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2007/10/31

2007秋、車中泊の撮影旅 (22) 善通寺市出水、丸亀市条里地割

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10月29日、月曜日、晴れ時々曇り

「道の駅 さいた」を7時20分に出た。まず、行ったのは、善通寺市。水の風景を撮るためだ。「出水」の場所やため池など、情報をもらうために市役所を訪ねたかったが、まだ7時代で早すぎたので、善通寺に行ってみることにした。

自衛隊の車両がひっきりなしに通る。自衛隊駐屯基地の先にりっぱな五重塔が見えてくる。まだ朝早いので、お遍路さんも少ない。五重塔の隣にある金堂へ入った。尼さんたちが掃除をしていた。

そこに、お賽銭箱がおいてあったが、「お米のかたはこちらへ」と書いて、別の箱がおいてある。聞いたら、昔は、みんなお米をお供えしていたので、その名残とか。今でも、お米を持ってくる人がいるので、こういう箱を設けている。1表袋を持ってくる人もいて、お供えしてあった。

8時半を過ぎ、市役所へ行って情報を聞いた。中学校の近く、「二頭出水(ふたがしらですい)」は、ちょっとした公園風に整備されている。水は透明で、錦鯉が泳いでいる。

立っていた説明書きによると、「この出水は、古くから農業用水として用いられるとともに、かつては、市の重要な水道資源としても利用されてきた。2ヶ所から水が常に湧き出ているところから二頭出水と呼ばれる」とある。

善通寺ため池へいってみたが、半分も水がない。そのあと、ミカン畑の山を越えて3分、吉原腕貸塚は、横穴式石室がのこる巨石古墳で、池の中にある。市役所でも「珍しいですよ」といわれたのが、大塚池だ。ここも水が涸れかかっている。

次に行ったのが、「永井清水(ながいのしみず)」。静かな住宅街にある。民家の庭から石段が水辺に続いている。ここで炊事の準備や洗濯をしていたのではないだろうか。昔、お殿様が休憩するために「お茶屋」と呼ばれる休憩所も設けられていたらしい。

善通寺市から、隣の丸亀市へ。ここでは、教育委員会の文化課で「条里地割」の情報を行く。昔の整然とした水田のあと「条里地割」の場所。「条里地割」自体は市内に3ヶ所ほど残っているという。その中で、市の南部に、仁池というため池があり、その堤からなら見れるのでは?とアドバイスをもらい、行ってみた。

途中、「セルフ うどん」があったので腹ごしらえ。冷たい「ぶっかけ」はうまいねぇ。特にこんな暑い日は。(10月末とは思えない) 昨日も食べたが、このコシのあるうどんは俺好みだ。土産も買おう。

それほど高い位置からではないが、遠くまで区画された条里地割のあとがわかる。長方形の畦がずっと続いている。

埼玉県の三富新田も、やっぱり短冊状に区画された地割が残っていて、文化的景観の候補になっている。(『栄養と料理』11月号では、地元埼玉から、ひとつくらいはと思って、この三富新田の雑木林の写真を載せています)

高松市を経由して鳴門市へ。道の駅で「讃岐うどん」の半生うどんのセットを買った。香川県を通りすぎると、とたんに「うどん」の看板が減ったような気がする。

高速道路で、淡路に渡った。今度は淡路島の西側を海岸沿いに走っている県道を北へ。サンセットラインと呼ばれるように、夕日が美しい。

1週間前と同じ、近くの岩屋温泉会館で入浴。コンビニで弁当食べて「道の駅 あわじ」で仮眠。明日は、4時25分発の「たこフェリー」で明石へ。そこから埼玉を目指すつもり。


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2007/10/28

2007秋、車中泊の撮影旅 (21) 津賀谷の棚田、土佐町の棚田、満濃池

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10月28日、日曜日、晴れ

昨日は、吾北村(?)の「道の駅 R633美」に泊まった。でも、嫌な予感は、たしかにしたのだ。

やっぱり夜中、バイクが来た。10台くらい。広い駐車場を乗り回す。時々、集まっては、何か話し合っていたが、きっと、「安全運転の心得」とか、「エコドライブ」についての勉強会だったと思う。(な、わけないか)

とにかくやかましいんだよ! 俺の他3台の車はいなくなり、車は俺一人。でも、俺は眠かったし、面倒なので、動かなかった。どうせ集会も、長続きしないのは知っていた。実際、1時間ほどしたらどこかへ去った。めでたし、めでたし。

今朝は、そういうわけで、寝不足で、起きたのは7時半。頭痛がする。車中泊の旅の、唯一のリスクが、バイクかな、と思う。まぁ、でも、俺もだいぶ慣れてきたので、たいした問題じゃない。

国道439を東へ進む。看板が出ていた。「津賀谷の棚田」。棚田の看板を見たら、行ってみるしかないでしょう。村道を1kmくらい上がっていくと、集落があり、左手にだいぶ大きな棚田が開けていた。ハサ掛けされた稲もある。

一番上まで行ってみたが、途中、半分くらいは耕作放棄されていた。それでも、かなりりっぱな棚田だ。あれだけの看板を立てるだけはある。

この国道439号線沿いは、「棚田街道」と呼んでもいいくらい棚田だらけだった。だから、しょっちゅう止まって写真を撮るので、なかなか進まない。

藁ぼっちがたくさん見れるようになると、そこは土佐町。ひとつの谷に入り込んだら、けっこう棚田がたくさんある。「道の駅 土佐さめうら」で聞いてわかったが、土佐町は、知る人ぞ知る、棚田の町なのだという。俺は知らなかったが。

道の駅で、地図をもらい、土佐町の棚田見学。「高須の棚田」というらしい(写真)。とにかく広い。谷一面が巨大な棚田だ。藁ぼっちは、最近少なくなったと道の駅の人はいっていた。コンバインで稲刈りするし、肥料や牛の餌として必要だった藁がいらなくなったからだ。

それでも、かなり多いと思う。ずっと走ってきたが、これだけ残っているのは、土佐町に入ってからだ。

土佐町から、大豊町を経由。ここで一件あったのだが、時期はずれなので、それは撮影をやめて、国道32号線で、高松方面を目指す。途中、うどん屋で、遅い昼食。

満濃池のほとりに着いたのは、午後3時。たくさんの観光客がいる。

池に、龍(大蛇)が住んでる話は、このあたりでは普通に言われている話だそうだ。『今昔物語』にも「その池は弘法大師のその国の衆生を哀れがるために築き給へる池なり。池などとは見えずして、海とぞ見えけり。池の内、底ひ無く深ければ大小の魚ども量無し。また龍の住家としてぞ有りける」(看板より)とある。

龍は、アジアでは「ナーガ」として、水を司る神様としてあがめられている。満濃池は、このあたりの水不足を補ってくれる大切なもの。水に対しての関心の高さの表れでもあるだろう。

近くの「塩入温泉」に。500円。アルカリ鉱泉を沸かしたものらしい。湯は少し白い。肌がツルツルになった。

財田町の「道の駅 さいた」に泊まる。(ここにも温泉があった)


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2007秋、車中泊の撮影旅 (20) 泉谷棚田、城川町茶堂、四国カルスト

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10月27日、土曜日、晴れ時々曇り

今日の撮影地は3ヶ所。

写真、上から順に、内子町(旧五十崎町)の泉谷棚田、城川町の茶堂、四国カルストの放牧。

道の駅を7時に出て、旧五十崎町の山の中へ。泉谷の集落は、県道から2kmほど奥まった谷にある。ここを訪れるのは数年ぶり。前回来たのは、5月の夕方だった。夕日を待つカメラマンが数人来ていた。棚田は変わっていないが、水車付の小屋、トイレ、遊歩道ができていた。山から出た朝日が、泉谷の谷を照らしていく。

看板には、「標高470m、4haに、95枚の水田を、5戸の農家で組織する「泉谷地区棚田を守る会」が中心となって、ほとんどの棚田を耕作している」とのこと。それと「おいしいお米を作っています。育てる喜び、食べる楽しみ。いっしょに体験してみませんか?」

県道に出て、山越えした。すばらしい景色。ところどころに民家が見える。河辺村のほうに降りて、国道197号線に戻り、南下。城川町へ。ここの道の駅で、「茶堂」について聞く。

地図をくれた。でも、特別「これ」という茶堂はないそうなので、自分でいい茶堂を探さなければならない。でも、それがいい、ともいえる。自分で探すことのおもしろさ。そもそも、茶堂が何であるかさえ知らないで来た。なので、「茶堂って何ですか?」と幼稚な質問をしてしまった。

駅の人は、「お遍路さんたちにお茶をあげたりしたのが始まりらしいです。今でも、何かあると村人が集まる集会所みたいになっています」という説明に納得。

実際、城川町をあちこち周ってみた。最初見つけたのは、県道2号線沿いの茶堂。屋根つきの休憩所のようで、石仏などが祭られている。これはいい。山の景色を見渡せるようなところもあった。

道沿いにあるものはわかるが、ちょっとでも外れていると見えない。でも、だんだん茶堂に目が慣れてくると、林の奥にひっそりたたずむ茶堂や、集落の屋根の重なりの中から茶堂が見えるようになるから不思議なもんだ。

城川町は、美しい棚田が多い。写真を撮っては止まり、撮っては止まりしているので、なかなか前に進まない。

ある集落の商店で飲み物を買ったついでに、近くの茶堂について聞いた。商店のおばあさんは、この上にある集落の茶堂では、毎年お盆のとき、村の人が集まってお祈りしたり(びわの葉を使って何かやるらしい)、そのあと飲み食いしますよ、と教えてくれた。そういう伝統的な祭りをやっているのは、ここくらいなものらしい。

もちろん、昔は、それぞれの茶堂でも、同じような祭りがあったのだろう。おばあさんの話から想像すると、茶堂は、お遍路さんへのお接待のためというより、この地区ではもっと宗教的なものだったらしい。お寺の代わりをする場所?

その村は、郵便局の脇道を上のほうに1kmほど上るとあった。村の入り口に茶堂の屋根が見えてきた。そして、

「すごい」

なんと、そこから、谷を挟んだ向こう側の斜面が、棚田になっているのが見える。下から上まで、100m以上はあるかもしれない。ここは、もちろん「棚田百選」ではないが、これだけのは、「棚田百選」の中に入れてもぜんぜんそん色ない、すばらしい棚田だ。

城川町から、野村町、柳谷村と、山の上のほうに上っていった。高知県と愛媛県の境の尾根道なので、両県を出たり入ったり。

四国カルスト県立自然公園。ごつごつしたカルストの中で、放牧が行われている。それにしても、今日は風が強い。寒くはないが、体が飛ばされそうになりながら写真を撮る。危ない。

でも、だからこそ、雲もすごい速さで移動するので、いい光が高原を走り、写真的にはいい日だった。そしてこれだけ上まで上がってくると、紅葉がちょうど盛り。明日、日曜は、ここで「紅葉祭り」があるそうで、野外ステージを組んで、準備中だった。明日は、渋滞するらしいよ。(今日来ておいて良かったかも)

夕方、カルスト台地の北側へ降りた。

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2007/10/26

2007秋、車中泊の撮影旅 (19) 四万十川の沈下橋、大洲市の境木、ナゲ、竹林

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10月26日、金曜日、

昨日は、土佐市でブログをアップ後、須崎市から国道197号線に入り、東津野へ。ここには四万十川源流がある。源流そのものには行かず、「一本橋」を見に行った。道の駅で情報を聞き、国道439号線沿いにある橋へ。

「芳生野早瀬の一本橋」という立て札が立っていて、あとで触れる老夫婦の持っていた資料によると、諏訪神社を祭り始めた1352年より、一本橋を架け続けてきた。現在は、杉丸木3本をかけている。名前だけは「一本橋」だ。

四万十川にいくつも架かる沈下橋の原型と考えられ、「流れ橋」といわれる。増水すると、丸木自体は流されるが、ワイヤーで固定してあるので、水かさが通常に戻ったとき、元通りに架け直す。杉丸木は、約15年ごと架け替えている。

橋は、現在でも地元の人に使われている。対岸の諏訪神社に行くときとか、農作業へ行くとき。渡ってみたが、頑丈でびくともしなかった。下を、清流が流れている。

橋のそばに住む老夫婦と話した。今、国道になっている部分は、明治、大正初めまで、桑畑と生糸工場があった。その後、桑畑の代わりに、水田を作った。そして、最後、国道を作って田んぼをつぶした。この国道に、そんな歴史があったんだね。

たしか、山形県朝日町の「くぬぎ平の棚田」も桑畑だったと思う。それが水田に変わったところは、ここと同じ。

ところでおじいさんは、昔は、この川の上流が四万十の「源流」と考えられていたが、長さを測ったら、もう一本、道の駅の近くを流れている川の上流が「源流」になった。日本では、ふたつの流れのうち、長い方の流れを「本流」、短い方の流れを「支流」とするのではなかったかな。(記憶違いならすみません)

「学校の校歌にもこの川が源流と歌っていたのに、向こうになってしまって・・・」おじいさんは笑いながらいった。川の文化的源流と、科学的源流が違うことは、メコン源流へ行ってわかったこと。地元の人たちが信じる源流にはそれなりの理由があるのだ。

メコンでは、聖山があり、そのふもとに沸く泉が、人間と家畜の貴重な水場だった。だから現地チベット人たちは、そこを源流と言っていた。でも、科学的には、別な場所だった。

たぶん、ここでも、こっちの流れの上流が源流だと信じていたのには、何か理由があったはず。時間があればそれを探ってみるのもおもしろいかも。(誰かやってください)

おじいさんに、近くに「大わらじ」があるので、見ていけばといわれた。旧暦1月28日(現在は2月の最終日曜)に、新しく作り直され、村の入り口に吊るし、無病息災を祈願するもの。

一本橋から梼原のほうへいった村の入り口にあった。長さが1m以上。でかい。龍馬が脱藩したときも、下がっていたらしい。

「大わらじ」からさらに梼原に向かっていくと、右前方に、神在居の棚田が見える。その坂を上っていく。交流センターの建物に車を停め、周辺を散策。直径5mほどの丸い棚田もそのままだ。

ここは、初めて棚田オーナー制度ができた棚田。「こんな田舎に都会の人が来るわけない」と地元の人たちは考えていた。ところが、騙されたと思って(実際そう思っていたかも)オーナー制度を作り、「四万十」にかけ「40010円」の料金設定で募集したところ、翌日、役場の電話は鳴りっぱなしだったという。すごい反響だった。

「田舎には何もない」と田舎の人は言う。ところが、田舎にしかないものが、たくさんあることに、都会人が気がつかせてくれた。だからこれは、田舎と都会の文化の融合なのだ。

棚田を下り、国道を東津野の方に戻り、国道439号線を南に下る。この道も狭かった。でも、川沿いに走る道で、風景はすばらしい。

暗くなったころ、ようやく大正に着き、大正温泉を探した。ある民家で聞いたら、今、改装中で、営業してないから、一の又渓谷温泉に行ったらと勧められた。大正の町から5、6kmはなれた山の中。すっかり暗くなってしまい、ほんとに温泉なんかあるんだろうか?と不安になったとき、やけに長いトンネルをくぐって出て左に曲がったところが温泉だった。

ところが、建物もない。門だけ。街灯の明かりが、門から川のせせらぎが聞こえる川底へと続いているので、こっちだろうなと不安に思いながら数十m降りていくと、あった。

けっこうテレビの旅番組で紹介されているらしく、森三中とか、千葉真一とか、有名人たちの写真とサインがずらり。こんなに有名な温泉だったか。

それにしても、入ってみてわかったが、これはテレビ番組ウケするね。いかにも「秘湯」的雰囲気だ。建物といい、周辺の風景といい、絵になる。もちろん、温泉が良かったのは言うまでもないが。840円。

