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2007/11/30

朝青龍がモンゴル・ハラホリンから戻り、記者会見

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久しぶりに聞いた「ハラホリン」という町の名。朝青龍の滞在先、ドリームランドのある町です。

再来日した朝青龍は、およそ50分間の記者会見を開きました。まじめな会見のようだったし、これで許してもいいんじゃないでしょうか。本人も反省し、「一からやり直したい」と言っているわけだし。

外国人なので、誤解や勘違いはあったでしょう。日本人が考える「品格」と、モンゴル人が考える「品格」には、絶対ずれがあるのです。そこを教えるのが高砂親方の仕事だったはずです。スポーツに外国人も日本人も関係ない、といわれれば、たしかにそうなのですが・・・。

将来のモンゴル大統領候補に、ここで恩を売っておくかな。


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2007/11/29

新入国審査で指紋採取

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入管難民法改正で、日本に入国する16歳以上の外国人は、特別永住者や外交官を除いて、指紋採取と顔写真撮影が義務付けられました。

新システムの最大の目的は、テロリストの入国阻止と、一応言われています。アメリカ同時テロを受けて、2004年から同様の措置を取っているアメリカの真似です。

今ころ遅いという思いと、日本にアルカイダの指紋のデータがあるのか?という疑問が残ります。このシステムを「役に立ちますよ」といって売り込んだ会社はどこなんでしょうか? 山田洋行じゃないだろうけど。

そして当然ながら内外から「人権侵害じゃないか」との批判が上がっています。採取した指紋や顔写真は入国後も保存され、入国審査以外の犯罪捜査などに使われる場合もあるらしい。

日本ではかつて、外国人登録のとき、指紋押なつが行われていました。「外国人差別の象徴」という批判が高まり、2000年に廃止されたばかりです。

ないと信じたいけど、アメリカに行った日本人の指紋情報をアメリカから手に入れれば、日本人の犯罪捜査にも利用できるということですね。

テロを未然に防ぐ必要もわかりますが、個人情報をちゃんと管理するなんて言ってますが、年金問題でさんざん不信感を持たれているさなかに、信じろと言われてもねえ。

ところで、「友人の友人はアルカイダ」発言で物議をかもした鳩山法相は、成田空港の新しい入国審査システムを視察しました。法相は視察後報道陣に「アルカイダの関係人物が日本に何回も入国した事実がある。そういうことを防ぐ効果はあるだろう」と意義を強調しました。

そうか。法相の「友人の友人」は入国できなくなる、ということですね。そのメリットは認めます。


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2007/11/28

ミシュランのレストランガイド、新企画の提案

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マック、おまえもか。

マクドナルドの一部の店で、消費期限切れのヨーグルトやサラダを出していたということが発覚しました。撮影旅行に出たときは、マックは俺にとっては仕事場になります。だからマックはなじみの店です。

だからというわけではないし、けっしてマックを擁護するんじゃありませんが、でもここまで来ると、ちょっとこの大騒ぎ、何だか不公平を感じないわけではありません。発覚しやすいところだけが、まるでスケープゴート状態になってきたような気がします。

こういうチェーン店やメーカーだけではなくて、個人経営の食堂やレストランや居酒屋はどうなんでしょうか。きっと、やっている店、たくさんありますよ。(昔働いていたある飲食関係のバイト先でもあったような・・・・) 消費期限切れの材料で料理を作って出されてもわかりません。熱を通しているなら、なおさらです。

今回、ミシュランのガイドブックで星をもらっているレストランはどうなんでしょうか。「やっている店がある」と考えるのが、公平な見方でしょう。ミシュランの覆面調査員が、店で使っている材料すべて、期限が切れていないかなんて、わかるはずがないし。覆面調査員は、腐ったものでも「美味しい」と感じたら星をあげるグルメ様なんでしょ?

