遊びについて
昔、こんな話を本で読んだ記憶があります。
雨が降ったあとの水溜り。ふたりの子どもが来ました。ひとりは、水溜りに入ると、泥の中に手を突っ込んで、「魚」を捕まえるようなかっこうをしながら、楽しく遊び始めました。
もうひとりも、楽しそうだと思って、水溜りに入りました。そして、先に入った子どもから、「魚」を手渡されたのでした。でも、その子どもは、その「魚」を見て、がっかりしました。それは単なる石ころだったのです。「なぁんだ、ただの石じゃないか」と、子どもは怒ってしまい、水溜りから上がると、家に帰ってしまいました。
でも、先の子どもは、泥の中で、「魚」を捕まえる遊びを続けました。
こういう話です。何の本に書いてある話だったのか、今となっては忘れてしまいました。でも、これを読んだとき、この泥の中で、「石」を「魚」にして遊んでいる子どもの気持ちがわかりました。
俺はここで、「石」を「魚」にして遊べる子どもの方が、想像力があっていい、などと単純に言うつもりはありません。ある意味、この子どもは、「石」を「魚」と言い張る頑固者で、自分の快感を優先させる、ちょっと困ったちゃん、という面もあるし。(こういう人間の家族は迷惑してると思うよー。こういう人間て、俺のこと?)
ただ、「遊び」の本質を表している話だなぁとは思いました。道具がないと遊べない、なんていうのは嘘です。(道具がありすぎて、本当の遊びではないというのも、嘘です。テレビゲームでも、遊びは、遊びです) 道具の問題ではなくて、想像力の問題ですね。
そして、「遊び」だから不真面目で質が悪く、「仕事」だから真面目で質が高いとは、必ずしも言えないし。(例えば、写真のことです)
かと言って、俺もいつでも「石」で遊べるか?というとそうでもないです。バカバカしいと思って帰るときもあります。いつも好奇心を全開にするなんて、疲れてしまいます。遊びの持つ余裕さえなくなってしまうのでは、本末転倒でしょう。
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コメント
ひなた。さん
石を魚で遊ぶ人は、「おもしろいね」と世間の評判はいいのですが、近親者にとっては、迷惑そのもの(らしい、です)。俺もしょっちゅう言われ続けてきました。
ひなたさんのご家族に、謹んでご同情申し上げます。
投稿: あおやぎ | 2007/09/20 09:16
ただ、わたしはしょっちゅう、石をサカナと思ってしまいます。
たぶん、けっこう迷惑でしょうね(笑
投稿: ひなた。 | 2007/09/19 23:33