町に戻り、「道の駅 四万十大正」に泊まる。

そして、今日。

夜中から降り続いた雨は、朝も続いていた。しばらく様子を見てゆっくりする。9時ころ道の駅を出る。国道381号線を西に。左手に四万十川を見ながら走る快適な道。4kmほど行くと、茅吹手沈下橋が見えてきたので、まず遠くから写真。そのあと、坂を下り橋を渡る。欄干がないので注意してわたらないと。

雨が激しく降る中、写真を撮り、十和の役場へ。棚田の場所を聞いたが、それほどまとまったところはなく、どの谷でも中へはいりこんでいけば、石垣や棚田はあるということなので、地吉という集落の谷に入っていった。

地吉の夫婦杉というりっぱな2本の杉の木。集落を歩く。川そばに数枚の棚田。そして石垣で作られた茶畑。国道に戻る途中、ハサ掛けされた稲をみたので、写真に撮る。(写真)

「道の駅 とうわ」は、7月1日オープンした新しい駅。新しい木の香りがする。ここに、「しまんと 焙茶」というペットボトルを発見。「じつは茶所 四万十川水系」と書いてある。その通りかも。さっき入っていった谷にも、水田よりは、茶畑が多かった気がする。他に、「しまんと 紅茶 RED」というものも売っていた。

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次ぎ、半家沈下橋、西土佐の役場を過ぎて、15kmくらい下った、口屋内沈下橋。(写真)

西土佐に戻る途中の岩間沈下橋。ここに展望台ができつつあった。おじさんがひとりで作業。実はこのおじさん個人で作っている展望台だという。「道楽ですよ」などといっていたが、セメントなど数十万円は個人負担だ。

観光客の人たち、雨降ったとき、たいへんでしょうからといって、今、屋根をかけようとしている。人がいいというか。この前、カメラを置きっぱなしでちょっとここを離れたら、カメラを盗られたよといっていたが、それでも、観光客がたくさん来てくれるのがうれしいようだ。うーん、何ともすごい人である。

今度は西土佐から、国道381号で西へ。途中の県道に、「佛木寺」という寺があった。古い鐘突き堂。そうだ。ここは四国。お遍路さんがたくさんいる。白装束のおばあさんたちは、バスで回っているようだ。そして四国に入ってから、道を歩いている巡礼者を、何人も追い抜いた。

午後4時、大洲市に到着。市役所で情報を得る。「畑の境木」、「肱川のナゲ」、「御用やぶの竹林」。なんだかわからないので聞くしかなかった。

まず、境木は、地元で「ボケ」と呼ぶ、畑と畑の境を示す木。高さ1mから2.5mくらいある。それが肱川の近くの畑に点在している。その先に、防水林の役目をする竹林があった。これを「御用やぶの竹林」という。堤防に竹林は珍しい風景だ。

「ナゲ」は、市役所近くの橋のそばにあった。昔の船着場だ。写真を撮っていると、散歩途中のおばあさんが現れて、「何を撮っているんです?」と声をかけられた。

おばあさんは90歳近いという。彼女が20代のころは、このナゲで洗濯をしていた。昔は水ももっときれいだった。対岸に留まっている小船は、この肱川で夏行われる鵜飼を見る観光船らしい。

おばあさんは聞いた。「ここはいいと思いますか?」「山と川があって、いいところだと思いますよ」と答えた。「ここにずっと住んでると、ここがいいところかどうか、わからなくなるんです」深い言葉だ。

昔はひっきりなしに船がこのナゲにやってきては荷の上げ下ろしをしていたことだろう。それは、おばあさんも知らない遠い昔の話。対岸には当時交易をしていた商家の屋根も見えた。

このあたりでは、サトイモ、カシワ(鶏肉)、コンニャクなどをいっしょに鍋で煮る「芋煮会」のような慣習があるというので驚いた。山形県の芋煮会では、牛肉を使うがここでは鶏肉。それは違うが、醤油味は同じ。

せっかくの面白い話の途中で、仕事の電話が入ってしまい、おばあさんはどこかへ行ってしまった。でも、あとでまた見かけたので、絵葉書をあげた。

暗くなってから、内子町に向かう。「道の駅 内子フレッシュパークからり」に泊まる予定。近くに竜王温泉というのがある。ここに来るのは4度目くらいかな。


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2007/10/25

2007秋、車中泊の撮影旅 (18) 芸西の琴ケ浜松原

10月25日、木曜日、雨のち曇り

お知らせです。

去年に引き続き、今年も「東京棚田フェスティバル」があります。ここで俺はスライドショーをやります。今、撮影中の、撮れたての棚田写真も使う予定ですので、よかったら来てください。
詳しくは、棚田ネットのホームページでどうぞ。
http://www.tanada.or.jp/
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《第2回東京棚田フェスティバル》
【日時】11月10日(土) 正午~午後5時
【場所】東京交通会館前広場 <地域の物産と棚田米販売>
    交通会館1階「農's(のうず)ギャラリー」<スライド上映ほか>
【農'sギャラリーでのプログラム】 ※入場無料
  ・スライド&トークショー:写真家・青柳健二
  ・スライド:棚田ビオトープの生き物たち(仮題)
  ・DVD上映「よみがえる棚田~美しき日本の原風景~」
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今朝は雨。あとで曇りになってきた。「道の駅 大山」を出て、国道55号線を高知市の方へ。15kmほどの芸西の琴ケ浜松原に寄って写真を撮る。手前に、砂浜と松原を見渡せる休憩所があった。下のテトラポッドまで降りていって、波しぶきを避けながら写真を撮る。

そのあと、近くまでいった。和食駅の先だ。(これは「わじき」と読む。地元のじいさんは、外の人はみんな「わしょく」と読みますとのこと)ここに地元の直売所、「かっぱ市」があり、その横の道を海岸に降りていくと、松原が広がっている。

琴ケ浜松原は、芸西村の小高い海岸砂丘に広がる松原で、松林の姿が琴の形に似ているから、また、風邪が吹くと、琴を奏でているような音が聴こえるところから、琴ケ浜松原の名前が付いたそうだ。

土佐藩の文献によると、野村兼山という人物が、防風や潮害防止を目的に松を植林したということだ。風を受けた松の木は、全部陸側に傾いている。(写真。歩いているおばさんが傾いているわけじゃないよ)

それだけすごい風が吹くということだ。潮が吹きつけられて、農作物にも被害が大きかったろう。それを何とか防ぎたいという思いが作り上げた、りっぱな文化的景観だ。

おじいさんが松の木の前に座っていた。通り過ぎようとしたら、突然「ワシを撮っちゃ、いかんぜよ」といった。「おじさん撮りに来たわけじゃなくて、松の木です」

でも、このおじさん、自分のことを良く知ってるね。撮りたくなるような風貌、雰囲気をかもし出している。『ペルソナ』を撮った写真家の鬼海さんなら、きっと写真集の中に納めるだろう人物だ。

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カッパ市に寄った。ここで、海産物がすごく安かったので、俺は、昼用に、ヒメイチの寿司(写真 250円)、生節(ビンチョウマグロ 180円)を買った。

高知市からは国道56号線を西に行って、土佐市に。ここのマックでブログをアップ。これからまた山へ入るので、俺のピッチは圏外でブログのアップができなくなる(と思う)。

須崎市から国道197号線に入り、四万十川の源流を目指すつもり。今から15年ほど前、ある雑誌の撮影で、四万十川沿いを走ったことがある。それ以来だ。

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2007/10/24

2007秋、車中泊の撮影旅 (17) 上勝樫原の棚田、木頭ゆず畑、宍喰の水床湾、馬路村千本山

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10月24日、水曜日、晴れ

昨日は鳴門市でブログをアップしたあと、徳島市を抜け、県道16号線に入った。上勝町の中心に着いたのは、午後4時過ぎ。夕暮れには間に合った。

そこから樫原の棚田までは6kmくらい。そのまま県道を西に進み、狭い山道に入り、九十九折の坂をどんどん上っていく。県道からは3kmくらい。ひとつ集落を抜け、次の集落の入り口、水車小屋が見えたらそこが樫原の棚田だ。車が2、3台停められるスペースがある。このあたり、何も変わっていない。

ここを訪ねたのは、5回目くらいだろうか。でも、この時期は初めて。稲刈りもすっかり済んで、棚田はひっそりとしていた。ススキが多い。13日月が山の上に出ている。

暮れていく棚田を静かに眺めていると、近所の民家の犬が吠え出した。この時間帯は特に吠えられる。俺は犬が不安になる匂いをしているのかもしれない。

月とススキを入れて写真を撮った。

写真を撮ったあと、徳島市のスーパーで買ったおにぎり弁当を食べる。棚田米じゃないのが残念だけど、棚田でごはんを食べるのは、やっぱり美味しい。

暗くなってから、坂を下りて、町へ戻り、月ヶ谷温泉に。この温泉も何度も入っている。500円。弘法大師が修行中、この温泉を知り、効能を民衆に伝えたとかいう伝説があるらしい。

直売所「いっきゅう茶屋(日浦休憩所)の駐車スペースで泊まる。

今朝、6時半に出発。県道16号線を西へ進む。八重地トンネルに入ったら、出口は遠い山並みだけで、道が途切れているように見えた。まるで、空へ続いているような。

そこが、上勝と木沢の境。道は急坂を下っていく。野生のシカがいた。まだ若くて、柔らかそうで、美味しそう。シカが増えてきたので、食肉として販売を始めた地方があったと思う。一度、宮崎県で、シカ刺しをごちそうになったことがあるが、なかなかいける。

ところで、今日見たあのシカ、俺の手で捕獲して食べても、いいのだろうか。野生動物保護法とかいう法律あるはずだけど。どうなんでしょう。もっとも、俺に捕まるシカは、絶対いないだろうけど。

すごい風景。大きな谷の反対側斜面の上のほうに、民家が見えた。川からは、100mくらい上だ。どうやってあそこまで行くんだろうか。もちろんどこかに道は続いているんだろうが。

下りきると、国道193号線に出る。それを左折、南にいく。那賀川の出合橋で、国道195号線に入る。橋を渡り西へ向かう。

木頭村は木頭ゆずの産地。役場で栽培場所を聞いた。「このあたりはどこでもゆずを作ってますよ」というとおり、役場を過ぎて1kmくらいもっと西(高知県境側)に走ると、道の両サイドにはゆずの木が。ゆずの黄色が朝日に輝いている。目のさめるような色だ。

ある集落に降りていった。神社があって、そこに車を停め、ゆず畑のほうに歩いていくと、おばあさんが休憩中。ゆずの畑の写真を撮りに来ましたというと、@@さんのところは、もう熟しているから、その畑がいいでしょうと教えてくれた。収穫は11月になると最盛期を迎えるらしいが、ぼちぼち収穫している人の姿も見える。

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ところで、このおばあさん、背中に何かの長い葉を背負って歩いていて、そこで休憩していた。最近ではなかなか見なくなった昔ながらの荷物の運び方。中国雲南省では今でも日常的に見るけど。ところがあとで、おばあさんは、車を運転して町の商店に買い物に来ていた。荷物の運び方も、新旧使い分けてるということだ。

商店に入ってみたら、ちょうど地元産のゆず商品が置いてあった。木頭産の契約栽培ゆず、国産蜂蜜、四国剣山系の地下水で作った清涼飲料水「ゆず みつ」(180円)。程よい甘さが喉に優しい。

それと、ゆず果皮と砂糖で作った「木頭ゆずカンロ」(370円)。今回は酒が飲めないし、甘いもの好きな俺としては、運転中に口寂しいときにはうってつけ。

195号線から海川口から橋を渡って、県道に入り、4km下ると、国道193号線に戻った。これで、太平洋にまもなく出るつもり、だった・・・。

ところが、この193号線は、すごかった。ほんとに国道か?と思うほど狭い道のカーブ連続で、それが延々と続くのだった。この道、通る必要あったのかな? と、言いながら、山越えの道、嫌いではない。すごい風景に出会うのも、こんな山道だから。

海南町に入ると、道はようやく国道らしくなったが、海まではまだ少しあるので、駐車帯で休憩。ブログを書く。静か。車がほとんど通らない国道193号線だった。

海に出て国道55号線を南に下り、宍喰町の水床湾に寄る。室戸阿南海岸国定公園になっている水床湾は、「阿波の松島」と呼ばれている、岬や入江が入りくんだリアス式海岸。閉鎖された国民宿舎の敷地から見晴らしがいいと聞いたが、それほどでもなかった。

国道55号をさらに南下。東洋町で国道493号に入る。山道だ。また193号のようなすごい道なのかと思ったら、意外とそうではなかった。峠を越して下り、北へ向かう県道12号線を右折。馬路村に入る。

魚梁瀬の手前、ダムの展望台に清掃中の作業員がいたので、「このあたり、美林があるそうですが」と聞くと、「それは『千本山』のことでは?」という。スギやヒノキの林なのだという。「きっとそれです」といって、行き方を聞いた。

村の入り口に案内板もあったし、「千本山」への立て札も立っていたので、迷うことはなかったが、遠かった。着いたのは、4時半を過ぎていて、うっそうとした林に夕暮れが迫り、ちょっと怖い雰囲気。当然、この時間では、もうだれもいない。木の葉が落ちてくる音に敏感になる。

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ここは「土佐森林浴の森50選」にもなっているし、「千本山林遺伝資源保存林」にもなっている。天然魚梁瀬スギをはじめとする貴重な動植物の宝庫だそうだ。

千本山の頂上までは、登山道がついている。30分ほど、途中まで上った。そこから美しい自然林を眺めることができた。

車に戻ったときには、暗くなっていた。早く山を降りたい気分。俺は意外と臆病なところもある。

魚梁瀬を過ぎ、馬路村の中心部を通り、道に迷い、人に道を聞き、安田町の海に出た。国道55号線に戻って、北西へ。5km先に、「道の駅 大山」があった。ここでブログを書き、アップ。そして宿泊も。今日は一日山道で、さすがに運転は疲れた。

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2007/10/23

2007秋、車中泊の撮影旅 (16) 明石海峡大橋、洲本市由良

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10月23日、火曜日、晴れ

昨日、「道の駅 あわじ」に泊まったが、明石海峡大橋は夜、ライトアップされる。巨大な橋。よく、こんなものを造れるもんだと感心する。

考えてみれば、大学の卒業研究が、たしか(違っているかも)、金属材料の両端を固定したときの、揺れの解析みたいなものだった。こういう橋にも応用されているのだろうか。

それにしても、卒業してから20年以上たつが、だいぶ違う「道」を歩いてきたなぁと思う。かたや、橋を造る人間になり、かたや、その橋を不思議がる人間。

今朝、6時半に起きてから、橋の周辺を散歩した。気持ちいい朝。橋の下を昨日乗った「たこフェリー」も通る。大型船も何艘か通過した。岸には人が朝早くから20人ほど来ていて、釣りをしていた。

国道28号線を南に下る。広々とした風景の中を走る、快適な道だ。45分ほどで、洲本市に着いた。

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ここから国道を外れて、県道76号線に入り海沿いを走る。市内から数km先に、目的地の由良がある。この由良港と、由良港を囲むようにある成ケ島を見渡せる「展望台」の標識があった。「展望台」というほどいいところではなかったが、他にないらしいので、ここから写真を撮る。(写真) 時間や時期を違えればまたいい写真が撮れるかも。

県道に戻り、先へ進む。人家もない山道。ジャングルのようなところを行く。突然、「ナゾのパラダイス」という看板。????

