映画 『それでもボクはやってない』 怖い映画です
とうとう観てしまいました。映画 『それでもボクはやってない』です。観たくもあり、観たくなくもあり、といった気持ちでずっといたのですが・・・。
ある青年が電車で痴漢に間違われる冤罪事件の話です。日本の刑事裁判制度の問題点を明らかにする、あの『Shall we ダンス?』の周防正行監督の社会派作品です。
とくに、これは痴漢冤罪の話なので、男性にとっては身につまされるのではないでしょうか。そして、俺たちは、こんな危ういところで、日々暮らしているのかと、あらためて思います。ちょっとでも誤解や勘違いされたら、一生を狂わしてしまうようなきっかけが、日常の満員電車の中にあるということに愕然とします。いつ、自分が無実の罪で裁かれることになるかわからないのです。
もちろん、痴漢は犯罪で、許されません。ただ、裁判官は判決でこういったことを言います。正確な言い回しではありませんが、つまり、女子中学生の言い分は信用できて、青年の言い分は信用できない、というのです。女子中学生が嘘をつくはずがない、というのが何の疑いも持たれないのが不思議でした。
彼女は実際痴漢されたのでしょう。それは本当だと思うし、嘘をついているとも思いませんが、「勘違い」ということはあるはずです。彼女の周りには、他の男性もいて、この青年じゃない可能性は大きかったんだし。
彼女の苦痛と恐怖は理解できるとしても(俺も痴漢されたのでわかります。「された」んですよ、あくまでも。しつこいようですが、もう一度言います。「した」んじゃありませんから)、最初の出発点から、警察の捜査、そして裁判も公平さを欠いていたと思うんですよね。
たしか、「御殿場事件」という2002年に起きた集団暴行事件もそうですよね。証言が2転3転しているのにもかかわらず、被害者の女の子の証言は信用できて、加害者にされた青年たちの証言は信用できない、という話を覚えています。いくら青年たちが、証拠を出しても判決が覆らなかったと記憶しているんですが・・・。(最近の詳しい経緯はわかりません)
冤罪は、出発段階で、間違った道をひたすら進むようです。それに気がついたとしても、なぜか修正されないんですね。いったん捕まえたら、有罪にする、何が何でも有罪にする。そうしないと、警察の汚点になるとでもいうように。
家宅捜索で押収された、青年のエッチなビデオなども、証拠とされます。エッチなDVDとか画像をぜんぜん観たことのない男とかいるのでしょうか。自慢じゃないけど、俺もエッチな画像をパソコンに大切に保存しています。家宅捜索されたら、これも犯罪者らしい証拠とされてしまうんでしょうか。たまったもんじゃないですね。(でも、削除なんかしないよー)
「この人痴漢です」と、言われたらアウトなのです。やってないことを証明するのは至難の業です。くれぐれも用心しましょう。
痴漢冤罪だけではありません。記憶に新しいところでは、鹿児島選挙違反事件(志布志事件)。これは全員無罪になりました。警察のでっち上げが明らかにされたのですが、こんなことが続くと、警察も信用できなくなってしまいます。
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