少なくとも、こういう店では、わざわざ「消費期限の材料を使っていません」と言っているところはないと思います。そうすると、嘘はついてないので、腹を壊さない限り許されるんでしょうかねぇ。

そうです。そのくらいのものだったはずです。でも、今の日本は、ちょっと異常なくらい「消費期限」には敏感になっています。

昔、学生のころ店で買った菓子パンはみごとにカビが生えていましたが、カビの部分を捨てて食べました。あとで店主に「さっき買ったパン、カビが生えてましたよ」と文句を言ったら「あら、そうだった?」と、一言で片付けられました。

それで、新企画の提案です。ミシュランも、今度は「味」ではなくて「安全度」を調査してランキングしたレストラン・ガイドブックを出したら、「安全原理主義者」には売れるんじゃないでしょうか。いや、「黒星」を付ける「危険度」ランキングのほうが役に立つかもしれません。


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2007/11/26

映画 『サン・ジャックへの道』を観て (3) 「巡礼」と「探す旅」

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「探す」ことが好きです。

雲南の少数民族、メコンの源流から河口、棚田百選。今まで取り組んできた大きな旅のテーマをあらためて考えてみると、そこに共通するのは「探す」こと、と言うこともできます。

そして「探す」ことは、「巡礼」と共通点があることを感じます。

いろんな人から「どうして雲南ばかり行くんだ?」とか「それをやってどうなるの?」といわれました。でも俺は確たる理由もなく、見通しもなく、通い続けました。(今でも続いています) はっきり言って、そんなことはどうでも良かったのでしょう。ただひたすら繰り返すしかなかったのだと思います。

雲南の全民族を巡るには、かなりの時間が必要でした。結局10数年かかりました。それは巡礼と言ってもいいのではないでしょうか。場所も経路も定まってはいませんでしたが、ある祈願をもってすべて巡ってみるという意味では同じです。

一見無駄にも見える時間が、当時の俺には必要でした。と、いうより、そういう時間と場が欲しかったのです。実際、雲南に行くと、心は解放され、体も丈夫になりました。

祈願というのは、雲南の魅力である「何か」により近付くこと。いまだにその「何か」を言葉で表すのは難しいですが、自分では「何か」は、おぼろげながらわかり始めています。

棚田もそうです。「棚田百選」がどうして134ケ所しかないんだ?と寂しく思ったときもありました。 もっと多ければ、まだ旅が続くのに、と。それだけ「棚田百選」の旅は面白いものでした。たぶん、これも「探す」旅ができたからです。

「棚田百選」をまわる旅は、宗教心はないので、「日本を知るための巡礼」といった感じでしょうか。だから、時間がかかってもいい、少しずつ、いろんな棚田を見てまわることに意義があります。 いや、時間をかけなければならなかったのです。それが巡礼というものです。

景観的な美しさだけを期待していくとがっかりしてしまう棚田も、正直言えばありました。米を作っていないところや、荒廃しているところもあるし、畦がコンクリートになっているところもたくさんありました。でも、思うのです。それも含めて今の「日本の棚田」なのだと。


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2007/11/25

映画 『サン・ジャックへの道』を観て (2) 巡礼で身体感覚を回復

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『サン・ジャックへの道』で監督・脚本を手掛けたコリーヌ・セローはインタビューでこう言っています。(公式サイトから)

「巡礼というのはまた、自分探しと同時にもうひとつの生活様式を発見する行為だと思います。この車社会のなかで自分の足だけを使って大自然のなかをひたすら歩く、とてもエコロジカルな行為で、それもわたしが興味を引かれた点です。甘やかされた人間たちがいきなり何もない大自然のなかに放り込まれたらどうなるか、現代社会の問題を浮き彫りにするのにぴったりだと思ったのです。」

日本では、もともと巡礼は修行の一種で、即身成仏を果たすという仏教思想からきていて、ある祈願を持って定まった場所を定まった経路で参拝するというものでした。

たとえば、四国八十八ヵ所霊場を巡ったことはまだありませんが、巡礼というのは過程が大切なのだと言えます。1ヶ所では1日で終わってしまいますが、88ヶ所あれば、ある日数が必要になります。その期間、自分の生活をじっくりと振り返り、人生や幸福について考えながら歩く。そういうことを考えるには、88ヶ所くらいがちょうどいい数なのかもしれません。(もちろん「歩き」での巡礼の場合ですが)