怪しい・・・。バブルで放棄されたテーマパークか何かかな?と思った。すると目の前に、「朝日テレビ探偵ナイトスクープ紹介」と書いたゲートが現れた。怪しすぎだー。でも、閉まってる。

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その先、150mほどのところにドライブイン。通りかかったら、おばあさんが笑顔で、「いらっしゃい」という。それで車を止めてしまった。俺は、ばあさんの笑顔に弱い。

「ナゾのパラダイス」とはなにか、聞いた。「男女交合です」という。ますますわからなくなったが、まぁ、いやゆるそういったたぐいの展示物があるということらしい。これは有名(DVDも発売されている)だそうで、知ってる人は知ってる「パラダイス」なのだろう。

何年に一度、ちゃんと警察の監督も受けている。「これはOK、これは駄目」とか言われるらしい。こんなネット時代になったからこそ、アナログな場がウケているのかも。

でも、こういうものは、ひとりでまじめに見るものではないので(しかも、他の観光客もいないし)、入場料500円はケチった。それにしても水仙園といっしょに経営しているのが面白い。

経営者はおじいさん(草刈中で不在だった)らしいので、たぶん、そのおじいさんがアイディアマンなのかもしれない。他に「平家の資料館」なるもの(なぜか、入り口にはゴジラ?の石像)もある。

おばあさんは言った。この県道ができる前から水仙を作っていた。昔は、水仙を背負って山道を運んでいた。それを大阪に出荷していた。道ができてから、観光客が増えた。水仙の時期になると、観光バスもやってきて、大混雑するという。

「ナゾのパラダイス 立川水仙郷」の看板に、「3倍おもしろい」と書いてあったが、水仙より、3倍おもしろいという意味だろうか? でも、2倍でも4倍でもないんだなぁ。

ナゾのパラダイスを去って、10kmほどいくと、モンキーパーク(野生のサルがいるらしい)があり、さらに先には、別な水仙園、黒岩水仙郷があった。こっちは「普通」に見える。俺は、さっきの水仙郷の方が気になる。

鳴門海峡に到着。「道の駅 うずしお」へ。ここで、うず潮を見ることができる。時間的に、まだ4時間くらいあるようなので、それはまた、ということで、四国へ渡る。

でも、大好きなフェリーがない。他に方法がないので、全長1629mの大鳴門橋を渡る。道の駅から2kmほどのところに淡路島南インターがあった。そこから入って、りっぱな橋を渡り、四国は徳島県に上陸。鳴門北インターで降りた。わずか7分の高速道路。

鳴門市内にマックがあったので、昼食兼、ブログ書き。これから徳島市を抜け、山へ入るので、当分ピッチは圏外。ブログのアップができないので、今日は早めに、ここでアップ。

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2007/10/22

2007秋、車中泊の撮影旅 (15) 湯浅町のミカン畑、淡路島

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10月22日、月曜日、晴れ

昨日の夕方、「道の駅 明恵ふるさと館」でブログをアップしたあと、まだ寝るには早いので、一仕事しようと、道の駅の青年に、近くにマクドナルドありますか?と聞いたら、自分もそっちへ行くので、後ろ着いてきますか?と親切にいってくれたので、連れて行ってもらった。車で20分、湯浅町にあった。旅先では、マックが仕事場だ。終わって、道の駅に帰る。

今朝、7時前に道の駅を出発直前、ちょうど昨日の青年がやってきてあいさつする。「昨日、無事に戻れました?」「わかりやすい道を帰ってきたので、何とか」

国道42号線、湯浅町手前にコインランドリーがあったので、洗濯。そのあと、県道20号線に入り、通学途中の学生をたくさん追い抜きながら、役場を探す。役場は、町の中心部の昔ながらの細い通りにあって、建物自体も昔のままで、かえって趣がある。

湯浅は、散策するのも面白そうな町だ。ここは、醤油発祥の地だという。鎌倉室町時代からの手作りの醤油があるらしい。

ここで、果樹園の場所を聞いた。それによると、町中がミカン畑だが、海と島とミカン畑がいっしょに見れる場所があるはずというので、その場所を聞いた。だいたいの場所さえ聞けば、あとは自分で探すしかない。

県道20号線に戻り、海沿いの道に出た。漁村のはずれに役場で教えられた寺があり、坂道を登っていった。ミカン畑が続く。収穫が始まっているらしく、地元の軽トラックがひっきりなしに通るので、車の駐車場所を探すのに一苦労した。

でも、上からの漁村とミカン畑の雄大な風景はいいね。山を一つ越した東側に見えていた町は、湯浅町だろうか。コーヒーを沸かして飲み、しばらくボーっと海を見ていた。今日は快晴で、気持ちいい。

坂を下り、県道に戻り、北へ。有田市、海南市、和歌山市などを通過し、国道26号線をずっといくと、大阪駅の近くまで行ける。そこで、国道2号線を左折し、神戸の方向へ。

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明石市に着いたのは、午後4時40分。意外と時間がかかってしまった。淡路へ渡る「たこフェリー」は、次、5時10分発だった。所要時間は20分だけ。

出発して、西側を見たら、ちょうど夕日が海に沈んでいこうとしていた。いわし雲が出た。旅するカップルが、携帯で夕日の写真を撮っていた。淡路に着く直前、明石海峡大橋の下をくぐる。

フェリーを降りて、すぐ近くの「岩屋温泉」に来た。石鹸で髪を洗う昔ながらの温泉。浴槽は、3階部分にある。明るかったら、海も見える。お湯は良かった。560円。受付のおばさんによると、ここは30年前からやっているという。

休憩できるちょっとしたロビーは、近所の人たちの憩いの場でもあるらしい。酔っ払って風呂に入ったおやじが、ふらふらで着替えていたり、なんだか面白い雰囲気だ。俺は、半分は理解できないその会話を耳にしながら、このブログを書く。耳が慣れないと、同じ日本語でもよく聞き取れないということがあるんだね。

明石海峡大橋のふもとにある「道の駅 あわじ」に泊まる。温泉は、圏外なので、道の駅からアップする。

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2007/10/21

2007秋、車中泊の撮影旅 (14) 四郷串柿の里、有田川「あらぎ島棚田」

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10月21日、日曜日、晴れ

昨日は、桜井市のマックでブログをアップしたあと、13kmほど南、大淀町の、「道の駅 吉野路大淀iセンター」で泊まった。

今朝、6時過ぎ、ざわざわする音にめを覚ました。地元の農家の人たちが農産物を運び入れているのだった。今日は朝市の日らしい。

国道370号線に出て、五條市からは24号線で西に進む。これと北側に平行に走っている、紀ノ川広域農道に入る。山際を走る風景が美しい道だ。柿とミカンの生産地。

国道480号線にぶつかったら、北上、かつらぎ町の四郷というところへ行った。ここは、「四郷串柿」で有名な、柿の里だ。480号線は一部工事中で、通行止めの手前から、左の道に折れて、とんでもない狭い道を行ってしまったが、(あとで迂回路があるのを知った)4kmほど進んだ山の中腹に民家の屋根を見たときには、やっぱり村があったんだと、ほっと一安心。

急坂を登っていくと、7,8軒の民家が並ぶ村だったが、柿の木だらけで、さすが柿の里。皮むきの作業をしていた夫婦がいて、話をうかがった。今、皮むきをしているのは、食べるための柿だ。

串柿というのは、食用というよりは、お供えなのだという。正月用らしい。だから、まだ早いので串柿を干していない。

串には10個の柿を刺し、吊るして乾燥させる。その光景はすごいらしく、11月10日過ぎ、その最盛期になると、写真を撮るためにたくさんのアマチュアカメラマンたちがここを訪れるとのこと。

柿の直売所なんかはないのですか?と聞いたら、いくつかあるという。この村から、いったん国道に出て、下ったところの村に、2軒店があった。

そのうちの1軒「峠の茶屋」を覗いたら、おばあさんがいた。その笑顔に引き寄せられるように、俺は店に入っていった。

柿はもちろんだが、餅も売っていたので、緑のヨモギ餅と、赤いエビ餅(餅に小エビを混ぜてあり、あんこを包んでいる。アイディア商品だ)を1個づつ買い、そこにあったテーブルで食べた。おばあさんは、お茶を出してくれた。

ほんとに、昔の茶屋はこんなふうだったのではないだろうか。この気取らない民家の軒先と人柄が、すっかり気に入ってしまった。

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おばあさんは、83歳。この店を営業して16年になる。今は、おばあさんの娘さんが手伝っている。全国の棚田や畑の写真を撮って旅しているというと、棚田に興味があるというので、写真集『アジアの棚田 日本の棚田』を見てもらった。これには、これから行こうとしていた、和歌山県有田川町の「あらぎ島」の棚田も載っている。もちろん、彼女たちもこの棚田は知っていた。

柿をごちそうになってしまった。みずみずしい甘い柿。(写真) お礼に、ポストカードをあげた。この店が気に入ったのは、店名通り「峠の茶屋」の雰囲気があり、おばあさんの笑顔がよかったからなので、おばあさんの写真を撮らせてもらった。ブログに載せてもいいというので、今日の写真は、このおばあさんの写真です。

すっかりのんびりしてしまった。出るとき、「これ、もってって」と、また柿をもらってしまった。ありがたく、いただきます。

四郷から、山を下り、国道480号線に入り、高野山へ。日曜ということもあってか、高野山までの道は車で混雑していた。高野山には観光客がたくさん。今回は、通過した。

高野龍神スカイラインを走る。尾根道なので、山並みがよく見える。途中から、花園村に下りて、国道480号線を西へ。

有田川町の棚田「あらぎ島」へ。ここは大きく変化していた。まず、棚田の後ろ側にバイパスができたので、風景が変わってしまったこと。そしてバイパスのおかげで、棚田を見る道は、車が通らなくなったので、静かに見学できるようになったこと。(昔は、大型トラックなどひっきりなしに通って危なかった)

写真的には、正直、バイパスがないほうがいいのだが、でも、地元の要請があってこうなったのだろうから、なんともいえないところだ。

でも、やっぱり、ルートは変更できなかったとしても、橋の色とかは、目立たないように何とかできたのでは?と、疑問が残る。一応、この棚田は、町の顔であったはずだし・・・。せっかくの風景なのに、もったいないと考えるのは、旅人の勝手な思いだろうか。

清水温泉のところにある物産展に寄ってみたが、まだ、新米は出ていなかった。店員の話では、そろそろJAから新米が届けられると思いますという。新米を買おうと思っていたので、残念。

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食事処「赤玉」に入った。以前、棚田百選の取材中、この店の「わさびずし」を撮らせてもらった。店主は、不在だったが、店には『日本の棚田百選』がおいてあったので、「この著者です」と店員さんに自己紹介し、今回も「わさびずし」をブログに載せさせてもらうことにする。

赤玉といったら「わさびずし」。サバかアユの煮つけを載せたすし飯を、ワサビの葉で巻いたもの。昔食べたとき、美味しかったので、今回も是非と。

「わさびずし定食」(1000円)、わさびずし3個と、うどんか、そばか、ラーメンを選ぶことができる。(写真)

食事後、国道480号線を和歌山方向へ下って、金屋近くの「道の駅 明恵ふるさと館」に泊まる。

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2007/10/20

2007秋、車中泊の撮影旅 (13) 室生村深野、吉野町「国栖の里」割箸作り、明日香村稲渕棚田、二上山

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10月20日、土曜日、晴れ時々曇り

今日は、朝から晩まで写真も撮ったし、取材もしたので、今日のブログは長いよ。覚悟して。

今朝、「道の駅 室生」を6時20分に出発。三重県名張市方向へいったん向かい、数km先から、左折して山道をひたすら登っていく。すると、深野集落に着く。一見していいところだなぁと思う。

ちょっと小雨もパラついたが、7時半をすぎたころから晴れたり、曇ったり。手前には、民家、柿の木、棚田。遠くの山並みが霧でかすんでいる。時々、日の光が当たって、山の稜線を浮き上がらせる。

集落の中に、深野神明神社がある。この前で写真を撮っていると、1台の車が止まり、カメラを持ったおじさんが降りてきた。「光があればいいんだけど」おじさんが来たとたん、曇ってしまったのだった。

おじさんは田んぼに植えてあるコスモス畑の中に入って写真を撮っていた。戻ってくると、「この近くにいいポイントがあるので、いっしょに付いてくるかい? にいさんが気に入るかどうかわからんけど」というので、「いいですか? 気に入らなかったら戻ってくるだけだから」

それにしても、地元の人の運転は速い(あとで、滋賀県人だと知ったが)。付いていくのがやっとだ。「近く」といったが、20kmくらいは走っただろう。狭い山道をすいすい飛ばしていく。

最後、標識もないせまい道へ入ってぐんぐん上っていった。そこが、おじさんお勧めのポイント。たしかに良いね。おじさんは何度も滋賀から車を飛ばしてここまで写真を撮りに来ている。2週間前に撮ったという、靄がかかったこの風景のプリントを見せてくれた。

谷を挟んで両サイドに民家がある集落はそれほど多くない。美しい山里だ。「ところで、ここは何ていう村ですか?」と聞いたら、おじさんはまったくわからなかった。道は知っていても、ここが何町、何村のどこかもわからないという。でも、写真を撮るにはそれで充分ということだろうか。あとで地図で見てみたら、室生寺の近くだった。

今日は、吉野町の「国栖の里」で、人と会う約束をしていたので、昼前までには着かなければならなかった。それで、このおじさん、いろんなところ案内してくれるというのだが、俺にかまわないで先に行っていいですよと断った。案内してもらったら、面白かったと思うけど、残念。

おじさんを見送ったあと、日が出るまで粘ってみた。そろそろ時間なので、切り上げ、いったん下の方に下り、向かい側の谷に上ったら、おじさんが言ったとおり、棚田があった。

どこをどう走ったのか、最終的には、県道16号線に出て、昨日通過した吉野町「国栖の里」に到着。11時半だ。約束した人というのは、ここの割箸協同組合の人。昨日電話して、割箸作っている人を紹介してもらうことになったのだ。

今回の旅、適当に旅しているように見えるでしょうが(実際、9割方はそうだけど)、どうしても、寄りたいところが何ヶ所かある。伊勢神宮の祭り「初穂曳き」もそうだし。吉野の木材を使った割箸作りの人にぜひ会って、あることを聞いてみたいと思っていたのだ。

協同組合の場所がわからず電話しようとしたが、俺のピッチは圏外なので、民家を訪ねて、場所を聞いた。でも、その人は、場所を知らなかったので、電話してもらい、それでようやく場所もわかった。(この人の苗字、昆布さんという。この話、長くなるのでこれ以上触れないが)お礼をいい、協同組合へ向かった。

そこは、観光協会も兼ねていた。迎えてくれた職員に、Tさんという割箸作りの人の工場を教えてもらった。

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Tさんに話を聞く。吉野の割箸は、スギとヒノキを使う、日本でも最高級の割箸を作っている。スギの間伐材の真ん中から柱などを取ったあとに残った端材で作る。中国の安い割箸の作り方とは違う。

端材で作っているので、木の有効利用だし、そうすることで、山を育てるということにもつながる。山に貢献していると思うとTさんはいった。

それで、俺が一番聞いてみたかったことというのは、いわゆる「自然環境保護」を訴える人に「割箸は、使い捨てだからいけない」という人がいる。たまたま、今回の旅の2日目、ラジオを聴いていたら、まさに、こういう人(学者だったかな?)がラジオで、堂々と「使い捨てにする割箸は良くないから、私は『マイハシ』(私の箸という意味だろうが。つまり塗箸)を使ってます」といっていた。

