映画 『サン・ジャックへの道』を観て (3) 「巡礼」と「探す旅」
「探す」ことが好きです。
雲南の少数民族、メコンの源流から河口、棚田百選。今まで取り組んできた大きな旅のテーマをあらためて考えてみると、そこに共通するのは「探す」こと、と言うこともできます。
そして「探す」ことは、「巡礼」と共通点があることを感じます。
いろんな人から「どうして雲南ばかり行くんだ?」とか「それをやってどうなるの?」といわれました。でも俺は確たる理由もなく、見通しもなく、通い続けました。(今でも続いています) はっきり言って、そんなことはどうでも良かったのでしょう。ただひたすら繰り返すしかなかったのだと思います。
雲南の全民族を巡るには、かなりの時間が必要でした。結局10数年かかりました。それは巡礼と言ってもいいのではないでしょうか。場所も経路も定まってはいませんでしたが、ある祈願をもってすべて巡ってみるという意味では同じです。
一見無駄にも見える時間が、当時の俺には必要でした。と、いうより、そういう時間と場が欲しかったのです。実際、雲南に行くと、心は解放され、体も丈夫になりました。
祈願というのは、雲南の魅力である「何か」により近付くこと。いまだにその「何か」を言葉で表すのは難しいですが、自分では「何か」は、おぼろげながらわかり始めています。
棚田もそうです。「棚田百選」がどうして134ケ所しかないんだ?と寂しく思ったときもありました。 もっと多ければ、まだ旅が続くのに、と。それだけ「棚田百選」の旅は面白いものでした。たぶん、これも「探す」旅ができたからです。
「棚田百選」をまわる旅は、宗教心はないので、「日本を知るための巡礼」といった感じでしょうか。だから、時間がかかってもいい、少しずつ、いろんな棚田を見てまわることに意義があります。 いや、時間をかけなければならなかったのです。それが巡礼というものです。
景観的な美しさだけを期待していくとがっかりしてしまう棚田も、正直言えばありました。米を作っていないところや、荒廃しているところもあるし、畦がコンクリートになっているところもたくさんありました。でも、思うのです。それも含めて今の「日本の棚田」なのだと。
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