巡礼は、移り変わる景色を見て、いろんな人間に出会うことで、脳は刺激を受け、しかも自分の足で歩くわけだから、体も丈夫になるはずです。巡礼というと、宗教的な、精神的な面がイメージされますが、もっと身体的な面も大きいのではないかと思います。

ヨーロッパでも、日本でも、巡礼の歩き旅がブームになっているのは、身体感覚を忘れてしまったことに対する危機感があり、だからそれを回復したいということがあるのかもしれません。コリーヌ・セロー監督の言っている「現代社会の問題」ですね。


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映画 『サン・ジャックへの道』を観て (1) 歩く旅

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映画 『サン・ジャックへの道』を観ました。

公式サイト

亡き母親の遺産を相続するため、遺言によって、険悪な仲の兄姉弟が、フランスのル・ピュイからスペインの聖地サンティアゴ(サン・ジャック)まで1500kmの巡礼路を徒歩で旅をするという話です。

ネタバレというほどのこともないと思いますが、映画の展開は予想したとおり、兄姉弟はこの巡礼の旅で、仲良くなります。

歩いて旅して、人間関係を修復するという話は、他の映画やテレビドラマでもあります。四国巡礼を舞台にしたNHKのドラマ『ウォーカーズ』というのもありましたね。

この「歩きの旅」が何か人間を変えるんでしょう。途中で、兄のピエールが荷物を捨てるシーンがあります。無駄な荷物を持ってきたことを、実際に歩くことで、頭ではなくて、体でわかるのです。

最初から荷物を持ってこなかったのは、弟のクロードでした。アルコール漬けで家族にも見捨てられ、一文無しのどうしようもない人間として兄姉から嫌われています。

途中でいなくなったクロードを探してガイドが向かったのは、町のバー(一杯飲み屋)でした。相変わらず酒を飲んでいたクロードはガイドに言います。「バーとセックス、それが人生だ」と。

彼が一番身軽で、もとからの巡礼者であったということでしょうか。だから、この巡礼で何も変わらなかったのは彼だけだったようです。ということは、彼は、彼のままでいいということでもあるのかもしれません。


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2007/11/23

「消費期限」や「賞味期限」の改ざん事件

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昨日、北海道のチョコレート菓子「白い恋人」の販売が再開されたというニュースがありましたが、1ヶ月前、伊勢神宮に行ったとき、「赤福」の問題が起こり、「消費期限」や「賞味期限」という数値についてあらためて考えさせました。

嘘の表示をして利益を上げようとしたことに問題があるのは当然としても、消費期限をちょっとでも過ぎたコンビに弁当や、回転寿司が廃棄されている映像を見て、「消費期限をちゃんと守っていてりっぱだな」と思うよりは、「もったいないな」思う俺はケチなんでしょうか。(家畜飼料や肥料として再利用するところもあるそうですが)

今、「うちでも不正をやってる」という内部告発がたくさん来ています。一種のブームです。そんなこと、少しはどこでもやっているんだろうな、くらいは想像できました。そもそも、まだ食べられるものを捨ててしまうことに罪悪感を覚える世代が社長とかやってるわけだし。

ただ、これは消費者側にも問題があるのではないかなぁと思うのです。極端に言えば、腐ったものを食べたら死ぬかもしれないという、生存に関わるとても大事なことを、「消費期限」という数値に頼りきっているって、考えてみればおかしなことです。

腹をこわしたら、当然、製造元に文句を言いに行くんでしょうね。すべて誰かのせいにしないと気がすまない。そういうことが、消費期限をなるべく短く設定してしまうことに結びつき、本来なら食べられるものを捨ててしまうことになってしまう。

発展途上国へ行ったら、そんなものあるのかないのかさえわかりません。たとえ「消費期限」が書いてあっても信用できないので、最初は鼻と目で確かめ、大丈夫そうなら少し食べてみて舌で確かめ、そして最後は自分の責任で食べます。

「消費期限」がなくてもいいと言っているのではありません。俺もこれは便利だと思っているし、でも、自分の感覚をもっと信用したいなぁと思っているだけです。感覚を鈍らせたくないのです。


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2007/11/22

写真ギャラリー 『秋の藁ボッチ』 「ボッチ」って、何なんだ~~!