そこで、俺は素朴な疑問を聞いてみたい。どうして使い捨てにする割箸は悪くて、使い捨てにする注射器や浣腸器、(リサイクルされるというけど)使い捨てにされるパソコンは問題にしないのか?と。どうして、割箸だけが目の敵みたいに、「使い捨て」の標的にされるのか。森林保護というなら、些細な量の箸材ではなくて、建築材を非難すべきなのでは?と、俺は思うんだけれどね。

しかも、「マイハシ」を使ったからといって、それを洗剤つけて洗うんだったら、環境に対する負荷は、どっちにしろかかる。俺が嫌だと思うのは、「マイハシ」を使うことで、自分だけは環境に対して「いいこと」をしてる、みたいな匂いがぷんぷんすることだよ。

そこが、どうしてもわからない。俺を納得させてくれる理由があるなら、喜んで「マイハシ」を使わせてもらうけどねぇ。

それで、生産者はどう思っているのか、聞いてみたかった。

Tさんは、穏やかなものの言い方をした。「どっちが環境にいいかわるいかなんて論争はじめたら、しかたないことで、割箸にも、塗箸にも、それぞれ使い道があります。割箸文化と塗箸文化は違う、ただそれだけです」

割箸は使い捨てでけしからんという意見に「怒っています」というコメントを期待した俺は、ちょっと反省。そうなんだよね、Tさんが言うように、どっちが良いとか悪いという話ではないんだろう。両方とも、違ったものとして認め合わなければ。

俺は、別に、割箸生産者の味方ではないが、あまりにも不公平な扱いを受けているのを見ると、どうしても、肩入れしたくなってしまう。まぁ、へそ曲がりなんでしょ。みんなが、そうだと言えば、違うと言い、みんなが違うと言えば、そうだと言う。

ほんとは、もっと言いたいことあるんだけど、今日はやめておく。また、旅を終えたあとに書きます。

ところで、Tさんは、吉野の木材や和紙をもっと知ってもらおうという目的の「吉野山灯りコンテスト」に、行灯ふうの照明具を出品し受賞した。それを見せてもらったら、ぬくもりのある暖かい明かりを出す照明だった。毎年行われている。吉野の木と紙を使ったものならば、だれでも出品できるということなので、どなたか挑戦してみては。

Tさんと別れ、もう一軒、今度は和紙の工房を訪ね、乾燥中の和紙の写真を撮らせてもらった。

国道370号を西に進み、県道15号線を入る。狭い山道を抜けると、開放感のある谷に出るが、そこが、明日香村の稲渕。棚田百選の棚田がある里。案山子と彼岸花で有名な棚田でもある。ここへ立ち寄ったのは、数年ぶり。看板と駐車場と、直売所ができていたのが、以前とは違っているところ。あとは同じだ。

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まだ少しだけ黄色い稲が残っていたが、9割がた稲刈りは終わっていた。ハサ掛けされた稲の匂いがいいね。(写真)

ここは、石舞台古墳からも近いので、棚田を散策する人がたくさんいた。サイクリングする人たちも、ここを通るようだ。暑くもなく、寒くもない、絶好の棚田日和。

石舞台古墳のすぐ近くに、「太子の湯」という温泉を見つけて入った。500円。サウナもあり、浴槽には、テレビも完備。

久しぶりで観たテレビは、お笑い芸人の番組。なんだか、外国のテレビ番組を見ているような、遠い感じがした。俺は日本を旅しながら、外国人になっているのかもしれないと感じた。お笑いが、ぜんぜん面白くないのだ。なんだろう、この違和感。

桜井市に寄った。ここで一ヶ所、撮影したいものがあったが、役場でもわからず、駅の観光案内所も開いていず、場所がわからないので、今度にする。(このくらい、調べてこいよー)

西へ向かう。橿原市、大和高田市で道に迷いながらも、當麻町の「道の駅 ふたがみパーク當麻」へ。日暮れまでには間に合った。

ちょうどここが二上山のふもとにあり、道の駅に車を停め、近くの田んぼまで歩いて、田んぼと山の写真を撮る。ちょうど夕日が山の陰に落ちて、じゃっかん、雲がオレンジ色に変わった。

暗くなってから、ふたたび移動。桜井市まで戻り、マックでこのブログを書く。今日は長いので、アップするのもこんな時間になってしまった。今日はよく動いて、疲れた。


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2007/10/19

2007秋、車中泊の撮影旅 (12) 奈良県川上村、吉野杉

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10月19日、金曜日、雨

今朝6時起床。ラジオを付けたら、天気、雨になるらしい。それで、突然ルート変更。ほんとうは、紀伊半島を海沿いに回るはずだったが、雨のときは、山がいいので、熊野市に戻り、そこから山越えして、奈良県に向かうことにする。(車中泊はフットワークが軽いのだ)

熊野市から国道42号線で北へ走り、小坂峠を過ぎて、国道309号線に入り、山道を進み、県境を越え奈良県に。国道169号線を、上北山村から川上村へ。

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運転は注意しないといけないが、雨に煙る山々は美しい。紅葉が始まりかけているところもあった。黄色い落ち葉が道に張り付いている。あまり車も来ないので、ゆっくり走ることができた。時々激しく雨が降り、前方がよく見えない。ライトは点けっぱなし。

川上村は吉野川の源流・水源地の村だ。役場は、「道の駅 杉の湯川上」の隣にあった。ここで、吉野杉の「美林」を見ることのできる場所を聞いた。応対してくれた職員は3ヶ所教えてくれた。チゴロ渕と小谷。

雨でなければ、歩いていくところに樹齢300年以上の日本最古の人工林もあるらしいが、今日はあきらめた。

むしろ、今の林業景観を見たいという俺の目的からは、紹介された3ヶ所のほうがいいとも言える。(と、言い訳して、雨のトレッキングをズルした)

車で行くのはいいが、やっぱり写真を撮るとなると、雨の日は大変だ。まず、国道を南に戻って、白川渡から橋を渡り1.5kmほど山に入ったところ。ここがチゴロ渕。

役場の職員は、行けば「オッ」と驚きますと言っていたが、確かに、すごい。いや、すごい、というより、杉林がこれほど美しいものだとは思わなかった。ちゃんと間伐して、手入れされている。丹精こめて育てている、という感じが伝わってくる。

これこそ、人が作り上げた文化的景観の美しさ。樹齢270~280年だという。周辺の杉林との違いは一目瞭然。そのコントラストに、ちょっと複雑な心境。赤字で手の入れられない杉林も多いと聞いた。

ここは、林業会社の所有地なので、「無断で林内立入り禁止」の看板。それと「ゴミを捨てないで」という看板も。

道の駅に戻り、今度は、東へ向かう道を登っていく。約4kmと、約6km行ったところに杉の巨木が林立。教えてくれたのはここだろうか?と迷うことはなかった。皮肉なことに「ゴミを捨てないで」の看板が立っているので、ここだとわかる。こちらは樹齢が250~260年。りっぱな巨木だ。

国道169号線を下り、大滝から県道262号線に入って、吉野町の国栖の里に出て、国道370号線、165号線で室生村へ向かう。

それにしても、今日は一日中雨、雨、雨。雨も悪くないが、こう降り続くとなぁ。写真が撮りづらい。明日は晴れるそうなので、今日はゆっくりしよう。


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2007/10/18

2007秋、車中泊の撮影旅 (11) 風伝おろし、丸山千枚田、本宮大社、速玉神社

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10月18日、木曜日、晴れ一時曇り

昨日は、猪垣を見たあと、熊野市に戻ったが、風邪がぶりかえしたようで、ちょっと頭痛がしたので、10km先にあった「道の駅 パーク七里御浜」で、早めに横になった。

今朝は、6時40分に起きたが、頭痛はすっかり治まった。風邪は大丈夫だと思う。

7時20分に出発。道の駅から、南に2kmほど行き、県道62号線を右折。しばらく走ると、「あっ! もしかしたら、あれが・・・」

実は、昨日地元で手に入れたパンフレットに、御浜町の写真が載っていて、その中に、山から滝のように雲(霧)が流れている写真があった。ただ、これはよほど条件が整わないと見ることができないようなことが書いてあったので、すっかり忘れていたのだが、なんと、今日、その「好条件」がぴったり重なったようだ。

どこから見ればいいのかわからなかったが、とにかく近づいてみることにした。スピードを上げたくなる気持ちを抑えつつ、でも、やっぱりスピードを出してしまったが(山道で危ない)、なんとか、その現場までたどり着いた。

とにかく、これは朝しか見れない現象だろうと想像できたので、なるべく早く写真を撮っていたほうがいいだろう。がむしゃらにシャッターを切った。そのうち、落ち着いてきて、場所を移動。小学校の近くにいいポイントがあった。

写真を撮っていると、小学生が数人歩いてきた。「おはようございます」彼らのほうから先に挨拶してきた。田舎の子は、ちゃんとしてるよね。「これ、すごいね。何ていうの?」すると、男の子が「フデオロシ」といった。「フデオロシ?」 別な子が「フウデンオロシ」といった。あとで調べたら、「風伝おろし」という自然現象だとわかった。

「いつも見れるの?」「ほぼ毎日、見れます」「朝だけ?」「はい、昼にはなくなるよね」「これから授業? しっかりね」「はい」

それにしても、すごい。雲が山頂から滝のように流れているようだ。だんだん時間がたつにつれて、やっぱり、雲が少なくなっているようにも感じる。

また場所を移動する。集落、棚田を手前にして「風伝おろし」が見れるポイントがあった。そこに、地元の新聞社の人も来ていた。「今日は写真的にいい条件ですよ」という。雲の出方は大目だし、背景に雲がなく、青空なので、風伝おろしがはっきりわかります」という。この「風伝おろし」は、秋から春にかけて見れるものだが、いろんな条件が重ならないと、これほどちゃんとしたやつは見れないのだという。

「所沢ナンバーなので、こっちに移住した人かなと思いましたよ」といったので、「今、旅の途中ですが、棚田を撮ってるので、今日の写真はいいですね。手前に棚田があるし」「なるほど、そうですね」 名刺交換した。もしかしたら、明日の朝刊にこの写真が載るかも、といっていた。

もし、昨日風邪をひいていなかったら、御浜町こに泊まることもなかったし、この県道を通ることもなく、知らずに通り過ぎていたかもしれない。何が「運がいい」ことで、何が「運が悪い」ことなのか、こうなると、ほんとにわからなくなる。

そこから国道311号線までは近かった。トンネルを抜けた。とたんに曇りになった。この天気の変わり様はなんなんだ? 「風伝おろし」の雲は、こちら側の雲だったのだ。まぁ、考えてみれば、あれだけの雲が流れるというのは、こちら側にそれだけの量の雲がないと駄目なわけで。納得した。

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県道40号線を右折して、丸山千枚田に向かう。村の入り口の展望所からは、棚田が一望できる。そのまま村へ降りていく。千枚田荘まで来たが、残念ながら季節はずれだからか、営業していなかった。

30分ほどすると、雲が消えて晴れた。地元のおじいさんと立ち話。お客が来る時期じゃないと千枚田荘は営業していないという。棚田米を買いたかったというと、役場の隣に「ふるさと公社」が移転したので、そこなら買えると教えてくれた。

棚田百選を撮影中は、この千枚田荘に泊まったこともある。棚田米も買った。6月くらいだったか。翌朝は、霧が出ていた。幻想的な棚田を撮影できた。

コメの銘柄を聞くと、コシヒカリは、病気に弱いし、肥料をたくさん使わないといけないので、ここでは、アキタコマチを作っている、とのこと。

おじいさんは、輪島市の白米千枚田に行ったことがある。あそこは棚田も適当な規模で海に面して美しく、漆や朝市など、観光資源も多いので、お客さんも輪島市に宿泊するという。「棚田が生きてる、と思った」といった。

丸山千枚田に来ても、お客は、みんな写真撮ったらおしまいで、那智勝浦あたりに泊まるので、熊野市にはお金が落ちない。(俺は、那智勝浦どころか、車中泊だ。) 高齢化で、田んぼは年々少なくなっている。熊野市にも働ける場所は少なく、若い人は、名古屋に出てしまうからだ。

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おじいさんと分かれて、国道311号に戻り、役場横のふるさと公社を訪ねた。そこで、「丸山千枚田で獲れたお米」5kg(2500円)と、2kg(1200円)2袋づつ買った。今年の新米だ。

国道をそのまま西へ進み、北山川沿いの道をくねくねと進む。168号線とぶつかり、それを右折。熊野川をさかのぼる。川沿いだが広い道だ。開放感を感じる川。やがて、熊野本宮大社に。

お祈りしてから、さらに奥へ。「道の駅 奥熊野古道ほんぐう」から数百メートルいった交差点を左に入り、発心門まで。ここに「美林」があると聞いてきたのだが、もしかしたら、これのこと?

「ほんまもん ロケ地」の看板。NHKの朝ドラだ。その隣の巨木。「山太郎の木」と呼ぶそうだ。「山太郎」とは熊野の方言で、「山で一番大きな木」を意味するという。これは杉で、樹高43m、樹齢200年、胸高円周3.6m。これかぁ・・・。こんなこともあるだろうけど。

本宮に戻り、国道168号線を新宮に出た。市街地の手前6kmくらいのところから、山に入った高田集落に、「雲取温泉」というのがあった。「高田グリーンランド」という施設の一部だ。温泉はアルカリ性で、少し白い。山の緑を見ながらの露天風呂もある。400円。なかなか良い。

新宮では、熊野速玉神社へ寄る。もう4時を過ぎていたせいか、境内はひっそりとしていた。後ろに控える杜のりっぱなこと。

町から数km北にある、「道の駅 紀宝町ウミガメ公園」に泊まる。

ところで、この近くの井田海岸では、地引網をやっていたのだが、今、砂浜が短くなったせいで(? 詳しい事情はわからないが)、地引網をやらなくなってしまったと、昨日、地元の人から聞いた。この地引網も写真に撮りたかったのだが、やってないなら仕方ない。

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2007/10/17

2007秋、車中泊の撮影旅 (10) 紀北町、熊野市 「熊野古道」

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10月17日、水曜日、晴れ時々曇り

昨日、三重県紀北町の「古里温泉」から「道の駅 紀伊長島マンボウ」に戻って、土産売り場を覗いたら、「紀伊長島名物 いか飯コロッケ」(500円)というのがあった。サザエ、ホタテなどが入った炊き込みご飯をイカに詰めて揚げたもの。どんなもんか買ってみることにする。ついでに、「めはり寿し」(520円)もいっしょに買って夕食にした。
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「いか飯コロッケ」は、意外と油っぽくなくてうまかった。「めはり寿し」は、以前紀伊半島に来たとき、友人から教えられて食べたら美味しかったものの一つ。今回は、何度か食べる機会はあるだろう。

今朝、7時に出発。天気はまずまず。国道42号線を南に下る。紀北町と尾鷲市との境の峠、馬越坂の石畳道に寄った。(↑の写真)

桧とシダに囲まれて、苔むした石畳の道が2kmほど続いていた。説明書きによると、「くまの道と呼ばれた熊野街道の一部で、古代から熊野三山信仰に伴って開かれ、その後、大正初期に旧国道が整備されるまで、当地方の幹線道路だった。」とある。

熊野市に出て、そこから国道311号線で海側へ。この国道沿いも、熊野古道が点々と残っている。

その中のひとつ、二木島の「曽根次郎坂太郎坂」に行ってみた。ここを選んだのは、この古道に「猪垣(ししがき)」が残っていると聞いたからだ。今年、6月に大分県に行ったときも、シシ垣を見た。イノシシ除けに積み上げた石垣だ。これと目的は同じ。

