

映画『ウルガ』のオリジナルサウンドトラックCDを聴きながら、これを書いています。心の深いところに染み入るような、ほんとにいい音楽です。だから、今日は、ちょっとした「幸福論」を。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ主演の映画『幸せのレシピ』が公開されますね。
でも、この映画の内容について書こうというのではありません。(キャサリン・ゼタ=ジョーンズはいいなと思いますが) このタイトルから思い浮かべる、ある特殊な「幸福」についてです。
幸せのレシピというものがあるとすれば、それは、家庭料理の味がそれぞれ各家庭のレシピで違うように、幸せのレシピもそれぞれ違っていて当然です。これしかない、という絶対的なレシピはないのです。
「プチ★不幸」という言葉を思いつきました。
ホントに不幸であっては、不幸を感じますが、かと言って、周りからも、自分自身でも幸せだと思える状況になったとき、そこに違和感を覚え、むしろ、少し不幸目の方が、逆に幸せを感じてしまうという人間、それを「プチ(小さな)★不幸」な人間と呼ぶことにしましょう。
「少し不幸目に幸せを感じる」と書きましたが、「少し不幸目だと気持ちが落ち着く」「どこかに不幸を抱えているほうが楽だ」ということかもしれません。
ほんとに人の気持ちは謎ですね。周りからも「あなたは幸せだね」といわれ、自分でも「幸せだ」と自覚があって、にも関わらず、心の深いところでは幸せを精一杯感じていないことに気がつく瞬間。いや、誰が見ても幸せだと思える状況になる前に、その状況を拒んでしまう、ということもあります。
なんででしょうかね。自分が幸せになることは、別な他人を不幸にしていることを気にするからでしょうか。だから、自分が幸せになることの後ろめたさでしょうか。幸せと感じる気持ちは長続きしないかも、という怖れでしょうか。あるいは、幸せに伴って付いてくる責任の重さがたえられないからでしょうか。
いずれにせよ、この「プチ★不幸」の状態で落ち着けるなら(幸せに対する免罪符であれ)、これもまた、幸せのレシピのひとつであることに違いはありません。人それぞれなんだから、それでいいと思います。ちょっと特殊と言えますが。それを認めてくれる人がきっといます。
俺の中にも、「プチ★不幸」な人間の、性質はあるようです。だから、そういう気持ちはわかります。
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