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オリザ館に「秋の藁ボッチ」の写真をまとめておきました。この前、ブログで掲載した写真、プラス、今まで撮っていた写真です。

Ya_2「秋の藁ボッチ」

ところで「ボッチ」とは何語? どうして「藁ボッチ」というのか、気になってしかたなくなり、ネットで検索してみましたが、いろんな説があってはっきりとしたことはわかりません。

有力なのは「帽子」説や「突起」説かな。「ボッチ」は「帽子」が訛ったものらしい。突起物を「ボッチ」と呼ぶし。

でも、わからない! 「ボッチ」って、何なんだ~~!

ボッチ・ボッチ・ボッチ・ボッ・チボッ・チボッ・チボッ・・・。

だれか知ってる人がいたら、教えてください。

『もののけ姫』に出てきた森の精霊「ダイダラボッチ」の「ボッチ」の方は、漢字で書くと「法師」という説も。また、「ボッチ」はアイヌ語で「巨人」「巨大」という意味で、「高い山」「大きな山」を表すという説もあるそうです。

いつか行こうと思っていましたが、諏訪湖の北、塩尻市の高ボッチ山(標高1665m)は、こっちの意味でしょう。へんな名前だなぁとは思っていました。「藁ボッチ」とは関係なさそうですが。


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2007/11/21

映画 『ビッグ・フィッシュ』を観て (2) 写真家もホラ吹き

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昨日、『ビッグ・フィッシュ』について書きましたが、今日も続き。

「嘘」を書いている小説で、「真実」を伝えると書きましたが、写真もそうですね。ある意味、写真家は「嘘つき」「ホラ吹き」です。

写真は、カメラという機械を使って事実を写しているんだから、真実を伝えるのは簡単でしょ?と言われるかもしれませんが、そうでしょうか。むしろ、その思い込みがある分、難しいかもしれません。

最近ではデジカメが普及し、パソコンでどんな画像も「事実」らしく作ることができるようになりました。だから、かえって、写真は「作られたものかもしれない」という疑いを持って見られるようになったので、むしろ、いい傾向だと思います。写真がすべて「事実」だという思い込みから開放されるという意味で。

まぁ、その問題は別な機会にということで、写真家は、たしかに「あること」「見えること」を写し撮ります。でも、写真家は「写さないこと」も意識してやっています。周りに「都合の悪いもの」があったら、それを「写さない」のです。「都合の悪いもの」などと書くと、ちょっと犯罪的なので、「表現したいことを伝えるためには、ない方がいいもの」と言い直すことにしましょうか。「写さないこと」で隠します。

まぁ、大げさに言うと、「嘘をつく」「ホラを吹く」のです。(言いすぎなら「誇張」≒「表現」です) そこに「都合の悪いもの」があったことは、写真家は知っているはずですが、その事実は隠されることになります。

写真家は意識して、何かを写し、何かを写さないのです。むしろ「何を写さないか」の方が重要なのでは?と、思うくらいです。それが写真家の「感性」とか「個性」とかに関わっていますが、「嘘」「ホラ」によって、写真家の内なる「真実」に迫るのです。


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2007/11/20

映画 『ビッグ・フィッシュ』を観て (1) せいぜいホラを吹きたい

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(写真は、カンボジア・トンレサップ川の魚)

映画 『ビッグ・フィッシュ』を観ました。2003年のアメリカ映画です。

オフィシャルサイト
http://www.so-net.ne.jp/movie/sonypictures/homevideo/bigfish/index.html

【注意:ネタバレです】
エドワード・ブルームが語るお伽話でみんな幸せな気分になるのですが、彼の息子だけは、単なるホラ吹きだと思って嫌っていました。でも、父親の余命わずかとなったとき、ホラじゃなくて事実もたくさんあったんだ、そして父親の生涯が幸せなものだったんだと知り和解する話。父親が家を留守にしがちだったのは、母親のほかに、外に別な女がいるからだろうという誤解も解けるのでした。いい映画でしたよ。