二木島のバイパスを走ると、「古道」の標識を見つけたが、どうも入り口がよくわからない。うろうろしていると、ひとりのおじさんが「どこへ行くん?」と声をかけた。

「猪垣を見に来たんですが」というと、このあたりには、猪垣は多くあるが、ここの猪垣は特別りっぱだという。実はこのおじさん、このあたりの地主さんで、近くの「太郎坂広場」という展望台も自分で作ったらしい。

昔の殿様は、敵から攻められないように、道は山の尾根に作った。そして、猪垣は、イノシシに困った人たちの願いから、公共事業として作られたらしい。二木島の畑を荒らされないように。

「今もイノシシは出るんですか?」と聞くと「今こそ、出る。過疎化が進んで、人がおらんようになったからな」

入り口はあそこだよ、と言われたところは、バイパスから急坂を上る、幅50cmほどの狭い階段なのだった。ちょっとわかりにくい。

おじさんは言う。「猪垣記念碑があるから、必ず見るように。それと、刃物持ってる?」「何でですか?」「野犬が出るかもしれん」「出たら、カメラのフラッシュで撃退します」

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うっそうとした古道を登っていくと、大きな木の根元に猪垣記念碑があった。何か字が彫ってある。ちゃんと見たよ、おじさん。(読めないけど)

縦横3m、深さ3mの、「猪落とし」という落とし穴も残っていた。これもおじさん、言っていた。石垣は、2列になっていて、その間を走らされたイノシシは、最後にこの穴に落ちたという。(もちろん食べたんだろうね)

看板が立っていた。「この猪垣は、熊野地方でも群を抜いてみごとなもので、高さは約2~3mある。他の地域では見られない猪垣記念碑があり、寛保元年(1741年)3月上旬から翌年の2月までに1年がかりで築いたと記されている。食糧増産が至上命題であった戦時中の昭和20年前後は、この猪垣の下まで開墾され、イモ類、麦が作られた。その後昭和30年代後半になってミカン栽培が全盛期を迎えたが、高度成長期に入って作る人も減り、今ではほとんど荒れてしまった。」

2列になった猪垣の間を、イノシシになった気分で通ってみる。一番高いところで3mくらいあり、飛び越えられない。何枚か写真を撮る。

そこから15分ほど古道を歩いてみた。帰り、どこからかニワトリの鳴き声が・・・。中国雲南省の山の中を歩いていても、こんな感じ。ニワトリと、イヌの鳴き声が聞こえると、「村が近いな」とわかるのだ。

もう一ヶ所、賀田の猪垣も見に行った。その後、国道311号線を引き返し、白い砂浜がきれいだったので、新鹿海水浴場で、休憩、このブログを書く。季節はずれの海水浴場なので、誰もいない。静かだ。

午後3時。これから熊野市のほうへ戻り、このブログをアップ。

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2007/10/16

2007秋、車中泊の撮影旅 (9) 伊勢神宮 内宮「初穂曳き」、紀北町

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10月16日、火曜日、晴れ時々曇り

今朝、6時に起きて、すぐ伊勢市へ向かった。まだ祭りまで時間があるので、コインランドリーを探した。五十鈴川駅近くでみつけた。車中泊の旅で、ちょっと面倒だなと思うのは、洗濯とゴミの問題。

ちょうど都合のいい時と場所でコインランドリーが見つからないこともある。最近は、道の駅もゴミ捨て禁止のところが多いので、コンビニで買ったものはコンビニのゴミ箱にとか、ガソリンスタンドで処理してもらうとか、ペットボトルなどはスーパーでというふうに、なんとか処理しなければならない。

まぁ、それよりも、この少ない持ち物で生活できるということに、意外と自由を感じるので、それほど煩わされる問題というほどでもない。

いかに普段物を持っているか、旅に出るとよくわかる。それこそ、バックパック1個に収まるもので、半年も1年も旅できるのだから、少ない物でも、慣れれば問題ないのだ。

とはいえ、俺も家に戻れば、いろんな物に囲まれて生活するのも嫌いじゃないけど。「シンプル イズ ベスト」などと言うつもりもないし。不便さを知れば、便利さもわかる、ということかな? (えらそう?)

パソコン4台は使いすぎといわれても、俺にとっては必要だしね。気に入った器で料理を楽しむことも大好きだ。まぁ、パソコン、カメラ関連以外の物は、平均的な人より、圧倒的に少ないという自負(?)はあるけど。

こんなこと書いているうち、洗濯と乾燥が終わった。内宮近くの駐車場に行き、車を停めることにする。

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五十鈴川の河川敷では、9時半に出発式があった。偉い人たちの挨拶のあと、神主さんのお払い。お神酒で乾杯。そして川ゾリ(ソリを付けた船)をクレーンで吊り上げて川原に落ろした。

今日の祭りは、地元内宮領の人たちによる、この川ゾリでの初穂曳きだ。勇壮なホラ貝の音や、木遣り唄が響く中、五十鈴川をさかのぼっていく。

昨日と同じように、2本の白い綱で引く。時々、左右の人たちが川の真ん中でぶつかり合い、水を掛け合う。滑って転ぶ人もいて、観客の笑いを誘う。

途中、休憩、昼食をとって、午後3時過ぎ、内宮に到着(するらしい)。俺は、もういいかなと思って、午後1時には離れてしまった。

腹減ったので、キスとウルメの干物焼きの試食後、「おかげ横丁」に寄った。この前、長い行列を作っていた「豚捨」が気になっていた。串カツとメンチカツを買って食べてみる。カツは堅めに揚げてあるが、香ばしくてうまい。昔のカツは堅めだったのだろうか。

3日間滞在した伊勢市。ようやくサヨナラ。ずいぶん、この町が気に入ったもんだ。予定外。でも、おもしろい祭りだったので、充実感はある。

県道13号線で西へ向かい、国道42号線に出た。それを南へ。途中のガソリンスタンドで、このあたりの日帰り温泉を聞いたら、丹生温泉というのがあるらしい。ただ、火曜は休み。残念。

山道を南に進み、荷坂トンネルを抜けると、海が見えた。紀北町だ。「道の駅 紀伊長島マンボウ」で休憩。

情報カウンターがあった。係りの人が、町についていろいろ教えてくれた。日帰り温泉は「古里温泉」。また、この町には、熊野古道が遺されている。明日行ってみよう。食べるところも聞いた。マンボウ料理が名物だが、予約が必要らしい。などなど。

それと、嬉しいことに、パソコンが置いてある。インターネットが自由に見ることができる道の駅というのは、まだそれほど多くないが(実際俺は2ヶ所しか知らない)、そのうち常備になると思う。このブログをしっかりチェック。

教えてもらった「古里温泉」(500円)に行った。アルカリ温泉なのか、肌がツルツルだ。一皮むけて、10歳若返ったよう。こんな中年の肌に興味はないでしょうが。休憩室で、ゆっくりブログを書く。いい温泉だ。

今夜は、もちろん、「道の駅 紀伊長島マンボウ」泊。

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2007/10/15

2007秋、車中泊の撮影旅 (8) 伊勢神宮 外宮の「初穂曳き」

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10月15日、月曜日、晴れ時々曇り

昨日は、「道の駅 伊勢志摩」に2泊目。今朝、6時半に起きて、伊勢神宮の祭りを見るため、伊勢市をめざす。

余裕を持って、早く行ったつもりだったが、外宮の駐車場は、祭りの駐車場ではないということで、入れてもらえず、かといって近くに他の駐車場もなく、あちこち探したが、結局、おととい停めた内宮近くの駐車場まで行ってしまった。

4km離れているので、タクシー乗るかな?と思ったら、バスが待っていたので、それに飛び乗った。それで外宮まで戻ることができた。初穂曳きの車の出発地まで行ったら、ちょうど9時半で、出発式が行われているところだった。

車は全部で4台。一番車はこの町にある皇學館大学の学生たち、二番車は子供たち、三番車は町の大人たち、四番車は一日神領民の人たち。

車の上には、俵や初穂がおかれ、2本の白い綱をもった何十人、何百人が、綱を上下に揺らしながら、外宮まで引っ張っていく。勇ましい木遣り唄と、「エンヤ、エイヤラ」という掛け声をかける。ときどき、左右の綱を持った人同士が、ぶつかり合い、押し合う。

車は外宮の入り口までだ。そこからは、みんな4列になって、静かに中へ入っていく。五丈殿に初穂を奉納する。全国から送られてきた初穂も奉納される。「東京都神社庁」「岩手県神社庁」などの札も見えた。

厳かな雰囲気だ。かつて伊勢では、その年の新穀を神様に召し上がっていただくまで、人々は新米を口にしなかった、という話も伝わる。

しょっちゅう外国と比べて申し訳ないですが、祭りを見て、バリ島の思い出がよみがえった。神社の造りにしろ、祭りの雰囲気、稲穂を髪に飾っている女性を見つけたとき、「あっ、バリ島だ」と思ったくらい。稲にカミを見る感性は同じということだろうか。

ところで、一番車を曳いた皇學館大学は、1年生全員が参加している。ある学生に「楽しい?」と聞いたら、「いや~」と苦笑いした。「強制参加です。練習もしたことないし・・・」というので、「そしたら、声を出せって言われても、出ないでしょ?」と聞くと、「ノリですよ、ノリ」。なかなか正直な学生たちだった。

一日神領民として参加した3人のおばあさんたちは、「三重県北部の何とか町から来ました」という。「埼玉から来たので、その町わかりません」というと、「このためにわざわざ埼玉から?」と聞かれ、そうでもないんだが、「そうです」と答えてしまった。彼女たちは疲れた様子だったが、「参加できて良かったですよ」といっていた。「お気をつけて」と見送られる。

ところで、今日は初穂曳きとは別に、「奉納祭響演」ということで、全国から有名な祭りのパレードが参加して披露した。俺の出身地、山形県の花笠踊りも参加していた。なつかしい花笠音頭を聞いて、いつの間にか歌を口ずさんでいた。(やだねぇ、これって刷り込みというやつ?)

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午後2時ころ、いったん伊勢市を離れて、昨日行くはずだった志摩市の「海苔ひび(養殖場)」のところへ。その前に、鵜方の手前にある「横山展望台」に上ってみた。

展望台から、入り組んだ地形の英盧湾の様子。雄大な眺め。真珠の養殖場が点在する。昨日写真を撮った海苔ひびも見えた。

国道に戻り、北へ少し行くと、穴川という駅があり、その近くに、海苔の養殖場が広がっていた。夕方まで待って写真を撮った。今日は、ヒツジ雲が出た。もうちょっと赤くなるのを期待したのだが。残念。

今日も「道の駅 伊勢志摩」に泊まろう。まるで定宿だ。3泊目だからね。明日も、伊勢市に戻って、内宮への初穂曳きを見ることにする。ほんとうは、外宮の祭りだけの予定だったが、面白くなってきたので、せっかくだから、最後の日も見ようと思う。稲作の写真を撮っている俺としては、この祭り、欠かせないともいえるのだ。

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2007/10/14

2007秋、車中泊の撮影旅 (7) 伊勢志摩、海苔ひび

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10月14日、日曜日、雨、雨、雨。

昨日の夕方、伊勢市から、県道32号線で、磯部町に来た。町のスーパーで食料を買って、国道167号線沿いの「道の駅 伊勢志摩」で泊まった。

今朝は6時半に起き、朝食後、7時15分に出発。とりあえず、南を目指す。大王町の大王崎を見て、志摩町へ。晴れていたら、大王崎の漁村を散策したかったが、雨、雨、雨。大雨だ。でも、こういう日は、逆にゆっくりできるかも。

志摩町の役場を訪ねた。日曜なので、人がいるかな?と思ったら、やっぱり誰も見つからず、ちょうど近くの文化会館の広場で、出店の準備中(電力会社の感謝祭だった)の人たちがいたので、聞いてみた。

志摩町に来たのは「海苔ひび」を撮影するため。前もって調べることなく、ぶっつけ本番で地元の人に聞いて知るのが面白いので、ここもそうしようと現場まで直接やってきたのだ。

「海苔ひび」って、何ですか?と、おばさんたちに聞いたが、わからないねぇ、と意外な答え。聞いたことないですよ、という。おそらく海苔の養殖場のことだと見当はつけてきたのだったが、裏切られた。まぁ、こう意外性が、また「旅」でもある。

いきなり「海苔ひび」って何?と聞いた、この胡散臭い髭面の男は、いったい何者で、なんでそんなことを知りたいのか、少し説明しなければならない様子。それで、全国の美しい景観の写真を撮って、1冊にまとめようと思っている写真家ですと自己紹介した。

あの人に聞いてみたら? 何でも知ってるから、と紹介されたのは、近くの旅館「和洲閣」の女将さん。結局、この女将さんに助けられて、「海苔ひび」が何なのか、だいたいわかったのだった。彼女は、海苔の研究している先生や、県庁の人など、方々に携帯で聞いてくれた。

携帯を代わって、その海苔の研究者と直接話をさせてもらったが、けっこう専門的な話になってしまい、いまいち、わからなかった。ただ「ひび」とは、「日々」が語源らしいこと、そして、今の海苔養殖場のことらしいことはわかった。海苔は海苔でも、青海苔だそうだが。

そこにいた人たちも、ようやく、俺が何者で、何を目的にやってきたか理解してくれたようで、養殖場なら的矢湾にもある、英虞湾にもあると、いろんな情報が出てくる。

あるおじさんは、海苔養殖の時期について詳しく教えてくれたが、その話を聞きながら、「あれ? まさか」と思ったのだった。

彼は「ドネルケバブ」と、粘るアイス「ドンドルマ」の準備をしていたのだ、しかも、耳にピアスをして、髪もじゃっかん金髪系。顔つきも、トルコ人に、こんなおじさんいるよなぁという雰囲気だった。日本語ぺらぺらで、海苔養殖についても詳しいので、かなり日本滞在は長いトルコ人ではないかと思ったのだった。

それで、「もしかしたら、おじさんは・・・」と、言ったら、その意味を彼もさっしたらしく、「俺は違うよ」と否定した。「トルコ人じゃない、キャベジンと呼んで」と、親父ギャグを発したので、彼はれっきとした日本人だなと納得した。面白いおじさん。

女将さんに、お礼に棚田のポストカードをあげ、教えられた場所へ行ってみることにした。町の近く、片田という集落でも、海苔養殖をやってるはずというので、いってみたが、地元で聞いてもわからなかった。明日は晴れるようなので、また来て探すことにしよう。

そう思っていたら、女将さんから電話があって、観光協会の人がつかまったから、電話してみたら?といわれたので、したら、場所を教えてくれた。「志摩スペイン村」の西側にある伊雑ノ浦と、鵜方の西の湾にたくさんあるという。

鵜方から県道17号線を西へ向かうと、たしかに湾沿いに養殖場があった。しかも雨にもかかわらず、作業中の小船も浮かんでいた。

あとで、観光協会の人からまた電話があって、それは、海苔の種付けの作業であることがわかった。海苔の収穫は、寒くなってからやるらしい。

地図を見たら、その先、浜島町というところに、温泉が描いてあったので、足を伸ばすことにする。浜島町というのも、狭い路地があって、雰囲気のある町だった。ただ、日帰り温泉のあるホテルで聞いたら、温泉は午後1時からというので、まだ時間がありすぎるので諦めた。

鵜方へ戻る途中、県道から、英虞湾のほうへ2km入ったところに、「合歓の郷」というテーマパーク(?)があって、その中に「湖騒の湯」という温泉があった。入場料込み、1050円。サウナ、露天、ジャグジー風呂、タオル付。

