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2007/10/14

2007秋、車中泊の撮影旅 (7) 伊勢志摩、海苔ひび

071014
10月14日、日曜日、雨、雨、雨。

昨日の夕方、伊勢市から、県道32号線で、磯部町に来た。町のスーパーで食料を買って、国道167号線沿いの「道の駅 伊勢志摩」で泊まった。

今朝は6時半に起き、朝食後、7時15分に出発。とりあえず、南を目指す。大王町の大王崎を見て、志摩町へ。晴れていたら、大王崎の漁村を散策したかったが、雨、雨、雨。大雨だ。でも、こういう日は、逆にゆっくりできるかも。

志摩町の役場を訪ねた。日曜なので、人がいるかな?と思ったら、やっぱり誰も見つからず、ちょうど近くの文化会館の広場で、出店の準備中(電力会社の感謝祭だった)の人たちがいたので、聞いてみた。

志摩町に来たのは「海苔ひび」を撮影するため。前もって調べることなく、ぶっつけ本番で地元の人に聞いて知るのが面白いので、ここもそうしようと現場まで直接やってきたのだ。

「海苔ひび」って、何ですか?と、おばさんたちに聞いたが、わからないねぇ、と意外な答え。聞いたことないですよ、という。おそらく海苔の養殖場のことだと見当はつけてきたのだったが、裏切られた。まぁ、こう意外性が、また「旅」でもある。

いきなり「海苔ひび」って何?と聞いた、この胡散臭い髭面の男は、いったい何者で、なんでそんなことを知りたいのか、少し説明しなければならない様子。それで、全国の美しい景観の写真を撮って、1冊にまとめようと思っている写真家ですと自己紹介した。

あの人に聞いてみたら? 何でも知ってるから、と紹介されたのは、近くの旅館「和洲閣」の女将さん。結局、この女将さんに助けられて、「海苔ひび」が何なのか、だいたいわかったのだった。彼女は、海苔の研究している先生や、県庁の人など、方々に携帯で聞いてくれた。

携帯を代わって、その海苔の研究者と直接話をさせてもらったが、けっこう専門的な話になってしまい、いまいち、わからなかった。ただ「ひび」とは、「日々」が語源らしいこと、そして、今の海苔養殖場のことらしいことはわかった。海苔は海苔でも、青海苔だそうだが。

そこにいた人たちも、ようやく、俺が何者で、何を目的にやってきたか理解してくれたようで、養殖場なら的矢湾にもある、英虞湾にもあると、いろんな情報が出てくる。

あるおじさんは、海苔養殖の時期について詳しく教えてくれたが、その話を聞きながら、「あれ? まさか」と思ったのだった。

彼は「ドネルケバブ」と、粘るアイス「ドンドルマ」の準備をしていたのだ、しかも、耳にピアスをして、髪もじゃっかん金髪系。顔つきも、トルコ人に、こんなおじさんいるよなぁという雰囲気だった。日本語ぺらぺらで、海苔養殖についても詳しいので、かなり日本滞在は長いトルコ人ではないかと思ったのだった。

それで、「もしかしたら、おじさんは・・・」と、言ったら、その意味を彼もさっしたらしく、「俺は違うよ」と否定した。「トルコ人じゃない、キャベジンと呼んで」と、親父ギャグを発したので、彼はれっきとした日本人だなと納得した。面白いおじさん。

女将さんに、お礼に棚田のポストカードをあげ、教えられた場所へ行ってみることにした。町の近く、片田という集落でも、海苔養殖をやってるはずというので、いってみたが、地元で聞いてもわからなかった。明日は晴れるようなので、また来て探すことにしよう。

そう思っていたら、女将さんから電話があって、観光協会の人がつかまったから、電話してみたら?といわれたので、したら、場所を教えてくれた。「志摩スペイン村」の西側にある伊雑ノ浦と、鵜方の西の湾にたくさんあるという。

鵜方から県道17号線を西へ向かうと、たしかに湾沿いに養殖場があった。しかも雨にもかかわらず、作業中の小船も浮かんでいた。

あとで、観光協会の人からまた電話があって、それは、海苔の種付けの作業であることがわかった。海苔の収穫は、寒くなってからやるらしい。

地図を見たら、その先、浜島町というところに、温泉が描いてあったので、足を伸ばすことにする。浜島町というのも、狭い路地があって、雰囲気のある町だった。ただ、日帰り温泉のあるホテルで聞いたら、温泉は午後1時からというので、まだ時間がありすぎるので諦めた。

鵜方へ戻る途中、県道から、英虞湾のほうへ2km入ったところに、「合歓の郷」というテーマパーク(?)があって、その中に「湖騒の湯」という温泉があった。入場料込み、1050円。サウナ、露天、ジャグジー風呂、タオル付。

風呂上りには、ゆったりした休憩ラウンジで、久しぶりで新聞を読む。イランでの、日本人学生誘拐のニュース。

俺は、まだパキスタンとイランの陸路での国境越えを体験していないので、なんとも言えないが、ここは、昔から、危ないといわれた場所だった。外国人旅行者の行方不明者もたくさんいると思う。

昔、似たようなことが起こっても、本人の身包みをはがれるとか(最悪殺されるとか)、そういったことで終わってしまい、ある意味、ちゃんと「自己責任」の旅になっていた。(結果的にだけど)

ところが最近は、誘拐して、大げさに騒げば騒ぐほど(しかも、政治的な目的を持ち出せばなおさら)、その外国人本人ではなくて、外国人の属する国家から身代金を取れることを、ゲリラや盗賊団や麻薬売人たちが学習してしまったということではないだろうか。

そのうち、陸路で、ここを旅してみたいと思っていた俺としては、こういったニュースを聞いてしまうと、さすがに躊躇してしまう。たぶん、こういう誘拐、増えると思う。(韓国人団体がアフガンで誘拐されたときも、そう感じたが)

本人は「自己責任」でと思っていても、いつのまにか、政治的な問題に発展してしまうのは、旅人にとって、困った時代だなと思う。気楽なバックパッカーといえども、もう世界情勢を無視しては旅ができない、否が応でも「日本」を背負わされて旅するしかない時代なのかもしれない。

この学生は気の毒だとは思うけど、やっぱり、危険な旅だと知っていて、あえて挑戦したわけだから、どうなったとしても、「仕方ない」と言うしかない。冬山で、食料も持たず、無謀な計画で遭難する登山者に、同情する人が少ないのと同じように。ただ、山の遭難者もそうだが、なんだかんだ言いながらも、みんな精いっぱい助け出そうと努力するのは言うまでもない。

鵜方にはマックがあったので、今日の午後はここで仕事をしてすごす。雨の日はゆっくりできるから、こういう時もたまにはいいね。明日は、伊勢神宮の祭り「初穂曳き」を見るつもりなので、また、昨日と同じ「道の駅 伊勢志摩」に泊まるつもり。

それにしても、見ず知らずの旅人に親切にしてくれた志摩町のみなさん、ありがとうございました。(『家族に乾杯』みたいな結びになってしまったけど)


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