それにしても、エドワード・ブルームの、話を大きくして語る性格は、とってもわかります。事実を事実としてだけ話をしても、つまらないと俺も思うようなところがあります。教科書じゃないんだから、多少の誇張はあってもいいと思うし。ただ、行き過ぎると、「嘘」になってしまうので、そこのバランスは難しい。どれくらいまでが「ビッグ・フィッシュ(大きな魚)」と言っていいものか。

正直言うと、俺も、ノッテくると、「おおげさな話」から「嘘の話」になっていく微妙なところがあります。言ったあとに「おおげさだったな」と内心後悔しながらも、相手が信じてしまっているのを、今さら否定するのもなんだなぁと考えて、そのままにしておくと、聞いた人の誇張なども追加されて、話に尾ひれが付き(それこそビッグ・フィッシュですね)、そのことが俺を縛ってしまって、辛くなるという悲劇も起きます。

ただ思うんですよね、というか、半分言い訳ですが、物事の真実を伝えたいと思ったとき、嘘を言ったほうがいいときもあると。たとえば、小説なんかも、考えてみれば「嘘」なわけで。そういう「嘘」でしか伝えられない「真実」というものもあるような気が・・・・。

同じことなら、楽しく、面白く生きたいなと思っているだけです。現実は、ドラマチックでもありません。その淡々とした日常に耐えられない「弱さ」といったらいいか、それもないと言ったら嘘になるかもしれませんが。

でも、これもマイナスに考えてしまうと、つまらないので、せいぜいホラを吹きたいと思いますよ。

と、いうことは、このブログで語られていることも、もしかして・・・


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2007/11/19

2008年の干支、「子 ねずみ 鼠」のトンパ文字

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ぼちぼちと、このブログに「トンパ文字 年賀状」などの検索ワードで来てくれるようになりました。2008年の年賀状の季節になったんですね。

俺は、旅が多く、季節感の少ない東南アジアなどの外国へも行くし、普通の会社員ではないので、正月、お盆などの決まった休みもないので、意外と季節には無頓着かもしれません。唯一、田んぼの色で感じてはいますが。

なので、「年賀状」「トンパ文字」「象形文字」「干支」などの検索ワードが来ると、あぁ年末が近づいているんだなぁと感じます。

とりあえず、2008年の干支、「子」のトンパ(東巴)文字の基本形を載せておきます。これから年末にかけて、徐々にパターンを増やしていきます。参考にしてください。

Ya_2雲南ナシ族トンパ文字のページ


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    ●●●

「ネズミ」というと思い出すのは、元陽のモンピン棚田で民家に泊めてもらったときのこと。

その日一日、太陽の光を受けて、刻々と変化する棚田をずっと見て過ごしました。最後は西側に太陽が沈み、1日が終わり、なんて贅沢な時間の過ごし方ができたろうと、そのときは、満足だったのですが・・・。

さて町に帰ろうとして、最終バスを待ったのですが、7時半の予定が、8時になってもバスはやってきませんでした。月も昇らない真っ暗な夜で、まったく途方にくれてしまいました。

と、そのとき、暗闇で口笛が聴こえました。よほど真っ暗な闇が怖かったのでしょう。ハッとして身構えてしまいました。そして灯がつきました。地元の青年が持っている懐中電灯でした。

彼は村へ帰るイ族の青年で、俺が事情を話すと、「バスは来るときと来ないときがある。良かったらうちに泊まって、明日の朝、元陽に戻ればいい」と親切に言ってくれました。これ以上、この暗闇で来るか来ないかわからないバスを待つのは、危険も感じたので、この青年の好意に甘えることにしました。

それで彼の家に1泊させてもらったのですが、夜中、何かの拍子に目が覚めて、窓から射し込む月明かりに照らされた床をボーっと見ていると、黒い小さい影が、いくつも横切っていました。ネズミたちの運動会が始まったのです。

障害物競争でもやっているのか、俺の布団の上や腕にも登ってきて、そのたび、ネズミを振払ったりして、ほとんど眠れませんでした。

翌朝、彼のお父さんはニコニコしながら「よく眠れたかい?」と聞くので、「もちろん、よく眠れました。ありがとうございました」と、俺は目に隈をつくりながら、爽やかに嘘をついたのでした。