風呂上りには、ゆったりした休憩ラウンジで、久しぶりで新聞を読む。イランでの、日本人学生誘拐のニュース。

俺は、まだパキスタンとイランの陸路での国境越えを体験していないので、なんとも言えないが、ここは、昔から、危ないといわれた場所だった。外国人旅行者の行方不明者もたくさんいると思う。

昔、似たようなことが起こっても、本人の身包みをはがれるとか(最悪殺されるとか)、そういったことで終わってしまい、ある意味、ちゃんと「自己責任」の旅になっていた。(結果的にだけど)

ところが最近は、誘拐して、大げさに騒げば騒ぐほど(しかも、政治的な目的を持ち出せばなおさら)、その外国人本人ではなくて、外国人の属する国家から身代金を取れることを、ゲリラや盗賊団や麻薬売人たちが学習してしまったということではないだろうか。

そのうち、陸路で、ここを旅してみたいと思っていた俺としては、こういったニュースを聞いてしまうと、さすがに躊躇してしまう。たぶん、こういう誘拐、増えると思う。(韓国人団体がアフガンで誘拐されたときも、そう感じたが)

本人は「自己責任」でと思っていても、いつのまにか、政治的な問題に発展してしまうのは、旅人にとって、困った時代だなと思う。気楽なバックパッカーといえども、もう世界情勢を無視しては旅ができない、否が応でも「日本」を背負わされて旅するしかない時代なのかもしれない。

この学生は気の毒だとは思うけど、やっぱり、危険な旅だと知っていて、あえて挑戦したわけだから、どうなったとしても、「仕方ない」と言うしかない。冬山で、食料も持たず、無謀な計画で遭難する登山者に、同情する人が少ないのと同じように。ただ、山の遭難者もそうだが、なんだかんだ言いながらも、みんな精いっぱい助け出そうと努力するのは言うまでもない。

鵜方にはマックがあったので、今日の午後はここで仕事をしてすごす。雨の日はゆっくりできるから、こういう時もたまにはいいね。明日は、伊勢神宮の祭り「初穂曳き」を見るつもりなので、また、昨日と同じ「道の駅 伊勢志摩」に泊まるつもり。

それにしても、見ず知らずの旅人に親切にしてくれた志摩町のみなさん、ありがとうございました。(『家族に乾杯』みたいな結びになってしまったけど)


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2007/10/13

2007秋、車中泊の撮影旅 (6) 伊勢神宮、赤福

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10月13日、土曜日、晴れ

昨日、「道の駅 伊良湖クリスタルポルト」で、ブログをアップしたあと、食堂で、「焼大あさり」400円と、「海草塩ラーメン」650円を食べた。

この「焼大あさり」はここの名物らしい。大きな肉厚のあさりがふたつ。なかなかうまい。ビールが欲しくなるところだが、車なのでしかたない。店員に聞いたら、ここ伊良湖で採れたあさりだという。

伊良湖から国道259号線で東へ。暑い。日陰がない。田原町の道の駅で休憩し、近くの蔵王山展望台へ上った。豊橋市街地や三河湾がよく見える。

展望台に、地上望遠鏡を構えている青年がいた。双眼鏡も持っている。「鳥ですか?」と声をかけた。タカの一種、「サシバ」という渡り鳥を待っているという。俺は、鳥については、まったくわからないので、かなり幼稚な質問をしたかもしれない。でも、この大阪から来たバードウォッチャーの青年は、嫌な顔もせず、親切に説明してくれた。

サシバは、この季節、南に飛んでいくらしい。冬は、フィリピンやインドネシアで過ごし、夏は、日本、韓国、中国東部までやってくるようだ。彼は、3日間ここにいるらしいが、今朝も何羽か見たという。ほんとうは、鳥を見るなら伊良湖のほうが有名で、南へ下る鳥が、伊良湖に集まるようだ。

蝶が飛んでいったが、「あれも、南へ渡っていくんです」と教えてくれた。名前を聞いたが忘れた。上昇気流を利用するらしいが、すごい旅をするものだ。俺も気流に乗っかって飛ばされたい。どんな気流かは、この際、上昇でも下降でもかまわない。

豊橋市から国道23号線で、名古屋方面に向かう。安城市にある「道の駅 デンパーク安城」に泊まる。近くのスーパーで弁当を買って食べた。

今朝、6時半起床。7時半出発。

国道23号線に出た。この国道で伊勢湾を半周する。名古屋市の南、四日市市、津市、松阪市を経由した。土曜だからだろうか、道は渋滞がなく、スムーズに走ることができた。

伊勢市に着いたのは、11時ころ。ものの本によると、「お伊勢まいりは外宮から」というので、まず、外宮の「豊受大神宮」へいった。参拝客用の広い駐車場も完備して、気持ちよくお参りができるのはいい。

豊受大神(とようけのおおかみ)は、コメをはじめとする衣食住の恵みを与えてくれる、産業の守護神だそうだ。今月15、16日は、神甞祭がある。神様に新穀をささげ、豊穣に感謝する祭で、日本の稲作の象徴的な祭とも言われている。

うっそうとした杜の中に点在する、御正殿、土宮、多賀宮、風宮などを回る。この舞台装置が効いているのだろう、普段はまったくといっていいほど信仰心のない俺でさえ、心に緊張感を覚え、日々の悪行(?)の反省をする。もちろん、それ以上にご利益に期待して手を合わすんだけどね。

内宮は、外宮から4kmほど離れている。駐車場はいっぱいで、五十鈴川の河川敷の臨時駐車場に車を停めて、約2kmを歩いた。

旧参宮街道の、「おはらい町通り」を歩く。木造の建物がたくさん残っていて、なかなか風情がある。干物屋の前に人だかり。焼いた沖キスの試食をさせていた。俺も、小学生の男の子と張り合って、沖キスをゲット。旨いなぁ。只だと、特に。

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それにしても、ここは、あまりにもタイムリーな場所なのだ。この通りに290年の伝統のある(あった)老舗「赤福」の本店がある。(写真)

製造年月日を改ざんしていたのが発覚し、一昨日あたりから、しょっちゅうニュースでやってるね。ここまで「宣伝」されると、ミーハーな俺としては、この「赤福」の餅をぜひ食べたくなってしまった。ちょうど伊勢神宮に来るつもりだったし。

当たり前の話だが、店は閉まっていた。赤福の餅を食べれると思って来た俺はどうかしている。こんな問題起こしておいて、平気で営業しているはずがないのだ。本店だけではない。どの店からも赤福の餅は姿を消していた。

店の戸には、「お詫び」の張り紙。観光客は、みんな、その張り紙を読んだり、店の前で写真を撮るものだから、大混雑して、警備員が、どかせていた。

お伊勢まいりを終えたら、「土産に赤福の餅」、というのが定番だったらしい。290年の信頼も、これでどうなるのか。何だか似たような問題が次から次へと出てきて、それほど衝撃を受けなくなってきた、俺たちの麻痺には要注意だろう。中国のダンボール肉まんを笑ってはいられない。

これはきっと、赤福の問題だけじゃない。きっと、俺たち日本人全員の思想(と言ったら大げさなら、考え方)が反映しているのだ。たとえば、「経済至上主義」なども、その一部だろう。赤福だけをせめても、日本人に巣食った精神の病の解決にはならないように思う。

だったら、どうすればいいのか? 俺に聞かれてもなぁ・・・。

内宮(皇大神宮)は、皇室の祖神、天照大神を祀る。木製の宇治橋を渡り、玉砂利の参道を歩いていくと、4重の垣根に囲まれている御正宮がある。ドイツ語で話す20人ほどの外人グループが、めずらしそうに写真やビデオを撮っていた。玉砂利が歩きにくそうだったが。

大木の間からさしこむ日の光が美しい。五十鈴川の水音が心地よい。木にも、川にも、カミが宿るという思想で、赤福を再生させることはできないだろうか、なんてね・・・。
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帰り、「おはらい町通り」の中ほどにある、「おかげ横丁」の「ふくすけ」という店で、「伊勢うどん」(450円)を注文。見た目、汁が黒くて、濃い味付けかな?と思ったら、まったくそうではなくて、薄味だった。

もちもちしたうどんは旨かった。昔、お伊勢まいりした旅人たちも、このうどんを食べていたんだろうなぁ。

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2007/10/12

2007秋、車中泊の撮影旅 (5) 浜名湖、舞阪、渥美半島、伊良湖

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10月12日、金曜日、晴れ

昨日の午後は、引佐細江(奥浜名湖)を見わたす展望台から下へ降り、細江から県道で南下し、浜名湖南端、舞阪まで。

ここに来たのは、海苔養殖場やいろんな漁法を撮るためだが、さすがに、海苔養殖場の場所はわからないので、役場で聞くことにする。応対してくれた職員は、いろいろと親切に教えてくれる。

海苔養殖場は弁天島周辺にあり、竹の杭のことを「海苔そだ」と呼ぶが、その「海苔そだ」を立てる作業が午前中にやるかも、という。他に、アサリ採りの仕事も、朝なら見れるはずという。なので、写真は、明日撮ることにする。

ということで、ついでに、役場で日帰り温泉を聞いたら、国道1号線を300mほど西へいったところに、弁天島温泉というのがあるというので、いってみることにした。

「開春楼」というりっぱなホテルで、入浴料1000円。露天風呂はないが、ゆったりした湯船に豊富な湯量が気持ちいい。疲れた筋肉が、ほぐれていく。ほぐれ過ぎて、ぶよぶよだ。(もう少し太りたいと思うほどだから、メタボじゃないよ) 脳みそもぶよぶよ。(こっちは昔から)

入浴後、湖に夕日が沈むのに気がつきながら(しまった! 写真を撮るのが間に合わない)、ロビーでブログを書く。量が多くて、書き終わらずに、近くのコンビニに移動。コンビに弁当食べながら、ブログを書き、ようやくアップ完了。一応、毎日アップすることにしているので(唯一の目標)、けっこう大変だ。

舞阪から国道1号線を7kmほど西に行ったところに、「道の駅 潮見坂」があった。今夜はここ。国道1号線沿いなので長距離トラックが多い。

休憩室で、鹿児島から来たという老夫婦と知り合った。彼らが鹿児島を出たのは5月。北海道まで行ってきて、これから関西、四国を回って、九州鹿児島へ帰るという。ほとんど半年間だ。仕事をしながら旅をしているという。

今回だけではなくて、何度も車中泊の旅をしているらしく、旅のノウハウをいろいろと聞く。最初のころは、いろんなところを積極的に回っていたが、今は、気に入った場所にけっこう長く滞在するようになったという。旅の仕方が変わってきた。

今まで、道の駅に泊まって怖い思いはしたことないという。「道の駅なら、大丈夫でしょう」といって笑った。

鍋とコンロを使った自炊をすすめられた。ご飯さえ炊けば、地元のスーパーで地魚の刺身でも何でも惣菜は手に入るので、安いし、栄養のバランスを考えて、やったほうがいいですよ、とのこと。外食やコンビに弁当ばかりじゃ、体に悪い。その通りなのだが、ちょっと面倒くさい。

彼らとは、またどこかで会いそうだ。

今朝は、まだ暗い5時に道の駅を出て、舞阪の弁天島に戻った。

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昨日役場で聞いた、「海苔そだ」打ちの仕事を待ったが、小船も来ないし、仕事が始まる様子はなかった。赤い鳥居に日が当たってきたが、そこはいったん切り上げて、アサリ採りの場所へ移動した。水の深さは、腰の下くらい。湖の底に、カゴの付いた棒を突っ込んでゆする。そして入ったアサリを引き上げる。

道を挟んだ反対側は、水が深いようで、船の上から採っていた。道具は同じようだ。ただ、棒の長さは違うが。

もう一度、弁天島に戻ってみたが、やっぱり「海苔そだ」打ちはやってない。それで、先に進むことにした。地図を見ると、渥美半島が近い。突端までいってみることにした。伊良湖岬というところ。国道42号線を西に走る。周りは畑が多い。

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岬の手前、10kmくらいから、「イチゴ」「メロン」の看板が目立つようになる。「日研農園」という看板が見えた。そこに「メロンジュース 冷やしメロン 400円」と書いてあったので、思わず止った。

メロンは甘くて冷たくてみずみずしい。1年中収穫しているそうだ。メロンを持った「マナカナ」の写真が飾ってあった。彼女たちもここで食べたようだ。(だからなんだというわけではないけど。最近、二人の顔が違ってきたよね。これも、関係ない話でした)

岬には、「道の駅 伊良湖クリスタルポルト」があった。フェリー乗り場でもある。土産物売り場や、レストラン、カフェが充実し、お客さんで賑わっている。

こういう場所、とても好きだ。「旅」の匂いがする。空港、駅、バスターミナルなどなど。だから、俺は予定時間よりも早く行くことが多い。「旅」の匂いをなるべく早く嗅ぐために。

道の駅で、ゆっくりとブログと仕事用の原稿を書く。今日は、早めだが、ここでブログをアップしておく。


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2007/10/11

2007秋、車中泊の撮影旅 (4) 天竜市大栗安棚田、引佐町久留女木棚田、引佐細江

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10月11日、木曜日、曇り時々晴れ

昨日、ブログをアップしてから、頭痛がしたので遠くまで走る気がなくなり、風邪薬を買って、車で15分のところにあった「道の駅 掛川」で泊まった。

ここも新しくできたところらしい。国道1号線にあるので、長距離のトラックが多い。駅には、コンビニと、セルフの食堂がある。長距離ドライバーには便利な施設になっている。俺も、セルフ食堂で早めの夕食をとり、風邪薬を飲んで寝た。

今朝6時に起きた。頭痛は治まったが、ちょっと熱っぽい。今日は無理しないで行こう。コーヒーを沸かして、ゆっくりする。

道の駅 掛川を出たのは、8時近かった。国道1号線を西に進み、袋井から県道を通って北上し、天竜市へ入る。そこから、県道9号線で山へ入っていく。

引佐へ向かう県道があるT字路から、さらに少しいくと、右側に入る狭い道の入り口。「大栗安棚田」の標識が出ている。ここは棚田百選に選ばれている棚田。数年前も一度訪ねた。

棚田までは、分岐点がいくつかあるが、ちゃんと標識が立っているので迷うことはない。親切な標識だ。

「桧ぞれ棚田」の標識があったので、左に下っていく。この棚田に寄るのは初めて。ここは、田んぼ半分、茶畑半分といったところか。ちょうど稲刈りが行われていた。今年は稲刈りが遅いようだ。高さ3,4mに掛けられた、ハサ掛けの稲の匂い。秋の匂いだ。

そこから分岐点に戻り、さらに奥の大栗安本村棚田へいった。ここも稲刈り作業中。半分強が終わっていた。静かな山村。

県道に戻ったとき、浜松ナンバーの1台の車が止まっていた。老夫婦が、テレビで紹介されたという大栗安の棚田を見に来たという。それで「標識に従って行けば迷うことありませんよ。2ヶ所あります」と、教えてあげた。

引佐町方面への県道に入る。峠を越え、しばらく下っていくと、久留女木の集落。ここの久留女木の棚田も、棚田百選だ。記憶を頼りに、棚田を探し当てた。俺の勘は鈍ってない。棚田に関することだけだが。

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ここも稲刈りをやっていた。昼ごはんを食べていたおばさんふたりが、「今日で最後の稲刈りです」といった。なんてラッキーな。今年は稲刈りが遅れたということだ。

おばさんたちの弁当を、物欲しそうに眺めながら、「どこから?」と聞かれたので、「埼玉からです」と答えた。

おばさんたちと別れて、上に歩いていく。あぜ道にはまだ彼岸花が残っている。そういえば、昔来たときも、彼岸花が咲いていた。同じような季節だった。

駐車場には、「御自由に休憩下さい。棚田を愛する人々ヨ」という看板が立っていた。

帰るとき、食事が終わったおばさんたちにあいさつ。この棚田の上のほうに、竜神小僧と呼んでいる水源があるという。きれいな水が出ている。それがあったから、ここに棚田が拓かれたようだ。