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2007/11/18

トンネルを抜けると、桃源郷だった (3) それでも俺は「桃源郷」を探したい

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どうしてこう、何事も自分の思い通りにならないのでしょうか。今までのことを振り返ってみても、「こうあってほしい」ということが実現したことは、ほんとに少ない。

理想とする状態が、何でも実現してしまうのは、それこそ理想的な「桃源郷」と言えるのかもしれないけど、実際、そんなことはないし、もし仮にそんな簡単に何事も実現してしまったら、嬉しくも楽しくもないと言うことにもなります。矛盾してますね。

なかなか思い通りにならないからこそ、なったときは嬉しいし、幸せな気分にもなります。だからこその「桃源郷」なのでしょう。

そう考えれば、桃源郷の入口には、命を失ってしまいかねない危険があるのもうなずけるし、「擬似的な死」とか「死と再生の儀式」が必要でもあるのでしょう。

でも、それをわかってもなぁ・・・と凡人の俺は思ってしまいます。

思い通りにならない辛さが弱まるわけではありません。辛いのは辛い。それは変わらない。でもしかたないんでしょうね。

なんてこった。

それでも俺は「桃源郷」を探したい、とは思いますよ。


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2007/11/17

トンネルを抜けると、桃源郷だった (2) 桃源郷はどこにある?

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「桃源郷」は、ほんとにあるのでしょうか。

などと、子どもじみたことを言ってるオヤジは、傍から見たらキモチ悪いのは重々承知の上で、あえて書きます。今までも何度か「桃源郷」については書いていますが。

「桃源郷」というのは、「ある」と信じる人にしか「ない」というのは当然としても、「ある」と信じる人にとっても、「桃源郷」にたどり着いたとたん、「桃源郷」ではなくなる矛盾したものをはらんでいる気がします。

だったら結局ないんじゃないかと言われれば、たしかにそうです。でも、俺はこの「矛盾」こそ、「桃源郷」の本質なのではないかなと思うのです。

「ない」と頭ではわかっていて、「ある」と心が信じている状態、と言ったらいいでしょうか。過程にこそ「桃源郷」を探す意味が隠されているのではないか、ということなのです。旅の過程と、ちょっと似ているかもしれません。旅先を想像して幸せになり、実際行ってみたらたいしたところではなかったと幻滅することもあります。そもそも旅に、目的地がなくてもかまいません。

映画 『トンマッコルへようこそ』でも、「闘わない」人たちのいる「桃源郷」を守るために「闘ってしまう」という矛盾がおきますが、でも、その矛盾を抱えていくしかないというのが生き物の宿命なのかな、なんて思いますけどね。どうなんでしょうか。


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2007/11/16

トンネルを抜けると、桃源郷だった (1) 映画 『トンマッコルへようこそ』

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桃の花が咲く峡谷をどこまでも進んでいくと、そこには平和に暮らす人々の村があったというのは、「桃源郷」の話。

「桃源郷」に限らず、「理想郷」や「シャングリラ」に辿りつくには、かならず、飛行機が墜落したり、険しい山越えをしたり、暗くて狭い場所を通過しなければならないようです。

韓国映画 『トンマッコルへようこそ』を観ました。この映画でも、桃源郷に辿りつくまで、みんな死ぬ思いをしています。いや、死ぬ思いをするから桃源郷が現れるといってもいいでしょう。そこにはやっぱり「死と再生の儀式」が必要なのかもしれないですね。俺にとってのトンネルのように。

韓国軍兵士、北朝鮮軍兵士、アメリカ軍兵士が、偶然にも、桃源郷の村「トンマッコル」に迷い込み、最後は、村を守るという話です。「殺しあう」「闘う」ことが馬鹿らしくなるほど、村人は素朴で善良です。実際兵士たちは、敵ながらも、お互いを認め合うようになります。

巨大イノシシが出たところは『もののけ姫』、村を守るところは『七人の侍』を思わせました。いろんな映画の要素は感じましたが、村人や兵士たちのユーモラスな描写に暖かい気持ちになり、好きな映画ですね。

ただ、最後、村を守るために、やっぱり兵士たちが闘ってしまうのは、しかたないことなのでしょうか。


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2007/11/15

トンネル恐怖症

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俺は、トンネル恐怖症なのではないか、という話は以前書きました。

「車中泊の撮影旅 (2) 天城山隧道」(2007/10/09)。

↑のトンネルは、四国のどこだったか、山の中のトンネル。

トンネルは、俺にとって、再生の儀式の道具なのです。いったん死んで、母親の子宮から再び出ようとする胎児のように。このトンネルを通過しない限り、新しく生まれ変れないとすれば、この狭さと暗さに我慢しなければならないんでしょう。

でも、やっぱり怖い。もしかしたら、もうこのトンネルから出られないのでは?という怖さがいつも付きまといます。まぁ、怖さがなかったら儀式にもならないんですが。

俺は死にました。そして、また新しい世界に出ることにします。簡単ではないかもしれませんが、このトンネルは何とか抜け出さなければ・・・。


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2007/11/09

2007秋、車中泊の撮影旅 (付録08) 棚田の藁ボッチと「ミステリーサークル」

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「ミステリーサークル」ってありますよね。不思議だと俺も思っていました。今では、人間の「作品」だというのが知られるようになり、宇宙人説や自然現象説は一掃されてしまったようです。

どうして不思議だったかというと、畑の作物が、一晩のうちに(短い時間で)なぎ倒されて、幾何学的な模様を描くからです。この「一晩のうちに」というのがミソだったのですが。

これが「一晩のうちに」ではなくて、365日ぐらいかけてゆっくり模様を描いていたとしたら、どうでしょうか? それでも不思議は不思議ですが、「一晩のうちに」出現するミステリーサークルの模様のインパクトには及びません。

つまり何が言いたいかというと、時間的感覚が違う生物がやっているのだとすれば、ミステリーサークルは別に不思議ではなくなるんじゃないかということなのです。

実際は、人間のいたずらだったわけですが、ミステリーサークルをこしらえている生物が別にいたとすると、俺たちが、棚田に苗が植えられ、やがて稲が刈りとられて藁ボッチが置かれていく一連の状況を、何の不思議もなく(自然な流れとして)見ているのと同じような感覚で見るんだろうなぁと、この藁ボッチを見て思いました

逆に言えば、人間の1000倍も長生きする地球外知的生物(ようするに「宇宙人」)がいるとすると、たぶん、棚田を見ていてびっくりすると思いますよ。突然「一晩のうちに(宇宙人にとっての一晩だけど)」緑の田んぼが黄色くなって、そのあとに藁ボッチがランダムに置かれている状況を、「ミステリー藁ボッチだ」とか言いながら不思議がるんじゃないかな。(ないか?)

藁ボッチの置かれている位置に、何か特別な意味があるのだろうか?と悩むんですよ。そして知ったかぶりするアホな宇宙人は言うんです。「これは我々に向けられたメッセージです」などと。別に意味などないんだけどね。

藁ボッチは、深いなぁ。藁ボッチ写真家にでもなろうかな。


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2007/11/08

2007秋、車中泊の撮影旅 (付録08) 高知県土佐町の棚田の藁ボッチ(2)

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昨日に続いて、今日も藁ボッチの写真です。

藁ボッチを見ると、どうしても音楽のリズムが聴こえてきます。

昨日書きましたが、音符に見える(見る)からでしょうか。


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2007/11/07

2007秋、車中泊の撮影旅 (付録07) 高知県土佐町の棚田の藁ボッチ(1)

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収穫の終わったあとに置かれた藁ボッチは、まるで五線譜の音符を見るようです。

農家の人は藁ボッチを、そんなことを意識してこの位置に置いたのではないはずですが、でも、この位置でなければならなかったのかもしれず、「農家の無意識の美」は、やっぱり自然に表れるのかもしれません。

いや「美」というのとは、ちょっと違うかな。でも、「何か」を感じます。

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2007/11/06

2007秋、車中泊の撮影旅 (付録06) 徳島県木沢村の山村 & 《第2回東京棚田フェスティバル》のスケジュール

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徳島県上勝町の樫原棚田を撮影した翌日、山越えして木沢村に抜けましたが、そのとき、山の中腹に民家があるのに気がつきました。