おばさんは、ハサ掛けして天日乾燥したコメは、美味しいという。イノシシの被害が多かったので、棚田の周りに柵を作った。それで安心してハサ掛けできるという。でなければ、ハサ掛けした稲は、一晩で食べられてしまう。

さっきの弁当のごはんも棚田米だ。竜神小僧の美味しい水も関係するのかもしれない。ただ、ここ久留女木の棚田でも、高齢化は進んで、上の棚田は休耕田になっているし、ハサ掛けも少なくなったという。

全国どこでも聞こえてくる、棚田の現実。きれいな上澄みばかりを飲んでいるような、旅する俺が、彼女たちの苦労をどんなに語っても説得力がないかもしれないが。

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引佐から下って、細江に。引佐細江と呼ばれる、浜名湖の一部を高台から見たくて、展望台まで行ってみた。

南には、遠州灘、浜名湖。東には、富士山、天竜川。西には、湖西連邦、豊橋が見えるという。あいにく、今日、富士山は見えなかった。


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2007/10/10

2007秋、車中泊の撮影旅 (3) 由比漁港、宇津ノ谷隧道、牧の原大茶園

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10月10日、水曜日、曇り一時晴れ

昨日は、夕方まで待ったが、西の空は雲に覆われ、夕日は期待できなくなったので、先へ進むことにした。

狭い県道59号を通って湯ヶ島温泉まで上ったが、峠は霧に包まれた。前が見えず苦労する。ほとんどすれ違う車もなく、寂しい山道。国道414号線に出たときにはすっかり暗くなっていた。そこから北上し、途中、夕食を食べ、伊豆の国市にある「道の駅 伊豆のへそ」で泊まる。

夜10時ころ、おまわりさんが来た。免許証提示を求められる。「あおやなぎさんね」「いえ、あおやぎです」「あおやなぎさん・・・」「いえ、あお・・・、いいです」「今まで警察にやっかいになったことある?」ちょっとひっかかる聞き方だった。

「どういう意味ですか? スピード違反で捕まったことありますけど」「いや、いいです、いいです。旅行?」「ええ」「どこへ行くの?」「西へ向かって」「ところで、ここはバイクが多いの?」俺に聞くかなぁ。「どうして俺に聞くんですか? 初めてだからわかりません」

他にも、次々質問される。答えに窮したり、怪しい答だと、そこから嘘を見抜くのかもしれない。そのあたりに関してはプロだ。こういうおまわりさんたちのパトロールがあるから、日本の治安が守られているのはわかるが、ちょっと聞き方があるんではないの? わざとかな? これもテクニックなのかもしれない。まぁいいか。

ところで、他にも車が止まっていたが、窓を開けさせられたのは俺だけだった。そのわけは、皆さんのご想像通りだと思います。

今日は、6時半起床。7時出発。国道136号線を北へ走る。三島市で国道1号線にぶつかるので、それを左へ。ラッシュの時間と重なった。沼津市、富士市を通過。「道の駅 富士」で、遅い朝食と休憩。そのあと、由比漁港に寄る。

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ここはサクラエビが有名で、2年前のゴールデンウィークにも来た。ちょうど、「サクラエビ祭」の日だった。出店がたくさん出て、サクラエビのかき揚げを食べた記憶がある。今日は、ひっそりとしていたが、駐車場には直売所もあって、観光客が立ち寄るようだ。

静岡市に近づくと、国道1号線バイパスも渋滞でなかなか進まない。工事中なのだろうか。ようやく渋滞を抜けて走り出すと、山の中に「道の駅 宇津ノ谷」があったので休憩。

ここの観光案内の看板で、明治時代に造られたトンネルがあることを知った。

「トンネル?」

トンネルに敏感になった俺だ。トンネルマニアにでもなろうか。明治時代のトンネル、行かずばなるまい。意地でも。(何に対する意地?)

ところで、この峠には、明治のトンネルのほかに、大正、昭和、平成のトンネル4本が平行に通っていた。時代が変わるごとに新しいトンネルが増えてきた、ということだ。

昭和、平成のトンネルは現在の国道。大正時代のトンネルは現在の県道。明治時代のトンネル「宇津ノ谷隧道」は、今は車では通れないので歩くしかない。

入り口に車を停めて、写真を撮る。だれもいない。寂しい。もしかしたら、心霊スポットになっていたりして。でも、れっきとした、土木遺産だ。「登録有形文化財」になっている。心霊スポットだなんて、トンネルに失礼でした。

「このトンネルは、旧東海道を通行する人たちのために、明治9年総工費24,000円で築造された、日本最初の有料トンネルです。トンネルの構造は、静岡口の約20mは青石造りでしたが、大部分が角材の合掌造りであったため、明治32年に照明用カンテラ失火により、消失崩壊し、一時、廃道となりました。現在の赤煉瓦トンネルは静岡口を直線に手直ししたため、長さ203mとなり、明治37年に竣工しました。」

反対側まで歩いた。上からぽたりと、しずくが垂れた。さすがに今日は歌わなかったよ。

清水市からきたという散歩をしているおじさんがいた。旧東海道よりも古い峠道が、整備されて、散歩道になっているという。昔は難所で、物の怪や山賊におびえながら山越えした。道から見えた村に、旅人はみんなほっとしたらしい。わかる、わかる。今でさえ、ここで、このおじさんと会って、俺はホッとしたよ。

ところで、このトンネルが有料だったというのは面白い。説明の看板には、

歩行者(人)  6厘
荷馬      1銭2厘
かご      1銭5厘
一人乗り人力車 1銭5厘
大荷車     3銭2厘

と、ある。ここまで人力車で上ってきた人もいたんだね。今の物価に換算するとどれくらいになるんだろうか。このお金を払いたくない人は、山の峠道を通っていたのだろう。お金を払って「楽」と「安心」と「時間」を買うという発想は、昔も今と同じ。

おじさんは、これからどこへ?と聞くので、埼玉から来て紀伊半島一周しようと思ってますというと、「いいねぇ。優雅だねぇ」という。でも、それほどうらやましがっているふうにも見えなかった。

ところで、牧の原茶園に行くなら、国道1号のバイパス(今は無料)を行って、金谷で降りればいいと教えてくれた。

国道473号線を南に下ると、坂を上るようなかっこうで、ぐんぐん高度を増す。高台を走る。そして、だんだん周りが茶畑になっていく。大井川と金谷の町並みが一望に見渡せる、牧の原公園という小さな公園があった。

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ここのベンチに座って、さっきスーパーで買ったサンドイッチを食べる。野良猫がいて、消極的にエサをねだる。「いらないよ」という顔をしながら、寄ってくるのだ。一切れ投げると、最初は食べない。「こんなもん、食べられるかよ」とでも言いたそう。でも、もっと美味しいところをくれそうにないとわかると、しぶしぶ食べる。

猫とは、こんなやつ。でも、俺はこういう猫が好き。風が少し冷たく感じた、秋の昼食。

国道473号線をもっと南下して、県道79号線に入った。どこまでも茶畑。狭いところを適当に走ってみる。行き止まりもあった。扇風機がたくさん立っている光景は独特だ。写真を撮る。

金谷に戻り、スーパーの駐車場でこのブログをアップする。これからどうするか。まだ決めてない。その結果は、明日のブログで。


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2007/10/09

2007秋、車中泊の撮影旅 (2) 天城山隧道、下田市、石廊崎、西伊豆町

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10月9日、火曜日、曇り時々晴れ

「道の駅 天城越え」は、泊まりの車もなく、怖いくらいに静かだったが、夜9時ころ、突然、ボンボンボンと、何かが鳴り出した。それが何だかわかるまで不安だったが、ドラムの練習だとわかってからは安心し、そのまま横になった。ドラムの音が鳴っていると、まるでアフリカ・ニジェールの村に泊まっているような気分だった。(ニジェールには行ったことないけど)

6時に起きて、今回は携帯ガスコンロも持ってきたので、鍋でお湯を沸かし、コーヒーを飲む。

道の駅を出て、6分ほど走ると、天城峠の旧道の入り口。そこを左に入っていく。道は固いダート。うっそうとした森の中を走る。トンネル前は、ちょっとした広場になっている。

天城山隧道の碑によると、「このトンネルは、下田街道の改良工事の一環として、明治34年(1901年)に貫通、同37年に完成した。全長445.5m、幅4.1m。トンネル両端の坑門および内部全体が、切石積で造られ、川端康成の小説、『伊豆の踊子』をはじめ、多くの文学作品に登場。平成13年、重要文化財に指定」

車のエンジンをかけて、中へ入っていく。暗いトンネル内に点いている電灯が、妙に寂しさを感じさせる。背中がざわざわする。下に落ちていた白いレジ袋が、フランス人形に見えて、一瞬ビクッとした。怖さを紛らわすため出た歌は、やっぱり「あまぎ~ご~え~」だったのは許してください。

俺は、トンネル恐怖症なのではないか、と今日気がついた。そういえば、ずっと、トンネルには異常に反応し、このブログでもやたら「トンネルは怖い」と書いてきたように思う。

トンネルを、再生の儀式の道具と考えるのは、大げさすぎるかな。どうも、この暗さが、「死」をイメージさせるのだ。もう、出口にたどり着けないのではないか、などという妄想が・・・。

もともと俺は、狭いところが駄目な性分だが、ようやく明かりを見つけて、母親の子宮から必死に広いところに出ようと、もがいている胎児になった気分。その暗くて狭いところを通過しない限り、この世には生まれてこれない「仕組み」になっている。

『桃花源記』では、狭いところを通って出たところが、人々が平和に暮らす「桃源郷」だったりする。俺にとって、このトンネルくぐりの儀式の先は、「桃源郷」なのか、「地獄」なのか、ちょっと今のところわからない。まぁ、少なくとも、この天城山トンネルは無事に抜けられて安心はした。

旧道を進むと、また国道414号線に出た。それを南下し、河津町からふたたび海に出た。国道135号線で、下田市に。漁港に隣接して、「道の駅 開国下田みなと」がある。「新鮮地魚」「回転寿司」などの看板も見える。漁協の直売所もあるらしい。

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ここに車を停めて、町の散策にでかけた。商店街を抜け、掘割沿いの小道、ペーリーロードまで出た。趣のある建物が並んでいる。帰りがけ、路地に看板を見つけた。「おもしろいもの」の匂いがしたので近づくと、それは「昭和湯」という銭湯だった。

暖簾をくぐって中を覗くと、ちょうど客のおばあさんが出てきたので「もうやっているんですか?」と聞くと、「やってますよ。男はこっち」といって、左手の扉を指差した。

ちょうど雨を拭くためにと思って持ってきたタオルもあったので、入ることにした。この昭和湯、とっても良かったのだ。今日一番の収穫。

中に入ると、番台があって、おばさんが座っていた。番台に人がいる銭湯に入るのは、10数年ぶり。銭湯代360円と、備え付けの石鹸はないので、小さな石鹸を30円で買う。

脱衣所には、石鹸やシャンプーが入ったたくさんの洗面器が重ねておいてある。地元の人たちが毎日使うものだろう。

湯船は、2.5m×4mほどで、深さがなんと1mあり、底に座ることはできない。でも、たっぷりした湯の感じは悪くない。

ドアには、「タオルを湯に入れない。飛び込まない。もぐらない。泳がない」と注意書きが張ってあった。タオル以外は、全部やってしまいたくなるような風呂。やってしまう人がいるから、こんな注意書きがあるのだろう。(子供のため?)おばさんが見ていなかったら、もぐってみたかった。こんな深い銭湯はなかなかない。

風呂からあがってから、番台のおばさんに聞いたら、この銭湯は、昭和2年から営業をしている。1度、昭和60年ころ、建て替えている。だから、天井は新しくて明るい。さすが「昭和湯」。昭和の匂いがぷんぷんする。観光客も多いんじゃないですか?と聞くと、海水浴客、釣り人、クルーザーの人なども利用するそうだ。

表に出ると、ちょうど別なおばあさんがやってきた。「今朝は青空も見えたのに、はっきりしない天気ですね」「また降ってますか?」「今は上がってますが。降り足りないんでしょうか」

何気ない挨拶が、心にしみた、昭和の銭湯だった。

道の駅の駐車場に戻り、インフォメーション・カウンターで見たパンフレットに「田牛の廃校」という写真があって、なかなか良かったので、田牛集落まで足を伸ばすことにした。

市内から田牛まで、約15分。海水浴場もある。道にいたおばあさんに、廃校の場所を聞く。「わたしたちの学校でした」といった。今は、公民館になっていて、これをずっと行けばわかりますと、教えてくれた。

広い校庭があって、廃校はすぐわかった。左右対称の木造校舎は、なんともやさしい雰囲気だ。今は、子供たちの活動で使っているよう。

雨はますます激しくなる。県道16号線に出て、石廊崎へ。駐車場へ行くと、干物屋のおばさんが声をかけてきた。灯台までは、ここから20分歩くしかないという。特別見たいというわけではなかったので、雨だし、やめることにする。(写真家にあるまじき怠慢)

その代わりというか、おばさんは、ぜひ、この先の奥石廊崎だけは見ていってといった。水が透明できれいなところらしい。

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駐車場から、県道に戻ったところに、バスの発着所があり、その向かいが食堂になっていたので、昼をとることにした。

「地魚の刺身定食」1350円。めだい、かんぱち、むつの刺身と、ひじき、こんにゃくの煮物。魚は下田漁港で揚ったもの。ひじきも肉厚でやわらかかった。

店の奥さんに、この店の名前は?と聞いたら、「網船納屋」と書いたチラシをくれた。これを地元では、「あんぶねなんや」と発音する。

この店名の「網船納屋」について、意外なことがわかった。「網船納屋」とは、「網船」という網を載せる船を収納する小屋(納屋)のことだが、今はもうない。

どうしてかというと、船は当時木造だったので、雨ざらしにしておくと腐りが早いので、この納屋に入れていたが、プラスチック製の船になってから、雨ざらしでも平気になってしまい、納屋はなくなったという。(網を入れる納屋は今でもある)

いつ頃まであったのですか?と聞くと、おばさんが子供のころにはなくなったという。これを店名にした理由を聞くのを忘れてしまった。

店を出て、トンネルをくぐり、奥石廊崎まで。さすが、干物屋のおばさんが自慢するだけあって、海の水はきれいだった。雄大な景色を満喫。

県道から、国道136号線に戻り、左手に海を見ながら、北上。松崎町を経由して、西伊豆町。ここは「夕日のまち」として知られた、夕日のポイントが沢山点在する町だ。

あいにく雲が多い天気なので、はたして夕日が見れるかわからない。漁港で夕日を待ってみるつもり。


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2007秋、車中泊の撮影旅 (1) 東京から伊豆半島

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10月8日、月曜日、曇りのち雨

今日から「車中泊の撮影旅」だ。正確に言うと、昨日から。

昨日は最後の仕事が終わらず、すっかり出発が遅くなってしまった。埼玉県の自宅を出たのは夕方だ。

国道16号線を南下し、1時間ほどのところに、東京都に初めてできた「道の駅 八王子滝山」がある。今年4月にオープンしたばかりだというし、東京の道の駅ってどんなところだろうと興味が出て、泊まってみることにした。