朝日に照らされている日と時間帯でなければ、きっと見逃していた風景です。

迫りくる山の斜面に囲まれたこの民家に住む人の苦労を、人事ながら想像してしまいます。

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ところで以前お知らせした《第2回東京棚田フェスティバル》での、スライド&トークショー(農's(のうず)ギャラリー)のスケジュールが決まりました。13:00~14:30です。(入場無料) 今回の旅で撮った写真も使うつもりです。よかったら観に来てください。

【日時】11月10日(土) 

【場所】東京交通会館前広場 地域の物産と棚田米販売(正午~17:00)

    交通会館1階「農's(のうず)ギャラリー」
    ※入場無料
    ・スライド&トークショー:写真家・青柳健二(13:00~14:30)
    ・スライド:棚田ビオトープの生き物たち(14:40~15:10)
    ・DVD上映「よみがえる棚田~美しき日本の原風景~」

詳しくは、棚田ネットのホームページでどうぞ。
http://www.tanada.or.jp/


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鳩山法相のアルカイダ発言の波紋

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鳩山法相発言は、10月29日、外国特派員協会での講演で飛び出しましたが、そのときは撮影旅行中で、詳しいいきさつはわかりませんでした。

が、あらためて発言を知って驚きました。「私の友人の友人にアルカイダがいる。『バリの中心部は爆破するから近づかないように』とアドバイスを受けた」。あとで、「事件の3、4カ月後に聞いた話」と釈明したそうですが。(ちなみに爆弾テロが起こったのは「バリの中心部」ではありません)

<鳩山法相>アルカイダ発言にバリ島テロ遺族が抗議
Yahoo ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071106-00000067-mai-pol 参照

こういう発言ができる感覚って、なんなんでしょうか。ジョークのつもりだったのでしょうか。まぁ、こんな口の軽い人間に、アルカイダがバリ島のテロ計画を打ち明けるはずはないですが。たぶん、お騒がせしたい、作り話でしょう。はっきり言って、半分嘘だと思います。

ただ、嘘だとしても、これを外国特派員の前で、得意げに話すということが問題で、遺族が怒るのももっともです。

嘘じゃなかったら、もっと問題なわけですが。もし本当に「日本にテロリスト、うろうろ」しているなら、それを放っておく法相の責任は大きいのでは? でも、どうも具体的な情報を持っていそうなキレモノには見えません。愚鈍そうです。


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2007/11/05

2007秋、車中泊の撮影旅 (付録05) 和歌山県 有田川

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和歌山県「あらぎ島の棚田」の撮影後、有田川に沿って金屋方面に走っていると、左手下に川面が見えて急停車しました。

自然に任せて流れる水の曲線は美しいものです。

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2007/11/04

2007秋、車中泊の撮影旅 (付録04) 伊勢志摩 伊雑ノ浦の漁村

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海苔養殖場の写真を撮るために、夕日を待っていると、東側の空にいわし雲が浮かんでいました。

秋の訪れを感じる空を見上げた伊勢志摩の夕方でした。


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2007/11/03

2007秋、車中泊の撮影旅 (付録03) 舞阪のアサリ採り

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2007/11/02

2007秋、車中泊の撮影旅 (付録02) 岩の上の鳥居

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伊豆半島の石廊崎から北へ、海岸沿いを走っていたとき、ハッとして車を止め写真を撮りました。

岩の上に鳥居があるのを見つけました。写真では小さくてわからないかもしれませんが、鳥居の上に、黒い鳥が止まっています。

この断崖絶壁を、どうやって上るんだろうと不思議でした。


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2007/11/01

2007秋、車中泊の撮影旅 (付録01) 撮影旅行から帰りました

071101
撮影旅行から帰りました。

約3週間の旅。集中力もそろそろ途切れてくる時期。後半、ちょっと疲れました。

今日から期間中アップできなかった写真や、小さく扱った写真を「付録」としてもう一度アップしていきます。

今日の写真は、伊豆半島の天城湯ヶ島「荒原の棚田」です。サッと射し込んだ夕日が棚田を照らしました。その一瞬の写真です。


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