「道の駅 八王子滝山」は、さすが東京都ということで、全国の道の駅と比べると、小さいほうだ。都心にも近く、地価も高いことを考えればしかたのないことだろう。

地元の農産物を扱う直売所もあり、休日ということもあってか、駐車場はいっぱい。警備員の誘導で、空きスペースに車を停める。

いったん食事をとりに出かけて、夜8時に戻ってくると、まだ車は多い。結局、夜中も車の出入りがあって、けっこううるさかった。排気量の大きい車でやってくる若者もいたし。

何事も体験。体でしかわからないことがきっとある、と思っている。そして実際泊まってみて、体でわかったことは? 寝不足。俺にとって、ここは1回泊まれば、もういいかなという感じ。

泊まっている車のナンバーは、「長岡」「岐阜」などもあった。地方の人にとっては、この道の駅、便利かもしれない。

今朝、6時半起床。太陽が出ていたが、すぐ雲に隠れてしまった。7時に道の駅を出発。八王子市内を通過し、厚木市のマックで朝食。

国道129号線をさらに南下する。平塚市で国道1号線を西へ向かう。

小田原市に入ったところで、左手に相模湾を見る。やっぱり海はいい。山国で育った俺にとって、目の前にさえぎるものがない海を見ることは、一番旅を実感できる。たとえ、今日のように天気が悪いときの、鉛色の海であっても。

雨が激しくなってきた。しばらく車を放っておいたせいか、ワイパーのゴムが傷んだようで、前がよく見えない。ちょうど熱海市手前にショッピングセンターがって、ワイパーのゴムを代えることができた。

海沿いの道は、上りは大渋滞だ。みんな行楽地から帰る車だろう。

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伊東市市街地に入る手前に、「ふしみ食堂」という、12席だけの小さな食堂がある。俺が使っている地図には、地の魚が食べられる店として紹介されていたので、寄ってみた。

壁には「バナナマン」のサイン。それなりに有名な店? おばさんに聞いたら、ライダー用の地図には3ヶ所ほど載っているらしい。ライダー御用達の店なのだ。どうりで、俺の使っている地図も、もともとはバイク用だ。

生干しイカ定食 1000円を頼み、食べながら、おばさんと話をした。

この食堂ができて37年。店の裏を走っている狭い道が旧国道で、店の玄関は、それまで、そっち側だった。店の反対側、つまり、現在の片側2車線の国道側は砂浜だった。はだしでは歩けないほど熱い砂浜だったことを、おばさんは覚えているという。

現在の国道は昭和41、2年ころ完成したが、その工事中、地元の子供がひとり、虫取りにでかけたまま行方不明になってわかざずじまい。

道路はりっぱになったものの、交通事故が多くて、お払いしてもらったりした。中央分離帯ができてからは、事故が減った。くねくねした山道を通ってきて、ここで急に広い道になるので、スピードを出してしまうのだろう。その気持ち、俺も今日よくわかった。

食堂から、1.5km。道の駅、伊東マリンタウンに寄る。大きな道の駅で、いくつものレストランが入っている。インドネシア料理もあった。どの店も混雑。ここには、温泉もある。宿泊するにはいい条件。でも、俺は先に進む。

伊東市から、県道12号線で、山を登る。雨は上がってきたが、蒸し暑い。靄がたなびく山道を中伊豆町の筏場へ。だんだん山奥になって、川の水音が大きく聞こえるようになると、左手に日よけを張ったわさび田に到着。

看板が立っていた。以下、その中から抜粋。

「ここは、日本一のわさびの里。わさびは、アブラナ科の常緑多年生の宿根植物。年間の水温が、8~18度の清水の湧き出るところが栽培の適地といわれている。豊かな天城山の湧水のあるこの地は、まさに適地。わさびは、ビタミンCを豊富に含み、殺菌効果もある。中伊豆のわさび栽培は、250年ほど前から行われ、主に関東地方に出荷。この地域のわさび田は、「畳石式」という様式で、現在は、植石に変わって、パイプも使われている。」

もうひとつの看板には、「静岡県棚田等十選に認定する。」とあった。

ここも、りっぱな「棚田」だ。水音を聞きながら、このブログを書く。水音というのは、大きくてもうるさくないね。今日のような蒸し暑い日には、涼しげで、なんともいい感じ。

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わさび効果で、俺も殺菌されたいな。定住生活の「毒」が体を蝕んでくると、旅に出たくなる。今回の旅で、その「毒」は消えるかどうか。

県道59号線をそのまま進むと湯ヶ島温泉に着く。その手前、3kmほどのところに、棚田百選の「荒原の棚田」があるので、久しぶりで寄ってみた。収穫も終わり、秋の気配が漂う棚田は、昔とあまり変わったようには見えなかった。

一瞬、陽がさして、眠っていた田んぼが目を覚ましたようだった。そういえば、以前来たときは、彼岸花の赤と稲の黄色で、目が痛いくらいだったが、今日も、あちこちにまだ彼岸花は残っている。

湯ヶ島温泉に入り、食事後、今夜は8km先、「あまぎ~ご~え~」の「道の駅 天城越え」に泊まる。

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2007/10/06

太鼓打ち、富田和明さん。「30年後の俺へ。太鼓、打ってますか?」

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太鼓打ち、富田和明さんの昨日の公演は大成功でした。みんなお客さんは「おもしろかった」といっていたし、実際俺もそう思います。

以前書いた富田さんの話はこちらでどうぞ。
Ya_2「和太鼓奏者、富田和明参上!(2007/09/21)」

それにしてもよくここまでやったなぁというくらい、凝った舞台だったのではないでしょうか。出演者も多かったし。和太鼓演奏というカテゴリーには納まりきれない、まるで、ミュージカルを観たような気分。ほんとに富田さんらしい舞台でした。大いに笑わしてもらいました。

富田さんが以前参加していた「東京打撃団」のメンバーも参加していました。「東京打撃団」の代表、平沼さんと久しぶりに会って話をしました。平沼さんは、「最近は少なくなったけど、富田は、味のある太鼓打ちのひとりです」といいました。なるほど、そうかもしれません。テクニックがどうのこうのというのではない、味のある「太鼓打ち」。

富田さんは、ねっからの「太鼓打ち」なんですね。「ミュージシャン」でも、ましてや「アーティスト」でもないのかもしれません。

それなら俺も「写真家」であって、「カメラマン」でもないし、ましてや「フォトグラファー」なんかではありません。もっとも、俺の場合、この肩書きが何であれ、いずれ、肩書き無しの人間になるのが夢なんだから、結局今はどう呼ばれてもいいですが。

この30年間で彼を励まし支えてきた友人・知人・ファンの人たちが、いっしょになって富田さんの太鼓打ち30年間を祝っているような舞台で、あたたかい気持ちになりました。人柄なんですね。うらやましい。その記録写真を撮れたことは光栄なことでした。

最後の挨拶で、富田さんは言いました。

「30年後の俺へ。太鼓、打ってますか?」

打っていると思います。「60周年おめでとう」と俺も言ってみたいです。そのときは、また写真を撮りますよ。

俺も真似して言ってみます。

「30年後の俺へ。写真は撮っていますか?」 ・・・生きていればね。


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2007/10/04

映画 『それでもボクはやってない』 怖い映画です

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とうとう観てしまいました。映画 『それでもボクはやってない』です。観たくもあり、観たくなくもあり、といった気持ちでずっといたのですが・・・。

ある青年が電車で痴漢に間違われる冤罪事件の話です。日本の刑事裁判制度の問題点を明らかにする、あの『Shall we ダンス?』の周防正行監督の社会派作品です。

とくに、これは痴漢冤罪の話なので、男性にとっては身につまされるのではないでしょうか。そして、俺たちは、こんな危ういところで、日々暮らしているのかと、あらためて思います。ちょっとでも誤解や勘違いされたら、一生を狂わしてしまうようなきっかけが、日常の満員電車の中にあるということに愕然とします。いつ、自分が無実の罪で裁かれることになるかわからないのです。

もちろん、痴漢は犯罪で、許されません。ただ、裁判官は判決でこういったことを言います。正確な言い回しではありませんが、つまり、女子中学生の言い分は信用できて、青年の言い分は信用できない、というのです。女子中学生が嘘をつくはずがない、というのが何の疑いも持たれないのが不思議でした。

彼女は実際痴漢されたのでしょう。それは本当だと思うし、嘘をついているとも思いませんが、「勘違い」ということはあるはずです。彼女の周りには、他の男性もいて、この青年じゃない可能性は大きかったんだし。

彼女の苦痛と恐怖は理解できるとしても(俺も痴漢されたのでわかります。「された」んですよ、あくまでも。しつこいようですが、もう一度言います。「した」んじゃありませんから)、最初の出発点から、警察の捜査、そして裁判も公平さを欠いていたと思うんですよね。

たしか、「御殿場事件」という2002年に起きた集団暴行事件もそうですよね。証言が2転3転しているのにもかかわらず、被害者の女の子の証言は信用できて、加害者にされた青年たちの証言は信用できない、という話を覚えています。いくら青年たちが、証拠を出しても判決が覆らなかったと記憶しているんですが・・・。(最近の詳しい経緯はわかりません)

冤罪は、出発段階で、間違った道をひたすら進むようです。それに気がついたとしても、なぜか修正されないんですね。いったん捕まえたら、有罪にする、何が何でも有罪にする。そうしないと、警察の汚点になるとでもいうように。

家宅捜索で押収された、青年のエッチなビデオなども、証拠とされます。エッチなDVDとか画像をぜんぜん観たことのない男とかいるのでしょうか。自慢じゃないけど、俺もエッチな画像をパソコンに大切に保存しています。家宅捜索されたら、これも犯罪者らしい証拠とされてしまうんでしょうか。たまったもんじゃないですね。(でも、削除なんかしないよー)

「この人痴漢です」と、言われたらアウトなのです。やってないことを証明するのは至難の業です。くれぐれも用心しましょう。

痴漢冤罪だけではありません。記憶に新しいところでは、鹿児島選挙違反事件(志布志事件)。これは全員無罪になりました。警察のでっち上げが明らかにされたのですが、こんなことが続くと、警察も信用できなくなってしまいます。


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2007/10/03

映画『ブラッド・ダイアモンド』 (3) 自分がイメージする「自分」

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(写真はマダガスカル・アンタナナリヴ)

映画『ブラッド・ダイアモンド』から思いついたことですが、今日も続けます。

子供のころから高校生くらいまで、自分の2面性というか、多面性というものに悩んでいました。

ある人の前では、こういう感じの態度なのに、他のある人の前では別の態度になってしまう。いったい俺はどっちが「本当の自分」なんだろう?と悩んだのでした。俺の評価は人によって極端だなと思ったこともあります。ある人は、「まじめで、無口な人」と言い、またある人は、「よくしゃべる、おもしろい人」。

2面性・多面性が気にならなくなったのは、いつからだったか。よく覚えていませんが、たぶん、海外旅行へ出て、「何でもありなんだ」と思って楽になった時期と同時だったのだろうと思います。

若い時期は、少なからずこの悩みは持っていると思います。友人と話をしていたら、その友人もまったく同じように悩んでいたと知って、俺だけではなかったんだぁと、安心したのでした。

2面性・多面性に悩むということは、自分というのは、1面だけが「正しく」て、他の面は、「演じている。だから正直ではない」という、青年特有の潔癖症という意味もあったのでしょう。でも、今では、自分でも、この2面性・多面性を自覚しているし、むしろ、使い分けている自分を感じます。

それが「大人になった」と言おうが、「ずるくなった」と言おうがかまいませんが、俺としては、「人間が深くなった」と言っておきます。(ずいぶん前向きだ)

映画『ブラッド・ダイアモンド』でも、人間は、ただ人間。悪くも善くもない。ただ、そのときの行動が、悪いか善いか、ということです。しょせん、人間はだれでも多面性を持っているのかもしれません。

自分がイメージする「自分」と、他人がイメージする「自分」は違います。「自分」というのは、その両端の中間のどこかなのでしょう。

「自分」は、他人との関係性の中で、生かされているものです。ある友人は言っていました。他人が思う「自分」が、自分にとって「ちょっと誤解されているなぁ」と思っても、たぶん、それも「自分」の1面であることは間違いないし、それも認めざるをえないと。俺もそう思います。

その時々の行動によって、あっちにいったり、こっちに来たりしているのではないですかね。固定されたイメージというものが、そもそもない、とも考えられます。そして、他人から見たら、自分が思っているほど違っていないのかもしれないし。

そう考えると、少し楽になるかな。まぁ、ほとんどの人は、こんなこと気にしてないのでしょうか。


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2007/10/01

映画 『ブラッド・ダイアモンド』 (2) 「悪い人ね」といわれると無性にうれしい

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(写真はマダガスカル)

昨日、映画『ブラッド・ダイアモンド』のことを書きました。今日は、その続きです。

人間は、「善」でも、「悪」でもない。そのときの行動が、「善」か「悪」かだけだと、映画の中では語られていました。でも、俺には、行動の「善」「悪」さえも、時々わからなくなることがあります。

ディカプリオ扮するダイヤモンドの密売人アーチャーは、元傭兵で、人殺しを躊躇しません。それは、突き詰めると、「自分が生きるため」ということもできるでしょう。

人間も「生き物」である以上、たぶん、人間にとって究極の「善」は、「生きる」ことではないかと思います。何としてでも生きる。どんな手段を使っても生きるということです。そういう意味で、自殺は、明らかに「善」ではありませんが、アーチャーの行動は?

難しいのは、この部分です。自分が生きることは「善」なのに、それで他人(他の生き物)が死ぬことになっても、「善」と呼べるのか、あるいは、やっぱり「悪」なのか。

自分は生きたい、だから他人が生きることも認めなければならない。なので、正当防衛ではない殺人はやっぱり「悪」でしょう。そこまではわかります。でも、殺人のような、直接的手段ではなくて、見えないところで、人を殺す原因のひとつを、自分が作り出しているとしたら?

たとえば、映画のタイトルにもなっている「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤ)」。昨日も触れましたが、ダイヤモンドが先進国で必要とされることが、まわりまわってアフリカの紛争を作り出し、殺し合いが行われているとしたら?

地球に、一人で生きているなら、問題なく「生きること」は「善」であるはずです。でも、実際は、そうではありません。何十億人の人間、そして、もっと何倍もの生き物が生きています。自分が生きることによって、ある生き物は死んでいるかもしれません。

それを考えると(気にしだすと)、単純に「生きる」ことが「善」とは言えなくなるような、なんとも居心地の悪い気持ちに陥ってしまいます。

とは言え、べつに、俺は、いちいち、蟻を踏み潰すことに恐れをなし、蚊を殺すことに「悪」を感じながら生きているわけではありません。自分が欲しいと思ったものが原因で、まわりまわって誰かを殺しているなどと考え始めたら、夜も眠れなくなってしまいます。

じゃぁ、どう考えれば、この問題が自分の心の中で落ち着くのだろうか?と頭をめぐらしても、俺はバカなので、その答えが未だに見つけられないのです。そこが、ふがいない。ただ、もしかしたら、「悪」を抱えたままで(「悪」を拒否しないで、自分の「悪」を意識しながら)生きることが「善」なのかも、とは思いますけど、わかりません。


ところで俺は、「いい人ね」と言われると、後ろめたさを感じながら、うれしくありません。とくに女性に言われた場合ですね。

自分で「善人」でないことを知っているし、というより、女性が男性に対して言う「いい人」には、「いても、害にはならない人」という意味を含んでいる、あるいは、「あなたは、今の位置なら許すけど、これ以上は絶対入ってこないで」という、ちょっとした拒否を含んでいると考えるのは、俺のひがみでしょうか。

だから、俺はむしろ「悪い人ね」といわれると無性にうれしくなってしまうのです、はい。(映画の話から、へんな方向にいってしまいました。すみません)


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